9.名前のない少年
きっとこの子は『抱きしめる』という言葉も知らないのだろう。
抱きしめられたことも無いに違いない。
忌むべき弟は小さくて華奢で、陽だまりのように暖かだった。
「なぁお前、名前は? ごめん、兄なのに知らないんだ」
言ってからまずいと思ったけど、少年は別に気分を害した風でもなくニコニコと笑って言った。
「仕方ないですよ。僕には名前がありませんから。でもあと6ヶ月たって10歳になったら、仮継承の儀式をして『クロスⅧ』と呼ばれることになるそうです」
あと6ヶ月で10歳。
そういえばエドワードの話では、生まれた子供と俺とは2歳違いだったっけ。
見かけよりは年が上なようだが、それにしても……。
「クロスⅧ……それって名前なのか?」
「さぁ……僕にはよくわかりません」
少年は小さく首を振る。
クロスⅧ。
それは名前じゃなくて、おそらくただの官職名だ。
世襲制の官職名には大抵数字がつくから、この子が8代目ってことなのだろう。
でも名前が無いなんて、そんな馬鹿な。
人間に生まれたなら、一番最初にもらうべき祝福なのに……それが無いなんて。
まるで奴隷か、実験動物かのようじゃないか。
「じゃあさ、リオンって名はどうだ? 古代語で『あなたに幸福を』って意味なんだって。
……で、うちの国名の語源の一部でもあるんだ。
俺の名前も国名の語源から来てるし、兄弟らしくていいと思わないか?
お前がこの名をもらってくれたら、俺……とても嬉しいな!」
そう言うと少年は、塞がれた瞳で一生懸命俺の顔を覗き込むような仕草をした。
「あの……僕にはそれがどのような意味なのかよくわからないのですが、『嬉しい』ってさっき教えてくださった言葉ですよね。
僕がその名前をいただいたら、兄様は……僕がぬいぐるみを渡された時のような『嬉しい』気持ちになりますか?」
「もちろんだ!!」
そう言うと、少年は顔を輝かせた。




