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  第六章


 イカズチとツルは、信頼できる精鋭を宮殿の庭に集めた。

 辺りに漂う異様な空気。いまだ詳しい説明をされていない兵士たちは、この忙しい時期にいったい何事かと、心をどぎまぎさせていた。

「諸君!」

 辺り一帯に、イカズチの声が響き渡った。

「これより、裏切り者の討伐を行う!」

 ざわめき合う兵士たちは、イカズチの二言目を待った。

「裏切り者は、この宮殿の中にいる!」

 イカズチの指が、兵士の正面にそびえ立つ黄金の宮殿に向けられた。雨で濡れてなお、輝いている宮殿は、どんよりとした雨雲を映すことなく、一点の曇りもないように見える。

 皇帝陛下、もとい神の宮殿に、裏切り者などいるはずがない。

 兵士たちは、初めてイカズチの言葉を疑った。

「信じられぬ気持は良く分かる。ならば真実の戦士たち、神の言葉に耳を傾けよ!」

 ツルが、一歩前に進み出た。

「みんな、聞いて欲しい」

 ツルの声は、イカズチのそれとは対照的だった。耳を澄まさなければ雨音にまぎれてしまうほどか細く、優しい声だった。

もっとよく聞きたい。兵士たちは前のめりになる。ツルはその瞬間を狙っていた。

「ぼくは、この国の人間に殺されそうになった」

 兵士たちは、一斉に仰け反った。

 ツルは、声の調子にこっそり力を込めた。

 ツルが行方不明になった経緯。その裏で貴族たちが糸を引いていたこと。貴族たちが、国の政治を支配しようとしている事。ツルはありのまま話した。到底信じられるような内容ではなかったが、兵士たちは黙って聞き続けた。

「奴らは、神の子である、この僕に、刃を向けた!」

 ツルは、端から端まで兵士たちの顔を眺めた。表情は頑なに変わらないが、心の奥底では闘志が燃えていることを、ツルは確信していた。

 この国に根付いた階級差別は重い。貴族たちが一番よく分かっていることじゃないか。

 ツルは声を張り上げた。

「差別を求めているのは誰だ!」

 ツルは叫んだ。

「命に価値はない!」

 ツルは腕を振り抜いた。

「国を救いたいか! 親を救いたいか! ならば、階級など忘れよ!」

 それを教えてくれたのは、他でもない、カスミだ。

「みんな、これが最後の戦いだ」

 ツルはナイフを抜き、兵士ひとりひとりに矛先を向けた。

「武器を手にとらなければ、命は消えない。しかし、武器を手にとらなければ、命が燃えることもない」

 伝わってくる熱気。

 イカズチが一歩前に進み出た。

「ツルに刃を向けし貴族こそ、逆賊である!」

 イカズチは剣を抜いた。

「この国を愛する者よ! 我に続け!」

 イカズチの剣は、天を突いた。

「皇帝陛下を御救いするのだ!」

 兵士たちの矛先が天を突く。

 宮殿に、鬨の声が響き渡った。

「突撃だ!」

 イカズチの反撃は、地鳴りを起こし、貴族街を揺らし、平民街を駆け巡り、貧民街にまで届いた。

 歴史の代わる瞬間には、血の雨が降る。


 *


 シズクは、貧民街を歩き回っていた。

 カスミの意志は自分が継ぐ。そう決めたから、シズクは、今まで虐げてきた人たちに頭を下げて回った。

 すでに、心身ともにシズクはぼろぼろだった。

 お願いしますと言えば、殴られる。

 助けて下さいと言えば、あざ笑われる。

 貧民街の人間で、シズクに良い感情を抱いている人間は、皆無だった。貧民街の人間は、みな、シズクに大切な人を殺され、プライドを踏みにじられ、命を削られた人たち、もしくは、そんな噂に踊らされ、シズクを恐れる人たちばかりだった。シズクがお願いに来る。これほど恨みを晴らすのに適したチャンスがあるだろうか。

「お願いします!」

 ボロ雑巾のようになったシズクは、それでも額を地面に押し付けた。

「子供に太陽を見せてやりたいんです!」

「ふざけるな!」

 浴びせられるのは、罵詈雑言だった。それでも、シズクは挫けようとはしなかった。わずかなチャンスにしがみついてでも、シズクは、イズミに太陽を見せてやりたかった。

 坊主頭の男が、シズクの顔を蹴飛ばした。

「いまさら、どのツラ下げて来やがった!」

 シズクに恨みを晴らせる。そんな噂が人を呼び、少しもしない内に、シズクの周りには、人だかりができていた。

 みな、それぞれの思いを持って。

「お願いします。わたしに、力を貸して下さい」

 シズクは、ぼうっとする頭で、何度も同じ台詞を繰り返した。自分の力で立つことができない。雨で濡れた地面に手を付き、ひたすら頭を下げることしかできない。

 都合がいいのは分かってる。柄でないことも分かってる。

 それでも、我武者羅に、シズクは、虐げてきた人たちに縋った。

「助けて下さい!」

「お前なんかに、誰が力を貸すかよ!」

「そうよ! あんた、今まで一度だって、命乞いした人を助けたことあるの!」

 シズクには、言い返す事ができなかった。

 わたしは、それだけ酷い事をしてきたんだ。

 シズクの叫びは心に響かない。シズクを恨んでいるのは、シズクの甘い言葉に騙され、人生を破滅させられた人たち。そんな彼らが、いまさらシズクを信用するはずもない。

「カスミを助けたいんです。お願いします!」

 それでも、シズクは、額を地面に打ち付けた。

 一時は、貧民の間で英雄となったカスミの名前を出せば、もしかして。そんなシズクの浅はかな計算は、脆くも崩れ去った。

「なんで俺たちが、カスミの馬鹿を助けねえといけねえんだよ!」

「もうどっかで野たれ死んでんじゃねえの!」

 誰かが吐き捨てるように言うと、人々は噴き出すように笑った。

 悔しさが積り、シズクの唇から血が垂れた。

 また、わたしはカスミに頼ろうとした。なんて愚かなんだ。どこまで学習しないんだ。わたしはカスミを助けたい。イズミに太陽を見せたい。わたしは、わたしが、そうしたいんだ!

シズクは、何度も頭を下げた。

「雨を止ませたいの。お願い、力を貸してよ!」

 シズクの頭に、鈍く、鋭い痛みが走った。目の前を赤く染まった石が転がる。耳の傍を垂れてくる生温かいものは、シズクの顎に溜まって、地面に赤い点をつけた。

「雨が止むはずねえだろ!」

「雨は、止むものよ!」

「うるせえ!」

 シズクの頭に、鈍い痛みが走る。

目の前を転がる石を眺めながら、シズクは、ぽつりと呟いた。

「女ひとり、殴る勇気もないのね」

「なんだと!」

 シズクの挑発に、男たちがいきり立つ。しかし、これはチャンスでもあった。

「わたしは、ひとりでも雨を止めてみせる!」

 シズクは噛みつくように言った。

「この国は間違っている。あなた達も分かっているんでしょ? 本当は、自分たちは貧民なんかじゃないことくらい、もう気付いてるんでしょ?」

 貧民たちが、わずかに反応をみせた。

 ここぞとばかりに、シズクは言葉に力を込めた。

「立ち上がりなさいよ! 頑張りなさいよ! 命に価値つけてくるやつらに、目に物見せてやりなさいよ!」

 貧民たちは黙りこんだ。

 シズクの言葉が、貧民たちにとって、もっとも言われたくない言葉だったからだ。彼らは、自分たちが貧民であることに甘えていた。貧民だから仕方ない。そんな、理由にならない理由で、頑張ることを諦めてきた。いや、頑張ることから逃げてきた。

 叱咤された彼らの考えることは、ひとつだった。

『シズクにだけは、言われたくない』

 彼らが貧民であることを最大限に利用していたのは、他でもない、シズクだった。貧しさに付け込み、高利で金を貸し、他人の人生を終わらせてきた。そんな奴に、貧民を虐げる貴族たちを責める権利があるのだろうか。

「黙れ!」

 坊主頭の男が怒鳴った。同調するように人々の怒りは膨らみ、はちきれる寸前にまで膨れあがった。

「まずはお前が死ね!」

 ぼろぼろの服を着た母親らしき女性が叫んだ。

 死んで晴れるなら、いくらでも死んでやる。

シズクはこの言葉を、ぐっと飲み込んだ。彼らは、シズクを殺せばきっと満足してしまう。最も近くにある危険を除外し、あとは黙って貴族たちに虐げられてさえいれば平穏を保てることを、彼らは知っているのだから。

シズクは拳を握った。

それじゃあ、駄目なんだ。

 彼らがもっとも恐れていること。それは、殺されることでも、差別されることでもない。今が変わってしまうことだ。彼らにとって、シズクは変化をもたらす疫病神でしかなかった。

「みんな、わたしと一緒に戦おうよ!」

 シズクの最後の頼みは、雨音と罵詈雑言の中に消えた。

「殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」

 届かない。わたしじゃ、駄目だったんだ。

 シズクは茫然と目の前を眺めた。

 ごめん、カスミ。

 シズクは、無音の闇に溶け込んで行く。

 もう、何も聞こえない。この世界は変わらないんだ。そう、当たり前のことだった。

だって、この世界は不平等なんだから。

「お姉ちゃん!」

 甲高い声が、シズクの頭を閃光のように駆け巡った。

「……イズミ?」

「お姉ちゃん!」

「イズミ!」

 群衆の中から、小さな女の子が駆け出してきた。その平凡な身なりから、平民の子であることはすぐに分かった。

 イズミがシズクに抱きとめられると、群衆はざわめいた。イズミに、怯んでいるのだ。

 たとえ子供であっても、貧民たちが平民に逆らうことは許されない。子供に万が一の事があれば、その子の親が怒り狂い、貧民たちを虐殺するのが目に見えているからだ。

 イズミを抱きながら、シズクは愕然とした。

「あんたたち……」

 こんなに小さな子にも怯えるなんて。シズクは、諦めようとしていた。最初から、こいつらに、国に立ち向かう勇気なんてなかったんだ。

「き、貴様! 貧民を味方につけるなんて、卑怯だぞ!」

「そうだ! この、魔女め!」

 シズクは、頭から流れる血を拭った。

 なによ、殴られ損じゃない。

「お姉ちゃん、どうしていじめられてるの?」

「え? そうねぇ……」

 シズクが目を向けると、貧民たちは揃って顔を伏せた。

「お姉ちゃん、弱い者いじめしてきたから、仕方ないのよ」

「そんな、お姉ちゃんはいい子だよ? イズミ、知ってるよ?」

「ふふ、ありがとう」

シズクはイズミの濡れた髪を撫でた。

「こんなに濡れちゃって、可哀想に」

「ううん。お姉ちゃんが温かいもん」

 イズミは、より力を込めて抱きついてきた。

 どうやら、わたしは一人じゃないらしい。

 シズクは、失っていた勇気を取り戻しつつあった。

 そうだ。わたしには、イズミがいる。ひとりじゃない。わたしだけでは無理でも、イズミと一緒なら、雨を止めることだって、簡単にできるはずなんだから。

 シズクとイズミの視線が交わる。

「イズミ、お姉ちゃんと一緒にいる。もう、ひとりは嫌なの」

「そうね。わたしも、ひとりは嫌いよ」

 雨は、ふたりを濡らし続けた。しかし、どんなに濡れても、シズクが寒さを感じることはなかった。ふたりでいるだけで、こんなにも温かい。

「みんな、太陽が見たいはずなのにね」

 それは、シズクが投げかけた、最後の激だった。

「イズミ、わたしと一緒に来てくれる?」

 傷だらけの顔で、シズクは下手糞に笑ってみせた。

 イズミは、屈託なく笑った。

「うん。イズミも行く」

 シズクは、イズミの手を握り、立ち上がった。膝が笑っているけれど、歩けないほどではない。

「行こう。カスミに会いに行こう」

「うん。イズミ、カスミに会いたいもん」

 ふたりは、群衆に向かって歩を進めた。ふたりを遮るものは、何もない。

 ふたりの前に立ちふさがる貧民たちは、互いに視線を交換し合い、どうすればいいのか相談し合っていた。

「どいてくれない?」

 シズクがそう言うと、坊主頭の男が代表して口を開いた。

「どこに、行くんだよ」

「宮殿に決まってるじゃない」

「どうして!」

 シズクは、坊主頭の必死な顔を笑った。

「あなた達に、関係があって?」

 坊主頭は、真っ赤な顔を振るわせた。

言いたいことも言えないのね。

「どいて」

 イズミがそう言うと、モーゼの十戒よろしく道が開いた。

貧民たちが作る道を、ふたりは並んで歩いた。親子で仲良くお買い物。そんな背中を見せながら。

 

  *


 宮殿には、貴族たちの悲鳴がこだましていた。

「大将軍イカズチ、ここにあり!」

 一振りで五人の宮殿兵をなぎ払う。イカズチの鎧は返り血で真っ赤に染まっていた。

「死ぬ準備のできたものから掛かって来い!」

 イカズチの気迫に、宮殿兵たちは圧倒された。

士気も統制もなく、戦意を抜かれた宮殿兵のほとんどは、イカズチに怯えた背を向ける。できるだけかつての同僚を殺したくないイカズチにとって、それは僥倖であった。

イカズチは、すでに何人もの貴族を切り殺して血まみれになった刀剣を振り回した。

「皇帝陛下万歳! 皇帝陛下に仇成す輩は、このイカズチが根元から切り取ってくれようぞ」

「イカズチ、貴様! 貴族に逆らうつもりか!」

「わざわざ自分の位置を教える馬鹿があるか!」

 イカズチは、剣を振り上げた。

「お、お前ら、やつらをとめろ!」

貴族たちは、宮殿兵たちの陰に隠れ、うわずった声で叫んだ。しかし、宮殿兵たちは、貴族を守る役割などすっかり忘れ、自分の命可愛さに逃げ出していた。

「逃げるな! 我々は神の使いだぞ!」

 圧倒的な恐怖を前に、階級は意味を成さない。

貴族は、逃げまどう宮殿兵たちの腕を掴み、怒鳴りつけた。

「ここで逃げれば、お前たち一族の命はないと思え!」

 階級が意味を成さないのであれば、権力を振りかざすまでだ。

「この国の政治は、我々が握っているも同然なのだぞ!」

 この台詞が、すべての宮殿兵に届いたわけではない。むしろ、喧騒に紛れ、その兵士に聞こえたのすら怪しい。しかし、宮殿兵たちは、踵を返した。よほど貴族が怖いのか、イカズチが選んだ兵士以外で、イカズチたちに与するものはいなかった。

 宮殿兵が、剣を抜き、イカズチに立ち向かって来る。しかし、その顔に気迫はない。

「怯えるな!」

 一振りで大量の命が吹きとんだ。

 イカズチは、かつての部下たちを、なんの躊躇いもなく切り捨てた。イカズチに斬られた亡骸は、もはや原形をとどめていない。斬るというより、砕くに近かった。

 イカズチの剣を伝って、雫となった宮殿兵の血が、絨毯に染み込んだ。

「押せ! 逆賊共を討ち果たせ!」

 勝てば官軍、負ければ賊軍。

 イカズチは、ぐるりと宮殿の様子を見回した。

あちこちで血が噴き出し、その度に赤い絨毯がより赤くなる。かつて仲間だったもの同士が憎しみ合い、自分の命惜しさに昨日の友人の命を絶つ。あれほど尊かったはずの貴族の命が、何のためらいもなく奪われている。

イカズチは、高すぎる天井を仰いだ。

「イカズチは、ここにいるぞ!」

 いま、イカズチは革命の中心に立っている。負けられない、負けるわけにはいかない。自分のためにも、自分を信じてくれた仲間のためにも。

「勝利は目前だ! 目の前の敵を斬り砕け!」

 初めは、イカズチたちが優勢だった。

 奇襲が成功したのに加え、イカズチの悪鬼のごとき奮闘が貴族たちを混乱させ、混乱した貴族たちが宮殿兵たちを混乱させた。しかし、そんな攻勢も長くは続かなくなっていた。

「金持ちの意地を見せてやる!」

 素人同然の腕で立ち向かって貴族を、イカズチはあっさりと切り捨てた。

 赤い絨毯に、さらに血が染み込む。

「非力な勇気は、力ではない」

 貴族たちは、貴族であることをやめた。

戦場には、貴族も平民もない。戦場とは、この世で最も平等な場所であることに、貴族たちは気付いた。それ自体は大きな問題ではない。

イカズチたちは、少しずつ押されはじめた。

「全員、隊形を崩すな! 数ではこちらが上だ!」

 宮殿兵の声が響き渡った。

問題は、この声だ。

貴族が貴族をやめたことで、振り回されてきた宮殿兵たちが統制を取り戻した。

「イカズチには構うな! 周りから崩せ!」

士気を取り戻した宮殿兵の顔は、はっきりと個人個人の区別がついた。

「くそ、思うようにはいかんか」

 イカズチは、向かってきた宮殿兵、十人をいっぺんに斬り伏せた。ぐしゃりと、潰れるようにして、宮殿兵の四肢が絨毯の上を転がる。

 それもで、イカズチ部隊の士気は変わらない。ひとりの力で大勢は変えられない。

 もともと数では不利と分かっていただけに、もっとはやく決着をつけるべきだった。

「さすが宮殿の護衛を任されるだけあって、腕の立つものばかりだ」

 イカズチは、自分の兵士教育が間違っていないことを再認識した。

「しかし、そうも言ってられんか」

 すでに、味方の数は半分以下にまで減っていた。

「ツル、ツルはどこへ行った!」

 報告が返って来ない。

 宮殿兵の血気盛んな勢いに押され、イカズチの兵士たちは、自分たちのことだけで手いっぱいとなっていた。悲鳴と悲鳴が重なり、イカズチの目に斬られた味方の血が飛び込んだ。

「うおっ!」

ついに、イカズチも一歩後退した。

「押せ! もはやイカズチも虫の息だ!」

 形勢はすっかり逆転されていた。イカズチ側の兵士ひとりに対して、宮殿兵は、少なくとも五人で当たれる。囲まれてしまえば、あとは、わき腹なり、背中なり、好きなところを突き刺されるのを待つだけとなる。そうして、イカズチ側の兵士たちは、自らの身体で死体の山を築いて行った。

「諦めるな! あと少し、持ちこたえろ!」

 イカズチの激励は、味方の悲鳴にかき消された。すでに勝機を失い、イカズチたちは段々と入口まで押され始めた。

「逆賊イカズチを討ち取れ!」

 これを好機とみた貴族勢は、さらに勢いをました。

「名をあげる好機ぞ!」

あの鬼神、イカズチを討ち取れる。宮殿兵は我先に駆け出した。

 イカズチの兵士たちは、すでに逃げ場と戦意を失っていた。

 所詮、貴族に逆らうなど無謀だったのだ。そんな諦めの雰囲気が、イカズチの部隊に伝染し始めた。

 迫ってくる宮殿兵。

 イカズチは、目を閉じ、戦場の空気を感じていた。

 息を吐き出すと、全身の力が抜けた。これだ。この感じだ。イカズチは、奈落の暗闇に落ちていた。悲鳴がこだまする。泣き叫ぶ。命乞いが切り捨てられる。イカズチは、地獄の底で、目を閉じていた。

「将軍!」

 請うような味方の声に押され、イカズチは一歩前に進み出た。

「みな、下がっていろ」

 マントを靡かせ、迫りくる宮殿兵たちの前に立ちふさがる。

「イカズチを討ち取れ!」

 すでに、そこまで来ていた。

「ぬおっ!」

 イカズチは、血まみれの剣を振り上げた。視線が集まる。

「おうら!」

イカズチは、剣を地面に突き刺した。その勢いは、衝撃となり、迫りくる宮殿兵たちをたじろがせた。

「我は霆」

 イカズチは、剣を地面から抜いた。じわり、じわりと、イカズチの身体から殺気が溢れて宮殿兵の身体に巻き付いた。

「雷神の剣劇、照覧あれ!」

 腰を回す。剣を振りかぶる。

 一振り。

 イカズチは、刀剣を一振りだけした。

 それだけ。

 たったそれだけで、迫りくる宮殿兵は、遥か後方まで吹き飛ばされていた。吹き飛ばされた兵士たちは、何が起こったのか、理解する間もなく身体を砕かれ、ミンチ状に宙を舞い、仲間たちの頭上へ降り注いだ。宮殿兵は、ミンチを浴びながら、走馬灯のように思い出していた。

 これがイカズチ。大将軍、イカズチなのだ。

 敵うはずもない。

「次は誰だ」

 肉片のついた刀剣を肩にかけ、イカズチは手で兵士たちを招いた。

「誰でもいい、イカズチを感じたくば、恐れるな」

宮殿兵たちは、身体に張り付いた肉片を払うことなく、立ちつくした。そのあまりに凄惨な光景は、味方までも震えあがらせた。

「誰も来ぬのなら」

イカズチが歩くと大気が振るえる。

「こちらから行くぞ」

 イカズチは飛び出した。宮殿兵たちは蜘蛛の子を散らす様に逃げまどった。しかし、イカズチの手からは、誰も逃れられない。

 残ったのは、叫び声だけだった。

 飛び交う肉片。イカズチが剣を振れば、バラが咲いた。

 返り血まみれのイカズチは、笑っていた。

「どうした! イカズチを穿て!」

 これだ、この感覚だ。俺の前では、みなが命に必死になる。その命を終わらせる、この感覚が欲しかったのだ!

地獄のそこから湧いてくるような笑い声に、誰もが震えあがった。

そこは、まさに地獄だった。

「そこまでだ」

 悲鳴と笑い声の間を縫って、澄んだ小川のせせらぎのような声が、イカズチの手を止めた。

 まず目に飛び込んで来たのは、二階へ続く階段の手すりに、ずらりと並ぶ首、首、そして首だった。それらすべてが貴族の物であることに気付いたのは、イカズチだけだった。

 視線は、ツルに集まっていた。

 兵士たちは黙り、イカズチは剣を収めた。

「みんな、もう戦うな」

 ツルはまたひとつ首を並べた。

異様な光景に圧倒され、久しぶりの静寂が宮殿に訪れる。

 最後の首を並び終えたツルは、腰に手をあてた。

「イカズチは、この国を滅ぼすつもりかい?」

「うぅむ……」

 イカズチは頭を掻いた。

「いや、すまない。負けると思ったら、つい」

「革命はスマートにやらないと。こんな風に」

 ようやく、他の兵士たちも、並べられた首たちが貴族のものであることに気付いた。守るものの無くなった宮殿兵たちには、戦う理由がなくなった。いや、例え貴族が生きていたとしても、宮殿兵がもう一度闘志を燃やすことはなかっただろう。

 敵にして、初めて気付く、イカズチの恐ろしさだった。

 金属音が床に落ちる。

「我々の勝利だ!」

 イカズチが拳を突き上げると、鬨の声が宮殿を揺らした。

 これで国を揺るがす不穏分子は消えた。あとは、聡明な皇帝陛下の統治下で、平和な国づくりをしていけばいい。あのお方なら、それができるはずだ。

イカズチは晴れやかな顔で天井を見上げた。

 達成感で心を満たすイカズチに、勢いよく開いた扉が水をさした。

「将軍!」

「どうした?」

 報告にきた兵士は、真っ青な顔をイカズチに向けた。きっと、報告を終えれば事切れてしまうだろう。駆け寄ってきた仲間に支えられながら、その兵士は報告を続けた。

「シズクが、シズクが……」

 イカズチは顎に手をそえて、顔をしかめた。シズク、どこかで聞き覚えのある名前だ。ふとツルに目をやると、ツルは驚愕に顔を染めていた。

「シズクが、どうした?」

 ツルの唇は、震えていた。

 兵士は、最後の力を振り絞った。

「貧民たちを連れて、一斉蜂起しております!」

 報告を終え、その兵士は崩れるようにして首を落とした。すでに、息をしていない。

「なんだと……」

 反乱、まさか、そんなはずは。

 耳を澄ますと、宮殿の外からは、地鳴りのような怒声が飛んでくる。必死の報告は、疑うべくもなく真実だった。遠くからでも、相当な数がこちらに敵意を向けていることが分かる。

「なぜ、こんなことに」

すっかり気を抜いていたイカズチは、しばらく惚けていた。

一難去って、また一難。しかし、国を守るため、貧民たちのために戦い、その次の敵が、まさか貧民とは、さすがのイカズチも予想していなかった。

「将軍!」

 兵士の声に、イカズチは、夢から覚めたようにはっとする。

 ここで自分がしっかりしなければ、やってきたことが無に帰する。イカズチは考えた。自分が、将軍としてとるべき、最善の行動は……。

「全軍、全力で貧民を押さえよ! ただし、誰も殺すな!」

 さっきまで敵だった兵士も一斉に敬礼でイカズチに応え、武器を持たずに雨の中飛び込んで行った。

 死臭で満ちた宮殿には、イカズチとツルだけが残された。

「ぼくたちはどうする?」

「皇帝陛下の下へ行くぞ」

「なぜ?」

「お考えを仰ぎに行く。黙ってついてこい」

 そういって、イカズチは早足で階段を昇った。

 何も聞くまい。

ツルは、返り血を大量にあびた背中に何も問わず、黙って付いて行くことにした。


  *


時は、宮殿の決着がつく数時間前に遡る。

シズクは、平民街と貧民街との境界線で足をとめた。

「あんたたち、いつまでついて来るつもり?」

 シズクが苛立ちと共に振り返ると、そこには、大勢の貧民が、居辛そうに、方々へ視線を散りばめていた。

「何なのよ、もぉ」

 シズクは、ため息をついた。

さっきから、ずっとこの調子だ。

「すごい、みんな息ぴったし!」

 呆れるシズクの隣で、イズミが嬉しそうに飛び跳ねた。

シズクが足を止めて振り返れば、貧民たちも足を止めてそっぽを向く。イズミは、壮大な『達磨さんが転んだ』をやっているようで、振り返るのが楽しみになっていた。

「イズミ、喜ばないで」

「ぶ~」

シズクは、腰に手を当てて、身体を斜めに傾けた。

「っていうか、あんたたち、なんか増えてない?」

「うるせえ、俺たちの家はこっちなんだよ!」

「こっから先は平民街よ」

 返事がなくなった。

 まったく、扱いに困る連中だ。

シズクは、背伸びで行列の奥まで見渡そうとしたが、最後尾は雨に隠されて、先頭から確認することができなかった。

でも、増えているのは一目瞭然だ。ただ、なんでシズクの跡をつけているのか、その目的が分からない。

 貧民たちは、シズクが歩きだすまで、ぴくりとも動こうとしない。

「ねぇ、言いたいことがあるなら言いなさいよ」

「んなもん、ねえ!」

 シズクは、呆れ返った。呆れすぎて、開いた口が塞がらなくなった。

 どうして素直に手伝いたいと言えないのだろうか。もちろん、さっきまでボコボコにしていた女に頭を下げるのは癪だろう。それは分かる。でも、言いたい事は素直に言うべきだ。歴史の節目とか、そういう大事な場面では、特に。

「用もないのについて来るとか、あんたたち、どれだけ暇なのよ」

 シズクは、顔をしかめた。

 得体の知れない群衆ほど、気味の悪いものはない。

「お姉ちゃん、行かないの?」

 イズミに袖を引かれた。

「行く。もちろん行くわ」

 シズクが歩き出すと、そろった足音が、背後から迫ってくる。といっても、一定の距離は保たれたままなので、迫ってくるという表現は間違っているのだが、大勢に後ろから付いてこられるというのは、居心地の悪いもので、やはり迫ってくるという表現が的確なように感じる。

 貧民のくせに、いったい何がしたいんだか……。

 シズクはふと思った。

 このまま平民街にいれば、きっと面倒なことになる。誰だって、揉め事とはできるだけ疎遠でいたいものだ。

 シズクはぴたりと足を止め、覚悟を抱いて振り返った。

やはり、貧民たちも一斉に足を止める。

これで動かないようなら、シズクは強硬手段に出るつもりだった。

「わたしたち、これから宮殿に行こうと思うんだけど」

 わずかに群衆が揺れた。

「あんたたちも来る?」

 さながら買い物に行くように、シズクは群衆に問いかけた。

 誰も答えない。降り注ぐ雨音だけが、沈黙を埋めている。

シズクは肩をすくめた。

「どうして、誰も答えないのかしら」

 シズクは動こうとしなかった。ここが最後の門であることを、シズクは感じていた。人々が手を取り合い、身をもって団結を感じる、その先に自由を手にしなければ、歴史はきっと繰り返す。理解しなければならない。人は平等であることを。

「どうして、あんたたちが、わたしを恐れているのかしら」

 シズクが近付くと、合わせるように群衆は下がる。

「さっきまでの勢いは? わたしを殺すつもりじゃなかったの?」

 差し出す様に、シズクは身体を開いた。

「何がしたいの? 言ってみなさいよ」

 答えはない。

「なら、諦めなさい」

 シズクが群衆に背を向けようとした、その刹那――

「俺たちも、太陽が見たいんだ!」

 青年の声が飛んできた。

 誰も同意をしないが、誰かの言ったその台詞が、群衆の総意であることは、シズクにも分かった。しかし、シズクは首を振った。

「顔も見せないで。そんなの卑怯よ」

 シズクが声を張ると、遠くの方で群衆がうごめいた。人の間を縫って、誰かがこちらに向かって来ている。ようやくシズクの前に現れたのは、まだ成人もしてないであろう、綺麗な肌をした少年だった。

「俺は、太陽が見たい」

 改めて、少年は力強く言った。どこかで見たことのあるような目だ。馬鹿みたいな夢を真剣に語れる、煌々とした目だ。

 シズクは、わずかに口元を緩めた。

「奇遇ね、わたしもよ」

「イズミも!」

 シズクの横で、嬉しそうにイズミは飛び跳ねた。

「あんたたちはどうなの!」

 シズクは、少年の後ろでまだ隠れている貧民たちを怒鳴りつけた。

「あんたたちは、わたしたちが手に入れた太陽を浴びたいの?」

 シズクは腕を振り上げ、天を指した。

「それとも、自分たちの太陽が欲しいの?」

 立ち込める熱気。どうやら、最後の最後で、シズクは勝利を手に入れた様だ。

「選べ!」

 噴火するように貧民たちは叫び声をあげた。今まで押さえられてきた怒りが、一気に噴出したのだ。叫びは雨雲まで届き、雨雲も負けじと雨が強くなる。しかし、この程度の雨、貧民たちの興奮した頭を冷やすのには、まだ少し足りないくらいだ。

「太陽を取り戻しに行くわよ!」

 もはや、誰にも止められない。

「平民の馬鹿共も、付いてきたいなら付いてきなさい! わたしたちで、この国を終わらせてやるのよ!」

 国民の、最初で最後の行進が始まった。

 阻むものはない。

 ただ、当然の権利を取り戻しに行くだけだ。

 太陽は誰にでも、平等に降り注ぐ。


  *


 皇帝の待つ部屋の前では、門番がひとり、イカズチとツルに槍を向けていた。

「ど、どうか……」

引きつった表情で槍先を震わすその門番に、イカズチは見覚えがあった。

「……しょう、ぐん」

「ああ、きみか」

 イカズチが目を広げると、見覚えのある若い門番の顔が僅かに緩んだ。

「お、おひさし、ぶりです」

「ああ、久しぶりだな」

 いつからだったか、見なくなった若い兵士。

初めてこいつを認識したのは、拷問好きの貴族が殺された事件の調査の時だったか。あの時は、まだ経験も浅く、頼りがいのないやつだと思ったものだが、

 イカズチは微笑んだ。

「立派になったな」

 イカズチは、純粋に部下の成長を喜んでいた。自分の下で学んだ兵士が、自分の下を離れて皇帝陛下の門番にまで昇りつめた。そして今、自分に刃を向けている。

「元上司として、こんなに嬉しいことはないぞ」

 若い門番は、震えながら、槍を持ち直した。

「こ、ここを、と、とおすわけには、まいりません。それが、た、たとえ、しょ、将軍であっても」

 すると、ツルが一歩前にでた。

「皇太子なら、どうだい?」

 若い門番は首を振った。

「げ、げんざい、このなかは、た、たいへん、あぶ、きけんですので。だ、だれであろうと、皇帝陛下に、お、おあい、す、することは、叶いません!」

「ならばまかり通る」

 イカズチは、剣を抜いた。

「お前は、俺を殺すことができるのか」

 門番の持つ槍が、いよいよ激しく震えだした。もはや、狙いも定まらない。

「わ、わたしでは、とても、しょうぐんには、かぁないません……」

「ですが、」

 若い門番は、唾を飲み込んだ。

「門番を任された以上、ここを御通しするわけにはまいりません!」

 一太刀、イカズチは剣を振り下ろした。

 血飛沫が舞い、イカズチの頬を染めた。

 若い門番は、膝を落とした。しかし、槍は握ったまま。

「しょう……ぐん……」

 若い門番は、強烈な眠気に襲われた。

 度を超えた眼鏡をかけたときのような、ぼんやりと靄のかかる視界。吐き気もする。若い門番は、ようやく、自分が死に落ちようとしていることを悟った。

「俺は、おまえを誇りに思うぞ」

 最期に、そう聞こえた気がする。

 でも、もう……


 死体に一瞥をくれ、イカズチは細かい装飾の施された扉に手をかけた。

「死んでしまえば、意味もないというに」

「歴史が変わるのさ。若干の寂しさはつきものだよ」

 扉を開けた先で、玉座に腰かける皇帝陛下が、ふたりを待ちうけていた。

さっきまでの喧騒は夢だった? まるでそこだけは世界と隔離されているかのように、皇帝陛下はいつも通りだった。

「あれが、皇帝陛下」

 暗い部屋で、皇帝陛下ただひとりが、スポットライトのように光を浴びている。

気付けば、ふたりとも皇帝の前でひれ伏していた。

 ふたりの頭に、穢れなく澄んだ声が降ってくる。

「待っていた」

 金色に輝く頭髪をなびかせ、皇帝は、手の内を明かす様に、両手をひろげた。すべてはお見通し、イカズチの狙いも、ツルの狙いも、すべては皇帝の手の中にあった。

「さあ、間違いだらけの歴史を終わらせよう」

「陛下!」

「イカズチ。貴様は余を殺しにきたのだろう?」

 ぐうの音も出なかった。

 イカズチは、頭を伏せたまま、額から流れる汗を感じていた。

 そう、皇帝陛下の言う通りだ。国の体制を変えるという事は、時の権力者が終わりの鐘をつくということだ。イカズチは、皇帝に自決を促しに来たのだ。それ以外に、貧民たちの反乱を押さえる術が思いつかなかった。

「イカズチ、どうするんだ」

「少し、黙っていろ」

 イカズチは苛立っていた。

 暗殺という手もある。ここで、ひと思いにイカズチが皇帝を切り捨て、その首をもって群衆の前に現れれば、暴動は治まるだろう。しかし、自分にそれができるか? 

 汗でしめった手の平は、イカズチの覚悟が鈍っていることの証明だった。

「その手で、首を跳ねるか?」

 皇帝はすべてを見通していた。イカズチがクーデターを起こした時、玉座に座りながら、皇帝陛下は覚悟を決めていたのか。

「陛下……」

イカズチは、堪え切れず涙を流していた。もはや抵抗する力のない皇帝に、イカズチは生涯で初めての敗北をしたのだ。

「御命令とあらば、このイカズチ、皇帝陛下と最期を共にしたく」

「ならん」

 縋ってくるイカズチを、皇帝は突き放した。

「貴様の役目ではない」

 なんと、なんと立派な方だろうか。視界よ、なぜ霞む。もっとよく、皇帝陛下のお姿を目に焼き付けさせろ。

 きっと、これが最期となるのだから。

「しかし、妙な話よ」

 皇帝は、肘をついて遠くを眺めた。

「なぜ、貧民共は、雨の止まぬ原因がこの宮殿にあることを知っている」

 皇帝は、不満げに下唇を突き出した。

「まるで、奴らの中に、皇室の友人を持つものがおるようではないか」

 ツルは何も言えなかった。すべて見とおされている。当然、カスミのことも知っているのだろう。

 皇帝は光の降り注ぐ天窓を見上げた。

「この国から太陽が失われたのは、いつからだったかのう」

 皇帝は、歴史の書を紐といた。

 今の皇帝が生まれるずっと前、水の都は、いまほど雨雲に好かれる国ではなかった。

 人々は、時折顔を出す太陽に期待し、その恩恵を全身であびていた。

しかし、ある時期を境に、太陽は水の都を離れていった。

 その時期は、時の皇帝陛下が、側近たちと共にある計画を打ちたてた時期と、丁度重なる。それこそが、皇室に受け継がれてきた悪しき伝統。つまり、井戸水に薬を混ぜることだった。

薬の効果によって、人々は、井戸水を飲むと満たされる気持ちになった。しかし、それからしばらくすると、どうしようもない不安にかられるようにもなる。

 井戸水に混ぜられたのは、そんな、中毒性のある薬だった。

 どうしようもなく不安な人々は、まず、自分たちから太陽を奪う雨雲を憎んだ。

しかし、皇帝はある噂を流した。それこそが、今にまで残っている、国民を縛り付けている伝承「国民、雨を尊ぶべし」だった。

噂が国中に蔓延すると、人々は、一転して雨を崇め始めた。自分たちは選ばれし者であり、その上にたつ貴族と王家の人たちは、限りなく、神に近い存在なのであると錯覚し始めた。我々は、搾取されているのではない、奉納しているのだ。

そうやって、国民は自分たちを騙した。

皇帝と貴族の計画は、まんまと成功したのである。

やがて、貴族たちに搾取されてばかりで不満の溜まって来た平民たちは、平民同士で憎しみ合った。その結果として迫害された平民たちは、貧民として、ますます迫害されることになった。

 これが、晴れない雨雲と共に始まった、この国の歴史。

 皇帝は、自分を照らす光を見上げていた。

「思えば、我らが太陽を遠ざけてしまったのだな」

「それは違います」

 ツルが首を振る。

「太陽は、いつでもそこにございました」

 皇帝は、小さな笑窪を作った。

「そうか、ふむ。それは、気付かなかったな」

 もう、覚悟は決まった。

「ついてまいれ」

 玉座から立ち上がった皇帝は、イカズチとツルの肩に触れた。

「余の最期を見届けよ。それが、余の皇帝としての最期の命令じゃ」

ふたりは、黙々と歩く皇帝のあとにつづいた。

階段を下りると、いよいよ喧騒が大きくなって来た。兵士たちが、暴動を押さえきれず、宮殿近くまで後退してきたのだ。

門を出ると、その喧騒が一望できた。

宮殿の庭は踏み荒らされ、かつての奥ゆかしさは雨水に流されてしまった。

少女、巨漢、優男が宮殿から突如現れたことで、暴動にわずかな迷いが生じた。

「カスミ!」

 暴動の先頭で、イズミが叫んだ。ツルは、その隣に立つシズクに視線をなげた。

 ようやく会えたね。

 シズクは、ゆっくりと頷いた。

「静まれい!」

 イカズチの大気を切り裂く怒声で、暴動が一瞬治まった。

暴動を止めるには、それだけで充分だった。

 煌びやかな着物をまとった少女。名乗らずとも分かる気高き立ち振る舞い。その場にいた誰もが、凛と立つ皇帝陛下に目を奪われていた。

 皇帝は、自分を見上げる国民たちの惚けた表情に微笑んだ。

「なるほど、みな、こんな顔をしていたのか」

 皇帝は、一歩前に進み出た。

「みな、聞くが良い!」

 皇帝はありのままを打ち明けた。井戸水に薬を盛っていた事。その薬によって、国民の不安を煽り、その不安に付け込むようにして雨を信仰させていたこと。階級同士で憎しみ合わせ、宮殿に不満が向かないように仕向けたこと。部下に命じ、反乱分子を暗殺していたこと。その他にも、様々な汚職を、皇帝はその小さな身体にすべてかぶせた。

「みな、余の責任だ」

 群衆は、黙ってそれら告白を聞いた。あまりに堂々と悪事を告白されたので、どんな暴言を吐いたらいいのか分からないのだ。

「そして今から、余の処刑を行う!」

 皇帝は向きを変え、ツルの手に剣を握らせた。

「カスミといったか?」

「ぼくは――」

 皇帝の目が、ツルの言葉を喉の奥に押し込んだ。

「わが首を刎ねよ。新たな歴史には英雄が必要だ」

「陛下!」

 皇帝は、もう一度だけ群衆に身体を向けた。

「余の死をもって、みなの憎悪を終結とせよ!」

「陛下!」

「兄上」

 皇帝の顔が歪んだ。

「死にたくないよぉ」


 その日は、血の雨が降り注いだ。


  *


 暴動は治まった。

 雨が血を洗い流し、人々は自分の家に帰っていく。

 イカズチとツルは、どちらが言うでもなく、玉座の間へと向かっていた。誰もいなくなったその部屋は、皇帝を失い、まったくの闇に包まれていた。

「雨、やまないね」

 ツルが呟いた。

 どうすれば晴れるのか、ふたりには分かっていた。

「ツルの役目は、これで終わりか?」

 ふたりの間に風が吹く。繋ぎとめるように終わりを告げる。新時代の風が吹いた。

「皇帝陛下を殺した。すべては、お前の計画通りだったというわけだ」

 イカズチは、ゆっくりと、最後の感触を楽しむように剣を抜いた。

「国を選び、皇帝陛下を殺した。俺はもう、大将軍ではなくなった」

 イカズチの身体から、どす黒い殺気があふれ出る。これが最期とばかりに雨が激しく宮殿を叩いた。

「いま一度だけ、戻ろう。『武』に生きる、相冥霆として」

 矛先をツルに向けた。

「貴様は、ツルか、カスミか」

 ツルはナイフを抜いた。

「どっちでもあって、どっちでもない」

「ならば。アサシンよ、貴様に決闘を申し込む」

 雨が降り注ぎ、雷が喚いた。

 これが最期であることを、国中に知らせようとしているのだ。

 ツルは腰をふかく落とした。右足に力を込める。狙いを定める。

「いいよ」

 イカズチは、すでに堪えられなかった。

 ツルは笑った。

「その顔になったイカズチと戦える、それはどれだけ嬉しいことだろう」

 イカズチは鬼神と化していた。ずっと待ち望んだ時が、いま、目の前に、広がっているなんて。いま笑わずして、いつ笑うのだ。

「俺を越えろ、アサシン!」

 雷鳴が鳴り響いた。


   *


 シズクとイズミは、ふたり並んで家に帰ろうとしていた。やり遂げた筈なのに、なぜかモヤモヤした物が心から消えない。

 隣では、イズミが腑に落ちない顔をしていた。

「イズミ、どうかしたの?」

「どうして、カスミは帰って来ないの?」

 イズミはむくれたまま、そう尋ねた。

 シズクは空を見上げた。

 頬に、ぽつりと雨水があたる。

「まだ雨が止んでないからじゃない?」

「雨がやめば、カスミは帰ってくるの?」

「そうね。きっとそうよ」

「ならイズミ、帰ったらてるてる坊主作る」

 なにそれ? とシズクは首を傾げた。すると、イズミが、信じられないと言った表情で驚きの声をあげた。

「お姉ちゃん、てるてる坊主を知らないの?」

 そう言われると知ったかぶりたくなるものだが、知らないものは知らないのだ。

「お姉ちゃんに教えてよ」

「あれだよ」

 シズクが顔をあげると、見上げた家々には、布で作られた奇妙な人形が吊るされていた。

「あれが、てるてる坊主?」

「うん。あれを吊るすとね、晴れるんだよ」

 どうしてイズミがそんな事を知っているのか。気になったけど、シズクはあえて何もきかなかった。

 だって、あなたがそこにいたから。

「やあ、カスミ」


 エピローグ



 水の都は、皇族と貴族を一度に失った。

混乱を押さえるために、シズクはツルと結婚して、名実ともに水の都の女王となった。

ようやく借金を返してもらえた、とシズクは、ほくほく顔で笑っていた。



 水の英雄イカズチさんは、姿をどこかへ眩ませてちゃった。

 風の噂では、隣国の火の都にとんでもなく強い人がいることを聞きつけて、旅に出たとか出ていないだとか。

 正しいことは誰にも分からない。



 差別問題は、依然として残っている。

やっぱり、長い歴史の中で刻まれた、平民と貧民との溝は深いようで、仲直りには、とうぶん時間がかかりそう。



でもね、それでもね、みんな絶望していないよ。

だって知ってるんだもん。

知っちゃったもん。



止まない雨はないんだよ。

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