第一章 五節 『神殺し』の幻想
(俺は・・・・・・負けるわけにはいかないんだ!!)
剣を振り上げフリューゲルの手刀を受け止めようしたが間に合わず心臓を貫かれると認識した瞬間、目の前からフリューゲルの姿が消えた。
「な・・・に?」
ゼノはいきなり変わってしまった状況に戸惑うも手から剣がずり落ちる、地面に突き刺さった剣は空気に溶けるようにその姿を消した。
「ゼノさん!!」
「フィオ・・・」
ゼノの膝から力が抜ける、駆け寄ってきたフィオにもたれ掛かるように倒れる。
「大丈夫ですか!?」
「何で・・・来た、ここは危ない。早く逃げろ・・・」
「神様から逃げる事はできません、だからここに来たんです」
フィオは身体の震えを押さえる、戦うと決めたのなら迷っている時間はない。
「神様を倒すしか世界を救う方法はありません、だから・・・」
「わかってる・・・何とか相打ちに、持ち込めれば・・・」
ゼノはフィオの肩に手を置き立ち上がろうとするが膝が震え立つ事ができない。この身体では正直・・・相打ちも難しい。
「それじゃ駄目なんです!!」
フィオの声が魔法で作り出された空間に響いた、その声には静かな怒りが感じられた。
「フィオ?」
「ゼノざんが死んでしまったら意味がないんです、みんなで明日を迎えなくては駄目なんです!」
「・・・・・・・・・・・・」
ずっと孤独の中で戦い続けてきた、それはとても悲しくて辛かったはず。でも、今は自分がみんながいる。
「だから、私達も一緒にゼノさんと戦います。みんなで明日を迎えるために・・・ゼノさん一人に戦わせたりしません!」
フィオの口元に、穏やかな微笑が浮かぶ。
フィオが見せてくれる笑顔の中で一番柔らかな笑顔だった。その笑顔を護るためにゼノは剣を振るったのだ。
ゼノは不思議と力が沸き上がってくる気がした、上体を起こし痛みを堪える。
「その気持ちだけで充分だ、神は俺が倒す・・・俺しか邪神を倒す事ができないからな」
「それは、わかってるわ・・・だからあなたに私達の残ってる魔力を託すわ」
リューネは疲弊しきっているゼノに声を返した。
「魔力の・・・譲渡? そんな事できるのか?」
「できます!!」
フィオ達は互いに頷きあいリューネ達はゼノとフィオを中心に円陣を組んだ。ゼノ達を囲むように巫女であるリューネ達が立ち、さらに英雄達が彼女達の後ろに立ちその背中に手を添える。形的には英雄達が巫女であるリューネ達を支える形になっている。
「アドレット、これ!!」
「はい!」
リューネは何かをフィオに投げ渡しフィオはそれを無事受け取った、フィオの手に握られていたのはレヴァントの切り札たる宝具、魔銃『リンドブルム』だった。
「それは・・・」
「レヴァントさんの宝具です、ゼノさんの魔力を少しでも回復させるために預かってきたんです」
「いつの間に・・・」
フリューゲルがゼノに歩み寄っている間にレヴァントから手渡されていた。魔銃の中には人を遙かに超えた魔力を宿した竜の魂が千を超え万に匹敵する程の数が集められている、魔力に換算すればかなりの回復が期待できる。
「今からこの宝具と私達全員の魔力をゼノさんにお渡しします、これだけの量ならゼノさんの魔力も元に戻るはずです」
「確かに魔力は回復するかもしれない・・・でも、俺は外からの魔法の力を跳ね返す体質なんだぞ!」
外的魔法の反射・・・それが友好的な魔法でも例外はない、受け渡される魔力の全てを弾く事はないだろうがそれでも大部分ははじき返す事になる。
「忘れてません。確かにゼノさんの言うとおり魔力譲渡は魔法陣を媒体に身体の外から行う術式ですけど今回は直接ゼノさんの身体の中に流し込みます!!」
「直接って・・・ああ! また魔法薬を飲めば良いんだな」
「いえ・・・その、今はお父様達が時間を稼いでくれているのですが魔法薬だと時間も本数も足りないんです」
何故か言いよどむフィオ。
「じゃあ、どうすれば良いんだ!?」
「ですから、ゼノさんと接触する私を魔力の中継回路として・・・ゼノさんに魔力をお渡しするしかないんです」
「まさか・・・・・・」
ゼノの顔色が一気に悪くなる。元々、フリューゲルとの戦いでかなりダメージを負っているせいで大量の出血もしている。
だがこの場合は、嫌な予感が頭をよぎった為だった。その予感が当たっているかのようにフィオの顔がどんどん赤くなっていく。
「け・・・経口接触による受け渡しです、ですから・・・・・・キスをします」
「なっ!?」
ゼノの顔色が真っ青から真っ赤に変化していく。出血量も心なしか酷くなっているように見える。
ゼノは後ずさりしようとしたが身体が動かなかった、出血量の増加と疲労そして傷の痛みで動く事ができなかった。
「待て!? 早まるな、フィオ!!」
「ほ・・・方法はこれしかありません! 恥ずかしいかもしれませんが我慢してください!!」
フィオはゆっくりとゼノの身体に寄りかかる。
彼女の髪が顔にかかる、甘い香りが鼻孔をとおりゼノは何とか離れようとするも鉛の様に重い身体では逃げ出す事は不可能だった。
「好きでもない男とすることじゃないぞ!! お前等も見てないで誰か止めやがれ!!」
ゼノは周りで事の成り行きを見守っている巫女と英雄達に助けを求めるが全員が顔を背けた、あのリューネでさえ頬を染めていた。
「これしか方法がないんだから、覚悟を決めなさい!!」
「無茶言うな!?」
騒ぐゼノの顔をそっと押さえるフィオ。彼女の潤んだ瞳はしっかりとゼノを捉えていた、羞恥に顔を赤くしていたがその動きが止まる事はなかった。
未だかつて無い、しかも未体験の領域にある脅威に抵抗する力は今のゼノには残っていなかった。
「フィオ! お前だって嫌だろ!! 思いとどまれ!?」
「・・・お部屋でもお話ししましたが、ゼノさんの事は嫌いじゃありません。でも・・・それは人柄としてで異性としてはまだ戸惑っていてですね・・・この状況では誰かがしなくてはいけませんからゼノさんの主である私が適任と言うだけで、世界を救うにはこれしかなくて、必要ですから仕方なく・・・でもないですけどしなきゃいけないんです!!」
フィオの動揺が見て取れる、言葉の所々で本音が混じっているのだがゼノも動揺しているためそれに気づかないでいた。
状況を見守っているリューネ達からしてみれば告白しているようなものだった。
「皆さん、準備は良いですか!?」
フィオは震える声で言い放つ。
「こっちは大丈夫よ、あとはあなた達がキスすれば術式が発動する!」
「わかりました!!」
「わかりましたじゃなーい!!」
未だに反対の声を上げるゼノだが、まるでゼノの意見を切り捨てる様に爆音が鳴り響いた。距離はだいぶ離れてはいるものの音と共に煙が立ち上っていた。
グレイブ達が時間稼ぎをしてくれてはいるがどれだけ持つかわからない。
「もう時間がありません、ゼノさん!!」
「ぐっ・・・」
フィオの言う通り、フリューゲルを倒すには魔力をできるだけ回復させるしか方法はない。しかも迷っていられる時間はもう無かった。
「俺が弱いばっかりに・・・ごめんな」
「いえ・・・私も、これくらいしかできないですから・・・」
お互いの鼓動が感じるほど密着している身体はさらに熱を持ち始める。
「じゃあ、いきます!!」
「お、おう!? 頼む!!」
ゼノはギュッと眼を瞑る、同時にフィオの柔らかな唇がゼノの唇を優しく包み込んだ。「ん・・・ぅん・・・・・・」
近づき重ねられる唇。かたくなで不慣れな、ぎこちない口づけ・・・・・・。その光景を眼に焼き付けろと言わんばかりに唇を重ねる二人の足下に魔法陣が出現し二人を照らした。
その重ねられた唇からわずかだが魔力が流れ込む、この方法でなら確実に魔力供給できるがそれでも供給される魔力はわずかだった。
「ゼノさん、頑張ってください! 私も頑張りますから!!」
ぐっと体重を掛けてくるフィオ、ゼノの頬を両側から挟み込んでいる両手に力が込められ重ねる唇もより強く押しつけられる。
――だが、それも一瞬の事。わずかに唇を離しゼノに優しく語りかける。
「ゼノさんなら、きっとみんなを救えます・・・全てが終わったらきっとみんなで笑いあえます。だから、受け取ってください、私達の力を・・・想いを」
再び唇を重ねる、震える唇は賢明に想いを伝えようとしていた。
どれだけ時間が過ぎてもフィオは唇を離す事はなかった。
ゼノはついに息苦しさに耐えきれず、空気を取り込もうと唇を少し緩ませってしまった。その時、控えめに開かれていたフィオの唇とゼノの唇が重なり合ってしまう。今までよりも、きっちりと深く。
唾液が交じり合い舌が絡められた瞬間、全身に突き抜けるような衝撃が走る。
魔銃に宿る魔力とフィオ達の魔力が一気に流れ込んできたのだ、その衝撃は痛みではなく暖かなものだった。お互いの存在が何よりも誰よりも近く感じる・・・充実感と一体感の様なものが二人の中に芽生えた。
溶け合う唾液と絡められる舌を伝い供給される魔力はより大きくより早くゼノの身体に流れ込んでくる。
流れ込んでくる魔力は弱り切ったゼノの身体に染み渡り活力を取り戻させる、魔力が注ぎ込まれるたびに身体が熱を持ち力が漲ってくる。その何ともいえない恍惚感がゼノを襲っていた。何度も重なる唇はより強く、互いを見つめる瞳はさらに熱を増す・・・どうやら受け渡す側のフィオもゼノと同じようだ。
すでに周りにリューネ達がいる事を忘れているのか、二人は眼を閉じて更に唇を重ねる続けていた。互いを求め愛し合う恋人のように・・・・・・。
その光景にさすがのリューネも眼をそらした、英雄達も何ともいえない表情で顔を背けていた。
こんな姿を見せつけられては顔を背けたくなるのは当然だった・・・・・・。
しばらくして、魔力供給を終えた二人は慌てて離れた。
ゼノは唇を噛みしめフィオは乱れていた服を素早く直した、それでも密着していた事に代わりはなく二人ともそれぞれ身体に残った熱にどう対処したらいいものか言葉を失っていた。
その気まずさに耐えかね背を向けあいながらも勇気を振り絞りゼノが話しかけた。
「だ・・・大丈夫か、フィオ?」
「だ、大丈夫です!! 私の事は気にしないでください、覚悟はできてましたから!!」「そうは言っても・・・」
「大丈夫です、いつかはとおる道ですから!!」
混乱しているのか、そんな事を口走るフィオ。顔が赤くなるだけでなく湯気まで出ていた、もちろんゼノからその姿は見えない。
「でも・・・」
「こうするしか無かったと割り切っていただけないと、恥ずかしくて顔が見られません。自分でもこんな事、人前でしてしまうなんて・・・・・・本当に恥ずかしくて・・・」
互いに顔を見ないまま話が進む、このまま問題を放置すれば一生話せなくなるのではないかという不安感が大きくなってくる。
「じゃあ、今回も二人の責任って事にしよう。自分達で決めたんだから片方が悪いってわけじゃないし!!」
「そ、そうですね。状況が状況でしたから仕方なかったんですよ!!」
しかし、大本の原因は魔力を使い切ってしまった自分が悪いのだと心の中で呟くゼノ・・・それを言ってしまえば話が終わらず気まずい雰囲気になるのであえて黙っておく事にした。
「そんなわけだから・・・悪かった、フィオ」
「私の方こそ・・・すみませんでした」
ようやく落ち着いたのか二人は振り返る、両者共にまだ顔は赤かったが混乱は収まったようだ。
「もう、話しても良いかしら?」
この気まずい雰囲気を崩すように声を掛けてくれた人物がいた。その声の主はリューネだったが地面に横たわり息を切らしていた。外傷はないようだがその表情は苦悶に満ちていた。
「リューネさん!!」
「大丈夫か!?」
ゼノ達は倒れているリューネに駆け寄ろうとしたが、立ち上がったはずのフィオもすぐに膝を突きしゃがみ込んでしまった。
「どうした!?」
「・・・考えてもいなさい。私達の残った魔力を全部、あなたに渡したのよ・・・・・・動けなくなって当然でしょ。魔力を使い切った状態と同じなんだから・・・」
「悪いな、無理させて」
リューネの言葉通り、他の巫女や英雄達も息を切らし地面に突っ伏していた。魔力の一欠片も残っていないのだろう。
「謝らなくて良いわ、こうなるのはわかってたから・・・それより」
「魔力の方は全快できましたか?」
目的であったゼノの魔力の回復、それができていなければ邪神相手の戦いに勝ち目はない。
「全快は、無理だったみたいだ」
ゼノは左手に付いている鎖をフィオ達に見せる。鎖が付いているのは親指と人差し指の二本だけだった。
「そんな、魔銃と私達全員の魔力で足りないなんて・・・」
邪神フリューゲルを倒すには全快が絶対条件だったはずだ、鎖の数は二本・・・半分の魔力も回復できていない。
「さすがに・・・神が相手じゃ足りないわよね」
「もう、魔力が付与されてる宝具もありませんし・・・どうしたら」
フィオ達は息を切らし表情を曇らせる、グレイブ達が時間を稼いでくれたというのにこれでは勝ち目がなかった。
「これだけ魔力が戻れば大丈夫だ、傷も治してもらったしな」
勝機を見いだせないでいるフィオ達にゼノは親指を立てて手を突き出した。
どうやら魔力供給時に、治癒魔法も一緒に流し込まれたようで瀕死に近かったゼノの身体に傷はなく完全に治癒されていた。魔法衣の方もフリューゲルとの戦いで無くなった分の布地も戻っていた。
「それにあいつは神の中でも下級偽神だ、今の魔力でも充分戦える!」
「下級偽神・・・どういう事ですか?」
「邪神達は終わりの神に生み出された、言ってみれば神様の模造品・・・」
「つまり、偽物って事ですか?」
「まあ、使われてる神格・・・魂は生み出した神と同じものだから偽物とも言えないんだけどな」
「それで? 下級って事は神にも階級があるのかしら?」
「ああ」
終わりの神によって生み出された邪神達にはそれぞれ彼らが持つ魔力と能力を基準にして階級が振り分けられる。
この世界に存在する魔法を自身の魔力で昇華させ神威魔法として操り戦う邪神を最下級である下級偽神と呼ぶ。
そしてその神威魔法を操り個々に特殊な能力を持った邪神を中級偽神と呼びさらにその上の上級偽神は魔法、能力に加え神具と呼ばれる魔法具を携えている。
上級偽神が一度その姿を現し力を振るえば国一つ滅ぼすなど簡単だった。
「そして、邪神達を生み出した終わりの神は源神と呼ばれ・・・その力はもう次元が違う。『神』って言葉は始まりの神と終わりの神・・・このたった二人の神様のためにあるようなもんだよ」
「じゃあ、終わりの神が復活したら・・・世界は・・・」
「安心してくれ、終わりの神はもういない・・・倒したからな」
フィオ達はほっと胸をなで下ろした。下級偽神のフリューゲルだけでも手に負えないとのにさらに上の邪神達が復活したら手の打ちようがない。
「今の問題はフリューゲルだけだ、今の俺なら戦える・・・フィオ達はここにいてくれ」
ゼノは踵を返し、煙が上がっている方向へ向き直る。魔力が回復できた今、すぐにでも駆けつけなくてはならなかった。
「俺は奴の所に行く、・・・動けるようになってももう近づくなよ?」
「心配しなくても動けるだけの力も残ってないわ、戦えるのは本当にあなただけよ」
「私も・・・もう動けません」
二人は力なく笑う、限界ギリギリまで魔力を流し込んだのだ。しばらくは動けないだろう。
「なら、安心だ・・・こっからの戦いはもうお前等じゃ手出しできるようなもんじゃないからな」
「ゼノさん・・・」
「心配すんな、お前は俺が護ってやる。約束だ!」
ゼノは優しく笑みを浮かべた。その微笑みは屋敷を飛び出す直前で見せたものと同じだったが今見せてくれている笑みには力強く震える心を優しく包み込む暖かさが感じられ、フィオ達は心が軽くなるのを感じた。
「よし・・・行くか!」
ゼノは魔力を一気に高め状態を前に倒す。駆け出そうとした時、深紫の瞳に二つの影が映り影が地面の激突する。
「グレイブさん! レヴァント!!」
「ぐっ・・・・・・」
「・・・・・・っ!」
二人は起き上がる事ができず俯せの状態で顔だけを上げた。ゼノはそんな二人の元へ駆け寄る。
「すまない・・・これ以上は」
「もう少し稼げると・・・思ったんだけど、・・・無理みたいだ」
二人の魔力は底を尽きている状態だった、ほとんどの魔力を防御にまわし攻撃を耐えていたが時間稼ぎもここまでのようだ。
「その様子だと・・・うまく、いったみたいだね・・・」
方法はともかく・・・成功したのは確かだった。
「ああ、グレイブさんとレヴァントのおかげだ・・・後は休んでてくれ!」
「そうだ・・・ね、身体ももう動かないし」
グレイブは苦痛に表情を歪めながらも笑みをつくる。
「フィオ、魔法薬はあるか? 治癒ができるやつ」
「あります・・・でも、私も動けなくて・・・」
「二人をそっちに連れてく」
ゼノは動く事ができない二人を抱えフィオの側に寝かせる、この傷でもフィオの魔法薬なら充分に完治させる事ができるはずだ。
「傷を癒すだけ無駄だ・・・どうせすぐに死ぬのだからな」
「・・・フリューゲル」
ゼノは声のする空へ鋭い視線を向ける。
「ゴミ共が、手間を掛けさせてくれる」
上空を見上げるゼノの瞳に映ったのは黒衣の法衣を纏った、邪神フリューゲルだった。ゼノから受けた傷もすでに完治しており無傷の状態で姿を現したフリューゲルの魔力に耐えきれずフィオ達の身体に重圧がのしかかった。
「その娘に傷を治癒させたか・・・だが、それでどうするつもりだ? 魔力が戻っていない貴様など何の脅威ではない」
「魔力なら充分戻った、お前を・・・倒すだけの力はな」
「我を倒す? ・・・くははははははははははははは!!」
フリューゲルは手で顔を隠し笑い声を上げる、指の隙間からかいま見える灰色の瞳には狂喜の色が浮かんでいた。
「何が可笑しい?」
「可笑しいに決まっているだろう! 魔力が半分もない貴様が、『神殺し』たる神に匹敵しうる魔力を失っている貴様が、我を倒すだと? 寝言は寝て言うものだぞ、ゼノ・テオブロマ」
「寝言を言ってるつもりはないんだよ」
「では、どうするというのだ・・・弱体化している貴様が傷を治そうとゴミ共の魔力を受け取ろうと我には勝てぬぞ!!」
フリューゲルは静かに高度を下げゼノ達との距離を詰める。その動きに警戒心は感じられなかった。
「勝てるさ・・・今の俺でもお前程度の神には勝てる」
「・・・よく考えて喋る事だ、その気になれば一瞬で貴様を殺す事もできるのだぞ」
フリューゲルの魔力が上昇する。静かにこみ上げる怒りを表しているかのように放っている黒い魔力がいっそう禍々しさを強めていく。
「やれるならな? でも、ここで戦えばフィオ達を巻き込む。場所を変えようぜ」
神を打ち倒すだけの力と神の力・・・この二つの力がぶつかり合えば周りにいるフィオ達の安全は保証できない。
「無意味な提案だ。我と戦えるだけの力がない貴様では何処で戦おうと結果はかわら――」
フリューゲルの眼前にゼノの右手が置かれていた。
「な・・・に!?」
「無理にでも動いてもらうぞ」
左手の親指に形成されている鎖が砕かれると同時に右手から蒼い光が放たれる、その光は規模だけで言えばフリューゲルの放った神威魔法と同等の魔力を放っていた。その光に飲み込まれたフリューゲルの姿が光の流れに飲み込まれる。
「すごい・・・」
「あれも・・・魔法なのか」
「魔法じゃない、魔力を一点集中して解放しただけだからな。神が相手じゃ、たいしたダメージも受けてないだろ」
瞬間、ゼノの姿が消える。瞬きをしたわけでも視線をそらしたわけでもない、何の前兆もなくフィオ達の目の前から消えたのだ。
「今度は何ですか!?」
「・・・瞬間歩法『ブリッツ』・・・失われた戦闘技法の一つ。肉体強化とは別に魔力を両足に集め瞬間的に弾く事で移動速度をを上げる技術。今の時代には使えるも者はいない」
爆発的に加速するその動きは常人どころか英雄と呼ばれたレヴァント達でも眼で捉える事はできなかった。実際、二人の闘いを目視しても姿を捉える事はできず力の奔流しか見る事ができなかった。
「今の動きを見るためには同じ技法を体得するしかない・・・」
ブリッツを体得する事で体感速度は劇的に書き換えられる、稲妻には万物が遅く映るように・・・ゼノ達との間にはそれだけの差があった。
「転移魔法とは違うんですか?」
「転移魔法と異なり術式を組み込む必要がない、そのため高速戦闘を可能する。だが、魔力消費が大きいのだ。得られる対費用効果を考え体得しても今度はそれを使いこなすのに時間が掛かる・・・故に体得する者達が消えたのだ」
体得するのはそう難しくはないが、強大な魔力を持っている事が前提の戦闘技法。自分達では数回使ってしまえば魔力を使い切ってしまう・・・。
「フリューゲルもそれを使っていたから、対抗するには最低でもそれくらいできないといけないんだろうね」
「お父様」
グレイブは静かに上体を起こす、フィオの魔法薬のお陰で動けるようになった。さすがに完治とまではいかないがそれでも痛みが和らいだお陰で普通に話す事はできる。
「ありがと、フィオ。だいぶ楽になった」
「いえ、それより・・・本当に私達は行かなくて良いんでしょうか」
フィオは不安そうに空を見上げる。
「行って加勢したいのは山々だけど・・・レベルが違いすぎる。逆に足手まといになるだろうね」
「・・・もう、私にできる事はないんですね」
「いや、まだできる事はあるよ?」
グレイブはニッコリと笑顔を浮かべ頭を撫でる、その表情はまさしく父親が我が子に向ける笑顔だった。
「彼の、ゼノ君の帰りを待つ事だ」
「お父様」
「ゼノ君が勝って帰ってくるのを待つんだ、そしてちゃんと言ってあげるんだ・・・おかえりって・・・もう家族みたいなものなんだしね」
出会ってからの時間は長くない。しかし、実の娘であるフィオが召喚した少年は壁を造ることなく自分やフィオ達に接してくれている。それに神世の魔術師とはいえまだ子供である事に代わりはない・・・こちらの時代でわからない事だらけのゼノを放り出すわけにはいかない、一緒に暮らすのだから家族と言っても何の問題もないはずだ。
「・・・はい!」
「よし、元気が出たところで行こうか!」
グレイブは勢いよく右手を掲げる、先ほどまで瀕死の重傷だったはずだがその様子は見受けられなかった。
そんなグレイブの言葉にフィオは首を傾げる。
「行くって・・・何処にです?」
「決まってるだろう、ゼノ君の所だよ?」
「さっき帰りを待つしかないって言ったじゃないですか!? 無理を言わないでください! ゼノさんからも来ないようにって言われたんですよ?」
「その意見には反対だ」
レヴァントもようやく動けるまでに回復したようだが、グレイブに賛同するとは思わなかった。
「レヴァント様まで!」
「冷静に考えるんだ、フィオ殿」
ここにいれば確かに安全であるかもしれないがあの二人が戦えば間違いなく規模が大きい力を使うだろう、そうなれば戦いの最中に流れ弾のような攻撃が飛んでくる可能性がある。今の自分達では安全区域まで回避する事も難しい。
「あくまで戦闘が確認できる距離までだ、動きは見えなくても放たれる魔法くらいは見る事ができる。見る事ができれば避ける事もできるだろう」
「・・・わかりました、そう言う事なら・・・」
「主もいいですね?」
「良いも何も動けないんだから、あなたに任せるわ」
「ありがとうございます、では失礼します・・・」
「ええ」
レヴァントは動けないリューネを抱きかかえる、俗に言うお姫様抱っこと言うやつだ。
「他の皆さんはどうするんですか?」
「彼らももうしばらくすれば動けるようになるはず、ここは先行しよう」
レヴァントは他の巫女達に頭を下げゼノが魔力の光で抉った跡を目印として歩いていった。
「私達も行こう」
「はい」
フィオ達もレヴァントの後に続きゼノの元へと向かったのだった。
フリューゲルをフィオ達から離したゼノは瞬間歩法『ブリッツ』ですでにフリューゲルの元へと到着していた。
ゼノの目の前には瓦礫の山がそびえ立っていた、放った魔力で削られた大地と途中にあったいくつかの山の土砂が邪神を覆っていた。
「出てこいよ、たいしたダメージじゃないはずだぜ」
ゼノの言葉に反応するように瓦礫の隙間から黒い光があふれ出す。
(・・・来る!)
黒い光は積み上げられている瓦礫を吹き飛ばし作り物の空のまで光を伸ばした。
「いい気になるなよ・・・ゼノ・テオブロマ」
「なってない、それより決着を付けよう」
残っている左手の鎖を右手を静かに添える。
「今の貴様は私と互角の魔力だ、だが・・・封印から解放された後、我が何もせず過ごしたと思うか!?」
フリューゲルが笑みを強めた時、全身を覆う黒い魔力がいっそう強大になりその禍々しさを増していく。最早言葉では言い表せない嫌悪感だった、その嫌悪感を表すかのようにフリューゲルの魔力が触れている地面が腐っていく。
「今の我の力は封印された時よりも上の力だ! この力を眼にしても貴様はまだ我と戦うとほざくか!?」
「・・・確かに、前より強くなったのはわかった。でも・・・・・・」
ゼノの瞳から戦いの意志は消えていなかった。
「それでも戦わない理由にはならない、俺は相手が自分より強いってだけで戦いを止めた事はない」
勝てる戦いをした事など数えるくらいしかない、勝ち目があるから戦ってきたわけじゃない・・・逃げる事ができないから戦うと決めた。戦うしかないから前を向いた。勝つしかないから剣を取ったのだ。
「相変わらず引く事を知らないのだな」
「・・・俺が逃げればフィオ達が死に捕まる」
かつて剣を手にした時、幸福に満ちた世界を願い想い続けて戦ってきた。誰かの笑顔を護れた時、きっと心から笑う事ができる時が来る事を信じて・・・。
そして、その願い続けた時が今ここにある。
「俺はお前を倒して、この世界を救う。俺に笑顔をくれたフィオがいるこの世界を護るために!」
「貴様の御託は何度聞いても、虫酸が走る」
フリューゲルは歯を食いしばり鋭い眼光をゼノに向ける。
「人間ごときが何様のつもりだ!! この世界の中で我ら『神』だけが唯一絶対なのだ、至上の力を持つ我ら『神』の支配の元にある事こそがこの世界のあるべき姿なのだ!」
「・・・それこそお前等の理屈だろ」
ゼノは眼を閉じる、瞼の裏に映るのは世界の幸福を願ったたった一人の神・・・今は何処にいるのかもわからない。
「俺の知り合いは、何もせずただ見守る事が神の役割だって言ってたぞ。人が選んだ道をただ見守る事が、人が作る世界を見守る事が・・・」
人がより良い世界を、未来を、作る事を信じて見守る・・・そう言った神の慈愛に満ちた笑顔を見た時の事を思い出す。その笑顔がただ戦うしかないと諦めていた自分に戦う理由をくれたのだ、誰かの笑顔を護りたいと・・・。
そのために、ここにいるのだから。
「・・・この世界の未来は俺達が描く」
ゼノは決意を込めた左手を高く掲げる、人差し指の鎖に亀裂が入る。
「もうこの世界に、『神』は要らないんだ!!」
いくつもの亀裂が鎖を砕いた瞬間、託された想いがゼノの魔力となって解き放たれた。
「・・・馬鹿な」
フリューゲルの口から言葉が漏れる、その言葉は無意識だったかもしれない。心の中で呟いたものだったかもしれない、だがその言葉はかすかに震える唇から紡がれたものだった。
邪神の頬に冷たい汗が流れる。
(何だ・・・この威圧感は? 何だ、この震えは・・・身体の奥が凍てつくような感覚は!?)
その感覚は人も鳥獣も昆虫も・・・この世界に生きる全ての命が本能で知っているモノ、『恐怖』と言う名の感情。
孤独を恐れ、老いを恐れ、犠牲を恐れ、虚無を恐れ、破壊を恐れ、絶望を恐れ・・・死を恐れる。全ての命あるモノの前に立ちふさがる絶対的な思想・・・与える側に立つ神々が持つ事のない与えられる側の根本的感情の一つ。
それが今、ゼノの解き放たれた魔力がフリューゲルの中に恐怖を芽生えさせた瞬間だった。
「これが人間が放つ魔力か・・・これでは、まるで・・・」
・・・神という存在概念そのもの・・・。
「俺は人間だ」
フリューゲルの震える声に迷いなく答えるゼノ。
「だから呼ばれたんだ・・・『神殺し』と」
「くっ!」
フリューゲルはゼノから放たれる圧倒的な魔力と言葉に後ずさる、その行動に気づいたように後退した足を見つめる。
(後退・・・だと? 神たる我が人間ごときに!?)
身体の中から食い破られるような屈辱が震えを押し殺す、屈辱は怒りへ変わり怒りは魔法へと形を変える。
「人間ごときに後退するなど!!」
フリューゲルは両腕をゼノに突き出し業火の炎を放つ、その炎はフィオ達にはなったときよりも更に熱量を持った炎の波だった。
「・・・我が血肉は鞘、我が魂は刃!! 我が幻想を纏いて集え! 神を討ちし六霆ノ剣!!」
ゼノは背にある柄を握りしめ一気に引く抜く、波紋鞘から漏れる紅い輝きは今までと比べものにならないほどの輝きを放ち紅い刀身はよりはっきりとより強くその刃を形成していた。
「はああああああああ!!」
ゼノは自分に向かって放たれた炎を避けようとはせず、手にした紅蓮を振り下ろした。鉄をも蒸散させる炎はいとも簡単に両断され、ゼノの横を通り抜けていく。
「これだけか?」
「おのれぇ!!」
「今度はこっちから行くぜ!! 『霊霆剣・翡翠』」
今度は腰の後ろの柄を引き抜く、緑を体現した様な翠の刃は大気と大地に共鳴する。ゼノは刀身を地面に突き刺し魔力を一気に流し込む。
「もう封印はしない、ここでお前を倒す!!」
翡翠で突き刺した地面は爆音を上げ粉塵を巻き上げた、流し込まれた魔力によって粉々になった場所には巨大なクレーターが姿を現した。穴となった分の土は粉塵となりクレーターを覆い尽くし二人を包み込む。
「粉塵で視界を!」
粉塵で視界を遮られた瞬間、ゼノの声が響く。
「『氷霆剣・蒼雪』・・・」
遮られた視界の向こうから矢と化した無数の氷柱がフリューゲルを襲う、全方位が死角と言えるこの状況で襲いかかる氷柱の全てを捌ききる事のできなかったフリューゲルの身体に容赦なく氷の矢が突き刺さる。
「ぐあっ!? 何故だ、幾重にも張ってある魔法障壁を無くが如く・・・!!」
「お前達は障壁に頼りすぎなんだよ、俺の『六霆剣』はお前達を斬るためにある・・・障壁で防ぎたいなら百くらいは重ね掛けしとけ!!」
見渡す限り粉塵の空間ではゼノの位置はわからなかった、魔力で居場所を探知しようにもこの粉塵からもゼノの魔力を感じるため居場所がわからない。視界の悪さに業を煮やしたフリューゲルは上空へと飛び上がる。
「小賢しい! その目眩ましごとまとめてなぎ払ってくれるわ!!」
身体に突き刺さった氷の矢を無造作に引き抜きながら言葉を紡ぐ。
「我が神の名の元に来たれ閃光の化身・・・幾百幾千重なり集いて形成せ、雷の神槍!!」
フリューゲルが背にする大空に閃光が駆けめぐる、いくつもの雷が重なり合い一つの形を生み出す。神威魔法の中でもっとも突貫力のある雷神の槍がその姿を現し空を埋め尽くす、見渡す限りの空に浮かぶ槍は最早その数を数える事はできなかった。
「キルクルス・グングニル!!」
空を埋め尽くす雷の槍が地上へと放たれる。
「この空間領域を覆う完全詠唱で発動させた超広域殲滅型の神威魔法だ! 大地に降り注ぐ神の雷、お前の護りたいモノとやらと共に消えさるがいい!!」
「させるか!」
ゼノは蒼雪を波紋鞘に納め、新たに紫電を右手で腰の左にある波紋鞘から引く抜く。この剣も先ほどの戦闘で姿を見せた時よりも強い力を発しており迸る雷は絶え間なく発せられていた。
「フィオ達は絶対に俺が護る、約束したからな!!」
ゼノは未だに漂う粉塵の中から飛び出し放たれた雷の雨へと突っ込む。
「我が幻想纏いし雷の剣よ・・・我が敵にして汝が同胞を嘆け!」
刀身に迸る紫電がゼノの声に応える。
「汝が同胞を従えその身を我が刃と成さん!」
詠唱を唱え終わった瞬間、空を覆っていた雷神の槍がゼノの持つ紫電に吸い寄せられるように降り注いだ。
「何!?」
その光景にフリューゲルは困惑の表情を隠せなかった、自身で放った魔法が制御でき無くなったからだ。
「まさか、我の魔法を奪い取ったというのか!!」
「少しの間なら干渉できる。でも、悪かったな・・・今返してやるよ!」
ゼノは両手で柄を握りしめ奪った雷に紫電が放つ雷を上乗せして撃ち放つ、その形状は強大な雷の刃・・・放たれた雷刃は大気を切り裂き、障壁を突き抜けフリューゲルへと激突する。
「こんな物、我が障壁で・・・・・・!!」
フリューゲルは魔法障壁を展開し雷刃を受け止めるもその勢いは止められず障壁にヒビが入る。
止まることのない雷刃は障壁を砕きフリューゲルへ直撃した。防御でなく回避を選択していたら軽傷で済んだかもしれない・・・その冷静な判断ができないほどフリューゲルの目の前で起きる現象は彼にとって信じられない事態だった。
激突した雷刃は雷鳴を轟かせ空を閃光で照らした。
「こんな・・・事が、神である我が・・・こんな!」
フリューゲルの肉体が悲鳴を上げる、全身をはい回る電流は内部から肉体を破壊し傷口から流れるはずの血はその熱で赤い霧に姿を変えていた。
「何なのだ・・・貴様のその力は――」
何故、我の魔法を容易く切り裂き略奪できる・・・。
何故、渾身で向かい退けられる・・・。
何故、神である我を圧倒する・・・。
「何の魔法を使っているのだ!? 精霊達を従え放つ我らの魔法を超えるなど!!」
「・・・魔法じゃねえよ」
ゼノは紫電を波紋鞘に納め、呟く。
「魔法なら精霊達を絶対従属できるお前達に致命傷を負わせる事なんて無理だろ?」
ゼノは魔法衣の右袖からわずかに見える剣の柄に手を添える。
「・・・自分自身の魂を引き裂き、幻想を纏わせそれそのものを武器にする」
全ての『六霆剣』がゼノの魂でありゼノそのもの・・・・・・。
「それが対神位術式『六霆剣』だ・・・」
「自身の魂を引き裂き武器にするだと・・・そんな事ができるわけがない! 源神にしかできない行為だ、そもそも武器化された魂が砕ければ間違いなく死ぬぞ!!」
「そうだ、魂が砕ければ俺の心は消え肉体も生きる事を諦める」
だが、ここまでしなくては神に闘いを挑む事などできない。命を掛けなければ神は倒せない。
「貴様に恐怖はないのか!?」
「恐怖ならあるさ、いつ死ぬかもしれない恐怖がいつだって俺の中にはある・・・でもそれは誰にだってあるんだ。恐怖を知っているから俺は戦える、生きたいと願いフィオ達を護りたいと想い続けられる・・・だから俺の魂は、砕けない。護るモノの無いお前に今の俺は殺せない!」
「・・・・・・っ!」
フリューゲルの瞳に畏怖の色が浮かぶ。数え切れない人間に絶望を与えてきた、手を下してきた人間全員に死こそが安らぎだと思えるほどの恐怖を与えてきた。
それは目の前にいるゼノも例外ではない、勝機のない戦いに身を投じた愚かさに絶望させようと何度も痛めつけた。戦いという行為そのものが無意味だと認識させるために力の差を見せつけた。
なのに、何故・・・目の前にいる人間は絶望しない。その深紫の瞳が恐怖に染まらない・・・。
「理解できたか?」
「理解だ・・・と」
フリューゲルは眉をつり上げる。
「今度こそ、消えてもらうぞ・・・フリューゲル!」
左手を握りしめ五本目を引き抜く、その刀身は黒・・・フリューゲルの放つ黒よりも更に暗く深い暗黒の刀身を持つ『黒霆剣・黒慧』がその姿を現す。
全てを飲み込む様な錯覚を感じさせるその色は光すら感じられない。
だが、フリューゲルとは違い禍々しいモノは感じない。ただ、静かに存在するのだ。
「くそ!!」
フリューゲルは歯を食いしばりゼノとの距離を取る。魔法ではない剣が生み出す現象は予測ができない、何をされるかわからないが何かをされる。
その事実が再びフリューゲルの中にあの感覚を取り戻させる。
(震えるだと・・・身体が震えるこの感覚は何なのだ、神である我が知らないこの感覚は!!)
ゼノは黒慧を逆手に持ちそして静かに手を離す、黒慧の刀身がゼノの前方に伸びる影に溶けるように吸い込まれていく。そしてその変化は予測できない形でフリューゲルに襲いかかる、フリューゲルの後方から一気に光が消え景色すら認識できなくなる。
「なんだこれは!?」
「何も見えない気分はどうだ?」
「これで我の動きを止めたつもりか! すぐにここから・・・」
「無駄だ」
ゼノの言葉のとおり、フリューゲルを包み込んだ黒い空間は物理攻撃、魔法攻撃・・・フリューゲルの持つ攻撃手段の全てが通用しなかった。
「貴様、何をした!!」
「それは、俺の中にある負の幻想を練り込んだ特別製の結界だ。同じ負の存在から生み出されたお前達の力は全部飲み込むんだよ」
邪神と同じ方向性を持つその剣は彼らにとって脅威でしかないがその一方で・・・負の感情を形にした黒慧は自身の激情を抑えなくてはならないし感情に流されやすい分、その特性を逆手に取られ精神に干渉される危険性を含んでいる。その点で多用はできないという弱点もあった。しかし、今のフリューゲルには気づく事はできないだろう。
「全て、飲み込むだと・・・そんな術式など魔法には」
「魔法じゃないって言ったろ? 俺の『六霆剣』は神を討ち倒す為の異形の力だ」
「・・・そん・・・な」
フリューゲルの震えが更に大きくなる、手足だけでなく身体全体が冷たくなり自由がきかなくなるのを感じる。
「身体が・・・肉体強化は発動しているはず・・・」
「それが恐怖だ、フリューゲル」
「恐怖だと!? 我が、人間達に恐怖を与えてきた我が恐怖を感じるだと・・・」
「そうだ。その震えが、その感覚が・・・お前が俺達人間に与えてきた恐怖そのものだ」
為す術も無く殺される事が、護りたかったモノを失う事がどれだけ恐ろしいか・・・邪神達は知らないのだ。
「お前は与えるだけで知らなかった・・・俺達に与える恐怖を喜びと勘違いしていたお前が今になってやっとそれを理解できたんだ、幸せだろ? 自分が何をしてきたかを理解できたんだ」
ゼノの言葉に息を詰まらせるがすぐにその恐怖を叫び声で押し殺そうとする。
「出せ! 此処から出せえぇ!!」
しかし、それは逆効果であり声を発するたびに結界内に響く声が孤立感を強める。フリューゲルの額からは止まることなく汗が流れ顔色はすでに蒼白、結界の中にいるためその表情はわからないが悲痛な叫びだけで状況は充分すぎる程に理解できた。
「お前は恐怖を与え続けてきた、でも今はお前が受け取る番だ・・・恐怖ってやつを!!」
左手の波紋鞘から最後の一本を引き抜く、引き抜くと同時にゼノの魔力が一気に剣に集められる。
「これが最後だ!」
引き抜いたのは、『白霆剣・白皇』・・・フリューゲルの呪いを切り裂いき天を穿った光剣。その刀身は今までの『六霆剣』の中でもっとも美しくそして穏やかな光を放っていた。世界を照らす太陽のようにその光はこの空間に広がっていく。
「覚悟は良いか、フリューゲル」
ゼノは皇輝に魔力を注ぎ込む。
ゼノの魔力を注ぎ込まれたその剣は文字通り光の剣そのもの・・・柔らかな白光を放つ刀身は注がれる魔力を光に変え巨大な刃と化す。
「受け取れ、お前の恐怖を!!」
残っているありったけの魔力を込める、元となっている神格を完全に破壊するために。
注ぎ込まれる魔力に共鳴し刀身はさらにその大きさと輝きを増大させていく・・・その刀身は神威魔法によって生み出されて『神聖空間』の空に届こうとしていた。
「照らせよ照らせ我が幻想・・・汝は現世を光で満たせ、汝が道を示すなら我は道を切り開く!」
ゼノは白皇に掲げフリューゲルの元へ疾駆する、その姿は空を覆う雲間から差す太陽の光が大地に降り注ぐ光景に見えた。
暗く絶望に閉ざされた世界に希望という名の光が降り注ぐように・・・・・・。
「我が歩きし道の先・・・携えるのは常世に変わらぬ極光なり! 我が手にするは、アマツノツルギ!!」
この世界の行く末を、この世界に生きる全ての人間の運命を、そしてなにより人として初めて笑顔をくれたフィオの未来を護るためにゼノは刃を振り下ろす。
振り下ろされた刃は透き通るような残響を残し黒慧の結界ごとフリューゲルを切り裂いた、切り裂かれた結界はその闇を照らされ跡形もなく消えた。
残ったのは裂けんばかりに眼を見開いているフリューゲルだけだった、彼の肉体からは黒い魔力が消え代わりに左肩から右の脇腹に掛け走り抜けるように輝く軌跡が刻まれたいた。
「・・・何故だ」
軌跡から伸びる亀裂が静かに全身に広がる、それは死へのタイムリミットとも言えた。
「何故、貴様はそうまでして戦える・・・この世界に生を受けお前に幸福だった時間は訪れなかったはずだ」
同じ人間という種に遠ざけられ利用され捨てられた・・・そんな報われる事のない時を生きた世界を護る理由などあるはずがない。あったとしてもそんな世界に何を見い出せたというのだ。
「願いが叶ったからさ・・・」
「願い・・・だと」
「ここには俺に笑顔を見せてくれる人達がいる・・・やっと見つけたんだ、俺の願いが叶う場所を・・・・・・」
「たった、それだけの願いで・・・・・・命を掛けるか」
「俺が命を掛ける理由としては充分だ」
人が命を掛ける理由は幾つもあるだろう、だがその中で人が必ず一度は心に抱くものが誰しもがそう願うものが自分の戦う理由だのだ。
フィオの笑顔は心を照らしてくれる太陽、平静を装っていても心の中では悲しみと戦い孤独と戦い続けてきた傷ついた心を優しく包み込んでくれる。その笑顔が自分を救ってくれる、その笑顔が自分を支えてくれる。
・・・・・・だから、その笑顔を護ると決めた。
言葉を交わす中でフリューゲルの亀裂はほぼ全身に広がっていた。
「・・・なら、そのくだらぬ願いの為に戦い続けるがいい! 我に恐怖を与えたものがそれだというならその戯れ言を貫き通し力を振るい何処までも戦い続けて・・・そして孤独になるが良い、ゼノ・テオブロマ!!」
亀裂が入りきったフリューゲルの身体は自身が発する声の振動にさえ耐えきる事ができずゆっくりと崩壊を始める・・・これが邪神とはいえ『神』の名を持つもの達の最後だと思うとあまりにもあっけなく、悲しみさえ覚える。
「貴様のその力は必ず貴様を孤独にする! ゴミ共の為にいくら戦おうとそれは変わらぬ結末だ、我が言葉を努々忘れるな!!」
肉体が砂のように崩れていく中でフリューゲルは笑い声を上げ続け口が崩れるまで勝者であるはずのゼノをあざ笑う声を残していった。
「・・・そう言うのを負け惜しみって言うんだ」
ゼノは空を見上げそう小さく呟いた、空にはフリューゲルに奪われた魂が軌跡を描きながら奪われた者達の元へ戻る光景が広がっていた・・・今頃はウィルの魂も戻っているだろう。その事に喜びを感じながらもフリューゲルの最後の言葉が頭から離れなかった。
神を打ち倒す力を振るえば孤独になるのは誰よりもゼノ自身が理解していた、それ故にぬぐいきれない感情がゼノの中で蠢こうとした時『神聖空間』が歪み広大な荒野から闘技場場内へ姿を変えた。
観客席には逃げ遅れた民衆と王達が倒れていた、空間に取り込まれる直前の光景がゼノの前に広がっていた。
「・・・誰も死んでないみたいだな。間に合ってよかった」
誰も死なせずに済んだという安堵からか身体から力が抜けその場に座り込んだ、実際安堵したのは本当の事だが疲労から来ているという事実もわかっていた。
ゼノは『六霆剣』の術式を解除すると同時に息を切らす、傷は治癒したとはいえ体力魔力共に限界だった。
「ゼノさん!」
肩で息をしているゼノの近くでフィオの声が響いた、ゼノはフィオ達の姿を眼にしようと顔を上げた時そこには涙で顔を濡らしながらも優しい笑みを浮かべ飛び込んでくるフィオの姿があった。
「ちょっ! 何で抱きついてくるんだ!?」
「よかった、よかった! 無事なんですね!!」
ゼノは抱きついているフィオを離そうとしたが泣くのを堪えているのか小さな嗚咽が耳元で何度も聞こえてくるので頬を朱く染めながらもため息を吐き肩から手を離した。
「・・・大丈夫だ。無事だしちゃんと生きてるぞ?」
「はい・・・っ・・・はい!」
「だからそんなに泣くなよ・・・なっ?」
「でも、嬉しくて・・・涙が止まらないんです」
ゼノを抱きしめる両手に力が込められる、泣きやむまでは離してくれそうにない。
「お帰りなさい・・・ゼノさん」
「・・・・・・」
その言葉は初めて聞く言葉だった。
言葉の意味は知っていた。でも、決して聞く事がなかった言葉・・・・・・その言葉がゼノの心の中にあった葛藤を最初から無かったかのように消し去ってくれた。
「・・・ただいま、フィオ」
ゼノは優しくフィオの背中を軽く叩くのだった。。
「お疲れ様、ゼノ君」
「グレイブさん」
座っているゼノの目の前に膝を付き目線をあわせるグレイブ、他の英雄達も闘技場内に無事戻れたようだ。
「君のおかげで助かったよ」
「いや、助けてもらったのはこっちだよ」
グレイブ達が時間を稼ぎフィオ達が魔力を回復してくれなければ今頃こうしてはいないだろう。
「・・・ありがとな」
「どういたしまして・・・」
笑みを溢しながらゼノの頭を撫でる。
「で・・・観客席にいる他の人達はどうする? 俺達じゃ起こして回るのも結構きついぞ」
「大丈夫、念話で城で待機している兵士達と連絡を取っておいたからしばらくすれば来てくれる」
「なら安心・・・だな」
ゼノの瞼が重くなってくる、ゼノだけでなくフィオやリューネ・・・他の巫女達や英雄も全員倒れ込み動けなくなっていた。グレイブもいつの間にか横になっていた。
「後の事は任せよう・・・みんな、疲労困憊でもう動けないだろうから」
「そうだ・・・な、俺も眠くなってきた」
抱きついているフィオに関してはすでに寝息を立ててゼノに身体を預けるように眠っていた、このまま横になれば寄り添って寝る事になるので何とか離そうとしたが力が入らない。
「そのまま寝てしまうと良いよ・・・添い寝みたいなものだから・・・ね」
「父親の言葉じゃ・・・ないぞ、少しは・・・・・・気にしろ」
しかし、ゼノの言葉に返事は返ってこなかった。どうやらグレイブも寝てしまったようだ・・・リューネ達も静かに寝息を立てていた。
「・・・・・・ほんと、平和な・・・時代だよ」
ゼノの意識も次第に薄れていく、道徳心が疼くが疲れ切った身体に重ねられたフィオの柔らかな感触と暖かい温もりには勝てずゼノも程なく眠りに落ちたのだった・・・・・・。




