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36:砂と水の月日

 乾いた風が歌う歌。熱くて冷たい土の音。激しく弾ける木の音の向こう……微かに聞こえる水のせせらぎ。

 此処は何処? 私は誰? そんな言葉では表せない。今は何処にあるの? 此処は何時なんだろう? 暗闇。目を開けても暗闇。音はあるのに音以外に何もない。それは世界があるのに私がないのと同じ事。見えない闇へ手伸ばし、助けを求めて藻掻いても、私は何も掴めない。深く深くへ落ちていく。終着地点はあるのだろうかと不安になるほど落ちて行く。嗚呼、そんな私に……私の世界に“他者”が生まれた。


 「まずは名前を聞こうか。大事だよね名前って」


 誰かがいる。居てくれる。そうして初めて“私”は私を取り戻す。


 「…………?」


 二度と覚めないと思った怖い夢。そこから目を開けたら、ヘラヘラと笑う男が私の近くに居た。目覚めの気分は良くはない。この男……私が好きなタイプではないのだ。どうも信用できない相手……話をするのは気が進まない。


 「ああ、失礼。お嬢さんが行き倒れているのを見つけてね。知人に似ていたから放って置けなくて」


 辺りは暗く、肌寒い。男は焚き火で暖を取り、彼の傍にはやる気のない駱駝が惰眠を貪る。


 「砂漠の夜は暇なものでね。俺は見張りなんだ。少しばかり無駄口に付き合ってくれてもいいんじゃないか?」

 「……助けてくれたの?」


 それなら一応お礼を言わないと。少女は身体を起こして非礼を詫びる。


 「ありがとう……ございます」

 「気にしないで。親分に怒られるのはいつものことだから」


 一人分の水と食料が減ると、商隊の長に叱られたらしく男は乾いた笑いを零す。


 「昔事故で亡くした息子に君がよく似ていてね。見捨てられなかっただけだから」

 「息子さん……?」

 「お嬢さん、君の名前は?」

 「私……わたしは」


 思い出せず言い淀む少女の耳に、リィンと小さな鈴の音。音に記憶が揺さぶられるよう、少女は己の名を告げる。


 「……ソネット」

 「Sonnetか、良い名前だね。小さな歌姫さん?」

 「いいえ、Sonnette」

 「ああ、其方の方か。それも良い名前だ。それでソネットさん……」

 「……呼び捨てで良いです。貴方の方が年上だし」

 「ありがとう、それじゃあ君ももっと気楽に話して? そんなんじゃ君も疲れるだろうし」

 「は、はぁ……どうも」


 少女は口先だけの感謝を伝え、男の様子を覗き見る。男の口調は朗らかだが、どうにも怪しく思うのは……彼の様子、声がやや緊張している風だから。何かを隠しているように感じてしまう。


 「この辺って物騒なの?」

 「どうだろう? そうでなくとも用心はしないとね。皆眠ってしまうわけにはいかないよ。僕らは向こうの都市まで行商に行くんだけど……君もそっちで良いのかい? 違うようなら次のオアシスでお別れかな。何処に行くにしろ、物資の補給は必要だろう?」

 「私は……」

 「誰か一緒に旅していた人はいるの? 君のような若い娘さん一人で旅は危険だろう?」

 「私は……ずっと、一人だった」


 自称恩人とは言え、自分のことを話すのは抵抗がある。目覚めたばかりではっきりしない頭では、自分のこともよく分からない。しかし話す内、自分で自分を思い出す。男は怪しい相手だが、自身への探究心に負け……少女は少しずつ己のことを話し出す。


 「あ、ずっとじゃない。ちょっと前まで母さんが居たの。あんまり身体強い人じゃなくて……確か、母さんの薬を買うために旅をしていたんだと思う」

 「お母さんのために? そうか。偉いな君は。どんな薬が必要なのかな? 簡単な物なら知り合いの商人に掛け合ってみるよ。うちが仕入れれば単価は安くなると思うし」

 「ありがとう。でも結構よ…………もう、要らないの薬は。もう……母さんいないし」

 「あ……それは申し訳ないことを」


 焦る男を余所に、少女は落ち着いたまま……自分のことを探り出す。


 「でもそれならどうして私、旅なんてしてるんだろう」


 旅の目的もないのに何故旅を? 行き倒れる真似をしてまで、荒廃した砂漠を彷徨う必要はあったのか。振り返っても解らない。


 「心の傷を癒すための旅行ではないのかな。そういうことが必要な人も居るよ」

 「どうかしら。そういう貴方は? 見た感じ、あんまり商売向いているように見えないけど」

 「そうだね、君はいい目をしている。僕のやる商売はいつも失敗続きで皆に笑われているよ」

 「向いてないならどうして商人辞めないの?」

 「どうしてだろう。うーん……一人でも僕が作り出した物を必要としてくれるなら、それが幸せだったからかな」

 「作り出す? 買い付けるじゃなくて?」

 「ああ、うちのギルドは生産から配送まで全て自分たちで行うからね。僕は売れる商品を作れないからこうして運び屋をさせられているんだ。こっそり自分の商品も一緒に持ち出しているけどね」


 男の抜け目のなさに、少女は笑う。意外な強かさが気に入ったのだ。


 「よく分からないけど……旅って人生みたい。何処へ行けば良いのかわからなくなって、誰かと出会ってまた別れて……一人になる。帰る場所がない人間は、そうやって一生旅する生き物なんだわ」

 「帰る場所……」

 「母さんがいなくなって、私には何もなくなった。貴方が助けてくれなくても、きっと困らなかったし、こうして助けて貰っても……これから何度も同じ事をするかもしれない」

 「それなら君は何故旅に?」

 「出たくなくても出なきゃいけないことってあるわ。生きるために必要な物を手に入れるために、移動することはあるでしょう?」


 だから人生みたいと言ったのよ。呟く少女に男は尋ねる。


 「君は旅の中で、楽しい思い出は一つもなかった? 嬉しいことは?」

 「そりゃあ……あったと思うわ。だけど嫌なことの方がずっと多かった」

 「それなら旅をやめるかい? 君が暮らせそうなオアシスを僕は知っているよ。そこなら辛いことはずっと少なくなるはずさ。お得意先の商家に口利きして、君を雇って貰うことも出来る」


 旅が終わる。それは願ってもないことだ。少女は男の話に乗ろうと口を開け……そこから言葉が出てこない。


 「オアシスには人が集まる。色んな人に出会える。君は和解し可愛いし、すぐに良い相手が見つかる。居場所なんてすぐに出来るさ」

 「……っ、そうやって、勝手に全部決めないで!!」


 涙と共に吐き出された言葉。揺れる視界に映る男の名を、少女はようやく思い出す。


 「それならソネット。君は何がしたい? 君は何を望んでいる?」

 「何で今更っ……父、さんっ……!貴方にそんなこと言われる筋合いはないわ! 私のことなんかどうでも良かった癖に! 私はずっとあんたの代わりに生きて来たのよ!! そんな貴方が私の望みを聞くですって!? 良いわよ言ってあげる! 私は今すぐあんたを一発ぶん殴りたいわ!」

 「構わないけど、それは誰が誰を?」

 「この私が目の前のあんたをよ!」

 「それなら君が、“ソネット”だ」


 この男は何当然のことを口にしているのか。男の言葉、その意図が解らずに……少女は持ち上げた手を停止する。


 「……僕が君にしてあげられたことは何もない。今更、その通りだ。どんな顔で会いに行けば良いのか解らなかった。君の方から会いに来てくれるまで……どの君とも出会えたことはない。……初めて僕から会いに行った君に、その名を僕が認めよう」


 名付けられる意味とは何か。考え込むが解らない。名付けられなくとも自分は自分であるはずだ。訝しげな少女へと、男は説明を続ける。


 「ここは君自身。満たされない君は、荒廃した世界を生きる。しかし君は、誰かに言われ付き従って、水を求める人じゃない。どんな相手にも、君はぶつかる言葉を持った」


 高利貸しにも教会にも大富豪にも、そして……創造主、悪魔にも。改めて指摘され、自分の喧嘩っ早さに少女は苦い顔。言い返せなくなるのが大人、何も言えなくなることが死であるならば、騒がしい娘は輝かしいまでに生きている。そんな風に褒められても素直に喜び難いと、少女の顔は苦さを増した。


 「旅をやめるかと聞かれ、頷いたならば君はここには居なかった。その時は、違う君がソネットになっていた」

 「それじゃあ、ピエスドールは……あんなに、兄さんに会いたがっていたのにおかしいわ! だって、私が負けたはずなのに」

 「ソネット、君には願いがあった。口では殊勝なことを言っても、君の心は常に願い続けている。彼女には、僕を殴る気力もなかったよ」

 「そ、そんな理由で勝って良いの? もっと愛とか正義とか……そういう理由はないの?」

 「愛は素晴らしい感情だけど、愛だけで人は生きられない。沢山の感情、願いがあって人は初めて生きられる。永遠とまで行かなくとも、満足な一生を」


 愛だけになってしまったあの女は、若く我が儘な少女の願いに敗れ去った。どんなに強い思いでも、一人きりでは戦えないと男が呟く。


 「彼女の中には愛した人の亡霊と、彼女自身しかいなかった。ソネット……君はそうではないだろう?」


 気付けば少女の腕には腕時計、左手には指輪時計。右手にはトランク、首元には鐘があり……ポケットには金時計。時計達はチクタクチクタクリンリンと、少女の鼓動と共に歌い始める。時計達は少女を叩き起こそうと言わんばかりの騒々しさ。今すぐ出かけないと遅れてしまうと。


 「君の中にも愛はある。でも君にはもっと多くの心があるよソネット。君の心は、君の歌は……君の心の数だけ誰かに寄り添う。君が僕を憎んでくれたから、僕もようやく決断できた」

 「意味が分からない、どうして憎まれてお礼を言うの!?」

 「ごめんねソネット……僕も君を憎く思った瞬間があるからだよ」


 自分を省みず捨てたに等しい父親に、そんな言葉を口にされ……少女は言葉を失った。


 「君なんかを想わなければ、クロシェットは死なずに済んだのに……と、あの子を大事に思う余り君を呪ったこともある。そうだ君がいなければ、もしかしたらソヌリが出て行くこともなかった、彼女があんな風に苦しむことも」

 「あ、あんたらが私を作ったんでしょうが! 何勝手なことを!!」

 「そうだね、とても身勝手なことだ。だけどこうして死んだ後、僕は初めて君を憎んだ。生前は気にも留めなかった君のことを」


 今度こそ怒り狂った少女に数発殴られても、男は言葉を止めずに語る。


 「……色んな君を見てきたよソネット。物わかりの良い君、悪い君。愚かな君、聡い君。美しい君、可憐な君……割とそうでもない君」

 「失礼だし気味悪いんだけど!?」

 「ソネット、僕はね……怒りという物を知らなかった。他にも沢山欠けていて、悲しみや喜びは知っていても……死ぬまでそういう感情を理解することが出来なかった」

 「えっと、つまり……?」

 「……欠けたピースを埋めてくれたのは、君だったんだソネット。君の存在が、僕を人間にしてくれた」

 「なんだかすごく嬉しくないわ」

 「僕は感謝しているよ。そこに気付いてから……僕は君のことを初めて愛しいと思えるようになった。クロシェットでもない、ソヌリでもない君を」

 「…………兄さんや母さんと違って、私だけ扱い酷くない?」


 いよいよ可憐からかけ離れた形相の少女に、男は苦笑ながらに謝罪する。


 「ソネット。君は誰かに大切に思われたい、愛されたいという願いがある。僕が君を振り回し苦しめた結果であることは謝っても足りないとは思うから、それについては許してくれとは言わないよ」

 「…………そうね、簡単じゃないわ」


 足りない会話、失った膨大な時間。本当に今更。寄り添い笑い合えるまでの関係を得るには、これまで煉獄で過ごした以上の時間が必要。それでも拒むことはせず、少女は対話を受け入れる。


 「愛を求めても手に入らない。君は願えば願うほど、その手から失い続けた。君の姿は滑稽で……物悲しい。何処か僕に似ていて、僕は君を嫌った。けれど君は僕とは違って……僕にとって平気なことを君は悲しむ。僕が持たない君の弱さが愛しいと……懸命に生きる君に感じたんだ」

 「それは、私だけじゃないでしょう? 他の私達のこともでしょ? 私を助けて良かったの? ピエスドールが、貴方にとって本当の……最初の娘だったのに」

 「君たちは可能性だ。これから君が何になるのかは、君が望んだとおり君が決めることだろう。……彼に言いたいことは、君も私も同じ言葉だ。だからせめてものお詫びに、その時間を君に託そう。代わりに君に同じ言葉を贈りたい」

 「え? ちょっと待って話題変わった!? 彼って誰!?」

 「……“ありがとう”」


 礼の言葉を最後に、男の姿は水へと変化。少女の砂漠の中央に、小さなオアシスが生まれる。


 「ぶはっ! な、何なのよ!?」


 服を着たまま水に投げ出された少女はトランクにしがみつく。心象風景の変化に戸惑い溺れそう。藻掻く少女の傍らで……水に浸かった時計達は、かつての姿を取り戻し……少女を岸まで導いた。岸まで上がると、手にしたトランクもすっかり様変わり。

 少女が掴んでいたのは透明な花一輪。開いた花弁はオアシスの水のように澄み渡り、映した物に色を変えていく。


歌と違ってまとめにくい、父娘の戦いでした。歌はこの辺参照。http://www.nicovideo.jp/watch/sm28707689

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