34:目覚まし時計の眠る夜
「彼より前に、時間革命は存在しない。これは、たった一回きりの夢。当然よね。私達悪魔は暇ではないし、餌場の餌になるのは本末転倒」
彼は気付けただろうか? 仕組まれていたことに。邪魔者を消すために、貴方のステラは……とっくの昔に攫われていたのよ。大富豪の手によって……遠い都市へと。
(成長する機械……あの天才時計工とは逆のことをしたのだ。彼の娘は)
雨の日に抜き取られた少女の心臓。余り物の死体。機械の心臓を埋め込んだ死体人形。
一度、彼女の時間を砂に変え……機械心臓から放出されるよう組み込めば、娘はそっくり入れ替わる。あの女司祭こそが、この街のステラ。
他は全て砂にされてしまったんじゃないかしら。大富豪が若返るための……そこまで考え、悪魔は考え直す。
「違うわね」
もう一人、いた。悪魔は別の死の夢を、手にした本へと映し出す。
*
焦げた星が、墜ちて来る。それは鳩時計のあの子だろうか? 彼女の無事を確かめようと駆け寄って……黒焦げたそれがあの男だとステラは気付く。男はもう動かない。鳩時計はどうなったのか。助けてくれた彼女は、私の中にいるのか? 胸の内で尋ねれば、何か答えが返ってくるか? “ステラ”と一度彼女の名を呼んで……確かに何か、声がする。けれど遅れて、問いかけられる声がある。声もまた、私の名前を呼んでいる。
(私……)
私って、何? 私が本当にステラなの? 取り戻した顔。触ってみても感触がない。手は何にも触れられず闇を掴んだ。
もはや全てが夢現。見上げた夜空はあっという間に真っ暗闇に。やはりもう私は駄目なのだ。きっともう、壊れた時計なのだ私は。彼女の命を、魂を分け与えられたが間に合わなかった。終わった時計はどうなるか。時計も夢を見るのだろう、死の間際には。抱き締めてくれるあの人の腕は優しい。笑顔も昔と変わらない。私を呼んでいたのは、懐かしい恩人だった。
「……頑張ったね、偉いよ“ステラ”」
「シスター! あの、私……! 沢山お話ししたいことが、貴女に聞きたいことが」
「疲れただろう? ゆっくりお休み。良いんだよ、話は後から聞いてあげるから。……さぁ、それを私に返しておくれ。それがないと落ち着かないんだ」
「え? あ……今外します」
「ああ、乱暴なことはおよし。壊れてしまったら大変だからね」
星時計から十字架を外そうとする少女に、老婆はそのままで良いと言う。星時計ごと此方に渡せと告げられて、少女は狼狽える。この十字架はこの人から継いだものではあるが、星時計自体は自分の宝物なのだ。
「駄目……これは、クロシェットが、私に」
「何を言っているんだいステラ、それは私の物だろう? 私がお前に与えた物だ」
嫌がる娘に手を伸ばし、老婆が星時計を引ったくる。女は時を巻き戻すようグルグルと、暗闇の中針を回し続けるが……星は空へは浮かばない。星がなければ今が何時かなんて解らないのに。狂ったように女は星時計で遊び続ける。
「……別に、欲しいならあげるわそんなもの。行きましょステラ」
「え!」
暗闇の中、白い腕が此方へ伸びて来た。生きて居たのと喜ぶ気持ちも凍り付く。白い翼も肌もそこにはなくて、哀れなほど焼け焦げた鳩時計。傷ついた彼女は二本の足で闇を進む、ステラの手を引いて。
「私が愛したのは時計じゃない。大切だったのは、あの人がくれた物だから」
「……私は、貴女みたいに生きられなかった」
「何を言ってるの? ここは貴女の街で、貴女にはちゃんとした身体があって、彼と約束をしたのも貴女でしょう!?」
「違う! 私には……資格がないの。そんな権利もない! 私の気持ちは、私の記憶は……別の誰かの物! 私は保存場所だっただけ! 何もないのよ私には……命令されるまま、仕組まれるまま動き、流され生きてきた機械そのもの! 私が人間に見える!? そんなことないわ。私も貴女と同じ。身体は肉で出来ていようと、私だって機械だわ!」
少女に手を振り払われ、吐き出された事実に鳩時計は狼狽える。正統な持ち主だと、自身の魂を返そうと思った相手が紛い物? そんな話は信じたくない。認められないと鳩時計は声を荒らげる。
「そんなことあるわけないわ! 貴女は何処からどうみても人間じゃない! 彼とこの街で過ごした記憶だってあるのでしょう!?」
「解らないの。どこからが夢か、本当かなんて! 機械に攫われたのは誰? あれは何時のことなの!? 昔にもあった。今もあった! あの雨はなんなの? どんどん年老いていくの。だけど若くして死んだの。私の心臓は本当に、この胸の内にあるの!? 怖いのよ……何もかもが信じられないっ! クロシェットの顔、沢山あるの。皆違う顔なの……私が好きだったのはどのクロシェットなの!?」
「……貴女、この子に何したの」
記憶の渦に飲まれ、娘は嗚咽を零す。元凶は老婆に違いないと悟った鳩時計は振り返る。
「負けるわけにはいかないのさ。あの女には、どんなことをしてでもね」
嗤う老婆の表情に、慈愛の笑みは消えていた。
*
(時間を奪われ、幼い娘は年老いた老婆に姿を変えられた。絶望したその娘が、あの少女を助けた理由は……。神との結び付き、そして信仰。違う……あれは契約だ)
醜く老いた姿では街に戻れない。若く美しい身体が欲しい。老婆は狂った男達を匿い、日時計までの手引きを見返りに……殺された少女達の死体を譲り受けたのだ。
大富豪が時計を集めるよう、滅びた星は亡骸を求めた。若い身体であっても、止まった時を動かすためには多くの材料が必要となる。死体に残る魂の残骸を集め……最後に自身の魂を吹き込むことで、少女が息を吹き返す。
恐ろしい女だ。ある意味で大富豪と同じ事をしている。自身が若い身体を取り戻すために、他の都市の自分自身を犠牲に捧げる許可を与えていたのだ。星時計を受け取る記憶は老婆の記憶。育てられたという過去も、別の街時計で老婆が受けた記憶だろう。
しかし老婆には誤算があった。皮肉なことに、新しい身体に宿った人格は……老婆その人ではなかったのだ。数多の都市の砂……灰から甦った娘は、最も未練ある魂を甦らせた。
その未練とは……外部要因。奪われた心臓達、唯一成功して生まれ変わった鳩時計。自分自身を知りたいという彼女の願い。犠牲として差し出した心臓に、老婆は裏切られたのだから間抜けな話。
「怖いわね。唯の人間っていう奴も。一回死んだら化け物だわ。……でも、不思議。エングリマに当てられたかしら私も」
人間は、心臓に心は無いと言う。そこは血を送り出す器官。考えるのは脳なのだからと。
仮に脳さえ無事なら、何度でも甦られるとしよう。その時人は簡単に心臓を投げ出すだろう。けれどもし、触れた手が……肉体が物事を記憶しているなら、時を刻んだ心臓も……記憶が、心があるはずなのだ。例えどんなに僅かであっても。
人は、人が生み出した物……無機物、機械にも感情を傾ける。そこに心があれば良いのにと願う。そうやって、魂を砕く人間は少なくはない。例えばそれはどうやって?
遠くから見つめるだけではないだろう。触れて、念じて……或いは言葉として語りかけるかも知れない。心を、魂を分け与えるために、必要なのは肉体だ。触れた手から、唇から……人は、人間以外に心を移す。精霊が人との婚姻、愛により魂を得るというのもその事象なのだと私は考える。
「ねぇ、鳩時計。星ってそんなに綺麗な物じゃないわよ? 近付いてみればゴツゴツしてたり汚かったり」
貴女はそれでいいのかしら? 綺麗だったと見上げられるだけで満足? それならそんな風になってまで生き延びては居ないわよね。
白く美しかった翼は焦げ付いて、鉄の骨組みを覗かせる。終わりの夢へ落ちて来た娘に向かい……悪魔はそっと手を伸ばす。
「戦いなさい。その意思がある限り……」
汚らわしく、醜悪であれ。人間になど忌み嫌われて良い。私の望む結末を綴ってくれるなら、私は決して裏切りらない。
「見せて見ろ、ウェスペル=マキナ! 日などなくとも、己を燃やし輝く物が星だろう!」
お前は日時計とは違うはずだ。それを示せと、本へと浮かんだ彼女の名前を悪魔はなぞる。
*
どうして私が死ななければならなかったのか。歌姫の代わりに、差し出された娘は思う。時間泥棒の影武者とされ、燃やされた少女は。砕かれた魂に、憎しみの記憶を残してしまった。集まった大きな欠片、大きな憎しみ。抱えた記憶と恋心。
誰への怒りか解らない。幼い頃はずっと何かに苛ついていた。それでうじうじした幼なじみに当たり散らしたこともある。
ある夜夢から目覚めた後、暮らす場所も自分の外見も全く変わってしまったことは、怒りに対する罰なのだろうと考えたこともあった。
しかし、街で繰り広げられる一連の事件を目にした後、私は怒りの理由を取り戻す。時間泥棒……後を継いで燃やされる娘。あれはかつて私の身に起きた出来事。朧気な記憶を探り、忍び込んだ屋敷には……罪滅ぼしのため娘を犠牲にしたと語る男が居た。目の前で、その男が殺されるのを私は見届けた。
「醜いな」
「な、何を……!」
「お前は醜い」
大富豪が、あの歌姫が私を嗤う。
「お前は兄さんを恨んでいる。何故こんなことに巻き込んだのだと呪ってさえいる。大きな欠片がそう思うのだ。大凡お前の中の結論はそういう話だ」
何故私を犠牲に生き延びた者に、そこまで言われなければならないのか分からず、私は言い返そうとする。しかし何も言葉が浮かばない。女の言葉は、事実その通りであった。
「若く美しい身体に戻りたいか? 手を貸してやっても良い。……他の街のお前を殺す手伝いをしろ。全てのお前を殺せば、……お前が若返るくらいの時間は取り戻せる。まぁ、若返ったところで……貴様の魂の浅ましさは変わらない。兄さんに愛される資格はないと思え」
幼い私の時間を使って、女は時間を巻き戻す。年老いた私はその分過去の文字盤に投げ出されてしまったのだ。もとの都市に戻るまで何十年かかるのか。それまで私は生きて居られるのか? 時折大富豪に頭を下げに行き……仇敵からお情けの砂を与えられ、生に存在にしがみつく惨めな人生。
流離い渡り歩く別の都市。輝かしい過去の幻は眩しく私の罪を呼び起こす。死んでしまった男を思い、泣いて暮らす哀れな娘。私にも、なれたかもしれない可能性。その美しさが妬ましかった。街に噂を流し、男を一人狂わせる。時間泥棒は殺されて、彼の父も狂い出す。
美しい娘が無残に殺されていく、殺させていく。都市時計を一つ壊す度、私の心も壊れていく様な気がした。
「……お前達は、美しい」
あと少し。もう少しで手が届くのに。邪魔をするのは小さな欠片と寄せ集めの砂。これっぽっちしか私には美しい物がなかったのか。だけれど、どうしてこんなにも眩しく見える? 死の暗闇の中、少女の燃える瞳は朝焼けのよう輝いていた。
「私から生まれたのに何故、お前だけが!! その美しさを、私に返せ!!」
星時計では足りない。心臓が足りない。あの女の心臓を砂にして取り込まなければ……私は美しくなれない。
「そんなの知らない! 私が綺麗なのは作り物の形だけよ。それだってもう失われた! 嘘だって付くし、あの人を縛り付けるためならなんだってする嫌な女よ。自慢できるのは彼への心、私の魂一つだけど……私は自分の気持ちにだけは嘘は吐かない。貴女と違うのはそれだけじゃない!」
骨組みだけになった翼を広げる鳩時計。溢れた砂をその背に庇う。それが紛い物の娘と知っても……。嗚呼、その姿が何より妬ましい!
「ス、テラ……っ!?」
「…………ありがとう、マキナ。私を人間にしてくれて」
「っ……!」
傷だらけの鳩時計の背を、少女が優しく抱き締める。驚き振り返る鳩時計に、少女はキスを一度送って……己の顔を時計へ変えた。
「……だけど、クロシェットには貴女が会って? “私達”の気持ちを、拾い上げて大事に組み立ててくれてありがとう……」
「駄目よ、私はもう壊れてる! 寿命が来た時計はもう、二度と元には戻らない! 貴女が帰るべきなのよ!」
鳩時計が必死に頭のねじを巻いても、もう時間は巻き戻らない。彼女はもう時計ではないのだから。
私が葬り去った、数々の都市時計の私の未練。
私は為す術もなく老いたまま滅ぶ。時の砂を使い果たして滅びた身体……そこに抜け殻となった娘の身体を奪うべく、この時を待ち侘びていたというのに。
(ああ、そうか。あの女は――……これが狙いだったのだ)
けれどこれは誤算だろう。機械が人になるなんて。悔しさを感じながら……老婆は最後に微笑んだ。
*
雨が降っているのだろうか? 雨に打たれたことは幾らでもある。しかし暖かな雨というのは珍しい。煩わしくも思えるが、このまま打たれていても良いとも思う。冷え切った身体が、雨に打たれた場所から熱を取り戻していくようだから。
「クロ、シェット……」
「…………マキ、ナ?」
死の夢の中、必死に語りかけてくれた声。彼女の声が光となって、再び時間泥棒は目を開ける。夢の中で思い描いた姿と、違う姿で彼女はそこにいた。自分の耳で聞く言葉は、夢とは違う声色で……時間泥棒の名前を繰り返す。
姿形は女司祭。服装も鳩時計とは違う。顔を見れば解る。これは……マキナだ。
「しっかりしろ、マキナ!!」
どういう訳かステラの身体にマキナが宿ったが、そのマキナは……壊れている。感情の起伏が殆ど見受けられない機械そのもの。狂った音響機器のよう、何度も時間泥棒の名を繰り返すだけ。 人間の身体を得た代わりに、人間の心を失ってしまったのか? 機械でも、傍にいてくれた……心ある君に僕は救われていたのに。
「馬鹿なことを……」
今度は時間泥棒が涙を流す。抱き締められた少女は、彼の悲しみも理解出来ずに一度、首を傾げてみせるだけ。彼女は何故、自身が泣いていたのかも理解していない風。
それでも涙を受け続ける内、初めて少女が笑って見せた。
「クロシェット……あったかい」
*
見える、伝わってくる、彼女の全てが。心や気持ち、大事な思い出、悲しい出来事。五感で人の記憶に触れている。街時計がどのくらいあったかなんて知らないけれど、私なんてちっぽけな意識……すぐにもって行かれそう。
啖呵を切ったものの、歌姫は瞬時にピエスドールの膨大な記憶に潰されかけていた。
(レーヌの時より、こんなにきついなんて!)
彼女はあくまで一人分の私。大富豪は何十何百……或いはそれ以上の私を集めた存在。いいやそれどころか、その大元となった人間なのだ。
(あいつが、兄さんのこと好きだったのは……本当なのね)
歌姫は記憶の波に耐え、自分の存在を必死に守り続ける。その内に、記憶は見慣れた景色を映し出す。
「クロシェット……」
私の過ごした街で、あの人が呼ぶ兄さんの名前。そこには愛と憎しみが密かに宿る。
父親を始末されて、独りぼっちになった時間泥棒。隣に暮らす老婆は、そんな彼をじっと見つめ続ける。
《兄さん……》
早く気付いて。私は此処にいる。どうして気付いてくれないの? こんなに老いてしまうまで、ずっと貴方を追い求めてきた。
《嗚呼、可愛いクロシェット。気付いてくれたら、殺さないで済むのに……どうして気付いてくれないの!?》
貴方が私と解ってくれたら、二人で幸せになれるのに。よく頑張ったねと今すぐ私を抱き締めて欲しい。……そんな願いも、少年には届かない。少年は足が速いだけの人間だった。人間は、目に映る物で世界を見つめる生き物だから。
《こんなに似ているのに。私はお前を殺さなければならない》
いっそ私を愛してくれさえすれば……思い出さなくても新しく記憶を作っていければ。お前のことを愛してやれるかもしれない。新しい兄さんとして。それでもお前には、私が見えていないのだろう? お前が焦がれる歌姫は私ではない。あんな小娘になんて顔をしているんだい。なけなしの金を使い込んで、うちの食堂にたかりに来たねこの馬鹿は。私が今どんな顔をして、厨房に立っているか解るかい? お前のその顔を向けるべきなのは……この私だったんだよ。私が呼んで欲しいのは「婆さん」なんて言葉じゃない。昔みたいに呼んでよ、「ソネット」と!
(……ピエスドール)
歌姫は思う。もし自分が同じ状況に在ったなら、自分は何を願うだろうと。
(兄さんが居なくなって、私だけが大きくなって……年老いて)
この人はレーヌにもなれなかった。新しく誰かを愛することを止めてしまった。ずっと過去を追いかけ続けた私。
「……何のつもりだ、小娘」
「…………」
記憶の中、泣いている老婆を後ろから抱き締める。私に彼女は冷たい言葉を投げかけるけど、私はそのまま抱き付いている。
「貴女も広場に来てくれれば良かったの。私の歌が、貴女にも必要だったんだわ」
「ふん、あんな下手くそな歌で何が変えられる? 小娘がこの私を歌で救うだと? 随分と思い上がったな」
「ええ、必要よ。私の歌は……貴女にこそ必要だったのよ。だって私は……私を助けてくれた兄さんのために歌っていたんだから!」
唯貴方が好きで、貴方にまた会いたくて歌い続けた。この人だって、昔は……同じ気持ちで歌ったはずの歌だもの。
「過去が恥ずかしい? 馬鹿だったと思う? そりゃ大人になった私から見ればそうよ。だけど私は、その時はその時なりに……必死に生きている。これから何があるかなんて解らないけど、私は歌姫だもの……歌うだけ」
「…………口だけでは何とでも言えるな」
「悲しくても、嬉しくても。楽しくても辛くても……その時々の歌を歌うの。歌って凄いのよ。それだけで楽しくなれる。ちょっとだけ幸せになれる。私の幸せが、聞いてくれた誰かの幸せになるのなら……これ以上幸せな事ってないわ」
「……」
「貴方という私に響かない歌は……きっと誰にも届かない。…………私の歌は兄さんに届いた。だから貴方にも届けられる。届けてみせる!」
「歌で腹が膨れたか? 歌は貴様を幸せになどしない。見たくも無い現実を突き付ける。あの金貸しを見ただろう小娘」
聞き心地の良い言葉。無責任に囁かれる恋や愛。お前はそこから逃げだそうとしたと歌姫は責められる。
「お前が時間を歌ったのは、兄の名を語ったのは……逃げだろう。貴様は大人に……いいや、女になりたくないのだ。かといって金貸しのよう、男にもなれない。何をするにも中途半端。貴様の歌など誰も救いはしない」
「……流石ね。長年私やってただけはあるじゃない。自己分析は出来ているようね」
「それは煽りか? 腹立たしいガキが」
「嫌ね捻くれた大人って。今のは褒めてるのに」
頑なな大富豪の心に寄り添うよう、歌姫は言葉を紡ぐ。会話を重ね相手を理解しようとするように、心で彼女に歩み寄る。
「私言ったわ。私は貴女にもレーヌにもならない。私は愛していこうと思う。兄さんを忘れるわけじゃない。だけど……新しく誰かを好きになる可能性まで否定はしない。それを裏切りだって悩むのも苦しむのも、私よ。責められるのは誰かにじゃない。責めていいのは私だけ、だって私は私の人生を生きているんだから! 誰にも文句は言わせない!」
傲慢だなと、大富豪に鼻で笑われても歌姫は言葉を止めない。人間なんてそんなものよと若い娘が偉そうに。
「……だから貴女のやって来たことも私には責められない。褒めたりしないけどね!」
「何様だ貴様は」
「未来の大歌姫、ソネット様よ! サイン要る?」
「貴様……あの女を取り込んで、性格に雑音が入り込んでいるな。やはりあの女は排除するべきだった」
「そうやって否定しないでよ。方法は違っても、レーヌはレーヌなりに兄さんを愛していたんだから。レーヌを否定して良いのはレーヌだけよ」
「……否定せずとも肯定も出来ないだろう? あれがしたことも、私がして来たことも」
金貸し女王は他の街の時間泥棒を見捨て、大富豪は時間泥棒を殺し続けた。褒められたことではないのは確かだと、歌姫も理解している。
「だって貴女が貴女のして来たことを否定してるじゃない」
「何を……」
「それなら最後くらい、誰かが認めてあげなきゃ。“今まで頑張ったね、ソネット”」
「貴様っ……! 時間泥棒になったつもりか!? それはお前が言われたかった言葉だろう!」
「貴女と私が同じだなんて言わないけど、貴女も私もソネットよ。これはソネットが言われたかった言葉よ。ソネットである私が言うんだから間違いない」
*
歌で救うと言いながら、小娘が残したのは僅かな言葉だけだった。センスも韻もメロディーもない、阿呆みたいな言葉であった。
「……馬鹿な小娘め」
若い身体を身に纏い、大富豪は吐き捨てる。目覚めた彼女を出迎える女悪魔は上機嫌。対する少年悪魔は深い悲しみを表した。
「お帰りなさいソネット! 流石ですわ! やっぱり最後は愛が、禁断の愛が勝つものなのですね!」
「そ、そんなっ……そんなことって!」
この世界では連敗続きのエングリマは大粒の涙を零し、姿を掻き消した。再び時を凍らせた訳ではないらしい。
「どうします? 追わせますか?」
「捨て置け。大した力はないのだろう?」
「ええ……保護者が起きない限りは無害です。それで、ソネット?」
「ああ……そろそろ頃合いだ。兄さんが目覚める…………会いに行こう」
「うふふ、楽しみですわ! 私が待ち望んだ瞬間が、とうとう訪れるのですね!」
*
「願いとは、叶わないから美しい物なんだ。でも人は願うから、先に進んでいくんだよ」
「人間の言うことは分からない」
「君は人間だった頃からそうなの? それじゃあ、本当に僕らは似た者同士だ」
「……似てはいないな」
「えー? 酷いな、なんだよそれ」
「類似点ならある。他人の感情に疎いというのは我も同じだ」
それはかつて友と交わした言葉。その友により、こんな牢獄に閉じ込められることになるのだから……友人は選ばなければならない。我が子達にもそう教えるべきだった。思えば、友という友全てに私は裏切られている。それでも我が子に手を掛けられるまでは、大して怨みもしないのだから……感情が死んでいると言われても否定は出来ない。
「クロシェット……僕はずっと君に会いたかった」
甦った今ならば、彼はこの塔まで辿り着くことも可能だろう。しかしいざ会えるとなると……こんな風に思うのは我が儘だろうか。神は孤独な塔の中、機械達に語りかけるよう話を続ける。
「あの子達を見て解ったよ。会いたいというのなら、会ってはならない。会いたくないなら会わなきゃならない……と言うわけで、僕は娘と話に行かなければならないようだ。力を貸して貰えるかな?」
「……あんた、本当に訳が分からないわね。そんなんだと常に嫁にぶん殴られたんじゃないの? 私なら一分おきに殴りたくなるわね」
「あはははは!」
「……何を企んでるの?」
「叶わない方が良い願い事ってあるんだよ。犠牲と引き替えに何でも叶えてくれる皆様には解らないことだと思うけど。本当に叶えたい願いが叶ってしまうとね……人は我が儘だから思ってしまうんだよ。“こんなもんか”って……下らなく思えてしまうのさ」
この男は何を悟ったのだろう。元々変人だったため、今更気が狂った風には見えないが……?
「大事であればこそ、大切にしたいからこそ……願いは叶えてはならない。長い間此処に閉じ込められて、ようやく僕は解ったんだ」
「私との契約に問題はないわけ? あんたあの子と会わずにこの本終わらせられると思ってるの?」
「思っているよ、彼は僕の最高傑作だからね」
アルバム完結してから早1年以上すぎたような……。道筋は決まってるのに、文章に出来ない。
曲でまとまったから小説蛇足じゃない? 悩み悩んでようやくここまで書けました。あと少しです。
もうしばらくお付き合い頂けましたら幸いです。