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31:黄金の主

 例えば仮に、クロノス違いは承知の上で例えるならば。

 言うなれば彼は全知全能の神へとなり得た。父を愛しすぎたゼウスと、子を愛しすぎたクロノス。この悲劇は、そんな家族愛から始まった。

 殺し合えば、憎み合えば良かったのに。そうすれば救われたはず。例え私がそれを告げても、街時計は同じ夢を繰り返す。

 これが永遠? 永遠に救われない、報われない、悲しいだけの永久機関。


 「あの男は、本当に悪趣味だわ」


 私を知った風な顔で決めつけて。これが最高の贈り物になるとか、本気で思っていたの?くっだらない。


(あいつは何も解っちゃいないのよ)


 見つめていて苦しくなるような、悲しくなるような……この陶酔が生む甘く苦い陶酔感。そんな物、私の好む物語じゃ無い。


「人間に、永遠なんか似合わない」


 *


 自分は幽霊のよう、全てをすり抜ける。それでも歩いて行けるのは、悪魔が自分の手を引くからだ。だから僅かに浮いた両足で、歌姫は先へ先へと向かい出す。ここが何処かも解らない。相手が悪しき者でも、助けてくれるのならばそうするしかない。


 「ねぇ、私を迎えに来たって言ってたけど……」

 「ええ、言いましたわ」


 どういうことよと睨み付けても、悪魔は小さく微笑むばかり。此方に対する敵意のようなものは感じないられないばかりか、可愛らしいモノを見るような目でにたにたとそれは上機嫌に笑っている。


 「変わりませんね、ソネット。貴女はいついかなる時も。どんな目と髪の色をしていても。貴女の魂は私にとって好ましい光を放つ」

 「何よ、食う気!?」


 べしっと悪魔の手を払えば、「あら」と悪魔は軽く目を見開いた。そうして機嫌を損ねるでもなく、穏やかに笑いながら再び此方に手を差し出す。


 「私の導き無しに、この時の坩堝から貴女は抜け出せません。さぁ、我が主……ソネット」

 「私あんたの契約したりしてないんだけど」

 「ええ、貴女はね。それでも貴女が私の一時の主であることは違いありません。例えばそれが偶然や、神の悪意や悪戯であったとしても。貴女のような道ならぬ恋や愛は私の何よりの糧」

 「あの……アムニシア?」

 「トランクと腕時計だけでは足りない。貴女は指輪時計を失った。貴女は金貸し女王になる道を失った。だから貴女は、私と出会った。死でも未来でもない、貴女は第三の選択肢に辿り着いたのです」

 「母さんに、何かあったの!?」

 「可哀想な貴女は、最後の最後で指輪時計に選ばれなかった。あの者の時間は別の者へと移されました」


 以下に孤独な旅路でも、旅には連れが必要だ。お前にはそれすらもはやないのだと、悪魔は静かに告げていく。


 「金貸し女王の資格には、母の愛が必要です。可哀想なソネット様」


 お前は父からも母からも捨てられたのだ。そんな響きをもたらされても、嫌味も悪意も感じない。悪魔はただ事実を情報として此方に投げてきているだけで……


(選ばれなかった……)


 その事実を歌姫は重く重く受け止める。俯きがちになる視線……そこで待つ悪魔の白い掌を、拒む理由は見つからない。


 「どこへ……行くの」

 「貴女の街へ」


 迷いのない悪魔の足取り。彼女の手を離すと何も見えない暗闇の世界になるのに、彼女と手を繋ぐと歌姫の両目は光を取り戻す。見えるのは何故か薄暗い森の景色で、辺り一面木々に覆われている。

 これは悪魔が情報を自分の領域に取り込んで視覚化したもの、と歌姫は教わった。

 自分が生きてきた世界、街の外側がこんな物だと知って驚きを隠せない。金貸しに連れられて、日時計から見た世界はもっと……違うように見えたのに、と。


 「私が何故、貴女に味方するのかとお考えですか?」

 「そりゃあ、まぁ」

 「理由は三つ。それが契約だから。そして私の嫌いな女が貴女の敵だから。最後に……私は兄妹愛を何より愛する悪魔ですから。以上です」

 「納得して良いのかよく分からない返事をありがとう」


 流石は人外。まともな会話が成立すると思う方がおかしい。適当に話を合わせて利用できるところまで利用して上手く縁を切ろう。


(そのためには、この女のことを知る必要があるわね)


 伺うように悪魔の顔を見上げれば、何か?と彼女はふふふと笑う。油断も隙も無い。ある種の余裕は感じるが、自分のような人間如きがなにか出来るとは思えない。こんな存在を出し抜くことなど出来るのだろうか?


(……無理かも)


 それでも相手はこんな自分に好意的。下心がないとは言い切れないが、気に入って貰えているのなら、もっとそうして貰えたら。上手く立ち回ることは出来るかも。


(……なんて、こんな考えも筒抜けなのかしら)

 「ふふふ、本当に可愛らしいわソネット様」


 此方を少し馬鹿にしたような、その口調。それが歌姫の思惑に対する答えだろうか。全てを見透かしながら、悪魔の余裕は崩れない。それならば、と歌姫はごちゃごちゃ考えることを止めてみた。気になること、片っ端から聞いてやる。


 「どうして、森なの?」

 「それが私の領地、領域でもあり、貴女にとって歩きやすい形を取らせているだけですわ」


 街の外は、歪な空間。普通の人間で在る歌姫には、思うように進むことも出来ない。金貸しの残した力も上手く扱えず、トランクで元の場所にも戻れない。よく目を凝らしてみれば、悪魔が見せる景色は歌姫にも覚えのあるものだった。


 「私……ひとりで森を歩いたわ。兄さんを、埋めるとき」


 あれは街時計の中のことだった。それでもこの景色は、あの森と全く同じだと歌姫は思う。ここを進めば……確かに辿り着くだろう。自分が生まれ育ったその場所に。


 「あの時は、怖くも寂しくもなかった。だけど……」


 悪魔と一緒でも、相手が幾ら好意的でも、今はとても寂しい。だからだろうか。弱音のような言葉を吐いてしまった。


 「見るも無惨な死体が怖くも恐ろしくもなかった、と?」

 「だって……お兄ちゃんだったから」


 どんな姿でも、大好きだった人。恐ろしいはずがない。変わり果てた姿でも、背負うことに躊躇いはなかった。人から物になってしまった冷たさに、悲しみを覚えることはあったけど。


 「死んでるお兄ちゃんは怖く無かった。だけど、時計になって眠るあの人は怖かった」

 「何故、ですか?」

 「……何を、言われるかわからなかった。だから、怖かったんだと思う。私、お兄ちゃんのこと知らないの。勝手に知ったつもりになっていただけ。あの人が何を考えていたかなんて……」


 あの、鳩時計が言うように時間泥棒は憎しみのために現れたというのなら、彼の復讐を止める理由が自分にはない。かといって、協力も出来ない。


(母さんは、お兄ちゃんの代わりに……人を殺しに行くって言った)


 あの時私も頷いたなら、指輪時計は私が持っていた。それなら今の自分は違う誰かになれていて、何処かへ向かって行けただろうか?


 「時間泥棒は、人を殺めること、金品を奪うことを嫌った。それは罪であり、自身に命じた枷である。貴女は時間泥棒を継いだ。だからそれを罪だと思う。そうでしょうソネット?」


 「貴女のお兄様が自身を縛めたその枷は、今の彼には重荷。正しくありたかった彼は、それでも酷い目に遭った。それでも死の間際まで憎しみを覚えなければ、それは聖人になり得たかもしれません。それでも彼は、どこにでも居る普通の人間です」


 憎しみや怨みを覚えずには居られなかった。悔しくて悔しくて堪らなかった。その憎しみの心を否定するのは、はたして救いだろうか?現に、存在するものを……勝手に美化して無理矢理消し去るその行為。


(私が怖いと思った……お兄ちゃんが)


 本当のあの人なのかもしれない。私が勝手に美化していただけで……私は何も解っていなかった。だからあの、鳩時計は私を彼と会わせることを嫌がった。


 「生きて居る人間には……死んでしまった人の気持ちが解らない。貴女もそう思う?」

 「……解る相手と解らない相手。解る部分と解らない部分。それは種族が違っても、同じでも起こり得ること。少なくとも私は、共感出来る契約者としか契約しませんし、同僚にだって全く解らない相手はいますわ」

 「変に説得力あるわね……無駄に納得したわ、ありがと」


 罪を恐れる心を持ちながら、歌姫も罪を犯している。しかし大事なのは自分の中でそれが罪であるかどうかであって、そういう意味でなら自分は何の罪も知らない。だからまだ、自分は時間泥棒で居られるはずだ。


(私とお兄ちゃんは違う。それでも私の言葉が届かないわけではないはずよ)


 だから、話そう。その中で、本当の彼の望みを私は見つける。

 父を殺されても、人殺しの復讐をしなかったあの人だもの。やっぱりあの人が本心からこんなことを望むとは思えない。


(私が好きになったのは、優しい時間泥棒)


 決して上手い歌じゃない。それでも彼は歌うだけで、この街を変えた。

 歌の上手い歌姫がこれまで何人居ただろう。この街でどのくらいの時間を、どのくらいの気持ちをそこに込めただろう。それでも何も変わらなかった。


(私は歌姫じゃない。時間泥棒よ。誰に邪魔されたって、私は時間を取り戻す。それが1分や1秒だって構わない。あの人と私が……話せる時間を)


 まだ、時計はある。金貸しと同じ、腕時計。トランクが導いた……彼女が残してくれた、僅かばかりの希望。

 ルビヨンは、素晴らしい時計を作った。それは時間泥棒の死後に。父と兄を奪った男が作った時計を、どうして金貸し女王は身につけていた?それが魔法の道具になることに、気がついたからだけではないだろう。彼女はこれから何かを感じ取っていた。自分に通じる、そんな気持ちを。


(それはきっと、後悔だ)


 時間泥棒の死は、彼に己の罪を気付かせた。他の街時計での出来事だけど、それはあの街時計の中でも起こったはずのこと。

 あの時計工だけではない。その娘も後悔していた。時間泥棒の死を悼む者は自分の他にもいたのだ。そのことを、彼は知らないだけ。勿論、それを知ったところできっと、痛みや苦しみは消えない。でも、それを知れば……煉獄へ落ちた兄の魂だって行き先を思い出せる。

 歌姫は強く頷き、前を見つめた。その先で、悪魔は少し……感情の消えた顔で此方を見ていた。



 「いいえ、貴女はまだ時間泥棒にはなっていない」

 「え」

 「貴女は一人か二人のためにしか歌を歌わない。時間泥棒は、街時計の……世界のために歌う者。そして、時間泥棒は……望んだ願い何一つ叶わない。報われることもない存在」


 今度は悪魔から手を離し、歌姫の目から偽りの景色を奪う。


 「歌姫ソネット。貴女は本当にそんなものになりたいのですか?」

 「わ、私は……」


 歌姫が返事をする前に、悪魔はぺこりと一礼し……着きましたわと呟いた。


 「何、これ……」


 森をいつ、抜けたかも知らない。いつ、街に入り込んでいたかも解らない。それでもここがどこかは推測できる。こんな立派な内装の……広い御殿は街にそうそうあるものではないから。


 「ここ、大富豪の……屋敷じゃない!なんでこんなところ連れてきたのよ馬鹿っ!!」


 こんな所勝手に入り込んだら、それこそ時間泥棒のように殺される!慌てる歌姫を前に、悪魔はくすくす笑い出す。


 「その大富豪様が、貴女をお呼びなのですわソネット」

 「アムニシアっ、私を騙したの!?」

 「騙してなんかいませんわ。言ったはずです。私は“ソネット”様にお仕えしていますと」

 「ソネット……?」


 この言い回し、日時計の所でも聞いた言葉だ。金貸しの正体を知る前の自分には、意味も分からなかったことだけど。


 「レーヌがいるの!?よかった……無事だったのね!!……ん?ってどういうこと!?あいつ金貸し女王で、ついでに大富豪だったの!?どういうこと!?あいつ黒幕なの!?私を手に入れるために兄さんを殺したって言うの!?」

 「……少し満更でも無さそうな様子ですねソネット。失望しましたわ」

 「そ、そんなわけないでしょ!?っていうかレーヌがそんなことするわけないわ!だってあいつその頃私のことなんかどうでもよかったはずだし!……あ」


 大声でまくし立ててから、歌姫は慌てて押し黙る。この騒ぎに警備の者が集まってくることを恐れてだ。


 「ど、どうしよう……私、兄さんみたいに足はやくないのよ」

 「ご安心下さい。ここは時間革命で、生きた人間はここにほとんどいませんし……貴女に危害を加える者など居りません。だってここは貴女の家ですもの。ですわよねぇ?我が主……」

 「その通りよアムニシア。良い働きを感謝するわ」

 「!?」


 歌姫は、声のした方を振り返る。するとそこには、見るからに高価な安楽椅子に腰掛けた、影がある。深い皺の刻まれた、細い手は……奪われた金時計を愛おしげに撫でていた。


 「小さなソネット、ご不満でも?」

 「不満も何も……誰、あの人。大富豪の奥さんとか、お母さんとか?」

 「あの方こそが、金時計を手に入れた者。金貨卿、大富豪ピエスドール様ですわ」

 「大富豪!?あんなババアだったの!?」


 実際のところ、歌姫はその人を見たことは無い。それは街を治めるものだ。漠然と、男だと思っていた。だってこの時代女の地位は低く、やれること出来ることには限りがある。街を統治するなんてとてもとても。幸運と努力とそれから美貌?それらを集めてどんなに頑張っても、その妻の座が精一杯。


 「あら?金貸し女王のこともありますでしょう?」

 「そりゃ、そうだけど」


 常識と信じることが、真実とは限らない。悪魔の言うことは確かだけれどと、歌姫は渋い顔で唸り出す。


 「街のことは、他の者に任せていたからね。そう思われても仕方が無いさ」

 「主はよく、お出かけになっていましたものね」


 笑い合う、悪魔と老婆。長い付き合いなのだろう。悪魔の態度に含みや棘が見られない。


 「あれ……?」


 喪に服しているのだろうか?立派な黒いドレスを纏っている、上品なその老婦人。何処か見覚えがある。歌姫が数回目を瞬く内に、大富豪もそれに気付いたようだ。


 「立派なもんだろ?もう貰ってから何年も経つのに、この時計は一分だって遅れない」

 「何、年……?」


 大富豪に金時計を奪われてから、まだそんな時間は過ぎては居ない。それでも重みの感じる言葉を、歌姫はやはり以前も耳にしていた。


 「あ、あんた……あの時の!!兄さんの、隣の食堂のっ!!」

 「やっと思い出したかい、今度のソネットは……昔の私より随分と馬鹿だね。いくら兄がオリジナルに近くても、こんなものか」


 信じられない。信じたくない。大富豪が、時間泥棒のすぐ傍に居た。何を考えて……?思うだけでもぞっとする。これから殺す相手のことを、死なせる相手のことを……何年も傍で見てきたなんて。

 凍り付いた表情で、歌姫は“自分”を見つめ返した。


 *


 「火刑にするなど、勿体ない。あれは街一番の歌姫になれる」


 教会に捕えられた娘を救ったのは、金貸し女王……いや違う。当時はまだ、金貸し女王など世界の何処にも存在しなかった。

 娘を救ったのは、仇とも言えるその男。金と引き替えに捕えた娘を入れ替えさせた。金で別人を用意したのだろうか?それにしては、相手からは随分恨みがましい目をされた。

 此方は三人奪われたのだ。焼かれたのは、彼自身の娘だったに違いない。その母は不幸な事故で数日前に亡くなったと言うのだから……その企みに、男の妻は邪魔だったということか。


 「贖罪のつもりなの?」


 娘の問いには何も答えず、男は娘を娘と呼んだ。そして身分と自由になる場所と時間を娘に与えた。それをどう利用するか考えたとき、娘の標的は決まっていった。

 はじまりの街にも、大富豪は存在した。それは“彼女”ではなかったけれど。


 「はぁ……はぁっ」


 少女は、時間泥棒になれなかった。父を母を兄を失ったその娘は……復讐を選んだ。時間は掛かったが、それは確かに成し遂げられた。

 赤いドレスの歌姫は、母のように街一番の歌姫になり……大富豪に招かれた。その瞬間のためだけに己を、歌を磨いた。招かれさえすれば、後は簡単なこと。二人っきりになれれば寝首を掻くなんて造作も無い。


(終わった……)


 この時のために、生きてきたのに。何とも呆気ないものだ。憎い仇をこの手で殺せても、何の達成感もない。それならと、家に帰って養父もその手に掛けてみた。嗚呼、何も変わらない。

 残ったのは、成長してしまった自分と、汚れた手。それから、それから……数え上げたらきりが無い。悪いことばかりが並んでしまう。それでも一つだけ、良いこともある。

 取り戻した金時計。それを手にした瞬間、世界が彼女に平伏した。正しい時を黙っていて欲しい人間から、賄賂をもらう。時計を奪おうとする者を、金で雇った者に撃退させる。その繰り返しで、黙っていても金が次々舞い込んで……時計一つで、街の支配者に彼女はなった。

 誰もが羨むような莫大な富を前に、娘は次第に年老いて……それでも購えないものがあることを知る。

 時間も、若さも。命も、幸せも。金では何も取り戻せない。罪や汚れは、無かったことに出来るけど。溜息を吐く間にも、時間は逃げる。

 あの時救われず、死ぬことが出来ていたなら。自分はこんなに醜くならなかっただろうか?

 復讐を遂げられずとも、何の罪も知らぬまま……綺麗に時を止められた?

 母のように美しいと、街一番の歌姫と謳われた日も、今や遙か昔のこと。老いぼれた女の脳裏に甦る、思い出の人の姿は変わらない。こうして生きてきたことが、惨めなことのように思えて仕方が無かった。


(兄さん……)


 もう何十年も忘れていた。女の頬を、涙が伝った夜……一人の悪魔が現れた。

 やっと迎えが来たか。どうせ地獄行きだ。それを悲しいとは思わない。ほら、もう涙も止まってしまう。

 しかしこの女……死の使いにしては、美しい。嫌味だなと老婆は思う。


「まぁまぁまぁ!素晴らしいですわ!!私、貴女が気に入りました」


 *


 「ソネット……あんたも、他の街の私だっていうの!?」


 叫く小娘を前に、大富豪は呆れて笑う。こんな聞き分けのない愚かな娘が自分だとは、信じたくなくて。


 「他の街?馬鹿なことお言いでないよ」


 悪魔は言っただろう。私はよく留守にしていたと。他の街時計達にもそれぞれ大富豪を任せた歯車ならいるさ。


 「私は、最初の時間泥棒の妹さ。お前のような紛い物とは違う」


 お前の気持ちも、お前の心も、お前の物では無い。オリジナルである私の記憶をなぞっただけのもの。

 今の一言でようやくそこまで理解した小娘は、肩を振るわせ両目に一杯涙を浮かべながらも、此方を指差し震える声で何やら叫く。


 「……あんたの言ってることを百歩譲って本当だと信じてあげてもいい。だけど納得出来ないわ!あんたが“ソネット”なのに、どうしてソネットが時間泥棒を!お兄ちゃん達を死なせるの!?」


 自分は他の街時計の兄の死でさえ、何とかしようと思った。他人事とは思えなかった。それなのにどうしてそんなに薄情なの?どうしてそんな酷いことが出来るのと、怨みにも似た言葉を投げかける。


 「もうすぐ、兄さんが甦る。その時に、私だけがこんな姿じゃ困るだろう?外見だけなら昔の私にそっくりなんだ。馬鹿な娘でも使い道はあるんだよ」


 このまっ白な歌姫は、都合が良い。何にもなれていないから、何の罪も知らないまま。

 兄の背丈も抜いていないし、この金髪もけちのつけようがない。


 「甦……る?それって……私の兄さんはどうしたのよ!?」

 「自分のことより兄の心配かい?……本当に愚かな娘だ」


 見せつけてやる金時計、彼の鼓動を刻むよう……触れれば今は温かい。


 「あんたの兄は、もういない。時間泥棒の魂は全てこの時計が回収した。全ての街時計の時間泥棒を、殺めてね」


 大富豪が時間泥棒を殺す理由。それは至ってシンプルだ。


 「し、信じられない!!あんた、あの時私に言った言葉は嘘だったの!?孫みたいに可愛いって……!兄さんが心配で仕方なかったって言ったじゃないっ!!」

 「クロシェットは……そうさね、可愛かったよ。私の兄さんと同じ顔で、同じ声で……全く違う性格で」


 本質は同じでも、言葉遣いも違う、兄さんと違うことを言う。私のことにも気付かない。何を思って私がそこに居たと思う?幸せを感じられると思ってさ。

 完成間際の魂、その一欠片が生き写し。もしこの子を愛しいと思えたら。私があの頃のような気持ちを取り戻せたら、そう……死なせなくても良いかと思った。


 「だが、同時にね……殺したくて堪らなかった。あれは、私の兄さんじゃなかった」

 「ふざけないで!!」


 小さな娘の口から飛び出す怨みの言葉。それはその他大勢の、自分と同じ名前の娘達の思いを重ねるように……強くつよく鳴り響く。


 「お兄ちゃんを殺されて、悲しかったはずでしょう!?なのにどうして貴女が、街時計すべての“ソネット”に……同じ思いをさせるのよ!!それが別人でも、やり直す機会が、助ける力があったなら……普通そうするものじゃないの!?」


 例え自分が救われなくても、幸せになれなくても……自分の分身、家族の幸せ……その可能性を守ること。もし自分がお前だったなら、そういう道を選んだと生意気な小娘は大富豪へと言い放つ。

 許せない、殺してやりたい。ギラギラと炎のように激しい怒りを宿した瞳。丸腰の歌姫が持っているのは、トランク一つ。何にもならない。

 それでも抵抗はするだろう。大富豪が悪魔へ視線を向けると、悪魔は優しく娘の方へと語り出す。悪魔は約束や制約にうるさい。言質を取って追い詰めれば、人間の心をへし折り動きを封じることなど造作も無いこと。


 「小さなソネット。貴女は言いました。自分は時間泥棒であると」

 「……だったら、何よ」

 「時間泥棒は、人を殺さない。例え貴女がこのソネット様をどんなに憎く思おうと、貴女は何も出来ません。貴女が時間泥棒であるのなら」


 言い返せる言葉がない。悔しさで、少女の頬を幾筋もの涙が伝う。そんなみっともない顔の娘が、震える声で叫んだのは……縋るような歌だった。


 「“黄金の、魔法は……っ、いつわりを……まことにっ!!”」

 「金貸しの歌か。残った魔力ももう尽きただろう、無駄なことを」

 「ああ、確かに。彼女は何も出来ない。だけどね……それには理由があるものさ」

 「!?」


 大富豪は目を見開いた。その声は自分のものでも、歌姫でも悪魔でもない。他に、誰が居ると言うんだ。


(兄さんが、目覚めた!?)


 まだ、仕度が調っていないのに。初めて大富豪の顔に焦りが浮かぶ。

 慌てて確かめた掌には、金時計。まだ兄は目覚めていない。ほっと胸でおなで下ろす間もなく、それならこれはと状況を察するも……兄との再会前に片付けなければならない面倒事が増えたことは事実。


 「日時計で、死んだのも計算かっ!!」


 長く伸びた影は、歌姫を守るようその背に庇い、片手でシルクハットを傾けた。種も仕掛けもございません、ここから鳩など出ませんと……手品を騙る悪ふざけつき。


 「歌姫ソネットの危機は、私の活躍する舞台。時間革命、私にとっては好都合!金貸し女王は腕時計。腕時計こそ金貸しレーヌ!」


 嗚呼、それは確かに手品だろうよ。悔しさと怒りで流れた歌姫の涙の意味を、たった数秒で別の涙へ変化させてしまうのだから。

 大富豪は憎々しげに、招かれざる客を睨んだ。

 私の欠片でありながら、私に背いた大罪人。兄への思いを捨て去って、新たな愛を知った者……彼が眠るこの場に、立たせることさえ許しがたい。


 「死して尚、邪魔をするか金貸し女王!!」

やっと時間泥棒の構想がまとまりました。忙しい毎日ですが、残りの話をまとめていきたいです。この物語を楽しんでくれた方、応援してくれた方々にとって…悪い意味での時間泥棒(時間の無駄)にならないように、伝えたかったことを詰め込んでいきます。 もうしばらく、お付き合いいただけたら嬉しいです。

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