表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/38

30:歯車エンゲージ

 獲物を見つけて、武器を構えた指が震える。指だけじゃない。僕の身体が震えているんだ。

 ああ、思い出す。やっぱりあの夜をどうしても。

 自分が殺された日を連想してしまうのは何故だろう。時間泥棒は自らに問いかけてみた。


(僕は、知っているんだ)


 これがいけないことだと知っている。怨みは確かにあるのに、怖がっている。いつだってそうだ。正しいことをしても良いことなんてなかったのに、悪いことをすればすぐに大きな報いがやって来る。そういう恐怖に取り憑かれているから、怖いのだ。

 だけど今更何を恐れよう?僕はもう死んでいる。失うものなんて、何もない。今、この街を動かしているのは僕らじゃないか。時計の僕が、人間なんかを怖がるなんておかしな話。

 さぁ、もう楽になろう。救いは無くても、癒えることは出来るから。壊れてしまった物は直せない。だから別の何かを壊すんだ。そうすることでしか救われない心があるから。もうどうすることも出来ないけれど、だからどうしようも無いことを僕はする。自分の内に留めていることが出来ない。怒りや憎しみ、醜い心。それをさらけ出して良いのだと、優しい声がする。優しい声で悪魔は言うんだ。


 “どうして駒鳥は殺されたの?”


 みんな、みんな……雀ばかりだ。僕らを殺した奴らばかりだ。知らないよ、そんなこと。どうして被害者が犯人の気持ちを理解できるんだ?そいつらが何を考えていたかなんて、思いやらなきゃならないんだ?そこに理由なんか無い。あったとしても理解できないような代物なんだ。仮に理解できる理由がそこにあっても、それは奴らを許す理由にはならない。

 もっともらしい答えだったら、僕だって二つは用意できる。小難し言い方なら“時代が奴らにそうさせたのさ”で、端的に言うなら“目障りだから”。唯それだけ。

 僕はもう人間じゃ無い。死んで時計になったんだ。時計は忠実に仕事をこなす。与えられた仕事をこなす。時計として僕に与えられた仕事は復讐だ。それ以外にあり得ない。

 僕の手はまだ冷たいままだ。マキナとは違う。やらなくちゃ。僕には出来る!やらなくちゃ。


「トゥール=ルビヨンっ!親父の仇だっ!!思い知れっ!!」


 狙いを定めて弓を射る。吹き出す赤い色が妬ましい。あいつはまだ、生きていたんだ。人を殺して、のうのうと!!嗚呼、こんなものじゃなかっただろう。父さんは、きっともっと痛かった!

 どうしてあの日、僕は母さんに会いに行ってしまったのか。そんな気を起こさなければ、いつものように傍に居たならば。非力な自分に何か出来たとは思えないけど、それでも……今よりはマシな姿でいられたはずだ。こんなにも誰かを憎んで、煉獄へ落ちたりはしなかった!

 怒りの所為か?嗚呼、頭が痛む。やっぱり何かを忘れている。僕は本当に、母さんだけに会いに行ったのか?

 苛立ちのままに矢を番え、倒れた男を何度も射った。やがて冷静さを取り戻すまで、何本の矢を無駄にしただろう?我に返ったときには、もう男はぴくりとも動かない。壊れてしまっていた。


(あ……)


 まだ手が震えている。歓喜か恐怖か解らない。それでも確かに僕が射た。親父の……父さんの仇を討った。それを確信すると急に力が抜けてしまい、時間泥棒はその場にへたり込む。


(一人で……この様か)


 あと何人だって殺さなければならないのに、こんな調子でどうするんだ。まったく自分が情けない。射ったのは自分の方だと言うのに、こちらの胸にもぽっかり暗い穴が空いてしまったみたいに痛む。僕は鏡でも見ていたというのか?


 「クロシェット」

 「!」


 時間泥棒は、誰かに名前を呼ばれて顔を上げた。けれどそれは鳩時計の声ではない。男の声だ。聞き覚えのあるその声に、我が目を疑う。


 「……嘘」


 時計の街が見せる幻だろうか。それとも何かの力が働いて?


 「親父っ!!」


 死なせてしまったはずの人が、今目の前に居る。いつもと変わらぬ笑顔で彼は笑ってくれている。復讐とか悪魔と契約だとか、そんなことをしてしまった僕を責めるでもなく、咎めるでもなく、あの日のままの優しい目。

 鳩時計が人間の身体を取り戻したように、時間泥棒の心にも、熱い物が甦る。生きていた頃、人間だった頃のように熱い涙が頬を伝った。それを拭った手も熱い。上手く言葉を話せなくなる口から零れる息さえも、生きている人間となんら変わらない。

 あのさ、父さん。話したいことがいっぱいあるんだ。聞きたいことも同じくらい沢山あったけど、もうどうでもいいか。ここには誰も居ない。恥ずかしいとか人目を気にすることもない。本当に小さな子供の頃に戻ったように、大げさに抱き締められたところで気にもならない。


 「頑張ったねクロシェット。本当に、君はよく頑張った」


 事情は全て理解している。そうとでも言いたげな父の口調に安堵した。絶望して死んだ。救ってくれたのは理解してくれたのはあの鳩時計だけだった。そんな彼女のことを一瞬、忘れてしまいそうになる程に、時間泥棒は懐かしい存在に安堵する。


 「……父さん」

 「本当に良い子だ。ここまで魂を完成に近づけさせたんだ」

 「え?」


 たった今温度を取り戻したばかりの胸。人間で言う心臓。そこから急速に冷えていく。力が抜けて、身体が段々動かなくなる。痛みはない。それでも……温度を失った涙が肌に不快なほど、冷たい。ぽっかりと空いた穴。自分の胸から何かを引きずり出された。

 その男にとって、魂が抜けたガラクタの時計には何の用もないのだろうか?優しかったはずの目は、僅かの憐憫を向けるのみ。簡単に手など離し、壊れた時計をその場に捨てる。


 「頑張ったね、クロシェット」


 最後にそう告げた言葉に、先程までの温もりはない。その理由を知るよしもない時間泥棒は、唯々壊れ、戸惑うだけだ。

 自分が地獄へ落ちたのは、偏に父のためだ。父のための復讐を考えなければ、自分の幸せだけを追い求めれば……殺されることも死ぬこともなかったのだから。それでも追いかけたはずの父に、こうして再び会えたのに、どうしてこんな扱いを受けるのか。理解できない現実に、悲しみに、時間泥棒は目を開けたまま固まった。僅かに残った力さえ、倒れた床の冷たさに盗られ吸い取られ消えていく。もう、動くことも出来ない。きっと、考えることだって……


 *


 「……」


 懐かしくて落ち着く、けれどやっぱり落ち着かない。鳩時計はその部屋で、時間泥棒の帰りを待っている。

 こうして部屋の中に閉じ込められるのは苦手。鳩時計の家を思い出す。今の私は鎖になんか繋がれていないけど、彼に言われたとおりちゃんとここで待っている。


(やっぱり、心配)


 彼の傍にいたい。彼があの歌姫のことを思い出すようなこと、あってはならないのだ。だって私は故意に、彼女に関する記憶を彼に見せなかった。彼の記憶の中には、あの歌姫への想いがある。それを彼が思い出したなら、私は要らなくなってしまうもの。


(私は人を愛するために作られた。その相手を自分で選ぶために心を持って)


 ようやく見つけたその人を、生きている女なんかには渡さない。

 追いかけようか、追いかけまいか。うなり悩みながら、時間は過ぎる。やがて部屋の前までやってくる、誰かの足音。


 「クロシェット?」


 寝台から飛び上がり、鳩時計は喜ぶが……扉を開けたのは時間泥棒ではなく、時計。文字盤顔の女。彼女の服は修道女の物。

 教会の人間が、どうしてこの屋敷に?そんな疑問ももう一人の訪問者によって吹き飛ばされた。


 「お、……父様」


 かつて自分を煉獄に落としたあの男!どの面下げて現れた!鳩時計は男を睨む。しかし相手は此方をそうとは認識していない。


 「ああ、君は……また会えるとは思わなかった」


 言葉の節々から、鳩時計は違和感を覚える。男は笑顔で近付いてくる。それなのに身体が震えてくるのは何故か。


 「貴方、お父様じゃ……ないわ!!誰なの、貴方っ!!」


 翼を広げ、鳩時計は威嚇する。よく分からないが、この男は危険だ。危険な目をしている。

 人を物として、女を道具として見るような目ではないが、もっと不気味な男の目。彼は私を見ていない。存在しない物を見るかのように、まるで何も見えていないような目で私を見ている。


 「君の時計の音、聞き覚えがあるよ。そう……あの雨の日に」

 「雨の……日?」


 永遠に終わらないはずの夕暮れ。その夕焼けを覆い隠すよう、突然広がる雨雲は何?


(クロシェットに、何かあったの!?)


 やっぱり彼の傍を離れるのではなかった。すぐに追いかけたいけれど、扉は時計と男によって封じられている。窓から逃げるしかないのに、もうザーザーと大粒の雨が降り始めた。

 雨の中、翼は使えない。人間に近付いたと言っても、私は機械。水に触れることは極力避けたい。


 「君の時計は温かかった。素晴らしかったよ」

 「何を、言っているの!?」

 「だけど今は……もっと良い歌が聞こえる」

 「くっ……!」


 背を向けるのも危ない。だけど今すぐ窓から飛び降りなければもっと危ない。それ以外の選択肢、……ある、たったひとつだけ。

 鳩時計は自力で頭の螺子を巻き、二人を過去の記憶の中へと誘った。これで時間稼ぎ、足止めにはなる。


(今のうちに……っ!)


 男の横をすり抜けて、部屋の外へと急ぐ。そんな鳩時計の手を掴む者。


 「きゃっ!」


 ひやりとしたてに触れられて、思わず悲鳴を上げるも……手を掴んだのは男ではなく、文字盤顔の修道女。


 「え?」


 振り向けばすぐに手を放し、今度は鳩時計が首から提げた物へと触れる。


 「返……して」

 「えっと」

 「大事な……物、なの」


 二人でその星時計に触れたからだろう。修道女の記憶の景色が、鳩時計の前にも現れる。


 *


 この屋敷と全く同じ景色。文字盤の時計達に連れて行かれる少女が見えた。


 「助けて、お父様ぁああ!!」


 少女の顔は既に文字盤だった。けれど遠い街時計に送られて、彼女は再び目を開ける。


 「何を魘されてたの、ステラ」


 熱はすっかり下がったようね。そう言って笑う母。


 「勝手に外に出たら駄目よ?雨に濡れて風邪を引いてしまうだなんて」

 「で、でも……」

 「父様と喧嘩したのは解るわ。でもあの人の気持ちも解ってあげて。貴女の手では時計工になるのは無理よ。こんなに白くて綺麗な手……あんな仕事は似合わないわ」


 いつものように優しい母。見慣れた室内。だけどどうにも引っかかる。


(私、夢でも見ていたの?それとも今が、夢なのかしら?)


 同じようで違う、違和感がある屋敷、街の姿。住まう人々。そうだ、私の記憶の中よりも、みんな少し若々しい。


(これはいったいどういうことなの?)


 悩んだところで、誰も明確な答えなど寄越さない。今ある生活に適応するよりなかった。


 「ねぇ父様、クロシェットが最近遊びに来ないの」

 「ステラ、お前も年頃の娘だ。幼なじみとはいえ何時までも男友達と付き合うものでは

 ない」

 「それは……そうかもしれないけど」


 昔のように、記憶のように。窓を覗いていたならば、そこから彼が現れないだろうか。少女は毎日窓を眺めていた。そうする内、どうしてそうしているのかも忘れてしまった。だけどのその向こうの世界に、何か答えがあるような気がして、そこから何かを見つけようと必死になった。

 そうする内、透明な硝子に映る自分の姿が見えてきた。そうして少女は思うのだ。


(窓の外の世界は、どうしてあんなに)



 *


 目的の物を手に、鐘時計は上機嫌に立ち去った。それを見届け指輪時計は男の手を離れ、自らの姿を現す。赤いドレスの女の姿に。


(ああ、何てことだ)


 指輪時計は苦悩する。時計の身に痛みなどない。撃たれたのは私であって私ではない。支配下に置いた男の方だ。けれどそんなものがあるとするなら、それは……きっと私の胸だろう。


(可哀想な、クロシェット)


 捨てられてしまった、抜け殻の彼。街時計の数だけ、指輪時計があり、時間泥棒がいる。こうして捨てられた時間泥棒は、指輪時計の持ち主が……歌姫ソヌリが抱いた悲しみ。


(“貴方の愛が、わからない。貴方は私を愛していない”)


 目的のために作られた存在。願いのために踏み捨てられる。たった一度の悲しみが、こうして無限に繰り返される。そんな物を作って貴方は何が楽しいの?貴方はそんなに何が欲しかったの?こんなに大勢苦しめて!

 指輪時計は自分と時計工を責める。自分はあの男の一部でもある。その一部である自分ですら理解できないあの男。きっと誰にも理解は出来ない。唯一理解しようとしてくれた、時間泥棒さえ捨てるのだから!!


(……あ)


 違う。そうじゃない。私はそんなことはしない。あの男もそんなことはしない。断言できる。だって私はこの子を愛している。それにあれが本当にあの男なら、私を作った男なら……私の仕組みを理解している。気付かず見過ごし立ち去るなんてあり得ない。鐘時計……あの男の正体は!

 全てを理解した指輪時計は、心を決める。そうして壊された時間泥棒を膝に招いて頭を撫でる。


 「……起きなさい、クロシェット。もう朝よ?」


 ここは煉獄、永遠の夕暮れ。それでも指輪時計は呼びかける。


 「お寝坊さんね、あの子と同じ。ソネットとそっくり」


 歌姫ソヌリになりきって。彼女になって、我が子を呼んだ。


 「ごめんね、クロシェット。私……貴方には、何もしてあげられなかった。お母さんなのに」


 誰よりずっと、歌姫ソヌリの傍にいたから、彼女の未練もよく分かる。本当はこうして、母親らしいことをしてあげたかった。捨てたと思われても仕方がない。怨まれていてもしょうがない。どうして二人とも連れて逃げなかったの?どうしてあの男にソネットを預けてはならなかったの?時間泥棒を作る歯車として、結局彼女も動いてしまった。自分の手には負えない運命。そこから逃げても結果は何も変わらない。それを悔いたから、彼女は自ら死んだのだ。


 「本当はね、私が貴方のために……みんなみんな、殺してあげるつもりだったの。そうすれば貴方もソネットも、手を汚さずに済む。……だけど」


 それは愛しい我が子達のため。死なせてしまっては意味がないのだ。

 もう時間泥棒は、クロシェットは死んでいるのだとしても……その時を止めてはならない。殺され続けたクロシェットには、全てを知る権利がきっとある。

 時計として自分が持つ時間、それからあの男から奪った時間。それを時間泥棒に引き渡せば、この子を目覚めさせることが出来る。命を流し込むように、私は最後のキスをする。


 「……だけど、可哀想なクロシェット」


 結局この子は母の愛を知ることは出来ない。触れることが出来ない。歌姫から託された願いを、言葉を……私は伝えることが出来なかった。もう、間に合わない。

 この子が目覚めるころに、私の姿はもう無いだろう。ソヌリの顔を、姿を……見せてあげることもできない。


(可哀想な、ソヌリ)


 いいえ、本当に可哀想なのはそんな風に思った私なのかもしれないわ。指輪時計は美しい顔で、最後に笑った。その直後、時間を失った顔が文字盤へと戻り……とうとう人の姿も保てずに、小さな指輪の姿へ変わる。カチコチと、刻んだ針も重くなり……目を閉じるように消えていく。

 だけど一番可哀想なのは誰だろう?考えるまでも無い。


(ごめんね、ソネット)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ