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29:ウェヌスの微笑の下で

 握りしめた腕時計。彼女は何も答えてくれない。最初から、生きてなどいなかったような静けさで。


(よく考えろ、よく考えるのよソネット!!)


 歌姫は自らにそう、強く強く言い聞かせる。そうすることで見えてくる物があるのだと信じて。

 金貸し女王は言った。確かあの男は、日時計の塔から出られないと言った。それなのに今見たあの男は……自由に外に現れた。


(あの男は……人間じゃなかった)


 血が流れなかった。心臓がなかった。それなら外って何?日時計は何?あの男は何だったの?そして……私が今彷徨っている、ここは何処?

 疑問の渦に飲まれ、歌姫は煮詰まり怒りが湧いてくる。現状がよくわからず……それが誰の所為か考えることも馬鹿馬鹿しいほどで、行き場のない怒りに振り回される。


(誰も教えてくれなかったんじゃない。私が……聞く耳を持たなかった)


 知ろうとすれば知ることは出来ていた。それなのに衝動的な怒りに振り回され、あの男の言葉も、金貸しの言葉も最後まで聞いてはいなかった。そんな己に今は唯、後悔するばかり。

 誰もいなくなった街。捨てられた街。そこで明かす夜の長いこと……

 歌姫ははじめて孤独を理解する。これまで何度もそう思ったことはあれど、本当の意味で自分はそうではなかった。


(母さんがいてくれた。時間泥棒……お兄ちゃんがいてくれた。その後だってレーヌが気にかけてくれたし、指輪時計も一緒だった)


 私は恵まれていた。父や兄の知る孤独を、私は正しく理解していなかった。私は幸せだった。私を憎しみの目で見つめた鳩時計は、私のこの無知と傲慢さを憎んでのことだろう。


(単純な話、人間は宙に浮かない)


 王が外に出られるのなら、あの王は生前の王?けれどあの男は空を浮いた。そんな人間がいるはずがない。あの男は人間じゃない。先ほど見たあの男も然り。ならば、あの男が外に出たのはおかしい。


(あの男達は……お父さん達は、こういう街をいくつも見てきた。いくつも作って……)


 これは何?これは夢?だけど私は時計を持っている。この町で手に入れた腕時計。


「いいえ、嘘ではありません」

「だ、誰!?」


 振り向いた先には暗い影。それは次第に女の姿へと変わる。頭に小さな二本の角、彼女の背中には肉や皮が腐れ落ちた……骨だけの白い翼。水晶玉のように澄んだ両目も、それが人の物とは思えない……まだ幼さのの残る美しい女。そんな物を見せられたのだ。いよいよこれが夢ではないか、少女は確信を得る。


「確かにここは夢。それでもそれもまた世界。かつてどこかであったことを私が貴女に見せてあげたに過ぎません」


 流ちょうな言葉で喋るその女。警戒を見せる歌姫に、穏やかな笑みを捧げて跪く。何とも彼女らしいやり口だ。


「はじめまして、歌姫ソネット。私は貴女をお迎えに上がりました」


 貴女にはその資格がありますわ。ここから帰りたいのでしょう?

 悪魔は囁く。私は全てを知っている。知りたいのならこの手を取れと言わんばかりに。


 *


 一人の女がいた。醜く老いた女がいた。けれど悪魔はそんな女の前に現れ黄色い悲鳴のような、不思議な歓声を上げたのだ。


「まぁまぁまぁ!素晴らしいですわ!!」


 悪魔は女を見ていた。それは二つの意味で。一つは彼女の魂の色。そしてもう一つは、その見るも無惨な時の面影に。

 何が起ったのか分からない。これは夢か。とうとうお迎えが来たか。どうせ天国へ行けないのは分かっている。それなのに迎えに来た相手が、こんな調子では老婆もどんなにか困ったことだろう。止してくれよ、そう口にする女に従わず、興奮した悪魔はうっとりその場でため息を吐く。


「私、貴女が気に入りました。貴女はとても私に似ています」


 生涯たった一人を思い続けるだなんて。人間の短い人生、それは永遠などとは呼べない代物。それでも彼らにとってはそれこそが全てであるから、それは限りなく永遠に近いとも言える。

 人間になんて永遠は生み出せない。どんな悪魔もそう言うだろう。彼女もそういう悪魔だった。ましてや永遠を司る身内がいるのだ。そんな身内がいるにも関わらず、永遠を司れない彼女は誰よりも、永遠という物に興味を持っている。そうそれこそ、私達同僚の中で最も彼女が。

 彼女の名こそ、アムニシア。夢と現を司る、裏と表、嘘と誠の悪魔。実権のため滅ぼした世界は数知れず。悲鳴だらけの自動琴。くるくる回る、繰り返し。


 *


 どくん、どくん、心臓が鳴る。私の時計が刻み始める。かみ合っていく歯車の音。回り始める運命の音。それに加えて今はキリキリと胸を締め付けるような痛みさえ……


(クロシェット……)


 時計ギルドが近づいてくる。トゥール=ルビヨンの屋敷ももうすぐだ。復讐の時が近づくにつれ、クロシェットの表情が硬くなる。緊張している?興奮している?恐れてもいる。だけど彼がその時を、待ちわびているのは確かである。

 何時しか距離が空いている。優しいはずの彼がそれに気付いて、振り返ることも立ち止まることもなくなって……不意に私は不安になる。焦燥感が彼の足を早めているのだ。私の足では追いつけない。

 鳩時計は翼を広げ、離されないよう必死になった。


(どうして……?どうして……)


 何故だろう。こんな事が、以前もあったように思うのは。


「……っ、クロシェット!」

「マキナ?」

「違う、違うの……私、本当は」


 本当は、何?何を言おうとしたの?思い出せない、分からない。だけど……雨が降っていた。幻聴が聞こえる。心の内から指先まで冷たくなるような……雨の温度を私は知っている。

 不安なんだ。煉獄に堕ちてきた時の彼のように。不安で不安で仕方ない。彼の上着をぎゅっと掴んだ私の手を取り、少しだけ驚いたようなクロシェット。


「マキナ……?」

「ごめんなさい、ごめんね。私……どうして」


 違う。違うの、そんな風に呼ばないで。私は、そんな名前じゃ無い。


「行かないで……どこにも行かないで!私を置いて、行かないで!!私っ、私……嫌なの!貴方を誰にも、あげたくない!!」


 思わず彼に抱き付いた。そうされた彼は酷く驚いたような顔。照れているわけではないらしい。


「……」


 触れ合う指が、いつも以上に温かい。止まってしまった彼は変わらないのだから、これは私の温度が返ったものだ。私は壊れてしまったの?熱暴走?いや、大丈夫。変なところは何にも無いわ。

 人間みたいだ……彼が小さく呟いた。冷たいはずの私の身体が、人によく似た温度を宿しているのに気がついて。

 その熱はどこから来る?私はそれを考えて、自分の身体に手を当てる。どくんどくん、刻まれる音。それは私の時計から。心臓時計が、炎のように燃えている。あの夕焼けにも負けないくらい、激しい炎が燃えだした。


「じ、時間革命が成功した……のか?」

「え?嘘っ……」


 球体関節の継ぎ目が見えない。私の身体が人間と何ら変わらない姿になっている!

 でもどうして?私はまだ、誰も時計にしていないのに。ああ、でもいいや。どうでもいいわそんなこと!


「やった、やったあああ!!やったわクロシェット!次は貴方よ!貴方も!」

「ああ!勿論っ!!」


 釣られるように貴方ははしゃぐ。だけどすぐに我に返って、私の顔をまじまじと見る。そして何かを考え込むように……暮れかかった空を仰ぐ。夕暮れの今にも、一番星は見えている。彼はそれを見つめて、微かに唇を震わせる。そして考えを振り払うよう、小さく首を横に振るのだ。


「マキナ、ちょっといいか?」

「え?」

「侵入経路、正面じゃなくて……こっちに道がある」


 何を思いだしたのだろう。屋敷の裏手に回って彼は木を登る。そこから見える、可愛らしい……閉じ込められた人形のためのような部屋。


「クロシェット、どうしたの?」


 窓から侵入した上階の部屋で、何やら彼は家捜しをする。そして彼は、何も見つからないことにほっとするよう息を吐く。


「気のせいだ。行こうマキナ……」


 廊下への扉に手を掛けて、その先で彼は固まった。何事だろうを覗き込めば、通路に何やらペンダントが落ちている。


「わぁ、綺麗!」


 その不思議な装飾に目を輝かせる私。振り返る彼は複雑そうな顔で、ぎこちなく笑う。彼と出会ったばかりの頃の私のように。


「欲しいなら、あげるよ」

「ありがとう!嬉しい!大事にするから、私!」

「……うん」

「……どうしたの、立ち止まったりして。早く行こうよクロシェット」


「マキナ……君は本当に、俺の復讐に協力してくれるのか?」


 今更何でそんなことを彼は私に聞くのだろう?私は勿論同行するつもりだったのに。足手纏いにはならないわ。そう伝えても彼は嫌がる。

 これから人を殺しに行く。嫌ならここで待っていてくれ。先程の部屋に私を置いていこうとする彼は、本当に様子がおかしい。


「大丈夫よ、私少し人間みたいになったからってそんなに簡単に死なないわ!そんなに心配しなくても……」

「……人を殺すところを、君に見られたくない。そう思ったんだ」

「どうして?私そんなことで貴方を嫌ったりしない」

「……ごめん、マキナ。でも……」


 苦しそうに俯く彼。傍に居たいけど、彼がそんなに言うなら無理強いは出来ない。嫌われたくなんか、ないもの。解ったわと私は頷き小指を差し出した。


「待ってるわ。必ず、迎えに来てね」

「……うん、ごめん」


 辛そうに、クロシェットが笑う。今にも泣き出しそうな顔の彼。最後に見たのがそんな顔。バタンと閉じた扉の中で、私は……妙な既視感を感じている。何かが引っかかる。もう少しで思い出せそうなのに。

 女の子らしい可愛らしい部屋。こんな内装、嫌いじゃない。鳩時計の家に比べれば、ずっとずっと素敵。他人様の寝台を我が物顔で寝転んで見て、妙に懐かしいその快適さに、私はうっとり目を閉じる。不安を振り払うように、彼が戻ってくるまでちょっと一休みでもしておこう。余計なことは考えないで、楽しい夢だけ……望みながら。


 *


 踏み込んだこの屋敷……どうして僕は知っている?どこへ向かえば良いか、それが思い出せるのだ。時間泥棒は微かな記憶に悩まされる。


(僕は、ここに来たことがある)


 それをはっきりと思い出したのは、あのマキナを見てから。行かないで。そう言葉にされて振り向いた。そんな言葉を僕は知らない。だけどあの目を知っている。


(そんな馬鹿な話が……)


 ここに暮らしているはずの女の子は、一度だってそんなことを僕に言わなかったのに。

 忘れていることがあるような気がする。それはこのことだったのだろうか?


 「……ステラ」


 それは……昔一緒に遊んだ女の子の名前。豊かではない暮らしの中、彼女を思い出すような余裕はなく、何時しか忘れてしまっていた。

 彼女との約束は、現実の物だった。だからあの……星時計がこの屋敷にあったのだ。彼女の身に何かあったのか?あれは捨てられたというより、肌身離さず持っていた物を……何かに襲われ落としてしまったように思える。

 幼なじみからの贈り物を、今までずっと持っていてくれたその少女。彼女の父親を、自分はこれから殺しに行くのだ。

 正当な理由は在る。これは復讐だ。だというのに……思い出すのは、大富豪の家に忍び込んだ夜のこと。金貨を盗みに行った日を思い出すのはどうしてか。自分に言い訳するように、感じてしまうのは何故か。


(……マキナ)


 彼女には見られたくない。土壇場でそう思った。彼女の姿に……あの子を重ねてしまったからだ。星時計を受け取る彼女の、輝いた目まで……あの日のステラにそっくりで。復讐のためにここまで来たのに……この苦しく苦い気持ちがなくならない。

 手にした武器が、冷たく重い。あの鳩時計は人間のようになったと言うのに、自分は未だに冷たいまま。氷と氷が触れ合っても、何にもならない。心の底までぞっとするほど冷えていく。

 それでも、復讐は諦められない。逃れられない。それを果たすまで、自分が救われることは決してないのだ。窓から覗く燃える夕焼け。あれこそが自分の怒り。思い出すんだ、痛みを、苦しみを!今更迷うことなど、何もない。煉獄に堕ちた亡者の苦しみを、奴らに味わわせてやる!そう決めたはずだろう?そうだ、あの時とは違う!僕はもう死んでいるのだ。殺されたのだ。失う物なんて、何もない。心のままに、衝動のままに殺意を剥き出しにしてしまえ。

 悪魔は問うた。コマドリを知っているかとこの僕に。どうして彼は殺されたのかと。

 だけどそんなこと、コマドリに解るはずがない。例え彼が永遠を手に入れたのだとしても、それは無理だ。殺された者が、自分を殺した相手を理解する必要がどこにある?


(マキナはきっと、僕を許してくれる)


 例えステラが僕を許さなくても、彼女とよく似た瞳でマキナは笑ってくれる。やったわクロシェット!……そう言って、彼女はきっと笑うだろう。これから僕が、僕を嫌うようなことをするのだとしても、彼女はずっと僕を嫌わず傍に居てくれる。それは救いだ。それが許しだ。それで良いじゃないか。二人きりの狭い世界で構わない。僕のような取るに足らない人間を、理解してくれるのはあの子だけだ。


 何の見返りも求めなかった時間泥棒。それでも僕は死の瞬間に後悔した。正しいことをすれば、いつか報われる。幸せになれると心の何処かで僕は信じていたんだ。自分を犠牲にしてでも誰かを助けられたなら、僕は救われると信じたかった。だけどそんなことはない。

 時間だけじゃない。この世の全ての幸福は、悪人共に牛耳られている。

 僕はそれを盗めなかった。僕が助けてきた人々が、手にしている普通の幸せも……僕には欠片も残っていない。嗚呼、幸せになりたい。あの頃に戻りたい。せめて、父さんが居てくれたあの頃ならば、僕は……幸せだったと言える。どうしてそれを僕らから奪ったんだ。僕が持っていない物を沢山持っているくせに、まだ幸せになりたいのかお前達は!悔しい、悔しい、許せない!

 そんな僕の声が聞こえているのか?彼女は全てを見透かすように、僕を見る。僕をよく知っている。僕以上に僕を知っているような目で。彼女のあの態度……それは生前僕が手にすることが出来なかった物全てを補うように、僕に望む言葉を与えてくれる。あんなに人間らしい彼女が、そういうところは機械のようで、少し悲しい。彼女の本当の言葉を、本当の姿を僕は少しも理解していないのではないか?

 それでも彼女の好意に嘘はない。「幸せになりたかった」という僕に、彼女は「幸せになろう」と必死なまでに一生懸命。それならば、僕が彼女の機械になれば良い。

 彼女が僕を許すよう、僕も彼女を許そう。どんなことがあっても、だ。二人きりの煉獄で、僕らはそうやって……


 *


 時間泥棒は、雀の矢に射られた。それならば彼の弔いにと、同じ事を考えた。今からでも撃ってあげようか?いや、わざわざ壊す時間が惜しい。直す手間がかかるから。


「……無駄になっちゃったわ」


 動かなくなった男。その顔は文字盤。見下ろす女の顔は艶やかに美しい。それは指輪時計がかつて愛したままの女性の姿。指輪時計が手にしているのは、小さな黒筒。教会が所持する銃。


(それがまぁ、こんなに簡単に行くなんて……。トゥール……馬鹿な男)


 ギルド街へ来る途中……指輪時計は教会へと立ち寄った。女の手で復讐を遂げるのは難しい。何かしら武器は必要だろうと考えたのでだ。

 裁判で出会った女司祭。あの教会の巫女は、普通の人間ではない。普通の人間ではない金貸し女王……彼女と大富豪とあの巫女が街の三大権力者。その一角が魔法を使えるのであれば、残りの二者もそうであると仮定すべきだ。そうでなければ街の均衡が崩れる。大富豪が教会と金貸しに手を出さなかった理由は何?それは彼女達に、大富豪さえ恐るる何かがあるということ。

 仮にそれが魔法などではないとしてもだ。教会には、大富豪と渡り合うための切り札が隠されている。この街が勢力関係でこれまでバランスが取れてきたと言うことはつまり……教会に、何らかの道具があるのでは?あの騒動で潜り込みやすい混乱した教会ならば、大富豪の所へ潜り込むより容易いことだ。


(それにしたって……幾らなんでも教会の警備が薄すぎた。向こうでも時計が目覚めたのかしら?)


 それは指輪時計にとっても好都合だった。こうしてまんまと得物を手にすることが出来たのだから。


「あれも貴方のおかげだったのね、お礼を言っておくべきかしら?」


 扉の外からやって来た男は、懐かしい時計工の姿をしていたが、指輪時計の前に現れるやその姿を変える。金髪をした青年の姿に。教会から出た時計と言うことは、この男は鐘時計に違いない。


「礼には及ばないよ。貴女がこの男を始末しなかったら、俺がこの子でしていただけさ」


 青年の隣には、文字盤顔の女司祭。この時計によって時計にされてしまったのだろう。


「面白いわね、貴方。相手によって姿を変えるの?」

「時計とは、概してそういう物さ。人間は自分の都合の良いように物事を解釈するからね」


 奴の中身が何かだとか誰かだとかは知らないが、奴は年代物の時計。恐るべき力を秘めている。うかつに関わらない方が良い。指輪時計はそれを察して、極力否定の言葉を吐かないように努める。


「否定はしないわ」

「この街での目的も果たしたし、後はどうしようかなぁ。他の街に出かけたいところだけど……まだ、獲物の匂いがする」


 二つの目から、壊れた精神の色を覗かせるその男。鐘時計……その様子はさながら血に飢えた獣のよう。


(不味い……)


 指輪時計には企みがあった。そのためにこの有能な時計工を籠絡したのだ。しかしこの時計はその障害になり得る。かといってこんな壊れた時計を相手にするのは無謀。

 壊される前にこの場を退散しよう。この時計もトゥールに怨みを持っている様子なのだ。矛先が何時こちらに向くかもわからないから、これ以上の長居は無用。


「さぁ、起きなさいトゥール。出かける身支度を調えなさい」


 指輪時計の命令により、時計となった男が起き上がる。


(大富豪の所に行くには、この男が必要。まだ壊させるわけにはいかない)


 起き上がった男の指に指を絡めて指輪時計は姿を変える。男の左手、薬指には指輪時計。そしてその肉体を操るのも指輪時計。時計となった時計工は自分の意思では何一つ出来ないし、言葉を発することすら出来ない。しかし文字盤となった顔さえ、指輪時計の命令により人間だった頃の顔へと変わる。……いや、正確には違う。指輪を付けることで、反転させる。指輪時計は男を自らの指に嵌め、自らが捕らえた男の姿に入れ替わったのだ。これならば大富豪の所に潜り込むのも容易いだろう。


「そうだ、指輪時計。見送りついでに一つ忠告してあげようか?」

「……何を」


 部屋を去る間際、後ろから鐘時計の声。


「俺たち時計はどうしてこうして蘇った?理由は分かってるよね?」

「それは」

「そうだね。その通りだ」

「それがどうした……」

「つまり、よそ見は禁物だ」


 警戒していた。だからこそ振り返った。凝視していた。こちらに笑いかける鐘時計を。

 この男は何を言っているのだ。指輪時計はわからない。分かったのは背後から、誰かに胸を射られてからだ。

 指輪時計は時計だ。時計に支配された人間は機械。もろく見える肉体も、そんなに弱い物ではない。時計である自分には、痛くもかゆくもないはずのそれ。それを引き抜くことも出来ないし、胸から流れる血が止まらないのも妙だ。

 俺を射ったのは誰だ。銃を握って通路を睨んだ。


(あ……!)


 時計は機械だ。命令には服従する。押しつけられたルールに従う。機械は主の命令なしに壊れてはいけない。壊れたなら直されて、要らなくなるまで使われる。でも、主が要らないと言ったなら?

 指輪時計の主は誰か。心がどうかではなく、時計がこうして動けるようになったのは誰のおかげか。この街を今、支配しているのは……


(時間泥棒……クロシェット)


 時計工(ちちおや)の気持ち?それとも歌姫(ははおや)の心?どちらも受け継いだ指輪時計は、その少年を見た。自分を憎々しげに見ている少年を見た。

 時計塔では結局会えなかったその相手。懐かしさに涙がこみ上げる。それでも彼にはそう映らない。


「ク……」

「トゥール=ルビヨンっ!親父の仇だっ!!思い知れっ!!」

ステラ→星→一番星→宵の明星→金星→から今回のタイトル。

多くの女司祭が殺されることで、鳩時計に魂が集まっていく。記憶を取り戻しつつある鳩時計。そんな彼女を見て、ステラを思い出すクロシェット。


アムニシアと出会うソネット。

指輪時計だと気付かず、復讐をしてしまうクロシェット。業深い主人公ですねー…

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