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1:少女と時間泥棒

挿絵(By みてみん)

 耳を澄ませば、彼の足音が、張り上げる大声が。今も聞こえてくるような気がする。

 彼の名前は時間泥棒。きっと他にも名前はあるんだろうけれど、私はそれを知らない。

 ううん、知らないんじゃない。今は知っている。それでもあの頃の私はそれを知らなかった。だからここでは彼を時間泥棒と呼ぼうと思う。その方が私にとってもなじみ深いものだから。


 彼の名前は時間泥棒。その名の通り、犯罪者。でも彼が盗んだのは時間。目に見えないものよ。そんなのを盗んだからって捕まえて殺そうだなんて酷い言いがかり。

 まぁ、言い方を変えれば確かに彼は盗んだのよ。時間というか、それは時計ね。街の権力者が特注で作らせたっていう金時計。 彼はそれを盗んだの。

 更に突き詰めて言うなら、その時計を持っていたのは時間泥棒自身だったらしいから、盗んだのは権力者の方だったのかもね。少なくとも、街ではそんな風に噂されてた。

 それじゃあそんな金時計を持っている時間泥棒ってどんな人なのか。みんな興味はあったみたい。でも、誰もそれを知らない。


 何故かって?彼はとっても足が速いのよ。声が聞こえたと持って振り向いてももういない。風のように街を駆け抜ける。でもその声から、まだ子供だっていうのはわかる。たぶん男の子。凄く声が大きくて、彼が来ると私はすぐに飛び起きる。

 人間目覚まし時計?本当、彼が現れるようになってから私は助けられているわ。仕事に遅れたら罰金とられてただ働きさせられてしまう。

 寝坊癖のある私にとって、時間泥棒という人は……救世主みたいなものだった、と言ったらちょっと言い過ぎ?でも、実際私は彼に感謝している。


 彼はいつも街を駆けている。人が寝ている時間は流石に彼も働かないけれど。

 六十分毎に現れて、人々に正確な時間を知らせる。

 時計を持つことが出来るのは富民層だけ。貧民層や一般市民がそれを手にすることは出来ないから、私達人間は権力者達に自身の時を奪われ、騙されながら生きていた。

 労働法に定められた時間より、早くから遅くまで。それを規定された時間とし……僅かな賃金しか与えない。私達は搾取されながら生きていた。彼がそれを変えてくれたのだ。

 それは朝一番に古い時計塔の鐘を鳴らすところから始まる。職人ギルドの人々が、機械時計を生み出してから、もう誰も鳴らすことが無くなったそれ。

 それを彼は一日三度鳴らす。目覚めと、仕事の開始、それから夕暮れ……仕事の終わる時間に。それ以外は通りがかった場所でその時その時の時を口にしている。

 最初はみんな、それを感謝していた。だけど人間、それになれるとそれを忘れてしまうもので、その大声が迷惑だとか言う者もいて、権力者から彼に賞金が賭けられるとみんな挙って彼を捕らえようとした。確かに生きるためには食事が必要。それを購うための資金が必要。だからって恩を仇で返すのは、とても恥知らずなことだと思う。

 勿論私も、彼に会ってみたいと思う。だけどそれは彼を捕まえるためじゃない。私はいつか言いたかったのだ。彼に一言、ありがとうと。


 *


 少女は夢を見ていた。それは二重の意味で。

 ぼんやりとした頭を叩き起こすその声は、朝の空気の中に明るく響く。

 彼の時報は歌として、その声を街へと響かせる。声自体は悪くないのに、その歌があまりにも調子外れで下手くそだから、少女はくすりと笑うのだ。


「七時!七時!七時半!」

「しまったぁああああああああああああああああああああああ!!」


 その声にガバっと起き、少女はカーテンと窓を開け放つが、そこには姿もなければ影もない。遠離った歌声が、更に遠離っていくだけだ。

 同時にあちこちから少女のそれと同じ言葉や「そっちへ行ったぞ」「捕まえろ」など物騒な人々の声も上がる。中には半ば諦めたような声もある。

 それはそうだろう。大体三十分待ってれば同じ場所に戻ってくるのが時間泥棒。張り込みしていればいつか捕まえられるはず。そう思うのが普通。それでも彼は捕まらない。だからそんな化け物をどうやって捕らえればいいのかと人々は悔しげに歯噛みする。


「本当に、しまった……」


 これもまた、二重に意味で。


「急いで支度しないと」


 仕事は八時から。朝食を口にしている暇はない。だが、食べなければ倒れてしまう。


「五分で食べれば問題ないわね」


 少女は代わりに身だしなみをと整える時間を五分削った。髪の毛が癖を付けてはねていれるけれど気にしない。別に髪がどうだって、仕事は出来るから。

 心の中で拍子を刻む。時間は歌だ。頭の中で歌を歌う。その歌を歌い終えるまでの時間を少女は知っている。だから時間泥棒が目安となる時間を教えてくれれば、少女はそこからの大体の時間を知ることが出来るのだった。


(でも、本当にしまった)


 今日こそは見てやろうと思ったのに。時間泥棒のその顔を。

 少女は夢を見ている。時間泥棒という存在に、ある種の憧れを抱いていた。彼はどんな姿なのだろう。感謝がいつの間にか憧憬へと変わっていた。

 誰も追いつけないような素早さを持つことから、人間じゃないのかもしれないとか言われている彼。それでもあの調子外れの歌。それが変な人間らしさを醸しだしていて、それが彼の愛嬌のように少女には思えた。


「それじゃあ母さん、行ってきます。帰りは遅くなるけどしっかり留守番しててね!」

「気をつけてねソネット。最近街も物騒だって聞くわ」

「はいはい。母さんは心配性!私の心配するくらいなら物価と自分の病気の心配してて!ご飯、適当に作ったけどちゃんと食べてね!それじゃっ!」


 病気の母を家へと残し、少女は階段を駆け下り家を出る。向かう先は工場だ。

 父はいない。母は倒れた。生きていくためには子供でも働かなければならない。唯でさえ物価が高騰しているのだ。


「ソネット!!また遅刻だ!お前はいつもいつも一番遅い。他の女工を見習え。奴らは時間より早くに余裕を持って行動している」

「そんなことありません!また七時五十分ですよ!」


 起きたのが七時半。着替えに五分。食事に五分。そこから走って十分。

 職場まで大急ぎで走ってきた。家を出るときから口ずさみ始めた歌が終わったのは工場の入り口に入った時。工場までは走って十分。歌は十分で終わる歌。つまり起床から二十分しか経っていない。ぼったくられないように余裕を持ってやってきた。というのに少女はさっそく工場主に叱られている。


「だがなソネット!これを見ろ!ここの時計はもう八時を過ぎている。お前が遅れてきたという確かな証拠じゃあないか!」

「そんなの証拠になりません!誰かが(ていうか貴方が)ずらしたんじゃないんですか!?」


 時計を持つ者は、そういやって他人の時間を搾取する。

 時は金なりとギルドの職人達は言う。それが本当ならば、少女は時間だけではなくその時間で他のことに費やし得られたかもしれない財までこの工場主に奪われていることになる。

 時間泥棒なんて可愛いものではない。これは、人生強盗だ。

 人にとっての時間とは寿命に等しい。その寿命をすり減らし、拘束されることで金を得る。拘束されて時間を減らし、それでそれに等しい対価を得られないとなればこれは大きな問題だ。


「遅刻魔が口答えをするか!そんなに給料を減らされたいのかソネット!それとも解雇されたいか?お前みたいな小娘を雇ってやる心優しい職場が他にあるとは思えんが」

「………う」


 こう言われれば、労働者は逆らえない。だけどそれはあまりに横暴だ。けれどここで何か言い返そうものなら首になる。


(そうしたら……母さんが)


 決して治らない病気じゃない。お金さえあれば。お金を貯めれば彼女は治せる。

 しかしそれには多額の資金が必要だ。高利貸しから金を借り、なんとか薬を与えてはいるが、長期間投薬しなければ治らない。その間も借金は増えていくばかり。ちゃんと金を稼いで返済に当てなければ大変なことになる。

 だからこそここで罰金と称し、ただ働きさせられるわけにはいかない。

 少女が俯いた視線を上げたその時……窓の外から響く声。


「七時!七時!五十分!」


 時間泥棒だ。振り向けば一瞬、小さな影が窓の外を横切った。そんな気がした。

 だけどもういない。窓の外から吹き込む風が、調子外れの明るい声を運ぶだけ。


「ちょっと工場主!どういうことですか!」

「い、いや私の時計ではあれなんだが……そ、そうだ!時間泥棒!奴の時計の方が狂っている!」

「私達を騙していたんですね!!」


 詰め寄ると工場主は責任を放り投げる。

 既に仕事を開始させられていた人々も、同じく遅刻とされ今日一日ただ働きを約束させられた者も皆が皆不満の声を漏らす。

 それはこの工場だけではない。隣も向こうもその前も。街のあちこちから不満が上がる。

 その声に工場主達は悔しそうに顔を歪めて、時間泥棒の伝える時間を受け入れる。


「はぁー……今日も働いたぁ……」


 少女が背を伸ばし、ボキボキと背骨を鳴らすと景気よく音が鳴る。ずっと同じ場所で同じ作業の繰り返し。意外とこれは疲れるものだ。

 繭から糸を紡ぐだけ。


(いや……まぁ、茹で担当じゃないだけマシなのかもしれないけど)


 夕暮れと共に聞こえる鐘の音により、仕事は終わった。耳を澄ませば街のどこかから街を駆ける革靴の音、それから調子外れの歌声が聞こえてくる。それに少女は苦笑しながら、帰路へと着くのだった。

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