27:トランクと腕時計
目覚めは最悪。あの日と同じような夕暮れに少女は目を覚ます。
日時計の塔へ来たときは、とても空を近く感じた。空と海の青をこの目に焼き付けた。それが今はどうしたことか。胸騒ぎを感じさせるような赤。
ここは街時計の外。そんなに長く眠っていた実感はない。しかし眠る前までは、天高く……傾くことのなかった太陽が、あんなにも沈んでいる。このままこの日は落ちるのだろうか?街時計の外にあるこの場所には夜がやってくるのだろうか?それは何を意味するのだろう?途端に駆られる焦りと不安に、少女は怯える。
「レーヌ、母さん……いないの?」
皺の寄る寝台はもぬけの殻。触れてみても自分以外の体温を感じない冷たいベッドに、歌姫は驚いた。
あの二人は何処へ行ったのだろう。枕元には金貸しの鞄があるから、遠出をしたり、街へ戻ったわけではないはずだ。
(レーヌが、私をこんな訳の分からない場所に置き去りにするはずがないわ)
歌姫にとって、それはもはや確信だ。今までの金貸しの言葉や行動、それら全てが嘘であり、自分は騙されたのだと疑うこともない。
(教会裁判から彼女は私を救ってくれた。こんな訳の分からない場所で、混乱する私を優し
く諭してくれた声。それに彼女は私と同じ……歌姫ソネット)
そんな彼女が今、自分のそばを離れる理由は何だろう。考える必要もないか。ここには他に誰がいる?彼女たちはあの男の所へ行ったのだ。
(まさか、仲直りしろだなんて……言わないわよね?)
機嫌でもとりに行ったのかしら。それとも叱りに?そんな必要ないのに。
あんな男、本当の父さんでもない。本当の父さんとそっくりで……私達の記憶がある、他人。だけど全ての原因の分身。本当なら最初の原因である男と話せれば良いのだが、その男は眠ったのだとあの王は言う。眠るとはどういう意味?
歌姫は考えながら、歩き出す。言い訳の道具なら持った。万が一、まずい話を聞いてしまったら、金貸しの忘れ物を届けに来たと言えば良い。
「お父さん……かぁ」
父親のことはよく覚えていない。本当に……幼い頃に離れたから。それは確かだ。元々仕事ばかりの父は私や兄さんを構ってはくれなかった。避けられていたようにさえ思う。その理由はレーヌの指輪時計から聞いた通りなのだろう。
それから何があっただろう。気がついたときにはもう……母と二人暮らしだった。
「きゃああああ!!」
考え事をしていた所為だ。前をよく見ていなかった。足を滑らせた歌姫は、昼間は気がつかなかった階下へと繋がる階段を滑り落ちる。
「痛たたた……こんな所に階段があるなんて……」
妙に暗い室内。部品でも置いてあるのか、手足が触れているのは床だけではない。ごつごつとして冷たい金属?そんな物に腰打ち付けたとあっては強気の歌姫も涙目だ。
落ちた階段の所まで戻るには、目を慣らさなくては。工具なんかに躓いたらまた痛い目を見る。そう思いその場に留まる内、少しずつ足場が見えてくる。幸い危ない物はなさそうだ。けれど、一歩進む度、床の感触が異なる。金属とも床石とも違う踏み心地。時折……まるで生き物を踏むような柔らかさや、衣擦れの音。違和感を覚えながらも上階からの光が差し込む場所まで彼女は進む。
ほっと口から漏れた息は安堵だが、振り向いた瞬間に、その息が懲りついた。
(し、死体!?)
自分がこれまで踏んでいたのは人間の亡骸!思わず靴の裏を確かめて……そこに血がこびりついていないことに歌姫は戸惑う。
おそるおそると、近場の死体を観察し……それが若い娘の身体だと気付く。その事切れた娘の死体は腐らず、異臭もせず……けれど生きてはいなかった。その娘は片手がもげていて、そこからいくつものネジや歯車が覗いていたから。
「これ、時計なの……!?」
王は時計工だ。ならばこれは時計の一種?それにしたって趣味が悪い。歌姫は得もしれぬ嫌悪感を覚える。
多種多様な可憐な乙女。魅力的な彼女たちは、自分にはない色香がある。女である自分が見てもそう思うのだ。これは男の目から見たらどんな風に映るのだろう。ああ、それならば……あの男は何のためにこれを作った?この娘達の冷たい表情は、時計塔で出会った鳩時計によく似ている。まさかあれも、あの男の仕業なのだろうか?
(あいつ!!母さんがいるくせに!!なんて奴なの!!)
もし仮に、これがそういう目的で作られた物ならば……私は、私達ソネットは何のために存在しているのだろう。私達の母親は、何のために生きていたのだろう。永遠を持つ男達は、永遠の愛は持ち合わせてはいない。その事実が頗る不愉快だ。
あの金貸しだって、他の者に愛を囁いても……もう男の人に愛は告げない。それは彼女なりの、永遠なのだ。兄さんへの思いを凍らせたから、彼女はもう男を好きにならないだけだ。それなのにあの王は……こんな物を作っている。
父と同等の存在が、母以外の者をそばに置こうと人形を時計を作ったことが理解できない。せめてこの時計達が、母に似ていたのならまだ同情出来た。けれどこの時計達は、一人として母に指輪時計に似ていない。
分からないことだらけで段々と腹が立ってきた歌姫は、殴り込むよう階段を駆け上がり、大声で王を呼んだ。
「何あれ!気持ち悪いんだけど!最低っ!!」
王を敬う気などない。言い表すならあんた以外に、呼びようがない。それでも返事がないのなら、真実ではない言葉でも、反射的に口から漏れる。
「父……さん?」
どこにいるの?問いかけながら答えを探し、歌姫は展望部屋からベランダへ……
「……ひっ!」
夕焼けに赤く染まったその場所が、よりはっきりと深く染まった大きな血だまりが。そこに仰向けで倒れているのは、金貸し女王。その水溜りの中に、針が折れ……ルビーが割れて中から部品がばらばらと転げ出た……可哀想な指輪時計が浸る。
驚きのあまり、悲鳴も出ない。目を見開いたまま、その赤を少女は凝視する。
これは何者の仕業か。必死に視線を動かせば、暗い影が二つほど、歌姫の視界に入る。
「行ってこい?言われなくてもそりゃあ行くよ。だけどなぁ……貴方は何様だ?神様だって?王様だって?笑わせてくれるよ!」
壊れた笑みを浮かべた男と、苦痛に顔をゆがめた男。二人は同じ顔をしている。まるで鏡が向かい合うようだ。狂人の刃は男の胸を貫いて、そこから人の時計を暴こうとする。けれど地に伏した金貸しとは違い、血さえ流れない男の身体から、人の時計たる心臓は見つからない。代わりに狂人が引っ張り出したのは、片手に収まる程度の光。暗い光を放つそれが、どんな形をしているのかはこちらからでは分からない。けれど続く男の言葉で、それが何であるかだけは、歌姫も理解する。
「これが、王の力。王の源。はじまりの男の魂か。これで粗方揃ったな」
にたりと歪んだ笑みを浮かべた狂人が、その光を飲み込むと、王の姿が薄くなる。
「お父さんっ!!」
歌姫の悲鳴に、薄くなった男が一瞬……申し訳なさそうな視線を流す。けれどその男は、何を言ったら良いのか分からなかったのだろう。何かを言いたそうな顔のまま、何も言えずにとうとう姿が見えなくなった。
嫌いだった相手がいなくなった。それなのに歌姫は酷く狼狽し、あまつさえ目の前の男へ怒りのような感情さえ抱く。
「あんた……っ、一体どういうつもりよ!!」
興味を引けば、自分も危険な目に遭うと……そこまで考えが及ばなかったわけではない。それでも怒鳴らずにはいられなかった。
「どういうつもり……?お前は目に見えるものだけが真実だと思っているのか、愚かな娘だな」
「な、何よ……!?喧嘩売ってるわけ!?」
「この者達もそうだ。私が鐘時計だと本気で思っていたらしい。本物は今頃あの街時計で暴れているところさ」
言葉を交える内、狂った男の影は彼の身体に張り付くように……いや、逆光が彼の姿を、素顔を隠して行くのだ。目の前にいる相手が本当に王と同じ顔をしていたのかさえ、今となっては定かではない。
影絵のような狂人が、自分の口から吐き出す物は、先ほどより大きく暗くまがまがしい光を放つようになった魂。それは彼がこれまで何人もの時計工を殺し、その魂を集め……一つの形に組み合わせたと言うようなもの。理屈では理解できずとも、感覚的にそれを悟った歌姫は、目の前の男の正体……その一つの可能性へと至る。
「あんた……まさか!」
少女の言葉に答える気もない狂人は、手にした魂を日時計の文字盤へ……軽い動作で投げ入れる。その刹那、聞こえ始める機械音。足下で、時計が動いているのが分かる。日時計が軋みながら回り始める。
唯太陽に照らされて、大地に時を刻むだけの存在が、機械時計として動き出したのだ。それを合図とするように、遙か下方で重い扉が開かれる音。ここがどこかへ繋がる音だ。そこで何かが待っている。行かなくては。でも金貸しをこのままにもしてはいられない。惑う歌姫の隙を見逃さず、影は軽く少女へ触れる。
(え?)
本当に軽くだ。トンと触れられた程度。それでもここでは命取り。歌姫は日時計から真っ逆さまに暗い大地に落ちていく。自らの死を覚悟し、歌姫はぎゅっと目を瞑る。
(あれ……?)
しかし、幾ら待っても自分の身体が壊れる音は聞こえない。おそるおそる目を開ければ、そこはこれまで見たことのないような、形容しがたい街の中。日時計と見紛うような高い建物が所狭しと並んでいて、そこを行き交う異様な人々の、正確な数は計れない。こんなたくさんの人達を、歌姫が目にしたのははじめてのこと。あの教会裁判でさえ、こんなに大勢いなかった。自分の街ではない、別の街時計に落ちてしまったのだと気付く。
*
トランクとは旅行鞄。すなわち、それを手にした者は旅人である。
それなら彼女はどこから来て、何処へ行ってしまったのか。誰もいなくなった日時計のバルコニーで……動かなくなった女の中から、金貨のように光る魂を取り出す者がいた。
「嗚呼、綺麗だなぁ……」
それを食べることもせず、傾いた日にすかし、声は魂を哀れんだ。
「生きている内に契約できる者は、幸いとは言えない。これから不幸になることが決められているから」
「それなら死後に契約できる者は幸いだ。それ以上の不幸は、きっとないから。だから彼らは何も恐れない……とでもいわせたいわけ?」
「うぁあああ!!い、いつの間に本の中に戻ってきてたんですか!?」
「うっさいわね、お茶の飲み過ぎで水太りでもさせたいわけ?」
「え?」
「というかあんたはあれでしょエングリマ。人間同士の恋愛に、毛ほどの興味のないってだけ」
「うっ!そ、そそそそ……それは、そうだけど。そんなにはっきり言わなくても良いじゃないですかイスト!!」
空の青さと雲の白さのグラデーション。大空のように晴れ渡った髪の少年の、頭には異形を思わせる小さな翼。背中には片翼。女物の服からのぞいた尻尾から、彼がまだ子供の悪魔であることを教えてくれる。
「まったく……私の本に土足で入り込もうなんて良い度胸してるじゃない。お色気ガチムチ地獄エログロフルコースに落としてやろうかしら」
「嫌ぁあああああ!ぼ、僕には心に決めた人がいるんです!!そ、そんなはしたないこと絶対に嫌です!!」
「っち、相変わらずの乙女思考ね悪魔のくせに」
しばらく執筆で領地に引きこもっていた私だ。この少年悪魔には、何年ぶりに会うだろう?彼はこれでも私の同僚達の中では四番目の権力者なのだが、ちっとも成長していない。
……というのも、彼の魂は彼女であり、彼の肉体は彼である。彼の片割れはその反対。大人悪魔になれば両性になり、性別なんてその日の気分で好きに行き来出来るものだけど、子供悪魔はご覧の通り。彼らが大人になるには、片割れである悪魔を殺し、その力を取り込む必要がある。しかしこの変に心優しい少年悪魔は、実力では自分の方が上であるのに自分の片割れを殺せずにいる。
んでもって、生前の思い人との再会を夢見ているロマン野郎だ。気色悪いったらありゃしない。悪魔が貞節とか純潔なんて重んじるなんてクソ食らえだわ。
「何?あんたまたあれ?人間と人外の恋に萌えてたわけ?」
「うぇええええ、腕時計可哀想だよぅううう!幸せにしてあげたかったぁああああ!!!」
同僚が、私が目に付けた世界に現れることは……珍しいことでもない。私とは違い、悪魔らしい悪魔である彼らが魂あさりに来るのは、悪魔として自然なことだ。
「鼻噛みなさいよ、あんた……ほら」
「あ、ありがとう……。意外と優しいんだねイスト……」
彼の美少女面が鼻水塗れになるのは、魔王としてちょっと見過ごせない。鼻を拭いてやれば、私の所行も忘れて彼は素直に礼を言う。可愛いことは可愛いが、ちょっと私の趣味じゃない。懐きやすいし変に重いし、何回かやったら飽きるタイプのあれよね、こいつ。
「お世辞は結構。そんなことより教えなさいよ。金貸し女王と……ううん、死後の彼女と契約し、腕時計を作ったのはあんたなの?」
「契約したのは僕ですけど、腕時計は違いますよ?彼と彼女の後悔が、結びついた結果です。ほら、ちょうど良い具合に進んだ街がありますよ……?」
日の暮れかかった世界の中で、少年悪魔が指し示す、……暗い暗い文字盤の街。空の色も分からないほどに、空気の汚れたその世界。あの中にもまだ、時間泥棒はいるのだろうか?
*
建物には文字盤のよう、貼り付けられた長方形。その中にいる人が、毒にも薬にもならない情報を告げる。その人の右上に、刻まれる数字の時間。街ゆく人々が手にした機械の中に、やはり刻まれた数字の時間。そこは見知らぬ時計に支配された、歌姫には相容れない見知らぬ街。
『いやぁ……昨日も残業だったよ。ははは、今日も早く帰りてぇですよ』
『でもよ、停電になると仕事のしようがないだろ?電気もつかねぇ、パソコンもダメだ!書類なんかどうしようもない。そうなると……まぁ、帰るしかないよな』
『本当、停電様々だよ!電車が止まっても、歩いて帰れない距離じゃないだろ?歩いた方がさ、いつもよりずっと早く帰れるっていうからおかしな話だよなまったく』
「……以上、街角インタビューでした!この番組ではブラック企業の実態を探るべく、皆様からのご意見、ご感想を募集しております」
街時計はそんなに広いわけじゃない。それなのに人々は定時になっても家には帰れない。それは定時に仕事を終える能力がないから!あったとしても会社への忠誠を示さなければ解雇されるかもしれないから!
未来に思える街にやって来ても、人の本質は変わらない。工場主に怯えていた自分とまるで同じじゃないか。歌姫は
「何あれ、ださい格好!何世紀の服かしら」
「何かのコスプレじゃないの?嫌よね、マナーを弁えない子って。ああ言う奴の所為で全体的な評判が下がるのに」
「どうせ着るならちゃんとしたブランドのにすればいいのに。いまいちぱっとしないよねあれ、黒ゴスじゃなくてあれじゃあ喪服みたい!」
辺りを見回す歌姫に、届くのは悪意のともった言葉。
(よ、よく分からない単語が多いけど……喧嘩売られてるのだけは分かるわね)
歌姫から見ればはしたないし信じられないと思うような、異常なほど丈の短い衣服を纏った娘達。あんな物、教会に見つかったらどうなることか。
(あの女司祭が血吹いて卒倒するわよ……きっと)
自分でさえ正直どうかと思うのだ。ここにあの女がいたのなら、もっと強い衝撃を受けていたところだろう。
「っぷははは!マジありえねー!!あの店ださすぎ!!」
「デジタル、電波時計のご時世にこんな時計なんかねぇ……あの店まだつぶれないの?」
「ていうか、時計とかいらなくね?ケータイに入ってるしー」
「そうは言うけど、最近停電多いじゃん。ああいう時、やっぱアナログ一つあると便利じゃん?」
「言えてるー!つかああいうの、懐古厨に人気あるんじゃね?マニアって気持ち悪いほど金出すしー」
「有名ブランドでもないのに?ブランド物って言えばルビヨン社の新作、マジありえなくね?」
「あー、あれ!あたし買ったし!ていうか彼氏に買わせたし!!」
「まじで!?まじで!?うわあああああ!すげっ!マジパねぇ!!」
(……言ってる意味、本気で半分くらい分からないわ。言語同じはずなのに)
頭痛とめまいを覚えながら、歌姫は喧噪から逃れようと人気のない方へと歩き出す。その内に、先ほどの娘達が話していたと思われる、古ぼけた時計屋の前までやって来た。
店先に並ぶ時計は、懐かしさを覚える物ばかり。嗚呼、生まれ育った街に帰って来たみたい。そんな安心感がある。これからどうしたらいいのか、どうすればここから出られるのか。そんな不安も置き去りに、唯々目の前の時計に見入った。
「いらっしゃいませ」
「あ、ごめんなさい!」
突然声をかけられて、冷やかしじゃないのと歌姫は弁解するよう顔を上げた。
(あ……)
店の手伝いをしているらしい、帽子を目深くかぶった少年。彼は、この街時計のクロシェットに違いない。けれど彼は金髪ではないから、彼と重なるようで重ならなかった。
(それに……兄さんよりも、ちょっと愛想が良いわ)
あの時間泥棒なら、こんな風にこちらに声をかけては来ないはず。既視感と違和感の中、不思議な感覚に歌姫は身を浸す。少年との会話でぎこちないのはよほど自分の方だと呆れながらも。
「お客さん、アナログ派?」
「え、ええ」
「そっか、嬉しいな。時々そういう人が来るんだ」
少年の説明により、歌姫は少しこの時代を理解する。
彼の父親が得意とする水晶時計は、この文明度の街では有り触れた物。限りなく正確な時計を人々はもう持っていて、この時計屋はそんな時代に埋もれている。他の時代では、他の街時計では理解されない天才も、ここでは有り触れた凡人として生きている。
才能という物は、早すぎても遅すぎても意味がない。そんな冷たい現実に、歌姫は初めて心で父を直視する。
(お父さんは……ずっと、ひとりぼっちだった。どこの街でも)
彼は生きている間も孤独で、死んでからも孤独だ。そんな彼が求めた過去の光が、時間泥棒。いつも隣で自分を励まし叱咤して、支えてくれた優しい少年。
(お父さんも、私と同じ……きっとお兄ちゃんに、ありがとうと言いたかっただけ)
私は父に何をしてあげた?何もしていない。彼を理解しようとすらしなかった。会いに行こうともしなかった。そんな私より、兄のことを父が大切に思うのは当たり前のことだ。
愛さなかったのに、愛して欲しかっただなんて、虫が良い。女の形の時計を作り続けた王と、自分の何が違うのだろう?
「あ、あの……他の、時計も見せて貰って良いですか?」
「え!?えっと……ちょっとさ。あのさ……うちの職人、死んじゃったんだ」
「え……?」
「だからもう、ここに出ている分で最後なんだ。俺は時計作りとかわかんないし、そういうの勉強できそうな宛てもないし……この店はおしまいかな」
もっと父の心に触れてみたい。他の時計を求める歌姫に、少年は苦笑い。涙や悲しみを隠すような笑顔で笑う。
「ごめんね、今日はもう店終いだ。欲しい物があったらまた今度来て!一つに絞ってくれたらお客さんにプレゼントするよ!」
「ま、待って!それ!!」
「え?」
店終いを始める少年の、上着のポケット……そこに光った物を見た。輝く金色の鎖……それは金の懐中時計!
「それ、私に譲って下さい!私貴方のお父様のファンなの!!それが欲しくてここまで来たんです!!」
この少年は、もう時間泥棒になっている。どういう方法で時間を盗んでいるかはわからないが、父親が死んでいるのだ。そうしないわけがない。彼から時計を奪わないと、この時間泥棒も死んでしまう!
それは自分には関係ないこと。この少年は自分の兄ではない。それでも放っておけなかった。見て見ぬふりは出来なかった。
「これ、父さんの形見なんだ。有り難い申し出だけど、これだけはダメだ」
「お、お金ならあるわ!」
自分は何を言っているのだろう。とても恥ずかしい。最低だと思う。衝動的に開いたトランクは、自分の物でもないのに。これまで軽く思えたその鞄。開けば信じられないくらいの大金が転げ落ちる。それでもそれは自分の知る金貨や銀貨ではなくて、数字と模様が印刷された軽くて燃えやすそうな紙束。
「あんた、トゥールの手の物か!?くそっ!!騙されたっ!!こんな女の子を使ってくるなんてあいつ、どこまで腐ってるんだ!!」
金を目にした途端、少年は敵意を歌姫へと向ける。
「ち、違うの!私はっ!私は……!!」
「これは誰にも、渡さない!!父さんの夢を、金の亡者に渡して堪るか!!」
「それなら、無理矢理でも渡して貰おうか」
少年の声が響く路地。それをかき消すような破裂音。時計をつかんだ少年の腕を、無慈悲に貫く鉛玉。そこからあふれる鮮血に、歌姫は叫ぶ。
「き、きゃああぁあ……むぐっ」
追跡者は一人ではなかった。押さえつけられ少女の悲鳴も消える。この対応に、少年も気付く。この少女はこの黒いスーツの男達と、なんら関係のない娘なのだと。
「如何に気の長い私でも、限度という物がある」
「トゥール……ルビヨンっ!!」
「会いたかったよクロシェット。心の整理が必要だろうと甘くしてやったのが悪かったか、ずいぶんと悪巧みをしていたようだな。履歴を調べさせて貰ったよ。度重なる停電は、君の仕業らしいな時間泥棒」
この時間泥棒は、人に顔を覚えられている。それは時間泥棒として、致命的な欠陥だ。
だからだろうか?彼は姿をさらすことない方法で、時間を盗んでいたようだ。
「まさかこんな貧乏時計店に機械を買う金があるなんて思わなかったが、そういうことか。パソコンの自作とはやるじゃないかクロシェット。なかなか尻尾を掴ませないのも流石だ。セキュリティ顧問として我が社で雇いたいくらいだ」
「……っ!」
「だがね、今回ばかりは君の負けだ。銀行にハッキングとは、相手が悪すぎた。奴らはいくらでも金があるからね、それこそ我が社より。多額の金を費やせば君を追うことも不可能ではない」
「金くらい、私が援助してやっても良い。それで君の母さんも妹も楽になる。さぁ、その時計を渡すんだ」
「……っ、断るっ!!」
「ならば……仕方ない」
追跡者のリーダーが、少年の眉間に黒い筒を差し向ける。あの引き金を引けば、また赤い血が溢れるだろう。そんなことはさせないと、歌姫は追跡者の指を噛む。
「ぎゃああ!痛ぇええ!」
「何!?」
口を押さえる腕だけじゃない。身体の拘束も緩んだ。さっさとそこから逃げ出して、少年と男の間に割り込むように歌姫は立ちはだかる。
「ちょっと待って!貴方凄い時計作れるんでしょ!?街の女の子達も貴方の時計を褒めていた!それなのにどうしてその時計をほしがるの!?」
正論も正論。正確な時間が街の至る所にあるというのに、どうしてこの時計工は金時計を求めるのだろう。
「……私の電波太陽電池時計は、なるほど確かに正確で……長い時を刻めるだろう。だが、この時計はそんなものではない!その秘密が他社の手に渡ったらどうなる!?特許を取られたらどうなる!?我が社の株が何処まで下がると思っているんだ!」
「お金の……ためなの?それなら私がお金を払うわ!それでこの問題は解決する!そうでしょ!?」
「時計を作ったこともない娘の指が、何を偉そうに!!」
話がかみ合わない。これはきっと、お金の話ではないのだ。
(あ……!)
そうか。この男は気付いているのだ。このきらびやかでよそよそしい街が、ついに気付かなかった、埋もれさせた時計工の才能に。
(この時代も、父さんの時計に追いついていなかったんだ!)
追い越したように見え、辿り着いていない。もしかしたら永遠に辿り着けない場所にあるのかも。それに気付いてしまった男だけが、あの時計の価値を知っている。
(それじゃあ私が見ているのは……あの街であったことに、酷似している出来事なの?)
鳩時計は、時間泥棒の代わりに犯人を殺してこいと言った。その犯人の一人の名を、私は今教えられている。
男の凶器はまっすぐにこちらを見つめ、このままお前ごと少年を撃ち殺しても構わないと語るよう。
「そこを退け、小娘!貴様も殺されたいか?」
「お、"黄金の魔法は時も軽く飛び越える"っ!!」
少女が助けを求めるように歌った歌は、金貸しが歌った歌。何も起らない?いや、違う。歌姫の歌に答えるようトランクが大口を開け、そのままぱくんと彼女を飲み込んだ。しかしこの鞄の大きさではどんなに頑張っても、飲み込めるのは一人だけ。時間泥棒を置き去りに、トランクは堅く口を閉じる。
「ちょっと!開けなさいよ!!あの子がっ!兄さんがっ!!!」
歌姫が力任せに叩いても、トランクはびくともしない。歌姫が叩くこと数時間?疲れ切って叩くことを止めてようやく重い口が開き、鞄の中に光がこぼれる。
古ぼけた店が、もっと古くなっている。商品や棚にはほこり、天井と壁には蜘蛛の巣。嗚呼、あの店だけじゃない。街全体が古ぼけている。かつての人の喧噪も懐かしいほどに静か……
「誰も……いないの?」
ここが先ほどまでいた街であることは分かるのに、この街を何が襲ったのかが分からない。
それでもここは街時計。この街にもかつては自分と同じ名前の娘がいたはずだ。
(兄さんがあの後……殺されたとして。それなら)
この街の自分も同じことをするだろう。森へ行って、彼を葬る。記憶を頼りに、古ぼけた建物群を抜け出して……歌姫は森を探そうとする。しかし街をぐるぐるまわっても、木々の色など目につかない。全て切り拓かれてしまったのだ。気落ちしたところで、目の端を何かが横切る。顔を上げればそれは、あれから初めて見る、自分以外の存在。
「あ、あの……あの!ちょっと!」
耳が遠いのだろうか。あの老婆はこちらを無視してどこかへ歩いて行く。
手がかりはあの老婆だけだ。彼女と話をしなければならない。
「くそっ!年寄りなのに意外と健脚ね……」
すたすたと歩いて行く老婆を追いかけて、少女は再び建物街へと逆戻り。
元は大きな建物があったのだろう、一面の更地。その中に老婆は入っていく。更地の一角だけ、手入れのされた区画があった。そこには誰かの墓が建てられていた。
親しい人の墓なのだろうか?老婆はその墓前に花を備えると、むにゃむにゃと呪文めいた祈りの言葉をつぶやいている。
「あっ!!」
老婆の腕には、腕時計。それは見覚えのある時計。かつて金貸し女王の腕にあった、水晶の腕時計だ。
「あ、あの!!」
思わず老婆の腕を掴んだ歌姫の、頭に流れてくる雑音。それはこの腕時計の、老婆の記憶?時計屋で出会った少年と、笑い合う少女の姿。
(これ……"私"じゃない……!)
歌姫ソネットは、時間泥棒と……接する時間はほとんどなかった。そのはずだ。こんなにはっきり顔を見て、笑い合ったことなんて自分にはない。ないのだから、この街のソネットもそうであったはずなのだ。
記憶の中の少女は清楚な笑みを浮かべている。身なりも立派で家柄の良いお嬢様のよう。彼女はとても可愛らしいが、妙にプライドの高そうな鼻につく感じが彼女の目にはある。あの鳩時計から感じた嫌な感じに少し似ている。それかあの女司祭。
墓の前に立つそのいけ好かないお嬢さんは、少しずつ成長し少しずつ老けていく。黒い喪服姿で祈りを捧げる彼女の背後……大きく立派だった建物が、次第に傾き小さくなった。その内に、喪服の人間が増える。ルビヨン社の社長が死んだのだ。そうなればもうお仕舞い。そしてついには何もなくなった頃、街が囁く一つの噂。
『かつてはこの街一番の大企業と謳われたルビヨン社が、潰れるなんてな』
『ねぇ、知ってる?跡継ぎが出来なかった理由……』
『男が生まれなかったからだろ?』
『それなら婿を取れば良いでしょ。なんでも一人娘が結婚を嫌がったんだってさ』
『なんだよ、それ』
『昔好きだった男を忘れられなかったとか何とか。しかもその相手を殺したのが……当時の社長!その娘の父親だって話』
『あーそりゃ一生もんのトラウマだなぁ。結婚なんか出来るはずがねぇよ。いいねぇ!俺もそんな風に美人に慕われたいもんだ!あはははは!』
『何よ!私じゃ不満だっての!?表でろ!!』
『悪いわるい、じゃあこれは知ってるか?女王金融が街から消えたそうだぜ。ルビヨン社の倒産で巻き添え食ったのかもな』
『ええ!?じゃあこの街どうなるの!?金貨卿の思い通りってわけ?税金上がるの!?』
『なんでそうなる』
『だって議会は大富豪の言いなりなんでしょ?賄賂には勝てなかったよ……って』
『マジか。でもそうだよな……あとはあの大富豪さえ居なければ。誰でもこの街の権力者になれるんだよな』
『……そうね』
好奇心に揺れる街。街の勢力が崩れる瞬間。人々はさらなる欲に取り憑かれる。祈り続ける女だけを置き去りに、内乱の幕が上がった。多くの血が流れ、墓が増え……祈る者も減っていき、手入れのされない墓は風に消えていく。
戦わないその女だけが生き残り、女はその街の王になった。
「主よ、私も孤独に飽きました。これが……最後の祈りです」
今の彼女に重なるように、記憶の中で老婆が話す。初めてこちらを見るように、老婆が歌姫に物を言う。
「さようなら、お嬢さん。ここに留まっても、ここには何もありませんよ」
「で、でも街の外は!」
「優しい子ね。でも……貴女にきっと私は分かりませんよ」
墓に手向けられた、腕時計。それを置いていくつもりの老婆が母の姿と重なった。時計を外すと言うことは、この人は死ぬつもりなのだ!
「待って!」
腕時計をひっつかみ、歌姫は老婆を追った。
外に出てはならない。そう教育されてきた街時計の人間達。外には何がある?外に出たら王に始末される。だけど今、ここは何時?ここは何処?日時計を統べるのは誰の時代?
なんと説明したら良いか。そもそもどうやったら外へ行けるのか。今が何時かもわからない歌姫には、説明のしようがなかった。
狼狽える間にも、老婆は城壁へ向かって歩き出す。
「お婆さん!おばあさん!待って!くそっ!本当に足早いわね畜生!待ちなさいクソ婆!!」
「主よ……」
なんという計画的犯行。城壁近くの建物の硝子を石で割り、そそくさと屋上まで登る。老婆を追いかけ歌姫も階段を上り、おかしなことに気がついた。
この街はこんなに高い建物がある。それなのにどうして街の外を不思議に思わない?高い場所からは遠くの街時計を知ることだってできるだろうに。
(あ!)
この街時計は、蓋がある。空の描かれた蓋がある。これ以上上に行ってはいけない。外を知ろうとしてはいけない。街の文明度に従って、城壁を高くするだけではダメなのだ。この時代の街には、あの空に触れてはならないという決まりもあるのだろう。それが死に繋がる罪なのだと人は教えられているのだ。
老婆は死を求めるように大空に手を伸ばす。あの空に触れるよう、昼間は見えない星をそこに求めるように。
「長い間一人でよく頑張ったね、ステラ。君の願いを叶えてあげよう。君をもう一度、彼に会わせてあげよう」
「嗚呼……主よ!なんと貴方は慈悲深い!!」
「忘れなさい。そして、思い出すんだ。君のクロシェットは、一体誰か」
光が差し込むように開いた天蓋。差し込む光は街を焼き払うのではなく、優しい日の光を降り注がせる。
しわくちゃの老婆の手を掴んだのは、日時計の塔で出会った王。彼がこちらを認識していないため、ここはあの時間より過去なのだと思う。
(し、信じられない……!)
このトランクは、本物だ!街を移動する意味でのタイムトラベルではない。本当に私は過去に来てしまっているのだ!
驚きを隠せない歌姫の、胸に芽生える疑念があった。あの男が私に気付かないのは、どういうわけで?本来ならここに私は居なかったと言うこと。それならどうして、あの老婆は私を認識できたのだろう?最初はわざと無視していた?それとも……本当に私が分からなかった?あの一瞬だけ、何かと交わるように認識しただけ?
(私は、本当にここにいるの?)
王から取り出された魂のように、実はもう……未来の時間泥棒をかばって死んでいて……魂だけで彷徨っているのではないか。どうしたら、私はあの街に帰れるのだろう。
(お兄ちゃん……)
私は何をしただろう?私が落とされたここは一体何?よく分からない状況、よく分からない世界……そして何も分からない自分。
酷く心細い。握りしめた腕時計と、抱きしめたトランク。これはあの金貸しも辿った道なのだろうか?それとも、これは彼女が歩いた道とは違うもの?
老婆を抱きかかえた王がそのまま日時計へ向かって飛んでいく。追いかけようにも歌姫には術がない。
(どうしよう……どうすれば良い?……何も、分からない)
嗚呼、指輪時計。この手に貴女がいたならば、何か教えてくれただろうか?いつものように、お母さんみたいに。
女司祭を救った老婆がステラちゃんっていうでっていう。
鐘時計?にさらわれて、他の街へ落とされて……それじゃ元々ここに居た彼女は何処へ?鐘時計に殺された後に入れ替わったのですかねぇ…うーん。