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26:契約の穴

 「何よ、何か文句ある?」


 外へと戻った私を見、腹立たしい男が笑いを堪えて変な顔をしていた。この使い魔は、本当にろくでもない。睨む私に、執事風のそれは嘲りの表情のまま心の籠もっていない礼をする。


 「いえ、お嬢様が自らの信義に背くのは珍しいことですねと」

 「そうよ?私は一冊の本で、一つの世界で一人の人間としか契約しない。だけどこの本に限っては話が違う」

 「なるほど、さすがは後付けと言い訳の悪魔」

 「何ようっさいわね。暇だけど私も暇じゃないの。あんなにいっぱい時間泥棒がいるんだから、彼らの話全部いちいち観察してるわけがないでしょうに。

 たまたま煉獄で面白いのを見つけたと思ったら、あの男の関係者だったってだけよ」


 ていうか何その侮辱は!私は歴史と物語の悪魔!地獄のデウスエクスマキナ、イストリア様だって言ってんでしょ!?……まぁ、歴史も物語も脚色という意味では大差ないけど。

 私は不満気に、冷えてきた茶を口に運ぶ。


 「街時計という閉鎖空間。この一つ一つが一つの世界、街の外もまた一つの世界。そう言っても嘘ではない……そういうことですか?」

 「あのね馬鹿使い魔、私は悪魔よ?」


 契約縛りは制限により話を面白くするための縛め。それを破るのは、その方が面白いと思った時だと言う話。


 「だってあのブラコンヤンデレクソ女のアムニシアが茶々入れしてきたんだもの。私の本を勝手に弄られちゃたまらないわ。あいつブラコンだから時間泥棒と歌姫くっつけようとするわよ絶対。そんなのつまらないじゃない」


 生者と死人の禁断の恋。最初から悲恋と決められている話。それをクソありきたりで歪な話にされて堪るもんですか!


 「しかしお嬢様が時間泥棒と契約したのは、彼女の存在に気付く前でしたよね?」


 この使い魔、意外にするどい。建前と遊び心としては今述べた通りのことなのだけれど、奴はこちらの本音を探るよう。話したところで別に困ることはないので、折角だから教えてやった。


 「あのね使い魔。私が時計工と契約してあげたのは、私にしては珍しく善意からなのよ?時間泥棒に限っても、ある意味はそう」

 「と申しますと?」


 全然信じていなさそうな声色で、使い魔がそう返す。本当に腹立たしい男だ。


 「私は契約者の終わりまでを記す。だから私と契約した以上、あの男の永遠は終わることが約束されたわけ。その上時間泥棒に会いたいという彼の願いを叶えるべく、根回しをしてあげたのよ」

 「それはそれは……今度は何を企んでいらっしゃるのやら」

 「もう!あのね私は、終わらない物語が下手に祭り上げられたり美化される風潮が嫌いなの。それが一番醜いことだと思うわ」

 「なるほど、第七眷属にありがちなプライドですねわかります、わかりますとも」


 まるで分かってない顔で、それでも意味深に使い魔が頷く。腹が立ったのでヒールで奴の眉間をどつきながら私は続ける。


 「時計工は私と契約する前から、別の悪魔とも契約してるわよ?私は彼の物語を終わらせてあげるために契約してあげたの。そのために……私が時間泥棒と契約することは必然だったのよ。彼がいなければ、あの男は永遠に終われないままだから」

 「お嬢様にしてはクソ珍しい憐憫での契約ですか?」

 「だってそうでしょ?あの変態腐れストーカーには私もうんざりしてるもの」


 他人事とは思えないわよ。肩をすくめる私を見、使い魔が盛大に吹き出した。いつかこいつのことも本にして、惨めに殺してやろうかしら?殺意を込めて睨んだところで使い魔が言う。


 「それはそうとお嬢様、そろそろお茶のおかわりは?」

 「……いただこうかしら」


 使い魔のいれる茶の味は、毎回美味だが誤差がある。それは彼が機械ではなく、私を飽きさせない工夫でもある。


(代わり映えのない永遠なんて、クソつまらないだけじゃない)


 退屈をもてあます我々悪魔は、永遠とのつきあい方を日々考え悩む生き物。人間はよく、永遠を求めるけれど……永遠を知る悪魔として、私はそうは思わない。永遠とは無限の可能性と、近づいてくる奇跡を意味するのではない。

 歩いても、歩いても逃げ出すことが出来ない煉獄。永遠を言い表すならば、それがもっとも近しい答えに違いないのだ。


 「あのね、使い魔。私は思うのよ」


 仮に街時計の人間共が外の世界を知ったって、時計が大きくなるだけだ。それは一つの島に、一つの大陸に、あるいは惑星、宇宙まで広がるかもしれない。それでもそれは、街時計という存在だ。彼らが代わらない限り、世界は何も変わらない。時間泥棒を失ったままの未来は……例外なく滅ぶだろう。


 「もし時間泥棒が金貨を盗まなかったら、どうなったかしら」

 「時間泥棒は生き延びたのではないですか?」

 「違うわね。家族を、思い人を見捨てた彼が、そのままヒーロー気取りでいられたかしら?いられるはずがないわ。そうなれば彼は父親の時に決断できなかった、手を汚すだけの復讐を始めたはずよ。感情に流されれば、やっぱり彼は命を落とす」


 機械のように冷たく、淡々と仕事をこなす。誰を失っても悲しむことがない、機械の心のまま生きる。そんな風に生き延びたって、それは時間泥棒ではないだろう。そんな彼では街時計を、人を救えない。


 「それならお嬢様。彼はどうするべきであったと?」

 「ねぇ、使い魔。自分を救えないような人間が、誰かを助けられると思う?彼は善人であろうとした。罪を恐れた。犯した罪はいつも誰かのため。彼の善行は矛盾なのよ」

 「矛盾……ですか」

 「ええ、矛盾。彼はいつか自分が報われることを心のどこかで信じていた。だけど違う。実際は悪人が報われて幸せになれることもあるし、良いことばかりして無駄死にしても、何一つ報われないことがある。それなら私達悪魔のように、利己的に生きる方がよほど賢いわ」


 あの少年は、冷めたふりをして……心のどこかで神を信じていた。人を救いたい心は、誰より救われたいという欲の表れ。


 「彼の過ちは、生前に自身の願いを知らなかったこと。今だって彼は、自分の本当の望みが何かすら知らない。気付いていない」


 そういう意味でなら、この話は喜劇に分類されるものかもしれない。


 「この災いは、それが招いたことなんだわ」


 *


 「眠れないの?」

 「どうにも胸騒ぎがしてね」


 こっそり寝台から抜け出した金貸しを呼び止める声。振り返れば文字盤の顔の女がこちらを見ている。懐かしさを覚える指輪時計の言葉に、金貸し女王は苦笑で答えた。金貸しが優しい瞳で見つめるのは……時計を挟んで向こう側。そこには泣きはらした瞳の少女が眠る。


(あんなに泣いて……可哀想に)


 指輪時計の語る昔語り。それは自身の母の身の上話に等しい話。自らの出生を否定されるようなものなのだ。それは、こんな小さな娘が一人で抱え込めるものではない。

 時計工が求めたのは時間泥棒。それなら、自分は何のために生まれたのか。それはこれまで幾度となく、金貸し女王も考えた問い。


 「私はね母さん。……それにソネット」


 眠っている少女には聞こえなていない。それを悟って金貸しは言う、敢えて。


 「私は理解したよ。金貸しレーヌになったときから、私の道は決まっていたんだ」


 先代の金貸しはどうして死んだ?歌姫ソネットを愛した結果。自分も別のソネットに恋をした。この心は自分自身の物。他の誰とも重なりはしない。それでも街時計は因果を招くだろう。


 「歌姫ソネットは、どんな姿になろうと変わらない。愚かな恋に生き、愚かな愛に死ぬ。それが街の定めた運命だ」

 「街時計に戻れば……きっとそうなるわ、ソネット」

 「そうだね、母さん」


 この場所は時の因果に縛られはしない場所。ここに留まれば、命だけは助かるだろう。


 「それでも私は負けはしないさ。なんたって私は金貸し女王。黄金の魔法に不可能事は何もないのだから」


 戻れば危ないのは自分も同じ。他の街に関与しすぎれば、傍観者ではいられない。時計達は今この瞬間も、あの場所で裏返り続けている。

 あのおかしな現象を止めるためには、原因となっている時計を壊さなければならない。果たしてこの小さな歌姫に、それが出来るのだろうか?


(出来るはずがないんだ……兄さん)


 だから自分も、この子について行かなければならない。それが何を意味するか、知らないわけではないけれど。金貸し女王は苦笑する。


 「ソネット……君はこれから何になるのかな。私のようには、ならないでおくれよ」


 家族から先立たれ、裏切られた小さな歌姫。この子は自分が誰からも望まれずに生まれたのだと思い込んでいる。それでも違う。それを理解できない幼さが、愚かしくて愛おしい。どうにもならない物ほど、人は恋い焦がれるものなのか。少女の頬を濡らした涙は、まだあの少年を……時間泥棒を追いかけている。


(金貸し女王は報われない。それが報いだ。愛した人を……兄さんを、忘れたくなくて忘れてしまった"ソネット"の……)


 死ななければ彼女を振り向かせることが出来ず、死ねばいつかは忘れられる悲しい存在。それを決定づけたのは街時計か自分自身か。それでも一度結論づけられた答えは定義され、彼女の道を縛るだろう。


 「ソネット……貴女はどうして彼と契約を?」

 「ああ、陛……父さんのこと?」


 王との契約により、金貸しはいくつもの街を移動する力を手に入れた。黄金の魔法の絡繰りは、もはや人間ではなくなったその男との取引による物。


 「おかしいと思わない?ここは街時計と時間の流れが違いすぎる。あの人は全く老けないし、中と外を出入りする私がまだこの程度に若くいられるのもおかしい話。ああ、勿論契約の副作用……それが私にも及んでいると見ることも出来るけど」

 「……そうね、外に出ると私の針も重くなる気がするわ」

 「だろう?おかしいんだよ、ここは。街の外は……別のどこかに繋がっている。繋げられているんだ。とても異質な場所にね」

 「何か心当たりがあるようだけど……知ってるの?」

 「今回の件で確信したよ。あの望遠鏡が答え……ここは一種の煉獄だ。彼の魂はここに縛られている。彼が交わした契約により、彼は悪魔に転化しつつあるのかな」


 この日時計は、あの男にとって……いや始まりの男が落とされた煉獄だ。でなければ、彼ら自身がここから出て、街を直接思い通りにするだろう。それが出来ないからこそ、王は金貸しから金銭を求める。その金を使って、間接的に街時計を育て導くのだ。自分の分身を作るにも、金は必要だろうから。


 「この不自由さ……如何にも奴らが好みそうな所。先代レーヌが言うに、神で悪魔である男。つまり父さんは、悪魔と契約している」


 だけど何時、彼は悪魔と契約を?

 そうだ、よく考えればおかしい。最愛の我が子をその手にかけたあの男が、残りの余生を全うできるだろうか?時間泥棒を作るために存在している存在が、それを自ら壊したならば……


 「時計工が先に死ねば、少年は時間泥棒になる。少年が時計工より前に死ねば……時計工は神になる。だけど一つ、気がかりなことがあるんだ」


 そのために、もう一度展望部屋に行くつもりだと金貸しは告げる。


 「母さんは、ソネットのそばに」

 「ええ、だから行くのよ?」


 くすくすと指輪時計は笑い、自分のそばを離れない。こうなったらダメだ。何を言っても聞き入れてはくれない。仕方ないと金貸しは嘆息し、眠る歌姫のそばにトランクを置く。万が一の、時のため……

 先代は言った。神と悪魔、あるいは神で悪魔と……。先代は神で悪魔である男に会ったのではなく、神と悪魔に会ったのだろう。その加護を自分も得られれば……まだ打つ手はあるのかもしれない。けれどそのために必要なことは、やはり……素直に生きることだと思う。これはそのための行動でもある。


(彼女は金貸し女王。私も金貸し女王。彼女と私の違いは何だ……?)


 考えるなら、答えはもう決まっている。覚悟なら、とうに決めている。


 「……驚いたわ」

 「何?」

 「こんな状況でも諦めないなんて……強くなったのね」

 「そうでもないよ。私は弱くなった」


 この子がいるからね。金貸しは優しく微笑み、歌姫を見る。


 「この"ソネット"は、……私とは違う。彼女とも違う。幼くて愚かで、未熟で気が強くてどうしようもない、不完全な女の子だ」

 「そんな子の何処がいいのかしらね」

 「でもね母さん。私はそんな彼女を愛してるのさ」


 神から見ればそれは自己憐憫。慈愛ではなく自愛でエゴだと言うかもしれない。

 それでも違う。同じ形の歯車に見えても、その心は別物だ。


 「愛した人を二人も失って、それでも生き存えた意味はあったんだ」


 ずっと同じ人を愛し続けるなんてこと、私には出来ない。永遠は美しくて、心変わりは醜いのなら、私はこの世の誰より醜い存在だろう。


 「私が本当にあの二人を愛したのなら、自分自身より愛していたのなら……すぐに後を追えば良かった。それでも私はそうしなかった」

 「だけど今、貴女は街時計に戻ると言ったわ」

 「つまりは、そういうことなんだ」


 死ねたらどんなに楽だろう。そう思っても生き延びた。それは結局の所、愛した人より私は、私が可愛かった。彼らを本当の意味で、愛していたかも怪しい。生き続ける内、過去の未練さえ……そんな風に冷めた目で見つめる自分に気がついた。思い出を美化出来るほど、私は自分を肯定できない。自らの浅ましさを知るから、自分の中には何一つ、美しい物はないのだと笑っていたのだ。

 そんな私が取り乱した。あのソネットのために、命さえ投げだそうとした。そんな自分の姿に行動に、私はとても驚いた。だけど私は……彼女に出会って私の意味を知ったのだ。


 「私が分かっても、この子が分からないと何にもならないわ」

 「ああ、何にもならないね。でも、それが金貸し女王様って奴さ」


 自嘲の笑みを浮かべたまま、金貸しは部屋の外へ。展望部屋へと続く階段に足音を忍ばせる。

 展望部屋の望遠鏡は、王に見せられた街の位置で固定されていた。覗けばすぐに、その後の様子を知れるはず。


(私の予想が正しければ……あの時計工は、生きてはいないはず)


 時計工は、時間泥棒の後を追って死んでいるはずなのだ。そして死後に……ソネットの兄のように蘇った存在。それが王の正体だろう。

 おそるおそる真実を覗き込んだ金貸しが見たのは、夕暮れに煌々と光る街時計の異質な姿。覗き込んだ瞬間、頭の中には無数の悲鳴が伝わってくる。


 「街時計が……燃えている!?」


 さながら、地獄絵図。煉獄の火に焼かれているような現の姿。現実離れしたその風景は、いっそ美しくもある。だけどそれ故、恐ろしい。ベランダから上を見上げれば、裏返った文字盤がある。鏡のように磨かれたそれが、あの街を焼いたのだろう。


 「……流石に聡いな、こちらのソネットは」

 「これを……貴方が、やったのか!?」


 金貸しが振り返り声を荒げれば、不思議だと言わんばかりの顔の王がいた。

 その顔に、今の言葉の真意が見える。始末に行く手間が省けた。そんな風に聞こえる言葉。


 「時間泥棒を失った街は、必ず滅ぶ。同じことなら早く次の街を建設させるべきだ。時間の無駄じゃないか」

 「……ああ、そうだね。とても合理的で素晴らしいと思いますよ。だけど貴方には、未だに人の心がないのですね陛下!あのソネットの涙を見て、それでも貴方は何も思わなかったんですね!!あの街にも、ソネットは、時間泥棒の母親もまだいたはずだ」

 「金貸し女王、君はどうあっても救えない者を……その残り滓に過ぎないまがい物を、わざわざ手間暇かけて救うのか?そうしたところで、結局救えはしないのに」


 これまでいくつもの街を、兄と自分の分身達を見捨ててきた。そんな自分が激高している。金貸し自身、この男と何ら変わらない無感動な人間だった。だからこんな風に怒鳴るのはおかしいと自分でも分かる。けれどこの……永遠に変わらぬ者はあまりに愚かだ。生きてはいない!人の温度がない外道!!もはや死人も同然だ。

 それはあまりに冷たい目。自分の娘の分身達を、殺すことも厭わない、最低の男だ。


 「そうだ。君の予想通り僕も……いいや、私も既に死んでいる。我が子を失い自殺した時計工だけがこの日時計の塔に現れる。だからその前に、彼を殺したのさ」

 「……では、私のように生き延びた貴方は?」

 「それはもう……狂うしかないんじゃないかな?」

 「がっ……!!」


 王が笑ったのが合図?殺気に振り向く暇なく、背中から突き立てられる痛み。遅れて指輪時計の悲鳴が聞こえる。金貸しを貫く刃は、胸まで伸びて……赤い滴をまき散らす。


 「金貸し女王に代わる者はもういるんだ。だからお前は用済みだ」


 少々制御が利かないのが難点だけどと嘆息する王の仕草は、自分のそれに似通っていて金貸しは奥歯をかみしめる。


 「生き延びた僕は、一度覚えた血の味が忘れられないみたいなんだ。とりわけ女の、心臓を手にするのが好きらしい」

 「ソネッ…トには……、あの子にはっ!!」


 歌姫には手を出すな。血だまりに伏しながら、金貸しは王の足をつかんだ。一瞬、哀れみのような物をその目に浮かべた男も、吐き捨てるよう呪いの言葉を口にする。


 「愚かな娘だ。まだ私を信じていたのか?信じたかったのか?金髪でもない、私の娘でもないお前を私が愛したとでも?ははは!笑わせるな、金貸し女王!!魔力の宿るトランクも持たず、ノコノコと現れるとは。使い古しの指輪時計一匹で、私を倒せるとでも?」


 文字盤の顔を濡らしながら、指輪時計が王に近づく。その行動の意味を悟った王が再び嘆息だ。


 「無駄だよ指輪時計。私も彼も既に時計だ。お前の口づけなどで支配下に置くことは出来な……」


 王の言葉が途中で止まったのは、指輪時計がその頬を思い切り打ったから。これだけ長い永遠を知りながら、それでも打たれるとは思っていなかったのか。

 ここにいる全員が知っている。それは無駄な行動だ。そうするくらいなら、倒れている金貸しに口づけて命を与えた方がよほど良い。それでも指輪時計は、男を打った。冷静ではいられなかった。


(嗚呼……母さん)


 金貸しは最後に笑う。父は自分を愛してはくれなかったが、それでも……自分には母がいてくれたことを、思い出したのだ。


 「機械の女は、味気ない」


 涙を浮かべた金貸しとは対照的な男が一人。指輪時計を壊し心臓をえぐり出せなかったことが不服だと、神と同じ顔の男。彼はつかんだ部品をその場に投げ捨てる。かつてその手が、同じ時計を作ったことも忘れてしまったような手荒さに、指輪時計も泣いている。


 「ごめん、ね……ソネ…ット」


 弱い母さんでごめんねと……指輪時計もその場に崩れる。もはや人の姿も保てなくなった、ルビーの砕けた指輪時計。

 理性的ではない、感情的な彼女の行動に愛を見た。自分なんかのために、この人は……指輪時計となってまで、必死に怒ってくれていた。

 震える手を彼女に伸ばす。壊れた時計からは、まだ温もりを感じられた。この男達よりよほど、彼女の方が暖かい。


(ソネット……)


 君も不安がることは何もない。私がいなくても、きっと大丈夫だ。君にも母さんがいるから、指輪時計は君のためにいるから。

 最後に聞こえた不穏な言葉さえ、私はもはや……恐れない。薄く笑って、金貸し女王は目を閉じる。


 「さぁ、行っておいで鐘時計。思う存分、暴れて来ると良い」


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