20:絡繰りロンド
それは例えるならばパズルだ。キーワードのように散りばめられた謎。生きながら僕はそれを拾い集める。その内に、見えてくる物がある。
彼女と出会ってからと言う物、流れていくのは酷く既視感を感じる時間。それが運命の恋と言う物だろうと僕は傲れた。奇人変人の僕なんかに、この女性が応えてくれたのも、それが運命だからなのだと僕は信じた。そう思いたかった。
日々、得体の知れない何かに追い詰められていくような焦燥感。それを紛らわすよう唯、僕は彼女との幸せに酔っていた。
幸せだった。それさえも、定められたことのよう。今なら確かにそう言える。
自分が何者かと考えることさえ放棄して。僕は幸せに酔い痴れた。
「見て、貴方!」
だけど、生まれたその子を見た瞬間に、僕は全てを理解した。僕の役割、生まれた意味を。
この子は時間泥棒。僕は時間泥棒という時計を作るため、この街時計に落とされたのだ。
そして僕は理解する。これが初めてではなかったことを。
*
これまでの統計上、全ての時間泥棒は殺される。その父親も多くの街時計の中で命を落とす。しかし、稀に生き延びる者が居る。その時彼らはどこへ行くのだろうか。滅んだ街を置き去りに。その答えがここにあるのだと、男は言った。
歌姫は唯、父に似た得体の知れない存在を前に、圧倒されていた。小さな小さなその世界。本来、人が生まれて死ぬまで出ることが出来ないはずの場所。街時計の外……この日時計の塔は一体何のために誰が作った物なのか。
人はこの男を神や王と呼んでいる。しかし、そう呼ばれるこの男にはそんな大きな力があるのかが解らない。日に作り出される男の影。彼の背負った影があまりに濃いからか。
「どうして?……兄さんに会いたいなら、街に来れば良かっただけよ。どうしてこんな、回りくどいことを……」
「ソネット、話は最後まで聞いてあげるべきだよ。彼は話し相手も満足にいない生活を続けていたんだ」
歌姫と金貸し女王。違う街時計の中、違う時間の中に生まれた……外見の異なる二人の娘。
「どの街のソネットも、私には冷たいんだなぁ……こんな時、あの子なら」
「それは仕方ないさ、貴方達のお陰で私や彼女の母さんは間違いなく不幸になるんだから」
「それ、どういうこと……?」
不安げな面持ちの歌姫は、金貸しと王を交互に見る。
「あんた……もしかして、時間泥棒を作るためだけに……母さんと結婚したの!?結婚させるの!?他の街の貴方と母さんをっ!」
「違うっ!それは違うっ……」
この男は自分を捨てて家を出た妻や娘なんかより、傍に居てくれた我が子を溺愛し、彼との再会を夢見てこんな街時計を作り上げたのか!?
「ソネット、気持ちは解るけど落ち着こう」
「落ち着いてなんかいられないわっ!」
金貸し女王の制止も聞かず、歌姫は激情に支配されるまま男を睨み付ける。
「あんたのことはもういいわっ!興味ないわよそんなのっ!でも聞かせなさいよ!母さんって何!?私って何っ!?貴方にとっての家族って、そんなものなの!?兄さんだけが大事なのっ!?大っ嫌い!あんたなんか、私の父さんじゃないんだわっ!」
泣き叫き、そこまでいうと……歌姫はそれ以上の罵倒を口に出来ずに嗚咽を漏らす。自然な動作で金貸しは歌姫を抱き寄せ胸を貸す。自分の分身のような彼女を今では拒めず、歌姫は金貸し女王に泣きついた。
「レーヌっ……」
「うん、解ってる。昔の私も多少は取り乱したからね」
金貸しに優しく背中を叩かれ、歌姫の嗚咽も小さくなっていく。頃合いを見計らい金貸しは、男に声を掛ける。
「さて、陛下。可愛い愛娘に何か弁解の言葉は?」
「違うと……思うんだ。それでも……この世界は時計なんだ。王など神など呼ばれても……私は、僕は……歯車でしかない」
男は言う。自分の心は自分の物であるはずだけど、それさえ何者かに仕組まれているように思えてならない。信じられる物は、自分が刻んだ時間だけ。だから最後に一人残された……時間泥棒、懐かしくて堪らないのだと。その言葉に歌姫がまた、泣き濡れた目で男を睨む。その態度に金貸しは、歌姫を宥める言葉を紡ぐ。
「ソネット。この人は元々王様だったんじゃない。もう既に何代目かの王様なんだ」
「こいつが神様なんじゃないの?」
全ての元凶。天才時計工を幾人も産み出し、街時計に落として実験をする。人の命を何とも思わない鬼畜野郎なのではないかと歌姫は問う。そのあんまりな物言いに、金貸しは苦笑、王に至っては顔が引き攣っている。
「今回のソネットは、未だかつてこれまでにないほど辛辣だなぁ」
「……何よ、みんな私じゃないの?」
「違うよ。誰一人同じ時間泥棒が居ないように。時折外見がオリジナルに似る子が居ても……多少の狂いは生じる物だ。まず父親がそれぞれ別のことを考えて、別の方法で育てる。此方から命令できることはそう多くはない。出来るのは街に落とす前に、記憶を奪って記憶を埋め込むことくらいだ」
「よく、わからないわ」
何とも歪な親子の会話に、金貸しは吹き出し腹を抱える。
「あのねソネット、私が最初にここに来たとき、私はそんなことは彼に聞かなかったし言わなかったよ」
「それは……私もレーヌも別人なんだから、当たり前よ」
「そうだね、それなら君は解るはずだ。この人がしていることの途方も無さが」
そうだ、何の意味もない。失った人は二度と甦らないのに、どうしてこの男は街時計に時間泥棒を作らせる?
「この日時計も、時計だってこと。街時計はこの人の掌の上だけど、日時計のこの人も誰かの掌の上に囚われた存在なんだよ。皮肉なことだけどね」
歌姫の疑問に答えるよう、金貸し女王が神と呼ばれた男を哀れんだ。
*
昔一人の男が居た。この男は我が子にもう一度会いたいがために街時計を、自分の分身を作った。それでもこの場所にたどり着けた時間泥棒は一人も居ない。やって来るのは自分と同じ顔をした男。永遠に厭いた男は、自分の永遠を彼に譲って死に眠る。
こうして王は代替わりをし、いつかこの場所にたどり着く我が子を待ち侘びる。けれどそんなことは一度として訪れない。時間泥棒は殺され続ける。やがてその男も永遠に厭き、この場所にたどり着く自分と同じ顔の男に王の位を譲り渡すのだ。そんな何代目かの王に作り出されたその男。彼にも一人息子がいた。
街時計の性質が生み出す必然により、その少年もまた……父をも上回る才能を持つ。一度時計作りを学んでしまえば、永久機関という時計を完成させてしまう。そのことは、男は度重なる既視感により学んでいた。
(そうなれば、この子の命はない)
男は苦悩していた。これまで何度も悩んだ問いだ。その一度として男は我が子を救えなかった。
時計工になれば息子は死ぬ。しかし、時計作りを教えなかったとしても……彼は時間泥棒になる。一度あったこと、それを無かったことにするのは人の手には不可能なのだ。既に定義されている。歯車は、決まったとおりに回るのだから。
「くそっ!どうすれば良いんだ」
何百何千通りもの試行回数。紐解く記憶は予め、全てを男に伝えていた。時が来るまでそれを封印していただけで、少年との出会いによりその全てが鮮明な物となったのだ。
全て、男の既視感通りに時間は進む。妻は男から離れ、片割れの子を連れて彼女は去った。男に残されたのはクロシェット……愛しい我が子、一人だけ。彼を時計工にしてはならない。
「それなら僕が、永久機関を完成させれば……いい、のか?」
でもどうすればそんな事が出来る。既視感はこの時ばかりは働かない。これまでは幾らだって浮かんできた時計の姿がまるで見えない。男は自分の才能の限界を知った。そんな自分が親友だった男に妬まれているというのだから何と馬鹿らしい。
「親父……時計作りも大事だけど、少しは食えよ」
「……うん」
「親父、今日はもう寝たら?俺にも何か手伝えることがあったら協力するし……」
不眠不休で時計作りを続ける父を心配してか、少年が食事を持って工房に顔を出す。時計作りに興味を持たせてはならないと、男は自分の惨めさを露呈して来たが、この期に及んで何か手伝えることはないかと彼は言う。
「うるさいっ!」
「え……?」
労りの言葉に、声を荒げてしまった。我が子のその優しさが、男はどうしても許せなかったのだ。その気持ちがこの子を死へと誘う枷なのだ。怒りのままに男は食事の盆ごと我が子を振り払い、床へと倒れる彼らの騒音を眺める。その時、我が子の服から転がり落ちる紙切れの束。
「あっ……」
「これは……」
少年が急いで拾い上げようとするのを制し、男はそれを手に取った。見ればそこには幾つもの時計が描かれている。少年が作った設計図なのだろう。それを目にした刹那、無数の時計が脳裏に浮かぶ。近頃なりを潜めていた発明の既視感。その中の一つに、永久機関を男は見つけ……我が子の未来に涙する。
「ど、どうしたんだよ親父!?」
突然泣き出した父親を心配してか、少年が男に駆け寄る。ああ、この子には解らないのだ。
(ごめん、……クロシェット)
首を絞めた我が子の瞳が見開いた。何故とその目が問いかける。此方の気持ちなど、彼は何一つ理解していない。
違う、違うんだ。気が狂ったんじゃない。君を嫌っていたはずもない。才能を妬んだわけじゃない。負けたくないわけじゃない。これまで幾らだって負け続けて生きてきたのだ。今更そんなことは言わない。
(せめて、一思いに……)
苦しめられて殺される。野晒しにされ墓にも入れない。可哀相な我が子のために、一番最初の僕を支えてくれた君と同じ目に合わせないために、僕は自ら手を汚そう。
「本当に……、ごめん、クロシェット」
僕は君を愛している。大事な我が子だ。掛け替えのない存在だ。辛いとき、君は何時も僕を支えてくれた。君を助けたいと思うのに、こうする他……君を救う方法を思いつけない。
「ごめんっ……ごめんなさいっ!」
男はボロボロ涙を流しながら、馬乗りになり少年の首を絞める。
驚いて苦しがっていた少年も、男の涙を目にし、全てを察したように小さく笑う。その反応に、男は気付く。少年は勘違いをしているのだと。許す笑みは違う方へと向いているのだと。
その事実に男は我に返り、手を放す。しかし少年は咳き込みすらしない。笑ったまま目を開いたまま……ずっと男を、父親を凝視している。
「違う、違うんだクロシェット!僕は君の才能を妬んだんじゃないっ!唯僕は、君を……君を救いた……かっ……う、う、あ、あ、ああ、ああああああああああああああああああああっ!!」
*
「こうして時間泥棒は失われた。間もなくあの男は、この日時計まで辿り着くだろう」
「それじゃあ……今見たあの人と、貴方は同じ事を、したって言うの!?」
「ああ。あの子が先に死んだ場合の私……いや、僕以外、僕はまず生き残らない。時間泥棒を生み出すために、僕の死は必要なことだから」
「変よそれ。どうして……兄さんが、殺されないといけないの!?兄さんはどっちにしろ生き残れないなんておかしいわ!兄さんは何も悪いことはして来なかったのにっ!」
「……今日はこれ以上の話は無理そうだ。ソネット……いや、レーヌ。ソネットを休ませてくれ」
歌姫と、自分自身が落ち着くまで会話は不可能。そう判断した王の言葉に、金貸しは頷き従った。
「ソネット、今日は色々あって君は疲れたんだ。あっちに客間がある。一緒に行こう」
*
二人の娘が消えた部屋。がらんとしたその室内を、男は懐かしいと思う。戻ってきた静寂は長年慣れ親しんだ孤独。
(僕だって……辛かったんだ)
自分が何者なのか解らない。親も兄弟も居ない。まだ幼い子供の頃……唯、時計作りを楽しむ心だけを与えられて街時計に落とされた。運良く親切な老夫婦に拾われて育てられたが、ギルドへの就職が決まった途端、役目を終えたように老夫婦は息を引き取った。
生まれて初めて恋をして、人間らしくなったように思った。運命の恋だと思った。それが全て仕組まれていたのだとしたら。そう思うと怖くなる。
“僕”は最初の王が選んだ女性にそっくりな女性を見つけ出し、その人と恋に落ちる。そして時間泥棒を作らせる。自分の心で選んだはずの結末が、既視感によって既にあったことだと知らされる。自分は何者なのか。生きているはずなのに、誰かの操り人形。
誰かに天才だと僻まれ妬まれても、“僕”は街時計で回る歯車に過ぎない。
街にとって大事なのは時間泥棒。時間泥棒を救うには、街の空気自体を変えなければならない。人がもっと優しくなれるような、温かい時間を生み出せるような、そんな時計を生み出す時計工が必要だ。
今回現れた“ソネット”の兄“クロシェット”……彼の父親は、珍しいタイプの時計工だった。オリジナルの王にかなり近いかもしれない。そうだ。金髪のクロシェットはオリジナルの時間泥棒と同じ外見。それ以外の色の時間泥棒は、唯の考察モデルに過ぎない。王になるにはまだ資格が要る。
(僕のクロシェットも……金髪だった)
父にも母にも似ない外見。永久機関の金時計がよく似合うように作られた、突然変異の不思議な少年。時間革命を起こすべく遣わされた彼を殺す人間達は、自らの滅びを決定づけられた。
「最初の貴方が、どうしてここに来たか知ってる?」
「悪魔……か」
「何よ、つれない返事ね。でもそういう男って嫌いじゃないわよ」
静寂を壊す、女の高い笑い声。間もなくして背中にのし掛かられる重み。背後には露出の高いドレスに身を包んだ娘が見える。その娘は頭から翼や角を生やした不思議な風貌をしていて、人間ではないと一目見て解る出で立ちだ。
「最初の時間泥棒は、とても優しい子だった。今回の時間泥棒とは違い、真っ直ぐに育ったから」
「あれはあれで可愛いと思うよ」
我が子の事のように頷く男に、悪魔は呆れた様子で肩をすくめた。
「ほんと、親馬鹿よねぇ……あんた。全部の街を見てるわけじゃないんでしょ?」
「情報としては全てが届く」
「でも情報としては届くのに、よく観察してたのは金髪時間泥棒の街……ってことね?」
「……それが、何か?」
「あっそ。でもここまでは見えてないだろうから言ってあげる。あの子、私と契約したわよ」
「な、何だってっ!?」
「もしかしたらここまで来られるかもしれない。あの歌姫達が余計なことを考えなければね」
「どういう、ことだ?」
そのためには、お前の娘達が邪魔だと言わんばかりの悪魔の言葉。この物騒な物言いに、流石の男も戸惑った。そんな男の頬を撫で、からかうように悪魔が笑う。
「金貸し女王って前から何者なんだろとは思ってたのよ。タイムトラベルは貴方の力だってのは解るし、時計作りのための材料得るには金が要る。金と引き替えの取引だったってのも解る。それでも解らないことがあるのよ」
「……何が、解らないと言うんですか?」
「私ね、この世界は魔法がない所だと思ってたの。それは昨日も明日にも。だけど金貸し女王は魔法を使った。普通の人間に出来る事じゃない。彼女は十中八九、私の同僚と契約しているわ。そして自分の“クロシェット”を失っている金貸し女王は、この世の誰よりあの“ソネット”を慈しむ。それは貴方の目的にとって、不都合になるかも知れないから注意をしておきなさい」
「待て悪魔!クロシェットは!あの子は何故契約を……っ!?」
「そんなの決まってるでしょ?自分と貴方を殺した奴らに復讐するためよ」
「そんな事例はこれまで一度もなかった!」
「そうね。ならば喜ぶべきでしょう?」
新しい展開。予測が付かない何かが起こる。期待と不安に男は、唾を呑む。
「貴方が作った鳩時計。彼女の存在があの時間泥棒を変えたようだわ。良かったわね、貴方の気紛れがこんな事になるなんて、思っても見なかったでしょう?ここから出られない貴方が、煉獄に落としたゴミ屑。それがまさか、煉獄で時間泥棒と結びつくなんてね」
世の中何が起こるか解らないものねと悪魔は笑う。鳩時計?そう言われて直ぐには思い出せなかったが、男はそんな人形を作ったような気もしたと思い出す。
「ウェスペル=マキナのことか」
「そ。貴方が作ったもう一つの永久機関。その設計図を作ったのが貴方のクロシェット……これからどうなるか、興味が湧かない?それで、どうするの?」
「……まだ、玉座は次の私に譲れない。街の門は決して開かせない。外に出るならあの鏡で始末する」
「そう、それは楽しみだわ」
悪魔はそう言い残し、忽然と姿を消した。室内には元の静寂。それでも男は聞いていた。数世紀ぶりに、強張る身体と緊張に逸る鼓動を。聞けるはずのない、その音を。
終盤の文章って書くのが難しいなぁ。もう一がんばり。