19:永久機関のオルゴール
暗い暗い夢の中、時間泥棒は目を開ける。目の前には一人の女。
硝子色の瞳で、悪魔が少年を覗き込む。の語気込まれた少年の目は赤く、それでも透き通るような硝子色。元からそうだったのではない。元々自分の目は青かった。それが契約により悪魔に目を繋げられているのだ。だから悪しき力が働いて、この眼はこんな色に変わってしまったのだと、彼はそんなことを思い出す。
「さて、契約内容をそろそろ思い出して貰いましょうか」
契約。そうだ自分は確かに契約をした。死の眠りの中で、この声を耳にした。
「貴方は復讐を願った。憎い相手を殺すための手段を得たいと。だから私は貴方を協力者に出会わせた。本来なら地獄に来るはずの貴方をあの煉獄に落としてあげた」
「……ああ、そう……そうだ」
「死者は蘇らない。それでも貴方は時計として時を反転させられる。人間を時計に、時計を人間に。貴方は時計として第二の人生を謳歌できるの。まさに喜劇。貴方にとってはハッピーエンド。そうじゃない?」
何故身体が欲しかったのか。それも思い出せぬまま、時間泥棒は悪魔を見つめる。悪魔の中にその答えがあるのではないかと疑うように。それに悪魔は肩をすくめて首を振る。
「ここまでは故意的に私は私の存在を貴方の中から忘れさせていた。だってその方が面白いと思ったんだもの」
くすくすと小気味よく笑う悪魔。そんな笑顔は邪気がなく、その辺の小娘めいた表情だ。それでも瞳には確かに強い悪意を覗かせて、悪魔は再び嗤ってみせる。
「でも止めね。私の脚本から外れるようなイレギュラーが現れた以上、私も本腰入れる必要があるわけよ」
「イレギュラー……?」
「ええ、面白い時計を持った奴がいるとは思っていたんだけど。まさかこんな所で同僚の気配を知るとは思わなかった。でもそうよね……繰り返される永遠。あの子が好きそうな話だわ」
悪魔の……ああ、自分を自分で書くのってなんか嫌ね。言い直しましょう。悪魔の……いいえ私の言葉を知る由もない時間泥棒。彼はよくわからないままに、瞳を瞬かせている。
永久機関のオルゴール。いつだか同僚が完成させようと躍起になっていたことがある。この本はあれにちょっと似ている。でも未完成で歪なところは彼女の役不足を物語っている。第一テーマの一つに恋愛が絡んでるんだもの。それも実の兄と妹。そりゃ夢現の魔女が興味を持つはずだわ。
でも私の庭に入り込むなんて良い度胸。私の脚本を歪ませるなんて、喧嘩売ってるようなもの。
(そもそも私はあの歌姫を、教会裁判で死なせるつもりだったのよ)
時計となった時間泥棒が人間として生き返った頃、愛した少女は殺されていた。しかも少女は悪魔と契約することなく、後悔なく生きて死に天に昇ってしまう。もう二度と会うことが出来ないと、深い絶望の底に叩き込んであげるつもりで。
日時計の男と時間泥棒を再会させてあげようって言う私の粋な計らいを、滅茶苦茶にしてしまうんだから困ったものよね。でもこんなこと、亡霊に過ぎない少年に話したところで意味が分からないだろう。
「そうね、貴方には違う言い方をした方が良い?どうして駒鳥は殺されたのか」
こういえば分かり易いかと、私は言い直す。
「駒鳥の詩くらい知ってるわよね?」
「そりゃあ、うん」
「駒鳥の伴侶は鷦鷯。それでも駒鳥を殺したのは雀で喪主は鳩。ここに出てくる鷦鷯は別の鷦鷯なのか、他の伴侶と一緒に棺を運んでくれるのよね」
面白いと思わない?私はそう告げてやる。この少年はまだ思い当たる節を思い出せずにいる。死の眠りで記憶の一部を失っただけでもない。これはあの鳩時計の仕業だろう。
(時計の分際で、なんとも可愛らしいこと)
悲劇的な香りがするし応援してやるのも悪くないと、私はそれ以上を追求するのはやめてやる。この少年の鷦鷯はまだ生きている。いずれ伴侶を得るだろう。彼女にとっての駒鳥は、別に必ず現れる。その時この子はどうするのかしら?
永遠は美しい。でも生きて居る人間は永遠を作れない。作れるのは止まった人間だけ。醜い世界を目にした時間泥棒が、絶望する様を思い起こして……私は魂から心が震えるのを感じていた。
*
「ソネット……か」
半ば落胆したかのような声の後、王は此方を振り返る。相手はどんな奴なのだと、緊張から身体を強張らせていた歌姫も、男と目が合い呆気にとられる。
(若い……)
この世界を統べる神とか王とか呼ばれるような相手なんだから、てっきり神話に出てきそうな神様……白髪頭の髭もじゃ爺か何かだと思っていた。それが相手はまだ若い男。男の優しげな風貌の所為なのか二十代にさえ見える。
(でも……)
なんて冷たい目をしているんだろうこの男は。無感動な氷の目だと、歌姫は絶句してしまう。こんな目をした人間を見たことがない。
「金髪か。確かにあの子に似ているな」
遠くを見つめるように男は小さく笑う。とても悲しそうな目だ。雲間から差し込む日差しに負けて、歌姫が目を伏せる。その瞬間、重なった影。目の前の男が朧気な記憶とダブって見えて……
「お父……さん」
目を開ける前に、男の手が自分の頭に触れた。開ける寸前、自分の口から零れた言葉に一番自分が驚いている。その言葉に異を唱えるでもなく王と金貸しはああと頷く。その反応はそれが当たり前と言わんばかりの物であり、歌姫を益々混乱させる物だった。
「い、いや何よその反応!だって、私の父さんは……殺されたはず」
「まぁ、それもそうだ。それじゃあ一つ、あれを見てご覧」
金貸しが指差すは、上の階。そこは展望部屋になっていて、その外……ベランダにも外を眺めるための装置が設けられている。設置された望遠鏡やら。それを覗き込んでみれば、円盤の町……街時計。その中に暮らす人々がはっきり見える。その街の中で幾人も王と同じ顔の男が暮らしていた。
「お、お父さん!?あっちにも!こっちにも!」
「ああ、そういうこと。この男はね街時計に自分のクローン……って言っても解らないか。つまり分身を送り込んでいる。彼はここから出られないからね」
「それじゃあ……」
「私には役目があった。時間泥棒を作るという役割が」
「役……割?」
何よそれ。何その言い方。気持ち悪い。歌姫は嫌悪感も顕わに男を睨む。そんな視線を男は苦笑一つで受け流す。
「時間泥棒は町にとって必要な物なんだ。時間はやがて神の手を離れる。商人や貴族からも奪われ返す。そして誰もが正しい時間を知ることが出来るようにならなければならない。でなければ街時計は滅んでしまう」
男の言葉を補足するよう、金貸しが優しく笑って頷いた。
「つまりソネット。時間を我が物にするような権力者がいるとする。それは盛者必衰、いつかは他の者に倒される。あんな狭い町でそんな事が起こってご覧?革命なんて概念が出来れば内部争いで町は滅ぶと言うことさ」
誰もが町の王になりたがる。正確な時計さえ手に入れれば……誰でもなれると知ったなら、誰もが誰かを殺めるようになるだろう。金貸し女王は呆れて笑う。そんな町を幾つも見てきたとその横顔が物語っていた。
「時間泥棒……」
ずっと追いかけてきた。そのはずなのに、何も知らない。彼は結局何だったのか。彼の名前と彼が自分の兄であること以外、歌姫は彼を知らない。
時間泥棒。その名前に何の意味があるのかさえ。
「時間泥棒って何なの?それに……貴方の役割って」
「……ひとつ、話をしよう」
丁度いい時計がある。そう言って、男が指差す、廃墟となった街時計。神と呼ばれた男が手にした砂時計を反転させれば……先程まで廃墟に見えたその街が、活気を取り戻していく。
生き返ったその街に、男によく似た男が歩いていた。赤い花束を両腕に抱えて歩いている、男の姿が。
*
最初は何も知らなかった。自分が誰かとか何かとか。そんなことも知らぬまま、僕は唯毎日を生きていた。自分が誰にも認めて貰えない苦痛。理解されない孤独。そんなモノに押し潰されそうになりながらも、僕は時計を作り続けた。その先で、僕は一人の女性と出会った。
*
「今日も売れないまま店じまいか……」
同期はもう自分の店を構えているというのに、同じギルドに属していながらここまで差を広げられてしまうなんて。自分がちょっと情けないよと、男は時計に苦笑する。
(まぁ、僕は楽しければそれで良いんだけれど)
大好きな時計に囲まれて、大好きな時計を作る人生。十分幸せだ。例え、今の時代の誰にも理解して貰えなかったとしても、自分のしていることには何らかの意味があるのだと男は信じていた。
それでも人々が帰路に就く夕暮れ。その時間に吹く風は、冷たく寂しい。自分が世界に一人ぼっちになってしまったみたいに感じてしまうのだ。
このまま一生誰も愛さず愛されず、それこそ時計みたいに生きて死ぬ。働いて消費されて行く。そう思うと少しは悲しくもなる。
例えば僕の命が止まっても、誰一人……この街の人間は悲しんでくれないだろう。何の魅力もない僕が悪いのだけれども、なんだかちょっと悲しいな。男は自分の死に様を何パターンか想像し、再び苦笑してしまう。
そのどの未来にも、家族という存在が見えない。結婚なんか出来るはずがないのだ。お嫁さんのイメージも子供の顔も思い浮かばない。心当たりのありそうな、艶っぽい関係の女性も居ない。気になるような子も居ない。仕事第一に生きてきた所為か。それとも趣味を突っ走るあまり、変人が過ぎたか。
しかし自分を偽って妥協してまで他者を求めようとは思えない。このままの自分。皆に変人だと思われているこの僕を、そのまま認めて愛してくれるような女性はこの街にいないものかね。
「何、これ?」
「え?」
「時計屋なのここ」
路上で時計を売っていた男に向かい、不躾な客はくすくす笑う。それを失礼だなと感じながらも嫌な気持ちにはならない。馬鹿にされることには慣れている。
「はい、そうですが。見えませんか?」
「見えないわね」
男が顔を上げた先、赤いドレスの女が笑う。
(あ……)
目が合った瞬間に、頭に流れ込んでくるイメージ。この美しい女性が、簡素なドレスに身を包み……それでも隣で笑っていてくれる姿。それは願望だろうか。妄想だろうか。それにしてはやけにはっきりとしたその妄想。
(僕は頭がいかれてしまったのか?)
その妄想の中には子供の姿さえ見える。とても可愛い子達だ。二人の名前さえ解る。どうしてだろう?それは、確かにあったことのようにさえ思える。
彼女を見ているだけで、愛おしいと思う。懐かしいと思う。二度と会えないと思っていた人に巡り会えたみたいな感動に飲み込まれ、情けないことだが男は路上でボタボタと涙を流し始める。
「や、やだ!どうしたって言うの?」
「す、すみません。いや、貴女があんまりにも綺麗なので」
「え……?」
これまで何度だって同じ言葉を送られてきただろうその女性。それでもこんな風に、泣きながら言われたことは初めてか。何とも腑に落ちない様子、それでも直ぐに彼女は苦笑。深くは追求しないことにしてくれたようだ。
「それにしたって……変な奴ねあんた」
変な奴。言われ慣れた言葉。それでも何時もと違い、此方を馬鹿にするような響きはそこにない。
「これ、あげるわ」
使ってと手渡されたシルクのハンカチ。なんとも高価そう。これを売るだけで暫く生活出来そうだ。
「わ、悪いです!」
「そう?それじゃ……お勧めの商品見繕ってくださる?」
この私に似合いそうな時計をと、ドレスの女が微笑んだ。
「あ、貴女に似合いそうな時計は……今日は持ち合わせていません」
「あら、残念」
その場を立ち去ろうとした女に向かい、男は大声を張り上げる。今を逃せば、もう二度とこの花には会えない。そんな風に感じたから。
「あ、あの!失礼じゃなければ!俺頑張って作ります!貴女に似合う時計を!だから……」
「ふふふ、ありがとう。おまけしてよね?私はソヌリ。ソヌリ=ムーンフェイズ」
「お、俺……いや、僕はクワルツ!クワルツ=パーペチュアルって言います!」
「そう、クワルツ。覚えておくわ」
手を振り夜の街へと消えていくドレスの女を見送って、惚けたように男は女が消えた方角を見つめていた。
「ソヌリ……さん、かぁ。綺麗な人だったなぁ……」
女から貰ったハンカチからは、甘い香水の香りが漂う。そんな香り一つにさえ、懐かしいと感じるのは何故だろう?
「時計、作らないと」
そうだ。お礼。これの代金を……代わりになるような時計を持って行かないと。
これまで作った全ての時計が駄作に思えた。愛してはいるけれど彼女にぴったり馴染むような時計は一つもない。
(ソヌリ……ムーンフェイズ。何処かで聞いた名前だ)
確か、同僚達が噂していた。この街一番の歌姫の名が、そんな感じの物ではなかったか?大金を詰まないと会えないと噂される、最高の歌姫。興味ないと聞き流していたけれど、あんなに綺麗な人だったなんて。
(赤いドレスが似合うあの人には……赤い時計が似合うだろう)
設計図を幾つも考える。無難に腕時計?それとも高価な置き時計?ああ、それも似合いそう。だけど彼女の美しさを一番に映えさせるのは……
考えながら帰路に就く。その道すがら、男の足を止める美しい歌声。振り返れば遠くで……大勢の人間に囲まれて歌う歌姫。周りの人々は身なりも良い。彼女は自分が近づけるはずもない高嶺の花だと理解した。
(あ……)
それでも彼女と目が合った。約束破ったら許さないんだからと言わんばかりににやりと笑い、此方にウインク。観客達は自分に送られた物だと思っただろうが、そうじゃない。あれは僕に向かってだ。
歌いながら空に向かって手を翳した彼女。その手に足りない物がある。男はそれに気が付いた。
「ルビーの、指輪時計」
思い出した。さっきは見過ごしていた妄想の中……再び同じ風景が流れ込む。彼女が付けている時計がそれだ。彼女の指のサイズなんか解るはずがない。それなのに……もう設計図が頭の中で展開されていく。彼女へのプレゼントはそれだ。それ以外に、あり得ない。
資金集めに、しばらく真面目に……趣味に走らず堅実な時計作りをしなければならない。それでもそれが苦ではない。不思議な物だ。人間……恋一つでこんなに世界が変わって見えるものだなんて。
父ちゃんと母ちゃんの話。
神と父ちゃんの関係。
ソネットは混乱してもいいのよ?