18:黄金の魔法は
※一応GL注意回なのか?キスくらいしかありませんけどね。
この展開は考えてなかったんだけど、時計から戻すためのファンタジック解決案を探ったらこれくらいしかなかった。
近付く足跡。死神の声。少女は闇に震えて泣いていた。
暗い暗い牢の中、差し込む光は黄金の……光。
『黄金の魔法は時も軽く飛び越える。滅びも置き去りに飛んで行く』
僕にそれを教えたのは誰だっただろう。金貸し女王は考える。
幼き日に僕を……私を助けた黄金の輝き。彼女の名前は金貸しレーヌ。それでも私とは全く異なる外見で……長く美しい金髪をしていた。そうだ、黄金の主を名乗るに相応しい……美しい金の髪のその人は、ソネット……あの少女と似た面差しをしていた。……そう、私の街にも時間泥棒は存在した。だけど、……私の兄は彼のように足は速く無かったのだ。
*
ある都市で、時間泥棒が捕まった。教会は彼を異端として処刑することにした。処刑は明日と迫った日……牢屋の中から時間泥棒は溶けるように姿を消した。夕暮れに傾いた光が牢に差し込むその時間、時間泥棒は溶けるように姿を消した。
だけど彼は、時間を再び盗むこともない。ならば死んだ?しかし死体も見つからない。謎が謎を呼び、人々は首を傾げる。
「時間泥棒は何処へ行ってしまったんだ?」
けれど一旦処刑すると言ったのだ。このまま見逃すのは自分たちの無能さを明かすような物。傲り高い教会の主はそれを拒んだ。その頃丁度運良く、新たな時間泥棒が現れたのだ。教会は時間泥棒の妹を捕まえて、彼の罪をも彼女に着せて、処刑することにする。処刑は滞りなく進められ、翌日一人の少年の命が消えた。
「こんなの、間違ってる」
「そう思う?」
牢から救われた少女は、金貸し女王を睨んだ。
「黄金の魔法は不可能を可能にするんだよ」
笑った女の絡繰りは、とても単純なことだった。金の力事実を歪め、教会に賄賂を渡す。食うに困った街の中、貧しい家から時間泥棒によく似た年齢、背格好の少年を買って来て、それを真犯人として引き渡しただけのこと。それで少女の命は救われた。
「でも……」
しかし少女は納得できない。誰かの犠牲の上に自分が立っていることが、どうしても納得できなかったのだ。
「どうして私を助けたの?」
「それは勿論お嬢さん、私が君を愛してしまったからさ」
「言ってる意味が分からないわ」
隙あらば愛を囁いてくるその女の煩わしさと言ったら無い。それでも彼女に救われた命。生まれ故郷を離れた今は、他に頼る宛もない。黄金の魔法で都市を渡り歩く二人の旅は、長らく続く。過去や未来、懐かしい街の中、少女は多くの出会いと別れを繰り返す。
どの街でも時間泥棒は殺されて、彼に恋した少女は命を落とす。金貸し女王が現れなければ、彼女は必ず命を落とす。
少年の名は常にクロシェット。少女の名はソネット。彼らの髪の色、目の色、肌の色は街を移動する毎に変わって行った。それは彼らがまったくの、別人であることを意味している。だと言うのに、街時計は強いられたように同じことを繰り返す。少女の恋は一度として花を咲かせず、少年は唯残酷に殺されるだけ。
「……どうして、私だけ助けたの?あの子は私以外にも、大勢いたのに」
「……さぁて、ね」
「私の兄さんも、やっぱり殺されたの?」
「時に導かれたのさ。死んだに等しい。彼は二度と帰らない」
金貸し女王の言い方には含みがあったが、死を断定されたことで、少女は肩を落として泣き崩れてしまう。
「……黄金の魔法は時も軽く飛び越える。滅びも置き去りに飛んで行く」
「何、その歌?ていうか、レーヌ。貴女歌上手かったんだ」
歌姫だった自分より、遙かに上手く歌ってみせる金貸しに、少女は僅かに劣等感を抱え込む。むくれて少女が泣き止むと、金貸し女王も微笑んだ。
「え……?」
二人の間に何時の間にやら柵がある。違う、これは鉄格子。二人を隔てるのはあの日と同じ冷たい牢だ。だけど違うのは少女が檻の外にいて、金貸し女王が中にいること。
「レーヌ……?」
「私はね、ソネット。かつて君と同じ髪の色の金貸しに救われたことがあるんだよ。彼女はこうして、私の代わりに牢に入った」
金貸しが金貨を火にくべ、紙幣を燃やす。すると彼女の背丈は縮み、髪の色も金貸しのそれと同じ色に変わっていった。鏡を見るようそっくりな、自分が牢の中から笑ってみせる。その後再び金貸しが、金を燃やせば……
「兄さんっ!?」
居なくなったはずの兄が目の前に現れる。金貸しが時間泥棒に姿を変えたのだ。時間を巻き戻しただけではない。性別さえも詐称して、彼女は彼になる。
「黄金の魔法は偽りを真に、先読みも何処かでは過去のこと。別の誰かになる蜜吸う鳥になる、変幻自在時の旅人」
金貸しは小さくそう歌い、少女に片目を瞑って見せる。
これまで少女は、黄金の魔法とは金の力だと思っていた。金を積むことで人や物事を自在に操るだけなのだと、そう思い込んでいた。しかし金貸し女王は本当に、金を使って奇跡を起こせる魔女だった。
(……信じられない)
まるで夢を見ているようだと少女は思う。金貸し女王の正体は、違う街の自分。同じ役割を与えられた配役。自分の分身だと言うのに、今の自分には何の魔法も使えない。ここから彼女を救い出すことも出来ない。
「君がこの街を出た日、死んだ少年は今日は死なない。あの日のように私がここで死ぬだけさ」
「嫌っ、レーヌっ!!」
「お嬢さん、お別れに一曲歌ってあげようか?黄金の絡繰りを君に教えてあげるよ」
「そ、そんなの要らない!ずっと傍で歌ってくれればいいじゃない!私を魔法で助けてくれれば良いじゃない!」
「……あの日私がここに招いたのは、他の街の時間泥棒。君の兄さんは別の私の手によって、他の街で殺されたのかもしれないね」
「……!?」
「ソネット。君がどこかの君の大事な人を犠牲にしてまで私を生かしたいと思うのは、どういうことなんだろうね?」
くすくすと笑う金貸しは、鉄格子の向こうから少女の頬に一度触れ……再び牢の中へと引き戻す。
それは自己憐憫?確かに愛したはずの人を、我が身可愛さに殺す?
「違うっ!私は貴女を愛して……」
あの日救ってくれた人。失った恋に傷付く自分を、目まぐるしい旅の中で……何時も支えてくれていた。
いつも金貸し女王が言う言葉。それが少女の口から飛び出しかける。金貸しは再び手を伸ばし少女の唇に指を当て、解っているよと頷いた。そうされると少女は魔法に掛けられて、口が開けなくなり、動けない。少女が魔法に掛かったことを知り、金貸し女王が歌い出す。その歌の中に魔法の言葉が隠されていると告げるため。
黄金の魔法は時も軽く飛び越える 滅びも置き去りに飛んで行く
黄金操りし金貸し女王様 人の心さえも全て金次第
悲しき時の旅人 見限りし街並み 彼女は笑い今日も夜を行く
根も種も残さぬ不思議な花時計 悲劇喜劇全ての傍観者
金で買えぬ物があるなら 見てみたいと思いはしながら
歌なんて所詮は客寄せ道具に過ぎない 咲く花の香りを蝶に知らせるだけの物
夜空に散らばる星達は 黄金細工の娘達
傅く数多の黄金統べる男は金貸し女王 水晶の腕時計は正に神の見えざる手
時代錯誤のその街は多くの嘘が蔓延った 紳士服なら男だと信じて誰も疑わぬ
世界に無数の街知らず生きる歯車 時代は異なれど死は至れり
永遠を知らない壊れる街時計 お構いなしの時の旅人
毒花の色香も知らぬ無垢な歌姫 君の目に街はどう映るの?
生きてはいけないと縋る癖に折れぬ 強かな歌に募る愛しさ
暇潰しの遊戯だろう 笑う私を私が嗤う
囀るは小夜啼鳥何処にいるかも解らない 喪服の黒お前の色誰のために歌うのか
真っ赤なドレスの花達は暗い窓へと攫われて お前もそうかと問うたなら金にならない歌歌い
黄金の魔法は偽りを真に 先読みも何処かでは過去のこと
別の誰かになる蜜吸う鳥になる 変幻自在時の旅人
君を連れ出そうか今すぐ逃げ出そうか? 知らない世界見せてあげるから
世界の絡繰りは意外と単純で 昨日の罪も未来は許される
君を連れ去ろうかこの腕に閉じ込めて 私のためだけに歌わせたいよ
黄金を捨てよう君を守れるなら 僕にとって何も惜しくはない
君を殺めようか私の胸の中 忘れられたら楽になれるけど
君の心攫うには幾ら掛かるのだろう? 何より大事な時間を注ぐ
生きて明日へ逃げられたら 負けはしない他の誰にも
「ソネット、これでお終いだ」
金貸し女王が兄の帽子を目深く被り、口元だけで微笑むと……彼女の腕にあった腕時計が溶けて消え、牢の向こう……少女の腕へと移動する。この水晶時計こと、魔法を生み出す装置なのだと気が付いた少女は、時計に向かって必死に祈るも何の奇跡も起こらない。
「ははは、ソネット。その腕時計にはまだ何の力もないよ。今の奇跡で力を使い果たしたから、暫くは道教えのための方位磁石になってしまったよ。今度はその方角へ行き、キャッシュの方の金の力と引き替えに、神と悪魔に会うと良い。その鞄に必要な分の金は入れてある。いや、運が悪ければ……ある意味良ければ神で悪魔というルートもあるか」
(馬鹿!こんな時に何笑って……大体意味がわかんないのよ!)
牢の中で笑う金貸しに、少女は憤ったがまだ声は戻らない。身体も動かないままだ。
「時間泥棒が戻ってきてやったぞ!さぁ、殺すなら殺してみるんだな腰抜けども!牢から自在に溶けて消えるような悪魔が怖くなけりゃの話だが!」
高らかに嗤う少年。その声に、直ぐに見張りが飛んで来た。そこでようやく金貸しは少女から指を離す。やっと動けるようになった少女だが、すぐに外へとつまみ出されてしまった。本物が戻れば少女など必要ないのだ。金貸し女王が時間泥棒として殺されるだけ。少女がトランクの中の金を賄賂にする暇もなく、金貸し女王は……時間泥棒は殺された。
「黄金の魔法は……時も軽く、飛び越える」
残されたのはトランクと金。それから一方向を指し示す水晶の腕時計。
*
「ふふふ、久しぶりねソネット」
薄暗い部屋の中、怪しい色の薄明かり。間近で微笑む女は記憶の中に眠った人の面影をそこに宿した、美しい……金髪。あの日自分が殺してしまった、金貸し女王その人だ。
「……金貸し、レーヌ。随分と口調が変わったんじゃないか?貴女だって気付かなかったよ」
「だって、貴女はああいう口調の子が好きなのかと思って。好きでしょ?可愛いドレスの似合う、お嬢様みたいな子も」
「確かにね。貞淑な淑女系の娼婦は私好みだよ」
そういう娘を闇に売る商売をしていたことを見ていたこの腕時計は、それが金貸しの趣味だと履き違えたのだろう。
「そう。それなら良かったですわ」
にっこり微笑み近付く金貸し……いや、腕時計。彼女は金貸しを抱きしめて、スーツに手をかけ脱がせ始める。
「……いや、何してるのかな」
「貴女が私の時計なんですもの。何をするのも私の自由。だって貴女は自分で動くことも出来ない時計」
「ああ、なるほど。だからこうして寝台に放り投げられているわけだ」
身体が動かない。縛られているわけでもないのに、首から上しか動かない。
冷静に状況分析を試みるも、何とも危うい状況だ。こんな展開は知らない。これまで何度も見たはずの時間旅行。その中で時計が人を襲い出すなんて状況はなかった。これまでとこの街時計……それは何が違うんだ?金貸し女王は考える。
「それはねソネット。貴女は神で悪魔である男に出会ったけれど、神と悪魔に出会わなかった。悪魔は気紛れだから、全ての街時計に関与なんかしないのよ」
「……何故、私の心を?」
考えを悟られたことに金貸し女王が驚くと、腕時計はうっとりと眼を細めて微笑んだ。
「私は貴女だもの。何でも知っているわ。だからこれも知ってるわ。貴女があの娘を助けたのは、私への愛故に。私と同じ髪色のソネットを、破滅の運命から救いたかった。私が貴女を助けたように」
「そうだね……昔の私は、ずっと一人の人を思い続けるんだと思っていた。他の誰かを愛することは裏切りだと思った」
時間泥棒に恋をした。けれどその恋は叶わなかった。それならせめて、彼のために歌い続けよう。他の誰も愛さぬように。最初の金貸し女王が生まれた理由も察しが付く。女であることを止めるため、金の力で性別を詐称する。男として生きれば、他の男を愛さずに済む。恐らくはそんな理由でだ。けれど街を移動したことにより、金貸し女王は新たな恋を知る。自分であり自分でない存在に。
「なら、解るでしょ?」
今ここで自分を受け入れろ。それが幸せなのだと腕時計は囁く。それでも金貸し女王は小さく鼻で笑うだけ。
「あの子は私とは違うんだ。勿論貴女ともね。似ているのは髪の色だけ。だって歌は貴女の方が上手かった」
「この私よりあんな小娘を愛してるって言うの!?それがどういう意味だか解る!?」
「……そう、だね」
ここで彼女を否定すること。それはこの街のあの少女……ソネットの未来を定めること。彼女が金貸し女王に惹かれる未来があったとしても、やがて別の街のソネットに心を奪われるようになる。金貸し女王が腕時計を拒むと言うことは、それを決定づける事なのだ。
「貴女には私だけ居ればいいはずよ!そうでしょう!?」
「停滞こそが永遠。美しき愛の姿。……心変わりは裏切りだろうか?私はそうは思わない」
口付けを求める腕時計を拒み、金貸し女王は首を横へと振る。少しずつだが身体が動くようになってきている。
「そんな人間は生きてはいない。死んでいるも同然だ。人は不確かで危うい。だからこそ、愛しいと思えるんだ。時計になってしまった貴女には、もうそれが解らないのかもしれないけれど」
「解らないっ!どうして解ってくれないの!?どうして愛してくれないの!?」
かつて愛した人の姿を模した腕時計。その言葉が胸を裂く。それでもこれは彼女ではないのだと、金貸し女王は理解する。
「永遠は美しくなど無い。変わり移ろい、廃れて消える。枯れて散るから花は綺麗に咲くんだよ」
ここまで必死になるということは、まだ自分の身体は時計になっていないのだ。口付けをされることで身体の動きは封じられても、まだ大丈夫。首から上を動くようにしてあるところから察するに、時計の愛を受け入れ無ければ……此方から口付けをしなければ、人間が時計になることはない。
それを金貸し女王は確信し、ほっと安堵の息を吐く。
(しかし……困った。逃げられないというのは痛いな)
黄金の魔法は時も軽く飛び越える、滅びも置き去りに飛んでいく……とは言え、送金を行わなければ魔法は使えない。この場を脱することは難しい。
(何時かはソネットが助けて……くれるだろうか?)
自分が彼女を愛したからと言って彼女が自分を愛してくれるかは解らない。彼女を自分ではなく別人として尊重し愛することは、そういう意味になるのだから。助けが来ないまま、ここで腕時計に延々と愛してと懇願され続けるというのも拷問だ。避けるのも、首を押さえられては意味がない。腕時計は無意味なキスをして来るし、外見だけなら過去の亡霊。これが彼女本人ではない、姿を映しただけの鏡とはいえ哀愁の念は覚えてしまう。
「ここよソネット。ここからあの時計の気配が……」
ガチャと、扉の開く音。聞き覚えのない声だが、視線を向ければ文字盤の顔。赤いドレスの女が見える。女の指には赤い指輪。
(あれはソネットの指輪時計か?それじゃあ……)
ここに彼女も来ているのかと気まずさと喜びを覚える金貸し。首を捻って視線を下げればその女の陰に、わなわなと肩を振るわせているあの歌姫。自分でも理解できない怒りを持て余しながら、彼女は不機嫌そうに金貸しを睨んだ。
「お取り込み中……だったかしら」
「ソネット!来てくれたのかい!?」
「人が心配して来てやれば、なによそれっ!自分は色気むんむんの金髪美女とお楽しみってわけ!?どうせ私は小娘よ!ふんっ!」
ふて腐れた少女が部屋を出て行こうとするのを、傍らの赤い指輪時計が押し留める。
「ソネット。金貸し女王がまだ時計になっていないのは、彼女が自分からは何もしていないからなのよ?」
「何も出来ないだけでしょ?動けないから」
「貴女はあの金貸しに借りがあるんじゃなかった?」
「っち、どうすれば良いのよ?」
「時計の口付けで二十四時間すれば時計になる。その前に人間から時計に口付けを返せばそこで時計になる。だけど……他の人間がその人に口付けて自分の時間を与えたら、その人は時計にならずに済むわ」
「な、何よそれっ!?それじゃ私あいつとキスしなきゃなんないわけ!?信じらんないっ!あんな変態とファーストなんて絶対嫌っ!」
「それじゃ今私としておく?それならセカンドになるわ」
「さり気なく自分も人間になろうとしてんじゃないわよ!私も動けなくなるじゃない!」
戸口で侵入者二人が騒ぎ合っているのに、いい加減痺れを斬らした腕時計が寝台から降りていく。
「貴方達、いい加減にしてくださりませんこと!?ソネットも、こんな娘より私の方がずっと貴女を愛していると思いませんか!?」
「え?」
突然自分の名前を叫ばれて、歌姫は目を点にする。確かにそう思うだろうなと、歌姫の誤解に金貸しは嘆息。こんなところで正体がバレてしまうだなんて、それも想定外だった。
「大丈夫だよソネット。この腕時計は別に君を好きじゃない。唯、私の本名がソネットと言って、こっちの腕輪時計の持ち主が……金貸しレーヌという名前だったと言うだけさ」
「……え?」
同姓同名という話なのだろうかと歌姫は首を傾げている。この子は街時計の存在を知らない。臭わせ話はしたが、正しく理解はしていないだろう。実際それを見せてやるまで。
それでももうこの件に関しては気付いてしまうだろう。
「“黄金の魔法は偽りを真に、先読みも何処かでは過去のこと。別の誰かになる蜜吸う鳥になる、変幻自在時の旅人”」
唱える歌が魔法の言葉。魔力を蓄えた腕時計が無い今は、何の意味もないその言葉。それでももう一つ、魔力を蓄える時計を金貸しは持っている。魔法の言葉に従うよう、ポケットから転がり落ちたルビーの指輪時計が、赤いドレスの女に変わる。
「母さんが、二人!?どういう、こと……?」
二人はドレスも髪の色も長さも肌の色も背丈までもが同じ。何かを暗示した舞台装置のように、時間泥棒の母を映した時計が鏡のように立ち並ぶ。
「教えて、答えてよレーヌっ!どうして貴女が母さんの時計を持ってるの!?」
歌姫の疑問に金貸しは答えない。代わりに自動で螺旋を巻いたその指輪時計が歌う子守歌。その歌に腕時計がその場に倒れ眠り込む。それを見てよしと金貸しは頷き、歌姫を見る。
「さてソネット。私が嫌ならそっちの眠り時計にすると良い」
「はぁ!?私が時計になるじゃない!ていうかあんたと間接!」
「相手は時計だ。ノーカウントだろう?間接は諦めてくれ」
金貸しはにたりと笑って、指輪時計達の方を向く。
「おそらく時計にはならないよ。私が吸い取られた分の時間が君に移動するだけさ。私が思うに時計が一度に人間を時計に出来るのは一人まで。完全に時計にし終えた後じゃないと、次の獲物は狩れないと見た。そして人間に時間を奪われた時計はまた動かない時計に戻る。違うかな?」
「ええ、その通りよ」
「流石ねソネット」
もう一つの指輪時計の物言いに、違和感あるわと歌姫が苦い顔になるが、金貸しは気にしない。
「でもあんたの時間を私からあんたに戻すには?」
「気が向いたときにでもキスして貰えれば戻るんじゃない?ま、返してくれなくても良いけどね。私の命を喰らって君が生きていくと思うとそれはそれで胸が高鳴るものだからねぇ。長生きしておくれよソネット」
「くぅっ……どっちにしろなんか屈辱っ!」
悔しそうに顔を歪める歌姫は、可愛らしさも吹き飛ぶ鬼の形相だ。
「私、借りた物は返さないとなんか嫌!これまでだって借金踏み倒したりはしてないわよ!よくわかんないけど貴女が私なら、これもノーカウントなんだからっ!」
鬼の顔のまま躙り寄る歌姫に金貸しが苦笑する内に、歌姫は金貸しに口付ける。ぐっと息を送るようキスをして……自分の時間を注ぎ込み、その命を分け与えた。
「身体、大丈夫なの?」
「ああ、お陰様で動くようになったよ。ありがとう。後私にくれた分をあっちの時計から取れば、君の寿命が減ったりはしないよ」
「結局あれともやんなきゃ駄目なのね」
身体の自由を取り戻した金貸しから目を逸らしつつ……はぁと嘆息する歌姫は、今の口付けを忘れるためにか、さっさと指輪時計の傍に座り込み、投げやりな態度で自分の時間を取り戻す。それでもまだ時計に戻らない腕時計を前に、歌姫は新たな疑問を口にした。
「私時間取り戻したけど……この子どうなるの?」
「次の獲物を求めて狩りに行くと思うわ」
「そうね」
頷き合う指輪時計達に、歌姫はちょっと待ってと声を荒げる。
「元の時計に戻るんじゃないの!?」
「そればっかりは時計の意思よ。あの時計塔で歌っている時計を止めないと、街の時計達は止まらないわ」
「でも、レーヌの方の母さんは今まで眠ってたじゃない!」
「私は起きる気無かったのよ。ソネットに言われて起きただけ。もう眠いわ」
ふぁあと欠伸をした指輪時計が、再び赤い指輪に戻る。それを金貸しは拾い、自らの指へと嵌めた。容量は腕時計に負けるが、しばらくはこれで魔力を蓄えなければならない。
「か、母さん……私の母さんはどうなの?」
また時計に戻る気があるのかと考えて、寂しい気持ち。それでも街の異常に加わるつもりなのかと言う不安を抱えて歌姫は聞く。
くるりと振り返る文字盤の顔は、正しい心を表しはしない。唯想像するだけだ。それでもその顔は笑っているように二人には見えていた。
「獲物狩って来て良い?一匹二匹食いたい奴居るのよ。いい加減私も文字盤の顔から元に戻りたいし」
「人を殺すってこと!?」
「あのねソネット。私はどうしても許せない奴が居るの。大富豪とあの時計工。私はこの顔の人ではないけれど、この姿で居ることであの人にどんどん心が近付いていく。あの人の未練を、私は感じ取る」
復讐を望む心は、歌姫の母自身の心。この指輪時計は主の未練を叶えるために主自身になりきろうとしている。
「それなら……私が」
「娘の手を汚させるわけにはいかないわ。母親だもの」
「……貴女は、母さんじゃ……ない、のに?」
「それでもあの人に使われて、私はあの人の身体の一部、心の一部。だから主人と息子を殺した奴は許せない」
強く言い放った指輪時計を引き留めては置けず、歌姫は立ち去る指輪時計を見送った。
「行かせて良かったのかい、ソネット。私を助けに来てくれたのは、相談事があったんだろう?」
「ええ……だけど、何処か時計が居ない場所に移らないと。この時計が目覚めて私達のこと他の時計にバラしたら大変よ。すぐに他の時計に捕まっちゃう!」
「なるほど。それじゃ一旦、良い場所に逃げようか?ソネット、そっちの暖炉に火を付けて貰えるかい?」
「え?ええ……解ったわ」
言われるままに歌姫は、室内のランプを用いて暖炉に火を付ける。それでもこれでどうやって逃げるというのだろう。疑いの眼差しで金貸しを振り返る。その先で金の延べ棒がぎっしり入ったトランクを広げた金貸しが見えて、歌姫は教会での出来事が幻滅していくのを感じてしまった。
「さて……っと」
「あんた、あれが全財産じゃなかったの?」
「あのねお嬢さん、物の例えとか比喩って知ってる?私の全財産なんか私一人で持ち運べる訳が無いじゃないか。というかそもそもこんな重い物持ち運ぶもんか。今ここに移動させたんだよ」
「今?え?は?」
金貸しの言葉に付いていけない歌姫。それを放置したまま金貸しは、金塊を暖炉に放り込む。
「“黄金の魔法は時も軽く飛び越える、滅びも置き去りに飛んでいく”っと」
「な、何勿体ないことしてんのよ!馬鹿っ!いきなり何歌って……何の儀式よこれっ!!」
「何って、送金」
「はぁ!?」
「ほら、暖炉から逃げられるよ。さ、こっちにおいで」
この変態何を言っているんだと疑いの目を向ける歌姫も、炎があったはずの暖炉が白い光を放っているのに気が付いて、どういうことだと目を丸くする。
「熱くないから大丈夫。怖いなら抱きかかえてあげようか?」
「へ、平気よ!」
そう言いながらも金貸しにしがみつきながら、歌姫は暖炉を潜る。
「それじゃあ行くよ!“永遠を知らない壊れる街時計、お構いなしの時の旅人”」
「だからなんでいきなり歌うのよ!意味わからないわ!」
「仕方ないよ。詠唱なんだから」
「はぁ?」
金貸しの言動に文句を言う内に歌姫は眩い光に包まれて……新たに見えてきた景色は、一面の青。空と海が遠くで交わっているのが見える。
「凄い……何なの、ここ」
「王の城さ。スケールを上げるなら別名、神の神殿かな?ここは世界を統べる日時計の城」
「それ……前に牢で聞いた話の?」
「ああ。彼なら街のことには詳しいからね。今回の騒動についても何か知っているはずだ」
「……神様って、どんな人なの?怖い……?」
「あっはっは。意外と普通で驚くよ?ある意味初回は化け物かと思ったけどさ」
金貸しの言葉に想像を膨らませたのか、歌姫は緊張の面持ちになる。それを見越して金貸しは、一つの質問を彼女に投げた。
「……ソネット、君は自分の父親の顔を覚えている?」
「父さんの?無理無理。物心着いた頃にはもう母さんと別れて……」
「正確には別居だと思うよ」
「あんた……やっぱり私なの?」
「それはご想像にお任せするよ」
勝手知ったる人の家。何処にその男が居るかの見当も付いている金貸しは、歌姫を城の一室へと導いた。部屋の中では机に向かって何やら作業をしている男の背中……
「久しぶりですね陛下。残念ながらまた貴方のソネットですよ。兄さんじゃなくて申し訳ない」
金貸しの言葉に此方を向いたその男。その眼差しがやけに懐かしいと、歌姫は感じていた。初めて会う気がしないとさえ。
金貸しレーヌの正体暴露回。
『クロノトラベラー』っていうレーヌの歌を作った時点でこの設定は決めてたんだけど、気付いてくれた人いたのかな。
レーヌは他の街時計で生まれた時間泥棒の妹。名前はソネット。
更に又他の街のソネットが金貸しレーヌになり、ソネットを救う。救われたソネットが金貸しレーヌになり、この話のヒロインのソネットを救うと。
自分に惚れるのではなくニュアンス的には、同じ役の同じ台本を渡されて違う舞台で演じている女優が、同じ役をやってる女優に惚れたとか思ってください。