0:悪魔のrecitativo
物語の悪魔である私がもつ脚本能力とは、制限されているものである。
それは勿論世界や人を自在に操り望む結果に至ることは可能。時に傍観は楽しい暇潰し。自然な流れにちょっと脚色不幸を付け加えることで、十分いい劇を作ることは出来る。
それでも時にそれはつまらない。
私という主観だけが話を追う物語。それも悪くはないけれど、真実かと尋ねられれば無論走ではないわけだ。人間と悪魔の感性の相違。それを理解しようと思う心はないけれど、彼らの不可思議な行動に伴う感情を、追ってみるのもたまには面白いことかも知れない。劇にしてもそう。台詞だけの舞台では観客に伝わるものも少ない。歌を歌うように、役者の心をさらけ出させることが必要。
だから私は時に彼らと契約をする。私と彼らの瞳を一時交換することで、私はよりよく本の内側を眺められる。ほらもう文字が浮かんできた。役者達の胸の内が。
それではそろそろ語り始めましょう。これは1人の少年の生と死の物語。
昔々或いは、それに通じるほど遠い場所。そんな世界のとある場所。世界という概念の内では小さく狭い街という概念の中で、舞台の幕は上がります。
さぁ、耳を澄ましてご覧なさい。貴方にもまもなく届きます。
街を駆ける小気味よい革靴の音。そして何処か愛嬌のある、調子外れのその歌が。
時間泥棒「七時ー!七時ー!起きなきゃ仕事が始まるよーっ!!」
町人A「時間泥棒が出たぞっ!」
町人B「向こうに行ったぞ!捕まえろっ!あれを捕らえれば一攫千金!逃して堪るか!待ってろ人間宝くじっ!!」
町人C「捕まえろだって?んな無茶な!?あんなすばしっこい奴どう捕まえるってんだ!」
町人A「いくら足が速いってもただのガキだ!その内力尽きる!今は唯追いかけろっ!」
町人C「追いかけろって言ったって……」
町人B「もう見えねぇ……くそっ!化け物かよあいつっ!?」
新しい朝の中を走り抜ける少年が1人。彼の名は時間泥棒。人としての名前はなんだったかしら?皆様方にとってもどうでも良いことでしょう?劇に必要なのは役者の名称。そのモデルの人間に対する興味なんて悪魔にはなんの興味もありませんもの。些細なことです。
何はともあれ、下手くそで音痴で大声で上品さに欠けるその歌声。その時を告げる歌が、この街では風物詩で日課になっておりました。
時間泥棒は、その名の通り時間を盗んだ大泥棒。彼の犯した大罪は、誰も殺さず誰も傷付けずに行われている罪。この時代のこの世界では、時間というものは酷く曖昧で、誰もが正確な時間を知ることが出来ませんでした。
だから愚かな人間は、時計を持つ裕福で狡賢い人間達からありとあらゆるものを搾取されていたのです。この大泥棒が現れるまで、それまでずっと。
言うなれば彼は、この街を救った英雄。それでもその日暮らしの人々にとって金は何より大切で、懸賞金に目が眩み、そんな英雄を犯罪者として捕らえようとする薄情者ばかり。だけど所詮、人間なんてその程度の者なのでしょう。
その街の中で時間泥棒に感謝している人間なんて、せいぜい彼女くらいなものでしょう。
時間泥棒「七時ー!七時ー!七時四十分ー!もうすぐ仕事が始まるよー!」
歌姫「きゃあああ、しまったっ!寝坊だわっ!!」
寝床から飛び起きる1人の少女。そして響く歌声に気付き、彼女は窓の外を開けましたが、もうそこに時間泥棒はいませんでした。
歌姫「あぁ、また見逃しちゃった。時間泥棒……どんな人なんだろう?」
母親「ソネット、やっと起きたのね?朝ご飯が出来てるわよ」
歌姫「お母さん、駄目よ。ちゃんと寝てなきゃ。ご飯は私が作るって言ったじゃない」
母親「そうは言うけどあんた今日も寝坊したじゃない」
歌姫「う……」
母親「あんたには迷惑かけてるからね。これぐらいは私も頑張らないと。今日も夕方まで仕事でしょう?ごめんねソネット……私のせいで」
歌姫「いいのよ母さん。工場って結構楽しいんだから!……って早く準備しないと遅刻だわぁああああああああああああああああああああああああああ!」
少女は寝坊癖で、いつも遅刻ギリギリ。工場へ送れたなら少ない給料が更に罰金で少なくなってしまうんですって。時は金なりとはよく言ったものですね。人間って面白い錬金術を編み出したものだわ。目に見えない時間というものから、金貨を作り出すなんて、まるで魔法みたいな話。
人の自由な時間が金銭に変わるというのなら、これってこうも言えるんじゃないかしら?人は自らの寿命と引き替えに、金貨を生み出す力を持っているのだと。
つまりその取引は真摯でなければいけません。だからそこで相手を騙すと言うことは、人を殺すのと大体同じような意味。
工場主「ソネット!また遅刻か!?今日という今日は揺るさん!今日から一週間お前はただ働きだ!」
歌姫「ちょっと待ってください工場長!私が起きたのは七時40分。そこから私は60秒で着替えをし。そこから1分会話、2分で食事をし、ここで4分。そこから20分掛かる道程を走って10分でやって来ました」
工場主「それがどうした」
歌姫「つまり今は七時54分!工場が始まるのは八時から!つまり私は遅刻はしていません!」
工場主「馬鹿を言うな!私の時計はもう八時を五分も過ぎている!これはお前が遅刻をしたという動かぬ証拠だ!」
歌姫「そ、そんなぁ……そんなの誰だって弄れるじゃないですか!工場長の時計が合っているって保証はあるんですか?」
工場主「それならお前の言う時間が合っている保証もあるのか?無いだろう?貧乏人のお前は時計など持っていないのだからな!」
歌姫「…………でも、本当なんです!ちゃんと私は1秒1秒数えてきました!」
工場主「雇い主に口答えするとはけしからん!そんなに解雇されたいのか?この不況のご時世、お前のような小娘他に雇って貰える場所があるとは思えんが?」
歌姫「………っ」
いつの時代も労働者は低い身分であるようで、雇い主にそう言われれば、従う他にありません。それがどんなに理不尽だと感じたとしても、人間の社会とはそういうものらしいのです。悪魔の私にとっては、何とも理解しがたく不思議な慣習。人間は罪を恐れるがため、多くの悪を見過ごす生き物。故に悪人ほど得をするというシステムが人間社会には確立されているのです。人間って本当に不思議な生き物だわ。
そう、本当に……人間って不思議。時間泥棒。彼もまた1人の人間。不思議な人間。いくら足が化け物並に早くても、彼を走らせる動力は感情という絡繰り。それは悪魔の私にとってとても不思議なものでした。
職人1「時間泥棒だっ!時間泥棒が出たぞ!?」
時間泥棒「八時!八時!」
工場主「ははははは!ほらやはり私が正しかった!罰としてお前は……」
時間泥棒「八時まであと五分!もうすぐ工場が動き出すー!遅れりゃ罰金6ペンスー!」
工場主「な、何ぃっ!?」
歌姫「ありがとう、時間泥棒……!」
少女が振り向けば、外にはやっぱり誰もいない。それでも少女を助けるように風のように現れ去っていく時間泥棒。それは偶然だったのでしょうか?それとも……?
まぁそれは追々語るとして、そんなことが何度か重なる内に、少女は時間泥棒に深く感謝するようになりました。彼女にとって時間泥棒とは正義の味方で救世主で憧れのヒーローのようなものだったのでしょう。
少なくとも彼女は金に困っていても彼を捕まえ売り飛ばす気はありませんでしたし、もしも彼に会うことが出来たなら、心から伝えたい言葉がありました。いつも助けてくれてありがとう。精一杯の間しゃん言葉を彼に伝えたかったのです。
だから少女は時間泥棒に会いたがっていました。けれど、いつもいつも見逃して、話をするどころか顔さえ知ることが出来ずにいました。
何かと謎の多い時間泥棒。人々が彼について知っていることはそう多くはありません。その声色から、まだ幼い少年のようだと言うこと。足が化け物のように速く、声が大きいけれど、その歌は下手過ぎてどんな寝坊助さんも目を覚ましてしまうこと。
時間泥棒は日の出から日の入りまで1時間おきに時報を行う不思議な泥棒。
何を盗むでもなく唯歌い街を駆けめぐるだけ。唯その時間が正確すぎることから、街の裕福層からは憎まれておりました。彼に賭けられている莫大な懸賞金も、街の金持ち連中が持ち寄ったお金。その金に目が眩んだ人間達が時間泥棒を捕らえようと躍起になっていました。
時間泥棒が何処に住んでいるか。それは誰も知らない。不思議なことに、時間泥棒を追いかける人はすぐに彼を見失ってしまうのです。走ってくる彼を見た人も、目深帽子が邪魔してわからないと言います。運良く顔を見ることが出来た人間もいるにはいましたが、思い出そうとしてもよくわからない。それが時間泥棒だったのかと聞かれるとそうではないような気さえする。次に彼を見てもそれが彼だと気付けないだろうとのこと。
ですから時間泥棒をそれとしる手がかりは、彼の下手くそな時報ソングしかないのです。彼の大声、それだけが手がかり。
何処に現れるかはわからなくとも、唯じっと待っていればいい。時間泥棒は同じ場所にきっかり60分おきに現れると言います。何処に現れるかではなく何処にでも現れる。けれど何処にも留まらないからすぐに見失う。
まるで運命の女神フォルトゥナのようだとは思いませんか?チャンスは後から掴めない。今か今かと虎視眈々と待っていなければ、彼を見つけることさえ出来ない。
でも正確な時計を持たない人々にとって、それはとても難しいこと。気を抜いた一瞬に通り過ぎてしまう風こそが彼の正体。これはそこそこ正確な時計を持っている裕福そうでも難しい。美味しいものをたらふく食べて肥え太った人間に、身軽な時間泥棒を捕らえられるはずもありませんから。
それにこの時代の時計は遅れを生じる機械。毎日ゼンマイを巻き、それでも次第に遅れる時計。振り子だって地震が起きれば止まってしまう。真実なんてそんあ曖昧なもの。
けれど時間泥棒の持っている金時計。それは真実を刻む懐中時計。分類するなら水晶時計。けれどそれは本来何処の世界でも何世紀か後に発明され、何世紀か後に普及するはずの発明品。それはこの時代の人々にとってどんな物に見えたのでしょう。
全ての悲劇の発端はその時計。時代を先取りしすぎた時計が奏でるのは悲劇の音色。
さぁ、耳を澄ませてご覧なさいな。まもなく聞こえてくるでしょう。
盗人の時間が奪われるその音が……
以前作った曲の世界観が広がったので小説にしました。
脚本シリーズは演劇っぽい小説が目標。
情景を読んで下さる方がイメージ出来るような文章を書けるように頑張りたいです。
一応短編小説なので、絵本シリーズよりはさくっと終わる予定。