13:籠の鳥
歌が聞こえる。異国の歌だ。正確に言うなら国という単位は些かおかしい。それでもそれは僕の故郷の歌とは違う歌。同じ言葉を話しているはずなのに、そんな風に感じてしまったのは何故だろう?確かに彼女たちの歌は美しい。でも、唯それだけだ。僕の心には響かない。
それは僕が共感できないからだ。別に彼女たちは歌が好きで歌っているわけではない。歌は手段で道具だ。なんとも近代的な価値観だ。この街もやがては滅びの道を辿っていくのだろう。僕の街と同じように。
「……結局こんなものか、何時の時代も」
言うなれば僕は飽いていた。厭いていた。
それはこの街に来てからも同じだ。最初こそ新鮮だった。まるで別世界。
それでもそこに暮らす者が人間である以上、根本的な物は何一つ変わらない。時間の流れも時代もそこには関係ない。僕はそんな風に変わらない人間をとても気持ちの悪いものだと思う。
僕の願いは星に叶えられ、僕はその輪から抜け出すことが叶ったけれど、それは後々僕を悩ませる問題へと姿を変えた。
人は僕を女王と呼ぶ。何でも強面の金貸し達を束ねる僕が、彼らの中から浮いて見えるからだと言う。それは僕が女のような美貌の持ち主だからとも言うかもしれない。
しかしここで一つ勘違いして貰いたくないのは、別に僕は一度も私が男だとは言っていないということだ。それでも彼らは僕を男と信じて疑わない。それがこの街、この狭すぎる世界、この時間の常識なのだ。
この街にはまず、変装という概念がない。時間を偽る浅知恵を出す者は居ても、姿を偽るという発想がない。不況に当てられて、人の価値観に歪みが生じたのは事実。死後の幸福より今の快楽。人はあまりに刹那的な生き物だ。生きるために食うために、人は神を忘れるだろう。とはいえ元々教会の教えが浸透している街だ。まだその発想には至らない。
良く言うならば、この時代の人々は純粋だということなのだろうか?男の服を着ていればそれは男、女の服を着ていればそれは女と信じて疑わない。
どうしようもないことはどうしようもないと考えて、それに抗おうとも思わない。そのどうしようもないことの範囲内で妥協し自分という虚像を作り上げる。そしてそれに満足しているような振りをするのだ。不満は勿論あるだろう。しかし発想がない。だから何処かで妥協するしかない。彼らは諦めを知っている。
しかし、ソネット。あの少女の恐ろしいところは神をも恐れぬ怖いもの無しの発想だ。彼女は正に時間泥棒。彼女が盗んだのは時代だ。彼女は数世紀先を生きている。時間泥棒を継ぐというその発想自体がまずこの時代の街ではあり得ない。だから、この街の誰もが彼女が彼と疑わないだろう。ここには男装の概念すらない。誰も僕の正体に気付かないように。
彼女はなんとも諦めの悪い子だ。
僕は初めのうちは、それが子供ならではの諦めの悪さと我が儘なのだと考えた。その頑固さも、この時代の少女という生き物には珍しい才能だった。
今日も僕は彼女のその才能に呆れつつ、懐かしみ親しみを禁じ得ない。そしてその思いが僕の胸を焦がすのだ。金貨さえ溶かすような、どうでもいいと思わせる、その妙な心が僕に宿る。
というかこの時代に子供という概念はない。子供が子供になったのはもっと街が近代化してからのこと。この時代にとっての子供は働き手。既に社会の一員だ。
そんな中で子供らしさ、その一面を失わない彼女はとても魅力的に思えた。彼女は時に背いている。
そりゃあ街は狭いけどね、世界は広いよ。金を積めばまた僕は他の街へと流れるだろう。そういう道も選べる。その先にはもっと歌の上手い歌姫、美しい美貌の人、幾らでもいるだろうさ。彼女は愛らしくはあるが、一番ではない。
だけどそんな他の少女に出会ったとしても、僕は今と同じ気持ちにはならないだろうと断言できる。金銭的価値しか彼女たちには見いだせないだろう。
彼女と彼女たちの違いは何か?僕は考える。
そうだな。唯……一つ言うならば、本当に楽しそうに彼女は歌うのだ。歌が道具ではない。
迷いが見える歌声。そんな曇った歌声は、人の耳には届かない。だけど僕には届いた。
歌を金儲けの道具にすることに葛藤を覚える。
資本主義にとけ込めない歪な少女。生きるために金は欲しいが、大好きな歌を金儲けの道具にしたくない。空っぽの籠を見て帰る彼女は少しだけ、悲しそうに……それでも嬉しそうに夜の街を立ち去っていく。
「やぁ、お嬢さん。まだまだ浅いこんな夜更けにお帰りかい?夜はまだまだ長いのに」
「何よ?誰よ貴方。所場代でもたかりに来たの?」
「なるほど、君は自分にそこまで自信があるのか」
「う……」
「儲けがあるなら僕も考えるけど、儲けのない子から金を巻き上げる趣味はないよ」
「し、仕方ないでしょ!外で歌うの、初めてだったんだから!」
「そうだね、所々音を外してたし緊張でもしてたのかな。途中でもごもごしてたし」
「だ、だったら悪い!?」
「でも、可愛い声だったよお嬢さん」
気まぐれで彼女の籠に財布の中身を落としてやる。どうせ金は腐るほどあるんだ。腐らせておくのも勿体ないかなと思ったから、先行投資でもしようと思った。この子は磨けば光る。また一つ新しい金儲けの道具を手に入れるため、その投資。そう思った。でも……
「あ、ありがとう!」
ぱぁと明るい笑顔になって笑って去りゆく彼女は、月の下に似合わない、温かな笑みを持っていた。
こんな夜中に歌うよりも、日の下でもっと大勢の人の前で歌わせてやりたい。その方が金になるし、彼女の笑顔も映えるだろう。
その瞬間はそう思ったのだけれど……今となってはどうだろう?実際彼女は時間泥棒となって太陽の下で歌うようになったけれど、僕は複雑な気持ち。そこでようやく僕は、僕の本当の気持ちを知った。
僕は彼女が好きだ。死なせたくない。
僕は彼女を愛している。だから誰にもその歌を聞かせたくない。どうか僕だけのために歌って欲しいと、僕は願ってしまう程に。
*
「まったく君は強情だね」
金貸しは肩をすくめる。ここまで自分の忠告を聞かない人間が今まで居ただろうか?金貸しは考える。少年もとい、少女は……女司祭に怒りを真正面から買い、牢屋にぶち込まれていた。
「ああ言った以上、あの巫女様は本気で君を殺しに来るよ。彼女は外の主に気に入られているからね」
「外?」
「あ、気になったのはそっちなんだ」
逞しい精神力の少女に、金貸しは舌を巻く。
「こうなった以上、この街で君が生きていく事は不可能だ。逃げるか死ぬかしか、君に未来はない。君のお兄さんはいつも逃げていた。君も時間泥棒だというのなら、逃げてみたらどうだい?」
「兄さんは逃げてなんかいないわ。いつも……戦っていたのよ。そんな解釈しか出来ないなんて、やっぱり私貴方のことは嫌いだわ」
「嫌いねぇ。十分に結構さ。それは君が私を好きになる可能性と才能が十二分にあるということだからね」
「意味が分からないわ」
「よく言う話じゃないか。好きの反対は無関心って。無教養の君に教えてあげよう、つまり君は私を嫌う程度には私のことを愛していると言うことなんだ」
「ごめん、ますます意味不明なんだけど」
同じ言語を話していても、伝わらない言葉がある。人の心など得てしてそういうものだと金貸しは知っていた。しかしそれでも諦められないものがあることも、知っていた。
「ソネット、君は子供だ」
「……どういう意味?」
その言葉に少女を馬鹿にした響きはない。だからこそ、少女も怒り出さずに聞いている。金貸しは少女に告げる。君が見ているのは現ではなく、幻であり夢なのだと告げた。兄の幻影を追い続けているだけの、悲しい時間泥棒に。
「君は別にこの街の人間なんか、どうなっても良いと思っている」
「…………」
「言い返せないだろうソネット?」
そう。少女はどうでもいいのだ。恩人である時間泥棒、それを金に目が眩んで、追い求めた街の人々。兄を見殺しにした人間達なんて、どうでも良い。それどころか憎む気持ちだって在って然るべき。長らく彼女を見つめた、金貸しは少女の心を見抜いていた。
「君はこの街の人々のためではなく、クロシェット君のために歌を歌っている」
新しい時間泥棒の歌う歌は過去への慕情。失った過去、取り戻せない時間。それが恋しいと鳴いている。届くはずのない歌を歌うことに意味などない知ってはいても、その無意味を繰り返すことで意味が宿るのだと信じて歌う。それは何よりも無意味だと、金貸しは目を伏せる。
「君はクロシェット君と同じにはなれない。彼が君のように上手く歌えないように」
あのまま街を走り続けても、いずれ少女はこの牢へと来たはずだ。少女は少年ほど、早くは走れない。だから金貸しは、ここへ連れて来た。自分が何をしているかを突きつけて、その先の死を垣間見させることで……生き急ぐことを思い直させようと金貸しは考えたのだ。
「生きるって言うのは綺麗事じゃない。そう言うことを言っている人間から死んでいくのが世界ってものだよ」
綺麗事では腹は膨れない。人を騙してでも、陥れてでも、人が生きるには金が必要だ。
「幾ら君が歌が好きでも、君の声が魅力的でもだ。君は多くの人を振り向かせることは出来なかった。それは多くの人が君の歌に共感しないからだよ」
「……共感、しない?」
「目にも見えない、形にも残らない商品に価値を見いだせるのは私のような金と暇を持て余している人間だけだ。君の歌うべき場所は街中でも法廷でもない」
今の時代に、この街で歌は流行らない。その日暮らしもままならぬのに、誰が歌を買うだろう?歌に金を払う価値を感じない。そんな見えない物を買うくらいなら、他の物を買う。それがこの街の多くの人。連中が歌う女に価値を見出しても、歌だけに価値は付かない。歌はあくまで付属品だ。
それでも金貸しは自負している。そのどちらが欠けても自分は彼女を求めはしなかっただろうと。
「ソネット、歌が人に響くか響かないかを分けるのは好意なんだよ。人が歌を愛すれば、人は歌姫までを愛するだろう。逆に人が君を愛すれば、人は君の歌まで愛するだろう。君が彼を思うように」
時間泥棒の歌は決して上手な物とは言えない。それは誰もが認めている。はっきりいってあの少年は音痴だった。それでもこの少女が今も彼を思うのは、二人を結びつけるのが歌だったからだ。時間泥棒が歌わなければ、少女は時間泥棒に何て何の感情も抱かなかったはずだ。そしてこの少女が歌姫として歌わなければ、少年も金貸しも彼女を何とも思わなかった。
歌と歌姫そのどちらに価値があるのかは鶏と卵。ただ一つだけ言えるのは、恋は盲目と言うことだ。金貸しは考える。
顔の見えない相手の歌に人は恋をすることもあれば、顔だけ好きな相手の下手な歌まで愛せるようになることもある。
唯人が愛しているのはそのどちらかであり、両方であることはない。唯、付属品として嫌いではないだけ。だからこそ金貸しは少女の歌に自分が魅せられているのだと考えていた。しかしそれが誤りだと気がついた。そして歌は手段であると思い至った。
「歌って言うのはサインだよ。私はここにいると伝える手段だ。それに気付かない人も多いだろう。それでも私は君を見つけた。そして私は君と出会った。これはちょっとした奇跡なんだよソネット」
「そんなの偶然よ」
「いいや、偶然という言葉は恋の前では必然に姿を変えるのさ。私は君の価値を知っている。街の大勢の人間が見過ごしている君の価値を知っている。だからこそ私は嘆かわしい」
金貸しは思う。少女がどうでもいいはずの大勢の人間のために歌っているのを見るのは辛いのだ。もう二度と届かない、例え彼が生きていたとしても叶うはずのない恋の歌。その音を探し続ける、聞いてしまう自分の耳が辛いのだ。
彼女の声が好きだ。彼女が好きだ。それでもその歌の真意を知るからこそ、そんな歌を歌わせたくない。これならまで出会った頃の空っぽの歌の方が余程美しく響いた。彼女の清らかなる無知が愛おしかった。
「それは勿体ないことだよ。価値の解らない相手に商品を垂れ流しにするなんて。君は時間と金銭を損しているんだよソネット」
「レーヌ……」
「それでも私は違う」
最初はその歌に惹かれた。この原石はダイヤに変わる。金儲けのための掘り出し物。そう思っていた。でも本当にそれだけなら、ここまでこの胸を焦がさない。効率の良い金儲けの方法なら、別に彼女でなくても良いのだ。もっと金になりそうな歌姫は居る。何故彼女でなければならないのか。それを考えた先にあったのは、別の答えだった。
「ソネット。私は君で金儲けをしようとはもう思わない」
「……え?」
「勿体なくなったんだ。他の連中にこんなに素晴らしい君の歌を、聞かせてやることが」
少女の歌に価値を見出したのは。少女に惹かれたのは。自分が先であったはずだ。
(時間泥棒?笑わせるな。あいつが盗んでいったのは……時間なんて物じゃない。ああ、でも……言うなればやはり時間だ)
少年が盗んだのは過去。少女と金貸しが過ごした時間。語らいを。その全てを彼は盗んだ。彼の死後もその時間は帰っては来ない。少女の心は少年に奪われたままだ。
(死人風情が……)
未来も明日もない人間が。今を生きる彼女を奪おうとしている。彼女まで同じ場所に連れて行くつもりか。そんなことはさせるものかと金貸しの瞳が燃える。
「君を危険に晒したくない。私はずっと君の歌を聞いていたいんだ」
「…………レーヌ」
「別に今すぐ頷いてくれとは言わない。明日でも明後日も十年後でも百年後でも構わない。それでも私は君が好きだ。君が頷いてくれるまで、何時までもそれを言い続けるよ」
「それ……ストーカーよ?」
「生憎そんな罪状僕の金の力の前には意味をなさない。つまりは愛の前に全ては平伏すと言うことだね」
「違うと思うわ。大体私なんかの何をそんなに気に入ったのよ?」
呆れたような少女の声。それに金貸しは考える。それは考えた末の結論だった。
「それは勿論……何でだと思う?」
「わからないから聞いてるんだけど」
下手なことを言うよりも、含みを持たせた方が彼女の興味を惹くことができると考えて。そしてそれは正解だった。この少女は、いや少女という生き物は得てして好奇心の塊である。それを金貸しは知っていた。少年と姿を偽っていても、本質までは変えられない。どうでも良いはずの相手の話を聞きたがる程度に、この歌姫も少女ではあった。
「…………そうだね。それじゃあ、一人の男の話をしようか?」
「はぁ……?」
それが金貸しの話にどう繋がるのかわからない。そう疑問符を浮かべる少女に、考えてご覧よと金貸しは笑ってみせた。
「どうせ夜は長いんだ。君がここから逃げる気がないっていうんなら余計にね。君が彼女の前で歌を歌うというのなら、知っていて損はない話だよ」
「ところでソネット、聞くだけ無駄だと思うけど、君は神を信じるかい?」
「そうね、兄さんと母さんと父さんあたりを生き返らせてくれたら信じてやってもいいわ。あとこの街の不況とか失業と流行病も一晩くらいで解決してくれたら」
「うん、君のそういう世俗的な所も魅力だと思うよ。……まぁそう言うと思ったけどね」
少女は救ってくれる相手を神と呼ぶ。救わない者など崇めない。つまり少女の世界には、神など存在しないのだ。そんなわけのわからないものを信じてやる義理はないと言わんばかりの不貞不貞しさは、なるほどあの女司祭の怒りを買うだろう。金貸しは少なくとも今、その発言をあの女が聞いていないことだけを安堵する。
「君のその考え方は、私のそれとよく似ているよ」
「私が貴方に?」
そんなはずがないと驚く少女の言葉に、金貸しは苦笑する。
「まぁ、残念ながら私は死んだことがないのでね。常世の国の神の有無なんてものはわからない。だけど現世には、それに似た者がいるのは知っている。……意外って顔だねソネット?」
「そりゃあ……まぁ。他の誰がそんなことを言い出したって、金貸しレーヌだけはそんなこと言わないものだと思っていたわ」
「まぁそうだね。神とは言ってみたけれど、そこまで仰々しい者でもないな。精々……王ってところか。だけどソネット、王のように傲慢なこの街の権力者が大富豪止まり。言葉と存在が噛み合っていないとは思わないかい?」
街は国。国は世界。ならば、権力者は王、王が神。そういうズレが生じている。そのズレをただしたのなら、その男は神と呼ばれる存在だ。金貸しがそれを告げれば、少女は言葉遊びだわと溜息を吐く。
「確かにね。言葉遊びと言われてしまえばそれまでさ。だけど、そうも言えない理由が一つある。ソネット、君は人の寿命を知っている?」
「平均寿命は20何年くらいだったかしら?」
「まぁ、平均はね。でも出生からしばらくを越えた人々の寿命はもう少し長い。それでも50まで行けば随分長生きだとは思うけど」
「つまり僕が言いたいのはそれ以上を100も200も300も越えるような者は化け物みたいなものだよねってことでね。畏怖の念を込めて僕は神と呼んであげているわけだよ」
*
昔々あるところに一つの街があった。そんな街の中に一人の男が居た。男は人間だったが、やがて神と呼ばれるものとなる。それは何故か。彼は永遠を手に入れたから。
その永遠の前に、人は何とも儚い物だ。人とか身を隔てるものは時間。彼が神と呼ばれるのは、彼が永遠を生きるからに他ならない。つまりその世界では永遠さえ手に入れてしまえば幾らでも神という名の生き物は生まれただろう。唯、彼しかその境地に辿り着かなかった。故に神は一人。それだけだ。
短い時間を生きる人間は、時間を貴重な物と考える。しかし彼にとって時間とは何とも暇なものであり、常に無駄に垂れ流されていくものだった。
やがて神はその長すぎる時間に嫌気が差した。それはあまりに退屈だった。永遠という物は一人で過ごすには拷問のような物だったらしい。だから彼は、考えた。もう一人、神を作ろう。
彼はその長すぎる時間を用いて、沢山の人形を作った。それでも永遠まで辿り着いた人形は一つもなかった。だから彼は待つことにした。人々がいつか永遠に辿り着くことを、長く気長に。
彼にとって人間とはとても愚かなものだった。だがそれ故観察対象としてはこれ以上に楽しい暇つぶし道具もなかったのだ。
「昔々の話だよ……」、金貸しはそう切り出した。それを少女は聞いていた。しかし話が進むにつれて理解は遠離っていくばかり。だから暇つぶし云々のその下りで、とうとう口を挟んだ。
「言っている意味がわからないわ」
それがあの女司祭とどう繋がるのかまったくわからなくもあり、少女は少々気分を害した。理解できない話とは、それだけでつまらない物なのだ。
「つまり彼は永久機関をお望みということだね」
「永久機関?」
「人類の知識と夢の結晶さ。でも彼の望む永久機関は人であり人でない物。機械であり機械でない物。ちぐはぐで矛盾したものだ」
「それって……何なの?なぞなぞ?」
「ああ。つまりは時計だよ」
「どうしてそれが時計なの?人は時計なんかじゃないわ」
「いいや、時計だよ」
「……嘘?」
「私も君も、ここに一つ時計を飼っている」
自分と少女の胸を指さして、金貸しはそう笑った。人も時計なのだと。
「私達は人間だと思って生きているね。そうだ私達の身体に埋め込まれた機械なんてありはしない。物質的には人は人だと言えるだろう。だけどねソネット。私達は皆、仕組まれて居るんだよ」
金貸しはそう言った後、柔らかく笑って話題を変えて来た。
「ソネット、君はこの街の外を知っているかい?」
「いいえ、知らないわ。貴方は知ってるの?」
「ああ、勿論。この街でそれを知っているのは精々私とあの巫女、それからあの大富豪くらいなものさ」
少女が首を振れば、当然だと金貸しは頷く。それは街の権力者三人だけが知ることだと言う。
「時にソネット。君は外を知らない。知らないにもかかわらず、外に行きたいとも思わない。それはどうして?」
「だって、外には出るには凄いお金払わないといけないって言うし。それに外は街よりも危ないところだって……」
人は基本的に街の外を知らない。その狭い世界が人生の全て。外を知らずに生きて死ぬ。まるで大昔の農奴と同じ。それがこの世界の人間という者だった。しかしその絡繰りを知っている金貸しは、その言い伝えが馬鹿馬鹿しいと思うのだ。。
「そうか。君はそれを信じたのか。そうだね、それが常識だ。それが仕組まれていると言うことなんだよソネット」
当たり前を疑わない。それこそ人が仕組まれた機械である証なのだと金貸しは皮肉めいたことを言う。少女は少しだけ自分が馬鹿にされているような気分になった。しかし金貸しの目は、少女を馬鹿にしているような色は見せない。それが不思議だと少女は首を傾げた。
そんな少女の様子を微笑みながら見守る金貸し。そうして金貸しは小さく呟きもたらした。
「私は外を知っている。……私は外の人間だからね」
「えぇっ!?」
「前の街で金を集めてね、移住する権利を手に入れたんだ。そしてそれが認められた」
敢えて、誰とは言わない。少女がそれを聞き返す前に金貸しは言葉を続けてしまった。恐らく故意的に。
「私がこの街でここまで力を得たのは、知っているからさ。時の流れ、人が次に行う出来事。私の街ではもう本になるほど昔のことさ」
外から来た金貸しには、この街の人が望む商品が解る。時代と金の動きが解る。今この街が何を必要としているかが解る。だから湯水のように金が手にはいるのだ。
「つまり貴方は未来から来たとでも言いたいの?」
「まぁ、時間旅行のようなものだとは思うね。街はそれぞれ全く異なる時代を生きている。この街は大分遅れているよ。作られたのもまだ新しい部類だからかな」
「……なんだかスケールが大きすぎて、にわかには信じられない話ね」
「そうは言うけれどソネット。君は国とか王っていう単語は知っていてもその概念を知らないだろう?」
「そうね。よく物語には出てくるけど」
「おまけこの街、更にはこの国の名前を君は知らない」
「貴方は知っているの?」
「いいや僕も知らないよ。あの男は特別名前に意味を見出さないお人だからね。長く生きすぎるとどうでもよくなる。実験途中の作品に名前なんて必要ないってことだね」
世の中には意外とどうでもいいことって多いからねと笑う金貸し。少女はその言葉の否定も肯定も出来ずに固まった。
「ああ、でも完成したら名前が付けられるよ。名前は永久機関。彼はそう言っていたな。久々の話し相手に彼ははしゃいでいたのか多くを教えてくれたよ。まぁ、気まぐれだろうけど」
どうせすぐに死ぬ人間。一人に教えたところで情報は伝わらない。そういう気まぐれ。もし何かの過ちでそれが知られたとしても何ら困らない。暇を持て余した神からすれば、計算外の問題はむしろ大歓迎。即座に迎え撃つ準備を始めるだろう。神なんて名ばかりだ。慈悲なんてあったものじゃない。
「彼女とやり合うつもりなら、彼女と同じ情報を知っておくべきだと思ったんだよ。それを何処まで理解できるかは、君次第になるけどね」
「レーヌ……」
「……あの巫女だけどね、彼女は神を信じている。なんせ本人に会ったことがあるんだから当然か」
「神に……会った!?」
「ああ。彼女は元々時計工の家の娘なんだよ」
「そうだったの?それがどうして聖職者なんかに……」
「彼女の作った天文時計は、美しいものだったからね。パーツとしてあの人は欲しくなったんだよ。そしてそのパーツが似合いそうな、天文学の発展している街に飾らせたんだ。そこは時計作りを蔑ろにして空ばかりを見上げていたからね。あの人としてはもう少し、そっちの街でも機械技術に目覚めて欲しかったんだろう」
その際に、あの巫女は身分と権威を手に入れ……そして外と世界の在り方を知ったのだ。この街に来る直前、神という男とティータイムを過ごした時に本人がそう言っていたのを金貸しは思い出す。
「まぁその功績を認められて、彼女は教会を建て直すための協力者を得た。時代的にもそろそろ改革が必要な時期だったしね。女性権力者の台頭による女性の身分向上っていうイベント発生要因で、そろそろ歴史を一段階レベルアップさせようとしたのかもしれないな」
「…………なんだか、聞いててもよく解らないわ」
「要するに二人の利害が一致したってことなんだろうね」
文字通り神の加護を得ているあの巫女に、真正面からぶつかったところで少女に勝ち目はない。金貸しの言葉に、少女もしばし言葉を無くす。そんな彼女に追い打ちを掛けるよう、金貸しはそっと語り出す。
「だけど私が読んだ本の中に、時間泥棒という人間は存在しない。君たちは歴史のイレギュラーなんだ」
「……どういうこと?」
「他人のために時間を盗もうなんて人間、私の知る歴史の上には登場しなかったんだ。だけど違う名称なら、違う行動なら、似たような人間も居たよ」
「それがどうかしたの?」
「そういう者は大抵良くない終わり方をする。出る杭は打たれるって言うだろ?そういうことだよ。君がどんなに正しくても、優しく素敵な女の子でも、歴史は君を排除する。君の兄さんがあんな終わり方をしたように」
「……」
「仕組まれているというのはそういうことだよ」
「…………そう、かしら?」
「ああ、断言できる。君が正しくても、君は裁判に敗れるだろう。見せしめに殺されるだろう。今の時代はそういうものだ」
金貸しが強く言い切れば、少女が初めてその顔に陰を落とす。諦めの悪い少女はこの土壇場でも自分があの女司祭を負かす未来を信じていたのか。確率はどんなに低くても0ではないと思っていたのか。やはり彼女は子供だな、金貸しはそう思った。
確かに神はいる。しかし神は救わない。それがこの世界の理だ。救う手立ては他のもの。
「でも、それは今の時代。この街での話」
金貸しは薄く笑う。その笑みに少女が顔を上げる。この男は何を言い出したのだろう?そんな疑問を浮かべ。
「あの街ではどうしようもなかったこと。それを新しい街は叶えてくれた」
新しい部品、新しい機械。新しい街。神だって何かを始めるには、金が必要だ。だから金を積めば神は願いを叶えてくれる。神は永遠の命を持ってはいるけれど、元は人間。万能などではないのだ。唯無限の時間を持っているだけの人間。効率化を図るためには、優秀な人間を街から吸い上げ、傍に置くこともある。唯、すぐに死んでしまうから面倒だとは言っていた。
神の家は機械だらけだ。何でもかんでも機械が行う。必要なのはその機械の修理をする人間。機械の修理をする機械を作ってもその機械を修理する機械を作らなければならずそれが壊れたらエンドレス。つまり神がどれだけ人の短命を嘆いても、ある程度の人間は必要なのだ。その人を雇うためには、その者にも褒美を与えなければならないし、部品を買うためにもやっぱり金は必要だ。
好きな街への居住権と、外を自由に出歩く権利。神はそれを売り、資金調達をしている。
そんな嫌な意味で現実的な話をされた少女は、神という概念自体が変な方向へ行ってしまったように思っているようで、怪訝そうな顔になる。そんな彼女に金貸しは苦笑。
「ソネット。私の金の力を持ってすれば、今一度……君と僕は逃げられる。他の街へと逃げられる。過去に行っても良い。未来でも良い。ここと似たような街でも良い」
もうこの街に幸せがないのなら、どこか遠くへ行こう。その誘いは確かに甘美なものだ。
もう家族は誰もいない。そして外という未知の世界。好奇心がないわけではない。
まだ知らない歌。知らない楽器。知らない景色から浮かぶ言葉。聞こえるメロディー。
そこに広がるものを見てみたいと思わないわけではないのだ、少女も。だけど未練が後ろ髪を引く。
「君の身に降りかかっているどうしようもないこと。そこから君は逃げ出せる。余所の街に行けば、君は何の罪人ではない。幾らでも好きな歌を歌って良い。本当は嫌だけど、君がそうしたいというのなら、オペラホールでもなんでも貸し切って君の歌声を大勢の人間に聞かせてあげよう」
そして金貸しの最大の譲歩。そこで少女は常々からの疑問が再び頭を過ぎる。確かにこの男に告白はされたが、自分にそこまでの何かがあるとは思えないのだ。
単に幼い歌姫が物珍しかった、だから売り飛ばせば金になる。そんな理由でまとわりつかれていたのだと思っっていた。それなのに金儲けの道具にしたいのでもないと言われたら、その根底が覆る。
「どうして貴方はそこまで、私に言ってくれるの?」
「君は覚えていないかもしれないけれど、私は君の最初のファンでスポンサーだからね。君を金儲けの道具にするのは諦めたけど、せめて原価回収分は君に生きて貰わないと」
「…………そういえば、そうだったわね」
なんだか懐かしいわと少女が笑う。くすくすと。
それは一瞬提案を受け入れてくれた、そう思わせるには足る笑顔。それでも金貸しはすぐに気がついた。
少女の笑みは、懐かしい……つまりはこの狭い街の中、それでも随分遠くに来たのだと過去を懐かしむ笑み。別離故の、微笑みだ。
もはや何を言っても届かない。金貸しは確信する。少女は答えを決めていた。それでも言わずにはいられない。問答無用で諦められるほど、金貸しも大人にはなりきれていないのだ。
「ソネット!君は馬鹿だよ、そんな自ら死に行くようなことを……!」
「兄さんは、いつも走っていた。それは逃げているように見えたかも知れない」
引き留める金貸しの言葉に、少女は自らの兄を語り始める。
「だけどそれは兄さんなりの戦いだったのよ。私は兄さん程上手には走れないなら……私は他の戦い方を選ばなければならないんだと思う」
「……ソネット」
「貴方は兄さんが逃げたって言ったわ。そうよね、確かに他の人からすればそう見えるのかも知れない。だけど私がここで逃げたら、時間泥棒は本当に逃げたことになってしまう」
俯いて、再び顔を上げたとき少女は……その目から一切の迷いが消えていた。ここにいるのは時間泥棒。歌姫でも少女でもない。
その目が語る、犯行予告。裁判の日、この街から時間を盗んでやろうという大きな野望。少女はまだ、諦めていないのだ。本当に死んでしまうまで、愚かな少女は諦めを覚えない。或いは死した先でも。
「私は兄さんが逃げなかったと思っている。だから……私は、僕はここから逃げられない。逃げちゃ、いけないんだ」