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12:鳩と駒鳥

 時間泥棒が捕まった。その表現は些かおかしい。

 そもそも時間泥棒はもう死んだはず。それが再び時報を告げ出し、そんな彼が捕らえられたという。それならば時間泥棒とは一体何だったのか。

 あれは亡霊だと口にしていた人間は捕らえられる者であったことに悔しがったが、まだまだ噂は終わらない。それなら奴は生きていたんだ。いや違う。それは別人だ。いいや死んだのは確かだ。それでも生き返ったんだ。推測、邪推、噂の数々。その騒動で街中が持ちきりになる。


 「街がなんだか騒がしいね」

 「そうね」


 二人の時計は人々のざわめきから少し離れた場所にいた。時計達は復讐のために、大多数の人間なんかに構っている暇はなかった。やるべきことは多く、そして全く別のこと。

 それでも少年は後ろ髪を引かれるような心地になっていた。それは時折人々の口から漏らされる、時間泥棒という言葉。それはかつて少年自身を指し示すための言葉であった。

 だからついつい振り返ってしまいそうになる。父の死語誰からも名前を呼ばれなくなった少年は、その言葉こそが自身を言い表すものだった。それは時計になった今でも、妙に耳に懐かしく……妙な気持ちになってしまう。


 「何かあったのかな。マキナは何か知っている?」

 「私も何がなんなのか……」


 少年に尋ねられた鳩時計は首を傾げる。


 「確かあの人達、時間泥棒が捕まったって言っていたけど……誰かクロシェットの真似事でも始めたのかしら?」

 「そうかもしれないな」


 少しそのことに少年が興味を示せば、鳩時計はその興味を打ち消すような言葉を口にする。少年の名を、別の人間が騙っていることが不満だと言わんばかりの表情で。


 「でもその子、きっと才能ないわよ。だから簡単に捕まったりしてしまうんだわ。それに引き替えクロシェットは凄いわ!時間泥棒としての才能のみならず、時計工としても凄い力を秘めている」

 「それはどうだろう?……あれはきっと、まぐれだよ」


 鳩時計の少女はどこまでも少年を持ち上げるが、少年には自信というものがない。これから待ち受けている仕事さえ、満足にこなすことが出来るのか。その自信が彼にはない。


 「父さんはどうして俺に、時計作りを教えなかったんだろう……?」


 父はことあるごとに口では跡を継がせたいようなことを口にしていたが、決して無理強いはしなかった。そうされていたならば、押しに負けていただろうと少年は考える。


 「俺に本当に時計作りの才能があったなら、父さんは絶対にそうさせただろう。つまり俺は、父さんから見れば大した才能なんて持っていなかったんだ」


 きっと失望させていたんだ。だからそこまでして跡を継がせようとは考えなかった。


 「俺が時計工になっていたとしても、きっと父さんには敵わなかっただろうよ。昔の父さん達を見て、そう思ったんだ。父さんは天才だ。だからそれを傍で見続けた……あの男は狂ったのさ。そして正常な判断が出来なくなった」

 「それはそうだけど……」

 「だからだよ。それで俺なんかを買い被ってあんなことをした。救いようのない馬鹿だ」


 救いようがない。それは少年にとって救えないという意味ではない。それは救わないという意味。過去を知ったところでそれは免罪符にはならない。どんな理由があってもどんな劣等感があっても、人殺しは人殺しだ。例えそれが間接的なものであっても、それは理由にはならない。だから許さない。


 「あいつにも似合いの最期をくれてやる」

 「その気持ちがあれば充分よ。それじゃあこの街の時計を直しに行きましょう?私たちに使える時間はないけれど、無駄に出来る時間は一つもないわ」


 鳩時計に促され、少年は決意も新たに頷き従う。歩き出す方向は人々は逆。人並みを擦り抜ける透明さで二人は雑踏から離れる。その雑踏の一人として二人を振り返ることはない。

 二人が向かう先は、時を刻むことを忘れた時計塔。長らく街のシンボルであったそれも、時の流れと共に不要となってしまった過去の遺物。

 どこからも見えるようにと掲げられた大きな文字盤。街を見下ろせるように高く高く天を望む塔。時計の小型化が進み、技術が失われた。今のギルドの人間ではあの時計は直せない。第一部品がない。位置から部品を作る気もない。そんなことをするくらいなら、新しい時計を作りたい。誰が作ったかもわからない過去の栄光に縋るより、時計工達は未来を求めた、自分の時計が閃きが、後世に名を残す物であれ。


 「こうやって時計になって見てみると、あの頃とは随分と街の景色も違って見える」


 時計塔から見下ろした、街はあまりにちっぽけで。こんな小さなものならば……この両手で盗めると思えた。握りつぶせそうだとも彼は思った。



 「どう見える?」

 「街が、死んでいるよ」


 耳を澄ましても、聞こえるのは偽りの鼓動。時計は嘘ばかりを吐いている。でもそれは時計が悪いのではない。人間が悪いのだ。


 「時計はそんなために生まれたわけではないのに」

 「クロシェットは時計が何のために生まれたと思うの?」

 「それは真実を刻むことで、人を幸せにするためだよ。それが生きている時計の在り方だ」


 これから人を不幸にしに行く自分は死んでいる時計。だから間違った在り方をそこに刻みに行く。それは父から教わったこと、それに背くようで辛い。

(それでも僕は……)


 もう会えないのだ。父程の人間ならば、人に尽くして生きた人なら。きっと天国にいるだろう。煉獄に堕ちた少年では、謝ることも永遠に出来ない。その思いが胸を刺すが、それでも憎しみは消えない。罪を犯した人間が野放しになっている今を、少年はどうしても見過ごせないのだ。


 「これが、壊された時計か」

 「ええ。長いこと眠らされている時計よ」


 少年が時間泥棒だった頃。生きていた頃は何度も鐘を鳴らしにやって来ていた時計塔、その内部。そこまで踏み込むのはこれが初めてだった。いつもは階段を上り鐘の所まで行くだけだった。彼は動力室を避けていたのだ。死んだ時計を見るのは辛かったから。

 しかしこうして対面する時が来て、殺された時計を目にして、何とも言えぬ哀愁を少年は覚えることになる。

 動力源である振り子装置が取り外されているため、時計は動かない。それでもこの時計塔は昔に作られた物。鐘は人力で鳴らす仕組みだ。これを取り外されていたならば、少年が鐘を鳴らすことはなかっただろう。しかし老朽化したこの時計塔は、危険な場所。今更鐘の除去も出来ず、誰もしない。危険なだけ危険で、そんな金にならない仕事のために自分の時間を費やす馬鹿もいなかった。精々そのまま足でも滑らせて、時間泥棒が死ねばいいと思うくらいで。


 「悲しいものだよ。時間っていう奴は。仮に永遠を刻む時計を作り出せたとしても、人はそれを捨てて行くんだろう。下らない流行に時代の変化に全てを置き去りにする」


 少年は聞く。止められた心臓の音。生きているのに死んでいる時計。この街の至る所から悲しい時計の声がする。

 貴族に弄ばれた先、廃れていく時代と流行。まだ使える、まだ働ける。でも殺される、眠らせられる。捨てられる。死んでいく。時計は哀れな生き物だ。


 「でも針が無ければ時計を直す以前の問題だよなぁ……」


 時計作りなんて記憶にない。幼い頃のまぐれを才能だと褒められたところで少年には時計作りの技術も知識もない。父の傍で見ていただけ。聞かなかった。教えられなかった。だからこの時計や時計の部品を見るのは好きでも、直せたりはしないのだ。そんなことが出来ていたならば、あの家に残された全ての時計をまた動かしてやることが出来たのに。


 「あらクロシェット、それは固定概念だわ。針があるから時計じゃなくて、時計だから針があるのよ」

 「つまり……時計を直せれば、以前の姿を取り戻すってこと?」

 「そういうこと」

 「それなら何にも触れない、俺が新たに針とか部品から作るって作業は要らないんだね」

 「そういうこと」


 少年の言葉に、鳩時計は頷いた。


 「でも……マキナ、それなら俺はどうすればいい?」

 「音叉時計って知ってる?」

 「音叉時計?聞いたことないけど……?」

 「今のこの街は機械時計がメインだもんね。それならそうね、仕方ないか」


 鳩時計は小さく笑う。少年が知る由もないが、どんな世界にも人と時計の作る歴史がある。

 だから順序というものがある。発明の順序。新たな技術と時計が生まれる順序。それはどの世界でも同じ。その作り手の名前と年に変動はあっても。

 自然を用いる日時計、水時計、火時計、砂時計。そこからやがて機械時計。ゼンマイに、振り子に……そして音叉が生まれる。

 しかし、この街ではまだそこには至らない。機械時計の世界なのだ。多くの世界を知る鳩時計の少女から見れば、この街は遅れている。少女の言葉が分からない、少年が首を傾げていた。そんな少年に、“少女”は語りかける。


 「ねぇクロシェット、貴方はどうしてこの街から外に行かなかったの?」

 「え……?」

 「この街は苦しい。働いてもお腹いっぱいなんか食べられない。雇って貰えない。そして病気になれば治せない。お金がないなら何も出来ない。普通の人間が幸せになんかなれない場所よ。それでも貴方は、どうしてこの街から逃げなかったの?」

 「それは……」


 普通に考えれば、おかしいはずのこと。それをおかしいと思えないこと。その枠に居る人間は、それに気付けない。組み込まれている歯車が何故自分が回っているのか何て考えることもないように。唯回り続ける。

 それでも少女は、この街の人間ではない。第三者だ。だからそれに容易く気付く。

 居住選択の自由がこの場所にはないのだ。この街の中にのみ、この街の人間が住まうことが許される。

 街単位で都市国家が成立しているこの世界において、その都市一つ一つが世界と言える。

 その都市の一つ一つに、権力者が悪が必ず居て人は虐げられている。それは時計がどんなに素晴らしく正確になっても、変わらず今日まで続いている。そんな理不尽な世界。人は皆生まれた場所で、恋をして死んでいく生き物だった。街の外を誰も知らない。この街でも、他の街でも。

 小さな街は、それぞれが独立した世界。互いに干渉しない。王は人が生まれたその土地から逃げ出すことを許さない。普通の人間なんかが街から一歩でも外に出れば、お終い。武力を持ってそれを排除する。意味もなく殺される。そう教え込んだ。理由など無い。理解できない。それでも逃げ出してはならないのだと、人々に教え込んだ。そしてそれが世界の常識となる。


 「クロシェット、貴方は神を信じる?」

 「死んだ上に煉獄なんて所に堕ちた以上、居るって言わなきゃならないんだろうけど、認めたくはないな」

 「そうね。死後の世界にならそういう概念はあるかもしれない。でもここは人の世だから、そんな者はいないのよ。少なくとも生きている人間の世界には。居るのは一人の人間よ。彼は唯の、王なんだわ」


 だから人を苦しめるのも人を救うのも人なのだと、少女は悲しげに笑う。

 街から数十キロ離れた場所に聳える高い壁。丸く囲われたこの街は、空から見れば時計のようだ。人はその街の中で、せかせかと生きる機関の部品。王はこの時計塔より高い場所から、彼は地上の時計を見ているのだ。


 「王様……?」

 「全ての理不尽は彼の時計作りが生み出した。彼は永久機関を作りたかったの。だけど都市(とけい)は、いつか全て時を止めるわ」


 少女の突然の言葉に、少年は理解が至らない。言うより見せるが早いと、少女は背中の真っ白な翼を広げた。


 「クロシェット、私に掴まって」


 少年の返事も待たず、少女は彼を抱えて飛び上がる。遙か上空。見下ろす街は丸く囲まれている。そしてその数十キロ先に……そのまた向こうに東西南北……沢山の円がある。その全てが時計なのだと少女は言う。

 その都市達の中央に、天に挑むような大きな棟。それが太陽を遮る姿は、大き過ぎる日時計のよう。その影が、長く伸びてここにも時を刻む。小さな世界を生きているパーツは生涯目にすることがない、外の世界に広がる時計。


 「クロシェット、ほら……見える?日時計の向き。あそこが日の出。あそこが日の入り……あそこは真夜中」


 真夜中と指さされた、そこには古ぼけた円。瓦礫の山だ。誰も住んでいないだろう。草木が伸びて建物を呑み込んで……。その哀れな街のために、少女は呟いた。例外なく、都市は滅ぶ。内から綻んで。音を無くしてもう何も刻まず、唯そこにあるだけの物となるのだと。


 「……あの街は、どうして滅んでしまったんだ?」

 「いろいろ理由はあるわ。内部での対立とか、それか外を知りたがったか」

 「外に……?」

 「ねぇ、クロシェット。貴方だって時計の部品が外にボロボロ転げ落ちてきて、時計が壊れてしまったら嫌でしょう?」

 それと同じ事よと、少女は溜息ながらに言う。

 少女は世界の姿を見せ、真実を教えた上で、再び小さな円の一つの、時計塔へと舞い降りる。


 「俺……知らなかったよ。この時計塔は街外れにあるものなんだって思っていたけど」


 まるでミニチュアだと少年は思う。時計とは世界の中心に置かれたあの柱型日時計の模造品だ。

 都市の拓けている場所と、緑に包まれた大きな森。それはさながら文字盤の昼と夜。

 上空から見るまでは、森があんなに広いとは思わなかった。街の人間はあまり森へは近寄らない。森は無縁仏の墓地があるため、昼間でも陰気な風が吹く。このご時世だ。墓曝きをする墓荒らしまで出る。そんな場所。薄気味悪い上に危険だから誰も行かない。

 今思えば余程隠れ家には、最適な場所のようにさえ少年は思う。何故あんな危ない街の中に何故身を隠したのか謎だ。


(あれ……?そもそもどうして僕は?)


 僕は殺された。大富豪に。それは何故か?時間泥棒だったから。だけどそれは何故?僕が捕まったから。どうして僕は捕まった?

 そこまで思い、少年は違和感に気がついた。自分の特技を持ってすれば、そんなことはありえないのだ。唯、大富豪の家に忍び込んだ記憶はある。走っていた記憶もある。手には金貨を掴んでいた。でもそもそも何故金貨が欲しかったのか。それがどうしてもわからない。時間泥棒が金貨を求めるなんて、そんなことは絶対あり得ない。時間泥棒は時間を盗むから、そう名乗りそう呼ばれていたのだから。


 「……マキナ。俺って……何で死んだんだっけ?」


 記憶が曖昧だ。特に、死ぬ直前直後。その間の記憶がすっぽり抜け落ちている。


 「クロシェット……?」

 「あ、……これから思い出すんだよな。何言ってるんだろう俺は」


 殺す相手、憎む相手を見つけた思いだした。二度と会えないと思った父と母にも一方的には会えた。でもまだ何かが足りないのだ。それがまだ思い出せない。


 「この時計を直したら、貴方が殺された場所に行きましょう?……辛いことを思い出させたくないからって、つい後回しにしてしまっていたわ。ごめんなさい」


 そう。それが一番大事なこと。復讐のためには動機が要る。怒りのままに、復讐心に支配されていた。だから少年も気付けなかったのだ。復讐に何が一番必要だったのか。

 しかし街の外を見て、世界を知って、自分がいかにちっぽけな存在だったのかを知って、自分を見つめる自分の心に気付いたのだ。そうして此方を見ている自分が、もう一つの疑問を告げる。


 「そうだ、母さん!!母さんはどうなったんだろう!?」


 父は死んだ。それは確かだ。それでも母はどうなった?それを知らない。家を出て行って、それから母はどうなった?時計を直すなんて、無理だ。それが気になって何も手に付かない。母を恋しがる少年に、少女は哀れみの目を向ける。


 「クロシェット、会いに行っても辛いだけよ。彼女は貴方を抱き締められないし、貴方は彼女をすり抜けるわ。そんな思いをしても悲しいだけよ」

 「マキナ……」

 「でも私は違う。私は貴方と同じ夕暮れを生きている。だから貴方の手を触れるし、貴方を抱いてあげられる」


 少女に、捕まれた腕。抱き締められる互いに冷たい手に。温もりの通わない抱擁。

 そのまま口付けられる。それに少年の胸は締め付けられる。鈍い痛みを発する。それは照れや気恥ずかしさを忘れさせるような鋭い痛み。

 自分に協力してくれる、彼女のことは決して嫌いではないのに。それでも触れた場所から彼女の悲しみが伝わる。それを癒してやることも出来ずに、悲しみだけが響き合う。


 「…………クロシェット。私のゼンマイを、もう一度巻いてくれる?」


 冷たい口付けの後、少女は小さく呟いた。それが望みならば、見せようと言うのだ。

 少年は頷き螺子を巻く。躊躇う理由はない。少年が言葉に従えば……時計塔の内部は相変わらず古ぼけたまま。巻き戻されたのは先のように遠い時間ではないらしい。しかし辺りは薄暗く、夜になっていた。


 「クロシェット、歩きましょう?」


 手を引かれ、時計塔を出る。そして家へと戻る。そこには少年自身が居た。


 「まだ、俺が生きてる……」


 まるで夢でも見ているようだ。唯、沢山の時計に囲まれているのに、その思い詰めたような顔が妙に気がかりだった。やがて家から抜け出した、過去の自分を少女と共に追う。

 やって来たのは記憶通り、大富豪の屋敷。その手に掴んだのは……朧気な記憶と同じ、重い金貨の袋。


 「きゃあっ!」


 銃声に、驚いた少女が悲鳴を上げる。咄嗟に抱き寄せて庇ったが狙われたのは自分達ではない。そうだと少年は思い出す。弾丸も、夕暮れの人間には届かない。


 「クロシェット……」


 少女は泣いていた。泣けない少年と、泣かない少年の代わりに。


 「馬鹿……っ!貴方、馬鹿だわ!!」


 どうして生きている内に。思う存分泣かなかったのか。少女にそう責められながら……少年は傷ついた身体を引き摺って赤い道を作る自分を見ている。

 彼が打ち抜かれる度、死んだはずの自分が思い出す痛み、苦痛(いたみ)激痛(いたみ)

 切り落とされた掌から、再び奪われていく時計。


(……ああ、そうだ)


 俺はこれを見て、これを奪われてその無念で多くを呪ったのだ。だから何処にも行けずに煉獄に堕ちてしまった。だけどこんな目にあって何故、何も憎まずにいられるだろう?


 「……そうだ僕は、母さんのために盗んだんだ」


 金さえあれば、助かる。病気が治る。借金も消せる。

 それじゃあ、こうして金が届かなかった。それで、彼女はどうなった?一人息子が死んだのだ。支えてくれる人もいない。病に蝕まれ傷ついた女が一人、どうやって生きていくのか。

 シンクロする痛みを感じながら、足を引きずって街を駆ける。道はもう思いだしていた。母の住まう部屋に向かった。


(良かった……母さん)


 まだ母は生きている。その姿に安堵すれば日は登り噂が駆け回り、顔色の悪い母が外へと飛び出して……時間泥棒に出会う。群衆に晒された亡骸を人垣越しに見る。母は泣いていてくれた。鳩時計と同じように。

 それでも……それでも、彼女は抱き締めてはくれなかった。出来なかったのだ。そうすれば、どうなるのかを彼女は知っていたから。

 それでも心ない噂話、それを聞くに堪えかねて……彼女はその場を後にする。


 「母さん……待ってよ、母さんっ!!」


 俺はここにいるんだよ。そう縋っても、この手はすり抜けてしまう。少年には、フラフラと歩き出す彼女を止める術がない。彼女は街から外れ……森へと歩き出していく。上空からは見えなかった。生い茂る森の奥に広がる湖。暫し悲しげなその姿を水面に映すよう、その畔に佇んで、そして足を進めていく。


 「駄目だっ!!母さんっ!!」


 引き上げようとしても、彼女の身体は沈んでいく。死んでいる人間はあまりにも無力だった。

 やがて水泡のひとつも見えなくなって、それでもまだ湖から離れられない少年のその背中を鳩時計が冷たい腕で抱き締める。何も言わずに、彼の代わりに泣きながら。彼女の手はとても冷たいけれど、背中に落ちる涙だけは妙に温かかいもので。そのせいで湖の冷たさが際立って、そんな場所に沈んだ彼女はもっと寒いのだろう。そんな思いが溢れ出す。


 「マキナ……時計塔に戻ろう」

 「クロシェット?そんなすぐじゃなくてもいいよ。私達に時間はないけれど、私達には無限があるんだから」


 今日がない人間は失う明日もない。だから落ち着くまではゆっくりしていても良いのだと少女はそう優しく告げるが、少年は弱々しく首を振る。その目は夕焼け色の激情を、復讐を強く希う色。

 時計を直せないとか、そんな考えはもう捨てた。時計を直す。そしてやり遂げる。復讐を開始する。


 「マキナは音叉時計って言っていたよね。それはどうすれば完成する?」

 「あの部屋に機関はあるわ。無いのは動力と、振動を生み出すための音」

 「それは何?」

 「動力は貴方の心。音は私が歌うわ。それで時計塔は甦る。そうすればこの街の全ての時計が目覚めるわ」


 その鍵は、少年の心。その憎しみがどこまでこの時計塔に響くのか。その同調を引き出せれば、時計塔は再び時を刻む。

 心が足りなければ、時計には響かない。だからこそ落ち着いてから、少女はそう言いかけたが……初めて少年から抱き締められて言葉を失う。


 「……どうしてマキナは、俺を助けてくれるんだ?」

 「…………………それならどうして貴方は、私に何も聞かないの?」


 どうしてそこまでしてくれるのかわからないと言う少年に、少女が質問で返す。


 「私の力とか、私の身体とか。私の知っていることとか……おかしいと思うでしょ普通は」


 風景を巻き戻す不思議な頭の螺子。背中の白い翼。普通の女の子とも人間とも認められないようなその姿。それを訝しむのが当然だと少女は叫ぶ。しかし少年は落ち着いている。


 「別に思わない」

 「気持ち悪いとか……」

 「思わない。マキナはいつも俺を助けてくれているじゃないか」


 あの家から彼女を救ったこと。それ以上のことを十分されている。貰いすぎている。自分ばかりが。


 「俺なんかの代わりに、泣いてくれてありがとう」

 「クロシェット……」

 「俺に出来ることがあるなら、マキナに恩返しをさせてくれないか?」

 「………それって、何でも……?」

 「ああ」

 「………っ、私の……“私の駒鳥になって”、“私を貴方の鳩にして”」


 どうせもう自分は死んだ人間だ。そんな人間に出来ることがあるならば、どんなことでもしたいと思った。それで彼女が喜んでくれるなら。


 「“私を助けて”、“私の傍にいて”……“私を一人にしないで”、“置いて行かないで”」


 寂しいのはもう嫌なのと、初めて自分のために泣く鳩時計。

 それに少年が頷けば……、時計塔の鐘が鳴る。手動だったはずの鐘が、晩鐘を告げた。

歌姫の存在だけ思い出せずになんか鳩時計と良い感じになってる時間泥棒。鳩時計は郭公だから、恋愛関係も郭公の雛の如くNTR解釈ぶっ込んだのがいけない。

街の外があんなんなってたなんて作者も今日知りました。鳩時計の正体を考えていたらなんかああなった。彼女は別の街で作られた女の子なのかな。

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