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11:信仰と傲慢の星の巫女

 大きく綺麗な屋敷の中に、綺麗なドレスを身に纏う、愛らしい娘が1人。

 娘はとても幸せに何一つ不自由なく暮らしていました。その屋敷は世界中の幸福を集めて閉じこめたような佇まい。

 唯一つだけ、似つかわしくないのはその屋敷の窓に映るその風景。屋敷の中が素晴らしければ素晴らしいほど、窓の外に広がる世界は奈落を思わせる。飢餓と貧困、疫病と犯罪。それが我が物で暴れ回る地獄絵図。今日もあちこちから上がる悲鳴。

 それを見つめる度に、娘は苦しい思いになるのでした。


 *


 屋敷から見下ろした街はとても汚らしい。今日も大勢の泣き声が聞こえてくる。


 “嗚呼、お腹が空いた”

 “パンを買うお金もない”

 “身体が痛い”

 “咳が止まらないんだ”

 “薬が欲しい”

 “嗚呼、でも金がない”

 “金がなければ家もない”

 “家もなければ伴侶もいない”

 “伴侶がなければ子さえない”

 “そんな惨めで哀れな私を誰が支えてくれるのか?”

 “そんな私を一体誰が救ってくれるというのだろう”


 ……街が泣いている。


 ねぇお父様。どうして街にいる子供達は毎日あんなに泣いているの?どうしてあんなに濁った暗い目をしているの?どうしてあんなに薄汚い格好をしているのかしら?汚れたなら新しい服を買えばよろしいのに。


 「奴らには仕事がないんだ。だから服を買うお金がないんだよ」


 そう言った父様はとても汚らわしい“物”を見るような目をしていた。街の外観が損なわれているのは彼らの所為だと言わんばかりのその表情。

 仕事がない人間は、金のない人間は社会のゴミだと父様のその目が物語る。

 いいえ、きっとそんなことはありません。父様にそう無理を言って外へと連れ出して貰ったけれど、外はますますわけのわからないことばかり。

 どうしてあの人達はあんなに荒んだ心をしているの?ちょっと目が合っただけで訳の分からない言葉で私を罵り睨み付けるのよ。

 私が彼らに何かをしたわけでもないのに。私が目に映ること自体気に入らないと彼らの目が言っていた。


 それは何故?屋敷に帰って私は必死に考えた。嗚呼そうだわ、きっとあの人達はお腹が空いていたんだわ。お腹が空くと誰でもどうしてもカリカリしてしまうものなんだから。お腹いっぱい食べた後なら、きっとあの人達も優しい人。本来の自分を取り戻してくれる。

 そう思い立ち、素晴らしいことを私は思いつく。そのために夕食に手を付けない私を見た母様は、私にその理由を尋ね、笑顔で私が答えれば、やっぱり父様と同じような瞳で私を見るのです。


 「何て勿体ないことを!あんな下賤の口にこの高級素材が入ったら、この肉も何のために殺されたのかわからないでしょう!?このお肉はね、私達上流階級の人間のために生まれて育てられ殺されて、こうして食卓に並ぶことが誇りで救いで喜びなのよ?あんな汚らしい人間に呑み込まれてご覧なさい。なんのために死んだのかもわからないじゃない!大体あんなゴミ共に、この一流料理の味が理解できるはずもないわ!」


 母様は食卓のために屠られた動物の命よりも、道に転がる彼らの命が軽いと言いたいようでした。

 私は母様の言葉がよくわかりません。どんな動物だって怪我をすれば痛いし、殺されたくはないはずだから、誰に食べられたとしても痛いのも悲しいのも変わらないはずです。だからせめてその動物たちのために祈り感謝するのは大切なこと。それが救いに何てならないんだろうけれど、私達は自己満足のためにきっとそうする。でも毎日お腹いっぱい食べられる私が思いだしたようにちょっと感謝するのと、食べることに困っている人達の口に入ってその人達に沢山感謝してもらえるのと、どちらが良いことなんだろう?それはたぶん決まっているわ。誰にでもわかるはずのこと。


 ねぇお母様。それなら、それなのにどうしてあの人達にパンを分けてあげてはいけないの?うちには沢山食べ物があるじゃない。キリがないから?何も変わらないから?みんなにそれを配ったら、あの人達のような暮らしを私達がすることになってしまうからなの?

 それなら私頑張るわ。私も父様みたいな立派な時計職人になるの!そうしたら沢山のお金が入るわ。それで私がパンを買うわ。それで配ればいいの。それなら何も不自由なことなんて無いはずだわ。

 ねぇお父様。どうして私に時計作りを教えてくれないの?どうしてギルドは私を雇ってくれないの?


 「それはお前が女だからだよ」


 父様はそう言って残念そうに私を見た。私では父様の跡を継げないのだと父様は言う。

 どうしてと問いかけてももう、答えは返ってこなかった。

 だから私は勝手にした。勝手に時計を発明した。考えに考えて私は1人で時計を作り上げた。

 それを見せたとき、父様は両目を思いきり見開いていた。

 この時計は私が作ったの。凄いでしょお父様?

 文字盤は二十四時間。月と太陽と12星座を示す重なる文字盤。太陽の位置、潮の満ち引き、月蝕に日食まで私の時計は指し示す。

 システムとデザインに凝れば新たな市場の開拓も可能。客層を増やすことで顧客も増える。父様の時計じゃ女の人の興味は惹けないわ。そんなんじゃ駄目よ。

 胸を張り自慢の時計を見せた私に、父様はこれだから女はと冷ややかな視線を送り付けた。父様にそんな目を向けられたのはこれが初めて。

 父様はシンプルな時計が好きだったから、私のデザインを受け入れてはくれなかった。それどころか時計に対する冒涜だと口汚い言葉で私を罵った。その言葉に私は思いきり頭を殴られたような衝撃に打たれ、耐えきれずに屋敷を飛び出した。

 どうして誰も彼も私の好意を無下にするのかしら。どうして私は泣いているの?


 私が願っているのは私の幸せではない。多くの人のことをなんとかしたいと本気で思っているのに、そうすればそうするほど、私は手にしている物を失っていく。私ばかりが不幸になる。その分の幸せが可哀想な誰かに行き届くこともなく、私だけが不幸になる。それはあまりに理不尽ではないかしら?私は何のためにそれを手放した?顔も知らない誰かが笑顔になるならそれはとても素晴らしい。幸せなこと。だけど何も変わらない。何も代わりはしないのに。

 見知らぬ街は異境のよう。屋敷の中から見るのと父様に連れられて歩くのともまた違う。実際自分の足で歩いてみると、人々のうめき声が、息づかいがすぐ傍から聞こえて来る。

 暗い気持ちと共に傾く太陽。暗くなって夕暮れ。帰り道も解らない。

 夕暮れの物悲しさと寂しさの中、ゴーンと響く鐘の音。それだけが手がかり。それが何処か何なのかわからない。それでも道なき道を指し示してくれるもののように思えて私は歩いた。鐘の方へと招かれるように……

 私が迷い込んだのは、古ぼけた教会。信仰の薄れたその場所は物悲しさを纏ってそこにある。現金な人々。忘れられた神様。可哀想に。埃の積もった偶像。まだ祈りの表情を浮かべている。だけど誰ももうついてきてはくれない。信じてくれない。

 人は本当に自分を救ってくれる力がなければ誰も信じない。人は信じることにも打算的で、利害を考える。それは悪魔に魅入られたような、魂だ。そこから人を救うのは信仰だ。この街に必要なのはパンでもお金でもない。誰かを何かを信じる心。それがここには欠けているのだ。


 「……教会にお祈りかい?若いのに見上げた子だねぇ」


 現れた老修道女。今この教会にはこの女しかいないらしい。そのしわくちゃの手で鐘を鳴らしていたのか。鐘の所までは何段階段を上るのか。この老体には大変な仕事だろう。辛くはないのだろうか?そう思った。しかし老婆は外見こそ年老いて醜いが、希望をまだ失っていないような輝かんばかりの瞳をしていた。その目はこの街のどんな人間よりも美しい色をしている。それがどうしてなのか不思議だった。


 「貴女は信じてるんですか?……神様って、本当に居るんですか?」

 「ああ、私ゃ信じとるよ」


 老婆はからからと笑う。


 「神様って……どんな方なの?」

 「そうだねぇ……」


 老婆は一度それはとても醜くにっこり微笑んで、私を指さした。


 「今の私にとってはお嬢ちゃんと同じ顔をして居るよ」

 「私が神様?どういうこと?」


 お客様は神様だと父様はよく言っていた。この老婆は寂しさのあまり訪れた私にそのくらい感謝しているとそう言いたいのだろうか?そう思ったけれど老婆はそうではないと首を振る。


 「出会う人はみんな神様さ。主はね、恥ずかしがり屋でね、人の目に映りたがらないのさ。だから誰かの中にこっそり隠れておいでになっては私達を試すのさ」

 「試されている……?」

 「嬉しいことも悲しいことも、みんな主が私達に与えるものなんだよ。好きな人も嫌いな人もみんな主に操られて私達を試しているんだ。だから、私は出会う人全てに主が正しいと思うような受け答えをしなくちゃいけない」

 「……それじゃあ貴女は私の神様なんですね」

 「お嬢ちゃんがそう思ってくれるならそうなのかもしれないねぇ」

 「それじゃあお婆さん、私ここに居ても良いですか?」


 私の言葉に老婆はおやおやと驚いたような顔になる。それが予想外すぎたのか、口からは他の言葉が見つけられずにそればかりが繰り返されている。

 この人が私に現れた試練なら、私はまずこの人を救わなければ話にならない。目先の人を救えずに全てを救えるはずがない。父様と母様を救えなかった私。逃げ出した私に与えられたチャンスで試練。私はここから逃げてはいけないと思った。

 この人はとても満ち足りた顔をしているけれど、寂しそうに私には見えたから。


 「でもねぇ、ここには何もないよ」

 「それでも全てがあります」


 私は微笑んだ。


 *


 教会に拾われた少女。年老いたシスターに代わり教会を切り盛りする才ある少女。少女の素晴らしい才が生み出した唯一無二の時計。父に散々罵倒されたその時計は余所の街の中心に掲げられて街の名物。何処にでも酔狂な人間はいる。そういう馬鹿は金になる。彼女の時計に魅せられた人間達によって、その後ろ盾は次第に強固な物となる。支援者から贈られる金。その金は教会を建て直すには十分だった。彼女が与えるのは衣食住の保証と職。失業と流行病と飢えに苦しむ人間に、教会は確かに救いだった。そんな彼女の慈悲の心に人が集まり、教会にで祈り働く人間も数を増やしていった。

 彼女は幸せだった。屋敷で暮らしていた頃よりも、ずっと日々が満ち足りている。ゆっくりと流れる時間。秒針に追われるように急かされることのない日々。

 けれど現れた、そんな幸せな日常を壊す存在。時間を盗んだ大泥棒。こともあろうにそのこそ泥は、時間をどうしたか?何を血迷ったのかそれを人に配り歩くという行為。

 それは彼女にとって、それは冒涜以外の何物でもなかった。耳障りなその歌は、教会の前をも通り過ぎる。


 「悪魔め……主を冒涜するなんて!」


 急いでそれを捕らえようと外へ飛び出した。けれどもうそこには誰もいない。耳障りなその歌がどんどん遠くなっていく。時間泥棒。彼は言うなればカイロス。現れてから追うでは遅いのだ。

 かといって少女も暇ではない。いつ来るかもわからないその悪魔のために割ける時間もそうそうなかった。自給自足の生活とは本当に大変で忙しい。それでもその忙しさにこそ喜びがある。太陽と月が巡る中、祈り働く日々は本当に満ち足りている。そこに正確な時間など必要ない。神とはその曖昧な時の中に息づくものなのだ。だからこそ許せない。こんな風にそれを暴き立てるあの悪魔の子。

 このまま放っておくことは出来ない。あんな風に時を語られては困る。

 これまで教会の鐘は人の生活の一部として存在していた。信仰の薄れ行く人々も、晩鐘の中に祈り省みる程度の心は持っていた。それをあの時間泥棒……あの子供が正しい時間を暴き立てる。その所為で教会の鐘は意味を無くした。

 教会は曖昧な時間の中に鐘を鳴らす。それは今のこの街にとってありがたいものではなくなってしまった。正しくもない、毎日違う時間に鳴らされる鐘。それに人々は惑うのだと言う。街の人々は真実を求める。正しい時間を欲しがった。けれどそれがどんなに罪深いことかを彼らは知らない。


(……………恐ろしいことだわ)


 この街がこんなにもおかしなことになっているのはそのせいだ。人は数字に囚われている。

 人が信仰を無くしてしまったその発端。それは金とそして機械によるものだ。人々は俗物となり自らの罪を忘れ、日々堕落し続ける。

 教会からは人が減り、祈り働く人間も減っていった。今の人々は何のために働いているのか。それは金のためであり自身のためだ。誰も彼も自分のことばかりで他人を思いやる余裕など無い。


 「ああ、主よ。罪深い彼らに代わって悔い改めさせていただきます」


 女は日に三度鐘を鳴らす。これから祈りが始まる。それを知らせるための鐘。そこに正確な時間はない。なぜなら教会に時計なんてものはないからだ。

 時間は神の所有物。それを人間風情が我が物顔で支配したつもりでいるような今日の風潮を、どうしても認められない。人の命は神から貸し与えられた物に過ぎない。それをこの街の人間の内何人が自覚しているだろう?

 救われることを前提に。そうでなければ神など信じない。刈り取られることを嘆く。貸し与えられた時間を返されることを怨む。それが最初から自分の物だったのだなどと言う主張をもって。


 「主よ、貴方は何をお考えなのですか?あんな悪魔を野放しにして……」


 捕まえられないのならそれはきっと神の意志。そう。悪魔の子とはいえ人間だ。その命を刈り取るのは我らが主。主がそれを刈り取らないのなら、そこに意味があるのだろう。私はそこからその真意をくみ取らなければならない。

 時間は神の所有物。それをばらまく時間泥棒。あの存在は禁忌に触れている。それでも神がそれを認めているのは何故か?


 「あり得ないわ……そんなこと」


 女は首を振る。下らない妄想だとその考えを振り払う振り払う。時間泥棒が人々を救う救い主であるはずがない。この私にも聞こえない神の声を、その意志を体現しているだなんて認めない。


 「主よ……貴方は私を試していらっしゃるのですね」


 お前にあれを捕らえることが出来るか?その罪を曝いて正しく裁くことが出来るのかと私に問いかけているのだ。私の声が聞こえているか?その意思を正しく酌み取っているのかと……私に試練をお与えになったのだ。

 自らを奮い立たせるように女は深く息を吸う。合わせた掌にも力がこもる。早速女は行動に移すべく聖堂を後にし、両手を叩いて修道士達を集めた。


 「さぁ、お集まりなさい!」

 「如何なされましたかアストロラーベ様?」

 「主はお怒りです!主はお嘆きです!主は時間泥棒を許さない。私達の手で捕らえて裁けとのお言葉です!」


 基本的に教会は許すためにある。勿論罪を裁くのも仕事ではあるが、それが目的ではない。目的は魂の救済。罪に汚れた魂を悔い改めさせるのがその目的。

 だからこうして犯罪者を追うということは珍しい。犯罪の溢れた街だ。それを片っ端から捕まえるとなると無理がある。だからこそ声高らかに教えを説き、自ら懺悔をしに来させ悔い改めさせる。それが最も効率の良いシステム。

 それでもここまで街を揺るがす大泥棒。もはや放置しては置けない。時間泥棒は街の権力者達全てを敵に回した存在だった。

 これは神が試している。他の権力者に捕まれば時間泥棒は間違いなく殺される。その罪を悔い改めさせる暇もない。それではいけない。神は悪魔に魅入られた大罪人の中にも僅かにいらっしゃるのだ。その悪魔を払って人へと戻すのが教会の務め。罪人の魂さえ、救わなければならない。

 そんな思いで女司祭は教会の全勢力、そして支援者の力をも用い時間泥棒の捕獲に挑んだ。それでも時間泥棒は捕まらなかった。あれはまるで風の化身。どこにでもいてどこにもいない。ここにいたのにもういない。それはあの悪魔の足が速いから……その一言に集約するにはいささか足りない。あれにはまだ何かある。でなければおかしい。教会の仕事を疎かにしてでもあれを捕らえようと人員を割いた。それなのに何故未だにあれは捕まらないのか。

 女司祭が頭を悩ませているそんなある日、聞き慣れた下手くそな歌が教会を通り過ぎない日がやって来た。

 呼ばれるがまま足を向けた先での惨状に、彼女は僅かに安堵した。答えはそこにあったのだ。

 それは恐れていた事態のはず。それなのに女司祭は、どこかほっとしている自分に気付く。

 そのむごたらしい死に様こそが答え。神への冒涜。それにやっと天罰が下った。そう思ってしまった。


(やはり主はお怒りだったのだわ)


 時間を盗むなんて大罪。やはり許されることではない。この少年は神の所有物へと手を付けたのだから。ギルドの時計工達も最近では売れなくなってきた。時間泥棒の時報を聞けば聞くほど自身の時計の不具合に気付く。日々狂いが生じる時計など誰が大金出して買うだろう?

 時間泥棒が死んだとはいえ、その負の側面を知った貴族は時計を買わなくなるだろう。そうなれば時はいずれ神の手の中へと帰る。それが神の望んだシナリオだろう。

 しかし、驚くべきことはその翌日に起きた。またあの忌々しい歌が聞こえた来たのだ。それは幻聴だろうか。いや違う。確かに聞こえる。足音も。

 女司祭が飛び起きて、窓から外を見下ろせば……小さくなる子供の背中。それは昨日確かに死んでいた少年のそれ。

 それを目にしたときの冷や汗、胸騒ぎ。

 「あ、悪魔……っ!?」


 殺されたのに死んでいない。まだ生きている。走っている。

 罪を裁かずに悔い改めもせずに殺された魂。それが再び甦った?自分が彼を救うことを放棄したから彼は本当に悪魔として甦ってしまったのだろうか?

 それとも……突如頭を掠める本の一節。奇跡の一文。目の前のそれは確かに奇跡。復活を為し得るのは証明。


 「違う……」


 時を盗んだのではない。あの少年は神から時を託されたのだ。彼は救い主だったのだ。それを人は殺めてしまった。私は彼を見捨ててしまった。その死を喜びさえした。

 膨れあがる罪悪感はあまりに大きい。それが大きすぎて、女司祭はそれに耐えられない。


 「あ、あり得ない。そんなことっ!あるはずないっ!」


 彼女は否定する。それを肯定してしまえば自身の過ちを罪を認めることになる。祭り上げられた彼女にもはやそんなことは出来ない。深い信仰心を持ち、正しくそれを理解し常に正しいと認識している自身を否定されることは自身の世界の崩壊を意味する。それは彼女にとって死よりも辛いことだった。


(曝いてやる……っ!そんなこと、あって堪るものですか!)


 女司祭は再び時間泥棒の捜索に時間と人を割いた。

 手に入れた情報は、時間泥棒の足が前より僅かに遅くなったこと。それから歌が妙に上手くなったこと。それでも追いかけてもすぐに見失ってしまうのは相変わらずだ。手下の失態と使えなさに歯ぎしりをしていたある日、1人の来客。

 現れた金貸しは、1人の子供を連れていた。その子供こそ、探し求めた時間泥棒。

 その身柄を引き渡すように頼めば、金貸しはとびきりの嫌味を運ぶ。


 「本当は金貨を請求したいところですけどね、教会はそう裕福じゃなさそうですし銀貨三十枚で手を打って差し上げますよ。その程度なら余裕があるでしょうお嬢さん?」

 「銀貨、三十枚ですって!?」


 その数は聖職者である彼女にとって最大級の侮辱で嫌味。それでもここで断ればこの男は、この少年をここから連れ去る。


 「嫌なら別に構いませんよ。若い修道女の何人か譲ってくださっても。私の紹介する仕事の方が余程金になりますし」

 「よくもまぁ神の家でそんな汚らわしいことが言えるものですね」


 嫌味な男。こんな男の中にも主が僅かには宿り、私を試しているのだろうか?こんな金の亡者、悪魔のような男にさえも。どうすればこの男を魔から振り払えるのかまるで見えない。救いようがないとさえ思う。

 どうして今まで捕まえられなかったのか。それが解った。時間泥棒にはこの金貸しの後ろ盾があったのだ。何処でどう結びついたのかはわからない。それでも金貸しの元締めの協力が在れば匿う場所など幾らでもある。先日の死体はおそらくまったく別の人間の物だろう。それをこの金貸しが時間泥棒として偽造しただけに違いない。なんということだ。

 今もこの機会を逃せば、何処か安全な場所に隠されてしまう。チャンスは今しかない。この二人は今仲違いでもしているのだ。また手を取られる前に引き渡して貰わなければ、もうこんな好機はない。それでも答えはこの金貸しの中にはない。見極めるべきは時間泥棒。

 見れば見るほど小柄な子供だ。自分よりも年下のようなそんな子供が何故こんな大罪を犯してしまったのか。信じられない。何か事情でもあったのだろうか?


 「……貴方は何故あのようなことをしたのですか?」


 相手を実際見てみて子供だと知れると僅かに同情の心が芽生える。手足も細い。可哀想に。きちんと食べているのだろうか?もしこの場できちんと悔い改めて改心するのなら、教会で受け入れてやっても良い。その位には哀れんだ。


 「僕は聖職者じゃありません」


 少年は目を逸らさずにそう語る。その小さな身体に似合わないある種の迫力を漂わせていた。それは憐れみなど不要と吐き捨てるような言葉だ。


 「ですから頬を打たれたら反対側を差し出すような真似はしません。奪われたのなら奪い返します。どんなものでも絶対に」


 加害者ではない。犯罪者ではない。仮にそうなのだとしてもそれ以前に被害者だ。神も教会もその罪を見過ごした。だからこそ奪い返したのだと彼は言う。


 「それは良くない考えです。誰かが我慢しなければ耐えなければならないのです。貴方がそのようなことを言うのは貴方の心が貧しいからです。何故そんな風に思ってしまったのです?」

 「仮に貴女が正義で本当に正しいのなら、何故野放しになっている罪があるんでしょうか?」

 「教会にも限界という物があります。皆を皆捕らえて裁くというのは人員不足のため行えないこともそれはあります」

 「それなら僕にも限度という物があります。許せることと許せないこと。それはあります」


 悠然と構えたその不遜な態度が気に入らない。この子供は全く反省をしていない。恐れも知らない。どこまで神を冒涜するつもりなのだろう。


 「そもそも僕の行為の何がいけないんでしょうか?まずそれが疑問です」

 「貴方、それを本気で言っているの?」

 「ええ、本気ですよ」


 少年は事も無げに薄く笑む。自身の罪を認め無いどころか開き直るそのふてぶてしさ。子供だからと許されることではない。


 「僕は唯歌を歌っていただけです。それで走っていただけです。この街には歌うことを咎める法も走ることを禁止する慣習も無いはずでしょう?」

 「確かにそれはそうですが、貴方の行いは間接的に神を冒涜する行為なんですよ?そんなことも知らなかったとでも?」


 子供の無知、それが大罪を生んだのだとしたら子供とはなんと恐ろしい存在か。何も恐れないから、ここまで傲慢でいられる。何処までも自己中心的。自分が世界の中心、神か何かだとでも思っているのだろう。

 だから神になった気分で、人を勝手に哀れみヒーローごっこをしていた。そんなエゴで神に牙を剥いた?


(何てことなの……)


 この子供はこれまで相手にしてきた罪人とは格が違う。どんな言葉を告げればこの少年から改心の言葉を引き出せるのかまるで見えない。この金貸しなら言わせるだけならまだ容易。金を積めば言う。それを言葉として繰り返させることで耳から脳へと伝わり次第に本当に改心していくことになるだろう。

 けれどこの少年はその1度目の言葉を引き出す糸口さえ見えない。この少年は隙がない。確固とした意思を、どうすれば打ち破ることが出来るのか女司祭が即座に知ることは出来なかった。


 「神を信じるのは貴女の自由ですが、信じないのは僕の自由です。それを押しつけるのはどうかと思いますよ?そういう人間が存在することも認めず、貴女はそんな自身の感情論で人を裁くんですか?司法が聞いて呆れます」

 「お黙りなさいっ!」


 押し黙った途端攻めに転じた少年の言葉。女司祭はそれが敗北なのだと知り、だからこそ生まれる更なる苛立ちに怒鳴り散らし、机に両手を打ち付ける。書類が吹き飛ぶが気にしない。気にもならない。今は目の前の悪魔の如き少年が唯々気に入らなかった。

 すぐさま机の鍵を開け、引き出しから金を取り出す。そしてそれを思いきりぶちまけてやった。


 「交渉成立よ金貸しレーヌっ!時間泥棒は私が法廷で裁きます!最後までお前が罪を認めず悔い改めないというのなら……それ相応の罰の覚悟をなさいっ!」


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