9:復讐の歯車と時計達のAyre
「ピエスドール様、時計の調子は如何ですか?」
「おお、クロノメーカーか。ああ。実に良い。遅れもない!ゼンマイを撒いてすらいないのにこの針は回り続ける!お前は本当に有能だな。お陰で私の権力もより強まった!」
街一番の豪邸で、街と人々を見下ろす男の姿。彼は金時計を愛おしげに見つめている。そこに全てを従える力が宿っているとでも思っているような、そんな目だ。
そこへ現れた男が1人。時計工と呼ばれたからにはギルドの職人なのだろう。大富豪の時計を確かめ、そこに狂いがないことを保証する。
「あの溝鼠、時間泥棒もとうとう仕留めた。もうこれで私の覇道を邪魔する奴も居るまい!ははははは!ああ、素晴らしい!これさえあれば私はこの街だけでなくこの国を!やがては世界までもが私の物となる!」
大富豪は至福の表情の中、薄汚い笑みを浮かべる。また妙なことを思いついたのだろう。
「いっそのこと街中の全ての時計を打ち壊してしまおう!そうすれば真実は限りなく私だけの物になる!愚民共は私に頼らなければ生きていくことすらままならんわけだ!」
「そうなりますと、私も失業してしまいますね」
「お前は冗談も達者だなクロノメーカー。もう職人など辞めても何代か食って行けるほどは稼いだだろう?それにお前にはこの時計の点検係を任せているではないか」
「失礼、そうでしたね」
その企みに忍び笑いを漏らす時計工と、大口を開けて笑う大富豪。
それを同じ部屋の中で聞いている少年と少女。けれど2人には、2人が見えていない。生きている人間には、他の時間を生きている時計の姿を見ることなど出来ないのだ。
「…………くそ、よくも父さんの時計を」
「金貨卿?面白い名前の人ね」
歯ぎしりをする少年の横で鳩時計がくすくす笑う。畏れ多くも大富豪の頭をぺちぺち叩いているが、それに彼が腹を立てることもない。なぜなら触れられてもいないから。
「でもどうするのクロシェット?」
「こいつは許さない。父さんの仇だ。当然、俺はこの男を殺…………あ!」
この男を殺して復讐をしよう。そう言いかけて少年は気がついた。目の前で鳩時計がやっていることがその答え。
「そういうこと。私も貴方も生きても死んでもいない。死んでいるし生きてもいる。つまりこの男を殺すにも順序と手段というものがあるんだわ。普通に首締めようにもすり抜けちゃうし、刺し殺そうにもまず刃物が持てないわ」
生きていない人間が、生きている人間を殺すことの難しさを鳩時計は訴える。簡単に復讐を遂げることはできないと聞かされても、諦めるという選択を少年は選べない。今にもはらわたが煮えくり返りそうなのだ。それくらいこの男が憎くて憎くて堪らない。
「順序か……でも、どうやって?」
「私達は人ではなくて、時計でしょ?」
「ああ、そうだな」
「だから人とは話せなくても時計とだったら話が出来る」
「そうなのか?でも俺の家の時計とは全然そんなことはなかったじゃないか」
「彼らは眠っているから仕方ないわ」
「時計って眠るの?」
「あら?時計だって眠るわ。人も獣も森も草木も眠るでしょう?だったら時計だって眠るわよ」
「そういうものなんだ……」
いまいち腑に落ちないと言った態度の少年に、そういうものよと笑う鳩時計。
「それに今この人達が言っていたでしょう?まもなくこの街中の時計の命が脅かされる。今に悲鳴が聞こえてくるわ。時計達も飛び起きる」
「だけど俺たちにはそれを止める方法がない」
「ええ、みんな殺されてしまうでしょうね」
「…………そんな」
「だけどみんな死にはしないわ。だって生きていないから」
「え……?」
鳩時計の言葉は酷く抽象的だ。瞳を瞬かせる少年に、鳩時計が笑いかける。
「クロシェット!貴方も時計工になればいいのよ。父さんの跡を継げるわ!」
「いや、でも俺は時計作りの勉強なんかしてこなかったし……そんなの出来ないよ」
「違うわ。それは人間のやる仕事だわ。だけど貴方は時計でしょ?時計が時計を作るのは人間のやり方とは違うわ」
「時計の、やり方?」
「蝋燭が、蝋燭に火を灯すのと同じ方法。貴方は時計だけど心のある時計。生きているっていうのは心があるっていうことなんだわ。だから壊された時計達に貴方は心を与えてあげればいい。そうすれば彼らは完全には死なないわ。また時を紡ぐことが出来るようになる」
鳩時計の語る生と死の概念は、人間だった少年にとって新鮮なものだった。
(心があれば、生きていて……心がなければ、死んでいる。マキナは不思議なことを言うんだな)
それではこの街を暮らす人間達だって、本当に生きているかどうか怪しい物だと少年は吹き出した。
「でも、そうか。それってつまり、俺たちと同じクレプスクルムの街の住人になるって事?」
「ええ!きっと楽しいわ」
寂しげなあの街に沢山の灯りが灯る。時計達で溢れかえるその街は、確かに愉快で楽しい場所になるかもしれない。
「……そうかもね。でもそんなこと、俺に出来るのか?」
「ええ簡単よ。それは語りかけること。だけど言葉だけでは時間が掛かるから、もっと気持ちが簡単に伝わる方法を教えてあげる」
鳩時計は少年の両手を取って満面の笑み。
「どうすればいい?」
「歌えばいいの」
「う、歌ぁ!?」
少女の言葉に少年の声が裏返る。
「歌は嫌い?」
「いや、歌は好きだよ。でも……」
「でも?」
「俺ってあんまり歌上手くないんだ」
溜息の跡、恥ずかしげに目を伏せる少年に鳩時計が苦笑。
「大丈夫。私が歌を教えてあげる。沢山歌えばちゃんと歌えるようになるわ」
「どうだろ。俺そういう才能無いんだ」
「ちゃんと耳を澄ませれば、自然とわかるようになるから大丈夫。聞こえる音と同じ音を紡げばいいの」
それが難しいんだよなとがっくり肩を落とす少年を、鳩時計は必死に励ます。
「それにちゃんと想う気持ちがそこに宿っているなら、きっと彼らには伝わるわ」
「………そう、なのかな」
「ええ。クロシェット、歌ってみせて」
「い、今!?ここで!?……い、嫌だよ。恥ずかしい。絶対音外す」
「いいからいいから。私だけしか聞いていないんだから恥ずかしくないわ。私どんな歌でも笑わないでちゃんと最後まで聞いてあげる」
「マキナ……」
「歌はね、とびきり素敵な魔法。言葉じゃ言えないことを歌は代弁してくれる」
そう言って鳩時計はすぅと息を深く吸い込んだ。歌い出したのは、少年ではなく彼女の方。その歌は自分を助けてくれた少年への感謝と精一杯の好意を伝える歌だった。
聞き惚れてしまうような歌声に、乗せられた言の葉。それは言葉だけで聞かせられたなら、此方が恥ずかしくて顔から火が出てしまうかもしれない。
それでもそこに音色が加わることで、もっと自然にそれを受け止められる。気恥ずかしさは抵抗と拒絶の一種なのだから、それを取り去る歌の力は確かに偉大なものだろう。
「クロシェット、伝わった?」
「え……あ、ああ、うん。こんな綺麗な歌を歌ってくれてありがとう」
「もう!違う違う!それだけじゃないわ!」
怒って触れ腐れたような表情の鳩時計。それを見て少年は夕暮れの街で出会ったばかりの少女を思い出す。あの時の少女は本当に人形のようだった。もっと淡々としていて無表情だった。それが今は笑い、怒り……まるで本物の人間のように振る舞っている。
それはつまり、自分が言葉を交わしたことで、時計だった彼女に心が宿り始めたのだろうか?
(もし、それが本当なら……)
自分には彼女が言うように、時計を動かす事が出来るのかもしれない。
(………父さん)
大富豪の手の中にある金時計。それも眠っているのだろうか?休まずカチコチ動いているあの時計も。
「クロシェット……?」
少女を真似て深く息を吸う。そこに想いを乗せるだけ。少女は確かそう言った。
(……どうしてこんなことになってしまったんだろう)
僕は唯、時計が好きで。時計を作って笑っている父さんが好きだった。時計の刻まれる音が耳に懐かしく心地良い。
母さんの子守歌なんか思い出せない。だから僕にとって子守歌は、秒針の音。思えば何時も僕はその音と一緒に生きていた。
父さんがいなくなってからも、時計は一緒にいてくれた。その秒針の音の中に、父さんが生きているような気がして。1人ではないんだと自分に必死に言い聞かせていた。寂しくなんかないんだと、いつも嘘を吐いていた。
ああ、だけど今。僕は悲しい。悲しくて泣いてしまいそう。だけど時計になった僕は涙すら流せない。
あの金時計が今もカチコチと規則正しく時を刻むのに、僕の心臓はもう何も語らない。耳を澄ませてもそこからは何も聞こえない。一緒に生きていたのに、僕だけもう死んでしまった。そう思うとそれがとても悲しくて寂しいことで。
目はこんなに熱いのに一滴の涙も流せない。そんな身体になってしまったことが悔しくて悔しくて。
僕は何処に行けばもう一度父さんに会えるんだろう。死んでしまったというのに、僕はまだ父さんに会えない。
見知らぬ世界に自分1人置き去りにされたような気分だ。それはとても辛いけれど、マキナが傍にいてくれる。それだけが今の僕にとっての救いなんだ。
そんな想いで歌を歌った。感情のまま歌い狂った。気持ちが落ち着けば、何をどんな風に歌ったのかよくわからない。
視線を向けた先で金時計は未だ黙したまま。あの時計と手にしていた頃は、もっと気持ちが通じていたような錯覚があった。でもそれは幻想。
「……やっぱり、僕なんかこの程度」
金時計は眠っている。呼び覚ますことなんか出来なかった。それは父に拒絶されたみたいで、また少し悲しい気持ちになる。
鳩時計を振り返り、駄目だったよと告げようとして……そこで少年は信じられないもの目にした。
「マキナ……?」
「うぅっ………うっ……」
鳩時計が。鳩時計の少女が泣いている。自分と同じ時計であるのなら、泣けるはずがないその時計が泣いている。自分の代わりに泣いている。ちゃんと伝わったよと、鳩時計が言っている。
悲しいこと。苦しいこと。悔しいこと。寂しいこと。そのシンクロを引き起こすような歌だったと彼女は言う。
「大丈夫だよクロシェット。私がいるから。私はずっと貴方の傍にいるよ、貴方が悲しいときも、寂しい時も絶対貴方の傍にいる。寂しい思いなんかさせない。泣けないならずっと貴方を笑わせてあげる!」
「マキナ……」
「だから笑って、クロシェット?私何でもしてあげる。貴方の力になりたいの!」
抱き付いてきた少女の涙で胸に水が落ちる。それは彼女の手とは違う、温かな温もり。
それに少年は理解する。自分は死んでいるけど生きている。だけど彼女は多分そうじゃない。生きているのに死んでいる。だから、泣くことが出来るのだろう。
なんとも歪な自分たち。それでもある意味似たもの同士、それなりに似合いの関係なのかもしれない。
「………それじゃあお願い」
「何?」
「もう一回、さっきの歌聞かせてよ。俺、マキナの歌好きだから」
「……うんっ!」
涙を見た後だと、前より伝わってくる物が多く感じる。この歌にあるものは感謝ではなかったのだとようやく理解する。
少女の歌声は、心を落ち着かせる静かな音色。復讐に駆られて何も考えられなくなる、狭い心に平穏を取り戻させる。
「ありがとう、マキナ」
「ど、どういたしまして」
歌の意味を理解すると、やはり恥ずかしさが込み上げる。本当を理解すると、言葉にされるよりもその三倍くらいは恥ずかしい。
「マキナ、俺の名前長くて面倒だったら……前に君が呼んでくれた駒鳥とかでも別に良いよ」
「……どうして?私クロシェットの名前結構好き」
「いや、うん……わからないならいいや」
鳩と駒鳥の関係を最初に口にしたのは少女の方だったのにと少年は小さく嘆息をした。
「いや、お熱いですねぇ」
「だ、誰だ!?」
突然会話に加わってきた第三者の声。その声に少年が辺りを見回しても姿は見えない。
「クロシェット、あれ。あそこ。あの時計工の人の腕にある時計だわ」
「ゼンマイ腕時計か……あれだけの時計を作れる職人なんてそうそういないぞ?……あれ?あれ、何処かで見たことがあるような」
少女が指さしたのは大富豪と談笑を続ける時計工の腕。その手首に巻かれた小さなゼンマイ式の腕時計。
声はそこから聞こえてきているのだと知り、2人は時計工へと近づいた。
「聞き覚えのある名前だと思いましたら君は、クロシェット君ですか。いやぁ、大きくなりましたね」
クロシェットの歌声で目を覚ましたとその時計は言う。時計の声は丁寧そうな落ち着いた年配らしさを感じさせる女の声だった。
「……あんた、誰?俺を知っているのか?」
「これは失礼。こうやって話をするのは初めてですね。私は…………というより君は私のご主人様の方がご存知ではないですか?」
「あんたの……?それってこの時計工…………?」
計算高く小物臭い笑みを浮かべたその時計工。見上げても記憶の中にそれと一致する思い出はない。
「わからないな」
少年の言葉に腕時計は、何分昔のことですからと苦笑声。
「昔は私もよくご主人様と共に、貴方のお父様の所へ遊びに行ったものでしてね。かく言う私のご主人様は貴方のお父様とはギルド時代からの旧友なんですよ」
「ギルドって、時計ギルド……?俺の親父がギルドで働いていたなんて聞いたこともないけど」
「君のお父様は、ご自分の好きな時計を作りたいとギルドを離れご自身の店を構えられたのです。ですが商売が思うように行かずに、奥様とは別居することになったという話を私も小耳に挟みました」
淡々と、それでいて何処か嬉々として語る腕時計。それは暇を持て余した噂好きの年増女のようだ。
「ご主人様が貴方のお父様を羨ましがっていた理由がわかりました。跡継ぎのご子息にこれだけ慕われているならきっと貴方のお父様も幸せだったでしょうね」
「そんなの……わからないよ」
「いえいえ、わかりますとも!うちにはね、残念ながら娘さんしかいないんですよ。だからご主人様はいつも悔しがっていましてね。時計工を継がせられず、自分の代で終わってしまうんではないかといつも心配してらっしゃるんです。お嬢様は継ぐ気も0。かといって可愛い娘を嫁にやれるだけ、才能のある時計工がいないといつもお嘆きで」
「へぇ…………、この人の家も大変なんだな」
何気なくもたらされた少年の呟きに、腕時計は感嘆の声を上げた。
「ああ、やはりご主人様の目に狂いはなかった。クロシェット君、貴方はとても優れた才をお持ちだ。きちんとした師の下で学べばお父様を越える時計工になれたことでしょう」
「ごめん。言っている意味がわからない」
「貴方は私たち時計にこうして接してくれる。向き合って、時計に心を預けて接して耳を傾けてくれる。それは優れた時計工の才なのですよ」
そんなことが時計工の才能なんだろうか?まったくもって理解できない。助力を求めるように少年は少女を振り返る。
「マキナはどう思う?」
「この人の言っていること正しいわ。私もそう思う」
少女はそれを肯定。誇らしげに少年の才を褒めているようだ。
それに少年は変なものだなと苦笑する。自分はこれまで一つの時計も作ったことがないはずなのにと。
「見たところ貴女のご主人様は、心は預けても耳は傾けていない。技術の方は素晴らしいし真摯な仕事をしているけれど、情熱に欠けている。それじゃあクロシェット達には勝てないわ」
少年と時計工を比較するように、それじゃあ駄目よと鳩時計。
「ええ。そうですね。だからご主人様は……あんなことをしてしまったんでしょう」
「あんなことって?」
「ああ、いえいえ、何でもありませんよ。おほほほほ。それではそろそろ失礼いたします。ご主人様達のお話が終わったようですから」
タイミング良く時計工が大富豪の部屋から出て行く。それを見送りながらどうしようかと少年が視線を向けた先、鳩時計は時計工の背中をじっと見つめている。その目は怒りと呼んでもいいような色をしていた。
「マキナ?」
「クロシェット、あいつら怪しい」
「それは俺もそう思うけど、何の証拠もなく人を疑うのは良くないことだ」
「それなら証拠があればいいのね」
「マキナ?」
「クロシェット、私のゼンマイを巻いて」
「ゼンマイ?何処に?」
「私の頭のこれ」
少女の頭の後ろにリボンのように飾り付けられていたそれは……見れば確かに螺子だ。
「これ、巻けばいいのか」
とりあえず断る理由もないので、少年は言われるがまま少女のゼンマイを巻いた。
「これは……」
するとどうしたことか、周りの景色がグルグル回る。歩き出した時計工が後ろ向きにこちらにやって来る。人がどんどん巻き戻る。
目が回って、少年は倒れ込み目を瞑る。頭がぐらぐらする。その痛みが和らいだ頃、少女に名前を呼ばれた。
「………ここは?」
「クロシェットの願いを叶えてあげたの」
「僕の…………俺の願い?」
「時間を巻き戻したの。勿論私達は時計だから過去に干渉することは出来ないけれど、情報を知ることは出来る」
どうやってだとか、どうしてそんなことが出来るんだとか、聞きたいことは沢山あった。それでも彼女が胸を張ってそう言うのだから間違いなくここは過去の世界なのだろう。
言われてみれば大富豪の部屋も先程より真新しいし、そこに暮らす男は先程より大分若く見える。
「あの時計は20年物だった。つまり20年前からじっくり見ていけば、全てが解るわクロシェット!それにもう一度貴方を貴方のお父様に会わせてあげられる。時計の作り方もじっくり見られるし、貴方のお母様にだって会えるわ」
「あ……」
過去とはつまり、そういう場所。二度と会えないと思っていた父親にまた会える。それを知ったら再び目の奥が熱くなる。
胸の中は少女への感謝の念で一杯で、どうしてだとか何故だかなんてもうどうでも良くなった。
「クロシェット、貴方の歌に欠けているモノは思い出なんだわ。だから貴方は貴方と貴方に繋がる人を知ることで、もっと貴方の歌を響かせられる。貴方の復讐はそうすることで達することが出来るようになるはずよ」