第一話
オレはあの時、何を思ったんだろう?
少なくとも、『いい人』ぶったりしたわけでもないし、ましてや更に被害を大きくしようだなんて思ったわけでもない。
そうだ、あの子を助けようとしたんだ。
腕を掴んで、彼女を止めたんだ。
でもその少女の目には憎しみの色が宿っていた。
「放してください!!」
夜の駅のホームにその少女の叫び声が響いた。その声の大きさに驚き、オレは手を放してしまった。すると、少女はどこかに走り去ってしまった。
……もう一度、オレのことをキツく睨んで。
オレの横で快速電車が通り過ぎる。
あの少女は間違いなく線路に倒れ込もうとしていた。いや、倒れ込もうとしたのではなく、身を投げ込もうとしたと言った方が正しいかもしれない。
オレが止めていなかったら、彼女は……。
電車が通り過ぎ、風が吹いた。
「何なんだよ……」
その呟きは誰にも届かず、夜の空に消えた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「お、翔一」
そこに親友の清川秀明が座っていた。
「あのさ、秀明。ここ、誰の部屋だか知ってるよね?」
一応、訪ねておく。
「ん、分かってるぜ。お前の部屋だろ」
「なんだ、分かってんならいいけどさ……」
オレは手洗いを済まし、タオルで手を拭きながら秀明の向かい側に座った。
「で、どうしたの? 今日は何でウチにいるのさ」
「ああ、また恋に追いかけ回されててさ……」
青ざめた表情の秀明。
恋、というのは秀明の後輩の名前である。いつも追いかけ回されている。今日もここに逃げ込んだのだろう。
「もう八時だよ。早く帰らないと妹さん、心配しちゃうよー」
オレはニヤニヤ顔しながら青ざめた秀明に水を出す。
「いや、今日中には帰れないって連絡入れたから、問題ない」
「……そう」
また朝になるまで居座る気かよ……、まあいいんだけどさ。
「……今日さ、見たんだよね」
「何を?」
秀明はオレの発言に反応した。
「自殺しようとしている女の子を」
「へー。……で?」
以外にも話に乗ってきた秀明。
週刊誌を読んでいたが、彼なりに聞いているんだろう。
「ギリギリのところで助けたよ」
しかし……。
すると秀明は。
「さっすが。……まあ、その様子からしてあまり感謝はされなかったみたいだな」
そうだ。
彼女は飛び込み自殺をしようとしていた。オレはそれを止めたんだ。
「……どうしてんだろう。あの子は」
「さあな……」
沈黙。
…………。
「……お腹すいたな」
「ん、じゃ俺が作るぜ。いつも世話になってるしな」
「お、サンキュ」
こう見えでも秀明は料理が大得意なのだ。特にお菓子が得意。無論、他のジャンルのものも上手く作る。
秀明はキッチンに入り、材料をいじくりだした。
オレはその音を聞きながら、あの時のことを思い出した。
『放してください!!』か……。
余計なことをしてしまったんだろうか、オレは……。
窓を開け、外を覗く。雨が降っていたからだろうか、星は一つも見えなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
確かに、あの時。
私は線路に飛び込んだ。
人もいなかったから誰にも見つからないと思ったのに……。やっと、楽になれる。そう思ったのに……。
私は運がないな……。
あんなタイミングであの人が止めてくるなんて……。
涙が止まらない。
「死にたい……」
そんな言葉が口から漏れた。
「どうして止めたの……?」
あの人と私はなんの関係も無いのに。止める義理なんか無いはずなのに……!!
もう、あの時ほどの勇気はない。一気に怖くなった。
そんな自分を蔑むかのように雨が降り出した。
「死にたいよ……」
ただただ、涙と雨が顔を濡らした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今回もすっかり遅くなってしまった。時計を見ると、七時を指している。
あーあ、楽しみにしていた番組に間に合わないや……。
そんなことを思っていると。
「何だあれ?」
暗闇でよく見えないが、誰かが橋の手すりの上に立っている。両手を広げている。
もしかしたら、と思い少し足早に近づいてみると……。
「!!」
体が前のめりに傾き、そのまま川に落ちてゆく人がいた。
オレはとっさに手を伸ばし体を掴もうとしたが間に合わなかった。掴めなかったと分かった直後、オレは一緒に飛び降りた。
オレもバカな奴だな……。
運が悪ければ自分が死ぬかもしれないのに。
手を伸ばし、華奢な体を抱きしめた。
間違いない、あの少女だ。
そう感じた瞬間。
「いでっ!!」
川底に背中を強打した。思ったより橋は高くなく、川は浅かった。
「おい、大丈夫か?」
そう声をかけてみた。
すると、うなされるように呻き、起き上がった。
「……また貴方ですか」
キツくオレを睨みつける。
「どーも。大丈夫?」
「何で私に構うんですか!?」
オレを強く突き放し、叫ぶその少女。
怒った顔だから忘れがちだけど、この少女もなかなかの美少女だとは思うんが……。
「いや、止めなきゃいけないし?」
オレという人間が分からない、といった感じだろうか。そんな感じで凄く睨んできます。
かーさん、オレ何も悪いことしてないのに……。
「ほ、ほら!! そう起こるなって!! 可愛い顔が台無しだよ?」
あー、こんなことを言ってしまうオレって……。
しかし。
「……そ、そんなこと言って誤魔化さないでください!!」
今、軽く赤くなった。
かと思いきや、オレからバッと離れ、あの時と同じように睨んできた。
冗談抜きで可愛い。
「な、なにニヤニヤしてるんですか!!」
「いや、ニヤニヤなんかしてないって!!」
顔に出ていたようだ。いやはや、お恥ずかしい。
「……服、濡れてますね」
「まあ、川に落ちたもんな」
何か言いたげにこちらを見たが、すぐに目を背けてしまった。
「…………私、もう行きますね」
「へ? ああ……」
オレは去り行く彼女を見送っ……。いや、ここで止めなかったらあの子は……。
「おい、ちょっと待てよ」
「何ですか?」
「……死ぬなよ?」
「……何ですか、それは?」
少しだけ、この少女の眉が動いたのは気のせいか。
「そのまんまだ」
「そんなの、私の勝手です」
そう彼女は言い残し、どこかに行ってしまった。今回は彼女は睨んでこなかった。
あの少女が生きようが生きまいがオレには関係ないかもしれない。でも、生きてほしい。何故、そう思うのかは分からないが。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「死ぬなよ、か……」
そんな願い、私には無理な話だ。今まで何度も死にたいと思ったから。
でも、どうしてかな……?
あの言葉を言われて嬉しかった自分がいた。
「今夜はいい夢見られるかな……?」
そんなことを呟いた、真夏の夜。




