十の災厄――幸いの前にあったもの(『十の幸い』特別編)
エリックは、机の上に開いた出エジプト記を見ていた。「十の幸い」という名前を思いついてから、この部分を何度読んだか分からない。
ナイル川。カエル。ぶよ。あぶ。家畜の疫病。腫れ物。雹。バッタ。闇。そして、初子の死。
文字にすれば、十行で終わる。だが、十の災厄は突然始まった十個の奇跡ではなかった。その前には、長い話があった。
イスラエル人はエジプトで増え、やがて危険な存在と見なされた。強制労働を課された。それでも増え続けると、エジプト王はさらに恐ろしい命令を出した。
イスラエル人に男の子が生まれたなら、ナイル川へ投げ込め。
モーセ自身、その命令の下で生まれた子供だった。彼は生き延びた。成長し、エジプトを離れた。
やがて、その命令を出した王は死んだ。それでも奴隷状態は続いた。
出エジプト記は、イスラエル人の苦しみの叫びが神に届いた、と記している。
そしてモーセは、兄のアロンと共にエジプトへ戻された。彼らが新しいファラオに伝えた要求は、最初から最後までほとんど変わらなかった。
民を行かせなさい。
彼らが神に仕えられるように。ファラオは拒んだ。むしろ労働を重くした。
それでもモーセとアロンは戻った。
民を行かせなさい。
王はまた拒んだ。その時点で、争点は奴隷を解放するかどうかだけではなくなっていた。
誰の言葉が本当に力を持つのか。エジプトを支配するファラオなのか。エジプトの神々なのか。それとも、奴隷たちが崇拝している神なのか。
神は後に、この出来事を「エジプトの神々に対する裁き」と説明することになる。そして、もっと早い段階ですでに、モーセには不穏な言葉が告げられていた。
イスラエルは、神にとって「初子」のような民である。その民を行かせないなら、ファラオの初子が失われる。
エリックはそこを読むたびに、出エジプト記の最初の章を思い出した。王権がイスラエル人の息子たちを川へ投げ込ませた。
そして最後には、その王家の息子まで裁きの対象になる。聖書そのものは、それに「血の復しゅう」という見出しを付けてはいない。
だが、流された血が忘れられていたわけではない。そう読むことは難しくなかった。
エリックはページをめくった。十の災厄を「十個の奇跡」として読むのと、その土地で暮らしていた人間の一日として考えるのでは、まるで違う。
水を飲む朝があった。仕事へ行く昼があった。子供を寝かせる夜があった。
そして、その日常の中へ、一つずつ災厄が入ってきた。
エリックは目を閉じた。三千年以上前のエジプトに、思いをはせた。
◇ ◇ ◇
ネフェルは羊飼いではなかった。牛を追う仕事でもなかった。
王領で生産される穀物、畑、倉庫、輸送用の牛やロバ、そしてそれらを扱う人員。
その記録と配置を監督し、王宮へ必要な食料が届くようにするのが彼の仕事だった。
肩書きだけなら、それほど高くない。
だが、穀物袋をどの倉庫へ送るか、何頭の牛を荷車につなぐか、どの畑へ何人の働き手を回すかについては、ある程度の権限を持っていた。
王の食料を預かる役人。だから広い意味では、彼も「ファラオの家臣」の一人だった。
妻と娘の三人暮らしだった。娘はまだ幼い。息子はいなかった。
その日の朝、ネフェルは王宮に近い役所へ帳簿を届けに来ていた。
そこで、妙な騒ぎに出くわした。二人のヘブライ人がファラオの前に出たという。
一人はモーセ。もう一人は兄のアロン。
「また民を行かせろと言っているらしい」
役人の一人が言った。
「全部か?」
「全部だ」
「働き手も?」
「当然だろう。あいつら自身が働き手なんだから」
笑いが起きた。ネフェルも少し笑った。奴隷をまとめて手放せという要求は、王の役人から見れば現実離れしていた。
ところが、その日の話には続きがあった。
アロンが杖を投げると、それが大きな蛇のようなものになったという。王の魔術師たちも似たことをした。
そこまでは、王宮の者たちにとって安心できる話だった。
だが、アロンの杖から生じたものが、魔術師たちのものをのみ込んだ。
「見世物だ」
誰かが言った。
「どちらもできるなら同じだろう」
ネフェルは帳簿を抱え直した。同じなのに、一方がもう一方をのみ込んだ。
その点だけが少し気になった。
ファラオは要求を拒んだ。
そして、最初の災厄が来た。




