第33章: 剣の覚醒
朝もやが立ち込める戦場。その煙は瓦礫と溝に絡みつき、まるで世界を包み込む薄い幕のようだった。血と鉄、そして消えゆく魔力の焦げた匂いが風に乗り、兵士たちの慟哭と竜の咆哮が混ざり合い、悪夢から抜け出したかのような不協和音を奏でていた。
そんな地獄の真ん中で――タツヤは走り続けていた。
呼吸のひとつひとつが肺を焦がし、腕の筋肉は剣の重さに震えた。それでも、瞳だけは、恐れ以上の何かに輝いていた。消せない覚悟。小さなその胸の奥に、確かに灯っていた。
「いち、に、さん……」
無意識に体が動き、剣が空を切り裂く。竜がひとつ、またひとつと倒れた。五体。五つの影が、地獄の地に消えた。数は小さい――だが、それだけで、十分だった。
「ひとりにさせるな!」――騎士が叫び、自らの恐怖を握りしめた握り縄を引きしめた。
「そうだ! みんなでいける!」――義勇の意志が次々に伝播し、兵士たちが再び動き出す。強烈な魔法も、驚異的な力もいらない。コピーである竜には、正確な一撃があれば十分だった。
雪が舞うように、灰が降るように、竜が倒れた。
しかし――倒すたびに、二体、三体、五体と新たな竜が地から現れる。
「なぜだ…?」――荒い呼吸の中、不安がもれる。「なぜ、この神は我らを襲う…!?」
アルバートは顔を上げ、いつもの陽気な面影を消していた。その瞳は深い闇を映していた。
「わからない。だが、もし本当に“神”なら…これはただの戦いじゃない。裁きかもしれん。」
少し離れた場所で王は顎を引き、長剣を天へ掲げた。「かつて、この者だけが神を打ち砕けた――戦士の国のケンシン王子だ。しかし今はいない。」
その言葉は、鋭く冷たい刃のように場を凍らせた。「ならば、我々自身で戦うしかないのだな」――重い声が響き、タケダもその隣で剣を握りしめた。「そして地獄になるだろう。」
しかし、そこに新たな光が差し込む――タツヤが、煤けた顔で笑いながら振り向いた。
「大丈夫だよ! まずはこの竜を倒してから、この“神”とも話そう。ひとつずつ、片付けよう!」
アルバートは哂いながら首を振った。「笑えるな……そんな状況でも笑える者がいるなんて。」
「だって、人生は一度きりだもの。泣いてばかりはいられない!」
――その言葉は荒廃した世界に小さな清涼剤となって広がった。雲の切れ間から、わずかな光が差し込むように。
遠く、セリスとシルナが背を並べて戦っていた。白銀の剣を闇に走らせるシルナ。セリスは魔法陣を描く手を休めず、光の矢を次々と放っていた。
「うまくいってる! シルナと50体は倒したよ!」――セリスが声を弾ませる。
「気を抜くな!」――シルナは冷たい声で応じた。「あいつらはすぐに反撃してくる!」
岩の裂け目で、王とタケダがまるで山を切り崩すように敵を薙ぎ倒していく。一撃一撃が160体を超えた。
アルバートとユリコは互いに呼応するように魔法を支えながら戦い、90体を倒していた。
しかし――誰よりも鮮烈だったのは、タツヤたちの小隊だった。
「タツヤ、そっちはどうだ?!」――アルバートが真剣な声をあげる。
汗と埃にまみれた顔で、タツヤは剣をかざしながら答えた。
「大丈夫! こっちも掃除中! 騎士たちと一緒にどんどん倒してる!」
「倒した数は…280体。皆より多く…でも、それでも終わらない。」
息が少し落ち着き、全体が“やれる”と思い始めたとき――冷たい現実が牙を向いた。
「な…? これで終わるはずじゃ…?」――一人の騎士がざわめいた。
タツヤの剣が止まった。視線の先には――無数の竜。空は再び黒く染まり、霧が形をなし、地平線を曇らせていた。
「いや…消えていない…全く終わってない…」――タツヤが歯を食いしばる。
そして――夕風が戦場の残骸を撫でる。鉄と魔力の臭いと共に――
静かに、確かに、重くゆっくりと届いた想いがあった。この戦いは――まだ終わっていないのだ、と。
戦いの煙と瓦礫の中、皮膚を突き刺すような鉄の匂いが漂い、地面は無数の血と土の刻印に覆われていた。騎士たちは疲れ切り、鎧は埃と傷にまみれていた。床にひざまずくセリスは、手を胸元に当て、視線を乱戦の中に探していた。王は息を切らしながら剣にすがりつき、アルバートとユリコは震えながら手を取り合い、武人タケダは歯を食いしばって立ち上がろうとしていた。
その中で、ただひとり――タツヤだけが動いていた。
小さな体に反して、彼はまるで光を放つように輝いて見えた。その目は炎を宿し、胸に怖れはない。ただ一つ、心の奥底から響く声に従っていた。
──「進め、タツヤ。今こそお前の出番だ」
「アアァッ!!」彼は叫び、剣を高く突き上げた。
その瞬間、蒼い光が刀身から放たれ、天を裂くように前方へ飛んで行った。魔法とも、ただの一撃ともつかないその輝きは、大地を割り、空を揺さぶった。その柱状の光は太陽を隠し、世界を一瞬の静寂で包んだ。
煙が晴れた時、戦場にはもうドラゴンの姿はなかった。影ひとつも残さず、消え去っていた。
セリスは立ち上がり、目を見開いた── 「そ、その剣…その力…」
王も言葉を失い、震える声でつぶやいた── 「まさか、こんなに早く目覚めるとは…」
彼の視線はタツヤへと注がれる。「あの少年が、あの伝説の剣を…操ったのか」
セリスは微笑む。 「あの子、本当にすごい」
遠くで腕を組むシルナは息をつくように言う。 「ふん。私はもっと強いけどね」
アルバートとユリコは抱き合いながら、解放されたように涙を流した。 「我らのタツヤ…英雄になったね」
タツヤは剣を地に落とし、限界まで体を酷使したせいか前かがみに倒れ込んだ。
「タツヤ!」
セリスが駆け寄る。腕に手を当てて、彼の脈を探る。 ──呼吸はある。これは失神だ。
「すごかったよ。皆を救ってくれて…ありがとう、タツヤ」
「セリス、シルナ! 王国に運んでくれ。俺たちは片付けをしておく」王がそっと肩を叩きながら言った。
「もちろん!」 セリスはタツヤをそっと抱え上げ、 シルナも腕を貸しながら、力強く頷いた。「あたしが抱えても平気だって」 王は久しぶりに笑う。
「行こう!」
二人はタツヤを抱えて、静かな王城へと歩を進めた。後ろには、あの戦場の沈黙が続いている。
道すがら、セリスはささやくように語りかける。
「誰も成し遂げられなかったことを、あなたは…希望をくれた。みんなを守ってくれてありがとう」
シルナも後ろからつぶやいた。 「ふん…ありがとね。でも次からは、あたしの見せ場もあるからな」
風が柔らかく頬を撫で、胸をゆるませた。
王国に到着するとすぐに治療班が駆け寄り、タツヤは王宮の医療棟へと運ばれた。そこには、まだ眠り続けるカエルの姿もあった。
そして…静寂の中、自らの歩みを止めた少年は、ようやくその胸に宿る安堵と疲れを感じていた。
戦いは終わった――だが、本当の物語は、今、始まりを迎えたのだった。




