悪役令嬢が場末の修道院に捨てられた末路
「マリアヴェラ・クレメンティア公爵令嬢! 数々の悪行、申し開きもできぬだろう。この場を借りて貴殿と婚約破棄をする!」
王太子の誕生日パーティーにて、私マリアヴェラは衆目の前で婚約破棄された。
王太子の傍にはリコリア・スイートブロッサム侯爵令嬢が寄り添っている。元々平民出だった彼女はまずはとある貴族の愛妾として社交界に現れ、瞬く間に頭角を現し、スイートブロッサム侯爵の養女になり、ついには王太子の婚約者にまで上り詰めたのだ。
誰もが困惑する。何故平民出の元愛妾が、王太子の婚約者になれる? 国王陛下が認める?
ここで王太子や国王に疑惑や失望が――向くことがあるとすれば、それは健全な状態だ。
尊き国王陛下、王太子殿下に間違いがあってはならない。
ならば彼らが認めたリコリアはとてつもない立派な女性に違いない――これが大前提となる。
すると、彼らに衆目の前で糾弾される私はたちまち悪役になるのだ。
誰も真実などに興味は無い、意味も無い。場の流れで全てが決まる。社交界とは、人間社会とはそんなものだ。
「承知いたしました。謹んで婚約破棄、お受けいたします」
私はせめて綺麗なカーテシーをしてその場を後にした。背中に言葉が張り付いてくる。
「あのリコリア様に嫉妬したくなる気持ちはわかりますわ、でも、ねえ……」
「なんでも、マリアヴェラ公爵令嬢は嫉妬に狂って王太子殿下を困らせていたとか」
「国外の貴賓との社交界でも、公爵令嬢たり得ない失敗をしたらしいですし……」
一つ一つに反論をしたこともある。
毅然と言っても、やんわりと言っても、話術を駆使して自分の態度をただしても。
結局相手が侮蔑の眼差しで見始めてしまえば、どれも「必死になって、おはずかしい」といわれてしまうだけなのだ。
屋敷に戻り、私は父の無言の折檻を受けた。
たちまち数日の内に親族会議が行われ、私は南の領地の修道院に入れられることになった。
私の意見など誰も聞かない。爵位を持つものたちだけで決まる会議。
重たい扉の向こうで処遇が次々と決められていくのを、私は廊下で呆然と聞くしかなかった。
◇◇◇
そして連れて行かれたさいはての修道院は、厳しい風が吹きすさぶ荒れ野に存在した。
私は連れられてすぐに中で修道服に着替えさせられ、服も全て、実家に返却された。
全てを失った私は、最後の自由として、実家に帰っていく馬車を、見えなくなるまで眺めていた――
「さあ、これからは修道女としての日々が始まります。まずは神に挨拶を」
「承知いたしました。何卒よろしくお願いします」
さあどんな神が待ち受けているのかしらとおもったら、聖堂から激しい鞭の音と、くぐもった苦しげで悲痛な声がする。
手のひらに汗が滲む。恐ろしい。しかし入ってみると、そこにはよく見慣れた男の姿があった。
「お、お父様……!?」
「ぶひいいいい」
聖堂のステンドグラスの光を浴びながら、父が全裸で四つん這いになり、脂汗を垂らしながら修道女にひっぱたかれていた。ぺちん!ぶひいい!ぺちん!ぶひいい!
銀髪の修道女はこちらを振り返り、笑顔を向ける。
女性にしてはおそらくとても背が高い。銀髪からして、生まれつき体格に恵まれた北方の生まれの人なのだろう。咥えている煙草から、清涼感のあるハーブの匂いが漂う。
「お、来たか。私がこの修道院の副院長、シスターベガだ。よろしくな」
「ベガ……ベガ・ヴァンドミリア公爵令嬢でいらっしゃいますか!?」
かつてまだ14歳頃に、悪役令嬢として糾弾され社交界から追放された令嬢だった。今は23.4歳くらいだろうか。ヒールを履かないと小柄な私が見上げるほどの体格だ。
「そんな古い呼び名で呼ぶなって、シスターベガだよ。公爵令嬢なんて尻がかゆいや」
シスターベガはけたけたと笑って手を振ると、身じろぎした父の尻にピンヒールを突き刺す。
「ぶひっ!」
「そ、それは一体……あの、父は……」
「あんたのお父様はここのパパだよ。前から告解にハマっちまっててな」
シスターベガは真面目な顔になり、父を蹴り飛ばしてからこちらにやってくる。
「話をきかせな。……辛い目に、遭ったんだろ?」
その眼差しは、私が初めて受ける、優しく私を気遣う瞳で。
状況を忘れて――ううん、この奇っ怪な状況だから、私は素直になれた――私は、涙を零した。
「相談室に行こっか。皆を集めよう」
シスターベガは、そう言って私の肩を抱いた。
◇◇◇
この修道院は国中の訳有り令嬢たちの収容所だった。
顔を連ねるのは恐ろしい噂を耳にしたことがある元悪役令嬢だらけで驚いたけれど、彼女たちは私の話を、我が身の事のように真剣に聞いてくれた。
シスターベガは「院長に報告してくる」と一旦別れた。
なんでも彼女は副院長としての立場があるので、他の修道女たちとは別棟で暮らしているらしい。
修道女たちは話す。
「スイートブロッサム侯爵ねえ。あの人は金さえ積めば養女にしてくれると有名な人よね。名義貸しの第一人者で」
「でも不正が露見していても、それを糾弾されることはないんだよなあ、スイートブロッサム侯爵の経営する眼鏡屋は国に莫大な利益を生んでるから」
「メガネっ娘ハニースイートって地下パブも大盛況ですしね」
「そもそもリコリアって出自はどこだ? 調べられるか?」
「へいおじー! リコリアの出自を教えて」
ベしっと、四つん這いで待機させられた父が頭を蹴り飛ばされる。
父は猿ぐつわにペンを咥えさせられ、ペンでコリコリと器用にリコリアの出自を書いてくれる。
「あ、このおじは外部情報を色々はいてくれるから便利よ。だから知ってたのよあなたの事も」
「は、はあ……」
父はとても厳格な人で、目が合うだけで背筋が震えるような人だった。厳しい母も、高慢な兄も、父の前では睨まれた子どものように無力だった。私の処遇を決めたのもこの人だったのだ。
それなのに今は、全裸で脂汗をかきながら四つん這いになっている。
「お疲れさん」
副院長のシスターベガがやってきた。相変わらず煙草を咥えている。
そして修道女たちに酒を振る舞いながら、父の姿を見て笑う。
「あはは、今日もやってんなあ」
「あの、父が可哀想で……縄を解いてさしあげませんか? もし私の罪で、父がこんな有様になっているのなら」
「大丈夫、そりゃないよ。この人はこれがスキで来てるんだから、な?」
「ぶひ……♡」
父が尻を振る。嬉しそうだ。
「そうなんですね……お父様は、どこでも気を休められる場がなくて……ここで、こうしていらっしゃるのが幸せだったのですね」
家庭の父は母と私を打ち、家父長として常に厳しい顔をする一面しか知らなかった。
婚約破棄の後、ふがいない私には一瞥もくれず、結局最後まで言葉すら交わしてくれなかった。そんな父が、裸でよだれを垂らして、幸せそうだ。
娘として父に悲しい思いばかりをさせてふがいないと思っていたけれど、こんな幸福そうな父を見られて良かったと、少し安堵する。父には父の居場所があったのだ。
「なんだ、あんたドン引きもしないのか?」
「人間、いろんな一面があるものだと存じております」
私を陥れたリコリアにも、可憐な表の顔と冷酷に噂を流す裏の顔があるように。
シスターベガはくくくと笑う。
「ずいぶんと頭の回転が速いお嬢さんじゃねえかマリアヴェラ。そうだ、あんたの父はここに好きでやってきている」
彼女たちの話によると、父は元々この修道院の監督として乗り込んだのだという。
最初は慎ましやかに彼女たちが過ごしているかチェックをしていたらしいのだが、三日三晩この修道院でのおもてなしを受けて以降、敬虔な信徒となったのだ。
私が全部の話を終えると、シスターベガは立ち上がって近づき、私をぎゅっと抱きしめた。
「辛かったね、マリアヴェラ。……あんたはもう私たちの仲間だ。あんたが濡れ衣を着せられたことも、あんたが本当はただの真面目で素直な子だってのも分かってる。これからは、私たちがいるよ」
「シスターベガ……!」
私は彼女の胸で泣いた。彼女の胸の暖かさとぬくもりに触れ、自分がやっと、苦しかったのだと――辛かったのだと気付いた。父に殴られて、周りに失望されて、辛くないわけなんかない。
そんな当たり前の事を忘れるくらい、私は温かな人と人とのつながりに飢えていたのだ。
「っ……」
「泣きな、マリアヴェラ。……ここでははしたないなんて、鞭を振るう奴なんかいないさ」
私は彼女のような、人の痛みが分かる優しい人になりたい。
他の修道女たちは顔を見あわせている。
「シスターベガ、めっずらしい」
「何? 好きになっちゃったんです?」
「うるせえ、お前らだってここに来たばかりの時は慰めてやっただろ」
「でも私たちは抱きしめられた記憶とかないんですけど」
「黙れ、酒返せ」
クスクスと笑う皆さん。
私はなんだか穏やかな気持ちになった。ここでの修道院生活を楽しめるような気がした。
◇◇◇
――それから一ヶ月。
令嬢生活から自給自足生活に慣れるのは大変だけど、日々やりがいと喜びを感じていた。
朝早くから目を覚まし、いのりを捧げ、掃除をしたり庭園の薬草の世話をするのが私の役目だ。
令嬢に魔術教育は不要と言われ、自分がどんなスキルを持つのかも知らなかったけれど、どうやら私はささやかな『聖女』スキルを持っていたらしい。同じ『聖女』持ちのシスターに習いながら私は薬草を元気に育てたり、掃除で修道院の中を清潔に清めた。
告解には毎日何人もの人が訪れているようだったけれど、危険だからということで私は裏方の仕事ばかりを任された。
告解室には男性も来るようで、日々色々な言葉が漏れ聞こえてくる。
どうやら薬草をほしがる人や、修道院に伝えられてくる情報をほしがる人、その他、色んな困った人がやってくるらしい。
私はせっせと薬草を育て、そして乾燥させて束にする作業をした。
「マリアヴェラは仕事が早いな。それに聖女スキルで祈った薬草は効果が高い。助かってるよ」「ありがとうございます。困っている方々が楽になれるのなら、何よりです」
薬草はかなり大量に必要らしい。
私は世間知らずな修道女だったので知らなかったが、市井には薬草がなくて困っている人が多いらしい。薬草を求める方々は皆目がうつろで、どこか舌が回っていないようで、苦しげだった。慈愛をもって薬草を渡してあげるシスターベガは、とても優しい人だと思う。
庭仕事の時も、仕事が早くて、いっぱい道具を持って運べて力持ちだ。
「私も鍛えたら、シスターベガみたいに強くなれますか」
「鍛えなくていいよ、あんたは丁寧に仕事をするのを考えな、適材適所だ」
「は、はい」
またある日、シスターベガが私を個室に呼び出した。
「誰にも言うなよ、あんただから任せるんだ」
そう言って、箱いっぱいの宝石を私に見せてきた。
「まあ、これは一体……」
「金がないと言う客が、金の代わりに置いていったんだ。あんた手先が器用だろう? この宝石を金属と宝石で綺麗にばらしてほしいんだ」
「こんなに綺麗なのにばらすのですね……」
「しかたないさ、金は溶かして外国に……外国の恵まれないこどもたちの為の資金にして、宝石は……魔道具のコアとして高く売……公共事業に使われるんだ」
「まあ、素敵ですね」
私はせっせと宝石をばらした。
隣で煙草をすいながら、シスターベガが眺めている。
「……あんた、ほんとに上手だな」
「はい。貴族令嬢たるもの、身の回りの装身具の最低限のケアはできるようにとしつけられてましたので。金属を外して、間に入った埃やゴミをとって、宝石を綺麗に磨いて……よくやっていました」
「……盗みたいとか思わねえの?」
「思いません。だって私を信頼して、シスターベガは宝石を預けてくださっているんですよね。それに盗んだって、私はそれを活用することなんてできません。親に言われたとおり、家庭教師にしつけられた通り、王太子妃教育を受けるままに――私は、自分で考えて行動することなく、生きてきたのですから」
私はシスターベガを見た。
シスターベガのような自分の意志のある強い女性なら、宝石を手に入れて何でもできるだろう。自由にもなれるし、願いも叶えられる。
けれど私は、そんな力が無い。そんな力は無いけれど。
「私、シスターベガに頼られるのが一番今は、嬉しいです」
「……マリアヴェラ……」
私は手のひらを見る。
ここ一ヶ月で、私の手はすっかりひび割れてがさがさになった。鏡ではっきりは見ていないけれど、髪だって以前よりゴワゴワしているし、肌も乾燥してつらい。きっと令嬢としてはよくない容姿になっている。けれど私は今の自分が、一番好きだった。
「だって今の私は、間違いなく自分の力でお役に立っているんですもの」
シスターベガは立ち上がり、私の顔を見ずに頭をくしゃっと撫でる。
「……あんたはもうちょっと疑えよ。私が食い物にしてるって、私が悪者だって考えないのか?」
「悪者だっていいんです。だって悪者に見えたとしても、真実かどうか」
「そうだな。あんただってどう見ても、人を陥れる悪役令嬢じゃねえよ」
シスターベガは去って行った。
私は一人、煙草のにおいが残る部屋でせっせと宝石を外し続けた。
◇◇◇
シスターベガは煙草を吸いながら、修道院の告解室にいた。
向かい側に座っている老婆は、この修道院のボス、修道院長のアギレラだ。
「……約束は果たしたぜ。目標額に到達して、新たな金脈もいくつか見つけた。客を通じてシスターマリアヴェラの無実を晴らし、リコリア・スイートブロッサムの後ろ盾の連中を浸けた。まだ王太子妃としての立場は保っているが、梁が腐ったお立ち台ってとこだ。ちょっとステップすりゃあガタンだ」
「そりゃあよかった。じゃあそろそろ、出荷かね」
「まだだ。あいつが外に出るにはまだ早い。もう少し時期を見て」
図らずも早口になったシスターベガに、ビッグシスターアギレラはくくく、と笑う。
「お前もすっかり腐っちまったようじゃねえか、シスターベガ」
「……」
煙草の灰が、ちりちりと粗末な床に落ちていく。
アギレラは、シスターベガをお見通しの様子で言葉を続ける。
「マリアヴェラはいい子だろう? まるで昔のお前みたいさ。純粋で、人を疑うこともない。家のための贈答品の令嬢としての役割だけを覚えて生きてきた、温室育ちの薔薇さ」
「私は、あそこまでいい子じゃなかったよ」
「忘れるなよ。薔薇はいずれ適切なときに摘み取って出荷するものさ。お前は薔薇の手入れをするシスター。庭師だ。」
「……わかってるよ。私は実家と縁切りさせて貰った代わりに、あんたの手先をしてる。あの子にとって、ただここで親切にして、信用させるための役回りだ」
「そうそう。王子様役はあくまで、王子様役でしかないのさ」
アギレラはそれからいくつか指示を出し、シスターベガを遺して去った。
シスターベガは煙草の灰を見下ろして、ぽつりと呟いた。
「……情けないな。私が兄貴みたいな公爵令息か、王子様なら。あの子を幸せにできたのに」
ただの修道女のシスターベガは、狭い修道院の中での親友になることしか、できない。
◇◇◇
それから一年。
王都から何故か私を迎える馬車がやってきた。
中に乗っていたのは、なんと王太子殿下の弟殿下だ。
「あの時は父と兄が申し訳ございませんでした。あれから貴族たちの地下サロンによる大きな薬物事件が発生し、あなたの悪評を広めていた貴族のほぼ全てが処分を受け、もしくは薬物中毒により王都を去りました。新たな暫定国王には母である王妃が即位し、私がその後を継ぐ事になりました。……どうか、我が王家の誤解をお許しください」
「そんな、私は……」
突然の話に私は困惑した。
修道女仲間の皆さんは拍手する。
「おめでとー、元気でね、たまには献金してよ」
「で、ですが」
「戻ってやりなよ、第二王子殿下が王太子として貴族に承認される為には、元々王妃となる予定だったクレメンティア公爵令嬢との婚姻が必要だ。それで丸く収まるんだからいいじゃないか。もちろん、彼女に一年もの修道女生活をさせた責任はとってくださるんだろうし」
修道女仲間の皆さんの言葉に、第二王子殿下は頷く。
「もちろんです。地下サロン『雄豚会』のスキャンダルで失職したあなたの父、クレメンティア公爵とその令息の代わりに、あなたに女公爵の爵位もお渡しする予定です。あなたが王妃となったのち、しかるべき子供達に引き継げるようにいたします」
私は信じられない思いだった。
振り返ると、シスターベガが穏やかな顔で微笑んでいる。
「クレメンティア公爵令嬢。どうかお元気で」
「……あなたは、どうするのですか」
「私はれっきとした元悪役令嬢、すでに様々な罪に手を染めています。一生この修道院で過ごすつもりですよ」
敬語を使われるのに、私は胸が苦しくなる。
「あなたとは一生、もう会えなくなるのですか?」
「私なんかと会ってはいけません。あなたはお妃様になるのですから」
「この修道院に告解に来ることは? 父のように」
「それはマジでスキャンダルになるからやめとけ」
私は第二王子殿下を振り返り、最後に二人で話したいと願った。
彼は快諾してくれた。本当に、私を丁重に扱ってくれる気持ちがうかがい知れた。
私とシスターベガは、庭に向かった。
「シスターベガ。……ここで作っていた薬草は、普通の薬草ではないのですよね」
「薬草に普通も普通じゃないもねえよ。ただ、お上から金も支給されないこの修道院で生きていくためには、多少なりと商売にはげまなきゃいけなくてね」
「シスターベガ。この修道院は国境近くにありますが、隣国や盗賊に狙われることがないのは……自警団を雇っているから、ですよね?」
「有り難い薬草を守らなけりゃ生きていけねえからな。だが自警団は雇っちゃいねえ。ここにいる修道女たちは皆それなりに腕に覚えがある。その辺のチンピラ程度なら骨も遺さず売り物にするぜ」
「……私の冤罪を晴らしてくれましたね。父を籠絡して情報を得て、王都の悪い集まりを内側から崩壊させて。全部……あなたのおかげですね」
「ただの修道女に何ができるってんだ。私を買いかぶりすぎだぜ」
「男性ですよね」
ぴた、と先を行くシスターベガの足が止まる。
「煙草をよく吸われていますよね。あれは幻覚作用のある特殊な煙草です。不思議なことに、私と一緒にいるときだけお吸いになる。声の高さを少し変えれば、世間知らずの私なら女性だと思い込んでしまう。修道服なら喉仏も隠れますし、体の線も拾いませんから」
「何を言ってるんだ。私が男? 冗談だろ? 公爵令嬢だって、あんたは知ってるだろう」
「双子だったのですよね。……考えてみれば、あなたが追放されたのは十四歳の頃。ちょうど声変わりの時期で、もう女性として通すのが難しくなる年頃です。同性の双子は殺されるという伝統の中で、あなたは女性として生き延び、そしてわざと悪行の数々を重ねて、追放という形で生き延びる道を選んだ」
「……」
「気づいてしまったんです。最初の頃の私は本当に世間知らずで、男性と女性の体の違いすらよく分からなかった。でも、あの時……あなたの胸は、とても固かった」
「…………」
「危険を承知で……どうして私を抱きしめてくださったのですか」
煙草が落ちる。そして、はっきりとした声が私の耳に届いた。
「私は女だ。それをまず前提として話させてくれ」
「……はい」
「あんたが哀れだったからだよ。貴族社会の都合で勝手に悪者にされて、こんな酷い場所に送られて、日陰で生きなきゃいけないなんて。それなのに、恨み言ではなく、あんたは……あんな父を見ても、よかったなんて」
「シスターベガ」
「……なんだよ」
「あなたの本当の名前を、お聞かせいただいても?」
「シスターベガだよ」
「それ以外のお名前もおありでしょう?」
「ないって」
「だって男性ならベガなんておかしいですもの」
「男じゃねえって、女だって」
「声が明らかに低くなりましたよね、煙草やめてから」
「やめろ、近づくな、喉仏を探すな」
「ほら、やっぱり」
「は、はしたないなあ!」
「抱きしめられてしまっていたのですね、私はとっくの昔に、愛しい殿方に」
「っ…………」
私たちは見つめ合う。
「もう一度、抱きしめていただけませんか」
「だめだ」
「情けをください。だめなら、私から」
「その言い方はだめだって!」
「お願いします」
「もう……ったく……」
じりじりと近づく私に追い詰められ、シスターベガは逡巡ののち、私の抱擁を受け入れてくれた。
背伸びをして胸に頬を寄せる。
最初に、傷ついてボロボロだった私を抱きしめてくれたときと同じ、温かな胸だった。
柔らかいのは、生地だけだった。
「あ、あのー……クレメンティア公爵令嬢……」
待ちくたびれた第二王子が、おそるおそるやってくる。
「そろそろ、お城に、帰りませんか……?」
「申し訳ありません、私は罪深き女です。王太子殿下の結婚相手なんて、とても」
「「ええっ!?」」
声を揃えて私を見つめる第二王子とシスターベガに、私は頭を下げた。
「申し訳ありません。私は神に仕える身です。お引き取りください」
「し、しかし」
「……」
私は少し考えて、シスターベガに近づいて、背伸びしてその唇に口づけた。
「「!??!?!?!?!?!?!」」
「申し訳ございません。あろうことか女性であるシスターベガにキスをしてしまうような、私はいけない修道女なのです。唇の純潔をシスターベガにさしあげてしまいました。このような唇では、とても王家に嫁ぐなんてできません」
「な………………」
第二王子は石になったように固まってしまった。
シスターベガは呆然として、私を奥に引っ張って、そしてしゃがんで頭を抱えて動かなくなった。
「シスターベガ」
「……」
「シスターベガ?」
「ばか! な、なにをやってんだ! あんたは!!」
「私は一番辛いとき、私に胸を貸してくれたあなたの傍にいたいんです、シスターベガ」
「何をいってるんだ、元の明るい世界に戻れるんだぞ!? こんな修道院で、手をばさばさにして生きなくったって」
「離れたくないのです。ここであなたと一緒に、庭を耕して薬草を育て、時々クッキーを焼いたりして、ささやかに幸せにくらしたいのです。あっ、もちろん他のシスターたちもです。私も武芸や魔術を覚えます。少しでもここの防犯に力を貸せるようにします。がんばります、だから」
「……あんた、その……その積極性……どこでどう身につけたんだよ……」
私は考えた。
確かに以前の私は、まったくこんな風な積極性を持ち合わせていなかった。
いつから私は、自分で考え、行動できるようになったのかを考えた。そして思いついた。
「ふふ。あなたにすっかり染められてしまいました、シスターベガ」
「……」
「どうか責任とっていただけましたら嬉しいです」
深々と頭を下げる私。
シスターベガはウィンプルごしに頭をがしがしとかいて。「あーもう……勝てねえ……」と呟いたのだった。
◇◇◇
それから王都は結局めちゃくちゃになり、王政は廃止されて共和制になった。
リコリアのような平民出身の野心家が貴族社会に入り込んでいた時点で、すでに王政は壊れかけていたのだ。そもそもリコリアも実は王政転覆を目的とした市民活動家の一人と言われているが、王政廃止のごたごたで姿を消したので、今となっては誰も彼女の真意を知らない。
さいはての修道院では今日も、妙にでかいシスターと小柄なシスターは、仲間たちと一緒に幸せに違法薬草を育てて売り飛ばし、ささやかな修道院を頑丈に自己防衛している。
修道女たちは「教会も没落したしそろそろ商会として商売メインにした方がいいんじゃ?」とも話している。
そしてさらに10年後。さいはての街に商業都市を形成した、成り上がり夫婦が幸せに暮らしていたとかなんとか、噂はあるけれど、その二人とシスターベガとクレメンティア公爵令嬢が、関係あるかどうかは誰も分からない。だいぶん夫婦仲睦まじく、子だくさんだったという幸せな記録だけが、真実だ。
お読みいただきありがとうございました。女装シスターが癖です。
楽しんで頂けましたら、ブクマ(2pt)や下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎(全部入れると10pt)で評価していただけると、ポイントが入って永くいろんな方に読んでいただけるようになるので励みになります。すごく嬉しいです。
◇◇◇
本日発情聖女3巻発売です!よろしくお願いします!
あと書き下ろし新作発売決定と、みに愛のPR漫画も置いてます!
よろしくお願いします!