夷陵の戦い
前回のあらすじ
蜀漢軍は短期間の内に秭帰県まで制圧し、戦いを有利に進めていた。
劉徳、関興、張苞の三人は梅園で義兄弟の契りを結んだ。
戦場の緊張感が漂う中、若き三人はこの激しい戦いで功を上げることはできるのか、そして彼らの友情は試されることになるのか。
劉備の東征に対し、孫権は関羽討伐で功のあった陸遜を大都督に任じ、全軍の総指揮と防衛を命じた。しかし、呉の諸将は、名士出身だが対魏の大戦での実戦経験が少ない陸遜に対して懐疑的な態度を示し、素直に従わない面も見られた。
秭帰城において劉備は将軍たちの前で語った。
「大都督陸遜は、諸将から反発されており、呉軍はまとまりを失っている。また、馬良を武陵に派遣して異民族を手懐けさせ、これに武陵蛮の沙摩柯らが呼応しておる」
劉備は続けて言う。
「呉班と陳式らに水軍の指揮を任せ、陸軍は、張南を大将とし、関興は副将として補佐をするように」
「はっ!」
将軍たちは一斉に準備に取り掛かった。
しかし、張苞は劉備の前に留まり
「なにゆえ、私を用いてくれないのですか」
と悔しそうに問うた。
「今回は歳が上の関興に任せたが、次の戦いでは必ず君を戦場に送るから安心せよ。」
劉備はほほ笑みながら答えた。
「そうゆうことでしたか。私の考えが甘かったです。無礼をお許しください」
張苞は謝った。
「分かればいいのだ」
劉備は、関興と張苞に大きな期待を寄せていた。
劉備は呉班と陳式らの水軍を囮として、夷陵へ先行させた。
夷陵の呉軍が囮の水軍と戦う中、張南と関興率いる陸軍が呉軍に猛攻を仕掛けた。
「全軍突撃!」
張南の号令とともに戦闘が始まる。
呉軍は陸からの奇襲に混乱し、陣形を乱した。
関興は戦功を上げるべく、自ら敵と剣を交えた。
「陸遜はどこにいる」
関興は周囲を蹴散らしながら叫ぶ。
やはり関興の武勇は、常人の域を遥かに超えていた。
関興は次々と敵を薙ぎ倒すが、敵陣には大将らしい人物がいないことに気付いた。
「敵が妙に少ない。見たところ呉軍は数千の兵しかいなではないか。陸遜は夷陵を捨てたのか」
関興の読みは正しかった。もうすでに陸遜や呉の諸将は夷道へと退却していたのだ。
(この戦いで必ず戦功をあげる)
関興はあたりを見回した
(あれはまさか)
関興の目線の先には父の仇である潘璋が蜀軍の兵士に猛威を振るっていた。
「潘璋よ一騎打ちといこうではないか」
関興が叫ぶと、潘璋が近づいてきた。
「お前は、関羽の息子関興だな」
周囲の兵士たちは一旦退いて、闘いの行方を見守っていた。
「貴様、その刀は」
「ああ、お前の父親関羽から奪ったものだ」
潘璋は父の青龍偃月刀を手に持っていた。
関興は怒りで震えながら拳を握り締めた。
「今こそ、父の仇を討たん」
「望むところだ」
二人は乗馬したまま、壮絶な戦いを繰り広げた。関興の持つ通常の剣とは比べ物にならないくらい、青龍偃月刀の威力は絶大だった。
激しい打ち合いの中、関興も潘璋に対抗し、20合、30合と戦い続けた
「これで終わりだ」
潘璋は青龍偃月刀を振り上げ、関興の乗馬していた馬に突き刺した。
「卑怯者め」
関興の馬は仰け反り倒れ、関興も一緒に地面に叩きつけられた。
潘璋はそのまま青龍偃月刀を振り下ろし、関興の命を絶とうとした。
関興の天命尽きたかとおもわれたその時
「父上!」
なんと亡き父の霊が現れ、潘璋からの一撃を受け止めたのだ。
「何だと!?」
潘璋は金縛りにあったように動けなくなった。
関興は、倒れながらも潘璋を睨んだ
何か危険を察知した潘璋は急いで関興に止めを刺そうとした。しかし、関羽の霊がその動きを封じていた。
「感謝します。父上」
関興は素早く立ち上がり、青龍偃月刀を奪い、潘璋の首を切り落とした。
「くわっ」
潘璋の絶叫が響き渡ると、その首はもうすでに地に落ちていた。
「撤退だ」
呉の兵士たちは関興に畏れおののき、夷道へと後退した。
守備兵がほとんどいなくなった夷陵の城は、関興によって素早く制圧された。
勝ち戦の知らせを聞き、駆けつけた劉備と合流すると
「亡き父の仇を取って参りました」
関興は潘璋の首を劉備に献上した。
遥かなる冥府より召喚せし弟、
汝の仇を打ちて我を救う関興よ。
矛盾せぬ心の誓いと共に、
汝に我が感謝を捧げん。
劉備は関興へ詩を贈った。
「これは朕の兄弟の仇でもある。よくやった関興」
「私はただ父の仇を討ちたかっただけです。それに父の霊にも助けられました」
謙虚に応じた関興に、劉備は続ける。
「これは間違いなくそなたの実力だ。偏将軍に任命しよう」
「ありがたき幸せ」
今年、関興はまさに十八歳。異例の大抜擢を受けたのであった。
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*偏将軍(五品官)という役職についてですが、前漢時代に作られた伝統的な将軍職であり、将軍に昇進する際に多くの人物がまず最初に任命されるものとなっています。
どちらも独自に軍を指揮するというものではなく、他の指揮官のもとで指揮をする将軍の一人というような役割です。