表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/16

弔い合戦

前回のあらすじ

劉徳は、皇太子になることを辞退し、その座を劉禅に譲った。

後継者問題は解決したが、蜀漢には次から次へと試練が訪れる。

「張将軍が部下の張達(ちょうたつ)范彊(はんきょう)によって殺害されました」

 派遣した使者が劉備に報告した。

「ああ。羽に続いて飛が死んだ」

 劉備は嘆いた。

「同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん」

 劉備はかつて桃園で誓った言葉を思い出した。

「残されたのは、朕のみか」

 家臣たちも将軍の死を悲しんだ。しかし、蜀漢には、死を悲しんでいる暇などなかった。二人の将軍は、劉備にとって欠かせない存在であった。

「憎たらしき、孫権め」

 劉備は、復讐の念に燃えた。関羽を殺した孫権に対する報復として、趙雲の諫言を押し切って親征を行うことを決めた。

「阿斗、お前は、都の留守を任せた。阿義は、朕が指揮を執る親征軍に加われ」

「承知いたしました!」

 二人は返事し、準備に取り掛かった。

 劉禅は、内心この取り決めを良く思っていなかったが、自分が死ぬのも嫌なので、命令に従い、おとなしく留守番をすることにした。

 一方、阿義は関羽の息子関興(かんこう)、張飛の息子張苞(ちょうほう)、趙雲の息子趙統(ちょうとう)などと共に、都を出発した。


 劉備は、馮習(ふうしゅう)を大将軍とし、張南(ちょうなん)廖化(りょうか)呉班(ごはん)黄権(こうけん)らの将軍に個々の軍隊を指揮させた。

 蜀漢軍は、計三万の兵を従え、大規模な親征を開始した。

 劉備は長江を沿って進軍し、ついに荊州に入った。

 長江沿いに存在した呉軍側の諸城は、蜀軍の大部隊の前に兵士が逃亡し、次々と陥落していった。

「ここが荊州であるか」

 劉徳が問うた。劉徳は荊州出身であったが、一度も成都を離れたことが無かった。

 軍の先頭には劉備が馬に乗っており、劉徳はその傍らにいた。劉徳は、不慣れながらも馬に乗り、荊州の景色を眺めていた。隣には身長8尺、緑の戦袍をまとい強靭な体つきの関興と身長9尺、赤い兜を被り鍛え抜かれた筋肉を誇る張苞が立っている。彼らは、初めて戦場に赴くが、鎧を付け、武器を携えていた。

 その光景はまるで、かつて黄巾党を討つために挙兵した劉備・関羽・張飛のようだった。

「関興、張苞、よろしく頼むぞ」

 劉徳が言うと、二人は頷いた。

「父上の仇を討つ」

「父の無念を晴らす」

 彼らは口々に誓った。

「劉皇子」

 関興が呼ぶと、劉徳は

「劉皇子など堅苦しい呼び名はいい。阿義と呼んでくれ」と笑った。

「阿義!」

 張苞が呼びかけると

「張苞、いくら劉皇子がよいといっても礼儀は忘れるなよ」

 関興は注意した。

 二人のやり取りに劉徳は苦笑した。


 いよいよ戦場となるであろう秭帰に到着する。

「この戦いに勝って、みなの屈辱を晴らすぞ」

 劉徳は意気込んだ。

「奪われた青龍偃月刀を必ず取り返す」

「張達・范彊の首を取り、亡き父に見せなければならん」

 父親を失った二人は、呉軍を打ち破り、功を立てることを誓った。

「父上のためにも必ず呉を討伐する」

 劉徳は心に誓いを立てた。一方、自分の母親が呉の皇族であることに気まずさを感じていたが、張苞らはそのことを気に留めていなかった。

読んでくださりありがとうございます!評価、ブックマークをよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ