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妖刀「星月夜」

作者: 藍沢 理

 鈴木宗一郎は、東京大学名誉教授にして日本刀剣学会会長という肩書を持つ。その人生の大半は、一振りの妖刀を追い求める旅路に費やされてきた。「星月夜」と呼ばれるその刀は、江戸の烈風と明治の鶯鳴きを経て鍛え上げられたとされる伝説の日本刀だ。


 幼き日、鈴木は臨終の床にある祖父から、星月夜を研究する宿命を告げられた。当時の鈴木にとって、それは意味不明の呪言でしかなかったが、やがて自身の研究の原点となり、人生の奥底に根を下ろしていった。


 星月夜は、ある時を境に歴史の闇に姿を消した。最後に星月夜の存在が確認されたのは、刀工ゴッホとの邂逅の場だったと言われている。それ以来、星月夜の真実は謎に包まれてきた。


 1990年、ベルリンの壁崩壊からほどなくして、東ドイツの古城ヴェーヴェルスブルクの地下室から一振りの日本刀が発見された。ナチス親衛隊が「最後の秘密兵器」と呼んだその妖刀は、銘が星月夜だった。


 星月夜は、発見後まもなく日本へと運ばれた。鈴木は、東京の研究施設に厳重に保管された星月夜を、幾度となく実見し、研究を重ねてきた。すべての記録を調べ上げたが、星月夜の来歴は闇に閉ざされたままだった。


 夜空の星屑を思わせる美しい刃文、青みを帯びて禍々しく輝く刀身。星月夜は、発見された時から数多くの謎を秘めていた。誰が、いつ、何処で、何のために鍛えたのか。鈴木は、星月夜があまりに多くの秘密に包まれていることに胸を躍らせた。


 研究を進める中で、鈴木は一つの手がかりを掴んでいた。フランスの画家、ポール・ゴーギャンの存在だ。晩年のゴーギャンは、若き日のパリで運命の出会いを果たしたと証言していた。出会ったのは、もう一人の刀工。ゴーギャンは、その男と共に刀を打ったという。


 鈴木は直感した。ゴーギャンが出会った刀工こそ、星月夜の鍛冶を担ったゴッホではないかと。星月夜の謎を解くカギは、ゴーギャンの足跡の中にあるのかもしれない。


 こうして、齢60を超える鈴木の旅が始まった。ゴーギャンの軌跡を辿るために。鈴木は、星月夜の刀身に刻まれた言葉を胸に刻む。


「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」


 まずは、ゴーギャンが晩年を過ごした南仏アルルへ。現地の美術館で、鈴木を出迎えたのは、美術館学芸員のソフィー・ルクレールだった。


「鈴木先生、お会いできて光栄です」


 ソフィーの言葉に、鈴木は期待に胸を膨らませた。


「こちらこそ、お時間をいただき感謝しております。実は、日本刀とゴーギャンに関する興味深い発見があるのです」


「それは、ぜひ詳しくお聞かせください」


 ソフィーに案内され、鈴木はゴーギャンの山小屋へと向かう。


 小一時間のドライブを経て、アルル郊外の静寂に包まれた森の奥深くに、要塞を思わせる巨大なコンクリートの建物がひっそりと佇んでいた。


「もう誰も気にかけていませんが、実はここに、ゴーギャンの秘密が眠っているのです」


 ソフィーの促しに応じて、鈴木はその建物の深奥へと足を踏み入れた。至る所に最先端の防犯システムが敷設されており、彼女の網膜認証で解除されるという徹底ぶり。そして、その厳重な警備を潜り抜けた先に、彼が目にしたのは、一枚の不可思議な絵画であった。


 描かれていたのは、月明かりに照らされた一本の道。道の中央に、一人の男が佇んでいる。そして、男の手には、一振りの刀があった。


「これは、ゴーギャンが最晩年に描いた作品です。あの伝説の刀工との出会いの場面ではないでしょうか」


 ソフィーの言葉に、鈴木の心臓が高鳴る。


「ゴーギャンは、この男をゴッホと呼んでいました。しかし、それがなぜなのか……」


 鈴木は絵画に見入った。


 ゴッホ。


 星月夜。


 二つの謎が、ここで交錯する。


 真実の鍵は、この絵の中にあるのだろうか。


 鈴木は、ゴーギャンの絵画を前に思考を巡らせる。男の手にした刀。それは星月夜なのだろうか。だとすれば、ここに描かれているのは、伝説の邂逅の瞬間だ。


「ソフィーさん、この絵からは他に何か読み取れることはありませんか?」


 鈴木がそう尋ねると、ソフィーは絵画を じっと見つめた。


「ええと、背景の森や月明かりからは、これがゴーギャンの想像上の情景ではなく、実際の出来事を描いたものだと推察できます。そして、男の佇まいからは、刀への並々ならぬ思い入れが感じられますね」


「なるほど。ゴーギャンは、この男との出会いと、刀に特別な意味を見出していたということですね」


 鈴木は顎に手をやり、考え込む。


「問題は、そのゴッホという男の正体です。ゴーギャンが生涯の謎として抱え続けた、この人物の痕跡を追わねば」


 その時、不意に鈴木の脳裏に、一つの情景がよぎった。


 星月夜の鞘に刻まれた飾り文様。それは、先日研究施設で目にしたものだ。


「ソフィーさん、これと似た文様を、私は日本であるものの上に見たことがあります」


「そうなのですか?」


「ええ。江戸時代の古文書に記された、ある刀工の印だったのです。もしかしたら、ゴッホという人物の出自に関する手がかりが、日本にあるのかもしれません」


 鈴木の言葉に、ソフィーの瞳が輝いた。


「それは素晴らしい発見ですね! ぜひ、その手がかりを追ってみてください」


「ありがとうございます。私はこれから日本に戻り、改めて古文書を調べ直してみます。何か分かりしだい、ご連絡します」


 こうして、フランスでの手がかりを得た鈴木は、再び日本への旅立ちを決めた。


 飛行機の窓から見下ろす景色に、鈴木の思いは古文書に描かれた刀工の印へと馳せる。


 ゴッホ。


 星月夜。


 江戸の刀工。


 三つの謎が繋がりつつあった。


 成田空港に降り立った鈴木を出迎えたのは、教え子である木村だった。彼は鈴木の不在の間、東京の研究施設で星月夜の分析を続けていた。


「先生、お帰りなさい。星月夜の件ですが、少し気になることがあって……」


「ん?どうした木村君」


「はい。星月夜の金属成分を分析したのですが、普通の日本刀とは微妙に異なる特徴が見られたのです。現代の技術では作れない、特殊な鍛造法が用いられている可能性があります」


「ほう、それは興味深い。詳しく教えてくれ」


 鈴木と木村は、研究施設へと向かう車の中で、星月夜の分析結果を見つめながら会話を交わした。


 やがて、東京の郊外にある研究施設に到着する。星月夜のある部屋に足を踏み入れた鈴木は、厳重に保管された妖刀の静かな佇まいを前に、言葉を失った。


「星月夜よ、お前はいったい何者なのか」


 鈴木は刀に向かってつぶやく。まるで星月夜が答えてくれるかのように。


 その時だった。


 部屋の電気が突然消え、非常灯が点滅を始める。


「なっ、何事だ!?」


 次の瞬間、目の前で信じられない光景が展開した。


 星月夜が、ひとりでに鞘から姿を現したのだ。


 青白い光を放つ刀身。鈴木は呆然と、その妖しい輝きを見つめた。


「まさか、星月夜が、生きている……?」


 鈴木の呟きに、星月夜が反応したかのように、刀身がさらに強く輝く。


 そして、鈴木の脳裏に、かすかなメッセージが響いた。


「我を求めし者よ」


「我が主ならば証明せよ」


 鈴木の体が総毛立つ。


 これは、星月夜からの挑戦状なのか。


 鈴木は、覚悟を決めた。その先に待つ真実が、どのようなものであっても。


 鈴木は、光り輝く星月夜を前に立ち尽くす。妖刀からの挑戦を受けた今、もはや後には引けない。


「星月夜よ、お前の求めに応じよう。私は、お前の秘密を解き明かす者だ」


 鈴木が宣言すると、星月夜の輝きがさらに増した。まるで、鈴木の覚悟を確かめるかのように。


「先生、何をしているんですか!」


 木村が制止の声をかけるが、鈴木は聞く耳を持たない。


「木村君、私は必ず戻る。星月夜の真実を持って、必ず」


 そう告げると、鈴木は星月夜に手を伸ばした。指が刀身に触れた瞬間、眩い光が研究室を包み込む。


 次の瞬間、鈴木の姿は消えていた。残されたのは、再び鞘に収まった星月夜だけだ。


「先生っ! 一体どこに……」


 しかし、星月夜は沈黙したまま、何も答えない。木村は立ち尽くすしかなかった。


 *


 鈴木が目を開けると、そこは見知らぬ山道だった。周囲は夜の帳に包まれ、月明かりだけが道を照らしている。


「ここは……?」


 服装が替わり、着物の着流し。腰には何故か星月夜。


 頭上の月を見上げ、鈴木は息を呑んだ。空には、絵画に描かれていたのと同じ三日月が浮かんでいるのだ。


「まさか、私は絵の中に吸い込まれたのか?」


 そう考えた時、背後で物音がした。


 振り向くと、一人の男が立っていた。月明かりに照らされたその姿は、鈴木にどこか見覚えがある。


「お前は……」


 鈴木が問いかける前に、男が口を開いた。


「私の名は、ゴッホ」


 鈴木の瞳が見開かれる。


「ゴッホ……あのゴーギャンが描いた、伝説の刀工ゴッホなのか」


 ゴッホは無言で頷き、腰の刀に手をかける。


「我が星月夜に選ばれし者よ。私と、真剣勝負で己が資格を証明せよ」


「なんだと……」


 鈴木の言葉を遮り、ゴッホが星月夜を抜き放つ。


 鈴木も咄嗟に星月夜を抜く。


 山道に、刃と刃のぶつかり合う音が木霊する。


「ぬうっ、強い……!」


 ゴッホの刀捌きは、まさに神業だ。


 人智を超えた速さで、鈴木に斬りかかる。


 必死に応戦する鈴木は素人。対してゴッホの力は圧倒的だった。


 やがて、鈴木は傷だらけになり、膝をつく。


「見事だ、ゴッホ。私には勝てない……」


 ふらつきながら、鈴木は星月夜を前に差し出した。


 この勝負に敗れた以上、妖刀の秘密に近づく資格はない。


 だが、ゴッホは首を横に振る。


「違う。お前は、星月夜に選ばれたのだ」


「えっ……?」


「刀を手に取れ。星月夜が、お前に語りかけるはずだ」


 ゴッホに促され、鈴木は再び星月夜に手を伸ばす。


 刀に触れた瞬間、鈴木の脳裏に映像が流れ込んだ。


 それは、星月夜の記憶だった。


 幾多の戦乱を潜り抜け、時代を超えて受け継がれてきた、妖刀の記憶。


 そして、意思。


「我が使命は、真の平和を求めて戦うこと」


「争いの絶えない世の中を変革するために」


「悪を斬れ。魔を滅ぼせ。奸物を覆滅せよ」


 鈴木は悟った。


 星月夜に選ばれたのは、この使命を果たすためだったのだ。


 立ち上がる鈴木。傷は、不思議と癒えつつあった。


「ゴッホよ、ありがとう。私は、星月夜の意思を継ぐ者となろう」


 鈴木の言葉に、ゴッホは満足げに頷いた。


「そう、それがお前の宿命だ。星月夜と共に、真実を求める旅を続けるがいい」


 そう告げると、ゴッホの姿は月明かりの中に溶けるように消えた。


「ゴッホ……」


 一人佇む鈴木。


 星月夜を鞘に収め、決意を新たにする。


 妖刀の導きに従い、真の平和を求めて。


 *


 東京の街に、一つの噂が広まっていた。


 妖刀を携えた男が、悪を斬り捨てているというのだ。


 腐敗した政治家が次々と消息を絶ち、犯罪組織が壊滅に追い込まれる。ワイドショーは連日その血生臭いニュースで持ちきりとなった。そして、防犯カメラに写る黒い影は、頭に双角が生えていた。街は、鬼が出現したと震撼に包まれた。


 昼休み、ネットニュースに速報が飛び込んだ。木村は慌ててそこをタップする。


「……これは」


 映し出されたのは鈴木だが、鈴木ではない。60を超えた風貌ではなく、まるで10代の若者だったのだ。そしてその姿は鬼だった。若返った鈴木は鬼と化していた。


 星月夜を抜くたび、鈴木の姿は若返り、禍々しいオーラを放つ。瞳は紅く輝き、頭上には二本の角が生える。その事実に気づいた木村は戦慄した。


「先生、あなたは星月夜に、魂を蝕まれたのか……?」


 木村は恐怖に打ち震えた。たしかに、あの日から鈴木の様子は奇矯であった。


「やあ、木村くん。顔が真っ白だけど具合でも悪いのかい?」


 音も無く研究室に戻ってきた鈴木を見て、木村は仰天して飛び上がる。


「あ、いえ、平気です」

「無理しない方がいい。今日は帰って静養したまえ」

「は、はい」


 そこはかとない不気味な気配を感じ、木村は慌てて部屋を後にする。


 研究室に残ったのは鈴木ただひとり。彼は窓の外を見据え、呟く。


「真の平和を求めて悪と戦う。されど、刀を抜くたびに、人の心を喪失してゆく。……これもまた宿命か」


 それが、星月夜の課した試練だったのだろうか。


 鈴木は窓から空を仰ぎ見る。身体から瘴気が滲み出る。その顔は歪にゆがみ、邪悪な形相へと変貌を遂げてゆく。そして彼は、星月夜の保管ルームへ向かった。


 やがて東京の街に、新たな伝説が生まれた。妖刀星月夜を手にした鬼が、悪を成敗する伝説が。


(了)

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