チョコレート味のオカズガール
俺が廊下を一人、カッコつけて歩いているのには理由がある。
俺の大好きな坂田美桜に呼び出されたのだ。
たぶん理由は同じボランティア部員としての何かの相談だろうが、何であれ彼女と個室で二人きりになれるのは嬉しい。思わずカッコをつけてしまう。
ポーズを決めながら化学室の扉をシャラリと開けると、低い声で俺は言った。
「何の用かな?」
机に向かってパクパクと大量のブラックサンダーを食べていた坂田のかわいい顔が上がり、俺を見た。
大して嬉しそうでもない表情で少し立ち上がりかけると、無言で手招きをする。どうやら口の中がブラックサンダーで溢れていて喋れないようだ。
「どうした?」
俺は思わず気遣い、介抱する姿勢になった。
「何が言いたい? 口からチョコ飛び出してもいいから言ってみ?」
すると坂田は机の上にあった紙パックの牛乳をズバババと飲み干し、口の中のブラックサンダーをすべて流し込むと、ようやく言った。
「ちょっと食べてみて?」
そして自分の人差し指を俺の前に突き出す。
「それを……食べろっていうのか」
「うん。いつもみたいに」
「は……、恥ずかしいよ」
「そんなのいいから」
男子諸君、想像してみてほしい。
好きな女の子が、目の前で、自分の人差し指に噛みついてくれとせがんでいる。ここで躊躇なくそれに口をつけられるのは、相当恋愛事に慣れたプロぐらいなのではないだろうか?
「いいから食べてみてってば」
そう言うなり、坂田は自分の人差し指をプチッともぎ、俺の口の中へ無理やり押し込んできた。
「ムウッ……!」
抵抗しながらも、俺は嬉しかった。
なんて大胆なんだ。男の口に、自分の体の一部を、自分から押し込んでくるなんて。
彼女の指を食べるのはこれで3回目だ。
その味はもう……なんともジューシーで、とても白飯が欲しくてたまらなくなるほどに濃厚で……あぁ……今日もうま……
「ゲロマズーーーっ!!」
思わず俺は吐き出した。
「ま……まずかった?」
ショックを受けて青ざめた顔でそう聞いてくる坂田に、『いや、ごめん。おいしいよ』と言ってやることができなかった。
俺は溢れ出そうになるゲロを抑えることに必死だった。
どうしたことだ、これは。いつもなら坂田の指は、炭火焼肉のようだったり、作りたての豚の生姜焼きのようだったり、松阪牛のソーセージのようだったりして、その時々によって味は違うが、その濃厚さにとんでもなく白飯が欲しくなるのに、今日の彼女の指は、なんだかそれらに甘〜いミルクチョコレートをぶちまけたような、いや〜な、いや〜な味がした。
「どうしたことだこれは」
俺は自分でフラスコに汲んだ水で口を濯ぐと、聞いた。
「おまえがこんなにクソマズいわけがない!」
すると坂田は珍しくションボリすると、似合わない自信のなさそうな声で、打ち明けた。
「じつはあたしね……、自分の味を自分で変えることができるの。主に食べたものの味になるんだけど、そこに念力で調味料を加えたり、色々とアレンジできるんだ。それで……もうすぐバレンタインだから、自分をチョコ味にしてプレゼントしたいな……って」
なるほど。
俺のためか。俺のために、自分をチョコ味にして食べさせてくれようと思ったわけか。
顔がニヤケてしまう。そうかそうか、かわいいやつめ。その気持ちだけで幸せだぜ? 俺……。
「弓道部の矢場内先輩に食べてもらおうと思って……」
「俺じゃないんかいーーーッ!!」
「は? なんであんたにチョコあげないといけないのよ? あんたはあたしのただの下僕でしょ?」
「そういえば名前も覚えてもらってなかったーーーッ!」
「なんとか自分をおいしいチョコ味にして、先輩に食べてほしいの。そのために……ね、協力してよ、下僕?」
「断るーーーッ!」
「あと、先輩にあたしの指を渡す時、何の説明もなかったら先輩、絶対怖がると思うから、下僕から説明してほしいの」
説明しよう。
彼女、坂田美桜は、自分の体の一部を他人に食べさせることのできる『オカズガール』である。
食用になる部位は手足の指、胸、お尻だ。他にも肩や肩甲骨、腰骨のあたりにも刮げればイケるところが少しあることが最近になってわかった。
坂田を食べた者は潜在能力が解放され、超人になれる。身体も強化され、それこそスーパーヒーローのように、さまざまな点においてパワーアップするのだ。
ゆえにボランティア部員であり奉仕精神のかたまりのごとき坂田は、我が高校のさまざまな部活のキーパーソンに自分を食べさせ、全国大会を総ナメさせようと企てているが、残念なことには彼女を食べたことがある者はまだ、俺一人しかいない。
みんな怖がって逃げるのだ。そりゃまあ、そうだろうなとうなずくしかない。
とにかく、俺は坂田に協力する気は毛頭ない。俺のいない彼女の幸せなど願えない。
坂田が、見たこともないほどにションボリとしてしまった。
項垂れて、今にも涙をこぼしそうだ。
俺は、呟くように、言った。
「前にテレビで観たが、ベルギーでは寿司に『ベルギーチョコ巻き』というのがあるらしいぞ。ベルギーチョコは甘くないから、寿司飯にも合うんだそうだ」
「ベルギーチョコ!?」
坂田が勢いよく顔をあげた。その顔は笑っていた。
「なるほど! それの味になればいいんだね? ありがとう、下僕!」
なぜ……俺はアドバイスなんかしてしまったんだ。
坂田のションボリした姿を見ているのがたまらなかったのだ。くそ……俺のアホ!
まぁ、いい。俺はその『ヤバい』とかいう先輩に坂田の能力を説明してやる気はない。いつものようにバカのひとつ覚えみたいに『私をオカズにしてください!』とか迫って引かれてろ。
引かれたら……傷つくだろうな……坂田……。
どんな顔するんだろう……。見たくはないな。
それにしても……そのヤバい先輩のことが……そんなに好きなのかよ……。
翌日──
俺は再び化学室に呼び出され、ダラダラと赴いた。ダララ〜と扉を開けると、坂田が今日は真っ黒な金ののべ棒みたいなものを一心不乱に食っていた。
「おっ、よく来た下僕! 早速ベルギーチョコを買ってきたよ!」
そう言って『お疲れさん』みたいな手のあげ方をする。
「ふん……。また味見してほしくて俺を呼んだのか?」
「もちろん! 他に用はないわよ?」
「とっとと済まさせてくれ」
俺はやる気のなさを隠しもせずにそう言うと、坂田の手をがしっと握り、彼女が立てた人差し指を、思いきり食いちぎった。
いつもより乱暴な食い方になっちまった。我ながらみっともねーな……。
そう思いながら、彼女の指の味を確かめた。
ふぅ……。
苦っ。
苦いだけだ、こんなの。まぁ、これこそがチョコレートなのかもしんねーが……。
とりあえず日本人の口には合わない。まずくはないが、白飯が欲しくはまったくならなかった。ステーキに甘くないチョコソースをかけたような味だ。ベルギー人にならいいだろうが、俺には『デミグラスソースに換えてくれ』と言いたくなるような味だった。
これならヤバい先輩とやらも美味いとは言わないだろうな……。
「どう? 味はどう?」
おおきな目をキラキラさせて坂田が俺に聞いてくる。
俺はテキトーに嘘を答えた。
「うん、白飯が欲しくなる味だ」
「ほんと!?」
坂田が座ったまま、ぴょんと跳ねた。
「やった! これであたし自身がバレンタインチョコレートになれるよね!」
「ちょっと待て」
俺は再び彼女の手をがしっと握り、まじまじとそれを見た。
俺が食いちぎった指の断面から、黒いチョコレート色の液体がとろ〜りと滴っている。
いつもは血も何も出ないのに、なぜだ。
「あー……」
俺が見ているものに気づき、坂田が頭を掻きながら言う。
「自分の味を無理に変えようとしすぎたから、チョコ食べすぎちゃったんだよね。それがたたっちゃったかな? 体の中がチョコまみれになってるっぽい」
こんなに無理をして……。
そんなにまで、その先輩のことが好きなのか。
そう思ったのに、なぜか坂田のことがとんでもなく愛しくなって、思わず彼女の人差し指を口に入れ、キスをするように唇であたためてやり、舌を絡め、断面から滴るチョコを吸った。
「キモーーーッ!!」
坂田に全力でぶん殴られたが、俺は彼女の指を食ったからパワーアップしていた。屁とも感じなかった。特に坂田のことをへんな目で見ている男が坂田の体の一部を食うと尋常ではないほどのパワーアップをするのだ。そうでない者の100倍以上はパワーがアップする。俺は全身緑色の超人ハルくんに変身したまま、彼女の手をけっして離さず、それでいてけっして痛くしない程度の力でホールドし、ちゅっちゅっと、その指の断面を吸いつづけた。
絶交されるかもしれないと思っていたが、そうはならなかった。
わかっていた。坂田の理解者は、今のところ俺一人だけなのだから、何があっても坂田は俺を遠ざけない。坂田が自分の体を他人に食わせることのできるオカズガールだということを身をもって知っているのは俺だけなのだ、今のところ。
他のやつらは皆、すけべな意味でのオカズだと勘違いしている。まぁ、俺もそういう意味でのオカズとしても彼女のことを見ているのは確かだが。
彼女を弁護できるのは俺だけなのだ、今のところ。
俺は坂田にとって利用価値があるのだ、今のところ。
そういうわけでだろう。俺は坂田が弓道部のヤバい先輩にチョコを渡す現場に同行させられた。
堂々と三年のクラスに赴き、先輩女子にお願いして坂田はヤバい先輩を呼び出してもらった。
でてきたのは俺と同じぐらい背の高い、ヒョロい、顔色のなまっちろい、女みてーにナヨナヨしたツラのヤサ男だった。
そいつは坂田を見るなり、言った。
「き……、君は……」
坂田は有名人だ。変態女として有名になってしまった。いつも部活のキーパーソンの先輩を「私をオカズにしてください!」と言いながら追い回しているのだから、まぁそうなるだろう。
「先輩っ! これ、受け取ってください!」
坂田が卒業証書を授与するようにかわいくラッピングされた小箱を差し出した。
「え……。チョコ?」
「はい」
考えたな、坂田。きっと中にはチョコレートコーティングされた自分の指が入っているんだ。これなら俺からの説明も必要ない。
「あ、ありがとう。いただくよ」
ヒョロ先輩は明らかに顔をひきつらせながら、それを受け取った。
「ここで開けて、食べてもらえませんか」
坂田は、押した。
「え……。あ、うん」
ヤサ男先輩は困った顔をしたが、諦めたように小箱を開けた。
中から出てきたのは思った通り、チョココーティングされた坂田の人差し指だった。
「か……、変わったチョコだね?」
「食べてください」
坂田の目に力がこもりすぎている。
その血走った目でギョロリと見つめられ、ナヨ先輩は食べるしかなさそうだった。
「いただきます」
先輩が、坂田の指を、食った。
はっきりいって、それは美味くはないはずだ。肉の味の混じった、苦いチョコレートだ。
さぁ、アホ先輩、どう反応する? 俺は手に汗を握りながら、見守った。
「おおおっ!?」
先輩の体が、ビンビンになった。
「こ……、これはっ!? おいしくは全然ないけど……力が漲るようだ!」
「よし!」
坂田はガッツポーズを作ると、隠し持っていた大きなビニール袋を先輩に押しつけた。
「同じチョコがこれに30個入ってます! これから県大会までに毎日ひとつずつ食べてくださいね!」
「あの先輩のこと、好きなんじゃなかったのか?」
部室への帰り道、廊下を並んで歩きながら、俺は坂田に聞いた。
「あの先輩、お肉が嫌いなの。ベジタリアンではなくて、牛乳とかは口にできるらしいから、チョコ味にすれば食べてくれるかもって思っただけよ」
なんだ……。そういうことだったのか。
俺は顔が緩んでしまった。
「ところで坂田。本命チョコをあげたい相手はいないのか?」
「本命ってわけじゃないけど……。はい!」
坂田がポケットから、小さなかわいい箱を取り出し、俺に渡してきた。
「いっつもお世話になってるからね、感謝の気持ち」
そして坂田が俺の名前を呼んだ。
「いつもありがとう、羽奥将校くん」
涙が溢れた。
初めて坂田が、俺を『下僕』ではなく、名前で呼んでくれた。
この羽奥将校健、これでいつ死んでもいい所存だ。
小箱を開けるとふつうのハートチョコが出てきた。
俺も坂田の体の一部をチョココーティングしたもののほうがよかったな。
そう思いながらもそのハートチョコは、とても食べることなど勿体なくてできない、俺の家宝となった。