【プロローグ】 全焼戦(ぜんしょうせん) その1
………ピッ
『META・DIVE』起動確認。
『心身状態:心拍数、血圧、呼吸異常なし』
『環境状況:温度、湿度平常。火・水反応なし、恬静での始動を開始』
ウィーン
『ダイブ接続を開始します』
*****
近年、話題沸騰中のフルダイブ型VRMMO、通称【Virtual・Vision】。
仲間達と共に世界に蔓延る凶悪なモンスターを討伐しに行くもよし。
壮大で広大無辺な世界を自由気ままに冒険するもよし。
農家や自営業、自分だけの都市を開発していくもよし。
町外れの山小屋や別荘などでまったりとしたスローライフを送るもよし。
仮想世界ならではの現実世界とは隔した『もう一つの景色』をコンセプトに展開される、オープンワールドのVRオンラインゲームだ。
そのクオリティは非常に高く、高グラフィック、やり込み要素、ゲームシステム、ワールドマップの規模、多種多様なイベント等々、筆舌に尽くし難い程存在する。
千差万別のパーツの中からユーザーは自分だけのオリジナルVirtualAvatarを作成し、数多のスキル・アビリティを駆使しこの広大なVRオープンワールドの舞台へと羽ばたくのだった。
*****
そこは、この【V・V】の世界で最難関とも称される三大ダンジョンのうちの一つ、【魔戒裂境】。
その洞窟最奥のラスボスステージ。
未だかつて、誰1人として攻略者のいないこのダンジョン最終層の第100層:《破壊への頂戦》で立ちはだかるのが、
凶悪な貌に2本のツノを生やし、ゴツゴツとした赤と黒の強靭な人型の体躯。禍々しい翼と獰猛な爪を携えた、《破壊の魔人:ディアベルク》。
全ての攻撃が致命傷の一撃に加え、その防御力と耐久性はバグかと思えるほどに硬い。桁違いの素早さに、HPはほぼ底無し。
数多のプレイヤー達を処してきたこのチート級モンスターに現在、たった一人の少女が挑んでいた。
その少女の名は、《アイポイ二クス》。通称『アイポイ』。
腰あたりまで伸びた淡い白髪に、顔は可愛らしい童顔。着飾った赤白の巫女服と、紅の翼を携えた少女だ。
身長3メートル強、魔人という名に相応しい形容でパンチの効いたデザインのディアベルクに対し、正対するアイポイは幾分か矮小に映り、そのスケールの差に大丈夫かと心配になるレベルであった。
……がしかし、幾人もの挑戦者が挑み、1ゲージすら削ることのできなかったディアベルクのHPが今、3ゲージ目の9割減。残すところ3センチ程度の赤いラインのみだ。
小さき少女があとほんの少しで、前人未到の【魔戒裂境】完全攻略を成し遂げようとしていた。
だが、アイポイの方にももう余裕はない。ゲーム内なので身体的な疲労は問題ないが、精神的な面での疲労により細かなミスなどプレイへの支障はかなりのものだ。
「ぐッ!!!」
ディアベルクの攻撃パターンを数ドットでも見誤れば、今のようにすかさず強力な一撃をお見舞いされる。
運よくワンパンは避けられたが、そのダメージはHP9.5割減の致命傷。最後の〔回復キット(大)〕を使用し、入念すぎるくらい用意してきたアイテムは底を尽きた。
「ヴァアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーッッーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!!」
さらにここに来て、追い討ちを掛けるようにディアベルクがもう一段階覚醒する。
角が3本へと変貌し、防御力・攻撃力が上昇。
さっきまでですら雀の涙ほどのダメージしか与えられなかったのに、これでは完全な火力不足となってしまう。
「ああー、まじかよ」「コイツ反則だろ!」「まさか、ここまで来て負けないよな?」「アイポイー、頑張ってー!」
その光景をライブ映像で見ていた視聴者達は、この緊迫した最終局面をただ息を飲んで見守ることしかできなかった。
ディアベルクの攻撃を精密に躱し、ミクロ単位でしか入らない攻撃のヒットアンドアウェイ。
ここまでの戦闘時間は、およそ5時間半。もうすでにアイポイは限界をとっくに通り越し、いつ緊張の糸が切れてもおかしくない状態だった。それまでになんとか、一刻も早く決着を付けなければならない。
「このままジリ貧ね…」
最後の頼みの綱は、もうすぐ溜まるであろうアイポイの最終奥義:〈ザ・アルカナ〉。俗に、必殺技と呼ばれるものだ。
自身の体力の減少と引き換えに炎による攻撃力、風によるスピードを大幅に増幅させるまさに、一発逆転の最後の奥の手。
これが最後のチャンスだと、アイポイはその時が来るまで精一杯時間を稼ぐ。
そして、視界の右端。ザ・アルカナが溜まった事を知らせるUIに、胸の奥底の肺腑が蘭と煌めいたその瞬間、高らかに叫ぶ発動詠唱。
「神の宴火で風よ舞え!炎風・聖天神楽!」
刹那、翼が燦々と発光し黄金の炎を宿すと、アイポイの全身を強烈な靭風が吹き荒れる。
満タンだったHPは一気に1割も満たなくなるほど減少し、その体力はもはやディアベルクと同じかそれ以下。
しかし同時に、攻撃力とスピードは今までの5倍以上となる。
「ここで決める!」
そう言って勢いよく駆け出したアイポイの速さは、さっきまでとは比にならないほどだ。視聴者達はもはや眼で追うことができず、ディアベルクでさえも辛うじての反応。
三つの雷撃弾で応戦するが、それはまさしく神楽の演舞のように軽快かつ予測不能なステップでディアベルクの懐へ入り込むと、金炎を纏った渾身の蹴りを叩き込んだ。
圧倒的な攻撃力により、ディアベルクのHPは2センチほど減少。
「あとちょっと!」
さらに寸毫の間もなく追撃を与えようとしたアイポイだがしかし、さすがの魔人もその翼を盛大に広げ後退するように距離をとった。
「フッ、オモシロい」
アイポイの攻撃が自身に通用すると察したのだろう、それならばとディアベルクも勝負に決する。
両手を地面に付け四つん這いの態勢で構えると、そのツノから黒光りする稲妻が微かに迸った。
その稲妻は、次第に3本あるツノの中心に収束していき、やがて黒き雷塊へと形を成す。
「ギュルルルルララララララアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!」
ステージ全体に木霊する、耳をつんざくような咆哮とともに痛烈な雷撃が放射。
アイポイへと一直線に襲い掛かる。
遠距離ならディアベルクに分があると思われたが、否。アイポイは目一杯息を吸い込むと、その小さな胸を最大限に膨らませ、黄金の火炎ブレスで応戦。
黒き雷と黄金の炎が激しくぶつかり、その衝撃と波紋が周囲へ伝播した。画面越しでも伝わる、凄絶なる鬩ぎ合い。
やがて、二つの力は相殺されるように爆散。今度は辺り一面を土煙が覆う。だがその中で、素早く動く影が一つ。アイポイニクスだ。
お互い体力は、残り1ミリ。このギリギリの局面においてアルカナの効果時間が切れる前に勝負を決めると先に動いた。
目にも止まらぬ速さで肉薄すると、まだ技の反動で硬直しているディアベルク目掛けてトドメのパンチをお見舞いする。………はずが、
ディアベルクは途端、とんでもない速さで滑空し一瞬にしてアイポイの背後を取った。
(マズい…!)
誰もが目を見張り、おそらく破壊の魔人をも勝ちを確信した最高のカウンター。
………だがしかし、鳳凰巫女〈アイポイニクス〉はその八重歯をキラリと露わにし、小生意気な笑顔で存分に笑ってみせた。
ディアベルクがカウンターの一撃を放つほんの寸前、アイポイの腰から生えていた一本の尻尾が徐に動き出し、無防備な魔人の喉元を穿通。
_____
訪れた一瞬の沈黙のあと、残り僅かだったディアベルクのHPゲージが全部なくなり0となる。
ド派手な演出や、高らかなBGMはなかった。
ただ静かに、ディアベルクは細かなライトエフェクトとなり霧散。目の前には、簡素かつシンプルなUIとフォントでただ一言『Complete』と記されるのみ。
その代わりに………、
「「「ウオオオォォォオオォォォーーーーーーーッッッッッッ!!!!!!!」」」
ライブ映像をリアルタイムで見ていた視聴者達から、これ以上ないほどの歓声が巻き起こった。
______
『【V・V】リリース直前!【魔戒裂境】完全攻略耐久配信』と、銘打って始まったこのライブ配信。
主である《アイポイch》はこの2週間、寝る間も惜しみぶっ通しで【魔戒裂境】のダンジョンを駆けあがり、ついに本リリースを明日に控えた8月19日の今日、前人未到の完全攻略を成し遂げた。
時刻は23時55分。1年続いたβテストが終わり、【V・V】が正式にリリース開始を迎えるための大型アップデートが始まるまで、あと5分といったところだ。
「ここ2週間本当にツラくて…、厳しいコメントとかもたくさんあって諦めようともしたけど、それ以上に応援してくれるファンがいてくれて…、ぐすっ、ひっく、ここまで来れました。
………本当に、ありがとうございます!」
残り5分で配信の閉めとして、今回の【魔戒裂境】に挑んだ感想を赤裸々に語るアイポイ。
普段お淑やかでネガティブな事は絶対言わず、誰に対しても分け隔てなく天使のような優しさを見せるアイポイ。
しかし今回に至っては、その話題性も相まって人の心を持たないようなアンチ達にかなり酷いコメントの数々を送られ、さすがに憔悴した様子だった。
そんな苦しい中決して諦めずに達成した、おそらく過去一厳しかったであろう目標に鼻をすすりながら涙声での感謝。
おそらく、今回のβテストのデータは引き継がれないので成績や報酬は貰えないだろうが、たとえβテストであろうと1年間名だたるユーザー達が束になっても成し得なかった【魔戒裂境】を制覇した事実は残る。
その姿と功績はファンのみならず、初見で見ていた人々、心のないコメントを送っていたアンチ達、配信を見ていたすべての人に、更にはこれから本リリースでV・Vをプレイするであろう全ての人々に歓喜と涙腺の崩壊、金銭感覚をバグらせるにはこれ以上ないほどの効力をもたらした。
コメント欄は現在、喜び・称賛・高額な投げ銭の嵐。
凄まじいほどの興奮と熱気を残したまま時刻は深夜0時を回り、【V・V】内の全プレイヤーがメンテナンスのため強制ログアウトとなった。
*****
「ふい〜」
VRの世界から戻って来た俺は、ベットの傍らに置てある仮想ゲーム世界【V・V】へダイブするためのハードウェア:【META・DIVE】の電源を落とし、今さっき目の当たりにした偉業の余韻に浸るように一息ついた。
今日の配信も、とっても良い内容だった。
そのアバターは白髪・ロリ・巫女とかなりの属性を有していて、性格はとても慎ましいやかなお姉さん。かと思えば、ポンコツで子供っぽい一面もある。
加えてその見た目からは想像もつかないほど高い戦闘能力を持っており、今まで数々の難易度の高いチャレンジを配信で成し遂げて来た。最近そこそこのファンが付き、人気が出てきたV・V実況者。
かく言う俺も、そんなアイポイを応援するファンの1人であり、彼女の配信だけがこのつまらない人生の唯一の生きがいと言っても過言ではなかった。
まるで自分が成し遂げたかのように勝利の舞をした後、一昔前のスマートフォンに代わって昨今の覇権を握る携帯端末『D・D・D』のホログラムウィンドウを拡大してSNSをチェックする。
案の定、トレンドにも載っており元々のファンや手の平くるくる民族達の称賛が大半を占めていた。ちょくちょくアンチ達の批評もあるが、そんなのは何も成し遂げていない底辺達の負け惜しみなので気にするまでもない。
アイポイの嬉しそうなあの顔と今回成し遂げた偉業に満足した俺は、横になっていたこともあり急な睡魔に襲われる。
メンテナンスが終るまでおそらく4、5時間は暇だろうから、仮眠がてら少し眠る事にした。
_____
………それは、とてもちんけで下らない、嫉妬や劣等感などの子供じみたちっぽけなプライド。そこからまるで負の連鎖のように不幸を生み、全てが上手くいかなくなった俺は………、もう全部がどうでも良くなり、気づけば現実から逃げるように引き篭もりとなった。
寝る以外何をするわけでもなく、ただ日々を無駄にする毎日。
このままではダメだと何度も思うが何も出来ぬまま結局ゲームやアニメなどでの現実逃避。
なんの為に生きてるかも分からなくなり、自殺も考えたがそれすら実行に移せる勇気はなかった。
そんな時、気まぐれで応募したフルダイブ型のVRオンラインゲームのβテスターに見事抽選しプレイしたのが【V・V】だった。
その圧巻の面白さに1日20時間以上優にプレイし、まんまと沼にハマってしまった俺はそこで偶然、当時まだ無名に近かったアイポイニクスと出会あった。
もう彼此1年、高校にも行かず時間を無駄にするクソみたいな引き籠り生活。
このままではダメだと心の中で何度も思ったがしかし、一度崩れた足場は再構築するのが極めて困難で、その一歩を踏み出す勇気がどうしても出てこなかった。
そんな悩みを聞くと彼女は、驚くほど落ち着いた声と柔らかい笑みでこう言った。
「そういうの、分かります。心の中で思ってる事と、実際にやっちゃう行動って相違しちゃう事が多いんですよね。
こんな事したかったんじゃないのに。とか、こんな事言いたかったんじゃないのにって、いつも後悔しちゃったり。
………でも、そういうのっていつか本当にやらなきゃいけない時、伝えなきゃいけない時が来ると思います。その時、その瞬間を、絶対的な信念を持って逃げずに立ち向かう事が出来れば、それでいいと思います。
今はその準備期間みたいなもの、焦らずゆっくりやっていきましょう。………なんて、無責任ですよね」
その笑顔は眩しいほどに美しく、まさに巫女の祝福かに思えた。
結局今でも俺は、現実と向き合えず惨めに引き籠っている。
いつ来るかも分からない、本当にやらなきゃいけない時を待って………。
_____
そんな懐かしい夢を見て目が覚めた俺は、反射的にベッド付近に置いてある時計を見る。時刻は5時過ぎ、予定より少し寝すぎてしまったがまあ良い。
優秀である【V・V運営】ならおそらく、丁度メンテナンスを終えてる頃合いだろう。
急いで傍らに置いてあったMETA・DIVEを一瞥し短く一言、
「DIVE・IN!」
その言葉を唱えれば、微かな駆動音と共に2つのカメラが作動。1つは俺の頭部からつま先の端までを隈なく照らし、もう1つはまるでプラネタリウムの映像のように部屋全体に光を撒き散らす。
次いで視界は虹色に明点し、もう一つの美しい景色が広がるバーチャルの世界へとダイブする。
………はずが、
いつまで経ってもそうはならず、視界は真っ暗なままだ。
まだメンテナンス中かとも一瞬思ったが、それならば『ただいまメンテナンス中』といった何らかの注意書きの表示や。あるいは音声が鳴るはず。何の音沙汰なくただの真っ暗闇というのは、……おかしい。
「もしかして、壊れたか?」
この『META・DIVE』は、元々3年前に【V・V】の制作が決まると同時に発表され、形は手の平サイズ程の丸型の据え置きハードウェア。
似た形状の物で言うと、お家でプラネタリウムが見られる機械家庭用プラネタリウム投影機とでも言うのだろうか、アレとそっくりだ。
従来のヘルメット型やゴーグル型と違い脳に直接干渉しVR体験を可能にするのではなく、META・DIVEに搭載された一方のカメラに自分を映し、もう一方のカメラに仮想世界を投影させその二つをリンクさせることによりフルダイブを可能とする今までの常識を覆した画期的な最先端デバイス。
本来であれば、発売日当日の超倍率の抽選を勝ち残ら事のみが唯一の入手方法。だがなんと!前述に述べたように、俺は50万人のV・Vのβテスターの1人として運よく選ばれた。
数十万する機器がただで手に入っただけでもお得だが、通常βテストを終えた後2,3日空けてリリース開始されるゲームが、有能運営によりβテスト終了後数時間のメンテナンスだけでノンストップでできる神仕様である。
しかしそんな中で、まさか俺だけで遅れるわけにはいかない!
少しの不安を抱えながら俺は、再度『D・D・D』の画面を開きSNSを確認してみると、βテスター達も含め俺と同じようにログインできないユーザー達が多数存在していた。
(サーバーダウンか?)
まあ、一度に大勢のユーザーがアクセスすればサーバーがその負荷に耐えきれずダウンするというのは人気ゲームでならあるあるだし、それがことリリース開始の大型アップデート後なら尚更だろう。
ひとまず、ログイン出来ないのが俺だけでは無いことに安堵し、大人しくサーバーが復旧するのを気長に待つことにした俺は「ふうぅ……」とベットで一息。
そして安心したからか、非常に喉が渇いていることに気が付く。しかし部屋にストックしておいた飲料水達は、全て飲み干してしまった。この突如としての異常な喉の乾きを潤すには、自室を出て一階のリビングに行くしかない。
「………」
正直、すごく嫌だったが。喉の乾きはどんどん加速していったため、仕方なくその扉を開け俺は何週間かぶりに部屋から出た。
_____
「…うわ、最悪。ゴキブリじゃん」
キッチンへ行くとそこには、考え得る中で一番最悪なパターン。妹と遭遇してしまった。
中学3年にしてよく引き締まった健康的な体型に、艶のある綺麗なロングの黒髪。クールな印象を受けさせる、大人びた顔立ち。
才色兼備・徳高望重・成績優秀と、まさに非の打ち所がない最悪の妹だ。
それにしても、ゴキブリって………。コッチだって、できることなら顔も合わせたくない。
俺は目も合わすことなく俺は手短に冷蔵庫を開けると、ペットボトルの水を手に逃げるように踵を返す。そそくさと自室へ帰ろうとした俺の背中に、
「いつまでそうしてるつもりなの?」
そんな声が掛けられた。
「…さあ、な」
少し驚いたが、俺は振り返ることなく返す。
「私は、また一つ前に進んだよ」
(……?)
一体何の事だが分からないが、要は『自分はこれだけ頑張っている。お前はいつまでそんな底辺にいるんだ』と、俺の反骨精神に訴えかけているのか。しかし残念ながら、それは逆効果だ。
……特にコイツに言われると、その『萎え』は一層強くなる。
「そりゃぁ良かったな。そのまま俺のことなんか忘れるくらい前に突き進んでくれ」
未だ、俺は顔を合わせない。
これ以上話せば、俺の心の奥底にある黒い感情が暴発しそうだったので、話は終わりとばかりにまた歩き出そうとすると、
「本当にこのままで良いの?このままじゃ……」
「うるせえなぁ!」
……嗚呼、ダメだ。
「父さん死んじまって、おばさんも寝たっきり。親戚の人らもお前なら大歓迎みたいな感じだったんだから、さっさとおばさんとそっちに行って、もう俺のことは放っといてくれよ!
………、元々血の繋がってねえ、家族でも何でもねえんだから」
そこで初めて俺は勢いよく振り返り、義妹を見ながら言い放った。
……違う。
「それとも何か、劣等種を近くから眺めて自分は優越感に浸りたいってか?」
………違うだろ。
「………」
俺の勝手な、醜い劣等感をブチまけた叫びに義妹からの返答はない。本当はこんな事が言いたいわけじゃないのに、コイツを前にするとどうにも悪態を突いてしまう。
「そんなんじゃない。私はただもう一度昔みたいに……」
「だからそれがお節介なんだよっ!」
「何それ…」
そしてこれがやがて……、
「そもそも、誰も頼らないで1人で勝手に塞ぎ込んで、ずっとウジウジ引き籠ってるアンタが悪いんじゃない。このクソニート!!」
お約束の兄妹喧嘩になる。
「はあっ!?お前みたいな何でもできる人間に何が分かんだよ、このクソがっ!そうやって何の取り柄もない俺みたいな底辺の人間を『ああは絶対なりたくなーい』とか言って見下して、自分のことデキる人間だと思って悦に浸ってろよバカが!
お前も本質じゃ人のことバカにして蔑むピラミッドで言ったら俺らの一個上くらいのランクだからな」
「はっ、誰がアンタみたいなクソニートと自分を比べなきゃいけないのよ。元々ランクが違いすぎて眼中にもないわ」
「さっき『私は前に進んだ〜』とか、鼻高に自慢してただろ。
てかお前、今夏休みだったか?何処にも行かねえで、ここ二週間くらいずっと部屋に籠ってんじゃん!」
「うわっ、何で知ってるの?キモ!」
「引き籠りは周囲の音や動きに敏感になんだよ。お前…、俺とやってる事変わんねえじゃねえか。自慢気にやってた事もどうせ、大したことないようなくだらねえ事だろ」
今まで皮肉交じりで余裕を見せていた義妹は、俺のその言葉を聞いて様子を一変。鋭かった目つきを一層尖らせ、それは激昂へと変わった。
「お前、ふざけっ……」
と義妹がそこまで言いかけたその時、立っていられない程に地面が揺れた。
「うわっ!」
「大丈夫か!?」
こちらに迫ろうとした勢いのまま倒れた義妹に、咄嗟に心配の声が漏れ駆け寄る俺。しかし数秒経ってそういえば現在コイツとは喧嘩中だったのを思い出し、何とも言えない気まずさを覚える。
相手の方もどうやら同じような感情に陥ったらしく、目を逸らし微妙な表情。
昔は大がつくほどの仲良しだった俺達は、しかし二つ離れた義妹が中学に上がった頃から徐々に仲が悪くなっていき、その顔を見れば今のような口喧嘩の嵐。
いや、仲が悪くなったというより俺が義妹を避けるようになったから、元の原因は間違いなく俺にあるのだが、思春期の頃というのは変なプライドが邪魔する所為か『ごめん』という一言が中々出てこずそのまま相手への不満だけが溜まっていき、そんな中での父親の死に俺が塞ぎ込み引き籠ってしまったため、有耶無耶なままこんな関係になってしまった。
別に心の底からコイツの事が嫌いというわけでもなく、さっきの口をついて出た言葉達も全部が全部本心ではない。そう思った俺は、ここ1年くらいか、少しは成長したと言えるだろうか。
お前やコイツではなく、実に久しぶりに口にする義妹の本名を交え告げる。
「愛凰……、その、ごめん。少しカッとなって、言い過ぎちまった」
こんな素直に謝罪することができるなんて、自分でも驚きだった。これも、心優しきアイポイを応援して来た恩恵なのだろうか。
恥ずかしすぎて愛凰の顔は直視できないが、おそらく俺と同様に目をかっ開いて喫驚しているだろう。
「私も…」
そして何かを言い掛けたその時、_____ピンポーンと玄関のインターホンが突然鳴った。
「………、おいおいヤベエ、どうしよう?」
「どうしようって、アンタが無駄にデカい声で叫ぶからでしょう」
「お前の方がキィーキィーうるさかっただろ」
時刻はまさに、早朝とも言える6時前。こんな時間に訪れてくる訪問者など、考え得る中では先のうるさすぎる口論から一つ。
ドンドンドンッ!
と今度はチャイムではなく、直接のドアを叩く音が鳴り響く。
おそらく、今あのドアの向こうにいるのは『うるさい』と苦情を入れに来た近隣の住人であり、俺たちはまたしてもどちらがうるさかったかと罪のなすりつけ合いで喧嘩目前。
「どうすんのよ?」
「そんなの、居留守に決まってんだろ!」
直前まで声が聞こえたのにそんなのが通用するかと思うが、苦情を入れに来る人間も暇ではない。こちらが決死の居留守で耐えていれば、そのうち諦めて帰っていくだろう。
その読みは正しく、2、3分ドアを叩いたあとその音は止み、嵐が去った後のような静けさへと変わった。
「……いなくなった。のか?」
「……たぶん」
そう俺達二人揃って安心しきったその時、それはまるでB級ホラー映画かのように安堵させてからの、凄まじい破壊音をたててリビングの窓ガラスが大破した。
「「!!??」」
「何だっ!?」と驚愕した俺が一番最初に頭に浮かんだのは、たった今苦情を入れに来た近隣住民が強行手段としてベランダからの侵入を試みたか、あるいは目には目を歯に歯をというスタンスで石などを投げつけガラスを破壊したという可能性。
だがよくよく考えてみれば、俺たちは普段からそんなうるさいわけでもないし、こんな風に苦情を入れられに来られたのも今回が初めてだ。
たった一回でここまでするか?と、その短気すぎる神経に逆に開き直り掛けていると。それは突然、
「居留守トハ、連れないナア。貴様達プレイヤーが挑みニ来た時はスベテ、我は逃げずに出迎エテ迎え撃ってやったトイウノニ」
少しノイズが掛かりドスの効いた、よくニュースで流れる犯人のような声音がカーテン越しから響き、その人物………否、怪物が姿を見せた瞬間、俺の頭は真っ白になった。
その姿は……、
凶悪な貌に2本のツノを生やし、ゴツゴツとした赤と黒の強靭な人型の体躯。禍々しい翼と獰猛な爪を携え、タッパは優に3メートルを超える。魔人という名に相応しい悍ましき形容。
名を………、《破壊の魔人:ディアベルク》。
見間違えるはずもない、【V・V】の三大難関ダンジョンの一つ、【魔戒裂境】の最終層に君臨する最恐にして最強の魔人だ。
「…ありえない」
すると、俺の隣で同じ光景を拝んでいた愛凰もまた、そう静かに呟いた。
「VR世界だけに存在する我が、今コノ場にイるのがオカシイか?そうダナ。でもコレは夢でもゲームでもナイ。
………現実ダ!」
そう嬉々として告げると同時、ディアベルクはその厳つい指を前に構え一閃。
反応はおろか、目視することすらできなかった俺の身体を愛凰が身を呈して押し倒した事により、横切った攻撃は後ろにあった冷蔵庫を焼き払った。
一連の攻防が全て終わってから俺はようやくその事実を認識し、愛凰のおかけでその雷撃を何とか避けることができた事に気付く。
しかし、今の回避は奇跡のようなもの。おそらく次はない。
「さア。第二ラウンドと行こうカ、アイポイニクス!」
「………」
混乱が頭を駆け巡る中でたった一つ、俺の耳は今ディアベルクが口にした名前を辛うじて拾った。
……アイポイニクス?
今この場には俺と愛凰、そしてディアベルクしかいない。
ディアベルクがそう口にし、俺にその心当たりがないとすれば名指された相手は一人。俺はその人物に視線を向けた。
大人びた端整な顔が、苦虫を噛んだように渋面を滲ませる。
少し経ってからその少女:不知火愛凰はゆっくりと立ち上がると、たしかに呟いた。
「DIVE・IN!」
途端、何処からともなく閃光が走りリビングの入り口を飛び抜けてそいつは現れた。
焔を揺らがせながるソイツは『狐』。…いや、よくよく見れば狐を模したカメラ、【META ・DIVE】だ。
人間の顔サイズの狐の形態をした【META・DIVE】が、愛凰の傍にゆっくりと跪く。
すると次の瞬間焔の狐は炊き荒れる炎の渦へと形を変え静謐な熱風と共に愛凰を包み込むと、勢いよく渦巻いて、やがて四散。
その火の粉と風が止んだ時、もうすでにそこに愛凰の姿はなく、淡い白髪に巫女服を纏った鳳凰の巫女:《アイポイニクス》が降臨していた。




