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天菊まこ

 たとえ警官であっても積極的に犯罪行為に首を突っ込みたいわけではない。何事もなく、平和であればそれでいいのだ。それこそ、道を聞かれたり、拾得物を引き渡したり――そんな毎日が送れればそれでいい。

 だが――まさかこんな交番に配属されることになろうとは。バス通りの向こう側は新歌舞伎町――グレーな集団がたむろする東京一危険な街である。そこばかりは日本の常識が通用しない――新歌舞伎町には新歌舞伎町のルールがある――詳しくは教えてもらえなかったが――ただ、不用意に首を突っ込むな、とだけ。

 そこまで言うならバリケードでも張って封鎖してもらいたいのが心情的なところだがそうもいかない。実際、否応なしに騒乱の切れ端が街の外まではみ出してくる。それに、外れの方で騒動でも起きれば、最寄りがここだから、という理由でこの交番に通報が来たり。勘弁してくれ。歌舞伎町のことは、歌舞伎町担当の交番で責任を持って引き取ってもらいたいところなのだが。

 そんな日常の中、今日は何もなければ――などと祈るほど弱くもない。まあ、起きるだろう。いつも起きるから。朝はいい。せいぜい物が落ちていたとか酔っ払いが寝ていたとか、トラブルといってもその程度の穏やかなものだ。もうすぐ昼のパトロールの時間だが、そこでも大したことは起きないだろう。問題は夜だ。気の立った連中がこちらにまで火の粉を振り撒いてくる。困ったものだ。

 しかし、それを今日は前倒しにするように――

「あ、あのー……すいませーん」

 サイドテールの女のコがひょいと交番を覗き込んでくる。

 だが――いや、待て、ちょっと待て!

「ど、どうされたんですか!? 何があったんですか、一体!?」

 場所が場所である。ここは新歌舞伎町の隣接地――ヤバイ連中に襲われたところを辛うじて逃げてきたかのような事件の匂いしかしないのだが――

「いえ、そのー……スマホ、届いてません? ネコのストラップが付いてて……」

 ス、スマホ……? それどころではないように見えるのだが。とにかく、彼女にとっていまはそれが一番重要なのだろう。

 実際、それならついさっき届けられていた。幸い女のコも落ち着いているし、とりあえず見せるだけ見せてみよう。

「あっ、それです! それ!」

 女のコの顔が途端に明るくなった。加えて、一応番号は合っていたので落とした本人でほぼ間違いないだろう。だが、こちらにも手続きというものがある。

「えっ!? 身分証!?」

 言われて身体をパタパタと触ってはいるが、何も持っていないのは明らかだ。

「うー……ソレ返してくれないと困るんですけどー……」

 しかし、手続きとは必要だからあるものだ。こちらとしても、万が一別人に渡してしまったとあっては始末書モノである。

「……はぁ、多分カバンには入ってると思うんだけど……“劇場”まで取りに帰るしかないかなぁ」

 ガッカリと項垂れながら踵を返す女のコ。だがしかし。

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

 いま、劇場……と?

「どこまで戻るつもりですか!?」

 確証はない。ただ、不安だっただけ。

「だから……劇場まで。あ、新歌舞伎町のだからそんなに時間は――」

 昼間はまだ安全とはいえ、何かトラブルがあったのは確かだ。そんな女のコひとりであの街を歩かせるわけにはいかない。

「わ、私も、ちょうどパトロールの時間ですので……」

 一応新歌舞伎町は巡回エリアに含まれている。自ら足を踏み入れたことはないが。

 このコを送っていくことに、もちろん下心は一切ない。ただ――彼女をひとりで行かせては何かが起こる――そんな気がしたのだった。


       ***


 一先ず、交番で必要書類に記入だけはしてもらった。拾得物の返却に必要なのは残すところ身分証だけ。それでも、女のコは改めて自己紹介してくれる。

「あたし、天菊(あまぎく)まこっ、職業は……アイドル!」

「は、はぁ……」

 確かに、書類にもそのようなことが書いてあったが……。もちろん、可愛くないわけではない。けれど、アイドル的美少女というよりマスコット的な愛嬌を感じるというか……。

 ともかく、私は天菊さんに案内されてその劇場とやらに向かっている。通行人たちの注目を浴びているのは、彼女がアイドルだから、というわけではないだろう。

「それで、どのような番組に出演されているのでしょうか」

「ぅ」

 天菊さんの笑顔が、上からガンと潰されたように歪む。こういうところも愛嬌があって可愛い。本人も意外と慣れているのか、すぐに立ち直ってくれた。

「ぁ……アイドルだからって、みんながみんなテレビで活躍してると思ったら大間違いなんだからねっ」

「それは失礼しました」

 では、普段どんな仕事をしているのかというと。

「色んなイベントに出向したり、商品を宣伝したり……」

「では、劇場というのは……」

 ここで、天菊さんの表情が輝く。

「そこでは可愛い衣装を着て、唄って踊って!」

「アイドルらしいですね」

 天菊さんにとって、それが一番好きな仕事なのだろう。そして、彼女はトントンとステップを踏み、嬉しそうに足を止めて振り向いた。

「ここ! ここがあたしの劇場!」

 確かに劇場ではあるけれど――詳しいことは私も知らない。けれど、入口前に掲げられたポスター――その雰囲気だけで何となく察せられる。写っている女優は公道に面しているため露出は合法の範囲と思われる。だが、しかし……

 天菊さんからそのような雰囲気をまったく感じなかっただけに、意表を突かれて面食らってしまったところは否めない。だが、思いっきり顔に出してしまったのはいささか失礼だったか。

「ぅ、ま、まぁ……うん、一応、そーいう劇場……ですけどー……?」

 天菊さんは胸の下で恥ずかしそうに指を捏ね回していたが。

「で、でもっ! 可愛い衣装着て唄って踊るのはホントだから! 何なら観てくっ!?」

「いえ、仕事中ですから」

 こうまで真摯に主張しているのだし、嘘ではないのだろう。とはいえ、この雰囲気は明らかに……。

「ま、まあ……唄って踊りながら……可愛い衣装は脱いじゃうんだけど……」

 おそらく、それは全裸になるまで。ストリップ劇場――二〇世紀に流行っていた風俗である。何十年か前に性産業に対する締め付けが強くなった際に滅んだものと思っていたが、こうして生き残っていたらしい。

 つまり、天菊さんはアイドルという名のストリッパー――

「ストリッパーだけどアイドルだからっ!」

 そこは譲れないところらしい。

「ストリップアイドル・TRK26! 知らないの!?」

「すいません」

 新歌舞伎町とはできるだけ距離を置きたかったから。

「はぁ……少なくとも新歌舞伎町ではケッコー有名になったと思ってたんだけどなー。『あえる! ヤれる!!』がコンセプトのアイドルユニットで……」

「ヤれる!?」

 それはアイドルといえどもファンサービスの枠を超えているのでは!?

「あっ、あっ、ヤれるっていっても……!」

 さ、さすがに……それはアイドルとしてマズイよな……。

「……ふぁ、ファンクラブに入会してくれた人限定のサービスだから……」

 結局、ヤれることには違いないらしい。

 これには気不味い空気が流れる。だが、少なくとも天菊さん自身は納得してこの仕事に就いているようだ。

「いっ、いまはそーいう時代なのっ! アイドルだって女のコであって……ファンだって結局推しとヤりたいんでしょ!? その夢を叶えるためのアイドルユニットであって……!」

「わかりました! わかりましたから……!」

 新歌舞伎町といえども大通りである。大声でヤるだの何だのと議論すべきではない。

「と、とにかく……一度ステージを観てもらえばわかるから。ちゃんと可愛い衣装着て唄って踊って……い、衣装は脱いじゃうけど、それでも唄って踊って……!」

「で、ですから、いまは仕事中ですので」

「ずっと仕事中ってわけでもないんでしょ!? ちょっと待ってて!」

 天菊さんは建物の中へと駆け込んでいく。どうやらメインフロアは二階にあるらしく、入り口は上り階段と直結していた。転ばないかと心配だったが……天菊さんは数分で無事に戻ってくる。

「はいコレ! あたしのサイン入りブロマイド!」

 そこに写っていたのは……ストリッパー……であることは確かにわかった。そして、紛れもなく渡してくれた本人であることも。だが、背景がステージでなければ着替え途中と思ってしまったかもしれない。

 このようなものを押し付けられると、こちらとしても困ってしまうのだが――どうやらこれはただの営業資料ではないようだ。

「日付も入れてるから、受付で見せてね。一回限りファンクラブ特典ももらえるから」

 どうやら特別な意味があるようなので突き返すのも角が立つ。何より、あまり長く外に出しておくような被写体でもないので、私はすぐポケットに仕舞い込んだ。そして。

「身分証は……?」

 少し時間が止まった後。

「むぎゃーっ、忘れてたー!?」

 てっきり身分証を取りに行ったと思っていたのだけれど。そして、今度の天菊さんは階段でちょっと躓いたが、幸い転倒することはなかった。

 天菊さん、二度目の帰還。今度こそ身分証を確認できたので――返却手続きはこれで完了である。

「あー良かったー。ホント、親切にありがとうございましたっ」

 両手で恭しくスマホを握ったまま深々と頭を下げられると、こちらとしてもつい頭を下げてしまう。

「けど、誤解されたままってのはイヤだから……絶対ステージ観に来てよねっ!」

 そう言って建物へと駆け込んでいく天菊さんはやはりどこか危なっかしい。三度目ともなると――そんな予感はあったが、天菊さんは無事階段を上りきったようだ。いや、普通は躓いたりはしないのだけど。階段の上り下りだけでハラハラさせる人も珍しい。だからこそ――やはり私は、彼女のことが気になっているのだろう。

 だが……今夜は仕事があるからさすがに行けない。とはいえ、彼女の出演は今日だけではないのだろう。TRK26の天菊まこさん――危ういからこそ見守りたくなる。そんな彼女がこの劇場でどんなステージを魅せてくれるのか――警察官だからといってこのような場所に足を運んではならない、という決まりはない。ホームページの方でスケジュールを確認して、今度予定が合うときに来てみよう。

 ……って…………ハッ!? あんな堂々と大通りを全裸で出歩くなんて公然わいせつド真ん中じゃないか! なのに、つい空気に飲まれて普通に接していたなんて……。ここまでくると、自分の見間違いさえ疑いたくなる。だが……可愛らしく控えめな胸――綺麗な乳輪とちょこんと突き出した乳首――下の毛はふわっとして、それでいて少しだけ上を向いていて――仕舞ったばかりのブロマイドをこっそり取り出してみるも――さっきまで見ていた姿がそのまま写し込まれている。にも関わらず、注意どころか服を着せてあげるという発想にさえ至らなかったとは――もしかすると、それもアイドルという職業の為せる業……なのかもしれない。

 そもそも地域が地域だけに、てっきり何か事件に巻き込まれて身ぐるみ剥がされたため助けを求めて交番に駆け込んできたと信じて疑わなかったのだが……いや、普通に考えてそうだろう、うん。いくらストリッパーだからといって、あんな平然と裸で振る舞えるはずがない。

 だが……う、うーん……自分でもよくわからなくなってきたが……少なくともそちらでの通報は受けていないし、この街はこの街ならではのルールで動いているそうだし……あとのことはそっちに任せよう。そして、もしまた天菊さんと会う機会があったらそのとき改めて尋ねてみたい。本当に、何の事件性もなかったのかと。それまで、この件は捜査中ということにしておこう。


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