村月李冴
つい今しがた気づいたんだが、新歌舞伎町にスパができていたらしい。とはいえ……ゲーセンや映画館の類であればともかく、こんな街の風呂に入りたい、なんて思う人はあまりいないだろ。
しかし、いまの俺は緊急事態にある。まさか、うちの風呂が壊れて一週間も入れなくなるとは。汗を掻く季節でもないし二日・三日は平気だと思っていたが……今夜はバイトのシフトが入っている。臭っていたら店長からドヤされかねない。
そんなことに軽く頭を悩ませていたところで、俺は件のスパの前を通りがかったのだった。入り口の看板によると、タオルやシャンプー等は一式揃っているから手ぶらで入れるらしい。それに、ランドリーも完備で服を洗ってる間に身体も洗える、と。
……むむむ、そーいや、最近銭湯なんてあったか? 少なくとも、うちの近所には思い当たらない。となると、家に着替えとかを取りに戻っていたら、そこから銭湯のために改めて遠出しなくてはならないだろう。それは面倒くさい。
だったら――通りの人口密度から察するに、どうやら新歌舞伎町という街は日の出から午前中が最も静かな時間のようだ。この隙にさっと入って、さっと――服まで洗っていたらそうもいかないけれど。ともかく、まあ、うん。時は金なり、ということで。この寒い季節にあまり外をウロウロしたくない、というのが最も大きいが。
そんなわけで、建物に入ると階段で二階へ。上がった先にはタッチパネル式の料金所があった。そこで金を支払って――男性……はこっちか――シュっと磨りガラスの自動ドアが開き、俺は脱衣所へと足を踏み入れる。
カラフルな背中の大男が跋扈してたらどうしよう、とそこだけは本当に不安だったが、跋扈どころか無人である。あ、いや、人の気配はするので完全貸し切り状態とはいかないが――ロッカーの空き具合からみても、ほぼほぼ無人で間違いないようだ。
そんじゃあ、貸しタオルは……ふむ、まあ、二〇〇円程度なら良心価格だろう。ロッカーにしまう荷物といえば財布とかスマホとかその辺で、服は全部ランドリーに……ってこっちは高ェ!? ぐ、ぐ……足元見やがってぇ……! とはいえ、いまさら諦めて帰ることもできず……はぁ、これも必要経費か。
だったら、洗濯料金含めて元を取るくらいスパを満喫してやる! とかそんな意気込みで浴室の方に入ってみると――
うをっ、アフロ……!?
……あー、いや、室内は広いし綺麗だし、快適そうではあったんだが……唯一いた先客が……アフロ……だと……っ!?
ま、まぁ……髪型は個人の自由だが……アフロの人ってアフロのまま風呂に入るんだな……頭はどうやって洗うんだろうか……? そんなことを考え始めていたら……気になって仕方がない……ッ!
だが、ここは新歌舞伎町である。あのアフロも危険人物である可能性が高い。そうでなくてもジロジロ見るのは失礼だが。
と、いうことで……さり気なく相手と横並びの蛇口を陣取ることに。少し離れたところから……チラリと覗く。ワシワシと身体を洗っているが……まあ、そのへんはどうでもいい。重要なのは髪だ。髪をどう洗うのか。それだけに注目していたのだが……チッ、やっぱりそう洗うもんじゃないらしい。身体の泡を流し終えた後はそのまま浴槽の方へ。それで俺もさっと身体を洗って、同じように浴槽へと向かった。いまは浴室内とはいえ、外は寒かったので身体は冷えている。しっかりと湯船に浸かって身体を温めたい。
だが……何というか、混んでいる銭湯も落ち着かないが、ふたりきりというのも何だかな。あっちの男がいなければ独占できるのに、というよくわからん対抗意識も生まれてくる。この際だから、ヤツが出るまでこっちも出ないぞー……なんて下らない決意を固めたところで――ふむ、居づらいのは先方も同じだったらしい。ちょっとこっちに視線を向けて――ただ、ニコリと。俺と違って、別に敵対意志はないようだ。いや、敵対どころか、むしろ全面降伏の様相である。殊勝なことに、とっとと先に上がるべくアフロの方が浴槽から立ち上がった。
が――
――ん?
……え?
ん? ん? ん?
本来、見ず知らずの相手の身体を……それも股間をジロジロ見るものじゃない。だが――
上はモジャモジャアフロのクセに下の毛はツルリと綺麗に剃り落としているから――だが、それが逆に彫刻というか、現実味のないものに見えた。何故なら――そこにないから。男として、あるべきものが。
とはいえ、美術品のように省略されているわけではなく……綺麗な筋が一本切れ込んでいる。これは一体どういうことだ……? いや、可能性はひとつしかないのだけれど。だが、どうして……?
何が起きているかわからないまま、アフロ男は――いや、男でないどころか、そのアフロさえも偽物だった。まるでシャワーキャップのように外されたアフロの中から溢れてくる長い髪は艷やかで――
そんな……“彼女”が、俺の方へとジャブジャブ近づいてきて……! 俺はそれを見上げて――釘付けになっていて――何もできず、何も言えず、指一本動かすこともできず――
そして、彼女はこう言った。
「見るなら、こっちね」
俺の鼻先に下りてくるのは――胸――その先――左の乳首――そのまま抱きしめられてしまったら――薄い胸だと思っていたけど、ほんのりと柔らかさはあって――それで――
***
あー……俺、いま、自分でも信じられねーけど……女のコと隣り合って風呂に入ってるんだよなー……。
「――というわけで、しっかり温まってから出ようと思ってね」
「あ、うん、はい」
というわけで、というのはどういうわけかというと――
「ったく、こんな極寒の時期に『全裸生活』になっちゃうとかツイてないわー」
彼女は村月李冴といって、近所の劇場で踊り娘をしているらしい。とはいえ、ここは新歌舞伎町。ただの劇場ではなくストリップ劇場である。……まだそういうのあったんだな。
で、その劇場には『TRK26』というアイドルグループが所属しており……もちろん、ストリップ劇場のアイドルなので脱ぐようだが、そのグループの企画として、一ヶ月間全裸で生活することになったようだ。とはいえ、そういうときって家に籠もるとか、外に出るときは服を着るもんだろ。外出まで全裸って……警察、仕事しろ!
ああ、警察の仕事といえば、女子が男湯に入ってるのもマズイんじゃないか?
「……おっと、 あんま騒ぎにしない方がいいよね」
脱衣場の方の気配を察知して、李冴さんはタオルと一緒に置いていたアフロのウィッグを……慣れた手つきでひょいひょいと長い髪を中にまとめていく。そして、どこぞの爺さんがこっち側に入ってきたときには、すっかりアフロ男に戻っていた。す、すげぇな……その変身っぷりもそうだけど、度胸の方も。
「じゃ、そろそろ上がっとくわー。人が増えてきたらやりにくいし」
そう言って、今度はタオルの方を手に取る。
「あ、じゃあ、俺も……」
と同じように。だが……揃って股間をタオルで隠してるけど、俺にはあって、李冴さんにはないわけで。乳首についても、自分と比べてみるとその差は歴然だ。乳輪だって綺麗な色してるし。よく見たらバレそうなものだけど、同性の裸体をジロジロ見る男もそういないようだ。身体を洗い始めた爺さんの後ろを俺たちは堂々と退室していく。
そして、本来であればこれから着替えるわけだけど……李冴さんのロッカーにはスマホがひとつだけ。それも、黒光りするシブいやつ。そういうところからメンズ趣味なのか? いや、注目するところはそこじゃない。中には本当にそれしか入ってなかったってことだ。俺のように洗濯中ってことでなければ、本当に――
李冴さんの全裸生活は昨日今日始まったものではないようで……スマホの肩掛けストラップも、何だか板についている。この街ではスマホがあれば大抵のところで決済が済むからな。って、そういう問題でもないけど。
そして、改めてアフロキャップを外し……使用済みタオルをボックスへと放り込み……ここまではちょっと現実味がなかった。まさかな……と疑っていたところもある。出会い方が出会い方だったし。なので、そのままの李冴さんが出口の方へと向かっていくのを止める気にはならなかった。
そして、内側から自動ドアを開いても。
「ひっ、ひぇ~……やっぱヤバイほど寒いわ~……」
身を切るような冬の空気が流れ込んできて、同じ格好の俺もまた鳥肌を立てる。が、これからその中に飛び込んでいこうというのだから李冴さんの胆力も桁違いだ。とはいえ、来るときに身に沁みていたであろうこともあり、李冴さんの覚悟はすでに決まっている。グズグズすることなく靴を履き――タオルは使用済みボックスに放り込んでしまったのでもう隠すものはない。モジャモジャアフロで股間とか隠してたら絵面的に余計ヤバイし。かといって、スマホひとつではどうにもならず――開き直っているのか、むしろ女のコの割れ目まで堂々と。やっぱり髪が長いと女のコに見える。胸はないけど、何だかんだで身体の線は男のものではない。アフロで後ろ髪を誤魔化して男湯に入っていたからギリギリそう見えていただけで。だからきっと、いまの李冴さんは遠目でも女のコだろう。この、新歌舞伎町という危険な街で。しかもまだ午前中で、人はいっぱい行き来している時間帯だというのに。
そんな路上へと続く階段を前にすると、裸の李冴さんの異質さが際立つ。けれども、彼女自身はまったく自然に。
「そんじゃーねっ」
俺は少し期待していたのかもしれない。もう少し、李冴さんとの時間があるのではと。けれど、まったく怯む様子のない彼女の背中を見て、俺は思わず――
「あっ、最後に!」
こんな寒いところで引き止めんな、と李冴さんは眉をひそめるが、どうしても……もう会えないかもしれないから、これだけは、どうしても……!
「どうして……寒い中こんなスパに?」
風呂なら自分の家でも入れるはずだ。なのに、どうしてこの極寒の中を踏破してこんなところまで……? しかも、変装までして男湯に……!
これに李冴さんは、別段驚きもせず、ウインクをひとつ飛ばして。
「女のコは、見られるほど綺麗に育つからねっ」
そして――今度こそ駆け出していく。トントンと軽く響かせる足音は自動ドアによってピシャリと閉じられた。だからもう、俺に李冴さんを追うことはできない。そもそも服もまだ乾いてないし。
けれど、行き先は――どこへ行けば会えるかはわかっている。
「……TRK劇場……か」
次に会うのはステージと客席を隔てて……かもしれない。けど……一抹の不安はあった。
「……ステージでもアフロだったらどうしよう」
まあ、だとしても俺にはどうすることもできないのだが。




