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檜しとれ2

 夏休み限定のメイド喫茶――それが行楽地などならまだわかるが、よりにもよって新歌舞伎町とは。喫茶『歌舞伎館』――この街で『新』を付けずに歌舞伎町を名乗っている店舗は『歌舞伎町クライシス』――性産業に対する行きすぎた締付けによって、この街は一度滅んでいる――その前から続く老舗である場合が多い。その喫茶店も例外ではなく、だからこそ、古くからのコネクションを駆使して生き残ってきたのだろう。

 さて、そもそも俺はメイドにとりわけ執着があるわけではない。ただ、友人との飲み会に来たものの早く着きすぎてしまい、どこかで時間を潰そうと思ったところで――『新歌舞伎町+喫茶店』でググったらここが出てきただけだ。そりゃ、歌舞伎館なんて名前なら上位に来るだろう。期間限定のイベントをしていればなおさらだ。

 何かと物騒な街だけに、妙な安売りをしているところより広く話題になっている店の方が安心だろう。ということで、検索第一位の歌舞伎館へと俺はやってきた。メイド喫茶といえば、入店時の挨拶として『お帰りなさいませご主人さま』とか言われるものと思っていたが。

「いらっしゃいませ」

 ……普通だった。一応女性店員はメイド服ではあるが……いや、それだって特別なのか? 見れば、店の内装はシックで年季が深い。普段の制服を知らないが、案外メイド服っぽかったんじゃないか? だとすると俺は、ヘッドドレスをかぶっただけの薄っぺらい宣伝にまんまとやられてしまったことになる。だが、それもまた一興か。

 案内されたボックス席――メニューにも別段メイドらしいものはない。オムライスを頼んだら“恒例のおまじない”みたいなものをかけてくれたりするのだろうか。してもらっても仕方ないが。

 他の客の様子をさり気なく見回すと……俺がいうのも何だが、誰もがどことなく垢抜けていない。男率が高いのは街の性質によるものだろうが、もう少しこう……シンカブらしい装いというものがありそうなものだが。そのうえ、この雰囲気に馴染めていないのか、あからさまにソワソワしている。いや、堂々とした黒服だらけでも物騒なだけだし、こっちの方が遥かにマシか。

 注文はタッチパネルにて。この街は特に自動化が進んでいると聞いている。色々と事情はあるのだろうが……機械は嘘をつかない、ということなのだろう。あらゆる意味で。

 俺が頼んだのはホットコーヒー。アイスだと氷が溶けて薄まってしまうので、長居するには不向きといえる。外は暑いが中は涼しい。チビチビやりながら集合までの一時間をこの一杯で乗り切ろう。

 ということで、当然注文の品を急ぐ理由はない。むしろ、忘れてくれていても構わない。その間、店内を眺めながら今夜の話のネタでも見繕っておこう。新歌舞伎町に突如現れた秋葉原のような空間――何かひと悶着あってもおかしくない。

 すると――ざわっ――店内の空気が明らかに変わった。何事かと気にはなるが、あからさまにギョロつくのも格好が悪い。ということで、俺は動じない素振りを見せつつも――首を捻る必要のない範囲で様子を窺い――すると、注文の品がやってきた。

「お、お待たせしました……ホットコーヒーでございます……」

 そう言ってテーブルの上にカップを置くために軽く前屈みになっただけで緩やかに形を変えるウエイトレスメイドさんの胸――って、おいおいおいおい……マジか……!? 後方から近づいてきていきなりこれは……さすがに度肝を抜かれたぞ。何しろ……メイドさんが……おっぱい丸出し……!? スカートも……それどころかパンツさえ穿いておらず……下の毛も、丸出しで……! メイド服を着てなきゃメイドだってわからないだろ! という無粋なツッコミは必要ない。むしろ、メイドに関心のない俺にはこっちの方が大歓迎だ。

 ガン見したいのを堪えつつ――あまり堪えられていないかもしれないが――そんな不審な俺に、メイドさんは小さく一言、申し訳なさそうに。

「こ、このことは、他言無用でお願いします……」

 さっき見た店のサイトにも載っていなかったし、この“催し”は非公式かつ極秘なのだろう。

 引き返して戻っていくメイドさんの後ろ姿も……いや、ジロジロ見るものではないが、一応確認という意味で。ソファ席から身を乗り出してほんのりと覗き見てみると――プリンプリンと揺れるお尻――ま……マジか……。マジで……裸エプロンどころか……全裸接客……!

 俺は慌ててスマホで店舗のサイトを再確認してみる。確かに、期間限定メイド喫茶、とは書いてあって……営業時間の変更……メニューの変更……イベント価格……う、うん……書いてない……あんなメイドさんがいるなんて……!

 だが、どうやらここの連中はあらかじめ知っていたようだ。これまでゆったりしていた時間が一気に加速していく。止まることなく店内を行き来する着衣のメイド――そして、そんな中にひとりだけ全裸のメイド――! みんなが一斉に注文しているのだろう。どちらのメイドが来るかは運次第だが、誰かのテーブルに向かってくれれば……というか、フロアにさえ出ていてくれれば構わない。

 しかし……おそらくみんな注文はホットコーヒー――しかも、百円引きのおかわり注文。店側は利益が出ているのかいないのか。無駄に忙しくしてしまい――それでも最後の一線、直接手で触れようとするセクハラ野郎が現れないのは、ここが闇の街・新歌舞伎町だからだろう。余計なことをしでかせば、店の奥に連れて行かれて……なんてことになりかねない。

 なので、追加注文だけがメイドさんとお近づきになる唯一の手段。だが――俺はあえて自分のスマホを凝視していた。もちろん、裸のお姉さんを見たくないはずがない。だとしても――先程のぎこちない笑顔は少々痛々しいものがあった。もしかすると、何かの罰のようなものだったのかもしれない。だとしたら、これ以上辱めるべきではないだろう。

 俺は、それを武勇伝として胸の中に留めておきたい。この誘惑に俺の良心は打ち勝つことができたのだと。

 だが。

「おっ、お待たせ……しました……っ」

 なんと、全裸メイドさんとの二度目の邂逅である。だが……俺は何も頼んでいない。怪訝にスマホから顔を上げるも――一瞬で頬が綻んでしまう。いまでもその両胸は乳首の先まで剥き出しのままで――しかし、俺は紳士である。女のコの恥ずかしいところからはさり気なく視線を外して――

「いえ、注文してませんが……」

「ひぇっ!?」

 メイドさんは余程緊張していたのだろう。まあ、その姿だ。緊張しないはずがない。テーブルに起きかけていたコーヒーを慌ててトレイに戻そうとしたようだが焦るあまりソーサーからするりとカップごと滑り落ち――

「あッつッ!?」

 その瞬間は見えていたのだが、こんな座席では逃げようがない。いや、一応逃げようとはしたのだがテーブルの上の水溜りならぬコーヒー溜まりの広がりの方が速かった。

「もももっ、申し訳ありません、ご主人さまっ!」

 こんなときでも『お客様』ではなく『ご主人さま』とはある意味感心させられる。幸いズボンの方は軽症で済んだし、裸のまま拭き掃除をさせるのも忍びない。俺もペーパーナプキンで参戦した方が良いだろうか。しかし、下手に共同作業をしては――胸の膨らみが気にならないはずがない。


 その混乱の最中――


「あとは私が受け持つから、(みなと)はオーダーの続きをお願い」


 ――“彼女”は現れた。


「しとれ先輩……」

 ここまで俺は、このコの胸ばかり――後ろ姿のときはお尻ばかり見てきたが――新たに現れたふたり目の全裸メイド――彼女は――“完璧”だった。

 変な表現になるが――何故か視線が定まらない。頭頂のヘッドドレス――高く束ねられたポニーテール――首周りの白い襟チョーカー――肩は細く、それでいて胸は大きい。そして美しい。ツンと上を向いた乳首と、薄い肌をほんのりと染める桜色――お腹はおヘソまですっきりしており、下腹部に至るまで――見せる前提で、きちんと梳いているのかもしれない。下の毛もふわりと――それでいて、下地となる膨らみの割れ目は薄っすらと透けさせている。そのすべてを支える背筋はシャンと伸びており――全裸でありながら恥じることなく堂々としており――紛れもなくメイドだった。メイド服は着ていないけれど、メイド服姿の彼女が容易に想像できる。だからこそ――メイド服を着ていなくてもわかる。彼女はメイドであると。メイド服を脱ぎ、裸になったメイドさんなのだと。

 しとれと呼ばれた先輩メイドは大量の台拭きを持参しており、それをガバっと卓上に広げて一気にこぼしたコーヒーを吸い上げていく。それから、ソファの座面の方を。だが、布巾からすっと手を離し――(おもむ)ろに、俺のズボンのシミの上へ――

「大変失礼いたしました、ご主人さま」

 その指先が――ひどく淫猥に感じてしまい、俺はつい――ズボンの中で――。それを見透かしているかのような手つきで、スッ……とそこへと吸い寄せられるように――

「こちら、お詫びと致しまして――」

 狭いテーブルと椅子の間が、さらに狭く、そして熱を帯びていく。その熱気を、俺には遠ざけることなどできなかった――


       ***


 新歌舞伎町の圧力とでもいうべきか、幸いなことに俺たちにスマホを構える者はいなかったけれど――まさか、人前で“あんなこと”をしてしまうとは――いや、されてしまうとは……。だが、きっと客たちはしとれさんばかり観て、俺のことなど目に入っていなかっただろう。入っていなかったと思いたい。

 ズボンにこぼしたコーヒーは結局そのままである。先程のひと悶着をもって有耶無耶にされてしまったといっていい。

 だが……俺の気持ちの方は有耶無耶にはできず、ズボンのシミよりも深く刻まれてしまっている。

 これはもう……こんなの、今月いっぱいは歌舞伎館に通うしかないだろ……ッ! だが、シフトがわからない以上再び逢えるとは限らない。手がかりとなるのは、ドジっ娘メイドの方が呼びかけていた『しとれ』という名前だけ。……落ち着いたら検索をかけてみよう。『メイド』と『しとれ』で。

 これから飲み会だというのに……なんてこった……体力のすべてを吸い取られてしまった気がするぞ……? むしろ、飲み会で英気を復活させなくては……。

 何か土産話になれば、と思い入店してみた期間限定メイド喫茶だったが――少なくとも、友人らに渡せるような土産にはできなさそうだ。この気持ちは、俺だけの中に置いておきたい。


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