第ニ章Ⅶ
それから、私と百瀬川さんは。出発から十分もしないで――何故か私まで握手を求められながら――チラシを配り終えてしまった。
「どっ、どうしようか……」
まだ校内の半分も歩いてないのに……百瀬川さんの美貌は凄いなぁ……。
「とりあえず、教室戻る?」
私がそう提案すると。
「待って」
と、百瀬川さんははっきりとした声で告げる。
「……チラシは無くなっちゃったけど、看板はあるから。校内は、一周しない?」
少し、いつもよりぎこちない様子でそう言われ。
「そっ、そうだね……」
特に断る理由もなかったので、私は同意した。
それから、私達は校内を二人で巡るが。あまり会話をすることは無く、黙って二人で歩いているか。メイド喫茶への案内や宣伝で、通りすがりの人達と話したりしているうちに。あっという間に一回りが終わろうとしてた。
(もうすぐ教室に戻れるなぁ……ちょっとホッとしたかも)
やはり百瀬川さんと二人っきりは、まだちょっと居心地の悪さを感じてしまう。なので、他の人達の居る教室に戻れることに気持ちを軽くし始めていると――。
「――アレ? お前、千子か?」
聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
「あっ、七斗じゃん!」
私の名前を呼んだのは、幼馴染でお隣さんの大葉七斗。
「お前、本当に執事やってんだな!」
七斗は笑いながら、私を見てそう言う。
「うっさい! これでも女子に好評だったんだぞ!」
「へぇ~、やっぱ。お前、生まれてくる性別間違えたんじゃね?」
「んなこた、ちっちゃい頃から知ってるわ!」
無表情で私達を見つめる百瀬川さんを置き去りに、私はつい。いつものように七斗と話してしまう。
「アンタん所はお化け屋敷だっけ? 繁盛してる?」
私と百瀬川さんの居る場所は、七斗のクラスである一年三組の教室前で。そこには、血文字のように赤い絵の具で『井戸からの呪念』と書かれた看板が掲げられていた。
「ぼちぼちだな」
「ふーん。てか、アンタはお化けの仮装とかしないワケ?」
クラスTシャツに身を包む七斗に何気なく尋ねると、「俺は案内役」という返答をされる。
「中の装飾と衣装代に、経費殆ど持ってかれたからな……お化け役以外は、全員クラスTシャツだ」
「世知辛れぇ理由だな」
「お前の所は全員メイド服だっけ? あっ、お前以外」
「まあな。だからウチのクラス、クラT作ってないんだ」
全員でメイド服を着ることが決まった際、「全員メイド服なら、クラT要らないんじゃね?」となり。それなら、クラスTシャツの製作費をメイド服に回せないか……となって、まかり通ってしまったのだ。
「まあ、実際。本当に着なそうだから、無くて全然問題なかったわ」
「……お前らのクラス、なかなかに自由だな」
七斗の言葉に、私は心の中で「あー……確かに」と思った。
クラスメイトにクセの強い人多い上に、それに悪ノリしちゃうくらい融通利く人達ばっかりだもんな~。
「――そろそろ」
すると、百瀬川さんが私の服の裾をそっと掴んで。か細い声を紡ぐ。
「あっ、そうだね! そろそろ戻ろうか!」
「何だよ、もう戻るのか? ちょっとウチの出し物寄ってけよ」
ニヤつきながら引き止める七斗に、私は目を細めた。
「お前……私がこういうの苦手なの知ってて……」
そう……私はホラー系が大の苦手なのだ。
小さい頃から、私の兄二人はホラー映画や心霊番組が大好きで。テレビでやっていたら必ず観ていた。その余波で、私もそういう番組を目にしていまうことが多々あり。兄達よりも幼かった私は、子供心に強烈な恐怖心を多く植え付けられてしまったのだ。
高校生になった今でも、ホラー映画や恐怖番組は苦手だし――でも、兄達は私の前であろうと容赦なく観る――お化け屋敷なんて、もっての外なのである。
「学生の手作りお化け屋敷だぜ。お前でも大丈夫なんじゃね?」
「いやいやいや……てか、ほら。百瀬川さんも居るし、そろそろ戻らな――」
「少しくらいなら、良いと思う」
「百瀬川さん!?」
さっきは早く戻ろうって言ってたのに!?
「もっ、百瀬川さん……もしかして。お化け屋敷、入りたいの?」
私がおずおずと尋ねると。
「……もし、嫌じゃなければ」
百瀬川さんは私の服の裾を掴んだまま、上目遣いで――私の方が背が高いため、必然的にそうなる――告げてから。気恥ずかしそうに、視線を少し泳がせる。
かっ、カワ……!! こっ、こんなの……断れるワケがない!! きっと校内一周して色んな出店見たから、百瀬川さんも遊びたかったんだろうなぁ。
「じゃっ、じゃあ……ここだけ、寄り道して行こっか」
私がそう言うと、百瀬川さんは嬉しそうに少し顔を綻ばせてコクリと頷いた。カワイイ……!!
「おっ、サンキュー! じゃあ、二名様ご案内~」
愉快そうに声を上げる七斗に連れられて、私と百瀬川さんは一年三組の教室へと入っていく。
「じゃあまずは、このお化け屋敷の説明をすんぞ」
「えっ!? 説明とかあんの!?」
「おう、一応。設定付けてんだ」
なんか本格的だぞ!?
「この学校にはな……大昔に封印された井戸が存在するんだ。何故封印されたかって? そりゃあ勿論、閉じ込めたいものがあったからさ」
七斗は仕事モードになったのか、いつもの様子とは全然違う雰囲気でお化け屋敷についての説明を始める。
暗い室内と、七斗の話し方に引き込まれ。私は固唾を飲みながら、彼の話しに耳を傾けた。
「この場所には元々、金持ちの屋敷が建っていたんだが……一族郎党全て、一人残らず不可解な死を遂げ。断絶したんだ」
設定が結構凝ってるぞ!?
「何故、そうなってしまったかって? ……それはな。屋敷に仕えていた、一人の女中が原因だったそうだ」
その女中は、屋敷の主人が愛人との間に儲けた子供で。母親が亡くなってから父親に引き取られたそうだ。
しかし、一応は大黒柱の娘であるにも関わらず。彼女は女中として、毎日仕事を押し付けられ。休みも給金も無く働かされていたという。
しかも、それだけには飽き足らず。主人の本妻と、その子供達に毎日のようにいびられ。時には虐待をされていたのだ。
「そんな辛い日々が続いていたある日。本妻の娘が、女中を階段から突き飛ばしたんだが……」
いつもの悪ふざけで突き飛ばしただけだったその行為は、しかし。ただの悪ふざけでは済まなかった。
娘が女中に声を掛けるが、彼女は起き上がる気配もなければ。ピクリと動く様子もない。
最初は、女中が自分を騙そうとしているだけだと思い。娘は乱暴に彼女を起こそうとするが、女中の頭から大量の血が溢れてきたことで事態の異常に気が付き。顔を青褪めさせた。
「それから、娘は慌てて母親に泣きつき。母親は、他の子供達や従者に命じて。女中の死体を井戸に放り投げたそうだ……女中が死んだのは予想外の事態だったが、目障りな愛人の子供が居なくなったことに清々した母親は。これで万事解決、そう思っていたが――」
そう言葉を切る七斗の言葉を、私は身体を緊張で強張らせながら待つ。
「実は女中は……井戸に放り投げられた時、まだ死んでいなかったんだ」
彼女は階段から落ちた時、血を流して気絶していただけだったのだ。
それなのに、母親と娘達は息をしているかも確認しないで。女中を井戸へと投げ捨てた。
「女中は井戸の中で意識を目覚めさせ、身体を冷たい水に沈めながら。自身から流れ出る血で、井戸の内壁に憎悪を込めて呪いの言葉を書き綴った」
その命が続く限り……自身の指先が届く範囲全てに、「口惜しや……」と思いながら。ありとあらゆる、自分の知る限りの呪いの言葉を書き連ねていったのだという。
「それから、女中が井戸に放り投げられてから一ヵ月もしない内に。娘は何かに怯えるようになり、部屋から一歩も出られなくなった」
美しく着飾っていた髪も装いも乱れ、顔はやつれて日に日に生気を失っていき。まるで老人のように老け込んでいったという。
「死ぬ間際、娘は『ごめんなさい……ごめんなさい……もう、許して……』と泣きながら息を引き取ったそうだ」
それから、他の兄弟達も次々と謎の不可解な死を遂げていき。続いて、屋敷に仕える者達。そして、屋敷の主人が死に。最後には、本妻ただ一人になったという。
「本妻以外、誰も居なくなった屋敷は荒廃し。今までの栄華は見る影も無い中で、彼女は一人狂ったように包丁を振り回しながら叫び続けていた」
“此処は私の家だ!! お前なんかに……お前達なんぞに、渡して堪るかぁぁあああああ!!”
「その様子を目撃した近隣の者達は、ワケが分からなかったそうだ……何故なら、屋敷には彼女一人の姿しか居なかったのだから」
暫くして、その本妻が死んでいるのが見つかった。場所は、井戸の中だった。
「本妻は井戸に落ちてから、暫く生きていたようで。井戸の中から這い上がろうと、指先から血を流し、爪が剥がれるまで井戸の内壁を引っ掻いていた痕跡が見つかったんだ。女中が残した恨みの言葉達と、重なり合った状態でね」
こうして、屋敷から人は誰も居なくなったという。
「住人が居なくなり、程なくして屋敷が取り壊された。しかし、その場所は人死にのある事件事故が絶えなかったそうだ。そこに、高名な霊媒師がやって来て井戸を見てみたところ。強力な呪いによって、この井戸に多種多様な悪霊が引き寄せられていることが判明した」
そこで、霊媒師は井戸を封印した……という、ことらしい。
「けれど、この封印……呪いの力が強すぎて、精々三百年くらいしか持たないそうで。段々と井戸から呪いの力が漏れ出し、悪霊が徐々に引き寄せられて。井戸の封印は解けてしまうそうなんだ」
私はそこで、唐突に嫌な予感がした。
「なので! 皆様には、井戸の封印が解かれてしまう前に。この封印の力を強めてくれるお札を、井戸に貼りに行って頂きます!」
やっぱりー!! そうだよね、そういう感じの設定だよねっ!!
「井戸に向かう道のりには、井戸の呪いに引き寄せられた悪霊達がひしめいています。頑張って下さいね!」
「ちょっと!! 最後雑!!」
うぅ……けれど、ここまで来たら後には引けない……しかも、今は百瀬川さんと一緒なのだ。私がリードして、彼女を守らなければ……!!
「千子、お前大丈夫かよ? ウチのお化け屋敷、オカルト研究会のホラーマニアが陣頭指揮取ってるから思ってるより結構本格的だぜ?」
「おまっ……さっきは『学生の出し物だから、お前でも大丈夫だろ』とか言ってただろーが!!」
「そうだったか? んだよ、ビビってんなら俺も一緒に行ってや――」
「結構です」
私を揶揄う調子で言った七斗の言葉を、百瀬川さんが遮る。
「大丈夫。私がずっと、傍に付いているから」
優しく、私を安心させるように告げた百瀬川さんの言葉に。思わず一瞬、胸が高鳴った。
うっ……本当なら、私が百瀬川さんを守らないといけないのに申し訳ない……。
「行きましょう」
百瀬川さんにそっと腕を引っ張られ、私達はお化け屋敷の本陣へと続く暗幕の入口へ歩を進め出す。




