最終章Ⅵ
副委員長の言った通り、百瀬川さんは教室にまだ残っていてくれていた。
「あっ、千子ちゃん……」
気まずそうな表情で、百瀬川さんが小さく私の名を呼ぶ。
「私、あの――」
「ちょっと待って!」
私は百瀬川さんの言葉を遮り、自身の席へと足を進める。
呆然とする百瀬川さんを置き去りに、私は鞄の中からピンクの包装袋に入れたチョコを取り出し。
「……約束の、私が作ったラズベリーとチョコのお菓子」
百瀬川さんへと差し出した。
「約束、って……あっ! イヴの時の!」
「いや、百瀬川さんが忘れないでよ!」
百瀬川さんの反応に、私が苦笑すると。
「……ありがとう。けど、私……また、何も用意してなくて……今日がバレンタインって事も、すっかり忘れてて……」
と、決まりが悪そうに言う。
「別に良いよ」
「けど――!」
すると、百瀬川さんは少し苦しそうに。
「私……千子ちゃんから、貰ってばっかり……」
そう、溢した。
「……そっか。私、百瀬川さんに。ちゃんと色々、あげられてたんだ」
彼女の言葉に、私は自然と。嬉しい気持ちを滲ませながら、そう告げた。
「百瀬川さんはさ。美人で頭も良くて、絵もすっごく上手で男子にもモテて。何でも出来ちゃう凄い、私なんかがお近づきになってるのが恐れ多い人で――」
「そんな事無い!」
百瀬川さんは強い声で。
「勉強なんて、別に得意ってわけじゃないし寧ろ嫌いだし……美人って言われるけど、そんなの。パパのハーフ顔が入ってて、物珍しさから評価されてることだと思うし……千子ちゃんは何でも出来るって言ってくれたけど、お料理苦手だし、お菓子作りも三田村さんに教えて貰っても全然上手になれないし……それに……男子にモテても、全然……嬉しくない……だって……だって、私は――」
必死でそう言葉を紡ぎ。
「私が、私のこと好きになって欲しいのは……千子ちゃんだけだもん!」
涙を溜めて、瞳を揺らしながら。そう告げた。
刹那、私は百瀬川さんへと一歩踏み出し。彼女を強く抱き締めた。
それは、衝動的で。理由を述べる前に、咄嗟にとってしまった行動だった。
「千子ちゃん……私、千子ちゃんの事が――」
好き。
最後に一言、そう呟かれた言葉は。
「 」
遠い記憶の、曖昧だった部分に鮮やかな色を放つ。
「 好 き 」
ああ……あの時、初めてのキスを交わしたあの日。彼女は、自分の想いをちゃんと言ってくれていたんだ……ただ、私が目を逸らしていただけだったんだ……。
「私……私は……」
軽はずみな衝動で、彼女に適当な事を言ってしまわないように。私は一度、息を整えてから。百瀬川さんと視線を合わせた。
「私は、正直……百瀬川さんのことをどう思っているのか、まだ良く分からない」
でも……。
「百瀬川さんは、私にとって……一番特別で、大切な存在なんだと思う」
それが、“恋”とか“恋愛対象”なのか……誰かをまだ好きになったことの無い私には、判断が難しかった。
「百瀬川さんと恋人になりたいかどうか……それは、ごめん。まだ、良く分からない……」
私と百瀬川さんは、小学六年生の時に同じクラスであった半年程しか深い交流をしていない。高校生になった今も、まだ同じくらいの期間しかちゃんと共に過ごせていないのだ。だから――。
「私が今言える確かな気持ちは……一緒に、これからをいっぱい百瀬川さんと過ごしたい!」
まだ二年もある学校生活を、百瀬川さんの隣に気兼ねなく居て一緒に過ごし。楽しみを分かち合いたい……それが。
「私の、答えと気持ち」
優柔不断で、ごめんね……と、私が告げる。
すると、百瀬川さんは私の首元に顔を埋め。
「……良いよ」
と、耳元で囁いた。
「けど……それなら私、絶対に千子ちゃんのこと諦めない」
こそばゆく、不思議な感覚が私の耳から全身に。微かな甘い痺れを伝染させる中。
「絶対に――私のものにしてみせるから。覚悟しておいてね?」
百瀬川さんの妙に艶めいた甘い声が、さらに私の鼓動を強くさせた。
「おっ、お手柔らかに……お願い、します……」
「イっ、ヤっ!」
満面の笑顔で拒絶されるも、何となく嬉しくておかしくて……私も笑いながら、強く抱き着いてきた百瀬川さんの背中に回す手の力を強めた。
この先、私達がどういう選択を重ねて。どういう生き方をしていくのか……正直、まだまだ全然実感の沸かない遠い未来のことすぎて分からない。
だから、今は目の前の今日を。先のことは明日、百瀬川さんに会ったら「おはよう」と挨拶することを考えながら。毎日を積み重ねていこう。
これから、大人になって同じ道を歩み続けるとしても……もし、別々の未来を選ぶことになったとしても。きっと、今。私と百瀬川さんが一緒に居られる、この些細だけど大きな奇跡の思い出達が。これから先、長い人生を歩み続けられるよう。沢山の幸福で、私達を満たしてくれているはずだから。




