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第一章

私と百瀬川姫苺さんが出逢ったのは、小学六年生の時だった。

夏休みが終わり、二学期が始まった日。彼女が転校生として、私のクラスにやって来たのだ。

海外からの帰国子女、というだけで同級生達の関心は高まったが。さらに、日本人離れした相貌の美少女が来たとなれば。私達の興奮はさらに大きくなった。

しかし、彼女はとても大人しく口下手な性格で。最初こそは、男女問わず様々な人に囲まれていたが。皆、口数の少なく表情の変化も乏しい彼女への興味は段々と薄れていき。百瀬川さんは一人で居ることの方が増えていった。


「――百瀬川さんって、絵。上手だよね」


そんな彼女と、私が交流を持ち始めたのは。ほんの些細な切っ掛けだった。

授業で描いた百瀬川さんの絵が、あまりにも繊細で美しくて。思わず、何気なくそう声を掛けてしまったのだ。

私がそう言うと、彼女はどう反応をしたら良いのか困惑しているようで――高校生になったら、あんなに強靭なメンタルになるなんて、この時には全く想像できなかった――視線を泳がせていた。


「色とか、すっごく綺麗!」


百瀬川さんの絵は、学校の花壇を描いたもので。色とりどりの花達が、水彩絵の具によって美しく紙面の中で咲き誇っていた。

他にも、花壇の花を描いている人達はいたのだが。百瀬川さんの絵が、断トツに私へ感動を与えた。


「……に」


耳を澄ませると、百瀬川さんのか細い声が聞こえてくる。


「……絵。お母さんに、教えて貰ったの……」

「へぇー! 百瀬川さんと、百瀬川さんのお母さん凄い!」


何気なく、特に何も考え無しに。私はただ、思ったことを言う。

すると、百瀬川さんは一度少し驚いた表情をしてから。ほんのりと頬を赤らめて嬉しそうに、その美しい相貌に微笑を象ってくれたのだった。

それから、私と百瀬川さんは良く遊ぶようになり。授業の二人一組の相手は、常に百瀬川さんになった。


「百瀬川の名前ってさ、“姫苺きいちご”だよな!」


ある日、クラスの男子に。百瀬川さんが揶揄われる事態が起こる。


「やーい、きいちご! きいちごー!」と愉快そうに言う男子の後頭部を、私はバシンッと叩き。


「バカ七斗ななと! 百瀬川さんイジメんな!」


と、牽制したことがあった。

その時の百瀬川さんは、暗い表情で俯いており。高校生になったら、おっかない先輩女子達相手に毒舌嫌味攻撃を展開するなど全く想像すら出来ない。か弱いお姫様だと、私は思っていた。


「またあのバカや、他の男子に変なこと言われたら言ってね! 私が張り倒してあげるから!」


元々、私は良く男子に混ざってドッチボールだ野球だサッカーだ。運動場で駆け回っていた性分なので、男子と無遠慮に話したり小競り合いするのも日常茶飯であった。なので百瀬川さんを守るために物申したり手を出すなど、朝飯前であったのだ。

だから、きっと。私はこの頃、百瀬川さんというお姫様を守る騎士ナイトの気分にでもなっていたのだろう。可憐な姫君には、私が付いていなければ……なんて、分不相応なことを心の何処かで思っていたのかもしれない。

多分、私は……百瀬川さんの事を、“友達”だと思えたことがない。

自分のような、地味で女の子っぽくないガサツな者が。百瀬川さんのような美しい人と、対等な立場の関係性になるなどおこがましい。私は、彼女を守護する騎士……も、おこがましいなあ。きっと頑丈な盾くらいの存在だろう。

しかし、無意識に心の中で百瀬川さんとの距離を取りながらも。彼女は私に気を許してくれていたのか、どんどんと一緒にいる時間が増え。長くなっていった。

そして、小学六年生の冬休み。日付はクリスマスイヴに、彼女の家へと招かれることとなってしまう。


(きっ、緊張する……)


可憐なお姫様の家は、その容貌に似合う居城……では流石になかったが、大きくオシャレな一軒家だったのだ。

内装も、自分宅より遥かに広く。調度品はシンプルで、必要な物だけが置かれていた印象であったが。それがオシャレで、余裕のある生活感を強く思わせた。

場違いな居心地に、最初こそリラックスなど出来ずにいたが。出迎えてくれた百瀬川さんのお父さんと、百瀬川家の家事を担う家政婦の三田村さんは私のことを温かく歓迎してくれて。その日のクリスマスイヴは、とても楽しい思い出となる。


それから、私は百瀬川さんの家によくお邪魔させて貰うようになった。

厚意に甘え過ぎているのではないだろうか……と、思いながらも。百瀬川さんに「今日、三田村さんがケーキを焼いてくれるって言ってたんだけど。良かったら、千子ちゃんお家来ない?」と誘われてしまうと、つい笑顔で「良いの!? 行く!」と勢い良く答えてしまうのだ。

そんな他愛ない日々が続く中。寒さのまだ厳しい三月に、私達は小学校を卒業した。

とはいっても、私も百瀬川さんも地元の公立中学校への進学であったため。離れ離れになるという訳でもなく、今まで通りの関係がこれからも続くのであろう……と、私は思っていた。


春休みの、“ある日”までは。


その日、私は。中学校入学前に出題された課題を、百瀬川さんの家で行っていた。

それは大変面倒な作業ではあったが、量はそれほどではなかったのと。頭の良い百瀬川さんと二人で取り掛かったので、全く苦にはならなかった。

早々に終わらせると、突然。百瀬川さんが。


「千子ちゃんって、いつも男の子みたいな服装してるよね? ズボンばっかりで、スカート穿いてるの見たことない」


と、不思議そうに言った。


「ああ、私の服。全部、お兄ちゃん達のお下がりだから」


百瀬川さんの質問に、私はなんてことない風に答える。

私には、兄が二人いて。私の服は、最初に親から買い与えられた長兄が着て。次兄に下げ渡され、さらに私へと引き継がれた物なのだ。


「女の子なのに、お兄さんの服着てるの?」


その辺に関しては、庶民の困窮する事情が大きく深く関係しているのだが……。


「まあ、私にスカートとか可愛いお洋服は似合わないし!」


私は少し誤魔化すように、明るく百瀬川さんに言う。

確かに、幼い頃は白やピンクの可愛らしいワンピースに憧れを抱き。買って欲しいと駄々をこねていた時期があった。

勿論、両親は簡単に買い与えてくれたりはしなかったが。小学校低学年頃の誕生日に、私が欲しがっていたフリルの付いたピンクのワンピースをプレゼントしてくれたのだ。

嬉しくて、開けてすぐに着てみたのだが……。


「なんか、あんま似合わなくね?」

「千子っぽくねーよな」


と、兄二人に無慈悲にも言い切られてしまう。

けれど、私自身。自分がワンピースを着た姿を鏡で見ても「可愛い」とは全く思えず、兄達の言葉に同意であった。

それから、私は女の子らしい洋服をねだることは無くなり。唯一のワンピースも、一度だけ着用してからは箪笥たんすの中に仕舞われ続け。あっという間に服のサイズを私の身体が追い越し、二度と袖を通すことも叶わなくなったのだ。


「それに、ドッチしたり野球するならズボンの方が動きやすいし。お兄ちゃん達の服、もうすでにボロいから汚しても何も気にならなくて楽なんだ!」


百瀬川さんに言ったその言葉は本当の気持ちではあったが、きっと半分くらいは強がりであっただろう。

ヒラヒラとしたスカートも、リボンやレースのあしらわれた可愛い洋服も。私にはきっと、一生似合うことはない。私も、百瀬川さんのように恵まれた見た目だったらなあ……なんて、心の中だけでほんの少し妬んでみたりした。


「……と、ない」


すると、百瀬川さんがか細く小さな声を紡ぐ。


「そんなこと、ないよ!」


続いて、今度ははっきりと大きく告げられる。いきなりのことに、私はビクッと身体を跳ねさせてしまった。


「千子ちゃん、可愛いお洋服絶対似合うよ!」


いつもの大人しく、弱々しい可憐な花のような百瀬川さんからは想像出来ない声が響く。


「あっ、そうだ! 私の服。良かったら着てみない?」

「えっ?」


突然の意外な申し出に、私は驚き過ぎて何と返答したら良いのか困惑してしまう。

百瀬川さんはいつも、オシャレな洋服店の店頭にディスプレイされていそうな可愛らしいフェミニンなワンピースやスカート、ブラウスを着ており。それはどれも、ちゃんと彼女の魅力を引き立たせるのに一役も二役も買っていた。

つまり、百瀬川さんの服は“百瀬川さんだから似合う”のであって。私のような平民が着たところで……。


「だっ、大丈夫だよっ!! そんな……悪いしっ!!」


百瀬川さんの服に汚点を刻んでしまう……!! そう思い、私は慌てて断るが。


「どうして?」


と、霞みがかった空のような色の瞳が。少し揺らめきながら、真っ直ぐに私へと向けられてしまう。


「千子ちゃん、絶対似合うと思うのに……私、千子ちゃんの可愛い恰好。見てみたい……」


絶世の美少女に、憂い気にそんなことを言われてしまっては。断固拒否など、到底出来るはずもなかった。

仕方なく、私は百瀬川さん曰く。「これ! これ、千子ちゃんに絶対似合うと思うんだ!」と、オススメされたワンピースに袖を通させて貰うことになったのだ。

私が着替えをしている間、百瀬川さんは何故か廊下に出て待つことになり。彼女の広い自室で、私は落ち着かない気持ちで。しかし、他人の服なので丁寧な動作で着替えを始める。

普段は男の子用のお下がりを着ているため、雑かつ乱暴に着脱をするのだが。今回ばかりはそうはいかないので、いつもより少しだけ時間が掛かったように感じる。

何とか着替え終わり、百瀬川さんの部屋にある鏡に自身を映す。

そこには、見慣れた冴えない顔の自分が。分不相応な洋服に“着られている”様が、無様な程に容赦無く映っていた。

こんな姿、百瀬川さんに見せたくはなく。今直ぐにでも脱いでしまいたかったが、先程の彼女の表情と台詞を思い出すとそうもいかず。私は、扉の前にて待つ百瀬川さんへと声を掛ける。


「着替え、終わったよ」


気恥ずかしさで、少し上擦った声になってしまいながらも。そう言うと、百瀬川さんは軽く返事をしてすぐに部屋と入って来た。


「ご、ごめんね!! やっぱり、私、全然似合わな――」

「可愛い……」


慌てて取り繕うように告げた言葉を、真っ直ぐに澄んだ声が遮った。


「やっぱり……絶対、千子ちゃんに似合うと思ってたんだ」


優しい眼差しで、嬉しそうな色を表情と声に滲み込ませて。


「すっごく、可愛い」


百瀬川さんは、そう言った。

そう言った百瀬川さんが、あまりにも美し過ぎて。私は思わず、彼女に続ける言葉を見失ってしまう。


「やっ、その……」


どう反応を返したら良いのか……停止してしまっていた思考を起動させ、混乱する脳で口を動かし始める。


「そ、そんなっ!! 気、遣わなくって大丈夫だよ!! 似合わないの、自分が一番分かってるから!!」


私は、百瀬川さんのような類まれな容姿ではない。寧ろ、男の子の洋服の方が自他共にしっくりと来る“女子モドキ”なのだ。似合っているワケが無い。


「嘘なんかじゃ、ない……」


すると、百瀬川さんは真面目な顔で。私へと歩み寄り始める。

彼女の美しい瞳が私を射抜き、まるで視線で絡めとられてしまったかのように身体が硬直した。


「本当に……本当に可愛いよ、千子ちゃん」


そう告げた百瀬川さんの声は、十二歳の少女とは思えない程に艶っぽく。私を映す双眸は、全身を溶かされてしまうのではないかと思わせるくらいに熱を帯びていて――。


「  」


微かに紡がれて上手く聞き取れなかった言葉に意識が向いた刹那、百瀬川さんの両掌が私の頬にそっと触れ。次の瞬間には彼女の整った顔が、眼前に広がっていた。

そして、唇に触れる柔らかく温かな感触に気づく。

今、自分が百瀬川さんとキスをしている――そう認識をするのに、少し時間が掛かった。

状況を理解し、私が混乱し始めると。百瀬川さんは唇を離し、赤くなった頬で私を再び見詰める。


「千子ちゃん、私……」

「あっ――あっ! そっか!」


百瀬川さんが言おうとした言葉を遮り、私は混乱した頭のまま。口を動かす。


「あっ、アレだよね! 今の、海外的な!」


整理出来ぬまま、乱雑な言葉が声に出されていく。


「海外では、キスは挨拶だもんね! さすが海外育ち! けど、日本人はビックリしちゃうよ!」


あっ、そうそう! と、私は勢いに任せて続ける。


「お洋服、ありがとね! やっぱり、こういう可愛い服は落ち着かないや……」


言いながら、私は百瀬川さんが貸してくれた服を脱ぎ始めた。


「あっ、待って!」


慌てた様子で制止を掛け、私から目を逸らした百瀬川さんに。


「だっ、大丈夫だよ! 女の子同士なんだし。ほら、体育の着替えと一緒一緒!」


と、軽く少しだけ不自然な明るい笑みを浮かべて告げた。


「……でも」


沈んだ表情で、困った様子の百瀬川さんは。ふと、テーブルへと視線を落とし。


「……私、三田村さんに紅茶。貰ってくる」


と、告げて。テーブルに並んでいたティーポットを持ち、再び部屋から出て行った。

私はその行動に、申し訳なさを抱きつつ。どこか、安堵した。

上手く自分の中でも理解は出来ていなかったが、百瀬川さんと二人で居ることに。居心地の悪さを感じてしまっていたからだ。

それから、早々に着替えをした私の所に。温かな紅茶の入ったティーポットを携えて、百瀬川さんが戻ってくる。

けれど、その紅茶を一杯だけ頂くと。私はいつも彼女の家に居座る時間よりも早めに帰宅した。それがひどく不自然な行動であったことは、自分でも呆れるくらいに分かっていた。


帰り道を歩きながら、私はふと。自身の唇へと、意識を向ける。

そっと上唇を、下唇へと被せてから。舌を這わせた。舌先が、唇に残っていた味覚を私へと伝達する。

それは、先程飲んだ紅茶の味ではなく。おやつに百瀬川さんと一緒に食べた、三田村さん手作りのラズベリーチョコレートケーキの味だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 姫苺ちゃんは千子ちゃんの男の子っぽさではなく女の子としての可愛さに惚れてるのが良いですね!
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