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第三章Ⅶ

三田村さん特製のラズベリーチョコケーキを頂いてから、私は百瀬川さんのお父さんに車で自宅まで送って貰うこととなった。


「すっ……すみません、いきなり押し掛けて来て。しかも送って頂くなんて……」

「全然! とっても楽しいクリスマスパーティーになったからね。寧ろ来てくれてありがとう、千子ちゃん!」


玄関に向かいながら、百瀬川さんのお父さんにそう言って貰い。社交辞令だとは理解しつつも、嬉しい気持ちが胸にじんわりと広がっていく。


「私も……千子ちゃんとクリスマスイヴ過ごせて、嬉しかった」

「私もよ。良かったら、また来年も遊びに来てね!」


見送りに来てくれた百瀬川さんと三田村さんも、私に優しい言葉を掛けてくれた。さらに喜びを噛み締めつつ。玄関にて靴を履いていると。ふいに、靴箱の上に飾られていた写真立てに惹かれてしまう。


「本当に、綺麗な方ですよね……」


そこに写っていたのは、艶やかな長い黒髪の。優しく微笑む、優しそうな女性。


「百瀬川さんのお母さん」


百瀬川さんのお母さんは、純粋な日本人なので。百瀬川さんと相貌が瓜二つかというと、そういうわけではないのだが。


「すっごく上品な雰囲気が、百瀬川さんにそっくり」


写真でしか知らない女性に、私は百瀬川さんの面影を垣間見ていた。

百瀬川さんのお母さんは、彼女が小学六年生の頃に病気で亡くなったそうだ。

病弱だった百瀬川さんのお母さんのために、百瀬川さんのお父さんは家族で海外に住み。治療と療養に尽くしていたそうなのだが結局、結果は悲しいものとなってしまったという。

美人薄命って、きっと。こういう人のこと言うんだろうな……などと、少々不謹慎なことを考えていると。


「千子ちゃん」


百瀬川さんが、私の名を呼んだ。

彼女へと顔を上げた瞬間、百瀬川さんの腕が私へと伸ばされ。そして、抱き締められる。


「えっ!? どっ……えっ!?」


急な出来事に、思考が全く追い付かない!!

どっ、どうしたんだ!? なんか私、変なこと言った!?


「……ありがとう」


耳元で紡がれた微かな声。

そこには、何か……何か、深い苦しみのようなものを感じた気がした。


「百瀬川、さん……?」


名前を呼ぶが、彼女は私のことを力一杯抱き締めるだけで何も答えを返してくれない。


「ほら、姫苺。そろそろ離してあげないと、千子ちゃん、帰れなくなってしまうよ?」


見兼ねた百瀬川さんのお父さんが、優しく彼女に言う。


「……じゃあ、家に泊まって貰う」


しかし、返ってきた言葉は予想外な提案だった。

いや、それは流石にちょっと……。


「姫苺、ワガママを言って千子ちゃんを困らせちゃダメだよ?」


百瀬川さんのお父さんが尚も優しく諭すが、なかなか百瀬川さんは私を離してはくれず。彼女の説得には、私と三田村さんも含めた三人がかりの大仕事となり。暫くして、ようやく観念した百瀬川さんは私を解放してくれた。


「……またね、千子ちゃん」

「うん、またね!」


次は年明けの新学期かな? と思いながら、私は百瀬川家の玄関を出て。百瀬川さんのお父さんの車に乗せて貰う。


「……ごめんね、千子ちゃん。娘が、君に甘えてしまって」

「いっ、いえ! 正直、ビックリはしますけど……でも、嬉しいので……」


百瀬川さんにとって特別に親しい人間になれている……と、感じられるから。

まあ、私が勝手に思っているだけかもだが。


「姫苺の母親はね、本当は……僕の結婚相手ではなかったんだ」

「えっ?」


百瀬川さんのお父さんは、車を発進させながら。突然、そんなことを言い出した。

えっ、なんで。今、そんな……というか、私にそんな話を?


「僕は元々、姫苺の母親の妹との縁談話が持ち上がっていてね。僕の両親も、華やかな見た目の美人だった彼女を大層気に入っていて。そのまま、話を進める予定だったんだが……」


百瀬川さんのお父さんは、少し苦しげに目を細め。


「僕はどうしても、彼女を好きになることが出来なかったんだ」


そう告げた。


「そんな時、姫苺の母親に出会ってね。千子ちゃん、君は彼女を『綺麗な人』と褒めてくれたけど。周囲の人達は、彼女の妹と比べて地味で見劣りすると過小評価をしていたんだ」

「そう……なんですね」


それは……。


「その人達の目は、節穴だったんですね」


周りがどう言おうと、私の百瀬川さんのお母さんに対する印象は何も変わらない。

とっても綺麗で優しそうな人……会ったことが無いにも関わらず、私はそう思った。


「百瀬川さんのお父さんは、ちゃんと見る目があって良かったです」

「えっ?」

「だって、好きになったんですよね? 百瀬川さんの、お母さんのこと」


私がそう言うと、百瀬川さんのお父さんは一瞬。きょとんとしてから。


「ハハハハハッ!」


と、声を上げて笑い出す。


「そうか……うん、そうだね。僕は、派手で他人と自分を比べては見下していた彼女の妹より。いつでも他人への気遣いと慈しみを忘れない、姫苺の母親のことが好きになった」


それから、真剣な声で。


「これからの人生を一緒に生きていくのは、この人が良いと……そう思ったんだ」


と、告げた。

その表情はとてもカッコ良く。きっと百瀬川さんのお母さんへ向けた顔も、こんな風であったのだろう……と、私は思った。


「けど、両家では大反対の嵐でね。説得には苦心したな……元婚約者だった彼女の妹にも、散々嫌がらせをされたっけ」

「なっ、なんか……おっかない恋愛ドラマみたいですね……」

「うん、昼ドラみたいだったよ」

「ひるどら?」

「あぁ、今の若い子は知らないか」


アハハハッ、と。百瀬川さんのお父さんは再び笑い出す。

ひるどらって、何だろう?


「まあ、とにかく。茨の道だったんだけど、何とか結婚まで押し切ったんだ。あまり祝福はされなかったけどね……結婚してからも、姫苺の母親への風当たりは変わらなかったし」


アレかな? 「この泥棒猫が!」みたいな事とか言われてたのかな?


「千子ちゃんは、姫苺の母親の絵を見たことがあるかい?」

「はい! あります!」


昔、遊びに来た時に。百瀬川さんに何枚か見せて貰ったのだ。

その色彩は百瀬川さんの絵の描き方を彷彿とさせ、百瀬川さんがお母さんの影響で絵を描き始めたんだと強く実感したのを覚えている。

ただ、百瀬川さんとお母さんの絵には少し違いがあって。お母さんの絵は、淡く儚い色合いで。美しいのだけれど、どこか寂しい気持ちになってしまうところがあり。百瀬川さんの絵には、はっきりとした色使いで。描かれているもの達に存在感を与える、生き生きと力強い印象を抱いていた。


「姫苺の母親は、趣味でずっと子供の頃から絵を描き続けていたんだけど。両親や周りの人達に『お前が絵を描いたところで、一銭の価値も生まないのだから。意味の無いことはやめなさい』と、良く言われていてね。それだけじゃなく、母親に教えて貰って。同じように絵を描き始めた姫苺にも、心無い言葉を言った親戚が居たようなんだ」


それは、とても辛く衝撃的な事実であった。

百瀬川さんにとって、絵を描く事がどれだけ好きで大切なことなのか。今の私は知っている。

だが、ただ幼い子供が行っていた“好きなこと”を。何の価値も生み出さないからと、そんな悲しい理由で否定されていたなんて……。


「だから、母親が亡くなってから。姫苺はパッタリと絵筆を握ることはなくなったんだ」


けれどね、千子ちゃん……百瀬川さんのお父さんは、続けて。


「君と友達になってから、あの子はまた。絵を描き始めたんだよ」


そう言った。


「姫苺は、子供の頃からずっと……沢山の大人の、本音と建て前を見聞きしてしまってね。人の言葉の裏を読むのに長けてしまったんだ」


そうだったんだ……確かに、百瀬川さん頭良いもんなぁ。子供が知らなくても良いような大人の嫌な内面を、きっと意図せず沢山見てきてしまったんだろう。


「だからか、僕や三田村さん以外の人には心を開かなかったんだ。海外に居る時も、日本に来てからも。『友達なんて必要無いし、欲しいとも思えない』と言っていたっけ」


それは、小学生の女の子が言うには。あまりに悲し過ぎる台詞であった。


「それが、君のような友人をつくって。家にまで呼んで、姫苺は凄く変わった。千子ちゃん、全部君のお陰だよ」

「そっ、そんな! 私は、特に百瀬川さんに何かした訳じゃ……」

「姫苺と出逢ってくれた……ただ、それだけで。僕はとても感謝しているんだ。それに初めて会った時、姫苺が君を気に入った理由が良く分かったよ」

「えっ?」

「この子は、素直で嘘のつけない子だなぁ……ってね」


あ、それはただ単に。私がバカなだけです……。


「……私、昔から単純な単細胞なので」

「ハハハッ! 何を言ってるんだい! 悪い事じゃないんだから、卑下することじゃないよ」

「あ、ありがとうございます……」


そうこうしている内に、百瀬川さんのお父さんの車は。見慣れた景色の道を走り出し、あっという間に私の自宅前へと到着する。


「遅くまでごめんね」

「いいえ! こちらこそ、送って頂いてありがとうございました!」

「明日は、ご家族と過ごすんだっけ?」

「あっ、はい。ウチの家族と、幼馴染と……」

「そっか。千子ちゃんの家は、我が家とは逆なんだね」


逆?

百瀬川さんのお父さんの言っている意味が良く理解出来ず、私は疑問符を浮かべる。


「クリスマスは、どうしても仕事関係のパーティーに顔を出さなくちゃいけなくてね。何とか毎年、イヴの方は休みを貰うか、早めに仕事を終わらせているんだが……三田村さんも、ご自分の家族が居るから。クリスマス当日は家に来れなくてね……」


それを聞き、私は驚きと共に。なんで、知らなかったんだろう……と、激しく心の中で動揺した。

百瀬川さんとクリスマスイヴを過ごしたのは、今回が初めてではない。小学六年生のクリスマスイヴに、最初に彼女の家へ遊びに行かせて貰ったのだ。

そういえば当時、百瀬川さんにクリスマスの予定を聞かれたことを思い出した。私が「クリスマスは家族と七斗とパーティーするから、その日は空いていないんだ」と、そんな事を伝えていた気がする。

クリスマスイヴは、百瀬川さんにとって。お父さんと、家族のように大切な存在である三田村さんと過ごせる大切な日なのに……。


「それじゃあ、今日は本当にありがとう! 姫苺のあんなに楽しそうな顔を見れるのは、千子ちゃんが遊びに来てくれる時だけだからね」


どう反応したら良いか困ってしまうことを、さらりと言ってしまうのは。父娘おやこ良く似ているなー……と、思いながら。


「いっ、いえ! こちらこそ、いきなりお邪魔したにも関わらずありがとうございました! 私も、とっても楽しかったです!」


そう返す。

それから、百瀬川さんのお父さんは車を再び発進させ帰路についていった。

私はそれを見送ってから、自宅の玄関前にて立ち止まったまま、少し考えを巡らせる。

自身の中で問答を何度か交わし。自分の感情と、衝動と向き合う。選択を間違えないよう、冷静になろうと思いながらも。だが結局は、私が“こうしたい”という思いに突き動かされた。

おもむろに、コートのポケットからスマホを取り出し。アドレスに入っている携帯番号をタッチする。スマホに耳に当てると、呼び出し音が耳に響くが。すぐに、電話を掛けた相手の声が聞こえてきた。


「あっ、もしもし? ……うん、さっき家に着いたよ」


――どうして、気恥ずかしい言葉は簡単に私に伝えるのに……。


「あのね……」


――本当に大事なことは、ちゃんと言ってくれないんだろう……。


「明日なんだけど」


――あんな大きな家で、世間が浮かれ騒いでるクリスマスに一人なんて。


「もし、良かったら……」


寂しくないわけが、ないじゃないか。


「百瀬川さん、家に遊びに来ない?」


友達だと思っていようがいまいが……そういう時こそ、もっと私に頼ってよ……。

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