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第三章Ⅲ

それから少しして、私達はアクアリウム展の会場へと向かい始める。

元々の待ち合わせが余裕を持って入場開始時間より早めに設定していたにも関わらず、私も百瀬川さんもさらに早めに着いてしまったので。コーヒー店で時間を潰し、時間を調整したのだ。


「あっ、そうだ。百瀬川さん、チケットのお金、まだ渡してなかったよね? いくら?」


会場に到着して、入場列に並んでいる間に百瀬川さんにチケット代を渡してしまおうと思い声を掛けるが。


「いっ、良いの!」


何故か、少し慌てた様子で断られてしまう。


「いや、でも。こういうのは、やっぱちゃんとした方が……」


友達……? だからこそ、お金のやりとりは曖昧にしてはいけないと思い。そう言うが。


「こっ、これはその……パパ! パパが知り合いの人から貰って、パパから貰ったチケットだから! タダだから大丈夫!」


そう、物凄い勢いで言われてしまう。

……本当だろうか? いつもの百瀬川さんの様子と違い過ぎて、疑いの気持ちしか沸かないのだが……。


「あっ、ほら! 列進み始めたから行こう!」

「えっ、いや、でも……」


話しを続けようとする私の言葉を遮って、百瀬川さんは私の手を引いて列のペースに合わせ歩みを進める。

話題を蒸し返そうとしても、百瀬川さんが違う話を無理矢理して誤魔化そうとするので。私は一旦、今お金を渡すことを諦めた。あとで、渡そう。

受付にやって来ると、百瀬川さんが電子チケットを提示して私達は会場へと入場。注意事項を確認して、順路に従って進んで行く。暗い通路を進み、やがて開けた場所へと辿り着いた。

私の目にまず飛び込んできたのは、幻想的なライトで照らされる大きな水槽であった。

暗く設定された照明は水族館を思わせながらも、ライトの色は青や赤。その光彩ははっきりとした色合いを映し出し、芸術的な形をした水槽を照らしてその作品性を高めている。

さらに、中を泳ぎ回る魚達。彼らが起こす波の揺らめき、水が反射する光の全てが交差し合って。この空間に、非現実な美しい世界を作り上げていた。


「すごい……」


思わず声を溢してしまうと、百瀬川さんが。


「行こう」


と、私の手を引いてくれる。


「アクアリウムってね、こんなカッコイイ言葉で呼んでるけど。意味は水生生物の飼育設備のことだから、家でも簡単に出来ちゃうんだって」

「じゃあ……縁日の金魚すくいで取った金魚の飼育も、アクアリウムになるってこと?」

「うん! でも、そこにインテリアと芸術要素を加えたものの方が。最近の“アクアリウム”のイメージになってるかも」

「そうなんだ~。百瀬川さん、詳しいね」

「……来る前に、ちょっと知らべて」


少し恥ずかしげに顔を下に向けながら言う百瀬川さんに、何だか私まで照れてしまって彼女から顔を逸らした。


「……水と光りの景色の絵をね、描いてみたくって」


この後の会話を探していると、再び百瀬川さんが言う。


「それって、この景色をってこと?」


私が尋ねると、百瀬川さんは頷いて。


「この展覧会を知った時、写真で見て。水槽の水と、ライトアップされた光彩がとっても綺麗で幻想的だな~って思ったら。この色合いや美しさを、どうやったら絵に出来るかな……って、考えちゃって」


嬉しそうにそう話してくれた。


「おかしいよね……綺麗な景色を見て、どうやって描こうって考えちゃうなんて……」

「そんなことない!」


百瀬川さんの言葉に、私ははっきりとした声を放ってしまう。


「百瀬川さん、絵、すっごく上手だもん! “好きこそ物の上手なれ”ってあるでしょ! 百瀬川さんが絵を描くのが好きで、好きだから綺麗に描きたいって思って。それで、どんどん上手になっていくってことなんだと思う!」


勢いで話してしまって、言葉は無茶苦茶になっていく……。


「私は百瀬川さんがそう思うの、凄いし素敵だって思う! それに、百瀬川さんが描いたこの景色。私も見てみたい!」


彼女の想いを、自分で否定したり恥ずかしいと思って欲しくなくて。私はつい興奮気味にそう言うが……。


(何言ってるんだ、私……!!)


と、言ってから自分が恥ずかしさに襲われてしまう。


「……フフッ」


すると、百瀬川さんから微かな笑い声が聞こえてくる。


「千子ちゃんは……本当に、千子ちゃんのままだよね」

「えっ?」


告げられた言葉の意味が分からずに、私は首を傾げてしまう。


「ねえ、千子ちゃん」


けれど、百瀬川さんは私の疑問に答えをくれずに。私の両手を取ると、ブルーのライトが照らす水槽の前で真剣な眼差しを向けた。


「私が……今日、千子ちゃんが見た景色と同じくらい綺麗な絵を描けたら……」


百瀬川さんの表情が、声が、言葉が……私の息を詰まらせて、鼓動を加速させる。


「そしたら、私と――」


百瀬川さんが意を決したように、言葉を告げようとした刹那。


「――うわぁーん!! どうして俺じゃあダメだったんだよぉぉぉおおおお!!!!」


と、けたたましい声が響いてきた。

私と百瀬川さんは、怪訝な表情で声の方へと顔を向ける。


「ウルサイ黙れ!! んな大声出してると、追い出されるだろうが!!」

「アレ? 七斗?」


ピンクのライトが照らす水槽の前にて。七斗が水槽にへばりついき、泣きじゃくっている男子を引き剥がそうとしていた。


「……ってことは、さっきの声は」


私には、その声に聞き覚えがあった。


「あれ、千子じゃん? 何でここに居んの?」


私に顔を上げた人物は、見事に嫌な予感を的中させる。


「その言葉、そっくりそのままアンタらに返すわ。和八かずや


彼は下野和八と言い、私達と同じ小中学校に通っていた同級生だ。現在、彼は私達と別の高校に通っている。


「オイ、俺をコイツと一緒にすんな」

「七斗、アンタ別の学校になっても和八の面倒見てんの?」

「見たくて見てる訳じゃねーよ。何かってーと、すぐコイツが連絡しまくってくんだよ。昨日の着信、八十七件だぞ!?」

「うわぁー……ご愁傷様」


和八は七斗と仲が良かった。まあ、どちらかというと和八が七斗に懐いていたという感じの方が強かったが……。

けれど七斗も口では鬱陶しそうにしながらも、何だかんだ和八の面倒をしっかり見ていたのだ。その所為で、厄介ごとに巻き込まれることが多々あったが……。


「千子! お前、ご愁傷様って何だよ!! 俺が疫病神みたいに――」


私に噛み付いてきた和八の言葉が突然途切れる。彼の顔を見てみると、その視線は私ではなく。私の後方へと向けられていた。


「もっ、百瀬川さんじゃないですか!? 何で、こんな所に?」


私の少し後ろに居た百瀬川さんに、和八は先程まで垂れ流していた涙を引っ込めて。デレデレとした様子で声を掛ける。


「こんな所って……アクアリウムを見に来る以外に、規定の料金を払って此処に居る目的なんて無いと思うけど」

「確かに! おっしゃる通りです!」


百瀬川さんは、私と一緒に居た時とは打って変わり。和八に対しての対応はとても冷たかった。


「またアレ? 例の病気?」


その様子を眺めながら、私は七斗に訊ねる。


「ああ。告っても付き合ってもいない女子の為にチケット買って、いきなりクリスマスイヴデートに誘って撃沈したんだと」

「……中学の頃から成長してねーな、あのバカ」

「バカは死んでも治んねーよ」


私と七斗はほぼ同時に溜息を吐く。

和八の病気とは……惚れっぽさが尋常ではないことだった。

落とした消しゴムを拾ってくれた、片付けを手伝ってくれた等。その程度のちょっとした親切をしてくれた女子に、いつも「自分に気があるのでは?」と勘違いして勝手に惚れて。いつもいつも猛アプローチをするのだが、いつもいつもいつもこっぴどくフラれてしまうのだ。


「和八、もう高校生なんだからさ。良い加減大人になれよ」


私は百瀬川さんに一生懸命声を掛ける和八に言う。


「そうだぞ? せっかくの休日に、お前の傷心に付き合わされる俺の身にもなれ?」


私に続いて、七斗が言う。


「いや……七斗。せっかくの休日とクリスマスイヴに、何の予定も無いって。普通にお前、最初から可哀想じゃね?」


だが、和八は七斗に冷静にそう反撃した。


「ふざけんなよ、お前っ!! 人のこと無理矢理引っ張り出して、こんな所まで付き合わせといて!! 世間がクリスマスだろーとイヴだろーと、んなの俺には関係ねーんだよ!! つーかな、クリスマスなんて所詮昔の偉人の誕生日であって。恋人の日とか、んなんじゃねーんだよ!!」

「七斗、それモテない奴のヒガみ台詞の代表!」

「俺よりモテねー奴に言われたくねーよ!!」

「そんなの誰が決めたんだ!! 千子! 千子!」


んだよ……。


「気軽に人の名前呼ぶんじゃねーよ……友達だと思われたらどうすんだよ」


面倒臭さを全面に出して私が言うと。


「友達じゃないの俺達!?」


と、目尻に涙を浮かべて和八が言う。


「ねえ、千子! 俺と七斗、どっちのがモテな――」

「お前」

「まだ最後まで質問言い切ってない!!」


私の返答に、再びギャーギャーと騒ぎ始める和八。

本当にそろそろ、会場を追い出されてしまうんじゃないかと思い。私は百瀬川さんとこの場を後にしようかと思った、その時。


「――アレ? 七斗じゃね?」


と、またまた聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「あれ、合田さんに百瀬川さん?」

「高石さん、に……上原!?」


現れたのは、私と百瀬川さんと同じクラスで。クラスの中心人物である高石さんと上原。


「おお! 合田に、百瀬川さんも居たのか!」


明るい表情で、上原は私達へも声を掛けてから。


「よっ、七斗。お前、何? ダブルデートか?」


七斗へ声を掛ける。

二人は同じ体育委員会で――ちなみに私もだが――気が合うらしく、部活もクラスも違うのだが。たまに廊下などで話したりと、かなり仲が良いのだ。


「違えーよ、ただのお守りだ。千子と百瀬川とは、さっき偶々会ったんだよ」

「お守りって……」


上原の視線が、情けない表情で七斗にしがみ付く和八へと移る。


「男二人でクリスマスイヴ過ごすなんて、悲しいにも程があんだろ……」

「なんだと! この、長身イケメン野郎!!」


上原の言葉に噛み付く和八。


「いや、それ褒めてくれてるよな? なんか、ありがとう……」


和八の台詞に戸惑いながら上原が言う。


「ねえ、あの人。合田さん達の知り合いなの?」

「互いに存在を認識しているだけで、関わりの無い他人です。ねっ、百瀬川さん」

「うん」


高石さんの質問に、私と百瀬川さんがそう返すと。


「聞こえてるぞ千子!! 小中の同級生であり唯一無二の友人を、そんなぞんざいに扱うなよなー!!」


和八の喚き声の照準が、こちらへと向けられた。


「なら、ぞんざいに扱われない存在価値に昇格しろよ……」


私はボソリとそう溢すと。


「合田さんがそんなに雑な対応する人、珍しいわね」


高石さんが困惑した様子で言う。


「何だよ何だよ……イケメン野郎は良いよなあ。こんな可愛い子と、二人でアクアリウムにイヴデート……帰りの電車乗り間違えろ!!」


ヒガみしかない台詞を吐いた和八に、思わず呆れた視線を送ってしまう私。


「んだよその、地味に嫌過ぎる呪い……つーか――」

「べっ、別にっっっ!! ででででデートじゃないからっっっ!!」


上原の言葉を遮って、高石さんの声が響いた。

彼女の様子に、私達一同は唖然として言葉を失っていると。


「――なんやなんや! 何がデートじゃないん?」


またまた再び、知った声。知った顔が現れる。


「銭谷さん……なんで、ここに?」

「ヤッホー、合田ちゃん! なんや? 疲れた顔して~」


和八の奇行に、偶然が三つも重なったら。そりゃあ、疲弊もしますって……と、心の中で私は思った。


「私は代理。副委員長ちゃんが今日、ここに委員長と来る予定だったらしいんだけど。発熱して来れなくなってさ~」

「えっ? 委員長と副委員長? あの二人、もしかして――」

「――付き合ってないわ」


私の前に、ひょっこりと副委員長が現れる。


「副委員長……こ、こんにちは……」

「こんにちは、合田さん。私の好みは、料理とお菓子作りが上手な人だから。委員長より、合田さんの方がタイ――」


と言いながら、副委員長が私の手を取ると。


「副委員長、真顔で悪ふざけは良くないよ?」


百瀬川さんにパシン、と副委員長の手が払い除けられる。


「アラ、残念。もう売約済みだったのね」

「副委員長ちゃん、全然笑ってないけどメッチャ楽しんでるやろ?」


クラスではそんなに親しいイメージの無い二人が、一緒にアクアリウムに来ている光景に意外さを感じつつ。


(こんなに知り合いって、集結することあるんだ……)


と、私は脱力感を覚えながら思うのであった。

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