第五章
「ノノン‼︎おいノノン‼︎」
「クソッ!傷がデカすぎてクっ付かねぇよ‼︎」
真っ青な顔で大声を上げる哲人と、泣き叫びながら治療を続ける足立さん。
「ノノン!」
「竹ノ塚さん!」
「しっかりして‼︎」
声を荒げ、必死に呼びかける俺達とは対照的に、声を出さないどころか、地面に横たわったままピクリともしないノノン。
それは僅か数分前に起きた、あっという間の出来事。
本当に[「あっ!」と言う間]に起結をなしたような出来事だった。
敵のガーゴイルが三体なのに対し、こちらは俺を除く八人のスキルが開花しており、内六人が戦闘スキル。
ガーゴイル一体につき、こちらは二人で戦えると言うことで、雷愛と楓、馬風楽君とアスラ、哲人とノノンという三チームに分かれて戦う作戦を取った俺達(俺は戦えない)。
最初のリザードマンのように、『一撃で討伐』というわけにはいかなかったものの、二対一ということもあり、各チーム順調にガーゴイルへダメージを与え、最早敵のガーゴイルが倒れるのは時間の問題だと思われていたこの戦い。
そしてその瞬間を一番先に迎えたのは、馬風楽君とアスラのチームだった。
最後の力で、口からビームのようなものを放とうとしたガーゴイルに危険を感じ、スキルを使ってトドメの一撃を放った馬風楽君。
しかしタイミング悪く、ガーゴイルはその攻撃を喰らった直後、口に溜めていたビームを放ったのだ。
倒れる間際に放たれ、照準が逸れたそれは、少し離れた所で別のガーゴイルと戦闘中だったノノンの鳩尾辺りを、背後から容赦無く貫いたのである
フタツさんが転移スキルを使ってノノンを迎えに行き、すぐに足立さんによる治療が始まったものの、その傷は大きく、塞がる様子はなかった。
哲人とノノンが戦っていたガーゴイルも、他のメンバーによって殲滅され、戦闘を終えた皆がノノンの周りに集まって来たところで、冒頭へと繋がる。
「オイだ!オイのせいだ!最後まで気を抜かずに倒しとれば、こんな事にはならんかったんだ……すんません‼︎」
「アスラ君のせいじゃないよ!自分のせいだ……自分の安易な判断のせいで……本当にすいません!」
アスラと馬風楽君は、罪の意識を謝罪に込め、哲人と足立さんに頭を下げる。
「やめろよ‼︎アーシ等に頭下げんな‼︎苦しんでるのは、アーシ等じゃなくてノノンなんだぞ⁉︎」
泣きながら、怒鳴りながら、ノノンの治療をひたすら続ける足立さん。
しかし、傷口から溢れる真っ赤なそれは、止まる気配を一切見せてはくれない。
「お前等のせいじゃねぇよ!ノノンと戦ってたのは俺なんだ!それなのに……守れなかった……クソォォォオオオ‼︎」
「黙れよ哲人‼︎ノノンは死んでねぇんだよ‼︎諦めてんじゃねぇよ‼︎」
悲しみの涙と、悔し涙を同時に流す哲人に対し、足立さんは再び怒鳴り声を上げた。
しかし、足立さんを除く全員——いや。きっと足立さんも気づいていたのだと思う。
この時既にノノンに息はなく、『もう足立さんの治療でも助ける事は出来ない。』と言う事を……
「アダッちゃん…………アダッちゃん!…………足立ちゃん‼︎」
「離してフタツさん‼︎」
「もうやめてあげよう⁉︎ノノンちゃんも望んでないよ……こんな事。」
手を真っ赤に染め、治療を続ける足立さんを止めるフタツさん。
気づくと、白くて綺麗な肌だった場所とは思えない、変わり果ててしまったノノンの上腹部。
出血と治療を繰り返した傷口は、目も当てられない程酷く醜いものになっていた。
「ピンク……」
哲人は足立さんの肩を後ろから掴み、ゆっくりとノノンから引き剥がす。
泣きながらそれに抵抗する足立さんだったが、少しずつその力は弱くなっていき、ついに哲人に倒れかかってしまう。
周囲には足立さんの叫び泣く声が響き、堪えきれず周りのメンバーも涙を流し始める。もちろん俺の瞳も、決壊したダムの如く、悲しみと悔しさの涙を放出していた。
しかし、長年幼馴染として寄り添ってきた哲人や足立さんに比べれば、俺の涙に含まれる悲しさなんて、きっとタカが知れているだろう。
だけど——
[何もできなかった自分への苛立ち。]
それはきっと哲人にも、ここにいる誰にも劣らない、今までに一度だって感じたことのない、計り知れない程の悔しさだった。
溶けた鉄のように熱くなった血液が、レッドゾーンまで回転数を上げた心臓によって、全身へ濁流のように送られている。
回らなくなった頭は、脳血管というヒューズ管を、過血流が溶断したのかと錯覚させた。
心身の機能を正常に保てなくなるほどの[感情]。
自分で制御出来るキャパシティを超えた[悔しさ]。
それらによって——
俺のスキルは、覚醒した。
俺は今、どこかも分からない神秘的な道を歩いている。
不思議と自分のスキルの使い方を瞬時に理解した俺は、横たわるノノンを抱え上げ、時間の旅を始める。
一歩一歩と俺が足を進めると、一刻一刻とノノンの時間が巻き戻って行く。
グロテスクに変わり果てていた傷口は、少しずつ鮮やかな赤色を取り戻し、[液]が抜けて萎んでしまっていた身体も、ゆっくり膨らみと暖かさを取り戻していく。
[涙を流す一同]
[足立さんの肩を掴む哲人]
[治療を止めるフタツさん]
[怒鳴りながらの治療]
[馬風楽君とアスラの謝罪]
[ノノンを助けにワープするフタツさん]……
過去を遡るように、歴史の中を歩き進める。
そして、ガーゴイルのレーザー光線がノノンを撃ち抜いた[その瞬間]に俺が足を踏み入れた時、あの時一瞬で貫かれた傷口は、一瞬にして元の姿へと帰還した。
——こうして俺達の、短い時間旅行は終わる。
左手が暖かい。誰かの手を握っているようだ。
曖昧な記憶を辿ろうとしてみる…………よく思い出せない。
目を開く。
仰向けに倒れている俺を覗き込むように、泣きかながら口をパクパクしている、足立さん、哲人、フタツさんがいる。
耳を傾けてみる。
耳鳴りのような音で聞こえなかった三人の声が、少しづつ慣れてきた俺の耳に届く。
「イカセ!」
「カイセイ君!」
「イカセ!」
名前……呼んでてくれたのか——
「…………耳栓は付けてないから、聴こえてるよ…………ただいま。」
「「「ただいまじゃねぇよ‼︎」」」
泣きながらハモってツッコミを入れてくれた面々に、軽く笑ってみせた俺は、仰向けの身体はそのまま、顔だけで、熱を持つ左手の方へ視線を移す。
そこには、人間らしい血の色がある、瞳を閉じたノノンの姿があった。
繋いだ手を軽く握ってみると、力強く握り返された手。
そしてこちらに顔を向け、ゆっくり目を開くノノン。
「…………ありがとう。[カイセイ]。」
「…………おかえり、ノノン。」
「「「よかったぁぁぁああああ‼︎!!」」」
ノノンとまとめて、全方向から抱きしめられた俺は、まだ少しボーッとする頭のまま、彼等に体を預けた。
気づけば俺は、身を割くような[悔しさ]を失い、何処からともなく溢れ出る[達成感]の湧き水によって、心のコップを満たしていた。
そしてどうやらそのコップは、瞳の涙腺と直結しているようだ。
コップから零れ落ちた分は、頬を伝って地面に落ち、小さな水溜りを作っていた。
そこに反射する太陽の光が、土砂降りの後の快晴の朝みたく、なんだか無性に綺麗に見えて、何故か懐かしい気分になった。
隕石の如く異世界に落ちて来た時のリベンジをするかのように、俺は二度寝を試みる。
リベンジを成功させた俺は、自分史上最高の眠気に包まれ、自分史上最高に幸せな異世界へと、ゆっくりゆっくり綿毛のように落ちて行く。
今まで寝てたのにまた寝るのかって?
いや。だってこんな幸せな気分で二度寝できるんだぜ?
それこそ——
『今この瞬間を満喫しない手はない。』
そう思うだろ?