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第一章

 

 ゴオオオオオオオオオオオ


 風の音がする。今日はとてつもない台風のようだ。

 窓の外で鳴っているはずの風の音が、まるで耳元で鳴っているかのように、高音質かつ爆音で鼓膜を叩く。

 朝が得意ではない俺にとって、今は幸せな幸せな長期休暇。

 来週に卒業式、来月には入社式を控える俺にとって、コレが最後の[正当なフリーターライフ]。今この瞬間を満喫しない手はない。

 そんな三月の頭の日。桜はまだ咲いていないものの、もう少し暖かい朝がやって来てくれてもいいと思う……いや、それにしても流石に今朝は寒すぎだ。季節外れの台風のせいだろうか?


 ゴオオオオオオオオオオオ


 百歩譲って寒いのは許そう。だが如何(いかん)せんうるさい。というか首元にビュービューと風が当たっているのだが……

 俺は昨晩、窓を開けたまま寝てしまっただろうか?それとも台風で窓が吹き飛ばされでもしたのだろうか?

『もし窓が飛ばされていたらどうしよう?』などと、あり得ない仮説の対処法を考えつつも、起き上がることを先送りにした俺は、ひとまず風から身を守る為に目を閉じたまま掛け布団を探す。

 モゾモゾガサガサ……ん?

 どうやら毎晩眠りを共にしていた相棒[掛け布団氏]が、本日未明に行方を(くら)ましたらしい。

 よりにもよって夜逃げの日がこんな台風とは……相棒はよっぽどの雨男みたいだな。掛け布団に性別があるかどうか俺は知らないが、多分男だろう。勘だ。


 ゴオオオオオオオオオオオ


 突然の相棒失踪と、この爆音のせいで気持ちのいい二度寝はできそうにない。ここは一度起きて、昼寝の為に眠気を温存することにしよう。

 布団から起き上がろうと左手で敷き布団を押し、身体を起こ——そうとした俺の左手は、スッと空を切る。

 起き上がる予定だった上半身が謎のバランス崩し受け、不快感が全身に響く。

 荷物とかを抱えていて前が見えない時に、階段の一番上の段からもう一段登ろうとして、そこに何もなかった時のアレだ。

 来るはずの反動が来ない。あの謎のバランス崩しを受けた。

 ってかなんでそんな事が起きた?俺は[起き上がる]という、毎朝のルーティーンを行っただけなのに……

 何故か非常に屈辱的である。せっかく起きようとしてやったのに。ちくしょう。

 再度試してみる……が。

 スッ……

 なるほど。どうやら掛け布団と敷布団は、俺を残して駆け落ちしたらしい。

 俺に関係を反対されるとでも思ったのだろうか?だとしたら全く失礼な話である。

 こんなに心優しい俺が、二人の仲を()くわけがないのに……まぁ毎晩間(あいだ)に入って寝てはいたが、邪魔をしているつもりはなかったのだ。

 ちゃんと話してくれれば俺だってそれなりの対応を…………ん?

 ここで俺は、やっと違和感に気づいた。

 逆にどうして気づかなかったのだろう?寝ぼけていたからだと信じたい……


 はたして、布団達が駆け落ちしてこの街を去ったところで、俺の左手は空を切るだろうか?


 答えは『ノー』。そんなはずはないのだ。普通なら[重力と床]という最強のコンビが、俺の起床努力を全力支援して、力強く受け止めてくれるはずなのに……

 では何故こんな事が起きているのか?

 どうして俺の左手は誰とも出会えなかったのか?

 恐る恐る、最強コンビの片割れ[床]を探す。

『紛失物が床の上に落ちていないかを探す。』のではない。

 文字通り[床]を探すのだ。

 スッスッ…………やはりな。

 俺は察した。


 耳元で鳴る轟音。

 きっと田舎町(いなかまち)で幸せになったであろう布団達。

 失われた最強コンビの片割れ[床]……

 これらが導き出す答え……

 それは——

 俺はゆっくりと、本日初の開眼を行う。

 眩しい光の後に視界に飛び込んできたのは、それはそれは美しい、雲ひとつない、澄み渡る青空のような、空青(スカイブルー)の色をした…………[空(そら)]だった。


 落ちてるぅぅぅううう⁉︎⁉︎⁉︎


 ゴォォォオオオオオオオオ


 …………


 …………………そうかそうか。

 (にわか)には信じがたいが、俺はいわゆる[異世界転移]ってやつをしてしまったようだ。

 世間では[異世界転移モノの作品]が流行っているということを小耳に挟んではいたが、まさか俺にも順番が回って来るとは……

 今までに『こんな想像を一度もしたことがない。』というと嘘になる。

 別段生きていて『すごい楽しいことがある!』って訳ではない、俺みたいなタイプの人間なら一度くらいあるだろう。

『いっそ異世界に飛ばされて、特殊な能力とかもらって、可愛いヒロイン達に囲まれて、英雄とか勇者とかになりてーなー』なんて安易な妄想をしてしまったことが……

 だから俺はそんなに焦ってなかったし、むしろ楽しみの方が優っていたのだ。

 だって[異世界転移]だぞ?少なくとも、抜け殻みたいな人ばかり出入りしている[株式会社フェニックス・ドリーム]なんていう、いかにもヤバそうな会社からしか内定を貰えなくて、そこに週六日出勤するはずだった俺の未来予想図Ⅰよりは、何百倍も何千倍も楽しそうだろ?

 頭の中を[ポジティブ]という名の暴れ牛が駆け回り、何故か冷静さを取り留めることができていた俺は、この状況を素直に受け止め、今後のことを考えることにした。

 えーと……何か喋ってみよう。

「あー、まさか美少女以外にも、空から落ちてくることに需要があるとはなぁ。」

 うん。声は出る。それも、聞き覚えのあるマイボイスで間違いないだろう。何でも良かったからとは言え、異世界に来て初めて口にする台詞がこれとは……我ながら恥ずかしい奴である。

 続いて自分の顔をクシャクシャと触ってみる。

 残念ながら、愛着も愛想もなかった顔の造形は作り変えてもらえなかったようだ。おまけに、決して『ある』とは言えない筋肉達と、寝巻き代わりにしていた中学校指定の青いジャージ上下も、仲良く一緒に転移して来てしまったらしい。

 この後チュートリアルがあるのなら、必ず勇者面のマッチョメンに変更するとしよう。

 どうでもいいが、[勇者面]というのはいったいどんな顔だろうか?

 実は俺も初めて使う言葉だったのだが、考え始めて直ぐに思いついたのは、クラス委員長をやっていた白鳥君の顔だった。

 よし。白鳥君には悪いが、この世界でアノ顔は俺のものにさせてもらおう。

 勉強スポーツ共に◯。嫌味のなさは◎。

 今の俺にとっては、二つの意味で[住む世界が違う]人間である白鳥君。だからきっと[時効]みたいなもんだろう。

 いや、違うのは時間じゃなくて世界だから[世効(せこう)]とか言うのだろうか?

 残念ながら俺、勉強は△なので……まぁ答えはいつか白鳥君に聞くこととしよう。

 でももし、著作権とか肖像権とかつまんねぇ理由で、『白鳥君の顔は使っちゃダメ!』なんて言われたら、回復魔法とかが主力の、オリジナル美少女キャラを選択する事にしよう。

 因みに俺、[ヲタク]を自称出来る程その手のものに通じた人間ではない。

 しかし、嗜む程度にはアニメや漫画、ゲームをしていたので、このくらいの知識は持っているのだ。

『いつかこんな日が来ると分かっていたら、もっとライトノベルを読み漁る日々を過ごして、この世界では未来予知さながらの知識を発揮する存在になってやりたかった!』

 なんていう、今俺の中にある無駄な後悔。

 この後悔こそが、俺がヲタクでは無いという何よりの証明だ。


 ……


 あーそれにしても楽しみだなぁ異世界。どんな世界なんだろうなー。

 ドラゴンとかいるかなー、エルフとか、ゴブリンとか……

 いやーとにかく楽しみだ。早く着かないかなー異世界……


 ……


 ……えっ。ていうか、まだ落ちるの?

 下を見ると、[見たことのない大陸]みたいなものが薄っすら見えて来てはいるんだけど……全く減速してないのよねこれ。

 というか俺、無駄なことばっかり考えてて、重要なことを一切考えていなかった——

 [どうして俺が異世界に転移したか]である。

 まさか『世間で異世界転移モノが流行っているから』なんて理由ではないだろう。

 ならば何故だ?誰かが俺を召喚したのか?

 俺は昨晩、確かにこのジャージ姿で自室の布団に入った。

 つまり、寝ている間に強盗か何かが俺を殺したわけではないのならば、俺は『生まれ変わって[転生]した』のではなく、『突如この世界に[転移]した』のだ。

 だとすれば、やはり誰かが俺を召喚した可能性が高いだろう。

 それなら、このまま地面に打ち付けられてグチャグチャ……なんてオチはきっとない。

 恐らく今頃、下に見える未知の大陸には、俺を浮遊魔法か豊満なバストで受け止めるのを心待ちにしている美少女召喚士がいるに違いない。うん。それだ。そう信じよう!というか是非そうなってくれ!

 一瞬頭をよぎった[体育会系ガチムチマッチョにお姫様抱っこで受け止められる。]なんていう、なんともムサ苦しいビジョンは、今そこですれ違った見たこともない美しい鳥の姿で上書きするとにしよう。

 …………しかし、もし何の理由もなく、何かの間違いで俺がこの世界に転移してしまっているとしたら?

 もちろん俺は、異世界で活躍できるような特殊スキルなんて持っていないし、覚醒の予定があるわけでもない。

 当たり前だが、俺にとってのクリ◯ン的存在が戦闘力53万の宇宙人に()られても、全身に稲妻が帯びて金髪が逆立つ事はないだろう……地毛も茶髪っぽいし。

 ならばそんな俺が、『急に異世界から召喚される』なんて事があるだろうか?

 そもそもこの世界で、俺に需要があるのだろうか?

 ……やはり事故なのか?

 もしかしたら、落ちた先には誰も待ってくれていないんじゃないだろうか?


 ……


 ヤバいぞコレは……急に不安になって来た。

 さっきまで頭の中を爆走していた、800馬力のポジティブ・ランボルギーニはどこへ走り去ってしまったのだろう……

 そんな事を考えながら、再び重力方向下に送った俺の視界に飛び込んで来た景色は、さっきまでの不安を確信へと変えた。

 きっと地上50階くらいの高層ビルから下を覗いたらこんな景色なのだろう。

 しかしその景色は、大都会の高層ビルからのものとはまるで違う。

 なぜならそこには…………人っ子一人、見当たらないのだから。

「うわぁぁぁあああ‼︎やっぱ誰もいねぇぇぇえええ‼︎だ誰か‼︎ダレカァァァタスケ——」


 あ、意識が——



 ッゲボッ!カッ!エッホ!ペッ!

 大量の水を吐き、死にそうになりながら目を覚ました俺。

「おっ、目ぇ覚めた?」

 聞き覚えのない女性の声が聞こえた。どうやら死んではいないようだ。

 女性の声……女性の……女⁉︎

 やっぱり美少女召喚士説は正しかったのだ!地球は丸かったのだ!俺の説に狂いはなかったのだ!

 たぶん俺は今、仰向けに寝かされている。そして女性の声は仰向けの正面、つまり反重力方向から聴こえて来たものだ。ということは——

 フッフッフ。おおかた、『ドジっ子召喚士が、落ちてくる転移者(俺)の受け止めに失敗してしまい、膝枕で介抱している。』という状況だろう。

 目を開ければきっと、申し訳なさそうな顔の美少女が、涙目で俺の顔を覗き込んでいるに違いない。

 コレはもう少し気を失ったフリをした方がいいかもしれん。こんな経験、そうできるもんじゃないからな。

「すぅぅぅっ……ふぅぅぅう……目ぇ覚めたっぽいよー」

 そう話す声の主は、恐らく先程と同じ女性だろう。

 誰かに話しかけているのか?……まさか⁉︎俺以外にも転移者がいるのか⁉︎

 勘弁してくれよ。異世界に来てまで同期が存在するのか?こっちはもう、比べ合うのは懲り懲りだなんだ。

 恐る恐る細目を開き、周りの状況を確認してみる。

 日差しが眩しく、逆光でよく見えないが、誰かが俺の顔を覗き込んでいるように見える。恐らく例の美少女召喚士だろ……ん?膝?

 あれ?この美少女の膝は今、枕として俺の後頭部に敷かれているはず。なのになぜ、見上げている俺の視界に膝が……

「おーい。お前起きてんだろ?そんなにアーシのパンツが見てぇのか?」

 パンツだと。見たいぞ。そんなの当たり前だ!どこだ?どっちにあるんだ⁉︎

 寝返りをうつふりをして、微かに見えた膝の方に体を向けてみる。

 おおお!確かにM字に広げられた足の間から、スカートの中が見えそうだ!

「おいお前。やっぱ起きんだろ?すぅぅぅっ……はぁあああ——」

 あとちょっとで見えそう——なんだ⁉︎急に視界が曇って⁉︎——この臭いは……タバ——

「ウエッホ!ゴホッ!ゴホッ!」

 涙ぐんだ目を擦りながら、上体を起こす。

 ()せてばかりの異世界上陸で先が思いやられるが、ゆっくりと目を開いてみると、予想通りそこには……美少女がいた?

「あ、やっぱ起きてたわ。それとも今ので起こしちゃった?」

 しかし、ニヤリと笑うその女性?の印象は、俺の想像(妄想)とは盛大に異なるものだった。

「おはよー。見た感じアンタが最後っぽいよー。まぁ『ひ弱そうな見た目通り。』って感じだけどね~」

 金色の髪、小麦色の肌、はだけた胸元、濃い化粧と派手なピアス、股を広げてヤンキー座りをしながら、片手にはタバコを持っているその女。

「あのぉ……あなたは?」

「そーゆーのってさぁ、人に聞く前にまず自分から言うもんなんじゃねーの?」

 ニヤニヤしていた顔がガラッと変わり、鋭い眼光が俺の二つの眼球を捉える。

 ガラ悪っ……[見た目通り]はアンタも一緒だろ。

 しかし『一理ある。』と思ってしまった俺がいたので、ここは素直に名乗る事にした。

「あ、えーと……飯塚(いいづか)です。飯塚界世(かいせい)です。」

「ふーん。カイセイね……」

 ……

 ……え、それだけ?

 まぁ何か考えているような感じではあるのだが、今のどこに考える要素があったのだろうか?

「あ、あのぉ——」

「どういう字を書くの?」

 字だと?そんな事どうでもいいから、あんたの事も早く教えてくれ。俺は、寝起きに[あんたみたいな人]が目の前にいる事に、正直かなり焦っているんだ。あんたの素性も話してくれ——

「[世界]という字をひっくり返して[界世]。これでカイセイと読みます。」

 まぁ、教えるけど!しかも、わざわざ地面に書いて説明してしまった。

「『世界をひっくり返す?』……あははは!なんかそれいい響きだね!面白い!アーシ馬鹿だから、人の名前とかすぐ忘れるけど、なんかこれなら覚えられそーだわ!」

 面白い?余計なお世話だ。『でも笑顔はやはり可愛い。』と思ってしまった自分が少し悔しい。

「は、はぁ……で、あなたは?」

「アーシはね。足立(あだち)!」

「足立……さんですか?えっと……下のお名前は?」

「笑われるから言いたくねぇ。」

 またさっきのガラッと変わるやつである。ほんと、凄い剣幕である。嫌だ。

「そ、そうですか。わかりました。」

 これ以上追求するのは怖かっ……面倒だったので、今日はこのくらいにしておいてやる事にする。

「おーい!ピンク~!」

 声の方に視線を送ると、またしても美少女。しかし、足立さんとは違い[?]はつかない、本当に可愛い顔した女の子だった。白銀の髪に、透き通るような白い肌。化粧は少し濃い目だが、正真正銘の素材からいいタイプだ。しかし何故か、そんなルックスをぶち壊してしまいそうな、時代遅れのスケバン風ファッション(カラー:ブラック&ピンク)を身に纏っている。

 そんな彼女が言った[ピンク]というのは、恐らく足立さんのあだ名か何かだろう。

 しかし俺の本能が、『今聞いたことは記憶から消したほうがいい!』と叫んでいる気がしたので、深追いはしない。

「ちょっとノノン!名前で呼ぶなって!」

「ごめんごめん!」

「おい!お前!」

 顔を赤らめた足立さんが、俺の鼻にぶつかりそうなくらいギリギリの位置に、派手なマニキュア付きの細くて長い指を突き出した。

「今なんか聞こえたか?」

 本能は正しかった。しらばっくれよう。

「いや、な、何も!」

「ほんとだろうなぁ?」

 顔が怖い……でもここで本当のこと言うのは——

「いいじゃん別に。ピンクってのはこの子の名前よ。足立(あだち)桃花(ピンク)。本名だよ。」

「ノノン‼︎」

「アッハッハッハッハー!」

 ノノンと呼ばれている銀髪美少女が、丁寧なネタバラシをしてくれた。

 しかしまさか本名だったとは。驚きである。俗に言う[キラキラネーム]というやつだろうか?親の自己満足が、子供をこんなに苦しめるとは……しかも[ピンク]。

 きっと『淫乱』とか弄られるんだろうなぁ……流石に同情する……が!ここは巻き込まれないうちに逃げるとしよう。

「んで、その人は?」

 あ、逃げ損ねた。

 俺の逃走計劃(けいかく)は、ノノンと呼ばれる美少女にあっけなく阻止されたのであった。

「ああ、コイツはね——」

 ……

 話し始めてすぐ、笑顔のまま、口を開けたまま、時間が止まったように黙る足立さん。

 あ、コイツもう俺の名前忘れてるわ。

 なんか『覚えられそう!』みたいなこと言ってたくせに、絶対忘れてるわこれ。

「あ!そうそう!思い出した!コイツの名前は……イカセだ!」

 違ぇよ。

「イカセ?変わった名前ね?」

 違う。[変わった名前]なんじゃなくて[名前が変えられた]んだって。今。この女の記憶障害によって!

「えーと、飯塚界世です。世界という漢字を逆から読んでカイセイと読むので、足立さんはそれで間違えたのかと……」

「なるほど!そーゆー事ね!私はノノン。竹ノ塚ノ(たけのつかののん)。この子とは家が近所で幼馴染なの!よろしくね!」

 こりゃまた凄い名前だ。

 そういえば、スタジオジブリの作品は[の]が付くタイトルの作品は成功するとかなんとか、そんなジンクスがあるって聞いた事があったな。竹ノ塚さんのフルネームは、間違いなくスタジオジブリの代表作になれるポテンシャルを秘めていることだろう。

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

「ところでイカセ君はさ——」

 ダメだコイツら。[人の名前を覚える機能]ってやつが、著しく欠落してやがる。ってかその「イカセ」っていうの。なんかちょっと卑猥(ひわい)だから、すごーく止めて欲しい。

 もう間違えててもいいから、いっそ「太郎」とか「鈴木」とか、全然違う名前で間違えてもらった方が15倍くらいマシなんだが。

「なんで私達がここにいるかって知ってる?」

「なんでって……」

「やっと起きたかモヤシ野郎‼︎」

 彼女の問いかけに、反射的な答えを零した瞬間、怒鳴りながら近づいてくる男が現れた。

 新キャララッシュで、俺の頭はもうキャパオーバー寸前だが、そんなことを考慮してくれるような相手ではなさそうな、目つきの悪い赤髪の男。

 男はズカズカと俺の前に来るや否や、俺の胸ぐらを掴み、ヌッと顔を近づけてきた。

「テメェだろ⁉︎俺たちをこんなところに連れてきたのは⁉︎」

「ちょっと哲人!やめなよ!」

 竹ノ塚さんが話しかけるが、男は聞く耳を持たない。

「どう考えてもお前しかいねぇだろ⁉︎お前だけどう見ても俺たちとは違ぇんだからな!」

 [どう見ても俺だけ違う?]どういうことだ?

「哲人!やめろよ!」

 足立さんも説得に加わり、なんとか俺はその男に一言目を投げかける事が出来た。

「お、俺だけって……どういうことですか?」

「とぼけんな!お前から見たら『お前等みんな同類。一緒くた。』ってことなんだろ⁉︎」

 コイツは冷静に話すってことが出来ないのだろうか?ビビッて……うるさくて、まともに会話することも出来やしないじゃないか。

「哲人。ちょっとオメェ黙ってろ。」

 足立さんがさっきの眼光で、静かに言った。

 怖え。普通に怖え。たぶん身長は160センチも無いのだが、180センチ程あるその男に、全く引けを取らない威圧感である。

 そして気のせいか、背後にドラゴンのようなものが見える。

 流石異世界。初遭遇した人間にドラゴンが憑依しているようだ。

「ああん?なんだテメェ。」

 怒りの矛先が足立さんに向いたようで、ゴミのようにポイっと投げ捨てられる俺。

「ごめんねイカセ君。アイツは西新井哲人(にしあらいてつひと)。アイツも私達と幼馴染なの。悪いやつじゃないんだけど……って今言われても信じられないよね?」

 竹ノ塚さん。名前はすっかり間違えて覚えているが、話はわかる人だ。

 こんな奴が悪い奴じゃないなんて信じられるわけがない。ってかなんだ哲人って!哲学の哲じゃなくて、金属の鉄で[鉄人]が正解だろ!この脳筋野郎!……絶対口に出しては言えないけどな!

「いえ……それで、どう見ても俺だけが違うってどういうことですか?」

「そうだよね、イカセ君起きたばっかりだもんね……とりあえず立ち上がって、周り見てごらん?きっとすぐ分かると思うから。」

「周り?」

 俺は立ち上がって、自分の左右を確認した。

 すぐ横には綺麗な湖がある。

 服が少し濡れているから、きっと俺は、この湖に落ちたおかげで助かったのだろう。

 あとは木が沢山。多分ここは、森の中の少し開けた場所なのだろう。

 周りを確認しようと、俺はゆっくりと振り返った。そして先程、自分のした質問の答えを知ることになる。

 哲人という男が言っていたように、そこにいる人達を一緒くたにする事は簡単だった。というか逆に、俺にはそれ以外のまとめ方が思いつかない。

 あの男が俺を疑う理由も明白である。

 緑の草木が生えるこの空間にいたのは、色とりどりの髪の毛を生やした、俺の最も嫌いな人種——


 [DQN(どきゅん)]であった。




 しばらく呆気に取られていた俺であったが、ヒートアップしていく足立さん達の喧嘩の声で我に返る。

「お前はいつもそーやって!まともに人と会話も出来ねぇのかよ⁉︎」

 とりあえず現実を受け止める為、今一度周りを見渡してみる。

 ここは森の中で、湖のほとり。俺を含め、ここには八人くらいの人間がいるようだ。

 もはや異世界に飛ばされたこと自体は問題ではない。ってかむしろ、それだけなら冷静でいられる。俺が今冷静でいられない理由。それは間違いなく、[俺以外DQN]というこの状況のせいであった。

 歌舞伎町のど真ん中に学校が建てられたら、きっと教室はこんな感じになるだろうというような光景。

 [ごく○ん]の共学のバージョン。目前(もくぜん)驚愕(きょうがく)イリュージョン。ヒエッ!——とか下らない(いん)を踏んでる場合ではない。

 状況をまだ理解出来ていない俺であったが、横にいる竹ノ塚さんが、ヒートアップする二人の喧嘩を心配そうに見ていることに気づいた。いや、気づいてしまった……

 一瞬こちらに目配せをした竹ノ塚さんの視線には、『お前、ちょっと行って止めてこいよ。』みたいな意味を含んでる気がした。

 心配そうな彼女の表情からはそんな事読み取れるはずもないのに、なぜか直感的にそんな感じがしたのだ。不思議である。

 まぁ足立さんには介抱してもらった借りもあるからなぁ……いや?タバコの煙をかけられたことは、介抱と呼べるだろうか?そもそも、何かしてもらったかどうかすら、気を失っていた俺には知る(よし)もない。目が覚めた時、偶然目の前に足立さんが居ただけなのかもしれない。……でももし、本当に介抱してくれていたとしたら……

「はぁ……」

 恐ろしく気は乗らないが、俺は美少女ギャルと脳筋(のうきん)鉄人(アイアンマン)との喧嘩の中に入っていくことにした。

 いや、自分の潔白を説明するだけだ。それくらいはしてもバチは当たらないだろう。むしろ感謝されたいくらいだ。

 一歩毎に拒否してくる足達を、一歩毎に説得するように二人の方に近づいて行き、何かの呪いがかかったかのように、固く閉ざされて開かない口を無理やりこじ開けた。

「あの……すいません……」

「「なんだテメェ⁉︎」」

 二人に揃って怒鳴られ、自分のとった行動を最速で後悔した。

 もう嫌だ帰りたい。異世界なんてもうどうでもいい。

 修学旅行が楽しいのものになるか、つまらないものになるか……その理由とこれは同じである。要は[一緒に行く人次第]なのだ。俺の異世界旅行は、班分けが悪すぎたのだ。

 先生、くじ引きなんて酷いよ。好きな人同士で組ませてよ。ぴえん。

 というか、よくよく二人の喧嘩の内容を聞いてみると、もう俺の事とは全然関係ないことで揉めているようだった。『幼稚園の頃に泥団子を壊された!』とか……

 話の脱線レベルを電車の脱線で例えたら、『全車両が脱線して横転して、その勢いで隣のレールに移ってそのまま走り出しちゃったー!』ってくらい脱線しているだろう。もう俺は蚊帳の外ってことでいいのだろうか?

 パンッ!

 竹ノ塚さんが突然手を叩き、喧嘩していた二人の視線と殺気を集める。

 俺も彼女の方を見たが、この角度からは竹ノ塚さんの表情までは窺えなかった。

 だが二人の怒り狂った赤い顔が、ゆっくりゆっくり青ざめていく様子だけは、俺の目にもしっかりと映った。

 少し目を凝らすと、竹ノ塚さんの背後には[氷属性の白虎]みたいなものが見えた気がした。

 わー。早くも聖獣二種類目だー。

「それで、イカセ君!なんの話だっけ?」

 幼馴染三人のカーストを把握した気がした俺は、とびっきり輝いた笑顔で振り向いた竹ノ塚さんの態度に、背筋を凍らせながら口を開いた。

「あの……俺は——」


 キーンコーンカーンコーン


 突然、森に爆音のチャイムがこだます。

「何⁉︎この音⁉︎」

「くそ!耳が痛ぇ!」

 周囲がざわめく。

 この世界で俺の話には、ことごとく横槍が入りやがるらしい。ぺっ。


『ご来世(らいせ)の皆様!大変お待たせいたしましたぁぁぁああああ‼︎』


 爆音のチャイムに続いて、変声(へんせい)されたような声で話す、物凄いハイテンションのアナウンスが流れ出した。

 [ご来世(らいせ)]って……そんな言葉本当に存在するのか?

 これもいつか白鳥君に聞こう。


『皆様が今いるこの場所は、皆様が元いた世界とは異なる世界になります!

 皆様から見れば、ここは所謂(いわゆる)[異世界]……

 皆様は[異世界転移]をしたと考えていただければ、理解が容易かと思われます!』


「誰だテメェ⁉︎」

「は?異世界とか……意味わかんねぇんだけど!」

 [異世界]という言葉を聞いて、周りが更にザワつく。

 やっぱり異世界転移だったのか。

 それにしても、なんというか……[異世界っぽくない]アナウンスだな。


『さて、今ここにいらっしゃる皆様は、元の世界で[DQN]と呼ばれていた方達です!』


 意義あり‼︎

 全力で指を()したかった。

『俺のどこが⁉︎』『誰が俺をDQN呼ばわりしていた⁉︎』と大きな声を出してやりたかった。

 しかし俺は、この状況で目立つ訳にはいかないのだ。

 だって目を付けられたら、この後どんな目に遭うかわかったもんじゃない。怖いもん。

「っざけんじゃねぇぞ‼︎」

「ぶっ◯してやる‼︎」

(ミラー)だけ一緒に届いてるのなんででしょう?」

 足立さんと[アイアンマン・西新井]は、横でブチギレて怒鳴り散らしていた。

 なるほど。本物のDQNはDQNって言われると怒るもんなんだな。覚えておこう。

 実は俺も怒りそうになっていたが、まぁ理由が違うから例外だろう。


『早速ですが皆様にはここで、[ある挑戦]をしていただきます!』


 は?挑戦?……ま、まさかこれは⁉︎

『最後の一人になるまで◯し合って——』ってやつか⁉︎

 これはデスゲーム系の異世界転移だったのか⁉︎


『皆様には[三つのワ]を作っていただきます。』


 ……は?[三つのワ]?


『皆様は元の世界で、[DQN]として周囲の人々に恐れられてきました。

 [怖そう][関わると面倒臭そう]というだけで無条件で気を遣われる。

 気に入らないものと争い。時に暴力を振るう。

 中には法に触れる行為を行なっていた方もいるようです….』


 ギクッ!と音がなったように飛び上がり、タバコを隠す足立さんの姿が横目に映った。


『そんな皆様に足りないもの……

 それは[思いやり]と[信頼]です!

 この挑戦は、それに気づいていただく為のものになります‼︎』


 全くもって意味が分からん。俺は[DQN強制(きょうせい)矯正(きょうせい)機関(きかん)]に、誤って拉致(らち)されてしまったとでも言うのだろうか?

 だとしたら冗談ではない。今すぐ(うち)に帰して、二度寝の続きをさせてくれ。

 こんな刑務所みたいな異世界世活は願い下げである。

 こちとら来月にはブラック企業(予想)の社畜(予定)になるんだ。

 今くらい穏やかな気分で休ませて欲しい。


『現在、こちらには九人の方をお招きしております!

 見事[三つのワ]を作ることが出来れば、皆様は[元の時間の元の場所]に帰ることができます!

 制限時間はございません!

 皆様で協力して、元の世界への帰還をお目指し下さい‼︎』


 今の説明を要約すると『テメェら補習課題が終わるまで、こっから絶対逃さねぇからな!』ってことだよな?

 ってかなんなんだ、その[三つのワ]とやらは?

 そして『皆様で協力』って……

 この状況で、幼馴染同士なのに喧嘩してるような奴らと、どう協力しろと?


『また多くの方にとって今回は、記念すべき[はじめての異世界転移]だと思われます……そこで!

 ささやかながら、我々の方で[異世界らしいもの]を(いく)つかご用意させて頂きました‼︎

 せっかくですので、こちらも是非お楽しみいただければと思います!』


 パチパチパチパチパチパチ


 アナウンスの後ろで、何人かが拍手している音が聞こえた。

 やっぱりこのアナウンスの奴らふざけてるだろ?

 何が[はじめての異世界転移]だ。

 そんな胡散臭い入門書みたいな名前でカテゴライズするのは止めていただきたい。


『説明は以上となります!

 また、大変申し訳ございませんが、ご質問等には一切お応え出来かねます!

 皆様の御健闘を心よりお祈りいたします‼

 それでは失礼いたします——ブツッ』


 ………………


 ………………え、まじ?


「ふざけんじゃねぇぞゴルァあ‼︎」

「テメェ何様のつもりだよ⁉︎」

 まぁ、そりゃあそうなるよね。

 一方的に内容を話され、電話を切られた時のような気分になり、俺でさえ胸糞が悪い。

「隠れてねぇで出てこいや!ビビってんのか⁉︎」

「ほんとに元の時間に戻してくれるんですか⁉︎ガソリンが……」

 DQN達の更なる怒りの叫びがこだます。ってかさっきから、ただのバイク好き一人混じってるよな?

 とにかくこれは無理ゲーだ。

 こんな奴らと?[思いやり]と?[信頼]?

 そんなの絶対無理に決まって——


「グァァァァァアアアアアア‼︎」


 突然、動物の鳴き声のような音が轟く。音の感じからして、ここからそう遠くない。それに、かなり大きい生き物の声のようだ。

「何⁉︎今のなんの音⁉︎」

「今度はなんだ⁉︎」

 ……ドス……ドス……ドス……ドス……

 かなり重たい体を支えているような足音。きっと、先程の声の主のものであろうその足音は、真っ直ぐこちらに向かって来るように音量を上げる。

 ちょっと待て。

 異世界系の創作物でも、モンスターが出てくる系のゲームでも、最初に出てくるモンスターって、スライムとかゴブリンとかイノシシとか……そう言う小型モンスターって相場が決まってるよね?

 このデカい足音……絶対当てはまんなそうなんだが⁉︎

 ゆっくり森から姿を表した[ソレ]は、普通のゲームとかなら、ダンジョンの十七階層あたりの階層ボスを務めていそうな、三メートル超の貫禄あるリザードマンであった。

「うわぁあ‼︎なんだアイツ⁉︎」

「助けてぇ‼︎」

 長い首と猫背に丸まった身体は、所々輝きを見せる(うろこ)に覆われ、歴戦を感じさせる傷が全身にある。片方が傷によって潰れている隻眼の瞳は、燃えているかのように真紅で、睨んだ相手を焼き尽くせるかのように鋭かった。口にはサバイバルナイフのような牙がビッシリと並び、その奥には長い舌が不気味に(うごめ)く。

 その姿はやたらとリアルで美しく、同時にグロテスクなもののようにも感じた。

 武器は持っていないようだが、[二足歩行のドラゴン]ではなく、間違いなくそれは[リザードマン]。[半人間]であった。

 俺がそう確信した理由はただ一つ……


 ——[金髪のモヒカン]だったからだ。


「モンスターもDQNなのかよぉぉぉおおお⁉︎」

「グァァァァァァァァアアアアアアアアア‼︎」

 おいおいおいおい‼︎ハードル高すぎるだろ異世界⁉︎初っ端の敵が強そう過ぎるぞ⁉︎

 しかもなんでモンスターが、俺の嫌いなDQNテイストなんだよ⁉︎

 思わず口に出てしまったツッコミに反応し、俺に向かってスクリームしたリザードマンは、凄い形相でゆっくりと俺の方に近づいてきた。

「イカセ!逃げなきゃ!」

『蛇に睨まれた蛙』という言葉を知っているだろうか?

 俺は今、まさしくその[蛙]である。

 足立さん達の叫ぶ声は、確かに俺の耳に入っているはずなのに、本当に何も考えられないのだ。足が動かないのはもちろん、俺の視線は、血のように赤いリザードマンの瞳から逸らすことを許されなかった。

 そんな中、ふと頭をよぎったのは、ここに(落ちて)来る時に考えそびれた事。

 [何故俺はここに呼ばれたのか?]である。

『多分俺は、[今回矯正を受けるDQN]として呼ばれた人員ではなく、このリザードマンの最初の犠牲者となって、この世界の本気さ、残酷さを他のメンバーに知らしめる為の、言わば[生け贄][捨て駒]として呼ばれたに違いない。』

 そう思った。

 迫り来る死の恐怖に怯え、ガタガタと震える身体と、自分の存在意義を悟ったかのように冷静な頭。その温度差で結露したかのように、全身から冷や汗が噴き出してくる。意識が少しずつ薄れ、重くなった瞼が下り、目の前が真っ暗になった時——

「ブ、ドウ、タン、サン、イン、リョウ、シュ……」

 遠くからお経のような、呪文のような声と、バチバチと何かが弾ける音が聞こえ、心なしか空が暗くなった気がした次の瞬間、俺の身体は大きく横に突き飛ばされた——

「お前!死にたいのか⁉︎」

 俺を突き飛ばしたのは、アナウンスの時ちょっと離れたところに立っていた、青い髪の少女。突き飛ばした勢いで、そのまま俺に覆い被さった少女は、仰向けのまま唖然としている俺を庇うようにしながら振り向いて叫んだ。

「ぶっ放せ‼︎ライナァァァアアアア‼︎」

「すぱぁぁぁあああくるぃんぐぅぅぅううううう…………わいいいいいいいいいいいんんんんん‼︎!!」

 薄まっていく意識の中、俺が目にしたのは、俺に覆い被さる切長の目をした美少女と、稲妻に包まれながら、逆光によって神々しく輝く、小柄な少女であった。




『バチバチ‼︎』『ゴロゴロゴロー‼︎』と(いか)つい音が周囲に(とどろ)き、暗かった辺りを照らす稲妻のような光が消えるまで、一分ほどあっただろうか。

 長閑(のどか)な太陽がまた顔を出し、今さっきここで起きていた事が嘘だったかのような快晴の空の(もと)、呆然とする俺と……DQN達がいた。

 そして、何となく予想はしていたが、さっきまでそこにいた殺意の化身。俺を殺そうとしていたリザードマンの姿はもう、跡形さえもなくなっていた。

「カエデェェェエエエエ‼︎我はやって退()けたぞぉぉぉおおお‼︎」

「よくやったね雷愛(らいな)流石(さすが)だよ。」

「ふふーん♪」

 先程俺を(かば)ってくれた少女は、未だに仰向けで落ちているゴミ(俺)とは違い、とっくに立ち上がって、先の稲妻の少女と話しをしていた。

 外側は青く、内側はピンク色に染められたボブヘアを揺らす、スラっと細身な美少女。

 どうやら名前はカエデと言うらしい。

 ライナと呼ばれる稲妻の少女の方は、明るい緑色の髪を高い位置で二つに結び、白と黒を基調とした、フリルとリボンたっぷりのドレスを(まと)っていた。更に片目には眼帯を着けているという、なんというか……簡単に言うと[コスプレっぽい格好]をしている。

「あの——」

「ねぇ、イカセ君……」

「ハい!」

 助けてくれた二人にお礼を言おうとした矢先、脳天方向から急に声をかけられ、驚きで声が裏返ってしまう仰向けのゴミ(俺)。

 恐る恐る上を向くと、俺の顔を覗き込むようにしていたのは竹ノ塚さんだった。

「疑ってる訳じゃないんだけど、一応聞くね。さっきの恐竜みたいなやつの事とか、アナウンスされてた事とか……イカセ君は本当に何も知らないんだよね?」

『疑ってる訳じゃないんだけど』と竹ノ塚さんは前置きしたが、覗き込むように俺へ向けられた彼女の顔には、逆光によって影がかかっており、ものすごく怖い顔をしているように見えた。

「本当です!本当に何も知らないんです!」

 [異世界総合インフォメーション]みたいなものがあったら、俺は真っ先に駆け込み『俺がここに呼ばれたことは、きっと何かの間違いだ!』『現世に迷子アナウンスを流してくれ!』とお願いしたいところだが、そんな受付窓口みたいなものは見渡す限り無さそうだった。

 まぁ[迷子]と言っても、異世界に[迷い]込んではいるが[子供]ではない自分。

 ここで泣きながら駄々をこねても、助けてくれる人など存在しないだろう……

 俺は仕方なく、竹ノ塚さんの任意?事情聴取(にんいじじょうちょうしゅ)を受けることにした。

「俺もなんで自分がここにいるのか分からなくて……昨日夜、自分の部屋で寝たことは間違い無いんですけど、目が覚めたら落ちてる最中で……」

「ん?落ちてる?」

「え、はい。空から。」

「は?空?……ふーん。そうなんだ……私達とは違うのね……」

「えっ、竹ノ塚さん達は違うんですか?」

「うん。私達は昨日の夜三人でいたんだけど、[気づいたら]異世界(ここ)にいたわ。」

「気づいたら?」

「そう。三人で[ただ部屋にいた]だけのはずなの。[どこかに落ちた]とか[何かに入った]とか、そういうことは何も起こっていないはずなんだけど……本当に[気づいたら]ここにいて……」

 なんという事だ。

 竹ノ塚さん曰く、少なくとも彼女達と俺とでは、転移の方法が異なると言うのだ。

 やっぱり俺は誤召喚だったのだろうか?

 だとしたら[空から落ちる恐怖]とか[湖で溺死(できし)しかける苦しさ]とか、『そんな過酷な転移は俺だけ』という事になるのか?……解せぬ。

「竹ノ塚さん達は、他の人がここに来るところを見ましたか?」

「ううん。見てないわ。他の人達は、私達が気づいた時にはもう周りにいたし、最初に見たイカセ君は、湖に浮かんでいた水死体だったわ。」

 ナチュラルに怖い事をいうなこの人。

「因みに、湖に浮いていた『俺の水死体』を引き上げてくれたのは、もしかして竹ノ塚さんですか?」

「ううん。私じゃないわ。」

「え?じゃあ足立さんですか?」

「アーシじゃないよー。」

 そう言いながら、ニヤッと口角を上げた足立さんの表情変化を、俺は見逃さなかった。

「えーと……もしかして……」

 足立さんの横にいた男が口を開いた。

「俺だ。」

『まさかの[ガチムチマッチョ展開]だったぁぁぁあああ‼︎』

 恐れていたことが現実になってしまった……もうお婿に行けない……

「コイツ、周りの景色が急に変わってパニックになってるアーシを無視して『おい!誰か溺れてるぞ⁉︎』って急に湖に飛び込むんだもん!さらにビックリして、余計パニックになったわ!」

 そう言って哲人のモノマネしながら話す足立さん。

「うるせぇ!苦しそうな奴見てると、反射的に体が動いちまうんだよ。」

 やめろ!急に[いい奴設定]を後出ししてくるな!俺にとってお前は、このまま[嫌な奴]である方が都合が良いんだよ!

 ……でも一応、命の恩人みたいだし、お礼くらいは言うべきだろう。

 来週から社会人になる俺は、そのくらいのマナーはある男なのだ。

「あの……助けてくれてありが——」

「お前、本当に何も知らないんだな?」

 せっかくお礼を言おうとしたのに、途中で話を被せてきやがった。ってか近くに立つと、威圧感あるなコイツ……デカいし。

「ほ、本当です。逆に、なんで俺みたいな奴がここにいるのか不思議なくらいで……」

「それは俺等(おれら)も一緒だ。さっきのアナウンスを聞いても、自分たちが何でこんなとこに連れて来られてんのか……全然納得出来やしねぇ。」

「そ、そうですよね……」

 もうお礼言ったしいいよね?最低限の義務は果たしたよね?もうこの人の前に立っているだけで、威圧で押しつぶされそうなんだけど……

 きっとアイザック大先生も、ここだけ重力が狂ってることにビックリして、林檎を喉に詰まらせるに違いない。

「でもまぁ、お前はどう見ても[DQN]って感じじゃねぇもんな……でも逆にそれが怪しいっつうか……」

 何か証拠でもない限り、俺がコイツに信じてもらう事は恐らく不可能だろう。

 俺は自分が無実である事は伝えたんだ。そう。ちゃんとこの口で伝えたんだ!もう十分だろ?よくやったよ俺!潔白の証明は諦めて、早くコイツから離れよ——

「でもさあ、それってイカセ君になんのメリットがあるの?」

 振り向くと、竹ノ塚さんが首を傾げ、頭にハテナマークを浮かべていた。

「確かにこの中でイカセ君が一番DQNっぽくはない。でもそれって逆に、絶対目立つよね?そしたら哲人みたいな人に、真っ先に疑われると思うの。それでさっきみたいに胸ぐらを掴まれたり、もしかしたら、もっと酷い目に遭うかもしれないじゃん?」

 竹ノ塚さんの言葉に、顔を(しか)める男。自分の行動が『単純だ』と言われているようで、分が悪いのだろう。しかし竹ノ塚さんの推理ショーは更に続く。

「もし私が、さっきアナウンスの言ってた[挑戦]をやらせるなら、自分はこんな所に来ないでアナウンス席にいると思う。」

「そ、それは……いや、でもよくあるだろ!『犯人はこの中にいる』とか『混乱する姿を現場で見たかった』とか!」

「だとしたらもっと疑われない姿で潜入しね?つかさっきのモンスター。真っ先にイカセの事殺そうとしてたけど?」

「う……」

 足立さんからの追撃を受け、黙ってしまった男。この勝負、女性陣の勝利のようだ。勝ち負けの基準は無いが、この悔しそうな顔は[負けを認めた男の顔]そのものだった。

 そんな悔しそうな顔のまま振り返り、ギロッと俺を睨んだ[敗者さん(はいしゃさん)]は、顔を近づけ唸るような声で言った。

「最後にもう一回だけ聞かせろ。本当にお前はなんも知らないんだな?」

「は、はい!誓って何も知らないです!」

「……そか。」

 どうやら納得してくれたようだ。二歩くらい下がって腕を組み、決して目を合わせないように彼は言った。

「溺れてたのを助けた事……礼はいらない。だから疑ったのはそれでチャラだ。」

「わ、分かりました。」

 ふぅ。なんとか納得してくれたみたいだ。サンキュー足立さん、竹ノ塚さん。

「いや良くねぇから‼︎」

 パンッ!

 足立さんが、思いっきり男の後頭部をヒッパタキながら叫んだ。

「いってぇえ⁉︎なんだよピンク⁉︎」

「お前、イカセのこと胸ぐら掴んで犯人呼ばわりしたくせに、そんなんでチャラに出来るわけ無ぇだろ⁉︎あとアーシをピンクって呼ぶな!」

 どうして貴方がそんなに怒っているのですか?……あ、下の名前で呼んだら怒られるのは分かってましたけど。

「チッ……わーったよ‼︎うっせぇなぁ!」

 すごい嫌そうな顔をしている男の顔が、だんだん可哀想にも見えてきた。

 竹ノ塚さん(しか)り、女の人ってやっぱ怖いよね……きっと気の強いこの男も、なんだかんだ将来は尻に敷かれる旦那になるんじゃないかと思った。

「おい。」

「は、はい。」

西新井(にしあらい)哲人(てつひと)だ。よく分かんねぇまま疑ったり掴みかかったりして悪かった。」

 イライラした顔か、気まずそうな顔をしているだろうと、恐る恐る視線を上げた俺が見たのは、予想外にも、ちょっと照れ臭そうな顔だった。

「と、とんでもないです!こちらこそ助けていただいてありがとうございました!あ、えっと、飯塚です……」

「っつかお前さっきから、その敬語やめろよ。」

「え……でも初対面ですし……西新井さんは——」

「哲人だ。それに、もう初対面じゃなくなっただろ。」

「……えーと……哲人……さん——」

「[哲人]だ。」

「て、哲人……よろしく……」

「おう!よろしくな!えーと……イカセ!」

 俺の名前、本当は[イカセ]なんじゃないかと錯覚し始める今日この頃。

 まぁでもお互い様だろう。俺も哲人の事を『テツジン』とか呼んでたし(心の中で)。

 (ちな)みにに足立さんと竹ノ塚さんは、非常に温かい目で俺と哲人のやりとりを見ていた。

 その視線が、[幼馴染の男の子の成長を見守る、母性的なサムシング]だと察した俺だったが、『恥ずかしい。』という感情は一切なく、『重なり続けるこのアウェイな状況から一刻も早く抜け出したい。』という思いが心を満たされていた。

 転移、DQN、モンスター、雷、幼馴染……

 一体どれだけ俺を追い詰めれば気が済むんだ異世界。

「おし!文句ばっか言っててもしょうがねぇし、[俺達]でヤってやろうじゃんかよ!その挑戦ってやつ!」

 俺の背中に手を置きながらそう言い切った哲人。

『早くこの場から逃げ出したい。』という事でいっぱいだった俺の頭は、どうやらその[俺達]の頭数に入ってしまっているようだ。

「ん?イカセどーしたん?」

 さっき俺を庇ってくれた足立さんの純粋な視線。

 拒否権は……無さそうである。

「いえ……何でもありません……。」

 こうしてめでたく、俺の異世界パーティーは結成されてしまったのであった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 韻を踏むとこ好きです笑 [一言] 第一章が長めなので、小分けで掲載されている方がコツコツ読みやすいかな?と思いました。 (しおりが途中には挟めないようなので)
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