邂逅編 1-3
それからどのくらいたったのだろうか、最後の問題を解き終わり、ふと黒板の上にある時計を見上げると時刻は五時になる直前だった。課題を終えた達成感でふと周りを見渡すと、教室には若干のウェーブのかかった薄茶色のセミロングの髪の女子が一人残っていた。さっきにグループの女子だ。彼女は「ない・・ない・・」とつぶやきながらガサゴソとカバンの中の荷物をひっくり返している。
俺は彼女が誰かを知っている。
堀内理沙―所謂やかましい、もといイケてるグループの一人である。明るくて朗らかな、ザ・キラキラ青春ガールといった感じの女子であり、休み時間や放課後に後ろの方で集まって騒いでるクラスの一軍組の輪の中に常にいる印象だ。要は典型的な陽キャタイプつまり俺の敵だ。
音の発生源である。彼女の方を見ると、今度はカバンのポケットの中に手を入れ、中の確認をしているようだった。かなり焦っている様子で、表情から焦りと困惑が感じられた。
なんか思ったよりも深刻そうじゃね?
俺はさっきまで、彼女―堀内理紗に対し、心の中で対岸の火事と揶揄したことに対し申し訳なくなった。
現在、クラスには俺と堀内理紗の二人しかいない。そのせいもあってか彼女のドタバタと慌てる様子が教室中に響いている。俺は先ほどに今日の課題を完遂したため、さっさと帰ることもできたのだが、何があったのかという自分の好奇心に負け、ついに彼女に話しかけることを決心した。私、気になります!
脳内でかける言葉を考え、会話のシミュレーションをする。イメージトレーニング完了!よし、いける!こうして俺は勇気を振り絞って話しかけた。がんばれ!榎本拓実!
「どっ、どぅしたの? 堀内しゃん。」
女子に、いや訂正、他人に話かけて慣れてないせいか、思わず声が上ずった。やっぱり今回もダメだったよ。ハハッ、やっちまったぜ、死にたい。
突然話しかけられたせいなのか、それとも俺の話しかけ方がよほど気持ち悪かったのか、彼女―堀内理沙はビクっと一瞬体を震わせたが、すぐにくるりと振り向き、明るげな声で
「あっ。榎本くん。ごめん、勉強の邪魔しちゃった?」
と可愛げに両手を合わせて、ごめんねと手で謝った。
向かい合った形となり、俺は正面からの彼女を見た。膝丈ちょい上くらいのスカートに、ボタンを二つ空けたブラウスに星形のチャームのついたネックレスをつけている。ムムッ、なるほど、胸でかいっすね。いや、ネックレスを見てたらたまたま目に入っただけだからねっ。勘違いしないでよねっ。
まあとにかく、彼女の服装のいずれも校則のギリギリのレベルであり、いかにも派手めの女子のしそうな格好といった感じである。
俺は我に返って、彼女の顔の方を見ると、彼女は目をパチパチとしてこちらを見つめている。
さすが陽キャ、一つ一つの動作に親しみやすさというか、可愛げがある。ほら、いまも首をきょとんと軽く傾けてる仕草とかもう可愛い。だが、東京陰キャランドの住人である俺が、ここでひるんでは負けなのである。
俺はすぐに我自我を取り戻し返事する。
「いや、ちょうど英語の課題が終わったところだから大丈夫。」
よし今度はちゃんと言葉を発せたと俺は心の中でガッツポーズをした。
「ほんとに!もう終わったの⁉めっちゃ早いじゃん!榎本くんってすごい真面目なんだ。」
「お、おう。ありがと。」
彼女の心から驚いてくれる様子に、思わず照れてしまい、思わずはにかんでしまった。はっ!いかんいかん、つい話が脱線しそうになった。本題に戻らなくては
「じゃなくて、どうしたん? 何か探してる感じだけど大丈夫そう?」
少し慣れてきたからかわからないが、すらすらと言葉が口から出るようになってきた。
「うーん、なんかスマホをどこかに忘れちゃったみたいで、ちょっとね。」
彼女は困った様子で答えた。
「あーなるほど、だから荷物全部ひっくり返してガサゴソとカバンの中を探してたのか。」
俺がそういうと堀内は少し赤面し、
「そーだよ! でもカバンの中には入ってなかったの!」
と少し憤慨していた。
「そ、そうなのか。それは残念だったな。」
「あ、でも、まだ探してみるし、あたしのことは全然大丈夫!」
堀内は「あはは・・」とつとめて明るくしたような様子で話した。
俺は彼女のその作られたような笑顔に、なんというか言葉にはできない気分の悪さを感じた。まるで、一人でやるから、お前は邪魔だといわれてるよう感じである。
だがここで素直に帰るのは、何というか負けた気分になる。売り言葉には、買い言葉だ。俺は手伝いを申し出ることにした。
「スマホ、探すの手伝おうか?」
俺の提案に彼女は驚いた様子で
「え⁉いいよいいよ、いいよ。ほんとに大丈夫。その、失くしたのは自分の責任だし、手伝ってもらうのはダサいじゃん・・。それに、榎本くんに迷惑かけれないっていうか・・・そんな感じ。」
堀内は最初のうちは手をブンブンとしながら遠慮気味に断っていたのだが、その言葉はどんどんと小さくなっていき、最後のほうはうつむきながらボショボショとつぶやくようになっていった。
「あたし、もうちょっと頑張ってみるから。ね。」
その言葉は、遠慮の示す言葉であったが、まるで自分自身にも言い聞かせているかのようだった。
そんな風に一人無理して頑張ろうとする彼女の様子を見て、俺は「はいそうですか。では頑張ってね。」とほって一人帰る気分にはならなかった。間違いなく、このまま帰ったら絶対もやもやする。
だからこそ、俺はここで食い下がるわけにはいかない。俺は理論武装をし、実力行使に出ることにした。
「いや、俺のことは気にしなくていいぞ。ほら、俺一人だし、どうせ俺この後も暇だし。っていうより俺ら二人しかいないのにここで堀内のことを放って帰る方がこっちとしても具合悪いし。」
「で、でも」
俺はそんな気を使われるような人間じゃないぞ、といったニュアンスで言ったつもりだったのだが、俺の突然のボッチカミングアウトに堀内は困惑している。それに間髪入れず、俺は続ける。
「ほんとに嫌じゃなかったらでいいから、手伝わせてくれないか?せめて三十分だけでいいから。お願い。頼む。」
「・・・」
堀内はうつむいているため、表情がわからない。
しばらくの沈黙のうち
「うん。わかった。ありがと。」
そう言うと、堀内は申し訳なさげにうなずいた。交渉成立である。まあ、なにも取引なんてしてねぇけど。
俺は胸をなでおろした。なんというか、お願いする人とされる人の立場が本来と逆になっているような気がするが、でもまあこの際どうでもいいよね。




