彼は死んだ
「友よ、どうやら私は明日死ぬらしい。」
なんでもないような顔をして彼はそう言った。
彼は、天気の話をするような自然さで、さも当然のように話したので、一瞬聞き流してしまうところだった。
私は面食らって、そうかと返した。
「病気かね」
とりあえず無難にそう聞いた。
彼は首を横に振った。
「違うとも。でも、私は明日死ぬのだ。今、たしかにそう思ったのだ。」
「思うだけで死ぬものか。まさか、自殺なんてよせよ。」
「そんな思い詰めちゃあいないさ。それでも、きっと私は明日死ぬのだろうな。」
私はわけがわからなかった。
病気もしてない、自ら死ぬ気もない人間が、明日突然死ぬなんて信じられるわけがない。
心に何か影があるのかもしれない。彼を慰めなくてはと私は思った。
「どうして突然死ぬと思ったんだね。」
「お前は明日死ぬと、誰かに言われた気がしたのだ。その誰かが神か仏か、鬼か悪魔かは知らないが、明日私が死ぬという言葉に私は納得してしまったんだよ。理由だってない。ただ、すとんと心に落ちたのだ。」
私には友の言うことが理解できなかった。
彼の言葉には憂いも不安もない。
当たり前のことを言うように、彼は明日死ぬのだと言ってのける。それが、私は怖かった。
「大丈夫さ。きっと気のせいだ。君は明日、私と一緒に観劇に行くんだ。そして、おもしろかったな、いや、あの役者はぎこちなかっただろう、と笑い合うのだ。」
「ああ、そうだったね。でも、すまない。その約束は守れそうにない。」
「何を馬鹿なことを言っている。」
「そう怒らないでくれたまえ。私とて、死にたいと思っているわけではないのだから。」
彼は困ったように私に言う。
私も困ってしまった。
この困った友のためにできることは何なのだろう。
「わかった。では、このあと君の家で酒でも飲もうか、友よ。夜通し飲んで、私が、君はまだ死なないのだということを確認してしんぜよう。」
「そいつはありがたい。これが回避できるような、普通の死だとは、私には思えないが、君に側にいて貰えれば安心だな。」
はははと彼は笑う。
彼の笑い、彼の言葉、彼の雰囲気をよく観察した。やはりそこに不安などはなく、私はこれは彼のたちの悪いジョークなのではないかと疑いはじめていた。
そうだ、彼はきっと私と酒を飲む理由が欲しかっただけなのだ。なんとも可愛くない嘘だろうか。
やれやれと心の中で首を振り、酒とつまみを買い込んで、私たちは彼の家へ向かった。
「さいごに君と飲めるのは嬉しいな、友よ。」
「まだそんなことを言っているのか。」
私は呆れながらも彼に酒を注いでやる。彼は無意識な不安があるのかもしれない。今日一緒にいてやることで不安が取り除ければお安い御用だ。
余計なことは言わず、他愛もないことを話しながら、くだらないことで笑い、酒を交互に注ぎ、夜はふけて行く。
「ほれみろ。もう君の言う明日になったが、君は死んじゃいない。生きてるじゃあないか。」
気がつくと、時計の針は、夜中の零時をまわっていた。それでも私の友は生きている。
「ああ、そうだね。私は生きているよ。」
「そう、そうだとも。安心したかね。」
「ああ、安心したよ。君も随分安心しているから。」
「お前が死ぬなどというから不安だったのだ。まったく……」
すまない、そう彼は笑った。
その姿に、なぜか私は不安を覚えた。
根拠のない、しかし説得力のある"明日死ぬ"という彼の言葉が、どこか心にひっかかっていて。
「私はいい友を持ったものだ。」
「その通りだ。こんないいやつ他にいないだろう?」
「調子に乗るんじゃあない。」
おちゃらけて不安を誤魔化す。
目の前で笑うこいつが死ぬはずなんてありはしないと。
「気のせい、だったのかもなぁ。」
「気のせいだとも。」
「気のせい、だった……」
「……どうした?おい?」
彼は言葉を区切り、固まってしまった。
酔いがまわったのかと、ひらひらと手を降ってみるが反応はない。
そして、彼は死んでいた。
私との会話の途中、ふわりと笑ったまま、突然、唐突に、なんの前触れもなく、彼は、私の友は死んだ。
死因は不明。
心臓の急病ではないかと言われた。
私は彼の死体を見て、狐につままれたような顔をしていただろう。だって、今さっきまで私たちは語らっていたのだから。
“誰かに言われた気がした”。そして、“納得してしまった”のだと、彼は言っていた。私は何か、大きな、人間には はかりしれぬ力が彼を襲ったのではないかと思った。
私の友の命を奪ったのは?
神か、仏か、鬼か、悪魔か。
彼を見送った翌日のことだった。
〖 貴 方 は 明 日 死 に ま す 〗
突然、私は誰かにそう言われた気がした。そして、納得してしまった。それが正解なのだと思った。
ああ、友よ。
私も納得した。
私はきっと明日死ぬのだろう。
私に語りかけた存在が、神か仏か、鬼か悪魔かは知らないが、たしかに私は明日死ぬのだろうな。
なぜと聞かれても答えようがない。
しいて言えば、そうだね。
世界がそれを望むから、か。
いや、そんなロマンチックな話ではないな。
友の死の謎。
その解答は簡潔に。
それがこの世界のシステムだから、だ。
わかりにくいだろうか?
理解はできないかもしれない。
だって、私も友を理解できないと思った。
私も、友と同じ境遇になり、はじめて理解できたのだから。
この死は、気のせいなんて言葉では覆しようのない現実なのだと。
「気のせい、だったら、よかったのになぁ……」
きっと私の友はそう言いたかったのだろう。
友の死に際の笑顔を思い出す。
なんだか、おかしくなって、同時に、友と過ごした楽しい思い出が頭をめぐり、私もふわり、と微笑んだ。
そうして、私も死んだ。