クライマックスは婚約破棄で
人が一目惚れするとこ、初めて見たわー。
楽器の音色が踊る華やかな大広間。その中で周囲と切り離されたように、二人とも見つめあって、時が止まったように身動きもせずに。
えーと? ちょっとー? なにこれ?
貴族のお付き合い、見慣れた舞踏会、賑やかな虚飾の社交界。だけどここだけ別世界?
隣に立つ男、アランの顔は目前の少女に釘付け。アラン、あなたがエスコートしてるの私なんだけど? 隣で手を取っている私のこと見えてる? 忘れてない?
そして目の前の少女はアランの顔に釘付け。なんなのあなたたちは? あなた誰? なにこの空間? これが噂に聞くラブ結界? 私は空気? すっごく居心地悪いんですけどー?
どうやら、私、シャロットの婚約者、アランが目の前の少女に意識やら心やら魂やら奪われて、少女から目が離せない様子。うっわー、アランがこんな顔してるの、初めて見たわ。どうやらそれは目の前の少女も同様で、いやまぁ、私から見ても小動物的な可愛さを感じる、あまり見かけないタイプの、ハグしたくなるような少女だけどさ。
とりあえず、そろそろこの謎結界、解除してもらえない? まだお互いに自己紹介もして無いでしょ? 手を回してアランのわき腹をグイとつねる。痛みでビクンと再起動するアラン。目前の小動物的な少女もようやく我に返って、ようやく私の存在に気がついたみたい。
さて、私は貴族営業用の猫をスッと被り直して、伯爵家の令嬢らしくご挨拶。
「初めまして。私、フルフール家のシャロットと申します」
ニコリと笑って言外で、あなた誰よ? と訊ねてみる。目前の小動物的な、子犬か子猫かどちらかと言えば子リスのような、可愛らしい目がパッチリとした少女が会釈。
「初めまして。ゼパル家のフィニイと申します」
ふむ、作法は及第点。この少女、これまで社交界では見かけなかったわね、ノーチェックだったわ。ゼパル家、男爵ね。あの男爵家にこんな女、いたかしら?
隣の我が婚約者も落ち着きを取り戻して、外面の仮面を被り直してご挨拶。
「始めまして、エリゴス家のアランダールです」
「アランダール様……」
ちょっとフィニイさん? 人の婚約者の名前をキラキラしながら言うの、やめてくれない?
「フィニイ……」
おい、アラン、お前もだよ。その背後に出てるキラキラオーラはなによ? 私にはそんなの出したこと無いじゃない。なんだコレ?
見つめ合う二人になんだか不穏なものを感じつつも、このときの舞踏会は無事無難に終了。アランがなんだかポヤンとしてたので、後々要警戒事案。
だけど、一目惚れってほんとにあるのね。そんなの本の中か演劇の中にしか無いと思っていたわ。アランも公爵家の一員でちょっと頼りないところはあるけど、頭はいいから、愛とか恋とか浮わついた事にはならないと思うのだけど。
いやー、でも、どうかなー? アランがあんな風にポヤーンてなるのは初めて見たからなー。
◇◇◇◇◇
……ヤバイ? これヤバイ? 只今わたしシャロット、伯爵家の娘とバレないように庶民の格好で街に出ております。尾行中であります。
あの男爵家のフィニイと私の婚約者アランが急接近してると聞きつけて、アランを尾行中。庶民の格好してコッソリ街に出るアラン。息抜きとか、あと真面目な人は庶民の暮らしぶりを見たりとか、そういうので街に出る貴族は少数派だけどさ。かく言う私もそういうの好きだけどさ。
で、アランの隣にいるの、クリクリおめめのあの小動物男爵令嬢じゃない。え? 身分を隠しての庶民派デート? 合挽き? 逢い引き? 屋台で買った熱々のフランクフルトをパキッと食べてるのは、なんのダジャレなのよ? 合挽き肉カップルと呼んでやる。
え? 手がぶつかったら二人とも顔がポッと赤くなったわ。なにその初々しい感じ? どういうこと? うーん、どうしたものかなコレ?
◇◇◇◇◇
家で父に呼び出される。
「どうなっている?」
「何のことでしょう? お父様?」
相変わらず不機嫌なまま固まったよーな顔してるなあ、私の父。私の事をジロリと睨むように見て、
「お前の婚約者、アランダールのことだ。ゼパル家の娘と仲良くやってるようだが」
「まあ、そんな話、私は知りませんわ」
初めて聞いて驚いた、という顔をしておく。しれっと言っておく。
「何かの間違いではありませんか?」
「エリゴス公爵家との縁談前に、おかしな噂が出回っても困る。シャロット、お前がアランダールをしっかり掴まえておけば、こんなことにはならん。今のところ気がついている者は少ないだろうが」
いやまあ、我がフルフール伯爵家とエリゴス公爵家の縁談を、無事に綺麗に済ませたいのも解るけれどね。父よ、娘のことをもう少し気にかけてはくれないもんですかね?
「若者が身を固める前に少し遊びたいというものだろうが、アランダールも少しは周囲のことを考えてもらいたい。シャロット、お前から婚約者にそれとなく注意しておけ」
いえ、アランはそういう遊びとか器用にできる男じゃ無いから。婚約者で幼馴染みの私が、女性には誠実にと仕込んであるから。んー、でもアランもあれで男の子だからなあ。二歳年上の私よりあーいう可愛らしい小動物みたいのが、男にはいいのかしら?
「シャロット、フルフール家の為に結婚式までアランダールを抑えておけ」
「はい、お父様」
はいはーい、わかりましたよー。相変わらず私をムカつかせる父だ。まともに話をする気も起こらない。そんなんだから母と仲が悪いんだろに。
物心ついてから父と母の仲がいいとこ見たこと無い。これでおじい様、おばあ様の反対を押し切って大恋愛の果てに結婚したなんて、嘘だ、としか思えない。なんでそんなに仲が悪いの? 憎みあってるようにしか見えない。
私としてもさっさと結婚して、こんな家を出てエリゴス家に嫁ぎたいとこなんだけど。
しっかし、どーしよっかなー?
ゼパル男爵家の娘、フィニイ。調べてみて少しは情報も集まってきたけど。先にアランと話をしておくべきかなー?
◇◇◇◇◇
件の男爵家の娘、フィニイから呼び出された。内密に話がしたいという。男爵家の娘が伯爵家の娘を呼び出すというのはどうなんだろう?
調べてみたところ、フィニイというのは庶民として暮らしていて、ゼパル男爵家に来たのは三年前という。それで貴族のことを詳しく解ってないところがあるみたい。
や、まあ、貴族の男が遊びで手をつけて、相手の女とできた子をポイッてのはたまにあることだけどさ。そこから改めて引き取って家に迎えるのは珍しい。フィニイというのはかなりの珍種の小動物ということになる。
うーん、そういう毛色の変わったのがアランの趣味だったのか? それともアランは豊乳よりも貧乳が好みだったのかしら? 私の方が大きいのだけど。あちらは小振りだったけど。
フィニイの話したいことが何か解らないけれど、私もフィニイには少し興味がある。取り合えず内密二人きりが希望されてるので、庶民の格好で街に出る。父に付けられた護衛というか見張りを撒いて、スタコラと街に出る。そしてフィニイとご対面。
「シャロット様、無礼なお呼び立てをしたこと、まことに申し訳ございません。私の願いを聞き入れて下さいましたこと、まことにありがとうございます」
……なんだか、死刑執行に怯えるみたいにカタカタと震えているわね、フィニイ。顔を上げて、というと下げた頭を上げて私を見上げてくるクリクリおめめ。ますます子リスみたい。
さて、何の用件かしら? と訊ねてみる。
「フィニイ様、内密のお話であればあまり時間がありません。人に聞かれたく無い話でしたら、単刀直入に」
そう、単刀を直にズブリと入れるように。入れる先が私のお腹か結婚式のケーキのどちらでもいいのだけど。父に付けられた護衛が私を見つける前にサクサクとね。
フィニイは深呼吸して、覚悟決めた感じで私を見上げて、
「私、アランダール様を、愛してしまいました」
ズブッときたー、ド直球。これが回りくどい貴族式じゃなくて庶民式?
「アランダール様には、婚約者、シャロット様がおられる。そのことを知りつつも、アランダール様に惹かれる想いを止められません」
「そのことを、私に伝えてどうするおつもり?」
「私の想いの為に、アランダール様、シャロット様のご迷惑になるようでしたら……」
両の拳を握ってキッと私を見上げるフィニイ。
「私は、自害して果てます」
またズブッといったー、覚悟決め過ぎー。なにこの子リス男爵令嬢? これが本気の恋とかいうもの? 死ぬの? 命賭けてるの?
「婚約者のアランダール様に近づく女とは、シャロット様にはご不快でしょう。アランダール様は何も悪くありません。恋の病に取りつかれた私が愚かなのです」
……あ、このフィニイ、庶民として暮らしていた時間が長かったのよね。貴族の気紛れでときに庶民が酷い目にあったりとか、知ってるのなら、貴族の不興を買ったら処刑とか覚悟完了してたのかしら?
「これまで、シャロット様に知られぬようにと、アランダール様と逢瀬を重ねてしまいました。アランダール様の優しさに甘えて……。愚かなことをしたのはこのフィニイです。ゼパル家もアランダール様も悪くはありません。罰はどうか私ひとりに……」
その場で膝をついて私に祈り出したわこの子リス。腹芸とかできるタイプじゃ無さそうね。コレどーしましょー? 三角関係とか横恋慕の演劇にこんな展開あったかしら?
取り合えず話を進めるに子リス令嬢の手をとって立たせて、
「フィニイ様の胸の内、聞かせていただきありがとうございます。突然の事で何と応えてよいやら解りませんが、私がフィニイ様を罰することはありません」
「シャロット様……」
うるうるした目で見上げてくるフィニイ。保護欲そそるってこういうの? とにかく自害はヤメテ。スパッと殺してスパッと解決とか、趣味じゃないのよ。屍を踏み越えての結婚式とか不吉過ぎるじゃないの。
「フィニイ様。もしもアランダール様が、婚姻前に、世間知らずの娘とちょっと遊ぼうと、その相手にあなたが選ばれただけ、かもしれないとか考えたりしませんの?」
「アランダール様は、そんな方ではありません。それに、もしそうだったとしても、私がアランダール様に惹かれる心は変わりません」
「どうしてそこまで、アランのことを?」
「自分でも解りません。アランダール様を初めて見たときに、全身を雷で打たれたようになって……」
わー、そんなことホントにあるんだ。雷か。私はこれまで、愛とか恋とか、実感したこと無いからそのピシャーンていうのがまるでワカンナイわー。なに? もしかしてこのフィニイとアランは運命の恋人なの? それとも前世で何かの約束でもしてたの? 私の知らない激しい恋の物語でもあったの? 生まれ変わったら今度こそ、二人で結ばれよう、とかなんとか?
「アランダール様は、俺が何とかする、と言ってくれますが、婚約者であるシャロット様に隠れてアランダール様と会うのが、シャロット様に申し訳無くて……」
あ、この子、おバカだわ。恋の相手のことで頭がいっぱいのおバカとは、ちょっとおバカの質が違うおバカね。おバカはおバカでもおバカとはおバカがちょっと違う、周囲のことも考えられるお人好しのおバカだわ。アラン、こういうおバカな子を泣かせてどーすんのよ。
うーん、貴族の大人は本心隠して回りくどく、周囲から固めて逃げ道無くす、チェスのような人付き合いばっかりだったから。こーいう真っ向から突撃してくるのは、なんだかやりにくいわね。
手を引いて立たせたあとも、フィニイはすがるように私の手を、きゅ、と握る。
「わ、私、どうしていいか、解らなくて、この上は全て、シャロット様に告白すべきと……」
全部、告白して懺悔したかったと。自決覚悟で。見た目に依らず熱く激しいわね、この子リスちゃん。ここで自決なんてされたらたまらない。
「フィニイ様、この件は他言無用に願います。私とアランで話し合うので、それまでフィニイ様のお命、私が預かります。決して早まって自害などしてはなりませんよ」
「シャロット様……」
うるうるとした目で見上げてくる子リスちゃん。うーん、アランをこの小動物に取られる、というのはムッとするけど、なんだか憎めないわね、この純心おバカ真っ向男爵令嬢。
ちょっとアランをとっちめて来よう。うん、アランがもたもたしてるのが悪い。
◇◇◇◇◇
「ちょっとアラン、どーなってるのよ?」
「シャロット……」
アラン被告を呼び出し尋問開始、さー、キリキリ吐いてもらいましょーか。少し困った顔をしながらも、キリッと顔を上げるアラン。
「俺は、フィニイに恋をしている、らしい」
「らしいってなによ。ハッキリしなさい」
「フィニイを初めて見たときから、惹かれるものを感じていた。それが何か確かめる為に、シャロットに隠れてフィニイと会っていた。シャロットに話すのはそれからにしようと」
「で? 私に隠れてコソコソとデートを重ねて、それでアランはどーなのよ?」
「会って話をする度に、ますますフィニイのことが好きになっていった」
「ノロケはどーでもいいのよ。それでフィニイが覚悟完了するまで、アランは何をしてたというの?」
「どうすればいいのか考えていた。シャロットとは婚約していて、俺とシャロットが結婚する。この婚約を違えることはできない。フィニイと話をして、俺がシャロットと結婚後にフィニイを第二夫人に迎える。これをシャロットと相談するつもりだった。結婚前に」
「あ、私とは結婚するつもりだったんだ」
「家同士のことで、父上も母上もシャロットを我が家に迎えることを待ちわびているし。俺も壊すつもりは無いんだ。それがどうしてこんなにフィニイに惹かれるのか、自分でも解らなくて」
「アランも悩んでいたのね。浮かれてイチャイチャにゃんにゃんしていたわけじゃ無かったのね。そんなにフィニイが気になるの?」
「初めてフィニイを見た瞬間、全身を雷に打たれたように感じて」
ここでもピシャーンかい。恋の病は雷で感染するものなの? その雷、見たこと無いからワカンナイわー。
「この気持ちが何か、解らないままフィニイと会って、フィニイの側でフィニイの笑顔を見ると、胸の奥がざわめいて」
「重症ねー。そんなに惚れた? アラン、歳上のおっぱいデカイのより、守ってあげたくなるペタン娘が好みだったの?」
「いや、好みとかそういうのじゃ無くて」
「ちなみにアランは私のことをどー思ってるのよ」
「シャロットのことは、正直に言うと、」
正直に言うとなに? 幼馴染みで昔から結婚することが決まっていて、私とアランの間にそんな激しいピシャーンも熱い恋心も無いけどさ。
私はアランのことを弟みたいに、家族みたいに思っていたわ。アランはどうなのよ? ほら怒らないから言ってみなさいよ。
「昔から、親分だと思っていた」
「親分ってなによう! 山賊か!」
「ゲームに勝ったら子分になれって言ったのシャロットだろ?」
「いつの話!」
「六歳のとき」
あー? うん、そーいうこと言ったかも。でもそんなの子供のときの話じゃない。私も今では立派な伯爵令嬢よ。
「あれから子分として引きずり回されて、シャロットとはやんちゃなことばかりして。頼れる親分と一緒に遊ぶのが俺は楽しかった。シャロットと結婚したら親分と一緒にいられるって楽しみにしてもいる」
ずっと私はアランの姉みたいだと思ってたけど、親分だったのね。や、まあ、やんちゃなことしてたはしてたけど。
「だからシャロットとは結婚する。シャロットに抱く想いは恋とは違うけれど、シャロットはずっと俺の親分で、ファミリーで、兄貴分だから」
「せめて姉貴分にして欲しかったわ」
「じゃあ、シャロットは俺のことをどう想っているんだ?」
「それは……」
弟、うーん、弟分のほうがしっくりくる? アランがあの子リス男爵令嬢に取られるとムッとしてたのも、惚れた男を取られたというよりは、一の子分を他所に引き抜かれたような、寂しさというか、所有欲?
「アランのことは弟、みたいなものだと想っていたわ。家族、のように感じていた」
あの目を合わせればイヤミばっかり言う父と母よりも、ずっと家族だと思っていた。恋というような激しさは無いけれど。だけどアランのことは大事に想っている。
「……アランは、フィニイに恋してる、のよね?」
「シャロットには悪いと思う。すまない。だけど、正直に言うと、これが恋なのか、と自分でも驚いている。でもシャロットが大事なのも俺の本心だ」
「どっちかしか選べない、となったら?」
イジワルな質問をしてみたらアランが困った顔をする。悩みながら口を開こうとするアランの口を、私の手が抑えてしまう。うん、聞きたくないし、どっちでもいい。無理して出す答えは、誰かが不幸になりそうだし。
「ワガママなアランはどっちも欲しいみたいね。私としてはアランがあのフィニイとイチャイチャにゃんにゃんするとこ、側で見るのも楽しそうとは思うけれど、それ、続けていける?」
「シャロットは、イヤか?」
「うーん、あのフィニイみたいな子は、私の子分にするのも面白そうだけど」
困った顔で私を見るアラン。うん、昔はこの顔で涙を流しながら、おやぶーんって私の後について来たりしてたわね。
「アラン、ひとつだけ約束してちょうだい」
「約束? 何を?」
「その恋が一時の熱病じゃなくて、結婚したあともちゃんと家族仲良くするように」
アランが私の話を聞いて、泣きそうな顔になる。
「そこが、不安なんだ。シャロットの両親を見ていて、俺もこの気持ちが一時の気の迷いなんじゃないかと。それをしっかり確かめないといけないと。シャロットに話をするのが遅れたのは」
「あ、それで隠れてデートしてたのね」
あの両親、噂になるほどの熱愛結婚の挙げ句、家の中じゃ冷えきっているのよね。外では完璧におしどり夫婦を演じているけど。
私が昔からアランに愚痴ってたから、アランは私の家のことを知ってて、むう、あの両親、反面教師として人の役に立ってるじゃない。
「シャロットもフィニイも不幸にしない方法が、何かないかと考えて、フィニイと相談もした」
「その相談がフィニイを追い詰めちゃったみたいだけど? で? アランはフィニイと結婚したいの? したくないの?」
「……したい。だけどそれがシャロットを不幸にするなら、諦める」
「諦めたあとにウジウジしてるアランは見たくないわね」
私の子分なら、カッコ良く堂々としてて欲しいところだわ。女ひとり俺が守ってみせるって。仕方無い、私の一の子分の為に、親分が一肌脱ぐとしましょうか。
さーて、どーしよっかなー?
◇◇◇◇◇
「人生、何が起こるか分かりません。だからこその転ばぬ先の杖というものが必要になるのです」
「はあ、」
目の前の男、ソマー商会の若者がニコニコしながら言う説明を聞きつつ、私は首を傾げる。
うさんくさー。あやしいわー。
ソマー商会は最近になり珍しい商品を扱っていると話題の商会。今回は指輪にネックレスといった装身具のオススメを持ってきてもらったところ。
「我がソマー商会はこれまで誰も扱ったことの無い商品をいくつも用意しております」
「その噂を聞きまして、我がフルフール家にお呼びしたのですけれど」
確かに見せてもらった指輪は、今までに見たことの無い加工のされた斬新なデザインのもの。これ、どうやって作ってるのかしら? 聞いてはみたけど、キギョーヒミツとか言う。キギョー?
「あ、いい間違えました。商会の秘密です」
ふーん? ニコニコ愛想笑いする男は、見た目は悪くないのだけど、何か隠してるというか、取り繕っているというか。笑顔の仮面を被っているようで、うさんくさい。
「シャロット様には我が商会の新しい品をご紹介したいのです」
「なにかしら?」
貴族というのは目新しいもの、流行に鋭敏なもの。フルフール伯爵家の私、シャロットが流行遅れ、とか笑われるわけにはいかないのよ。家の面子もあるし。
そーいう見栄とか体面とか、正直うっとうしいんだけどねー。貴族めんどー。
で? 新しい商品って?
「保険でございます」
「ホケン?」
目の前の男はニヤニヤと。ホケンって何よ?
「このせか、ゴホン、この国ではまだ保険というのは広まっていませんね。保険というのは助け合いの精神から作られるもので、困ったときにこの保険ほど頼りになるものはございません」
「ふうん?」
ソマー商会の男がする説明をふんふんと聞く。火災保険というのは火事に備えるものだという。皆でお金を出しあって、万が一、火事が起きたらその溜めたお金の中から、火災の被害から建て直すためのお金がもらえると言う。
皆で貯金しあって、困った人が現れたらそのお金で助けるものだという。
「いつ何が起こるか解らない、その未来に備えて皆でお金を出し会おう、というものね?」
「そうでございます。シャロット様」
うん、保険の説明は聞いた。聞いたけど。
ますますうさんくさー。
それってお金を集めておいて、どこも火事が起きなかったらソマー商会の一人勝ちでしょ? それにお金の額によっては、自作自演で火事にしちゃったりしないのかしら?
万一に備える為と人の不安を煽ってお金を出させる詐偽みたい。それに未来の不確定な事象を取り引きにするなんて、回りくどい博打よね。
うーん、その保険というのが有効なのって、遠距離交易とか限られたものになるんじゃないかしら?
「そこで、我がソマー商会の新商品。婚約破棄保険です」
「婚約破棄保険? 縁起でも無いわね」
「ですが、隣国では演劇の影響か婚約破棄が流行っているようでして」
まあ、流行する物語とか歌とか演劇の影響で、愛と恋に夢見る人が勢いでやっちゃったりもするのよねー。隣国で婚約破棄事件があって、それをネタにして演劇が流行してるというけど。
ん? 婚約破棄?
これ、使えそうじゃない?
「本当にソマー商会では斬新な商品を扱っていますのね。その保険というのも、あなたが考えられたものですの?」
「いえ、これは知識チー、げふんげふん。えぇ、異国をいろいろと見て回る中で、様々な商売というのを見て来ましたので。そこで思い付くもの、閃くもの、いろいろとございます」
「そうですの。流石はソマー商会ですのね」
チシキチーって何かしら? 異国の神様の名前かしら? でも、婚約破棄、ね。うん、これでいけるかしら?
◇◇◇◇◇
「というわけで、配役と作戦の話をしましょうか」
アランとフィニイの身分を隠しての庶民デートに割り込んで、説明を始める私。ビクウッとしたフィニイのぱっちりおめめが可愛いわ。
「シャロット、作戦って?」
「アラン、何事も事前の工作と根回しがその後の展開を有利に進めるのに必要なのよ」
私が悪役令嬢になって、悪名を稼いで、周囲の同情をアランとフィニイに向ける。男爵家と公爵家の家格違いも、回りを乗せてしまえば抜け道はいくつかある。
ざっと話したところでフィニイが青い顔をする。
「そんな、シャロット様を悪者にして、私たちだけが利を得ようだなんて」
「そんなのいいから。確かに家の面子やら貴族の格式やら血統やらあるけれど、でも好き合った者が結ばれて幸せになることが素敵なことだって、皆知ってることでしょ?」
「でも、その為にシャロット様が」
ポロポロ泣き出すフィニイ。うん、やっぱりいい子じゃない。
「私のことは気にしなくていいから。それにフィニイもアランもこれからやることいっぱいよ。キッチリこなしてちゃんと幸せにならないと、許さないわよ」
私の手で幸福にしてあげるわ、子分達。
それに婚約破棄保険にも入ったし、成功すれば焼け太りよ。ふふふふふ。
◇◇◇◇◇
アランのお父様とお母様にも話を通しておかないとね。
「とゆーわけで、アランとフィニイの結婚の為にご協力いただけないかと」
聞いたアランのご両親が絶句してるわ。うん、この人達困らせるのは私もイヤなんだけど。
「つきましてはひとつお願いがありまして。上手く行けば私が悪名被って追放されて、何処かの修道院にでも入れられることになるかと。そうなったら、山賊か盗賊にでも偽装して、馬車を襲わせて、私を行方不明ということにしてもらえませんか?」
ますます固まり石化しそうなアランのお父様とお母様。すみませんねー、こういうの頼めそうな人が他にいなくてですね。あと、私の実家事情知ってくれてる希少な方なので。
アランのお父様が苦い顔をして、
「……シャロットが、そこまでしなければならんのか? なぜ?」
「私にとってアランは大事な弟みたいなものですから。アランの幸せの為には姉として、できることをしたいのです。あ、それともうひとつお願いが。アランも心を痛めて悩み、私に何度もすまないと謝ってくれました。なのでアランを責めないで下さい」
恋が何かはワカラナイけれど、想い会って結ばれて、それで家族仲良くなれるならそれがいい。
アランのお母様が立ち上がり、私をそっと抱き締める。
「……シャロットがうちの娘に来ることを、私は楽しみにしてたのよ?」
うん、私もこの家に嫁ぐのを楽しみにしていた。アランのお父様とお母様は、私にとっても理想の親だから。
アランのお母様の温もりを私も抱いて。
「私は、アランのことは弟のように想えても、夫婦になるのは難しそうです。それにアランの恋を応援したいのです」
そのついでに実家と縁を切ってあの家を出たい、というのもあるんだけどね。
「それにフィニイという方は、貴族のことをあまり知らないようですが、その真心で周囲を味方につける人徳の持ち主と見ました。アランを支えるには良い方と思えます」
私が側にいるとアランは子分になっちゃうからねー。公爵家を継ぐ者として、子分のままじゃダメだと思うのよ。アランもフィニイに出会ってから、しっかりしなきゃと考えたのか前より男らしくなってきたからね。そーいうの私じゃ無理だったみたい。
この家の子になりたかったけど、今はそーいうこと言う歳でも無くなったからねー。
私をヒシと抱くアランのお母様の背をポンポンと叩く。それを見てるアランのお父様が渋い声を出す。
「……シャロット、ひとつめのお願いはワシがなんとかしよう。だが、ふたつめのお願いは聞けぬ。アランにはワガママを通すなら相応のことをせねばならぬと、教えねばならん」
「あまり、アランをいじめないで下さいね」
お父様になったかもしれない人に、おねだりするように言うと、アランのお父様はうむうと唸って困った顔になってしまった。
これで事を終わらせた後には、過去を消して新たな人生をはじめる準備もできた。
さーて、やるぞー。
◇◇◇◇◇
準備万端整えた。とある令嬢の社交界デビューのパーティ。そこを私とアランとフィニイの舞台と決定。三人で打ち合わせをしつつ、嫉妬に狂った私がフィニイに嫌がらせをするストーリー。裏で密会を繰り返し作戦を練り、衆目では三角関係の芝居を繰り広げる。
私のやらかす悪評に父も母も火消しに回ったものの、くくく、止められるものかよ。これで父と母の面目丸潰れ。ざまあ。
アランを筆頭とする私の子分ズはこの遊びに乗ってきた。ひとつ派手にかまそうぜ、と子分ズは盛り上がっている。
「親分、やることが派手だなー」
「公爵家、伯爵家、男爵家を巻き込みの愛憎劇とはね」
「でも、これで親分と離れるのは寂しいな」
「最後の悪ふざけだ。大きくかましてやろうぜ」
何か鬱屈してたのか子分ズは? まー、貴族の子には貴族の子なりのストレスとかもあるか。後継ぎやら家同士の縁戚やら。婚約とか。
制度も慣例も後生大事に守るのもいいけどね。人を不幸にするだけのものなら、ぶっ壊してもいいのよ。どかーんとね。
周囲の観客達が、何だコレ? と注目する中、私達三人が立つ。
私とアランはまるで、因縁の決着を着けようとする剣士のように立ち会い睨み合う。フィニイはアランにしがみつくように。アランはフィニイの肩を抱き、私という魔女から姫を守る騎士のように。
これまでにコツコツとやらかしてきた私の悪業から、周囲の目はアランとフィニイに同情的だ。何やら私一人が敵意を集める悪役のように。あ、悪役令嬢か。いいわー、このアウェイ感。誰もが敵という感じ。憎まれ役としてヒシヒシと感じる敵意と孤立感。うくくくく、クセになりそう。
おいそこの子分ズ、ニヤニヤ笑いを隠しなさい。まだ早い。それっぽい顔で周りを煽る演出を続けなさい。はい、盛り上げて盛り上げて。
これまで耳目を集めた私とアランとフィニイの愛憎劇。そのクライマックスの場面に目を離せずに、どうなるかと見守る観客達。さあ、そろそろだよアラン、準備はいい?
周囲のざわめきが静まり、何が起こるかと期待する人々の中。ポッカリと空いた決闘場のような空間。シンと張り詰める空気。そこで私と対峙するアランが私をキッと睨み、ビッと指差す。いよいよあの言葉を放つ。
「フールフル伯爵家シャロット嬢! お前との婚約を破棄する!」
よし、決まった!
カッコいいぞアラン!
それでこそ私の一の子分!