最終回 予言は成就される
崖から突きだした狭い岩だなにリリアはのせられていた。その4メートルほど下の崖道に立つベルバレーラの目的は、リリアの抹殺にちがいない。
ベルバレーラはなくした目を取り戻し、その本来の力を回復した。そのため、ベルバレーラが妖魔王ベルマルクを復活させるのにようする期間は、あと15年から5年にいっきに縮まった。
リリアが大人に戻って子供をさずかっても、その子が13歳になるのにとうてい間にあわない。それでも、わざわいの種はつぶしておくにこしたことはないとベルバレーラは考えたのだろう。
もはや、妖魔王の復活をもくろむベルバレーラを倒すしかない。
ランドは、妖婆のはためく漆黒の衣に向かって弓を射た。
狙いあやまたず飛んだ矢は、ベルバレーラの真うしろでなにかにはじかれた。
「〈防御魔法〉をかけているわ。それは魔法以外のすべての攻撃をふせぐ」
上空からチビットが言った。
「もう一回、弓矢を〈増強魔法〉してくれ」
「通常武器を増強しても通用しないわ。〈魔法解除〉を試してみる」
チビットが宙で小さく旋回すると、そこからあらわれた〈光の玉〉がベルバレーラに向かって飛んでいき、妖婆の周囲を丸く包みこんだ。
ばちっ――閃光とともに〈光の玉〉は消えた。
「おまえごときの力で、われの魔法が破れるものか」
ベルバレーラがあざけり笑う。
その間に、ランドは相手との40メートルの距離を縮めにかかる。
ベルバレーラが振りむいた。
「おろかな若造め。これでもくらえ」
ベルバレーラの両目から赤い光が発せられ、それがランドの足もとで焦点をむすんで岩場をくだく。ランドはとっさに後方にとびのいた。
道の崖側3分の2が、3メートルの区間にわたってくずれおちた。
ベルバレーラが、こんどは頭上の岩だなをふりあおぐ。
「リリア、下がるんだ」ランドはとっさに注意した。
赤い光線が岩だなの前側を破壊した。悲鳴とともにリリアの姿がその奥に消える。岩だなの半分がくずれ落ちていた。リリアは滑落からまぬがれたようだ。つぎの一撃で残った岩場も粉砕されるだろう。
そのとき、チビットが放った〈魔法の矢〉がベルバレーラに命中した。妖婆が甲高い声をあげ、体をのけぞらせてその場に倒れこむ。
これでチビットは、残っていた最後の一発を使い果たした。
もう猶予はない。ランドは岩壁に背を向けた横歩きで、いまや30センチの幅となった道を急ぐ。3メートルにわたって崩落した部分を渡りきったところで、不用意に踏みだした足もとで崖道がくずれた。
ランドはとっさに崖のふちにぶら下がった。足が宙をける。30メートル下の谷川からはあえて目をそらした。
視界のななめ上方を赤い光のすじがはしった。
チビットがそれをかろうじてかわした。つぎつぎに発せられる赤い光線が、それをよけるチビットを空中におどらせる。ベルバレーラの笑い声が谷間に響きわたった。妖婆が立ちなおったのだ。
すぐに助けにはいらないと――。
ランドは、崖につかまった両腕にこんしんの力をこめる。
つぎの瞬間、赤い光のすじがチビットの体をつらぬいた。チビットがきりもみしながら落下していき、ランドの視界から消えた。
「チビット!」ランドの声は谷底にむなしく響いた。
ランドは残りの力をふりしぼって体を持ちあげる。片足が岩壁にふれた。足場を確保すると、いっきに上半身を崖道に引きずりあげた。
顔を上げると、ベルバレーラと目があった。その顔には勝ちを確信した笑みがあふれていた。妖婆の怪光線の一撃でおしまいだ。
ランドは自分の最期を覚悟した。
そのとき、ベルバレーラの頭上の岩だなから、小さい影がひるがえる。4メートルの高さからリリアの体当たりをくらい、ベルバレーラが前のめりにつぶされた。
起き上がろうとするベルバレーラと、それを阻止しようとするリリアが、狭い崖道でもみあいはじめる。こうしてはいられない――。
残りは25メートルほどか。ランドは全力で崖道を走る。
ベルバレーラがはねおき、はずみでリリアが飛ばされた。道から転がりおちたリリアの腕を、ランドはぎりぎりのところでつかんだ。高さ30メートルの虚空にリリアの小さい体が揺れる。
ベルバレーラは片目を手で押さえ、かがみこんでなにかを探している。
ベルバレーラの背後の足もとで、ななめに射しこむ太陽の光に反射してなにかが光った。そこに妖婆の片方の目玉が落ちていた。
――あれをなくせれば、ベルマルクの復活は15年先にのびる。
ランドの目が、崖にぶら下がったリリアの恐怖の表情と妖婆の目玉を往復する。
――リリアの救出が先だ。
ランドはリリアを引きあげにかかった。リリアの肩が崖道に上がったところで、その両脇に手をさしいれ、いっきに道の上まで引きずりあげる。そのいきおいで、ランドはリリアを抱えて岩壁にもたれかかった。
2メートル前方に、両目のそろったベルバレーラが笑っていた。
ベルバレーラの目のなかで、赤い炎が燃えあがる。
――これまでか。ランドは、震えるリリアをしっかり抱きしめた。
つぎの瞬間、赤い閃光がベルバレーラの目前で爆発した。
「ぎゃあ」
ベルバレーラが顔面を手でおさえて苦しみはじめる。その指のあいだから鮮血があふれだす。思いがけず両目の焦点が顔の間近であったらしい。
「ちくしょう、ちくしょう。乱視がひどくなったようだねえ。2回も落とした目玉に悪影響があらわれたにちがいない」
手をはずしたベルバレーラの右目は血まみれになっていた。
そこに、ツルハシを手にしたカンタレルと、ウォーハンマーをかつぐゴーラが急ぎ足でやって来た。その背後の空にグレムリンの群れが飛来する。
ついに洞窟の出口をグレムリンからふせぎきれなくなったのだ。
カンタレルとゴーラの歩みは、くずれた崖道の前で止まった。それぞれの武器を構えて、迫るグレムリンに相対する。
ランドも矢をとってコンポジットボウにつがえた。
空中で羽ばたくグレムリンのほとんどは疲れきっているようだ。あまり精彩を感じられない。そのなかで、1匹だけ元気なのがいる。
「とうとう追いつめたぜ。おれっちがおまえらに引導を渡してやる」
その態度から、〈冥府の霧〉を案内したグレムリンだとわかった。くずれた岩壁の撤去も、洞窟の出口の突破も、さぼっていたにちがいない。
「もうよい。われは目を取りもどした」
ベルバレーラの低音が不気味に峡谷に響きわたる。
「リリアが子供を生んでも、妖魔王の復活にようする5年には間にあわない。それまでにこの目を直さなければねえ。われは養生にはいる。ひどい目にあわされた哀れなおばばを安全な場所まで運んでおくれ」
ホバリング飛翔をするグレムリンに命じた。
6匹のグレムリンがベルバレーラに群がり、主の体を抱えて空に舞いあがった。他のグリムリンがベルバレーラを守るように、ランドの弓矢の狙いをさえぎる。
ランドは、構えた弓を下ろした。
崖の上をこえて、ベルバレーラを運ぶグレムリンが消えていく。残りのグレムリンもいっせいに羽ばたき、主のあとをおった。
大峡谷に住みついた病原体は谷から追いはらわれた。
あとは〈時空の巨大樹〉の病気がなおり、時空のゆがみが解消され、リリアがもとの姿に戻るのを待つばかりだ。リリアが子供をうんでも、その子がベルマルクを倒す力を身につけるには、もう間にあわないけれど――。
かたわらのリリアは、いぜん少女のままだった。
そのとき、ふらふら飛んでチビットが戻ってきた。あぶなっかしく羽ばたくチビットの体を、ランドはそっとつかんだ。
ベルバレーラの光線がチビットの体をつらぬいたように見えたが、実際は片方の羽をかすめただけらしい。チビットは崖のとちゅうに見つけた裂けめに避難して、羽を休めていたという。
飛びづらそうなチビットを、ランドはベルトの片側におさめてやった。
ランドはリリアを連れて崖道をひきかえした。道の半ばくずれた部分は、リリアとロープでつなぎあい、こんどは慎重にわたった。それを見守るゴーラとカンタレルに合流して一行は帰り道につく。
崖道の反対側のつづらおりをくだり、谷川の支流と本流がまじわる場所にたどりついた。ここから〈時の洞窟〉に進み、〈青い地底湖―ウインドミル湖〉間のルートを利用してヒルキャニオン村に帰還する。
〈時の洞窟〉が口をあける崖につくと、リリアは記憶をさぐる様子をしだした。なにか思い出したことでもあるのだろうか。
「きみはこの洞窟に心臓病に効く薬草をつみに来た。それから、どうしたの」
ランドはおだやかな口調でたずねた。
「カンタレルさんの薬草が切れかけていた。だから、わたし……」
リリアがかぶりをふった。まだ記憶はもどらないようだ。〈時の洞窟〉を〈青い地底湖〉に進みながら、なにか思い出せるかもしれない。
リリアは、その道のりのどこかでベルバレーラの片目を拾い、地底湖のうずにのまれ、記憶をうしなって〈時空の巨大樹〉の枝にひっかかったのだ。
ランドはリリアをうながして洞窟に踏みいった。
背後から、ぱっと明かりがともって前方の道を照らしだした。チビットが〈明かり〉の魔法を発動させたのだ。
薬草をつみに歩いた道すじを、リリアはいまたどっているはずだ。その薬草は、不思議に光のふりそそぐ場所に生えている、とリリアは言っていたそうだ。それは〈青い地底湖〉の周辺以外には考えられない。
ゆるやかに下る洞窟の先に青い光がほの見えてきた。ランドの一行は、つきあたりの光のあふれる穴をくぐり、〈青い地底湖〉のある広い洞窟に出た。
リリアが前に進みでて、洞窟内の情景を見つめている。
青い光がふりそそぐなか、ぼうっと青く発光する湖が広がっている。岸辺には、耳に鎖を結んだ巨像がいまだに横たわっている。その周辺のどこにも、どんな種類の草も生えていなかった。
「きみが薬草をつみにきたのは、ここではなかったの?」
ランドはリリアにきいた。
周囲を見まわしたリリアの目が、岩石でうまった落盤のあとに止まった。その表情には、なにかを思いだしたらしいきざしがあった。
「薬草は、青い光のふりそそぐ洞窟の横穴のなかに生えているの。わたしは先に外に出て待っていた。そうしたら大きな地震があって、わたしの目の前で、横穴の出入り口からくずれた……」
はっとリリアの瞳に理解の光がやどった。
「お父さんとお母さんが、くずれた岩壁の向こうの洞穴に閉じこめられている」
リリアが叫ぶように言った。
「なにを言ってるんだ? お父さんとは誰だ? お母さんとはなんだ?」
カンタレルがいらだたしげに問いつめた。
「わたしはカンタレルさんに紹介してもらうはずだったの。お父さんに連れられて町から〈時の洞窟〉に来た。ここでお母さんと待ち合わせていたから」
「なんだと。おまえはリリアじゃない。リリアの隠し子か」
カンタレルの怒りが爆発した。ツルハシを地面に思いきり投げつける。
リリアと夫、娘の3人はカンタレルの屋敷に向かう前に、足りなくなっていた薬草をつみに洞窟の横穴に入った。つんでいるさいちゅうに地震の被害にあった。
ランドはそう理解した。
リリアの娘の言葉が事実なら、彼女の母親のリリアと父親は4日のあいだ生きうめになっている。もはや、一刻の猶予もならない。
「まずは、なかに閉じこめられている2人を救出しましょう」
ランドは、洞穴をふさいだ岩石の山に近づいた。
「誰かいませんか。ぼくはあなたがたを助けに来ました」
ランドは声をはりあげた。
くりかえし呼びかけるが返事はない。声が届かないのか、聞こえても応える力がないのか、あるいはもう亡くなっているのか。
「〈音声移動〉で声を増幅してみるわ」
チビットが呪文をとなえだした。
「お父さん、お母さん」少女が、くずれた岩にとりすがって叫んだ。
『……そこにいるのはアリスなの?』
おりかさなった岩の表面を振動させて、ひずんだ声が聞こえてきた。
アリスと呼びかけられ、少女の目がみるみる見開かれていく。記憶をかんぜんに取りもどしたらしい表情が、その顔にあらわれていた。
「わたしはアリスよ。いますぐそこから助けだすから」
アリスが小さな手で、くずれて積みかさなった岩石を取りのぞこうとしだした。頑丈な岩はびくともしない。ここにいる全員で力を合わせたところで、崩落した岩の山を撤去するのはとても無理だ。
あきらめようとしないアリスを、ランドは止めにはいる。
きーん――その場の空気をふるわせる甲高い音が響いた。アリスの小さな体が金色に輝いている。ランドはアリスにのばした手を止めた。
「うへっ」ゴーラの驚きの声がした。
ゴーラが手にしたウォーハンマーも、アリスの発する音に共鳴するかのように、光りかがやいていた。音量と光量がしだいに増していく。
「〈爆砕の槌〉に魔力がチャージされているわ」
チビットが叫んだ。
――なんだって? 撤去作業をやめて振り向いたアリスと、ゴーラの持つウォーハンマーに、ランドは視線を往復させた。
この槌に魔力を充填できるのは、みずからの体内に魔法の力をうみだす能力をもつ術者だけだと聞いた。そしてそれは、かつて人類を支配していたマナンと呼ばれた種族の末裔だと――。
まずは、生きうめになっている彼女の両親を救出するのが先だ。
「チビット、〈爆砕の槌〉の魔法を発動させるにはどうしたらいい? なにか呪文か、身ぶりや所作でもあるのか」
「簡単よ。『爆砕』と叫んで、その槌を思いきり爆砕する対象に叩きつけるの」
「リリアさん」ランドは落盤の山の向こうに呼びかける。「なかの空間は広いですか。できるだけ下がっていてくれませんか」
了解の返事があった。リリアによると、20メートルの広さがあるらしい。
ランドはアリスの手を引いて、落盤のあとから離れさせた。チビットとカンタレルもそれにならう。ゴーラだけがくずれた岩の山のまん前に立つ。
「嫌なんだなあ。限りなく悪い予感がするんだなあ」
ゴーラが〈爆砕の槌〉を握ったまま、しぶっている。
「大丈夫よ。それは岩石などの物体にしか効果をおよぼさないから」
「なおさら、おいらは危険なんだな」
なおも不平をたれながらも、ついには覚悟を決めたようだ。光りかがやくウォーハンマーをゴーラが両手で振りかぶる。
「爆砕! なんだな」
積みかさなった岩石の山に向かって、思いきり槌を叩きつけた。
ずどーん――大音響ととも岩石がくだけ、「うへえっ」土煙と小石とともに、ゴーラの重い体が後方にもんどりうってふきとんだ。
ランドとチビット、カンタレル、アリスは〈青い地底湖〉の岸に身をふせて小さくかたまり、激しい振動と衝撃に耐えた。
ゴーラの立っていた場所には、もうもうと煙が立ちこめている。からからと小石の転がる音が聞こえる。足もとで岸辺の岩がかすかに震えている。
視界が晴れてくると、くだけた岩石が散らばるなかに、ゴーラが尻もちをついている。がくがくと首が動いているので、命に別状はないようだ。
「お父さん、お母さん」
起きあがったアリスが駆けだした。
洞穴の入り口は、うずたかく積もった岩石の破片や砂粒によって、いぜんふさがれていた。なかの2人を救出するには、それらをとりのぞく必要がある。
そばに落ちているカンタレルのツルハシにアリスが気づいた。ツルハシを拾ったアリスが、よろめきながらもそれを振りあげる。
ランドはすぐに手伝いに向かった。
アリスが、ほとんど道具じたいの重さでツルハシを岩の破片に叩きつける。その切っ先はむなしく岩くずの堆積にはじかれた。アリスはあふれる涙をこらえ、歯を食いしばり、それでも作業をやめようとしない。
ランドは交代しようと手をのばした。
「アリス」カンタレルの怒りをふくんだ声がした。
カンタレルが肩をいからせ、大またの足どりで向かってくる。眉はつりあがり、目は殺気だち、ひげにおおわれた口をかたく引きむすぶ。なにかに挑みかかるような気迫が感じられた。
振りむいたアリスは目を大きく見開き、おびえた様子で立ちすくんでいる。カンタレルの発する荒あらしい雰囲気にのまれているようだ。
カンタレルの手がのび、アリスの小さな右手をつかむ。
「あんたにその道具は重すぎる」
カンタレルがアリスからツルハシを受けとり、洞穴をふさいだ岩くずに挑みかかった。集中して作業にうちこむカンタレルの姿は、なにかを自分からふりはらおうとしているようにランドには見えた。
ゴーラがウォーハンマーで加勢にはいった。ランドもカンタレルと交代でツルハシをふるう。岩の破片をくずし、かきだし、洞穴の口をじょじょに広げていく。
入り口が開通したのは、それから2時間ほどしてからだった。
ツルハシを置いたランドの横を、アリスが真っ先に駆けこんでいく。
アリスの両親が閉じ込められていたのは、間口10メートル、奥行き20メートル、高さ4メートルほどの洞窟だった。
なかはひんやりとして、天井から水滴がしたたっている。足もとに生える草が、ぼうっと緑色に発光する。これが心臓病に効く薬草だろう、とランドは推測した。
エメラルドグリーンのフットライトに照らされて、アリスと、20代の女性が抱き合っている。ついにリリアを見つけだしたのだ。その2人のそばにつきそう、やせて背の高い男性がアリスの父親だろう。
祖父のカンタレルは、というと――。
ランドと目があい、ぷいっと顔をそむけてしまった。
アリスの父親はベルナンと名のった。救出されたリリアとベルナンはだいぶ衰弱していたものの、命に別状はなさそうだ。
ランドはリリアを、ゴーラはベルナンを背負い、〈青い地底湖―ウインドミル湖〉間のルートを経由して、カンタレルの屋敷まで帰ってきた。
その道中、カンタレルはむすっとしたまま一言も発さなかった。
*
2週間後にランドはカンタレルの屋敷をおとずれた。
冒険の依頼料は支払われ、コンポジットボウの代金は完済した。チビットの分け前を払おうとすると、金貨を持つと重くて飛べなくなるから、ランドにあずかっていてくれと言われた。
金が必要だと言っていたわりには、あまり執着はないようだ。その金の使いみちについては、ついに答えてくれなかった。
ゴーラにも依頼料の3分の1を渡した。その協力がなければ冒険は失敗に終わっていたのだから、当然の対価だ。ゴーラは、3つある胃袋のひとつに貯めるといって、もらった金貨をすべてのみこんでしまった。
カンタレルの屋敷をふたたび訪問したのは、リリアの娘のアリスについてくわしく聞きたかったからだ。
戸口に出てきたリリアが、ランドを食堂に案内した。少し間隔の開いた目に、娘と似かよったところがある。アリスは母親似なのだろう。
食堂では、テーブルを前にした夫のベルナンが気弱そうな笑みでランドを迎えた。年齢はリリアより2歳年上だというから25歳だ。
リリアもベルナンも衰弱から順調に回復しているように見えた。
2人が閉じ込められた洞窟は広く、空気は4日のあいだもった。飲み水は天井からしたたる水滴をためて利用した。ほのかに発する緑色の光のなかで励ましあい、夫婦は救助を待ったと話した。
「娘さんは?」とたずねると、カンタレルと屋敷の裏庭で遊んでいるという。
「カンタレルさんとは仲直りしたみたいですね」
ランドはそう水をむけた。
「父は、わたしの家族を認めてくれたようです」
ぺろんとした茶色い髪をかくベルナンとリリアが顔を見あわせた。
「わたしたちは町の施療院で出会いました。ベルナンは、馬車にはねられて足の骨を折り、施療院に運ばれてきたんです」
リリアがベルナンを看病しているうちに恋がめばえたのだろう。
「わたしはアリスをさずかり、施療院を運営する教会の神父さんに結婚式を挙げてもらいました。父にはそれをどうしても打ち明けられなかったんです」
あの大の子供嫌い相手ならば、とランドはその気持ちを察した。
せめて夫のベルナンがしっかりしていれば、カンタレルとの関係も違っていたかもしれない。そのベルナンといえば――。
リリアと肩をならべて気弱そうに身をちぢめている。
リリアが第2子を身ごもったとき、夫婦でカンタレルに挨拶しに屋敷をおとずれたことがあるという。戸口でカンタレルにひとにらみされたとたん、ベルナンはリリアをおいてその場から逃げだしたらしい。
そのときの子供は流産し、母体も危険な状態になったという。これをきっかけにカンタレルの子供嫌いはいっそうひどくなったらしい。
こうして、アリスの存在を言いだせないまま8年の歳月がながれた。
カンタレルが心臓を悪くし、リリアは施療院をやめて、父親の看病に実家に戻った。この機会に自分の娘を紹介しようと決意した。そこで――。
「アリスを気に入ってもらおうと、父の性格や、食べ物の好み、心臓病の薬草の処方の仕方などを教え、父と会ったときの予行演習もしました」
だから、カンタレルが心臓発作を起こしたとき、アリスはすぐにその対処法を思い出し、応急処置をほどこせたのだ。
町の施療院では、アリスは母親の仕事の手伝いをしていたという。村の病院でアリスが手慣れた様子だったのも、それで納得した。
〈時空の巨大樹〉の枝で正気を取り戻したとき、「カンタレル」とその名前が口をついたのは、カンタレルのことで頭がいっぱいだったからだろう。「リリア」という呼びかけに反応したのは、それが母親の名前だからだ。
アリスは、洞窟の落盤事故のさいに記憶をうしなったのだろう。
洞窟内をさまよううちに〈青い地底湖〉のうずにのまれた。アリスの衣服はその渦巻きで脱げてしまったのだろう。そうでなければ、その服装の違いからリリアでないとわかったはずだ。
ランドには、ここで大きな懸念があった。
「アリスさんは、本当は何歳なんでしょうか」
「今月に8歳の誕生日をむかえたばかりです」
リリアの答えに、ランドの気持ちは明るくなった。
あと5年でアリスは13歳になる。妖魔王ベルマルクがよみがえるまでに間にあうのだ。安堵と同時に不安もおぼえていた。
この世界を支配しようともくろむ妖魔王と人類の戦いに、アリスは巻きこまれる運命だ。ランドはできる限り彼女の力になろうと心に決めた。
窓の外から、カンタレルとアリスの笑い声が聞こえてきた。
ランドは席を立って窓辺に寄った。
カンタレルが発明したらしい、ひとつしか車輪のない乗り物でアリスが遊んでいる。カンタレルはアリスが転倒しないかと、はらはらしているようだ。
――こんなあどけない少女が5年後に本当に世界を救えるのだろうか。
ランドは信じられない気持ちでいっぱいだ。
そのとき、アリスがバランスをくずして一輪車ごと倒れる。
「あっ」ランドとカンタレルは同時に声をあげた。
ふわり、とアリスの体が浮きあがる。金色に輝きながら体勢をたてなおすと両足で静かに着地した。きーん、とアリスの体内で魔力の反応する音が聞こえる。
アリスは、かつて人類を支配したマナンの末裔なのか――。
その考えがランドの心をむやみにさわがせる。
カンタレルの驚きの表情に、アリスがむじゃきに笑ってみせた。
第1話 了