5 カンタレルは苦悩する
『やれやれ、ようやく首のこりが解消された』
〈時空の巨大樹〉の言葉が頭上からふりそそいできた。
幹と枝のあいだに気をうしなっていたリリアが、肩こりの原因だったらしい。
『ついでと言ってはなんだが、足のつけねにも、なにかが引っかかっておる。それも取りのぞいてもらえないか』
ランドは承知する。巨大樹の指示にしたがい、違和感をおぼえるという根をたどった。そこから枝分かれした根が湖にしずんでいる。
ランドは水中に手を伸ばした。固い棒状のものが根っこにからんでいる。かなりの重量がある。ランドはその物体を両手でつかんで力いっぱい引きあげた。
それは長さ1メートル、重さ2キロほどの槌で、その先端の両側に、立方体の出っぱりとかぎ爪が平行についている。
戦闘用の鉄槌――ウォーハンマーだとランドにはすぐわかった。
弓矢の使い手であるランドには、この重い武器をうまく扱える自信がない。
『これで足のひっかかりも取れた』
巨大樹がランドに感謝の言葉をのべ、
『その道具からは魔力を感じる。きっとなにかの役に立つであろう。首のこりを解消してくれた礼に、おまえにそれをさずけよう』
「魔法の道具がどうしてあなたの根にからまったんですか」
『そんな些末なことは覚えておらん』
ランドの疑問に〈時空の巨大樹〉は、にべもなく答える。
『これでわしの用はすんだ。おまえたち2人は、本来ならばいてはならぬ場所におる。すみやかにわしの足もとより立ち去るのだ』
とは言うものの、少女を連れて水深20メートルはありそうな湖に潜水するのは困難だ。さらに〈時の洞窟〉から出られたとしても、この大峡谷から抜けだす道は崖くずれによって閉ざされている。
ランドは、その難しい事情を巨大樹にうったえた。
『ならば、まずは湖のこちらの水面と、反対側の水面とを直結させよう。そののちに、この地底湖と、峡谷の外のもよりの湖をつないでやろう』
それは大助かりだ。ランドはその申し出に感謝した。
おもむろに、リリアと座る太い根のそばの水面に波紋が広がりだした。
『この峡谷に寄生するウイルスの駆除をくれぐれも頼んだぞ』
ランドはひとつうなずいた。片手でリリアを抱きかかえ、もう一方の手にウォーハンマーを握り、さざなみの描く同心円の中心に飛びこむ。
すぐさまランドの顔が水面を突き抜けた。
目の前には、水ぎわに両膝をかかえて座るゴーラと、その頭にとまるチビットがいた。ふいに浮上したランドと少女に、2人とも驚きの目を見はっている。
岸にあがったランドはバックパックからマントを取り出し、リリアの素肌をおおってやった。岸辺に脱ぎすてた自分の衣服を手早く身につける。
「もう戻ってこれないかと思ってたわあ」
チビットはランドの身を心配してくれていたようだ。
こちら側の湖でも、渦巻く突風が吹きあがったらしい。〈時空の巨大樹〉のせきとくしゃみの影響は、両側の湖面にあらわれたようだ。
「おいらでさえ、あの竜巻には吹きとばされそうになったんだなあ」
「その間、あたしはゴーラの口のなかに避難していたのよ」
それでチビットとゴーラは無事だったのか、とランドは納得した。
そんな2人の好奇の目が、ランドのかたわらの少女に向けられる。
「実は、彼女はリリアさんなんだ」
ランドは、地底湖の反対側に逆さまに生える〈時空の巨大樹〉との出会いと、その巨大樹とのやりとりを話した。
ベルバレーラは妖魔王ベルマルクの復活をもくろんでいる。その妖魔王は、リリアがうむ子供に打ちたおされるはずだった。〈時空の巨大樹〉の体調不良が原因でその未来が変わってしまった。
ランドは、少女に若返ったリリアを見やる。
外見からは8歳くらいだろうか。子供がうめるまでに、あと5年はかかるだろう。さらに13年となると、合わせて18年だ。ベルマルクがよみがえる15年後には間に合わない計算になる。
ランドは言葉をついで、
「リリアさんが若返った原因は時空のゆがみにある。〈時空の巨大樹〉の体調不良をもたらした原因ウイルスを退治するか、この峡谷から追い出せれば、リリアさんはもとの姿に戻るという話だ」
ランドは、巨大樹からの依頼内容を話した。
「だったら、その一味をやっつけてやろうじゃない。いまのままのリリアさんじゃ、カンタレルが納得するわけないからね」
チビットが頼もしく言い、協力を約束してくれた。
「おいらも乗りかかった船なんだな。無限に転落するはめから救ってもらった恩もあることだし、おいらも手伝うんだな」
ゴーラも仲間にくわわってくれた。戦闘ではきっと役立ってくれそうだ。
ランドは、手にしているウォーハンマーをゴーラに差し出した。この重い武器でも、ゴーラなら楽に使いこなせるだろう。
受けとったウォーハンマーを、ゴーラが片手で軽がる振りまわしはじめた。すえ恐ろしい3歳児だ、とランドは目を見はった。
「この武器にはどうやら魔法がかかっているらしいんだ」
ランドはチビットにそう水を向けた。
すると魔法鑑定をするという。ゴーラが差し出したウォーハンマーの先端にチビットがとまる。ぶーん、とその体が金色に輝きだした。
「これは〈爆砕〉のハンマーよ」
チビットの鑑定結果が出た。
5メートル×5メートルの範囲の岩石を粉砕する力があるらしい。しかし、槌にこめられている魔力が足りなく、いまのところ使用不可だという。
「魔力の充填はできないの?」
ランドはチビットにきいた。
「みずからの体から魔力をうみだせる魔法使いなら可能ね。そんな人物が見つかれば、だけれど。あたしにはできないわ」
通常、魔法使いは呪文によって大気から魔力を集めて魔法を発動させるのだという。みずからの体内に魔力をもつ術者はめったにいないらしい。
『それができるのは、太古に人類を支配しておったマナン族であろう』
洞窟の青く渦巻く高みから太い声が降りそそいできた。
ランドは、声の主が〈時空の巨大樹〉だと、チビットとゴーラに教えた。
『マナンは、その強大な力におごってみずからを滅ぼした愚かな種族よ。魔力をふくんだマナンの血をひく者は、いまや絶えてひさしい』
「――だって」とチビットが応じ、「〈爆砕の槌〉に魔力をチャージするのは無理みたい。ふつうの武器としてなら使えるけどね」
――だったらしかたない。
ランドはその件はあきらめて、〈時空の巨大樹〉に話しかける。
「これからリリアさんを連れかえります。さきほどの願いのとおり、ヒルキャニオン村に近いウインドミル湖と、この地底湖をつないでくれませんか」
『よかろう。いまつないでやる』
「もうひとつ、そのつながりをしばらく保ってもらえないでしょうか。リリアさんを連れかえったら、ベルバレーラの一味を追い出すため、またこの場所に戻ってこなければなりません」
「善処しよう。しかし、わしはいまも病んでいる。病状の悪化がさらに進んだならば、つながりを維持できなくなるかもしれん」
〈ウインドミル湖――青い地底湖〉間のルートはいつまでも使用できるわけではなさそうだ。ランドは、それでかまわないと承知した。
『それでは、ふたつの湖をつなぐぞ』と言うなり、
青く発光する湖の中心から、大きな波紋が広がりだした。それが岸の周囲に到達すると、ぼうっと青い光があふれ、やがてもとの湖面に戻った。
これで直結されたと〈時空の巨大樹〉に告げられた。
ランドは水面をのぞきこんだ。見た目の変化はなく、にわかには信じられなかった。しかし、試してみる他はないのだ。
ランドはバックパックを背負い、弓と矢筒を装備した。ぶーん、とチビットが飛んできて、矢筒のすきまにおさまる。
「さあ、カンタレルさんのもとに戻ろう」
ランドは、背後にひかえるリリアに言った。リリアは、上下の湖をくぐって度胸がついたらしい、しっかりした表情でうなずいた。
そのさらにうしろでは、ゴーラがぐずっている。
「おいらは嫌なんだな。また落下しつづけるのはごめんなんだな」
『心配するな。湖の上下が混乱する恐れはない』
重おもしく響く声がそう請けあい、
『わしのいる湖と、そちらの湖とのつながりは絶たれた。もはや、底なしではない。本来ならば、こちら側には何人も立ちいってはならないのだ』
「ほらあ、ああ言ってるじゃない」
矢筒から顔をのぞかせたチビットが、そう言ってゴーラをうながした。
「ぼくといっしょに来てくれないか。きみの力が必要なんだ」
ランドは、ゴーラのかたい手をとって勇気づけた。
「わかったんだなあ。そんなに言うなら、おいらも行くんだな」
ゴーラがランドの手をがっちり握りかえしてくる。
岩のかたまりと地底湖に沈むありさまがランドの頭に浮かび、そんな事態にはなるわけない、とその不吉な想像をふりはらった。
ランドは岸辺に座って両足を湖にひたした。右隣でランドの手を握るゴーラは、やはり不安そうな表情をしている。
――こんなごつい顔をしていても、まだ3歳の幼児なんだ。
「大丈夫だ」と言うものの、ランドは自分の笑顔がこわばるのを感じた。
ランドの左側に座るリリアに、行くよ、と目つきで合図する。
ランドは覚悟を決めて、ゴーラとともに湖に身を沈める。ぐいっとすさまじい力で片手を引かれた。ぐんぐん沈んでいく。その勢いのまま、
ぷふぁっ、とランドは水上で息を吐いていた。せきこんで酸素を求める。水をかいた手が土手にふれた。ランドはそこに胸をあずけ一息つく。
低い丘のふちにかかった夕日が、空を茜色ににじませている。たそがれに沈む集落がシルエットになっていた。カンタレルの待つ、ヒルキャニオン村だ。
「湖に底があったんだなあ。おいらの足がついたんだなあ」
土手のかたわらに、無邪気によろこぶゴーラの笑顔がある。
湖面に顔をのぞかせたリリアも、ランドと目があい、にこっと笑って見せた。
カンタレルの屋敷に戻る道すがら、リリアが少女になってしまったしだいを、依頼人にどうやって説明したらいいかとみんなで話しあった。
「あの子供嫌いにどう説明したって信じるわけないんだわあ」
チビットの言うとおり、それは厄介な問題だ。
「カンタレルに自分が娘だとわかってもらえそうな記憶はない?」
ランドはリリアに向かい、
「思い出せるものだったらなんでもいいんだけれど」
リリアがじっと考えこみだした。
やがて、力なく首を振った。まだ、だめらしい。おいおい記憶がよみがえるのを待つしかなさそうだ。ランドはしつこくたずねるのをやめた。
屋敷につくと、ランドの到着を使用人から聞いたカンタレルが戸口に飛んできた。
「どうだった? リリアは見つかったか」
「それが……」
どう応えようかと迷うランドのうしろから、リリアが顔をのぞかせる。ランドのマントをまとっただけのリリアに、カンタレルは明らかに不審な顔つきだ。
「その子供は誰だ。おれは、おれの娘を見つけるよう依頼したんだぞ」
ここは正直に打ちあけるしかなさそうだ。
ランドは、探索のはじめから順番に話してきかせた。
「ふざけるな!」
カンタレルが怒りを爆発させる。
「さてはリリアが見つからなかったものだから、替え玉を用意したな。よりによってこんなガキを連れてきやがって、時空のひずみにはまって子供になっただと。大人をバカにするのもいいかげんにしろ」
「彼女は記憶をうしなっても、カンタレルさんの名前だけは憶えていました」
ランドはなんとか説得しようとくいさがる。
「おまえが教えたんだろ。記憶喪失というのも、リリアがにせものだとボロが出た場合の予防線に決まっている。おれは子供が大嫌いだ。その顔さえ見たくない。すぐに連れてかえってくれ」
リリアの瞳に涙がふくらむ。それを隠そうとリリアがうつむいた。
「泣けばいいと思っているのが、クソガキのあさはかさだ。おれはそんなウソ泣きにはいっさいだまされないからな。わかったか」
「そんな頭ごなしに子供を悪く言うもんじゃないんだな」
たまりかねたのか、ゴーラが口をいれた。
「なにを、クソガキの味方をするか。そう見えて、さてはおまえも子供だな」
「そうよ。ゴーラはまだ3歳だから」
チビットがよけいな口出しをする。
「なんだと。大人に口答えするとは、ふてい幼児だ。おまえら全員、とっとと消えうせろ。依頼はとりやめだ。二度とここに戻ってくるんじゃ……」
カンタレルが顔を真っ赤にして言葉をつまらせた。自分の胸をおさえて戸口にうずくまり、うめき声をあげて苦しみだす。
「心臓発作だ。ゴーラ、カンタレルを部屋に運ぶから手伝ってくれ」
ランドとゴーラはカンタレルを抱えあげる。そこに、騒ぎを聞きつけたらしい使用人が慌てた様子であらわれた。ランドは使用人に寝室までの案内を求め、そのあとについてカンタレルを運んだ。
ベッドに移されたカンタレルは、体をまるめて反転をくりかえしている。赤く充血した顔じゅうに脂汗をあふれさせ、血走った目をむき、唇に泡をためている。発作がおさまる気配はなかった。
「こんな場合の応急処置を知っている人は、誰かいないんですか」
寝室に集まってきた使用人はなすすべもなく、おろおろしているだけだ。
「全ては薬草師のリリアさんにまかせっきりだったんです」
使用人の頭らしき、初老の男が進みでて応えた。
――リリアに。
ランドとリリアの目があった。少女は、はっとなにかを思い出した様子だ。緊張した面持ちで寝室を飛びだしていく。
「それでは村の医者を呼んでください」
ランドは使用人頭に向きなおり、強い口調で言った。
「それがいけないんです」
使用人頭によると、村に一人だけの老医者は今朝がた、ぎっくり腰をやってしまい、歩くどころか、ベッドから下りるのさえままならないらしい。
往診できないなら、カンタレルを馬車で運ぶしかない。しかし、そうしたところで、ベッドから起き上がれない医者に診察ができるだろうか。
誰もが手をこまねいていると、リリアが急ぎ足で寝室に戻ってきた。うす茶色の粉末を盛った木製の小皿を手にしている。
「これを服用してください。舌の裏側にふくんでゆっくり溶かすんです」
リリアがカンタレルの枕もとによって小皿を差しだした。
苦痛に顔をゆがめたカンタレルの、涙のにじんだ目とリリアの目があった。リリアは、少女とは思えない毅然とした態度だ。
ようやく、カンタレルがうなずいた。
リリアの手の小皿から粉末上の薬を口にふくむ。カンタレルを看病するリリアの姿は堂にいり、やり慣れているようにランドには見えた。
リリアは薬草師で、町の施療院で勤めていたという。心臓を悪くしたカンタレルの世話のために実家に戻ってきた。父親の発作を目の当たりにして、心臓病に効く薬草の処方を思いだしたのではないか。
薬を服用してほどなくすると、カンタレルは落ち着きを取りもどした。
リリアは、ほっと緊張をといた様子だ。薬を処方してみたものの、その効果があるのかどうか自信がもてなかったのかもしれない。
「心臓はどうですか。もう痛くはないですか」
リリアの問いに、カンタレルは寝返りをうって背中を向ける。
「もう大丈夫そうだ。おれは休む」
まだなにか言いたそうなリリアの肩に、ランドはそっと手をのせた。顔を向けたリリアに、もう心配ない、と目つきで安心させる。
いい感触をつかんだ、とランドは思った。カンタレルの心臓の発作はおさまったようだし、その心も開きだした様子だ。今夜のところはこれでいったん引き下がり、カンタレルの心変わりに期待しよう。
「ぼくらは今夜の宿をまだ見つけていないんですが」
ランドはカンタレルに一夜の宿をほのめかした。
「この屋敷には、おれと4人の使用人しか住んでいない。使用人頭に、あいている部屋に案内してもらえ」
カンタレルが背中を向けたまま応じた。
「リリアさんの部屋はどうしましょうか」
「リリアの寝室を使えばいいだろ」
ぶっきらぼうなカンタレルの言葉に、ぱっとリリアの表情が明るくなった。
ランドとチビットとゴーラは、同じひとつの部屋をあてがわれた。その隣がリリアの寝室だ。ランドは就寝につく前に、リリアとともに彼女の寝室に入った。リリアが室内を見まわしている。
向かい側の壁に窓があり、その壁の角に机が置かれている。机の上には、すりこぎの入った石製のすり鉢がのっている。
寝室の右側にベッドがあり、その反対側の壁に、ランドの泊る続き部屋のドアがある。他の壁の一面には、乾燥させた薬草をおさめたビンが並んでいる。
そんな室内の光景に、リリアの記憶が戻った様子はない。
「さっきはここでカンタレルさんの薬を処方したんだね」
ランドはリリアにたずねた。
「心臓病に効く処理済みの薬草が残っていたのを思い出したんです。それをすり鉢でひいてカンタレルさんに与えました」
発作に苦しむカンタレルを見て、いつもやっていた応急処置の方法が、とっさにリリアの頭によみがえったのだろう。
「薬の処方の他に、なにか思い出したことはない?」
ランドの問いに、リリアが残念そうに首を横にふった。
リリアは、足りなくなってきた薬草を摘みに〈時の洞窟〉に出かけた。そうして、あの〈時空の巨大樹〉の枝のあいだにはさまったのだ。
その経緯も、おいおい思い出していくだろう。
ベッドの上で、なにか赤く光るものをランドの目はとらえた。
2・5センチほどの透明な玉だ。巨大樹にひっかかっていたリリアが、その手にしっかり握りしめていたものだ。
――あれはいったいなんなのだろう?
ランドはいわくのない不安をおぼえてしかたなかった。
続