3 顔面巨人はまわる
ランドは、鎖の封印の外れた〈時の洞窟〉の入り口をにらみつけた。
「厳重に閉ざされていたみたいだ。村の人はこの場所に近寄りたがらないと聞く」
度胸だめしに入った若者が、よぼよぼのじいさんになって戻ってきたという、組合の係員の言葉が頭によみがえった。
「鎖はかかっていないんだから、またいで入っちゃえばいいじゃん」
チビットが気軽に言う。
「もちろんそうするよ」
そのために、ここまで来たのだから。
リリアは〈時の洞窟〉に薬草を摘みにいったきり帰ってこなかった。いまもこの洞窟のなかにいるとはかぎらない。しかし、広大な峡谷を探しまわるより、まずはここから探索するのが順序だろう。
リリアが崖崩れに巻きこまれた可能性は考えないことにした。
その前に腹ごしらえだ。ランドは、洞窟の入り口を見晴らせる水ぎわの草地に座って、バックパックから携帯食料を取りだした。
チビットは、岸辺に生える草をむしっては、ばりばりかじっている。まるで害虫たと思ったが、それを口にするのはひかえた。
ここで、ランドには大きな懸念があった。
リリアが見つかったとして、問題はどうやってこの大峡谷から脱け出すかだ。渓流を下って大まわりでヒルキャニオン村に戻るしかないのか。船はなく徒歩では大変な時間がかかってしまう。
ランドは初め、あの滑空機で峡谷を行き来できると考えていた。
その機械は分解してどこかに飛んでいった。そうでなかったとしても、谷底から舞いあがれないのは、あの発明品の仕組みを理解したいま明らかだ。カンタレルは、リリアをどうやって連れもどさせるつもりだったのか。
発明品の効果を実験したいあまり、なにも考えていなかったにちがいない。
一方でカンタレルは、〈時の洞窟〉から地上に抜ける道があるらしいとも言っていた。もっとも、その抜け道を求めて、あてもなく洞窟内を歩きまわったところで、迷って野たれ死にするだけだろう。
ランドは食事をおえると土ぼこりをはらって立ち上がった。
洞窟に入ると、日射しは5メートル先までしか届いていなかった。その先は、ひんやりした闇にしずんでいる。ランドは、たいまつの準備をした。
「その心配はいらないわ。〈明かり〉の呪文があるから」
チビットがくるくる輪をえがいて飛ぶ。すると、術者を中心に半径5メートルほどの明かりがともった。この魔法の持続時間は6時間だという。
これは便利だ、とランドは感嘆した。貴重なたいまつを消費しないですむ。依頼料は折半するのだから、ここはじゅうぶんに役立ってもらおう。
うしろからチビットに照らされて、ランドは〈時の洞窟〉にふみいった。幅6メートルほどの広い道が続く。洞窟の両側にときおり細い枝道が見つかった。へたに迷いこむのは危険だ。ランドはまっすぐ進む。
ほどなく、道がふたまたに別れていたらしい場所に行きついた。
らしい、というのは、片側のルートが岩盤の崩落でふさがれていたからだ。あいつぐ地震によってくずれたのだろう。
これが地上への抜け道だったのかもしれない。そうではないのを祈ろう。
洞窟の天井がしだいに高くなってきた。そこからたれるしずくが、ときおりランドの頭部をうつ。洞内はいっそう冷えこんできた。
ランドは立ち止まって頭上を見上げた。
チビットの発する魔法の光が、ぐるりと洞窟内をめぐる。9メートルほどの高みから、湿りけをおびた何本もの岩のつららがぶら下がっている。
待てよ。天井が高くなっているのではなく、自分の位置が低くなっているのではないか。いまたどっている道が、ゆるやかに下っているとしたら――。
このルートは崖の上につながっていない可能性が高まってきた。
「ずっと先に青い光が広がっている」
ランドの先を飛んでいたチビットがそう伝えてきた。
地上に出られるのだろうか。一瞬、そんな期待をいだき、あきらかに自然な光と違うと気づいて落胆した。では、なにが発光しているのか。
ランドはチビットのあとを追って足を速めた。
青い光がもれているのは、突き当たりの岩壁に開いた、間口3メートル、高さ1メートルほどの穴だ。その光が周囲の岩壁をぼんやり照らしている。穴の向こうは別の洞穴につながっているのかもしれない。
「このなかに、リリアさんはいまもいるんじゃないかしら」
チビットの推測にランドはうなずいた。
『洞窟内の不思議に光をはなつ場所に、心臓病に効く薬草が生えている』
そうカンタレルは話していた。
ランドは意を決すると、青く発光する穴にもぐりこんだ。1メートルほど這い進むと、すぐにもうひとつの洞窟が視界に開けた。
洞窟内はかなり広く、半径50メートル以上はありそうだ。その奥の半分が円すい状にぼんやり青く浮かびあがっている。
光は頭上からも降りそそいでいた。
40メートルほど上空で青い光が渦巻き、その先は見とおせない。そこから降りそそぐ柔らかい光が、岩壁に反射して周囲を青く染めている。
ランドは洞窟の中心に歩みよった。奥の半分は湖になっていた。湖の中心ほど青い光の色は濃く、そこから光度を薄めながら波紋状に色彩を広げている。
ランドは湖水を手のひらにすくってみた。冷たくすきとおっている。湖から発する不思議な光の源は、水底に存在するようだ。
ランドは水ぎわの岩場を見わたした。その周辺にはどんな草も生えていなかった。リリアが薬草を摘みにきたのは別の場所だったのだろうか。
ランドは立ちあがって洞窟内に視線を移動させていく。
湖の片側のはしに近い岩壁に、大小の岩石が積みかさなった崩落のあとがある。この向こうには別の洞穴があったのかもしれない。
ななめうしろに視線を転じたとたん、ランドはぎょっと立ちすくんだ。
岩壁に巨大な人間の顔がうきぼりにされていた。顔の長さは、3メートル以上あるだろうか。岩に彫刻された、なかなかの大作だ。
彫像の細長い顔は角ばったあごをもち、横長の四角い目のあいだに、長くとがった鼻すじがとおる。かたく引きむすばれた口は大きい。男女の区別は、はっきしなかった。
この巨人が立ち上がったら、20メートル以上の身長がありそうだ。
――おや? ランドは、巨像のふっくらした耳たぶに、直径30センチほどの穴を見つけた。穴の内側を指でなぞると、手ざわりはなめらかだった。
「これはなんのために開けてあるんだろう」
「ピアシングよ。耳飾りを下げておしゃれをするために決まってるじゃない」
チビットが、さも当たりまえのように答える。
この巨人がおしゃれ? ランドは半信半疑だ。
皮膚に穴をあけて輪をとおす民族がいると聞いた覚えがある。するとこれは、かつてこの洞窟に住んでいた住民の作品だろうか。
ふいに足もとがつきあげてきた。はずみをくらってランドは尻をつく。
また地震だ――。その場にうずくまったランドは、落石や落盤の危険がないかと頭上に目をくばりながら、激しい揺れに耐える。
今回の地震は1分ほどしか続かなかった。ざっと周囲を見わたしたところ、岩壁がくずれてきたり、洞窟が崩落したりする心配はなさそうだ。
そのときランドの目は、湖が渦巻いているのをとらえた。
うずは速度をましていき、湖面の中心が、じょうごのようにへこんでいく。ごおごおと水音は高まり、しぶきがあがって降りそそぐ。
ランドの視線はその異様な光景に釘づけになった。
つぎの瞬間、湖面をうがったへこみから、渦巻く水量がふきあがった。その激しい風圧にあおられ、ランドは背後の岩壁に押しつけられる。
水柱は10メートルほどの高さでくだけると、ざあっと雨のように降りそそいできた。ランドは壁ぎわにいてさえ、水しぶきでびしょぬれになった。
ランドの視線は、洞窟の上に向けられたままだ。
湖の水をふきあげたのは、その中心部から発生した竜巻だ。その激しい風は、洞内をふきぬけて地上に出ていったようだ。
ヒルキャニオンにひんぱんに起きる突風と地震の源は、〈時の洞窟〉に広がる〈青い湖〉の底にありそうだ。ランドはそう推測した。
ごとり、と背中に圧を感じた。
ランドはとっさに横によける。
岩壁に刻まれた顔面の彫像が、そこから抜けでようとしていた。おじぎをするように巨大な頭部がゆっくり倒れてくる。ずしん、と地響きをあげて、その大きな顔をうつぶした。
押しつぶされるところだった、とランドは恐怖におののいた。さっきの地震の影響で岩肌に刻まれた像が外れたのだろうか。
おもむろに、巨大な頭部が横に回転しだした。
その静かな動きは、まるで自分の意志をもっているかのようで、ランドはぞっとうす気味悪さをおぼえた。
彫像の顔が片頬を下にして止まった。上下にふたつならんだ、細長い目がじっと凝視してくる。まるでランドの存在を認識しているかのようだ。
やにわに巨大な頭が動きだした。横向きに回転しながら、まっすぐランドに向かってくる。ランドはその進路から飛びのき、横に移動して距離をとった。
巨像はあごの先を中心に半円をえがいて曲がると、ふたたびランドに狙いをつける。ごろんごろんと地鳴りをあげて、いっそうそのスピードを増していく。
ランドはとっさに背中の弓をとり、矢を放っていた。
矢は簡単にはじかれた。巨像の暴走はとまらない。逃げるランドを追いかけてくる。間違いなく自分を標的にしていた。
頭部の転がる速度から、追いつかれて踏みつぶされる心配はなさそうだ。しかし、逃げまわっていてはきりがない。ランドの体力だって消耗する。
この洞窟の外にいったん逃げるか――。だめだ。あの巨大な頭部が狭い出入り口をふさいだら、もうこちら側に戻れなくなる。
――では湖に誘いこんで転落させたらどうか。
ランドは湖の岸に向かって走った。巨像が進路を変えて迫りくる。ランドはよけきれる寸前まで待って、横ざまに飛んだ。
がりっと、なにかが岩をかむ音がした。
水ぎわにうつぶした巨人の顔が、そこでぴたりと止まっていた。
どうなっているんだ? ランドは巨大な顔の側面にまわった。
巨像は、ひきむすんでいた薄い唇を開き、岸辺の岩にがっちりかじりついていた。口内に刻まれた無数の歯を立て、急ブレーキをかけたのだ。
巨人の顔が逆回転して、その目がふたたびランドを真正面にとらえる。
ランドは反射的に弓を水平にかまえた。
「そいつにはふつうの武器は効かないよ」
チビットが、金色の光をちらしてランドの頭上をとぶ。羽根が濡れているせいか、その飛びかたはおぼつかない。
弓で効果がないのは、言われなくてもわかっていた。だったら――。
「どうしたらいい? やみくもに逃げてばかりはいられない」
「〈増強魔法〉をかけるから武器を高くかかげて」
ランドは言われたとおりにした。
チビットが弧をえがいて飛び、その体から発した光が弓を包みこむ。持ち手から伝わる魔法の力が、ランドの体内に満ちるのを感じた。
巨大な頭部がおもむろに動きだした。すかさずランドは弓を構えなおす。一回転して正面をむいた巨像の片目に、びゅん、とランドの放った矢が突きささった。
巨像の唇から叫び声があがる。ずしんと額を下にして止まった。
チビットが手をたたいて歓声をあげる。
「あいつの弱点はきっと目よ。もう一方の目も射抜いてやれ」
とはいえ、うつぶしたままの巨像の目は狙えない。
ランドは弓を下げて無防備をよそおい、巨大な頭にゆっくり近づいていく。あえて相手の攻撃をさそう作戦だ。
巨像まで2メートルまで距離を縮めたとたん、その頭部がいきおいよく動きだした。広い額が横ざまにランドを押しつぶしにかかる。
ランドはそれを予想していた。大きく飛んでしりぞくと、巨象の渾身の頭突きをかわした。その衝撃で岩場が激しく振動する。
ランドは全力で走り、巨人の顔から20メートルの距離をとる。
矢筒をさぐると、矢はあと三本だ。ランドは慎重に狙いをさだめる。
巨大な頭部がすさまじい速さで転がり迫ってきた。巨像の、たてにならんだ目が上下に回転して、1・5秒に一回のわりで正面をむく。
狙うのは、矢羽根の突きでていない無傷なほうの目だ。
1、2、3……心で数える。
巨像が10メートルに迫る。1、2、3。1、2、3……。
あと6メートル。1、2、3――いまだ。
回転してあらわれた片目に、びゅんとランドの矢が突きささった。
「ぐおおおお」
巨人の恐ろしい咆哮が洞内を揺さぶった。
巨像が逆回転をはじめてゆるやかに後退していく。湖の岸辺近くで力つきると、巨大な後頭部を下にして止まった。あごがはずれんばかりに「やられたあ」という形に大口を開けている。
ランドは弓をかまえたまま巨像の様子をうかがった。たとえ仕しめていなかったとしても、矢はまだ2本残っていた。
巨大な頭が動きだす気配はなかった。ランドは、ほっと緊張をといた。
「うへええええ」
洞窟の高みから叫び声がふってきた。
こんどはなんだ? ランドは視線を上に転じた。
さしわたし1・5メートルはある岩のかたまりが、ランドの視界の上から下を通過し、10メートル近い水しぶきをあげて湖面の手前側に消えた。
ランドの鋭い目は、それが人間の形だったのをとらえていた。頭を下にして手足をばたつかせていた。あれはいったい……?
「ゴーレムよ。そいつが、洞窟のふきぬけの青い光のうずから落ちてきたんだわ」
ランドはゴーレムについて自分の記憶をさぐった。妖術使いによって命をふきこまれた、岩や土でつくられた彫像がそれではなかったか。
ランドはチビットに意見を求めた。
チビットによると、ランドのいう人工的なゴーレムと、大地母神によって岩場から自然にうみおとされるものの二種類があるらしい。
「妖術によるゴーレムは邪悪な性質をもっているけれど、自然に生まれたゴーレムは善良で間抜けなやつが多いのよ」
いずれにしろ一生に一度めぐりあえるかどうかという珍しい存在らしい。そういう妖精だってめったに見られない。そんなチビットとゴーレムにあいついで出会った偶然に、ランドは驚きをおぼえた。
そのゴーレムとは、会った次の瞬間には別れてしまったけれど――。
「うへええええ」
ふたたび岩のかたまりが、洞窟のはるか上空から湖に落下していった。
「一日に二体のゴーレムにお目にかかれるなんて、なんて幸運なの。この探索の先には、いい出来事が待っているにちがいないわあ」
チビットが宙を旋回し、手をたたいてよろこんだ。
「ぼくの目には同じゴーレムに見えた」
「さっき湖に落ちていったのに、その上からふってくるわけないじゃない」
それはチビットの言うとおりだが、ランドには同じに思えてならない。ゴーレムの区別がつくかというと、その自信はないけれど。
「同一ゴーレムなんだなあ。助けて……」
救援をもとめる声もむなしく――どっぽん! しぶきをあげて湖中に沈んだ。
「本人だと言ってるじゃないか。助けをもとめているんだ。なんとかしてやらないと、永遠に洞窟のふきぬけを落下しつづける」
「ほうっておけばいいよ。邪悪な妖術使いの手先かもしれない」
「ぼくにはそうは見えない。あやまって湖に落ち、水に浮かばないまま、なんらかの理由で永遠落下のサイクルにおちいったんだ」
「なんともしようがないじゃない」
――確かに。ふつうの水難救助ならロープを投げるところだが、身のたけ1・5メートルはある岩のかたまりに、通常のロープが耐えられるとは思えない。
「〈時の洞窟〉の入り口に、封印の太い鎖がかかっていたよね。幅6メートルの入り口に二重に渡されていた。12メートルの長さがあるはずだ」
ランドは取りにもどろうと言ったが、チビットは気乗りうすだ。
「だったら一人で戻るからいい」
たいまつの準備をはじめたそばから、またゴーレムが落ちてきた。
ランドは〈時の洞窟〉の出入り口に急いだ。細い脇道はあっても、ここまでのルートはわかりやすい一本道だ。たいまつの炎に照らされた道を迷わず進む。
あのゴーレムはこの洞窟の住人だろうか。リリアの行方の手がかりがまったくないいま、なにか見知っているかもしれない。
あわい期待だった。もう一方では、岩のかたまりとはいえ、人間の姿をしたゴーレムが自分に助けをもとめているのを見捨ててはおけなかった。
ランドが〈青い湖〉にひきかえしてくると、湖面にすさまじい水しぶきがあがったところだった。あれから何回、ゴーレムは洞内のふきぬけを落下しただろう?
「12回だよ」
チビットが退屈しのぎに数えていたらしい。
ランドは水ぎわに立った。鎖を湖に投げてゴーレムにつかませるのはいい。失敗したところで、何度もくりかえすチャンスはある。鎖は太くて頑丈だ。
問題は、鎖の反対側を握るランドが、ゴーレムの重量に耐えられないことだ。重さに持ちこたえられず、湖に引きずりこまれるのは目に見えている。
その解決策は、ここに戻る道すがら考えてあった。
ゴーレムの落下地点に近い、湖の岸から2メートルの場所に、巨大な彫像があおむけに横たわっている。その耳たぶには、直径30センチほどのピアシングの穴がある。
ランドは、その穴に鎖を固く結んだ。残りは9メートルほどか。
湖に落下するゴーレムが手をのばせば、放った鎖をつかめる長さだ。鉄は水に沈む。相手が湖面に到達するまぎわに、その手もとに投げなければならない。
ランドは、巻いた鎖を足もとに置いた。そのはしから2メートルの部分を握って頭上でふりまわし、はるか高みの青い渦巻きをにらみつけた。
続