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2 大峡谷のはざまを滑空する

 依頼人のカンタレルの研究所は、風車小屋に隣接する納屋だった。ランドはカンタレルにみちびかれて納屋のドアをぬけた。


 なかに入ってすぐ目につくのは、三角形に組んだ竹の骨組みに白い布をはった、さしわたし9メートルほどの大きな翼だ。それが納屋の正面の壁いっぱいに立てかけられている。


 カンタレルが、ランドの問いたげな視線に気づいたようだ。


「それはおれの発明品だ。夜ごと、その翼をかじるふとどきなやからがおる。犯人はどうやらイタチらしく、やつらが進入する穴を天井に見つけた」


 その穴をふさぐため屋根に上がったところ、ハシゴを外されたという。


 話すうちに怒りがよみがえってきたようだ。カンタレルの顔がみるみる赤くなっていく。やにわにうめき声をあげ、胸をかかえてうずくまった。


 ランドは、とらえたグレムリンを放りだし、依頼人の介抱に近づいた。


 大丈夫だ、と上げたカンタレルの顔は汗びっしょりだった。


「このところ心臓の調子がよくないんだ。もうおさまったから心配いらない」


 ランドはカンタレルに肩をかし、テーブルまでつきそって椅子に座らせた。しばらく息をととのえていると、カンタレルはふつうに話せるようになった。


「ご依頼の件は、〈時の洞窟〉で行方不明になった人物の捜索ですよね」


 ランドはそう水をむけた。


「探してもらいたいのは、リリアというおれの23歳の娘だ。きのうの朝、〈時の洞窟〉に薬草を摘みにいったきり、いまになっても戻ってこない」


「その洞窟にはいわくがあり、村人は近づきたがらないと聞きました」


 ランドはその点をただした。


「リリアはおれのためにあえて摘みに行ってくれていた。洞窟内には不思議な光をはなつ場所があるらしく、心臓病に効く薬草が生えているのは、このあたりではそこだけなんだそうだ」


 リリアは町の施療院で働いていて、薬草師の資格をもっている。1か月前にカンタレルが最初の心臓発作を起こすと、父親の看病のために病院をやめて実家に戻ってきたという。


 カンタレルは6年前に妻をなくし、それからは4人の使用人と暮らしてきたと話した。


 ことり――ランドの敏感な耳が小さい音をとらえた。


 つかまえたグレムリンが戸口に這いむかっている。


 ランドは椅子を立ち、グレムリンの首ねっこをつかまえた。こいつがカンタレルを連れさろうとした理由を聞きだしてやろう。


 先の戦闘でひどい目にあったグレムリンは、ランドがちょっとおどしただけで、ぺらぺらしゃべりだした。


「おれらの目的はリリアだったんです。ところがカンタレルの屋敷にも、風車小屋にもリリアは見当たらなかった。そこでカンタレルから娘の行方を聞きだすつもりだったんですが――」


 ランドの邪魔がはいり、カンタレルを連れさって問いつめることにした。


「なぜ、リリアさんを探していた? 彼女を誘拐するつもりだったのか」


 ランドは質問をかさねた。


「リリアの生んだ子供が、13年後にベルバレーラさまの障害になるという予言がありました」


 ベルバレーラ? ランドはその正体をきいた。


「それは妖魔王ベルマルクに仕える巫女で、おれたちの主です。ベルバレーラさまは、その予言をひどく気にやんでいまして」


「それで、子供ができる前にリリアを抹殺しようとしたのか」


 カンタレルがテーブルにこぶしを強く叩きつけた。


 グレムリンが、とんでもない、とぶるぶる首をふる。


「リリアさんには子供はいないんですか」


 ランドはカンタレルにきいた。


「いるもんか。5年前に町で仕事をしていたリリアは、どこぞの男の子供をはらんだ。難産のすえにリリアは死にかけ、生まれた子供は助からなかった。そのガキはリリアを死の道づれにしようとしたんだ」


 カンタレルが腹だたしげに言う。


 依頼人の子供嫌いの原因はこのあたりにありそうだとランドは推測した。 


 リリアをはらました男は、カンタレルの怒りにふれて逃げたという。その男の行方はわからず、知りたくもない、そうカンタレルはいきどおった。


 窓の外に宵闇がみちてきた。


 今晩はカンタレルの研究所に泊り、翌朝に〈時の洞窟〉に向かうと決まった。とらえたグレムリンはロープでしばり、研究所に隣接する風車小屋に閉じこめた。


 小屋に備蓄されていた食料とワインで夕食をとり、ランドは就寝についた。


 カンタレルが発明した大きな翼の下に、ランドはマントにくるまる。向かいの窓ぎわのベッドにはカンタレルが寝ている。テーブルの上のバスケットのなかではチビットが寝息をたてていた。


 ランドは、頭上にあるカンタレルの発明品がなんのためのものだろうと考えた。その形状から空を飛ぶ道具らしい。


 ことこと、と屋根裏でなにかが動きまわっている。


 イタチが屋根から侵入したのだろうか。室内の人間の気配を警戒しているのか、天井から下りてこようとはしない。その音は夜通しつづいて、ランドはなかなか眠りにつけなかった。


 翌朝、床板をつきあげる衝撃でランドは目覚めた。


 それは激しい横揺れに変わった。とても立ち上がれないほどの揺れだ。目覚めたカンタレルがベッドで身動きとれずにいる。テーブルの上を動くバスケットのふちに、チビットがしがみついている。


 頭上に迫る気配を感じて、ランドは横ざまに転がった。


 そのすぐそばに大きな翼がたおれてきた。ランドは部屋のすみに身をちぢめて揺れがおさまるのを待った。


 しばらくして地震はやんだ。カンタレルによると、このところ激しい揺れがひんぱんに起こっているという。


「きのうの午前中にも地震があった。その揺れで起きた崖崩れで、〈時の洞窟〉のある峡谷に下りる道がふさがれてしまった」


「その崖崩れにリリアさんが巻き込まれた可能性もあるんですね」


 ランドは自分の気がかりを話した。


「そうだ。そうでないことをおれは祈っているよ」


 崖がくずれて帰ってこられなくなっただけかもしれない。いずれにしろ、できるだけ早く救出にむかったほうがいい。しかし――。

 

「〈時の洞窟〉に向かう他の道は存在するんですか」


 ランドはきいた。


「直接、地上から峡谷に下りられるルートはない」


 峡谷のあいだを流れる川の上流は山岳地帯によってふさがれている。下流にまわって船で谷川をさかのぼれば、〈時の洞窟〉まで一日がかりだという。


 リリアが洞窟に向かったのは、きのうの朝だ。すでに2日が経過している。これ以上は時間を無駄にできなかった。


「そこで、おれの発明品が役にたつんだ。これで峡谷に降下する」


 カンタレルが自信たっぷりに、床に横だおしになった大きな翼を指さす。


 研究所の戸口に目をやったランドは、そこを通りぬけるには翼が大きすぎるのに気づいた。せっかくの発明品も、研究所から運びだせなければ意味がない。ランドはその点を指摘した。


「あの翼の骨組みは折りたためるんだ」


 カンタレルが答えた。


 カンタレルを手伝って翼をたたむと、それは長さ約4・5メートルの筒状になった。ランドとカンタレルは、たたんだ翼を外に運んで荷車にのせた。さらに何本もの竹とロープを積んで出発の準備はととのった。


 その様子を、チビットが興味ぶかげにながめている。


 ランドは荷車を引っぱり、カンタレルの案内で歩きだした。丘の斜面をゆるやかに登っていく。しだいに高度を上げていくと、黄金色の麦畑が眼下に広がる。あちこちにある風車がのんびりと回転していた。


 丘のいただきにつくと、青草におおわれた先は崖で途切れていた。


 ごお――と、崖の底から突風がふきあげる。


 ランドの髪が逆立ち、風のいきおいによろめいた。「どひー」チビットがたまらず吹きとばされたようだ。丘のあちこちで、いっせいに風車が回りだした。


「この峡谷からは、飛行にもってこいの風がふきあげてくるんだ」


 カンタレルが満足げに言う。


 ランドはカンタレルの指示で翼を組み立てにかかる。ようやくチビットが戻ってきた。よほど遠くまで飛ばされたのだろう。


「これは手動制御式滑空機だ」


 カンタレルがそう紹介した発明品は、差しわたし約9メートルの翼の中心に、竹を組んだ三角形の枠組みを、三本のロープでつないだものだった。枠のなかには、長さ約90センチの太い竹がぶら下がっている。


 カンタレルによると、その太い竹に上半身を結びつけ、翼を頭上にかかげて崖からテイクオフすれば、風にのって飛行できるという。理論上は――。


「こんなものを背負わないと飛べないなんて、人間て不便だわあ」


 チビットが感想をもらした。


 もとより、ランドはこれで飛べるとは思えない。


「この滑空機で実際に飛行に成功した人はいるんですか」


 ランドは自分の気がかりを口に出した。


「初飛行の名誉によくするのは、ランドくん、まさにきみだよ。おめでとう」


 カンタレルがほこらしげに言うが、ようは実験体じゃないか。


 ランドは峡谷のふちに立った。崖は60メートル以上の高さがありそうだ。幅50メートルほどの谷底に、白く細い川が流れる。


「ずっと先のほうで谷が大きく弧をえがいているだろう。あのあたりの崖下に、時の洞窟が口を開けている」


 カンタレルに言われて、ランドは目をこらした。


 峡谷の湾曲部には大地が広がっていたが、洞穴は視認できなかった。渓流の洞窟側には人間が歩ける道があった。下流で崖崩れがなければ、あの道に下りて洞窟にいたるルートがあったのだろう。


 滑空機で峡谷のあいだを飛行して洞窟の手前に着地する。ランドには、とても成功するとは思えなかった。


 ランドのうしろでは、カンタレルが滑空機の最終点検をしている。その表情からは、今回の飛行実験が失敗する可能性はうかがえない。


 これも、コンポジットボウの代金を支払うためだとランドは覚悟を決めた。


 ランドは、カンタレルの手でテイクオフの準備にかかる。


 翼には、三本のロープでつながった三角形の竹の枠組みがある。ランドはそのなかに入り、枠組みの中心にぶら下がった太い竹に、背中と腰をロープで固定した。弓と矢筒は背負い、バックパックは腹側にかける。


「崖から飛び立ったら、背中の竹の支えで体をまっすぐに伸ばして滑空態勢にはいる。体の周囲の枠組みはコントロールバーだ。これで滑空機を操作する」


 カンタレルが説明をはじめた。


 離陸したらすぐ翼から手を離して枠組みの底辺をつかむ。それを前後左右に動かして機体をあやつるのだという。


 操縦法を聞いていても、よくわからなかった。あらかじめ練習してから飛行にのぞんだほうがいいのではないか――。


「大丈夫だ。習うより慣れよだ」


 ランドの不安をよそに、カンタレルが気軽にうけあった。


 慣れるまえに墜落したら、それでおしまいなんだけれど。


 大きな翼を両手で頭上にかかげ、ランドは崖のふち近くに立つ。竹と布でつくられた滑空機は思ったより軽かった。ランドの体重ほどもなさそうだ。


 ランドは崖の手前で、ふきあがる風を待った。強風のため飛べないチビットは、ランドのベルトの短剣をはさんだ反対側にもぐりこんでいる。


 ごお――と谷底をとどろかせる風音がおこった。


 そのあおりをくらったとたん、ランドの体はいっきにもちあげられた。思わず翼から両手が離れ、コントロールバーの内側で、突風にいいようにもてあそばれる。上下左右の感覚は完全にうしなわれた。


 腰のあたりで、「どひー、どひゃあ」と、しきりに声があがる。


 そのとき、コントロールバーに片手がふれた。ランドはとっさにそれを握ると、教えられたとおり体をまっすぐに伸ばした。


 峡谷からふきあげる風はなおもやまない。ランドの右ななめ下方にむかって、いくつものちぎれ雲がものすごい速さで流れる。


 翼が右に大きくかたむいているのだ。このままでは突風にひっくり返されかねない。ランドは、手にしたバーを右に押し出し、自分の体を反対側によせた。すると重心が左に動き、機体が安定しだした。


 ランドの体重が滑空機より重いので、バーを操作すると、翼のほうがその向きを変えるのだ。機体をあやつる仕組みが、いまはじめて理解できた。


 まさに習うよりも慣れよだ。


 機体が安定すると、視線を地上に向ける余裕がうまれた。


 峡谷の片側に横たわる丘がなだらかに下り、その先で黄金色にさざなみだつ小麦畑の周囲に、いくつもの風車がまわる。崖の上の荷車のそばで手をふる小さな人影はカンタレルだろう。


 大峡谷のさけめからは、ずいぶん右に流されていた。ランドは翼の左側を下げ、大きく左に旋回して谷すじを目指した。


 はるか下方の谷底に、渓流が糸のように細くうかがえる。ランドはコントロールバーをひいて機首を下げると、谷に降下をはじめた。


 顔をうち、髪をなぶる風が心地いい。だいぶ要領がつかめてきた。飛行するというよりは、ゆるやかに落下しているのだ。上昇気流にのって滑空するのが楽しくさえ感じられてきた。


 カンタレルは子供嫌いで怒りっぽく融通がきかなそうだが、発明家としての才能はあるのかもしれない、とランドは感心した。


 ランドはバーを左右に調節しながら、谷と谷のあいだをたどる。その幅は50メートルほどあり、操作ミスをするか、突風にあおられるかしなければ、岩壁に衝突する心配はなさそうだ。


 右旋回して谷すじを曲がると、その先で峡谷は左に大きく湾曲する。崖と谷川のあいだに開けた大地が遠く確認できた。目指す〈時の洞窟〉は、あの湾曲した岩壁のどこかに口をあけているはずだ。


 めりめり、と頭上から嫌な音がした。


 翼をはった竹材のどこからか聞こえたようだ。滑空機を設計するさい、上昇気流に対する、材質の強度に計算ちがいがあったのではないか。


 ランドの胸に不安がわきあがってきた。


 ――さては、翼の布か骨組みをイタチがかじったか。


 べりっと布のさける音と同時に、さけめを抜ける風の甲高い音が響く。機体がいっきにかたむいた。ランドはすぐさま力まかせにバーを押して、機体の重心を逆側に移動させる。


 その反動で翼の竹材の一部が折れ、骨組みをうしなった布がはためく。滑空機は急激にそのコントロールをうしなった。


 激しく揺れる視界に、着地目標である崖の湾曲部が迫ってきた。


 このままでは岩壁に激突する。


 ランドはこんしんの力でバーを前方に押し出す。機首が上がり、急ブレーキがかかって、機体が気流にもちあげられる。


 上昇する視界のなかに、崖の中腹に3メートルほど突き出した、平らな岩だなをとらえた。


 さらにバーを押し出すと滑空機が失速した。それと同時に片翼が折れてふきとんだ。ランドは目まぐるしく回転しながら落下した。


 眼下に、まばらに草のはえる岩だなが迫る。


 ランドはとっさに受け身の態勢をとった。つぎの瞬間、背中に強い衝撃をうけた。肺から酸素がはきだされ、息がつまる。


 ランドは激痛と呼吸困難でしばらく身動きできなかった。かすむ目に、青空を流れる雲がうつる。どうやら命だけは助かったようだ。


 ふいに体を引かれた。


 ランドの背中の太竹につないだロープがピンとはっている。その先では、岩だなのふちにひっかかった翼が風にはためく。


 ランドは、はっと飛びおき、短剣を抜いてロープを切った。


 ごお、とふいた突風がランドの髪をさかだてる。翼の残骸とともに、滑空機がみるみる上空にまいあげられていった。


 滑空機と心中するところだった。ランドは安堵の胸をなでおろした。


 滑空のさいランドの体を支えていた太い竹を外すと、それはまっぷたつに割れていた。墜落の衝撃の多くを引きうけてくれたのだろう。ランドは自分の命を守ってくれた竹筒に心から感謝した。

 

 ランドは、背負っていた弓と矢筒を確認する。弓に損傷はなかったが、矢の多くは破損していた。使えるものをよりだすと5本しかなかった。バックパックのなかの装備品は無事だった。


 チビットはというと、ベルトにはさまったまま目をまわしていた。静かでいいので、そのままほうっておこう。


 ランドは弓矢を装備しバックパックをかつぐと、岩だなのふちに寄って下をのぞいた。


 峡谷のカーブにそって、まばらに草のしげる大地がひろがり、その向こうを豊富な水量の谷川が流れている。下まで20メートルはありそうだ。


 ランドの登はん能力なら、20メートルの高さはさほど困難でない。しかし、岩壁の降下となるとやっかいだ。バックパックに用意したロープは12メートルで、懸垂下降をこころみるにも長さが足りない。


 考えこんでいると、ベルトの内側がもぞもぞと動いた。


「目がまわる。頭がふらふら。気持ちが悪い。二日酔いの気分だわあ」


 うるさい妖精の意識がもどったようだ。


 そのチビットが、あたりを見まわし、岩だなの下を見て、けげんな表情でランドの顔をふりあおぐ。滑空機が失速してからの経緯が理解できないらしい。


 ランドはいきさつを話し、いま直面している問題について相談した。


「ここは魔法の出番ね。浮揚魔法(レビテーション)があるわ」


 チビットによると、重さ80キロの物体を5メートルまで浮かせられるという。浮き上がったところでしかたがない。下に降りたいのだ。――待てよ。


「これから崖を降下する。滑落しないように魔法で補助してくれないか」


「お安いご用よ。けれど、浮揚の効果は1分間しかもたないからね」


「わかったよ。滑落しそうになるたびに魔法をかけてくれ」


 どうもチビットはあてにならない。あやしい魔法の力にたよるより、自分の技能を信じよう。ランドは気持ちをひきしめた。


 岩だなから身をのりだしたランドは、目視できる範囲で、岩壁に降下ルートの目星をつけた。うしろむきになって岩だなから両足を下ろし、片足で探った岩のでっぱりに足をあずける。


 崖からやや体を浮かしぎみにして、下方の視界を広げた。片手を下ろして、肩のあたりに手がかりを確保する。両手のホールドでバランスをとりながら、ゆっくりと片足を下ろしていく。

 

 両手両足のうち三か所を岩壁に固定し、残りひとつを動かして降下する。三点支持の基本は登はんといっしょだ。


 登りにくらべると、岩の角や裂けめを探るつま先がおぼつかなく、足もとが見づらいため、いっそう困難だ。登はんのときより神経をつかい、はるかに慎重に、時間をかけてじりじりと降下する。


 つぎの手のホールドは、下ろそうとする足の膝の高さに見つかった。バランスのとりにくい体勢だ。手のひらで岩角を押すように補助しながら片足を下ろす。


 ランドのつま先が岩場のクラックにかかった。足場を確保しようと、ぐっと力をくわえたとたん、その裂け目がくだけた。


「――あっ」


 ランドの体が岩肌をすべり、両手が岩から離れる。上半身が宙に浮いた。


 ぐいっ、と滑落を引き止める力がくわわった。


 ランドはふたたび岩壁にはりついた。両手両足のホールドを確認し、少し体を曲げて足もとをのぞいた。まだ10メートル以上の高さがある。落ちていたら、ひとたまりもなかった。


 ランドの頭上を、ぶーんとチビットが旋回する。


「サンキュー」


 三点支持をたもったまま、ランドは片手を上げた。


 そこからは、さらに慎重に足を進めた。チビットの魔法によるサポートがあるとはいえ、足を滑らせれば心臓が口から飛びだしそうになる。


 ようやく大地に降りたったころには、太陽は真南にかかっていた。遠くかすかに教会の鐘の音が聞こえる。朝早く出発したのに、もう正午になっていた。


 〈時の洞窟〉は、崖の湾曲部に大きくその口を開いていた。間口は6メートル、高さは5メートルほどだろうか。そこには太い鎖が二重に渡されていたようだが、いまは外れて地面に横たわっている。


 大きな地震が何度も起きているというから、その衝撃で、鎖を結んでいた岩角がくずれたのかもしれない。


 ランドは、これからのぞむ〈時の洞窟〉の入り口をにらみつけた。



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