1 依頼人は大の子供嫌い
甲高い呪文が不気味に洞窟内に響きわたる。
声の主は、ひとかかえもある火おけのまわりで雪白の髪をふりみだして踊る妖婆だ。火あかりに妖婆の細い影が洞窟の高みにまでのび、踊りの所作にあわせて、いくつにも分裂して妖しくうごめく。
ふいに火おけから、すさまじい炎が吹きあがった。
その炎のうずに向かって、妖婆が問う。
「われは、妖魔王ベルマルクさまの忠実な巫女、ベルバレーラぞ。ベルマルクさまがよみがえられるのはいつか」
ベルバレーラの乱れた白髪が顔の半分にかかり、ぎょろりと片目がのぞく。
――それはあと5年、でした。
火おけから渦巻き立ちあがった紅蓮の炎が答えた。
「でした、とはなんだ? 予言は変わったのか」
――その期間は15年となりました。
「ふざけたことをぬかすでない。10年ものびているではないか」
――ベルマルクさまを復活させるあなたが、その力をうしなったのが原因です。あなたは大切なものをなくしましたね。
言われて、ベルバレーラには心当たりがあるらしい。いくえにもしわのきざまれた土気色の顔をくやしげにゆがめる。
「なんたることよ。15年も待たねば、ベルマルクさまはよみがえられぬのか」
――その前に、ベルマルクさまをはばむ者があらわれます。
「なんだと。いまさらなにをほざくか」
――その者に13の年月がながれるとき、ベルマルクさまを打ちたおす力を身につけるでしょう。
「そやつは誰ぞ? いつ、どこにあらわれる?」
――それはカンタレルの娘、リリアに生をさずかりし者。
答えた炎のうずが大きく広がり、洞窟のまわりをめまぐるしく旋回すると、火おけに吸いこまれておさまった。のこり火がぼんやりと闇ににじむ。
「おい、われの問いにまだ回答しておらぬではないか」
腹だたしげにベルバレーラが火おけをけとばす。それは思いのほか硬かったらしい。妖婆が苦痛の悲鳴をあげ、けりだした足先をおさえて地面にうずくまる。
「くそう、リリアにさずかるだと……」
顔をあげたベルバレーラの大きな目に、憎悪の炎がくれないにゆらめく。
洞窟の天井で、いくつもの羽音がひびいた。
暗い高みには、一対の赤い光がおびただしくまたたいている。そこにはりついた無数の影がさざめきはじめる。その声が洞内にざわざわと反響し増幅されて、耳をろうさんばかりの大音声となった。
*
ランド・ミルボーンは冒険者組合の会館をおとずれた。
ランドはフード付きのマントに、はき古した革製のブーツをはき、弓とバックパックを背負っている。ベルトには矢筒と短剣を下げる。
森林監視人をやっていたが、職場の森林が山火事で焼失したためくびになった。そこで新たな職を探しにやってきた。
17歳のランドは組合員で、組合費をきちんと払っている。仕事にあぶれたこんなときこそ、組合が助けてくれなければならない。
会館は職を求める冒険者であふれていた。ランドは受付で番号札をうけとり、窓ぎわの壁によりかかって自分の順番を待った。窓からさしこむ朝の陽射しが、木の床をななめに横ぎっている。
ランドの名前が呼ばれたときには正午近くになっていた。いくつも並んだ机に座る係員のもとにランドは進んだ。
「森林監視人の求人はありません」
机にのる羊皮紙の束のあいだから、係員が目だけを上げて応えた。
ランドの視界のすみを、20センチほどの飛翔物が飛びかっている。目ざわりだったが、いまはそれを気にしている場合ではない。
「ぼくは金がいる。どんな仕事でもかまわないんだ」
ランドはくいさがった。
背中のコンポジットボウに目をやる。森林でもあつかいやすい長さ1メートルの弓だが、動物の腱で補強され、長弓にひけをとらない有効射程をもつ。
この買い物がいたかった。
知り合いの武器商人に無理を言って二回払いにしてもらった。二回目の支払い日が一週間後にせまっている。森林管理人をくびになったさいにもらった手当では、その額にまるで足りないのだ。
金色の光のすじをひいて、目の前を飛翔物が通りすぎる。
「冒険者の求人はあるんですけどねえ、それは魔法がらみの依頼で、魔法使いとペアでないと雇えないとあるんですよ」
係員が羊皮紙の求人票を机に広げて見せる。
『〈時の洞窟〉で人探しのできる冒険者と魔法使いを求む』
「時の洞窟?」
ランドは問いかけの視線を係員に向けた。
「場所はヒルキャニオンです。その大峡谷にある洞窟なんですけどねえ、この世界の時間をすべるものの住まいとされていて、地もとの人間は誰も近寄りません。そんな噂を信じない若者が洞窟に入り、よぼよぼのじいさんになって戻ってきた、なんて噂もあるくらいです」
――なるほど、冒険者だけでは手におえない依頼というわけか。
「だからあ、あたしを雇えばいいって言ってるじゃんか」
さっきから飛んでいたそれが、係員のはげた頭の上にとまった。
姿かたちは人間の女性だが、その身長は手のひらぐらいしかない。背中の翼がひらめくたびに、金色の光の粒がまう。
――妖精だろうか。
「組合員でなければ仕事の紹介はできないと何度言ったらわかるんですか」
係員がわずらわしそうに頭の妖精をはらう。ひらりと飛びたったそれが、こんどはランドの周囲を飛びまわりだした。
「この、ぶんぶんうるさいのは一体なんなんですか」
ランドは我慢しきれなくなった。
「ぶんぶん、言うな。あたしはハエか」
妖精が苦情を言いたて、求人票の上に降りたち、立ちはだかった。
『あたし』によると、彼女は妖精族の出らしい。わけあって金が入用になったが、妖精の世界で貨幣は使用されていない。そこで人間の組合に仕事を求めたが、にべもなく断わられたと腹をたてる。
「組合費を払っていない人に仕事のあっせんはできません。しかも、あなたは人間じゃありませんよね。とても無理な相談です」
係員が近視らしい目を、求人票の上の妖精に近づける。
係員が彼女の求めを認める様子はない。ランドも金を必要としていた。
「では、ぼくがその人探しの依頼をうけて、この妖精を雇い、もらえる依頼料を2人でわけあうというのはどうでしょうか」
ランドはそう提案した。
「例外は好きじゃないんですけどねえ。あなたがそう言うなら……」
係員が視線を落とした依頼表のすみに、『至急』のスタンプがある。組合側にとっても、引きうける冒険者をとりいそぎ必要としているのだ。
「その前に」係員がじろりと妖精を見やり、
「あなたは魔法使いなんですか。それが依頼主の条件なんですけどねえ」
「妖精が魔法を使えないわけないじゃん。あたしらがどうして飛べると思ってるのさ。魔法の力に決まってるじゃない」
――じゃあ、背中の翼はなんのためにある? ただの飾りだろうか。
ランドは思いついた疑問を口にした。
「だてに翼をぶらさげて羽ばたいてるわけないって」
飛翔じたいは魔法によるものでも、風や気流にのったり、空中で方向転換をしたり、ブレーキをかけたりするさいに翼を使用するのだという。
なるほど、とランドは納得した。
「では依頼書にサインしてください」
係員がうながした。いつのまにか、例外をみとめて仕事をあっせんする気になったらしい。『時の洞窟で行方不明者の捜索』という至急の案件を、すみやかに片付けたいのだろう。
ランドはサインしようとする。羊皮紙のその箇所に、態度の悪い妖精が立ちはだかっていた。係員の表情はうっとうしそうだ。
――きっと、この妖精を厄介払いしたかったんだろう。
ランドは手続きをすませて冒険者組合の建物を出た。依頼主のいるヒルキャニオン村までは、ここから徒歩で半日の距離らしい。暗くなる前には着けそうだ。
「あたしの名前はチビット。よろしくな」
チビットがランドの周囲をぶんぶん飛びながら言う。
ランドも名のった。厄介者をひきうけてしまったかと後悔した。しかし、いまは金が必要だ。ここはビジネスパートナーとわりきろう。たがいに心を開いて、いい関係をつくりあげるべきだ。
ランドは、前の仕事をくびになり、金が入用になった事情を打ちあけた。
「それで、きみはどうして金がいるんだ?」
「うるせえ」
チビットが、ひらりとランドの鼻先をかすめて上空にまいあがった。
あたらしい相棒とうまくやっていける自信が急速にうしなわれていった。
ヒルキャニオン村をのぞむ丘をこえたころには、だいぶ日がかたむきだしていた。丘のすそに、視線の届くかぎり広がる湖のおもてには、オレンジ色ににじんだ西日がさざなみだっている。
このウインドミル湖のまわりに点在する村のひとつがヒルキャニオンだと組合の係員に教わっていた。
村の敷地には小麦畑が広がり、夕日をうけてシルエットになったいくつもの風車がゆるやかに回転している。ランドは、畑仕事を終えた農夫をつかまえて、依頼主であるカンタレルの所在をきいた。
カンタレルは村の地主で、いくつもの小麦畑を所有し、そこから収入をえているという。発明が趣味の楽隠居だと農夫は陰口をたたいた。
カンタレルの屋敷を訪問したランドは、出てきた使用人に用向きを伝えた。主人は、村はずれの研究所(と使用人は表現した)で発明にふけっているらしい。
「いつもより帰りが遅いので心配していたところです」
ランドは研究所の場所をきいて、そこに向かった。
カンタレルの研究所は、もと風車小屋だったものを再利用したようだ。付属する風車の羽はなく、馬をつないだ荷車が壁ぎわに置かれている。
研究所が見える前から、複数の子供の騒ぐ声が聞こえていた。
風車小屋の屋根にまたがり、両腕をふりまわす五十歳くらいの男がカンタレルだろう。年齢のわりに屈強な体つきで、黒ぐろと豊富な髪とひげが、がんこそうな顔をふちどっている。
小屋の前では、7、8歳の6人の少年がはやしたてていた。地面にハシゴが転がっている。屋根にのぼっていたカンタレルは、ハシゴを外されて、下りるに下りられなくなったようだ。
「悪ガキがいたずらしたのよ。あたし、子供って大嫌い」
子供にしか見えないチビットが言った。
ここは依頼主に恩をうっておこう。ランドは足早に研究所に向かい、6人の少年を大声でしかりつける。少年たちは、ランドが小屋にたどりつくより先に、悪態をのこして逃げていった。
「カンタレルさんですよね。ぼくは、ご依頼の件で冒険者組合から派遣された者です。いまハシゴをかけなおしますから」
「くそう、おれのかかえる小作人のガキだったら、ただじゃおかないんだがな。これだからおれは子供が嫌いなんだ。やつらは食うか寝るか悪さしかしない」
カンタレルがいまいましげに言う。
そうやって嫌うから嫌われるのではないかと思ったが、ランドは口には出さなかった。弓の代金を支払うための大切な依頼人だ。
そのとき、甲高い鳴き声が夕空にひびいた。
水車のかげをまわって、6匹の怪物が飛来した。身長は50センチほどで、その体より大きな翼をはやしている。緑がかった肌に赤い目、とがった耳が左右につきだし、口もとに邪悪な笑みをうかべている。
「グレムリンよ」
チビットが声をあげた。
6匹のうち2匹ずつが、カンタレルの両脇をつかみ、空中に運びさろうとする。カンタレルが屈強な体で抵抗するが、1対4では分が悪い。
ランドはすかさず矢筒が矢をぬいて、カンタレルの腕をつかんだ1匹を射抜いた。撃たれたグレムリンが屋根から転がりおちる。
手すきの2匹のグレムリンがランドに襲いかかってきた。
ランドは、3本の指のあいだに2本の矢をはさむ。
屋根の上では、カンタレルが片腕をふりほどいていた。もう一方の手は2匹のグレムリンにつかまれている。カンタレルが自由なほうの腕をふりまわし、3匹目を近づけまいとする。
ランドは弓に矢をつがえたが、弦をひきしぼる暇がなかった。中途半端な力で放たれた矢が、目前に迫ったグレムリンの額に命中した。
もう1匹の襲撃は横ざまに転がってさける。そくざに片手をついて態勢をたてなおすと、弓を水平に構えなおした。
ランドへの攻撃に失敗したグレムリンが、そのまま空高く舞いあがった。しずみだした夕日に、そのシルエットを浮かびあがらせる。ランドの射撃を警戒しているのだろう。
墜落したグレムリンが、額に矢を突きたてて地面に転がっている。至近距離から半分の力で放たれた矢だが、コンポジットボウの威力はすごかった。
「ランド、カンタレルが連れさられる」
チビットに注意をうながされた。
カンタレルは片腕を2匹のグレムリンにとられ、ひげにおおわれたあごに、もう1匹の両手がかけられている。首をおさえられ、カンタレルの表情は苦しそうだ。自由なほうの腕がむなしく宙をかく。
ランドは矢をつがえようとしたが、起き上がったさい、指にはさんでいた矢を落としていた。すぐさま矢筒をさぐる。
3匹のグレムリンにつかまれたカンタレルの体が屋根から浮きあがった。
ランドはすぐさま矢をつがえた。
その視界に、急降下するグレムリンの影がうつった。とっさに狙いを変えて放った矢が、襲いかかるグレムリンの片翼を射抜く。もう一方の翼を必死にはばたかせるが、そのかいなく、きりもみしながら堕ちていった。
ランドは風車小屋に目を転じた。
その瞬間、光のすじが大きな弧をえがいて飛んだ。
チビットの放った〈魔法の矢〉が、カンタレルの腕をつかむ1匹を撃ちおとした。残る2匹の力ではカンタレルを持ちあげていられない。
屋根に落とされたカンタレルが、その上を転がりおちる。小屋に横づけにされた荷車のわらのなかに、もんどりうっておさまった。
驚いたのは、つながれていた馬だ。前脚をあげていななくと、荷車をひいて暴走しだした。ランドに向かってくる。
チビットに撃墜されたグレムリンが起きあがった。背後に迫る暴れ馬に悲鳴をあげる。馬はグレムリンをはねとばし、暴走はなおも止まらない。
ランドは突進する馬をかわしつつ、その手綱をとった。手綱をひいて止めようとするが、馬が言うことをきかない。暴れて方向を転じる。荷車が大きくふりまわされた反動で、ランドははねとばされた。
バランスをくずした荷車が横だおしになる。それに引きずられて馬も転倒する。荷車から車輪が外れて転がり、激しい土けむりが立ちあがった。
あたりに立ちこめる煙がしだいにおさまってきた。ようやく静まりかえった夕暮れに、馬の低いいななきが聞こえてくる。
ランドは、土ぼこりをはらって立ちあがった。
仕留めそこなった2匹のグレムリンの姿は、風車小屋の上空にすでになかった。
身動きできずに横たわる馬が、かなしげな黒目をランドに向けている。荷車に積まれていたわらがこぼれ、そのなかにカンタレルの上半身がのぞく。
――依頼人は大丈夫だろうか。
ランドはカンタレルに近づいて声をかけた。
かっと見開いたカンタレルの顔に苦痛の色はなく、なんとも腹だたしげだ。ランドは手を差し出したが、カンタレルはそれをはらい、おおいかぶさるわらから自分の力ではいだしてきた。
「こんな目にあったのも、屋根から下りられなくなったからだ。くそいまいましい悪ガキどもめ。この世に子供ほど嫌いなものはない」
立ち上がったカンタレルがランドに険しい目を向け、
「おまえも若く見えるな。さては子供か」
「ぼくは17歳です。冒険者組合に所属して組合費も払っています。実際にあなたの依頼をうけた組合から、ぼくは派遣されたんですから」
「そうか」こんどはランドの頭上を飛びかうチビットに気づいたようだ。
「おまえは妖精か。どこからどう見ても子供だな。けしからん」
違う、とチビットが反論する。
「あたしはこう見えて130年、生きてるんだからね。人間の感覚で年齢を見立ててもらいたくないわ」
「そうか。妖精の年は見かけではわからんもんだな」
ランドに片翼を射られたグレムリンのうめき声が聞こえてきた。まだ生きているようだ。
ランドはグレムリンに近づき、その様子をうかがった。片方の翼が折れ、緑がかった体じゅうに傷をおっている。命に別状はなさそうだ。
グレムリンが風車小屋を襲うことはあるだろう。しかし、カンタレルを連れ去ろうとしたからには、その理由があるにちがいない。グレムリンをつかまえて口をわらせようとランドは決めた。
依頼の内容は研究所で話すとカンタレルが言い、先にたって歩きだした。ランドは、ぐったり弱ったグレムリンをかついで、そのあとにつづいた。
ランドの目の前をチビットが飛ぶ。
「ぼくのパートナーがそんなおばあちゃんだったとは思わなかったよ」
ランドは皮肉をこめて言った。
「失礼ね。人間の年齢なら、うら若き13歳の乙女よ」
「――なに」カンタレルが振りかえる。
赤くそまった夕空に、ぶーんとチビットが舞いあがっていった。
続