幸せな生活
「……帰って来ないのね」
パグ太が私の膝の上でお眠りしている。
ポメ子はそんなパグ太の見つめながら嬉しそうにしっぽを振っている。
私はパグポメ家で、本を読みながら慶太を待ってるの。
一人ぼっちは久しぶり。
――最近はずっと慶太と一緒にいるのね。
同じクラスになった時から感じていた同種の匂い。いつも目で挨拶だけはしてたの。
まさか、私達が一緒に住むなんて思わなかったの。
慶太は地味男としか認識してなかったのに、屋上で初めて話した時はびっくりしたのね。
まさか、慶太も自分を隠蔽していたとは思わなかったの。
――慶太はお世辞抜きでイケメンだったのね。背も高くて優しい顔つきをしているの。
境遇も似ていて、私達は心が通じ合ったのを感じたの。
慶太の事はただの同居人で、わんこ仲間だと思っていたの。
だんだん私の世界が慶太中心で回って行ったの。
――もしかしたら依存かと思ったの。……私は人を好きにならないの。でも、慶太とはずっといたいと思ったの。
私は慶太が宣戦布告したときの事を思い出したら、顔が赤くなった。
――あれは……嬉しかったの……本当に嬉しかったの。
胸がドキドキしたの……
私はお父さんの人形だった。
家族の愛情なんて無かった。
黒井家のただの駒だった。
私は自由が無いの。
もしリミット試験を勝ち抜いて、ランクゼロになったとしても……私は黒井家から逃れられない。
ランクゼロになれたらお父さんと少しは交渉できるかも知れないの……
……抗いたい。
でも……日本を、いや、世界を敵に回す事になるの……
私はどうなってもいいの。
……慶太が傷つく姿を見たくないの。絶対。
私は目を閉じて精神を集中させた。
ポメ子がいきなりパグ太の首を咥えて壁の端に移動した。
「ばう??」
「ぐぅぅぅぅ……」
ポメ子が震えている。
――大丈夫、あなた達は私が絶対傷つけさせないの。
私はゆっくりと立ち上がって、後ろに立っているお父さんと向かい合った。
悪魔。
そう呼ばれている男。
私のお父さん。
黒井レンジ。
真っ黒なスーツを着こなし、髭と眼鏡が似合う痩身の男。
私は全身から汗が吹き出した。
お父さんは黒井家の恐怖の象徴。
姿を見ただけで失神する人もいるくらいだ。
無表情の父さんはまるで物を見るような目で私を見る。
「美心、どういうことだ? あまりお父さんの手間をかけさせないでくれ? この一人暮らしは美心の最後のワガママだろ? どうしてリミット試験なんて受ける。意味がないだろ? お前は強い能力を持っている奴と結婚して、黒井家の勢力を拡大させる駒なんだから」
――だめ……胸が苦しいの……
過去のトラウマが蘇る。
悪魔のようなお父さんに振り回された日々。
逆らえないお兄ちゃん。
追随する親戚や各名家の御曹司。
私の味方はパグ太しかいなかったの……
……でも今は慶太がいるの。
私は慶太の事を思い浮かべたら、勇気が湧いてきた。
「わ……私はお父さんの駒なんかじゃないの! 私は……私なの!」
お父さんが髭を弄ぶ。
「……ふむ。再教育が必要か……。仕方ない、今日でこの生活は終わりだ」
お父さんが私の手を掴む。
私は手を振り払った。
「……なるほど。本当に変わってしまったんだな、美心は。あの新堂って男のせいか? あの男と一緒にランクゼロを目指すのか? ……本気で私と敵対する気なのか?」
私は震えながら頷いた。
「……よーし、決めたぞ。……私も本気を出すことにしよう。本気で新堂君、いや、新堂家に対して危害を加えよう。私の大切な美心を変えてしまったからな」
「や、やめるの!?」
「私と敵対するんだろ? 私が嘘を言わないのは知ってるはずだ。……だから新堂君は海の藻屑になるだろう。そこの畜生も一緒だ」
お父さんが薄気味悪い笑みを浮かべた。
「……しかし……もしも、美心がまたお父さんの言うことを聞く良い子になるのであれば……新堂君には手を出さない。むしろ、率先して学園でフォローしてあげるよ。……美心には結婚の準備に入ってもらう。学園は飛び卒だ」
「え、あ……う……」
私の頭が目まぐるしく回転する。
――いくら慶太が強くても……お父さん相手じゃ……
『諦めちゃ駄目だ!』
『僕が美心を絶対自由にする!』
『僕が婚約者になってやるよ!』
『……僕を信じろ』
あ、ああ……
「うん? 泣いてるのか」
私は顔に手を持っていくと、涙を流しているのが分かった。
慶太……
慶太を守りたい。
慶太が傷付くなんて……私だけ傷つけばいい……
……駄目、私は……
私は慶太を信じる……
初めて出会えた大切な人……
世界で一番大事な人……
私は慶太のわんこ仲間……
一生添い遂げる婚約者でわんこ仲間なの!
ここでお父さんの言いなりになっちゃ駄目なの!
私はお父さんを……黒井家を出るために努力したの!
だから……だから!
「私はお父さんに負けないの! 慶太を信じるの!」
お父さんがため息を吐いた。
「ふん……仕方ない。新堂君とその周りの物は無くなってもらうか? 手始めに……そのポメラニアンからだ」
「ぐるぅぅぅ…………!?」
お父さんの存在力で動けないでいたポメ子。
パグ太がポメ子を守る様に前に立った。
「ばう……ばう……ばう! ばうばうばうばう!! ばうばばう!!」
「わ、わふん……わふん!!」
私は二人の前に立つ。
父さんが鼻を鳴らす。
「美心は4/5殺し程度にしておくよ。畜生は死ね」
いきなり足が私の顔に迫る。
――くっ!?
私は腕をクロスして蹴りをガードした。
畳に足がめり込む。
「ほう? これがガードできるほど成長したか……ふん、動けないだろう」
腕がしびれる。
身体の芯に衝撃が響く……
ポメ子に近づこうとするお父さん。
――駄目!!!
「ば、ばう!!!」
おしっこを振りまきながらパグ太がお父さんに立ち向かおうとした。
「……汚い畜生だ。消えろ」
お父さんが迫る。
――いやーーーーーー!!!
突然、エンジン音が鳴り響く。
お父さんの眉が上がる。
「何!?」
ものすごい早さで無人の大きなバイクがお父さんに突っ込んで行った! バイクは壁を破壊して突き破って行く。
「ばうーー!!」
「わふん!!!」
――そこには……パグ太を抱えた慶太が……慶太が来てくれたの!!!
慶太の顔が怒りに満ちている。
端正な顔が怒りで歪む。
「……僕の大切な美心を傷つけたな……しかも、パグ太とポメ子を殺そうと…………てめえは地獄で後悔しろ…………」
「慶太ーーーーー!!!」
私は泣きながら叫んだの!