第64話 タイラー様が、目を覚ます。
腕を噛まれたその日。
すぐ後ろで壮大なアクビをするガイを睨みつつ、城に帰って王族の歴史なる授業を受けていると。
…というか学校終わってまで授業とかなんの嫌がらせかっていうね。
それでなくても今まで授業はほぼ上の空だったツケがここで払わされる事になるとは。
補習授業にグッタリしつつ、苦虫噛み潰したような顔で歴史の授業の先生を眺めていた時だった。
扉の外が途端に騒がしくなり、ドタバタと激しく廊下をかける足音がたくさん聞こえる。
一体何があったんだ…?
授業の先生はそれでも授業を止めない。
外が気になる。
だが授業は止まらない。
とてつもないジレンマと戦いながら、チラチラと扉を横目で見つつ、集中できない授業を受ける。
頭に入るわけねーって!!
思わずダムッと机を叩いてしまう。
びくりと歴史の先生の背中が強張ったが、流石に私だとは思わなかったようで。
ドヤドヤしている扉をちらりと見た。
…この先生、やりおる。
並大抵な神経していないな。
こんな騒がしいのに、授業を遂行する。
たとえ敵に攻め入れられたとしても、授業をやめない。
それがこの先生の仕事なのだ。
授業を止めるな。
脳内で最大限ふざけた時、大きく扉が開いた。
「…エイプリル、ディゴリー…!」
扉を派手に開けた人物は扉をあけるなり、私の名前を息も絶え絶えに叫んだ。
「…はい。」
思わず気押されて返事を返す私。
私をすごい顔で睨むのは、紛れも無いタイラー様だった。
格好は、いわゆる寝間着と呼ばれるもの。
現代知識でその格好を言うなれば、彼シャツ…、いや、シャツワンピの様なちょっと可愛い格好。
思わず上から下までじっくりと観察する。
私の視線なぞ関係ないタイラー様が私をキツく睨み付け、口を開いた。
「…貴様、よくも…!」
まだ本調子では無いのか、大きく上下に動く肩が呼吸と連動している。
「…はい?」
よく聞き取れず、聞き返す。
流石に地震より第一皇子。
歴史の先生は『やれやれ』と肩をすくめて、授業の中断を選んだ。
そしてサッサと扉から出て行かれる。
…火の粉が飛ぶ前に。
「エイプリル…!!」
腹の底から私を呼ぶ。
…何故。
一体何故にそこまで憎々そうに私を呼ぶんだ…。
呼ばれた私は、もう一度。
「…はい。」
返事をするしかできなかった。
原因なんて見当もつかないからね?
寝間着なタイラー様がイライラを膝で表現中。
椅子に座ってカタカタと、左足だけが上下に元気に運動をしている状態。
後から来た御付きの人に説得され、ひとまず椅子に座るまでが長かった。
一旦着替えに戻っては?というアドバイスは速攻で跳ね除けられた。
そんな服を着替える暇もないぐらい急いでいるのなら、何故今何も言わないんだろう。
向かい合って椅子に座っている私を、片膝で運動しながらずっと無言で睨むばかりだ。
…どーしろっていうのだ。
「…あのぉ。」
「…うるさいこっちが喋っていいっていうまで黙ってろ、くそ女。」
…はい。
くそ女は黙ってます。
目の前に出されたお茶もこの空気に耐えられず、あっという間に冷めてしまっている。
王家のお茶は高いのに〜!
これ一杯いくらだと思ってんだよ。
しかもマナーで冷たくなったお茶に口をつけてはいけないんだと教わったばかり。
…高いのに〜!
勿体無い〜!!
私の口からもったいないお化けが出てくる前に、冷めたお茶から視線を離した。
一体このままいつまでタイラー様の膝だけ運動を見ていなきゃならないのだろうか。
どうせならもう掛け声なんてかけてみたりしようかな。
合いの手のほうがいいのかしら。
考え方を変えるなら、タイラー様はどうしてもこの膝だけ運動が私に見せたかった。
だけどそれを言い出せない。
だから無言で見せる。
…これだ。
これだわ、正解。
だがしかし。
これ以上の沈黙に耐えきれない私。
くそ女、もう一度口を開きまーす。
「タイラー様、いつお目覚めになられたんですか?」
「黙ってろと言ってるのがわからないのか!バカくそ女!!」
…はい。
思いもよらないところで、もう一つ称号が追加された『バカくそ女』です。
あーもうわかった!
あーもう黙っとく!
バカまで言われたのでこの際もうマナーなんてという気分になる。
ハァとため息をつき、テーブルに頬杖をついた。
「…なんだその態度は。」
「…」
「お前俺を舐めてるのか!?」
「…」
タイラー様は私に聞こえる様に大きく舌打ちをした。
「おい喋れ。」
「…バカにしてませんが私をバカだと仰ったので、バカだと思われているならいっかなーと思って。」
「やはり俺をバカにしているだろう!!!」
タイラー様が突然立ち上がり、テーブルを激しく叩いた。
大きな音に私も体を強張らせタイラー様を見つめた。
「…兄さん。」
深くため息を吐きながら、開けっ放しだった扉からレオンが入ってきた。
「…レオン、来てくれたのか!」
さっきの機嫌と打って変わって、レオンに向かって笑顔で両手を広げた。
それを真顔で避け、私の方へと歩いてきた。
「エイプリル、怪我はないか?
兄がすまない…。」
「いえ、私は大丈夫ですけど…」
チラリとタイラー様を見ると。
悪魔にでも取り憑かれたんじゃないかと思うほどの形相で私を見つめている。
睨んでないのにこの迫力。
私の挙動のおかしさにレオンがタイラー様の方を振り向いた。
タイラー様の顔がキラキラ王子顔に一瞬で戻った。
レオンが首を傾げて私の方へ向き直ると。
あーら不思議。
タイラー様の顔がみるみると…。
ってなんじゃこりゃ。
「タイラー様、そろそろなぜそんな私に敵意丸出しなのか教えて欲しいのですが…。」
流石に愛しい弟の前では『だまれくそ女』とも言えず。
口の橋をピクピクさせて微笑んでいた。
「…静かにしたまえ。俺はレオンと話しているのだ。」
「…わかりました。では私はこれで…。」
話がないならここにいる時間ももったいない。
勉強がなくなったことに関しては感謝するが、流石にこれ以上膝の上下運動は見たくない。
私はタイラー様にお辞儀をすると、勉強のセットを胸に抱え、ガイに目で合図して部屋から出ようとしたのだ。
タイラー様の手が、私の腕が掴んだ。
「いだあああ!!」
もろに噛まれたとこをかすったので、かなりの大声を上げてしまった。
目を見開き驚いたタイラー様と私の目が合う。
タイラー様の瞳は、澄んだ色をしていた。
「タイラー様、瞳がとても綺麗になりましたね。」
思わず口から出ると、タイラー様は私から目を素早くそらした。
「…これも全てお前のせいだ。」
自分の目を手で覆い、蹲る。
その様子にレオンが驚いて眉を寄せた。
「…こんなことになったのはお前のせいだと言ったんだ。
どうしてくれる?
もう一切の能力が使えなくなった。
これからどうやって生きていけば…!!」
タイラー様が近くにあったカップを私に向かって投げつけたが、少し手前で落ちて割れた。
「…よかったじゃないですか。」
淡々とタイラー様に答えた。
レオンがタイラーの様子を見て察したのか、人払いをしだす。
割れたカップを拾おうとするメイドたちを部屋から出した。
「何がよかったというんだ!!」
さっきまでの威勢とは裏腹に、タイラー様が弱々しく叫んだ。
「あのままだと人間ではなくなっていたかもしれません。
力が制御できなくなって、人の形を崩してしまっていた。」
「そんなのどうだっていい!!」
「…兄さん、どうでもよくないだろ…。」
タイラー様の声に、レオンが諭すように自分の声を重ねる。
「…あの力がなければ、お前だって俺から離れていくだろ?
ヴィヴィアンと共にこの城から出ていく。
お前やキーオが出て行ったら、俺に残るものはなんだ?」
「…兄さん…」
タイラー様が恐れていたのは、家族の絆だったのかもしれない。
それはわかるよ。
私だって一番大事にしてきたものだ。
今は一緒にいられないけど、必ず取り戻すもの。
レオンは見たこともないタイラーの姿にオロオロするばかりだった。
2人の様子に私がレオンの背中を押す。
「黙ってられないバカなくそ女の発言をお許しくださいね。
タイラー様は力に頼り過ぎて言葉で伝える事をおろそかにしていませんか?
レオンだってそうです。
お互いに、ない腹探り合って本当のこと言えずに遠慮してるから、こんなことになったのでは?」
「…エイプリル…」
レオンが私を見た。
私は静かに頷いて、タイラー様に向かってこっそり指をさした。
レオンが頷き返し、タイラー様の側へ行く。
レオンの影に、タイラー様は体を強張らせた。
タイラー様はレオンの方を見なかった。
なのでレオンが一息吐き出すと、手を差し伸べる。
「兄さん、俺の目を見て。」
「…見れない」
「どうして?」
「…自信がないんだ。
魅了が使えない俺に一体何が出来る?
きっと何もできない…」
ガタガタと体が震えていく。
「兄さん俺を見て…」
「いやだ」
「兄さん…!!」
レオンは無理やりタイラー様の顔を自分の前に向けた。
「兄さん、俺は兄さんが羨ましかった。
自信たっぷりでいつも俺にちょっかい出してきて…。」
レオンがタイラー様を見ながら眉を寄せる。
タイラー様はそんなレオンをじっと惚けたように見つめた。
「そんなものなくても、俺は尊敬してる。
いつもの兄さんに戻って欲しい…。
俺の尊敬する、あのふてぶてしい兄さんに…。」
レオンは眉を寄せたまま、微笑んだ。
少し引きつった頬をキュッとあげて。
その笑顔を見て、タイラー様は目をパチパチとさせる。
「お前は、俺を、尊敬してくれてたと言うのか?」
「そうです。
俺は妾の子だと他の貴族から虐げられた時も、兄さんが助けてくれた。
本当に感謝してました。
俺の方が、兄さんやキーオに引け目を感じて卑屈になっていたのかもしれない…。
でもエイプリルと出会って考え方が少しずつ変わりました。
知らなかった感情が自分の中にあることに、驚いていますし感謝もしています。
だからこそ、わかったんです。
あなたを尊敬してます、兄さん。」
添えてた肩から手を離し、ゆっくりと目の前に手を差し伸べた。
タイラー様はその手をじっと見つめていたが、そっと手を添え返し、取った。
レオンが座り込んでいたタイラー様を引き上げ立たせると、そっと2人で抱き合った。
…ええ話や。
ちょっと鼻がグスグスと鳴ってますが、ええ話やぁ。
ウルウルと涙ぐんでいる私とレオンと抱き合っているタイラー様と目があった。
タイラー様は私に微笑んだ。
そして。
『だがお前は別だ。覚えていろよ』
口をパクパクそう言ってるように聞こえるのですが…気のせいですよね?
きっと、気のせいですよね…?
私のグズグズ言う鼻は、ツーンと痛みを残し、速攻で引っ込んでいった。
いつもありがとうございます。
すみません、風邪をひきました。
明日の更新もしあったら、『ああ、雨宮、頑張ったんだな』って心の奥底で思ってください…。




