第59話 エイプリル、呪いを解く。
私の上に乗っている黒い影。
ドロドロと形を留めず、だんだんと私の上で溶けている感じに見える。
「…ヒィ」
思わず引き攣られたような声が出る。
周りにはどう見てるんだろうか?
私だけに見える幻覚のようなものなのだろうか?
誰もがタイラー様の姿に疑問を持ったものはいなかった。
「…やめて…。」
「…お前とレオンの婚約なんか無効だ。
お前は俺に対しての不敬罪で処罰されるんだ。
ヴィヴィアンの魅了を解いたところで、俺が再び操るのみ。
レオンとヴィヴィアンが結ばれる事は、絶対ない。」
低く唸るような声で呟き、黒い塊は赤く光る目で私を見た。
「…どうした?
俺が怖いのか?
…震えているぞ?」
赤い瞳が左右に細くなる。
楽しそうに笑ったのかもしれない。
「…ねぇ、あなたはなんなの?」
「…なんなのとは?」
黒い塊がまた笑う。
段々と世界が私たち2人以外はゆっくりとなり、そのまま時が止まったように動かなくなった。
「あなたは、人間なの?」
「…俺のどこが人間じゃなく見えるんだ?」
「私には、あなたが、大きな黒い塊にしか見えない…!」
私の言葉に黒い塊が怒りをあらわにした。
低く唸り、まるで獣のように私に大きな口を開け、鋭く曲がった牙を見せる。
「…面白いことを言う。
お前には俺が人間に見えないだと!?」
大きな塊は私の首から手を離し、そのまま両手を広げ、自分の姿を見つめた。
「…どう見ても人間じゃないか。
とうとう狂ったか、その目は。」
そう言うと大きな声で笑い、吠えた。
「…違うよ、人間じゃない。
これは、この姿は獣そのものだ…。
あなたはもしかすると、力を使いすぎたんじゃないか…。」
段々と。
黒い塊は私の上で獣の姿になっていた。
真っ黒いライオンのような、その姿に。
私の背筋は凍っていく。
「…力を使いすぎただと?」
タイラー様の目がクルリと変わる。
赤い瞳が、ドロドロと濁っていくように瞳の奥が黒くなる。
「…!!?」
黒いライオンが私の上で飛び跳ねた。
大きく飛び跳ねたので、私の上からいなくなり、体が自由になる。
ゆっくりと体を起こす。
首元を押さえ、自分の呼吸を確かめるように撫でた。
黒いライオンはなぜかとても動揺しているように、何度もグルグルとその場で回っていた。
「…なんだ…!?この姿は…
お前、俺に魔法をかけたのか!?」
ライオンはまた唸りながら私の方へゆっくりと前足を出した。
私はそれに合わせて後ろに一歩下がった。
「その姿、見えるようになったんですか?」
「…お前が魔法をかけたのか!?」
「…私ではありません。」
「じゃあ何故こんな…!!
こんな醜い姿に!?」
思わず私は笑ってしまった。
「…醜い、ですか?
レッドメイルはシンボルライオンなのでは?
なのに醜いとは…。」
「…うるさい!!
ライオンは王だ。
茶色の鬣をなびかせ、誰しもがひれ伏す王だ。
こんな真っ黒い姿は、王としての本来の姿ではない!」
そう言うとまた一歩前足を出した。
私もまた一歩下がる。
「それでも、それが今のあなたの姿ですよ…。
力を使いすぎたんです。
今すぐ力を使うことをやめて、レオンを祝福してあげて…!」
ライオンのようなものは、私の言葉をかき消すように大きく吠えた。
「馬鹿を言うな!!
何故スタインバークの汚らわしい娘とレオンが結ばれなくてはならない!?
我がレッドメイルの血が汚れてしまう。
あいつらが何故王位を追われたか知っているか?
あいつらは自分たちの私欲のために、禁書を使い国民を苦しめた。
国民を力でねじ伏せ、自分の思う通りにならなければ罰を与え追放する。
そんな野蛮な血が入っている女を…!!
俺がヴィヴィアンを娶れば、レオンと汚れた血が混ざることはない。
これで全てがうまくいく…。」
ライオンは動かなかった。
今度は私が一歩前へ。
「自分が原型をとどめられないほど力を使っているのにですか?
このままいくと、あなたは人間に戻れなくなってしまうのでは…?」
「…うるさい。」
もう一歩前へ。
「それでもまだ、魅了を使い続けますか?」
「…これ以上救われる手立ては俺にはない!!」
「何を救いますか?
レオン様ですか?
それとも、あなた自身?」
私とライオンの距離は段々と近くなった。
ライオンはもう、抵抗をやめたようにも見えた。
「今なら間に合うのではないですか?
もう、邪魔はできないと思いますよ」
私は時が止まったままの『外』を指差した。
レオンが抱きとめるヴィヴィアンは、レオンを見て頬を染め微笑んでる。
それはもう、幸せな顔で。
まるで白雪姫のワンシーンようだ。
王子様のキスで目覚めた姫。
口からポロリと落ちるリンゴのかけら。
重たい瞼をパチパチと何度も瞬きをして、自分が生き返ったかのような思いに安堵する。
ゆっくりと目を開け見上げると、そこには愛しい顔。
彼を見た時、今まで止まっていた心臓が動き出すような、その時心の温かさを知る。
トクントクンと体全体に響くような心臓の音を、彼に聞かれないだろうかと恥ずかしそうに俯く。
王子は彼女の恥じらいを愛おしく感じ、そのまま自分の方へと抱き寄せた。
そんなおとぎ話のワンシーンのような2人に、ライオンも黙った。
「…ダメだ。
レオンにはふさわしくない。」
ライオンが顔を背けた。
「それはタイラー様が決めることではないよ。」
「お前さえ、お前さえいなければ…!!」
タイラー様が再び唸った。
今度は大きく口を開け、吠えた。
ライオンから黒く薄気味悪い風がジワジワと私の方にやって来た。
闇に飲まれそうになる。
両腕を前に出し、風から身を守るように丸くなった。
私を包む風が強くなる一方で、ライオンはまたどんどんと黒い塊になっていく。
「タイラー様…!!
ダメ…!」
口を開くと風がまとわり付き、うまく思うように話すことができない。
私の声が届かないまま、体は完全にドロドロと溶けたスライムのようになった。
嫌な黒い風が強くなる。
このままだとダメだ。
タイラー様がタイラー様ではなくなってしまう。
私は必死に黒い塊の方へ歩いた。
風が足をさらに重くする。
すり足でやっと数ミリ進める速度で、前屈みのまま必死で歩く。
手を伸ばせば届き相馬距離になった時に、黒い塊が目を開けた。
赤く光る黒い目。
視線が私と重なる。
その目から見えるのは、ただただ私怨しか見えず、私に敵意を見せた。
黒い塊が私めがけて襲いかかった。
避けようと身を逸らしたが間に合わず、黒い塊がまた私の上に馬乗りになった。
「タイラー様…!!」
「…これで終わりだ。」
塊が私に向かって微笑んだように見えた。
黒い塊の瞳が私の肩に食らいついた。
鋭い痛みが体を走る。
その痛みで私の見開いた目と、塊の目が合わさったその時。
まるで星がぶつかった時の爆発みたいだった。
パンッと軽く弾けるような音とともに、何かが弾け飛んで、お互いの視線が外れた。
目をパチパチとしてみる。
自分の目にはさっきの光のチカチカが目を閉じたら残っている感じがするが、他には何も感じない。
顔に指を這わせ、怪我や痛みの有無を探る。
自分の無事を確認したところで、ハッとなった。
「…タイラー様?」
黒い塊がタイラー様の姿に戻っていた。
だが、うつ伏せで寝転んだまま起き上がらない。
走って近寄ると軽く頭を抱き起す。
「大丈夫ですか!?タイラー様!!」
名前を呼ばれて、眉を寄せるがまだ意識はない。
必死でタイラー様を呼ぶ。
そして何かの合図のように、段々と世界は元どおり動き出した。
タイラー様はすぐにレオンの指示で運ばれた。
医師を呼びにいくタイラー様付きの護衛たち。
慌ただしくその場を後にした。
残されたのは私とヴィヴィアン様とレオン。
…そしてガイくん。
呆然といきなり倒れたように見えたタイラー様の様子を気遣っている。
「…エイプリル様、ちょっと宜しいか?」
1人の護衛が私の肩を掴んだ。
「先程タイラー様があなたを不敬を訴えた後倒れられた。
…あなたがタイラー様に何かしたのではないですか?」
護衛たちが私を取り囲み出す。
ガイがゆっくりと臨戦態勢に。
…まずい。
まずいぞ。
いい理由が思い浮かばない。
このままでは不敬罪でしょっ引かれる。
…最大のピンチに私の思考も止まった。
いつもありがとうございます。




