第53話 ハートテイル様は救世主?
目の前でのキス。
自分以外の人と…。
鮮明に記憶に刻まれる光景に、思わず呼吸が止まる。
後ろによろめいてしまい、ガイが私の肩をそっと支えた。
1秒、いや3秒だったのかも…いやもっとかもしれない。
私にとっては長く体感するこの終わらない時間。
「…人間の口の中にはとてもたくさんの細菌があり…」
私の意味のわからない呟きに、ハッとしたオーガストが拒否する様に、力強くハートテイル様を自分から引き離した。
それでも。
ハートテイル様はオーガストを見て、ウットリしながら微笑んだ。
「あら?お姉さまの前だからって照れてるの?
何度だってしたでしょ、キスぐらい。
私が望めば、いつだって。
ねぇ、そうでしょ?オーガスト。」
そう言うと、睨みつけるオーガストの首に手を回す。
だがオーガストが再び拒否することはなかった。
グギギと首が動く。
ゆっくり、油の足りないロボットの様に。
ガイと目があった。
ブワッと目に涙が溜まる瞬間。
ガイが私を抱き上げた。
「…メイは連れて帰るね。
……お幸せに…?」
ガイはチラリとオーガストに目線を送った。
オーガストはガイを睨みつけたが、追っては来なかった。
そのまま、動かなかった。
私たちがいなくなっても尚、動かないオーガスト。
そしていつまでも楽しそうに、オーガストの髪を好きに触れていたミティア。
ちょうど離れた場所からそれを見ていたレオン様が顔をしかめながら静かに近づいた。
「…ハートテイル嬢。
君はどうしてしまったんだ?」
レオン様の言葉に、表情に、ムッとした顔でオーガストから離れた。
「あら?私の何をご存知?
それとも、私が惜しくなったのかしら?」
そう言うとゆっくりとレオン様の懐に飛び込む様に近付く。
軽くレオン様の唇に触れ、指を置く。
レオン様は嫌そうに顔を背けた。
「君と話した分しか君のことは知らないが…。
だが人前で挑発的に誰かを誘惑する様な方ではなかったと思うが…?」
レオン様の言葉にますます機嫌が悪そうな表情をした。
「ですって、オーガスト。
あなたが嫌そうにするからそう見えるんだわ。
私をさっさと受け入れたらいいのよ。
そしたら『誘惑』には見えないわ。
『相思相愛』に見えるんだから。」
オーガストは何も言わない。
ただ虚ろな顔で床に視線を送っている。
「ねぇ、聞いてるの!?」
イライラが募ったミティアが、オーガストに向かってツカツカと近寄ったかと思うと、手を振りかざす。
レオンが慌てて追いかけ腕を掴んだ。
「やめないか!」
「…どうして?」
レオン様は強い眼差しでミティアを見た。
ミティアもレオン様を見つめた。
パチパチ小さく瞬きをして、再びレオン様を見つめる。
「…レオン様、私を見て。」
「…何を?」
レオン様が軽くめまいの様な感覚に蹌踉めく。
「…大丈夫、私に任せて。」
「…ハート、テイル、嬢…やめろ…」
オーガストが喉からひねり出す様な声で彼女を呼んだ。
「あーら、まだ喋れるの?
…おかしいわねぇ、エイプリルの所為で耐性ができてるのかしら?」
そう言いながらレオン様から目線を外し、オーガストの方を見た。
目線が外れ、レオン様は蹌踉めきながらミティアから離れる。
異常を感じた後ろの護衛がレオン様を取り囲んだ。
「君は…まさか。」
レオン様も喋りづらそうに声を出す。
ミティアはフンと鼻を鳴らした。
「まさか、なんだって言うの?
パウエルお父様から認めてもらったの。
私が間違いなく、この世界の『救世主』なのよ?」
そしてまた鈴を転がす様に笑った。
それは楽しそうに…。
その光景を見ていたレオンは思った。
オーガストから離れてはいけない。
そう感じて1人の護衛に耳打ちをした。
「メーイ?もう泣かないでー」
ガイが困った様に両手を挙げている。
なぜ両手を挙げているか。
私が泣きながらガッチリと抱きつきながら泣いているからだ。
慰めるすべがなく、お手上げなんだろう。
だからといって両手を本当にあげるのはどうかと思うけど。
これでもかって言うぐらい、泣きじゃくった。
イオさんが2階へ心配して上がってくるほどに。
「…一体どうしたってんだい!?」
「…それがー、そのぅ…」
両手を挙げたまま、ガイが振り向き苦笑いする。
そんなガイをジッと見つめ、大きくため息をついた。
イオさんは顎をクイっとガイに向ける。
ガイは一瞬キョトンとしたが、すぐにいそいそと服を脱ぎ、脱皮して逃げていった。
私はガイの残された服を掴んだまま、鼻を拭く。
「ショートとなんかあったのかい?」
イオさんが優しい口調で私の頭を撫でた。
私はグスグスとみっともない顔を上げて頷いた。
もう一度大きくイオさんが息を吐く。
そして思いっきり私の背中を叩いた。
叩かれてビックリして涙が止まる。
「甘ったれてんじゃないよ!!!」
イオさんの怒号が家中に響いた。
びっくりした。
一言で、ビックリ。
泣いてる私を慰めてくれると思いきや、怒鳴られたのだ。
しかもヒリヒリと叩かれた背中がとても痛い。
とてもとても。
ガイの抜け殻をギュムッと握りしめ、ポカーンと口を開けたままイオさんを見つめた。
「いつまで泣いてんだい!?
そんな弱い子に育てた覚えはないんだよ!!
いいかい?女は心が傷ついてこそいい女に成長するんだ。
何クソ負けてなるものかと歯を食いしばんな。
あんな乳お化けになんて負けんじゃないよ!!」
ポカーンと間抜けな顔のまま固まっている私に、イオさんは大声で笑った。
「…え?笑うとか…」
「あんたの顔ったら…!!」
「え?え!?
私、顔で笑われてるの!?」
「鏡をよく見てみなよ。
ポカーンと口開けて、目を見開いて、鼻垂らしてんだよ!?」
「ええええ!?」
思わず机に伏せておいていた鏡を手に取る。
言われてみれば、間抜けな顔。
ガイの抜け殻でまた鼻をゴシゴシと拭く。
あんまりのひどい顔に、自分でも笑いがこみ上げてくる。
確かに、何やってんだろ私。
「ふふふ…」
イオさんの大笑いにつられる様に私も笑った。
何だか可笑しくて、脇腹がつるほど笑った。
お陰でなんか泣いてるの、どうでも良くなった。
着替えを済ませたガイが恐る恐る私たちを覗いていた。
流石にさっきまで号泣だった奴が、イオさんと2人で大爆笑してたら怖いよな、うん。
でも…心の底からスッとした。
「イオさん、ありがとう。」
「…何がだい?」
イオさんはそういうと、振り向かずガイを押しのけて部屋から出て行こうとして、立ち止まる。
「あ、芋の皮むきが残ってるんだった。
メイ、さっさと支度して降りて来な」
そう言って去っていった。
私は『はーい』とだけ答えると、握りしめていたガイの抜け殻を洗濯物のカゴに入れ、エプロンを付ける。
もう一度鏡を見て、軽くタオルで拭う。
ひどい顔は変わりない。
だけど。
ニーッと笑ってみる。
…うん、案外いけそう。
泣き疲れて晴れた瞼に、真っ赤に充血した目。
それでももう一度鏡を見つめた。
「よし、決めた。」
自分の意思を確認する様に呟いた。
いつもありがとうございます…!
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